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ジルコン クリスタルで、 くつろぎ浄化が自然に 起きることを助けます。


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木は命 龍村仁

『ポールの手の動きに沿ってよく見てみると、地上5mぐらいの所から1mぐらいの所まで、縦にまっすぐに薄い亀裂が走っている。そして、その亀裂を覆うように左右から幹の一部がこんもりと盛り上がっている。』

『 「100年ぐらい前、先住民の人たちがこの樹を利用した痕跡だよ。傷の大きさから見て多分カヌーのパドルか骨組みをつくったんだ」

 当時の先住民の人々は、樹の生命を絶つこともなく、必要に応じて樹を利用する様々な方法を知っていた。この場合は樹のある部分にくさびを打ち込み、柾目に沿って幹の一部を取り出したのだ。その傷の程度は、樹にとって傷ではあったが致命傷ではなかった。』

『 いや、むしろ傷ついたことによってこの樹は、自分の生命の自然治癒力を一気に活性化して、100年ほどの間に自ら傷を癒し、ある意味では生きる力をさらに高めて堂々と生き続けているのだ。教えられない限り、この樹がかつて人に利用されたことがあるなどと全くわからないほど健康に見える。

 人は自らの欲求にもとづいて自然を利用し変えてゆく。しかしその時、自然を自分と同じ生命を分かち合っている存在と見ているか、単なる“物”と見ているかで何かが決定的に違ってくるのだ。』


子どもの命10円 

『いま、世界中で死んでいく子どもの数は1日に3万人を超えており、 その死亡原因のトップは下痢性の脱水症状。 その治療に必要な経口補水塩の費用は、1パック10円ちょっとだ。

あなたが使ったお金を別のことに使えば、 人の命が助かるというのは、否定しようのない事実である』


22世紀への道 

『「環境問題」はひとびとの22世紀への道に立ちはだかる巨大な壁だ。 試行錯誤している余裕はもうないかもしれない。 間違いを教訓に活かすというゼイタクはもう許されないかもしれない。 「質より量」の民主主義はひとつの限界に直面している。だとしたら...』

『「量より質」の民主主義はありうるのか。 もしありえないとしたら、はたして民主主義は超えられるのか。 人類の存続が脅かされる中で、人間の尊厳と自由は いかに扱われるべきなのか』


■ものすごく気前のいい慈愛
「アレクセイと泉」のこと 田口ランディ 2002.1.30

『 舞台はベルラーシ共和国の小さな村。チャルノブイリ原発事故で放射能汚染され、600人の村人のほとんどが村を去った。そして55人の老人と一人の若者が村に残った。村は地図から消された。この村には泉があった。100年もの間人々を潤してきた泉。村の周辺は放射能に汚染されているのに、なぜか、この泉の水からは全く放射能が検出されなかった。

 物語みたいだ。でも、ドキュメンタリー映画である。カメラは泉の水とともに生きる老人達と一人の青年の春夏秋冬を、静かに追っていく。大変に地味である。大きな事件も、大きな不幸も、大きな幸福もない。そこにはただ、暮らしていく、という行為が映されている。』

『 ようやく三日目にして、最初から最後まで集中して観賞し、映画の世界に没頭した。そしたらとても不思議なことが起こった。

 水である。この映画の全編に登場するのはブジシチェ村の泉である。周辺は放射能に汚染されているのに、この泉の水だけは放射能が「ゼロ」なのである。

 泉は100年もの間、清らかな水を湛え、今も、つまり2002年の現在もなお、この泉はロシアの小さな村に存在する。そしてそこには55人の老人と、一人の若者が生きている(はずだ)。』

『 ラストシーン近く、泉の水が画面に大きく映しだされる。水はふつふつと湧いていた。その湧き出ずる水のなにかが私にいきなり転写されてきたのだ。

 それは言葉に置換えたら、希望とか、勇気とか、そういう陳腐なものになってしまうのだけど、よくわからないなんらかの「力」だった。

『 遠い遠いロシアの小さな村で湧き続ける小さな泉の水。それが日本の、私の中にいきなり転写されて、そして私の中で湧き始めた……、そんな感じだった。どうにも説明できないけど、とにかく私は生きる力みたいなのが自分のなかに転写されたのを感じてしまった。

 それで、見終ってからすぐさま「転写される水の力」というタイトルの原稿を書いたのだ。』

『 それにしても、奇妙な映画だなあと思った。というのも、それから日が経つにつれ、ときどき妙に思い出してしまうのだ。ほんとうに、地味な映画なんですよ。ただもう老人たちの生活が描かれているだけなんだけどね、なんでかねえ、思い出すんだよな。思い出すと、なんかこ、ウレシセツナイような気持になる。

 そしてね、変な話なんだけど、自分のなかにあの「泉」が湧いているのを感じるのだ。もちろん私の思い込みなんだろうけど、確かに、胸のあたりにあの「泉」がふつふつと湧いているのをイメージできる。それがこう、とっても気持よくて、元気が出るのだ。』

『 これってもしかしてすごいことじゃないかな。だって、映画を観ただけなのに自分のなかにロシアの泉が転写されちゃうわけだから。それでね、あ、私のなかに泉があるなあって思うと、なんていうかなあ、祈りっていうか、感謝の気持みたいなのがふっと起こるわけなのだ。なにかに。』

『 私はいままでこういう経験はしたことがなかったので、自分でもちょっとびっくりした。もちろん私の精神状態とか、今の生活環境とかが関係して、たまたまこの映像が私に強い影響力をもっただけなのかもしれないけど、でも、私は実に得した。映画を観ただけで「泉」を貰っちゃったわけだから。』

『 今日、監督の本橋誠一さんから、パンフレットと「アレクセイの泉」の写真集が送られて来て、改めてスチール写真を観ると、本当に美しいんだ。なにもかも。

 チェルノブイリ原発事故と放射能。その現実から何を切り取って表現するかが、表現者の個性だとしたら、本橋さんはきっととてつもない力技で、どでかい自然の、ものすごく気前のいい慈愛を、表現なさったんだな、と思った。

 そういうものが書けるかなあ。私にも。書きたいと思う。難しいけど。現実を直視するだけじゃなくて、分析するだけじゃなくて、この現実のさらに背後にある大きな世界の、とてつもない神秘と慈愛を予感させるもの。

 確かに私は、子供のころからそれを感じ、信じていたはずなのだ。』


いのちの叫び セヴァン・スズキ

なまけもの倶楽部

『 まだ子どもの私には、この危機を救うのに
  何をしたらいいのかはっきりわかりません。

 でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。
 あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。

 オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、
 あなたは知らないでしょう。

 死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、
 あなたは知らないでしょう。

 絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか、
 あなたは知らないでしょう。

 そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって
 森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。

どうやって直すのかわからないものを、
こわし続けるのはやめてください。 』

『父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、
 なにをするかでその人の値打ちが決まる、といいます。

 しかしあなたがた大人がやっている
 ことのせいで、私たちは泣いています。

 あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。

 しかし、私は言わせてもらいたい。

 もしそのことばが本当なら、どうか、
 本当だということを行動でしめしてください。』


グローバル・スタンダードの嘘 ビル・トッテン

『この言葉は一部の日本人が自国民をだますためにつくった言葉のようだ。 』

『日本の総輸出額の半分は、わずか三十社の企業で占められている。その売り上げはGDPの12%に相当するが、従業員数は日本の全労働者の1%に満たない。平均的な日本企業は売上一億円当たり三・六人を雇用しているが、この三十社は一・四人である。 』

『さらにGDPの12%の売り上げがありながら、三十社が払う法人税は全法人税収の5%である。平均的な日本企業は国内売上の約3・6%を法人税で支払っているが、三十社は売り上げの約1・4%しか法人税として納めていない。

 それにもかかわらず政府は円安を望むと公言し、日本に「グローバル・スタンダード」を採用させようとする。これは輸出企業が法人税を払うかわりに政治家に政治献金を提供し、官僚に天下り先を用意し、宣伝を通じてマスメディアを掌握し、高額の顧問料をエコノミストや識者たちに支払ってテレビ番組でけん伝させているからである。そしてそうした番組や新聞記事を目にする普通の人々も「グローバル・スタンダードにしないと日本の国際競争力はなくなる」と日々洗脳されている。 』


誰が放射能の責任を取る?
ウラン残土にさえ無責任

 6月25日に鳥取地裁で、鳥取県東郷町内の自治会「方面(かたも) 区」を原告とする「ウラン残土訴訟」の判決があり、原告が全面勝 訴した。被告の核燃料サイクル開発機構(旧原子燃料公社/動力炉 ・核燃料開発事業団)が同町方面地区に放置してきたウラン採掘残 土の撤去を命じ、撤去の強制仮執行も認めたものである。

 1990年8月31日に原告・被告間で締結された撤去協定から10年余 が過ぎており、「既に履行期が到来したものというべき」とする判 決は明快で、そもそも核燃料サイクル開発機構側が裁判で争うこと 自体がおかしい。同機構は、事業の開始前に自身の土地として本来 確保しておくべき廃棄物の管理場所を用意しておかなかった無責任 さ、野ざらし放置をし、1988年8月に発覚後も、さらには撤去協定 の締結後も、撤去を履行せず引き延ばしてきた無責任さ、そして、 裁判を提起されると、協定書中の「関係自治体の協力を得て」の文 言を撤去義務の「停止条件」と主張して争ってきた無責任さ、すな わち過去のみならず現在に至る無責任さを断罪されたのである。控 訴することなく判決を受け入れ、一日も早い撤去に向けて具体的な 行動をとるべきことは言うまでもない。日本原子力研究所との統合 −新法人化で、いっそう責任の所在をうやむやにするようなことは 許されない。

 もとよりその行動は、たとえば「受け入れることはできない」と している岡山県知事や同県県民の意向を無視して同県内の核燃料サ イクル開発機構人形峠環境技術センターに強行搬入するといったこ とであってはならない。岡山県や鳥取県三朝町、東郷町の住民の受 け入れ拒否はきわめて正当であり、これを踏みにじることは、もっ てのほかである。核燃料サイクル開発機構は、そうした自治体・住 民の拒否を言いわけとしてさらに引き延ばしを図るのでなく、撤去 先を真剣に早急に用意する必要がある。

 どこでも受け入れられないものを、どこかに受け入れてもらわな くてはならない。それが無理な注文なら、今なお各種の放射性廃棄 物を増やし続けている同機構や電力各社などの無責任さこそが改め て問われるべきだろう。

 無責任の窮みともいうべき核燃料サイクル開発機構が、現在も高 レベル放射性廃棄物の処分研究の中核となって、北海道幌延町や岐 阜県瑞浪市に深地層研究施設の建設を強行しようとしている。そう した姿勢で、ウラン残土の受け入れ先が見つかるはずはない。同機 構は、まずこれらの計画を撤回し、自らの発生した廃棄物にこそ、 最後まで責任をとるべきだ。(原子力資料情報室)


知不知 田口ランディ

『そう考えたとき、なにか得体の知れない恐ろしさで足下がぐらぐらしてくる。怖くなる。なんでこんなに何もわからないのに、私は平気で生きていけるんだろうと怖くなる。

知ろうとすれば知ろうとするほど、知りえないことの大きさに唖然とする。知ろうとすると、実は私は何も知りえることができないのだという、「わからなさ」の奈落に落ちていく。』

『あんなにもオウム信者を撮り続けた森さんが「わからない」と言うのは、彼が知ろうとした結果かもしれない。見続けて、追い続けるほどにわからない。知ろうとしなければ、深く知ろうとしなければ「わからない」ことを見ないですむ。

でも、いったん知ろうとしてしまったら、本当に何もかも「わからない」のだ。 だけど、「わからない」から知ることができるとも言える。「わかっている」と思ったら、これ以上知る必要などない。

わたしは、やはりオウム真理教という存在について、もっと知りたいと思う。私には「わからない」。知れば知るほど「わからない」ことが深まるかもしれない。だけど、それでも知りたいと思う。

知らなければ、もし彼らが私の隣人になったとき、対応ができない。対応ができずに対立してしまう。対立は怖い。勝ったときはいいけど、負けたら恐ろしい。私は臆病な生活者だから、一か八かの対立を嫌うのだ。』

『どうしようもない。これが私という意識体の限界なのだ。神ではなくて人間に生まれたことの宿命だ。永遠の「わからなさ」を生きろと言われているようなものだ。

オウム信者の人たちは「わかっている」ようだ。きっと「わかっている」のだろう。「わかって」しまったら、私も彼らと同じ土俵に立つことになる。それは怖い。

「わからなさ」を生きているとき、私は人と対立しない。矛盾を抱えているとき、私は他人を攻撃しない。「わからなさ」は苦しい。「わからない」限り知ろうとする。知るということは、自分の思考に異物を取り込むことだ。それは苦しい。でもたとえ苦しくとも「わからなさ」は、私の怒りや憎しみを少し緩和してくれる。

何かを強く確信しているときだけ、私は相手を叩き潰すことができてしまうのだ。』


自分を生きる 田口ランディ

『一見、Tの行動はわがままで自分勝手に見える。だが、彼の心象世界の中では、Tはいつも誰かの気持ちを読み取り、それに合わせて行動しようとしていた。もちろん、彼の行動は不完全で思い入れが強いため、試みは失敗に終わる。

誰かのために生きても見返りは少ないどころか、かえって恨まれる。 自分で決断したことがうまくいかないとき、Tは人よりもずっと不安に陥る。そして、不安のあまり、「親が悪い」という結論に達する。

Tは常に他者からの評価を求めていた。それが与えられれば元気になるが、思った評価が得られないと、不安のどん底に落ちて行く。それが他者にとっては、うっとおしく感じられる。だから次第に友人が減る。そして孤立していくと、ますます評価を受けていないと感じ不安になる。不安はストレスを生み、そのストレスに自分が潰れていく。

Tにとって一番辛かったのは、「本当はどうしたいの?」と聞かれることのようだった。あらゆる人が彼にそれを聞く。だが、彼はその言葉を聞くたびに、発狂しそうなほど不安になる。何もないからだ。自分の中に何もない。できれば、好きな音楽と本に囲まれてのんびり暮したい。

そう答えると「だったら働け」と言われる。この世界では、働くことと自己実現が一致しないと非難されるのだ。本当に好きなこととは、働いた見返りとして与えられるかのごとく考えられている。

それでもTは、いつも誰かの心を読み取ってそれを満たそうとしていた。あまりにも不毛なコミュニケ−ション。そのようにしか生きられない。本当の自分を生きられない。Tは死ぬまで、自分が何をしたいのかわからないと語っていた。』

『Tの死後、父は劇的に変った。父は今年70歳だが、人間の精神は70歳になっても尚、変化し成長を続けることができるのだ、ということに改めて感動した。老いた父は時間をかけながらTの死の意味を問い、そして自分の生き様を問うている。』

『残された二人は自分を生きることに懸命だ。自分を生きないことの悲惨を目の当たりに見てきた私たちは、お互いの傲慢を良しとする。結局、私は家族から生き方を教わっている。 このごろよく思う。こんなことを一生考え、仕事とするために、私はこの家族を選んで生まれてきたのではないか……と。』


共振 田口ランディ

『たぶん、田中康夫さんという人は、鎧を着ていないのだろう。彼はただ一人の人間として自分の本当の気持ちを語っているのだ。そういう言葉は、命があって、耳に届いた瞬間に聞き手と語り手の思いが共振を起こすのだ。

考えてみたら、それは特別なことでもなんでもなくて、私たちが日常の生活の中で使っているあたりまえの能力、ありきたりな現象だ。しゃべっていて気持ちが通じ合うと、私たちは相手の言葉にインスパイアされて、どんどん自分の中にもしゃべりたいことが湧いてくる。』

『その言葉から何も伝わってこない。その説明から何も感じ取れない。 腹立たしいのを通り越して、なんだか辛そうだ。そういうシステムの中で生きることを強いられるのは、どんなにか息苦しいだろうと思う。もはや、自分たちが辛いってことすらわからなくなるほど麻痺してしまってるのかもしれない。』


私が生きたツケ 田口ランディ

『日本の経済が崩壊してようと、老人が増えて年金制度が破綻しようと、産業廃棄物が自然を壊そうと、森が植林で滅びようと、田んぼがなくなろうと、原発が建設されようと、イヤだけど、でも、私が生きているうちはなんとかなるだろう、って思ってた。

とりあえず、今、私が気持ちよければ、ま、いっか。もちろん、そんなことを大声では言わない。ポーズとしては反原発だったし、日本の政治の腐敗に憤っていたし、それなりの問題意識があるような顔をして飲んでエラそうなことまくしたててた。

だけど、実感はなかった。実感をもてないのは社会システムのせいだと思っていた。私は被害者だ。次の世代に何かを残してやろうなんて気はこれっぽっちも、耳のアカほどもなかったよ。だって自分も被害者なんだから。』

『さすがに40歳近くなって、子供を生んだとき、ようやく自分の子供や近所の子供の顔を見ながら、この子たちが20歳になったときの日本、ってどうなってるんだろう、って漠然と思うようになった。こんなにツケをこの子に回していいんだろうか?って。人生も半ばを過ぎたころ、ようやくそういう気持ちになった。

そして、実感として「ああ、なんて社会になっちゃってるんだ」ってがく然とした。あらゆるもののツケを次の世代、その次の世代、その次の世代に押しつけたのが20世紀の後半じゃないか……って。つまり、私が生きた時代だ。』

『20年も先を生きてきて、こんな社会を作るがままにしてしまったことを、私は20歳に謝りたいという気持ちの方が大きい。「すみません、先輩としてまったくボンクラでした」という感じだ。確率的には私の方が先に死ぬ。彼らに押しつけたことの大きさを考えると「成人おめでとう」と言えない。』

『ずいぶん前だけど、南太平洋の少数民族の長が、村の若者の成人を祝う儀式を見たことがあった。その時の長の眼差しを私は覚えている。すべての若者を自分の息子のように慈しみ大切に思う表情をしていた。それは画面を通して日本人の私にも伝わる、ある普遍的な父性だった。』

『自分を社会的被害者だと思うことはやめた。すでに日本に40年生きた。 この国の未来がヤバいとすれば、それは私にも責任がある。立派な加害者だ。』


マインドコントロールで可能性を封印 田口ランディ

『何かを切り捨てたかった。自分の頭が着ている変な意識を脱ぎたかった。でも脱げない。なんだかまとわりついて離れないものを引きちぎるために、七転八倒して暴れていた。』

『。「子供」って言葉そのものが、すごくヘンだと思う。私は小さい頃、自分を「子供」って言われてきた。だけど、そもそもこの「子供」という言葉が私を無能にしていた。』

『ところが、私は自分が「子供」と呼ばれていたとき、子供という単語によって不当な差別を受けていたと感じる。「子供」というたった一つの単語のなかに、成長段階の人間の無数のベクトルを無理矢理押し込めて、規定して、「子供ってのはこんなもんだ」というイメージをらく印して、ひと山いくらで扱われていたような気がしてならないのだ。』

『そして「一人ではできないことでも、みんなならできる」と言い続けられた。それが正しいと思い、長いこと「一人ではできないから、力を合わせよう」という呪縛から逃れることができなかった。 「子供は未熟な存在だ」「子供は労働力にならない」「子供は生産性がない」「子供は考えが足りない」とにかく、子供は大人より劣るのだと教えられた。』

『。「子供」という称号をもらったことで、私が受けた恩恵はすごい。だけど「子供」と規定されたことで奪われた可能性もまたすごいのだ。』

『みんな「子供という生き物」じゃないんだよ。みんな「人間」なんだけどな。老人に「老人力」があるのなら、子供にも「子供力」があるのだ。その年齢、年齢で、みんなパーフェクトで、可能性があって、そして違う力をもっている。

だけど、私は、義務教育というものを受けるようになってから、その義務のなかで「子供」という社会の決めた役割の中に閉じこめられたと感じている。』

『私は6歳の時には完璧に世界を把握していたし、言葉は未熟だったけど、感性はいまと同じ分だけもってた。そして、人を思いやる心や、感激したり、感動したりする心は、今の百倍もあった。』

『子供の権利はとても大切。だけど、それによってより強固に若年層を「子供化」させていることが忘れられている。「子供を守る」ために「子供という未熟な存在を作る」。そういうことを社会システムはよくやるのだ。』

『刻み込まれた「子供」を脱ぐのに、10年くらいかかったよ。「子供」という幻想。「未熟でバかで何もできない子供」という幻想。それをぬぐい去り、自分を取り戻すまでの長かったこと。人生、短いのにもったいないことだ。社会に貢献できるであろう20代に、自分探しばかりやっていた。「子供」だから。』

『でも、本当は、ずうっと私だったんだ。発揮できる能力や、感じる心は年とともに変化するけど、どの時代、どの年代でも、私はずっと子供でも大人でもなく、私だった。そして、いつだって、一人で考え行動できた。結果が問題なんじゃない。一人でできる可能性をもった存在だった。

一人の人間として存在する。そのことを「子供」という単語によって封印されている。そして「子供」を刷り込まれる。「いつか大人になる存在」としての未熟な「子供」。

もっともっと「子供」という言葉の呪縛を解いてあげたい。この言葉は死語だ。』


虐待 田口ランディ

『なぜそんなひどいことを……と言うのは簡単だ。両親を非難することは容易だけど、自分のことを振り返ると私は暗澹とした気分になってしまう。もし私が21歳で子供を持っていたら……と考えると、恐ろしい。自分も同じことをしなかったか……と思う。正直なところ自信がない。』

『人生が好調な人には独特の強引な押しがあり、私のようにメゲている人間は圧倒されてしまう。』

『養育放棄されていた猫は半ノイローゼ状態になっていて、鳴き方も半端しゃなかった。 私は足で猫を蹴飛ばした。何かもう、本当に辛くて苦しくてこの猫を殺してやりたいと思っていた。猫に罪はないのはわかっている。でも、猫が鳴くと、まるで自分を無能無能と責めているようにしか聞こえない。

蹴飛ばしても蹴飛ばしても小猫は足にまとわりついてくる。その小猫をさらに何度も何度も蹴飛ばして「うるさいっ、もういいかげんにしてよ」と一人で泣き叫んで怒鳴った。まったくアホである。その晩はノミのことが気になってほとんど眠れなかった。布団の中でめそめそ泣いた。 このまま気が狂いそうだと思った。』

『私は、その小猫の後ろ姿を茫然と見ていた。追いかけるつもりはなかった。心の中でいなくなってくれたほうがいい、って思っていた。そしたらどんなに気が楽になるだろうってほっとしてた。

今でもよく覚えている。本当に天気の良い朝だったんだ。なんだか子猫の方がずっと清々しく、勇敢に人生を踏みだしているように見えた。

捨てられたのは私のほうだ、と思った。私は小猫に捨てられた人間なんだ、って思った。

なんだろう、あの時、猛然と思った。このままじゃいかん。絶対にこのままじゃダメだ。そう、心から思った。そして、その後に私はもう一度自分の人生を立て直すんだけど、そのきっかけになったのは、あの朝、子猫に捨てられたことだと思う。 』

『その後、何かある度に、私は出て行ったシコメのことを思い出す。あんな小さいくせに、飼い主を見切って出て行った。あの猫のことを思い出す。そして自分は、猫に捨てられてしまうような、小猫を虐待するような、そんな弱い人間であることを思い出す。

ずいぶん長いこと、猫も育てられなかった自分に子供が育てられるだろうか、と怖かった。私は人生が安定してから子供を産んだので、今でこそお気楽に子供を育てているけれど、23歳の時に産んでいたらどうだったろう。考えるだけで怖い。

幼児虐待の話を聞くと、いつも猫のことを思い出してしまう。 』


ひとりできる 田口ランディ

『インターネットのいいところは「一人で、できる」だと思う。だからこそ私も続けて来れた。一人でできることをコツコツとやっていれば、自分以外のあらゆる人の力は「自分への手助け」である。こりゃあもう感謝するしかない。恨むことはない。

「一人で、できるって、いいですよね」と糸井さんが言う。「そうですよね、一人で、できることの可能性が広がった時代ですよね」「今は、一人で一生懸命やると目立ちますよね」「そうそう、今こそ、一人で一生懸命な人が報われますよね」

急激な情報化が人をイデオロギーから解放している。徒党を組まなくても、携帯電話とインターネットがあれば、必要な時に必要な人とだけ繋がれる。だから、一人で、組織に属さなくても、孤立しないで済むようになった。

情熱のある一人が存在すればいい。その一人になればいい。すべてを網羅しなくてもいい。自分が最も好きなことに情熱を傾ければいい。そして、繋がればいい。誰かと同じことをしなくていい。それぞれが一人で、それぞれに頑張れば、一気に世界は面白くなる。』

『でも、山田さんはどうやら「原爆の残り火が今だに燃えている」という話を知ったときに、「よし、それを20世紀の送り火にしよう」と思いついてしまっただけらしい。そこに意味はなかったみたいだ。そうしたい、と思った強いインスピレーションだけが、山田さんの行動動機だったように思える。

「20世紀最後の夜に、日本中に原爆の残り火が、平和の祈りの火となって灯るんですよ。それを宇宙から見たら、きっと日本がうんと明るく輝いて見えるだろうね」そんなことを山田さんが呟いたのを聞いたことがあった。ふと、そうかあ、山田さんは神様の視点で日本を見てるのかもしれないなあと思った。神様の眼に映ったら、確かに、祈りの火で日本が輝いて見えるかもしれない。』

『でも、9月に会った時はさすがに旅の疲れで身体がボロボロで、顔色も優れなかった。荷物を背負って歩いているから、肩と膝をかなり痛めているらしかった。それでも、まだ、山田さんの活動はなんだかイマイチ世間からは認められてない。』

『うおう。な、なんというアナーキーな大らかさだ、とあっけにとられる。ああでも、こういうことなんだな。山田さんは言った。「原爆という人類最大の災いの火を、平和の祈りの火に転換する」 そのためには意味なんか考えてたってダメなのだ。』

『妙なもので、どんどん「火」の波紋が広がってくと、誰もそんなに意味を問わなくなる。というよりも、この行動こそが意味になってしまう。 いま、こうして何かが動いていること、そこにこそ、非言語的な意味が存在するようになってしまう。これが、もしかして祈りってことなのかなあ。私にはまだよくわからない。わからないけど、凄いなって思う。』

『山田さんはいつも言っていた。「僕は一人でできることしかしないです。一人でできることをやっていれば間違いない。一人でできることをし続けていれば、続けられる。ひどく遠回りな方法に見えるかもしれない。だけど、実はこれが一番の近道なんです」』


在りのまま 田口ランディ

「ある時期から、意味から逃れたくなったんですよ」「意味からですか?」 「目で見たそのままの世界を写してみたくなったんです」

『「あんたの文章には足りないものがある。それは自然を描写する力だ。神さまの言葉を伝えたければ意味を問わず、ありのままを描きんしゃい」 なんじゃそれ。どういうこと? だいたい、言葉というものがすでに意味性を帯びているのだ。だから意味を問わずありのままを言葉で描写するなんて、不可能とちゃうの?と私は内心反論した。でも、奇しくも藤原さんまで同じようなことをおっしゃるのである。

「見た目そのままの世界って、どういうことでしょうか?」「ただ、そこにあるものを見て、美しいと思えた瞬間に自分の脳に転写するようなことですよ」

ただそこにあるものを見て、美しいと思えた瞬間を撮る。 それはもしかしたら、地球を一瞬に灰にする光であるかもしれない。何千の人が死んだ戦場の夕日であるかもしれない。死に逝く母親の顔であるかもしれない。汚染された森かもしれない。奇形の生物かもしれない。血で輝く海かもしれない。

それでも、そこに意味を問わないという行為が可能だろうか。そして可能だとしたら、そこに意味を問わないとき、あらゆる枠組みからはずれた高次の「世界そのもの」が立ち現れるのかもしれない。』


闘わないひと 田口ランディ

「そうか、アイヌって北海道にしか居ないイメージがあったけど、昔は違ったんだよね。アイヌは日本の先住民だったのだから」「そうだよ。ただ、アイヌは闘うことが嫌いだったんだ。そして、他の土地からやって来た戦闘的な民族によって侵略され追われて行った。それが日本という島の歴史だ。もともと日本は大陸と地つながり。ここはシベリアから続くモンゴロイドが住んでた土地なんだ」

『でも考えてみたら、この島は薩摩藩などに頼らなくても暮すのには困らなかったわけだ。薩摩藩が勝手にやって来て「ここは薩摩藩の土地だ」と言い張り、「年貢を収めろ」と言い、そして貴重な屋久杉をガンガン切り倒していったのだ。』

「でもね、もともとはこの島の岩も、杉も、森も、海も、誰のものでもなかったのよ。誰のものでもなかった時、住民は本当にこの土地の命に支えられて、この土地に生かされて生活していたのだと思う。そこに、土地をよこせと言う人たちがたくさんやって来た。その繰り返しが今もなお続けているんだよ」レラさんはそう言う。

「今も続いているのかな?」「そりゃそうだよ。この島は鹿児島県だ。でも、鹿児島県がこの島のために何かしてくれているだろうか? この島がたまたま世界遺産になったから、それを観光の目玉にして食い物にしようとしているだけなんじゃないか?」

『島にあるこの無数の植物で香水を作りなさい。この無数の植物で染色をしなさい。薬草となる植物を探しなさい。古いことを知っているお年よりに、古くから伝わる文化について学びなさい。そしてそれを伝えなさい。そうすることでしか、この島を守ることはできないのだから。 そう言ってレラさんは、民宿の奥さんに植物から香水やハーブオイルを作る方法を伝授していた。草木染めの方法を教えていた。食べられる草や薬になる草を教えていた。』

『彼女は外からやって来たよそ者である。 でも、アシリ・レラさんの言葉を、出会う人はみな耳を傾けて聞いていた。聞いてしまうのだ。どうしようもなく心に届くのである。たぶん、真実の言葉だからだと思う。アイヌとして土地を略奪され、迫害されて、それでもなお「闘わない」ことを選び取り、侵略のない世界を築こうと働いているアシリ・レラさんの言葉はまっすぐに心臓に突き刺さる。』

。「祈りはね、誰だったできるのよ。アイヌ語じゃなくても、何語でもいいのよ。本当に神を信じ、魂が天に帰ることを心から願えば、誰でも魂を送ることができるんだよ」

『私はまだ、この世界の何も見ていない。何にも触っていない。そんな思いをとても強く刻み、島から帰って来た。 2000年最後の屋久島の旅、それは新しい世紀の新しい旅の始まりを予感させる。傲慢になってはいけない。世界はまだ、限りなく未知なのだ。 私はまだ、限りなく無知なのだ。』


私が思い込む不自由

田口ランディ

『「へえ?人間が宇宙と相似形だと?」「そうですね。だから、宇宙存在に文句 を言ってもしょうがないでしょう?人間を全包括的な存在だと認識しているか ら、あまり些細なことでは相手を思う通りにしようとはしません。魔術はかけ ますけどね」

 確かに宇宙がやってることだと思えば、あまりケチもつけられない。一人の 人間を存在としてパーフェクトだと認める文化って、すごいなあと思った。

 私は、やっぱり自分をとても不完全な存在のように感じている。だから、成 長しなくてはと思っているところがある。だけど、考えてみたら、もって生ま れたもので死ぬまでまかなうのが人間だ。

 オギャアと生まれた瞬間から必要なものは携えて来ていて、後から貰うのは せいぜい経験くらいだ。この身体は生まれてから死ぬまでずっと同じ。そう考 えたら、自分を不完全と思うのは少しむなしいかもしれない。』

『「バリはオープンソースの島なんです」コンピュータのOSを開発しているとい うSさんは、ときどきコンピュータ用語でバリの文化を説明してくれる。

「アイデアは宇宙からの授かり物。だからみんなで共有する。もちろん、その アイデアにどうオリジナリティを発揮するかは個々の問題だけど、方法論は島 全体で共有されます」「ふうん。なんだか、インターネット的だね」

 Sさんはバリに留学して、バリ的なオープンソースな社会システムについて 考え、その可能性を提示した。だけど、十五年前は「頭が変なんじゃない?」 って言われたそうだ。ところが、ここ数年でインターネットが急速に普及して きて、情報の共有化が行われるようになった。「やっとこのごろ、狂人扱いさ れなくなりました」と笑っていた。』

『 バリ人のお祭りに傾ける集中力はすごい。お祭りを中心に生活が動いている みたいだ。』

『 どんなことに集中してもいいんだ。おっけいなんだ。なんかそのことを、バ リですごく納得してしまった。くだらないことなんて何もない。それなのに、 くだらないことと大切なことがあると思い込んでた。

 お金や名誉に関わることが価値があり、そうじゃないものはムダなことだと 思い込んでしまっている。いつしかそういう風に思うことが癖になってる。や だな、私。不自由だな。

 この不自由な思い込みから解放されて、なんでもアリなんだ、って思えたら、 すごい集中力が与えられるような気がした。そういうことが突然、起こるよう な錯覚をもってしまった。

 人はみんな好きなことに全身全霊で集中していいんだ。集中することがすご いんだ。完成したものに価値を与えるのは他人だ。自分ではない。だからぶっ 壊すことができる。他人に規定された価値が、自分を心から自由に喜ばせはし ない。』

『 自意識なんてもの、年をとってずいぶんと萎えたと思ったけど、まだ私にな かには歴然と「自分が自分が……」という意識が強くあって、その「私が私」 っていう自意識が、バリにくるとうっとおしいくらいに感じられる。

 ああ、私はまだこんなに自分にこだわっていたんだな。そして自分にこだわ り続ける限り、他人にこだわり続けるんだな。他人にこだわり、他人の言動に 感情を揺さぶられ、他人の評価に自分がオタオタして、他人に自分を合わせる。

 そこから逃れられないから、私はときどき辛い。分かち合えない。』


ただ存在しているだけで

田口ランディ

『 時折「あ!きれい」と言っては写真を撮っている。川内さんが被写体に選ぶものは、 私にはすごく新鮮で、それでいて「なんか感じる」ものばかりなのだ。だから川内さん の目を通して世界を見ると、私は不思議な気分になる。ああ、世界はこんなにも物語に 溢れていたのか、ってことを思い出してしまうんだ。』

『「なんかさあ、人とわかりあうのって難しいよね」とAKIRAさんが言う。「そうだねえ、 特にAKIRAさんは優しいからな」「そうかな、ランディさんだって優しいじゃない」「 私はあんまり優しくない。損をしない程度に親切だけど、相手を常に理解したりはしな いから。AKIRAさんは、他者を理解する……ということを自分に課してるみたいなとこ ろがあるよね」「そうかなあ」

 私は、人と人は奇跡のように理解しあうこともある……、という程度にしか考えてい ない。もし奇跡が起こったら、それはすごい。でも、諦めの方が大きいかもしれない。』

『 ものすごく落ち込んだとき、とてつもなく嫌な言葉に触れたとき、自分が辛い体験で ボロボロになっていじいじしちゃうとき、悲しいことが重なってどんよりしちゃうとき。 そういうときが人生にはままある。

 いろんなふうにして、心には細かくて薄汚い澱がたまる。どうしても溜まっていく。 しょうがないことだ。そういうとき、自分の仕事、自分の役割に、片意地張るでもなく、 威張るでもなく、それを楽しんで、ただもう誠実に、真っすぐに向きあっている人たち、 そういう人たちに出会うと、言葉ではなく励まされる。私はそうだ。

 自分の役割をまっとうしてる人は、きっと、ただ存在しているだけで、もう、それだ けで、たくさんの人を支えているんだと思う。たぶん、その人は「労働」ではなくて「 働き」をしてるんだろう。仕事は自分が「働き」という作用を担うための手段。このご ろそんな風に思えるんだ。』


非核三原則
from 911/USAレポート 冷泉彰彦

『非核三原則とは何のためにあるのでしょう。核を「作らず、持たず、持ち込ませず」 の三原則は、国是であると言われています。歴代内閣の政策であるとも言われていま す。なぜ、この三原則があるのでしょう。それは悲願でも何でもありません。唯一の 被爆国だから全ての前提とすべきだからでもありません。非核三原則とは核戦争に関 与しないという外交方針を貫く手段、それ以上でも以下でもないのです。

核を作ったり持ったりすれば、標的となった国は恐怖感から逃れるために核攻撃力の 均衡を求めます。つまり日本の核兵力との均衡状態まで核武装を強化するでしょう。 その際に先制攻撃をするかしないという問題は、言葉の問題に過ぎません。日本が持 てば、周辺国や利害の対立する国で、日本の核攻撃の射程に入る国は、確実に核武装 を増やしてきます。大陸間弾道弾や原潜は持っていない、と言っても通りません。核 弾頭を搭載可能な艦船や航空機の活動範囲は、全て射程とみなされるからです。

核の持ち込みはどうでしょう。「自分のものでない、他国のものが持ち込まれるのも 困る」というのは、単なる潔癖症なのでしょうか。日本の文化に照らして、俗に言う 「穢れ」を持ち込むのを嫌うからでしょうか。ラロック提督やライシャワー博士の証 言のように、アメリカの第七艦隊や海兵隊が実際に核弾頭を日本の港に持ち込んでい るのは常識になっています。ですから、ここは「現実」を後追いして、持ち込みは可 能とするのが国としての成熟なのでしょうか。これも違うと思います。

核兵器の持ち込みを認めてしまえば、持ち込まれた核の射程に入る国は、日本が核を 持ったのと同じ脅威を感じます。そのために日本を射程に入れた核兵器を装備するこ とで、均衡を保とうとするのです。その場合、持ち込まれた核が日本のものでない、 ということは関係ありません。日本のものであろうと、アメリカのものであろうと、 「持ち込みを認めて」しまえば仮想敵国が日本との核の均衡を模索すると言う点では 同じなのです。

では、今現在すでに日本はアメリカの「核の傘」の中にいるではないか、だから非核 三原則など形骸化している、という議論があります。「核の傘」を認めるのなら非核 三原則を放棄しても良い、あるいは核の傘に入っているから狙われる危険は同じだ、 という議論です。これも違います。「アメリカの核の傘」というのは、その領域が他 国から核攻撃を受けた場合は、アメリカの核兵器で報復をする、だから、その恐怖感 から抑止の効果がある、というものです。

日本が「アメリカの核の傘」に入っているというのは、日本が核攻撃を受けたらアメ リカが核で報復する「ことになっている」ということで、核戦争を抑止できる、その 対象領域に日本が入っているという意味です。これは、核の保有や持ち込みとは違い ます。万が一の場合の報復は、アメリカがやってくれるということになっているので す。日本は自分で報復核攻撃に手を汚す必要がないのです。

さて、そんな現状でもしも日本が「非核三原則」を返上してゆくとなると、関係国の 利害はどうでしょう。アメリカの政権としては、むしろ歓迎しているふしが(かなり 前からずっと)あります。仮に日本が核攻撃を受けて、「核の傘」の約束通りアメリ カがその報復をしたとすると、その報復の報復はアメリカへの攻撃になるでしょう。 その場合、最初に外交の破綻を起こしたのは日本なのに、アメリカが被害にあうのは 理不尽だ、という議論があります。「持ち込み」を許して、日本が核武装の共犯者に なってくれれば、という言い方をしても同じでしょう。

更に、日本が核武装をする、あるいは「核の持ち込み」を認めるとなると、周辺国は 日本へ核弾頭を向けるようになるでしょう。その時点で日本経済に余力があれば、ミ サイル迎撃システムの開発費を分担させよう、共和党政権の思惑はそんなところで しょう。ただ、その話はそこで終わらないのです。当面の北朝鮮や台湾海峡の問題だ けでなく、中国の民主化や統一韓国の国情安定など、様々な流動が予想される東アジ アの向こう10年にあって、万々が一の場合には、日本一国を東アジアの悪人に仕立 て上げて、問題の解決を計るシナリオも見え隠れすると言って良いのです。日本の核 武装は計画だけであっても、その口実にされる危険が大きいのです。

冷戦的な対立の終結や緊張緩和が進むシナリオだけでなく、逆に東アジアの緊張が高 まる事態を想定しても、「非核三原則」が最も有効な戦略であることに疑いの余地は ありません。核戦争という現実の恐怖を前にして「たし算と引き算」の結果として最 も現実的なのが「非核三原則」なのです。核を持てば一人前だろうとか、共和党政権 の強硬論についてゆけば悪いことはないだろう、というのは単なる感情論に過ぎませ ん。根拠のない話である点では「悲願」だけを根拠とした運動とレベルは同じといっ ても過言ではないでしょう。』


キッシンジャーと佐藤栄作の犯罪

『 1969年から日米間で沖縄返還交渉が始まった。米国側の責任者はキッシンジャー大統領補佐官。対する日本は佐藤栄作首相、外務大臣愛知揆一、自民党幹事長福田赳夫であった。形式的にはロジャー国務長官(日本の外務大臣に相当)と愛知外相とで交渉がすすめられたが、裏では佐藤の「黒子」で「吉田」と言う名を使った本名若泉敬(当時京都産業大学教授)とキッシンジャーの間で進められた。』

『 これを受けて若泉はキッシンジャーとぎりぎりの交渉を続けたが、結局アメリカ側の主張は二つの条件に絞られた。その第一は「繊維問題」であった。アメリカは日本の対米繊維輸出自主規制(実際は強制規制)を強く求めてきた。その第二は沖縄における米軍の核兵器貯蔵庫の維持と実戦核部隊の常駐であった。』

『 ところが沖縄を世界最大の核基地にすることには、唯一の原爆被爆国である日本の世論の合意が得られないことは自明だったから、到底正面切って国会で議論できる問題ではなかった。若泉とキッシンジャーの長い交渉の結果、極秘合意書が作成され、1969年11月21日ホワイトハウスで行われた日米首脳会談終了直後、ニクソン大統領は珍しい芸術品を見せたいといって佐藤首相を一室(オーバルルーム)に招き入れ、そこで佐藤は極秘合意書に署名したのである。

その合意の内容は沖縄のKadena, Naha, Henoko に核兵器貯蔵庫を「維持する」こと、核実戦部隊(Hercules)を常時沖縄に「駐屯」させることであった。

佐藤は苦悩の末、1971年5月秘密合意とは裏腹に沖縄の「核抜き返還」と「非核三原則」(核を持たず、作らず、持ち込まず)を衆議院で決議したのである。皮肉なことに、沖縄返還に貢献したとして佐藤栄作とキッシンジャーにノーベル平和賞が授与された。佐藤はすでに他界したが、キッシンジャーは今過去の犯罪を糾弾されている。

1994年5月、沖縄返還交渉の舞台裏を書いた若泉敬は、不思議なことにその後間もなく急死した。米ソ冷戦の最中の沖縄返還であったことを考えると、おそらく佐藤にとってこれ以上の策は無かったのだろう。私は次なる「真の沖縄返還」を模索している。若泉の霊に手を合わせながら・・・。


自分を苦しめる怒り

何もしない反原発論者だった頃、「原発は必要悪だ」と言った男性に 思いきり噛みついた事がある。

「今、この瞬間からすべての人が原発にノーと言えば、原発はなくなるのに」

と思っていた。

「あなたみたいな人がいるから、原発がなくならない。 大切なのは体を張ってでもノーと言うことだ」

と。そんな傲慢な事を、酔って語ってしまった。

なぜだろう。

反原発を主張していた頃、私は何もしないくせに、いつも議論になると

「怒って」

いた。

原発に反対しない人の無理解と間違いに対して。

あの瞬間的な

「怒り」

は何

だったのだろう。

たぶん、私は自分が変わる気がこれっぽっちもなかったのだ。

自分が変わる気のない者は相手を変えようとする。

そして相手が変わらないことに怒るのだ。

愚かだったと思う。

私のごとき傲慢な人間から

変えられたいと思う人など、この世に居ないだろうに。

かつて、彼女の意見を聞いたら、私はやっぱり怒っていたかもしれない。

でも今は、 彼女の意見がなんて学ぶ事が多く、 正直で現実的なんだろうと感心してしまう。

自分の激しい怒りによって

自分

を嘖み苦しむ人びとと、

ディープ・エコロジーのワークで会ったからかもしれない。

みんな苦しんでいた。

強く反原発を望む人ほど。

私が打たれたのは「反原発」という主張ではなく、その人びとの

苦しみにだった。

自分の

怒り

に身を焼かれ、苦しんでいた。

それは言葉を越えて私に

何かを伝えていた。

願いが強いほど、相手を

受け入れなければならない。

これは個に与えられた試練だ。

私はもう「怒り」では発言しない。 違う意見をもつ人を批判しない。非難しない。

それだけは心に決めたのだ。

よく耳を傾ければ、多少の違いはあってもおおむねで

協調できる時が多いのに、

怒りが邪魔をしてしまう。

誰も 他者から変えられたい なんて思っていない。

人はみな自分から変わるのだ。

自分の体験、自分の発見、自分の意志によって。

(田口ランディ)


事実と思いは異なる

> 大鹿の河本(カズ)です。
> 
>  毎日新聞の5月1日の「記者の目」に、 “東海地震震源域の浜岡原発 「老朽」
> 2基、廃炉すべきだ”という論説記事が載ったことをお知らせしました。
> http://www.mainichi.co.jp/eye/kishanome/200205/01.html
> 
>  それに対して、中部電力は、東京本社編集局長あてに抗議文を送るとともに、抗議
> 文をホームページに載せました。原発の停止を求めることは偏った記事であると言わ
> んばかりの強圧的な内容です。
> http://www.chuden.co.jp/press/saisin2002/fr_pre0503.html
> 
>  毎日新聞に応援のメールを出しましょう。
> kishanome@mbx.mainichi.co.jp
> (「記者の目」欄のメールアドレスです。
> 
> 以下は、私が送った応援メールの例です。
> 
> ーーーーーーーーーーーーーーーー
> 
> 毎日新聞社東京本社編集局長 殿
> 掛川通信部 中村牧生記者 殿
> 
>  私は、長野県内の地質系博物館に学芸員として勤務しております、河本と申しま
> す。
>  貴紙5月1日付け「記者の目『東海地震震源域の浜岡原発』」を拝見し、ようやく
> マスメディアでも正論が述べられるようになったと拍手喝采しておりました。
> 
>  ところが、中部電力ホームページに、中部電力から貴紙への抗議文が掲載されまし
> た。それを見ますと、「原子力発電所の運転に対して反対の立場で書かれたものであ
> ると判断せざるを得ず(中部電力ホームページ引用)」として、推進の立場でなけれ
> ば公正中立ではないかのように強弁しております。推進・反対の様々な考えがあるこ
> とは当然であります。貴紙の中村記者殿が、中立公正な目で取材された結果、老朽化
> と耐震性の両面において浜岡原子力発電所の運転継続が適当でないと判断され、記者
> の意見表明の場である『記者の目』欄でそれを述べたことにたいし、原子力発電所運
> 転停止を求めること自体が許されないとする中部電力の主張は、まさに言論そのもの
> を封じ込めようとするきわめて危険な主張であります。
>  また、「当社の事業活動推進に大きな障害となる(中部電力ホームページ引用)」
> として、企業活動を批判することは認めないと言わんばかりです。企業の活動といえ
> ども人命や環境に重大な危害を加えるものならば、その企業活動に制限を加える意見
> を述べることは当然であり、むしろ義務があるとさえ言えるでしょう。とりわけ東海
> 地震による被害に大規模な放射能放出が重なるならば、その影響は静岡県一県が失わ
> れるのみならず、広く中央日本全体におよび、経済も立ち直り不能な打撃を受け、国
> 家存亡の危機に至ると思われます。また原子力発電所の事故は中部電力自身にも大き
> な損失を与えるのであり、中部電力の健全な経営にたいしても原発からの撤退は賢明
> なアドバイスであると思います。少なくとも当該記事において、中部電力の企業活動
> を妨害しようというような悪意はまったく読み取ることができません。原子力発電と
> いう事業活動を推進することが批判の対象になっているのであり、その事業の推進に
> とって障害になることは当然であります。事業の推進に影響しないような意見以外の
> 表明を認めないというのであれば、だれが誤りを正せるでしょうか。
> 
>  そこで、抗議の理由とされる「事実の歪曲(中部電力)」があるでしょうか。私に
> はそのように見えません。むしろ中部電力こそ、言葉のアヤをもてあそび、白を黒と
> 言いくるめているように思えます。
> 
>  中部電力は、「「老朽化」についてですが、この言葉はしばしば「高経年化」とい
> う言葉と混同されています。(中部電力ホームページ引用)」と述べています。
>  「設備や機器は使用に伴い劣化することがあり(中部電力)」と言っていますが、
> 程度は別にして劣化しない機器はありません。「適切な維持管理(中部電力)」を行
> うことはあたりまえで、何も言っていないのと同じです。
>  本来は劣化がなければ必要がない水素や白金触媒の注入も、適切な維持管理と思っ
> てやったのでしょう。しかし、わざわざ不適切な管理を行うことはない筈にもかかわ
> らず、水素爆発が起こってみれば、結果としては、何らかの不適切な維持管理があっ
> たことになります。また、水素や白金触媒の注入によっても応力腐食割れを防ぐこと
> ができずに冷却水もれが起こっています。
>  つまり、何が適切な維持管理なのか分からないほど、あるいは適切な管理によって
> も防げないほど劣化が進んでいると言えます。これは老朽化以外のなにものでもない
> でしょう。「適切な維持管理」が行えないにもかかわらず、「適切な維持管理を行え
> ば・・・評価のために使用した30〜40年という期間を超えて運転を継続すること
> も十分可能(中部電力)」というのは、詭弁でしかありません。
> 
>  また中部電力は、「マグニチュード8程度とされる東海地震はもとより敷地周辺に
> もっとも大きな影響をおよぼしたマグニチュード8.4の安政東海地震、さらにはマ
> グニチュード8.5の限界的な地震を考慮して行っており(中部電力)」ということ
> を、いろいろな場面でくり返し述べています。
>  マグニチュードは地下の震源断層から発生するエネルギーの大きさです。原子炉の
> 基盤を揺するのは、広く不均一な断層面のそれぞれの場所から放射され、原発サイト
> に到達する地震波です。地下に断層面が広がる領域の中に位置する浜岡原発では、全
> 方位から地震波が到達しますから、ひじょうに複雑な揺れが1分以上続くと考えられ
> ます。原子炉の耐震評価では、最大の揺れを考慮しなければなりません。
>  仮に、いくら大きなマグニチュードを想定しても、原子炉基盤に入射する地震波の
> 見積もり方が誤っていれば、過小評価になります。石橋教授が指摘しているのは、現
> 実の地震は複雑であり、中部電力が想定に用いている単純化された震源モデルでは、
> 原子炉基盤の揺れの最大値が過小評価になるということです。
>  そもそも、その単純化された震源モデルは石橋教授自身がつくったものです。そし
> て、そのモデルでは原子炉の耐震評価のために必要な、複雑な揺れを再現できないと
> 石橋教授は指適しています。複雑な揺れを再現できないのは、国の耐震設計審査指針
> も同じです。
>  つまり、じっさいの想定東海地震による原子炉基盤の揺れの最大値は、中部電力が
> マグニチュード8.5の震源モデルから計算している揺れを大きく上回る可能性が高
> いと指摘しています。
>  にもかかわらず、「マグニチュード8.5の限界的な地震を考慮(中部電力)」し
> ているから壊れないという主張を繰り返しているのは、なんら答えになっていないだ
> けでなく、いかにも耐震性に余裕があるような錯覚を与えるものです。
> 
>  私は、世間一般よりも多少は震源断層についての知識があると思います。断層面の
> 広さと、ずれ方の不均一から、中部電力や国の想定を超えた強く複雑な揺れが原発サ
> イトを襲う可能性が高いという石橋教授の指摘は、たいへんよく理解できます。
>  一方、想定震源域の真上にありながら、絶対に壊れないと主張して運転を続ける中
> 部電力の姿は、自然をあなどっているとしか思えません。それを後押し、あるいは先
> 導する国も、自然をあなどっています。自分たちがやっていることの意味を理解して
> いるとは思えません。それどころか、ことば使いで問題がないように見せかけ、貴社
> のような指摘には強圧的な抗議で封じ込めようとしています。
>  どうか圧力に屈することなく、正論を伝え続けてください。心から感謝し応援して
> います。 』

白人は私の中に

『 白人がわれわれの生き方を理解できないのはすでに周知のことである。白人にとって、一つの土地は、他の土地と同じような意味を持つ存在でしかない。白人は夜忍び込んできて、土地から、自分が必要とするものを何でもとってしまう余所者(よそもの)にすぎないからである。白人にとっては、大地は兄弟ではなく、敵である。一つの土地を征服しては、また次の土地に向かってゆく。

……白人は、自らの母親でも、大地でも、自らの兄弟でも、また空までも、羊や宝石と同じように、売ったり、買ったり、台なしにしてしまったりすることのできる「もの」としか考えていない。白人は、貪欲に、大地を食いつくし、あとには荒涼たる砂漠だけしか残らない。 』 アメリカ・インディアンの酋長シャトル


■豚は空を飛ぶ。地球は平らだ。原発は安全だ 
広河 隆一

▼海山町住民投票

原発誘致側は、「チェルノブイリではほとんど死者はでていない」、「原発は航空機が突っ込んでも大丈夫」など露骨なキャンペーンを繰り返しましたが、人々の良識が勝ち、そしてこの快挙となりました。イギリスで見たポスターを思い出しました。それは豚に羽根が生えた絵で、そこには「豚は空を飛ぶ。地球は平らだ。原発は安全だ」と書かれていました。

 浜岡原発の事故、ニューヨークのツインタワー崩壊などの影響が大きかったわけですが、私もナターシャも少しは役に立ったかなと思って、ほっと一息です。


■死ぬ前に言いたいこと 
浜岡原発を造った平井さん

▼素人が造る原発

『 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、 原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、 1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。 本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの 認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、 新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。 』

▼いいかげんな原発の耐震設計

『 私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。 それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。 1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止した ことがありましたが、この事故は大変な事故でした。

こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、 同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、 非常に恐ろしいことではないでしょうか。 』

▼放射能垂れ流しの海

『 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トン も流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚は ほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。 原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、 これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。 排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。』

▼内部被爆が一番怖い

『 原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。 物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。 どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。 体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質 となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。 原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝 の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接放射線を浴びるわけですから。 』

『 私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。 癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。 でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。 じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに 出そうと思ったのです。』

『 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、 「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。

みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。

作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないよう に処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者 は失格なのです。これが原発の現場です。 』

『 私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、 酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。 一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。 気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。 』

▼びっくりした美浜原発細管破断事故!

『 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。

一九八九年に、東京電力の福島第二原発で 再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。

 そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中 や海へ大量に放出した大事故でした。 』

『 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。 原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。 だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。 しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。 』

『 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。 日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。 それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて 、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。 日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。 』

『 半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。 だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、 プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。

 しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に 使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、 プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。 だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われて しまったことはほとんど間違いありません。 』

『 世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。 普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆる プルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。 分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。 原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。 プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。 だから原爆の材料にしているわけですから。』

『 最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。 』

▼どうしようもない放射性廃棄物

『 それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日、出ています。 低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、 致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。 』

『 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、 近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、 業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。 』

『 しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。 海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、 魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。 』

『 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。 全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、 三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。』

『 私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」 と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、

「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、 今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。 次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」

と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。

 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、 そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だと いうことです。 』

▼住民の被曝と恐ろしい差別

『 日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。 でもそういうウソがつけなくなったのです。

 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。 出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、 その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。 』

▼私、子ども生んでも大丈夫ですか。
たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。

『 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、 教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。 あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。 』

『 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら 手を挙げて、こういうことを言いました。 

 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。 私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。 今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば 子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。

私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。 原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、 本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。 私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」

と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命 反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。 たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」

と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。 私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」

と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」

って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、 「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」 と言います。 「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏で そういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っている ことを絶えず知っていてほしいのです。 』

▼原発がある限り、安心できない

『 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。 でも、 「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、 少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。 安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、 大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと 隠しています。』

『 原発は確かに電気を作っています。 しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、 原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。 それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。 出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。 』

『 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。 だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。 そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、 地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。 それに、安全なことと安心だということは違うんです。 原発がある限り安心できないのですから。 』

『 それから、今は電気を作っているように見えても、 何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。 それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。 それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。 』

『 だから、私はお願いしたい。 朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。 果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、 事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかない ことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。

 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという 信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っています。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。』

『 優しい地球 残そう子どもたちに』

阪神大震災。「これは、原発とまったく同じだな」

原子炉にくっついている配管がもたない

「だまされてた」

配管が破断したら、もう制御は効かない

日本の原子力行政は行き当たりばったり

主要でない配管は、原発の中には一本もない

「ホールインアンカーは大丈夫なのか」って聞いてください。

放射能は漏れているんじゃない、故意に出しているということ。

毎日蓄積する放射能で、最初にやられるのが小さい子どもです。

「交通信号みたいに、放射能に色がついていたら一目で分かるけど」

地元の人が「事故が起きたら直ぐに知らせろー」って言うことね。

「不利になるような事は絶対隠いておったんだね」

そんな馬鹿な防災計画がありますか

国民が声を出さなきゃ、ダメ。

原発が安全だっら、ヨウ素剤を置くなー



■希望 JMM

山本 『 タリバン当時は、各地域はそれぞれの伝統的なシステムによってうまくいっていました。お互いに家族を守り、村を守り、そして地域を守っていた。彼らにとっては国の統治者がタリバンなのか北部同盟なのかあるいはまた別の誰か、そんなことはどうでもよかったのでしょう。

それぞれの地域でみんながそれなりになんとか生きていく姿には感動しました。素晴らしいと思っていました。そういう意味ではこの伝統的なシステムの中に私は希望があると思っています。外からの押し付けや国際的な押し付けが効果的であったことはアフガニスタンの歴史で一度もありません。アフガン人の中にある伝統的な人々の生活やシステムだけが長期的な平和の基礎になると思います。』

ニルファー 『 私は自分が知っていることしか話せないし、十分な知識はないかもしれませんが、それでも文化とか宗教とかその問題について話をすると必ず、「平等にするには宗教がなくてはいけない」「文化がなくてはいけない」「それを変えなきゃあなたの国は平等になれない」ということを言われる。そういう言い方をされます。

政治的には、現代的な今風な西洋的な政府になるべきだというようなことを押し付けられる。でも、そうじゃないんですよ。だって一番根源的な問題はそうじゃない。人間として平等であって、自分たちでものを決められるようにならなければいけない。それが一番ですよね。

自分たちの問題が何なのかということを彼ら自身が意識して、彼ら自身の存在とか認識というものをはっきりさせなくてはいけない。ところが残念ながらそういうことがないんです。基本がないのでアフガニスタン人にはそういう認識がない。だから私はいろいろな人に、アフガニスタン人に教育を与えて経済的に安定させたいと言っています。今は選択する道が二つしかないんです。テロリストになるか、貧乏であり続けるかです。』

村上 『 メディアは常にブルカについて触れます。「なんてかわいそうなんだ」と。でもニルファーさんも言っているように一番大切なのは僕も教育だと思います。危険なのはカブールでブルカを脱げるようになったらハッピーだと、メディアが伝えてしまうことだと思います。』

村上 『 僕はアフガニスタンには以前から興味がありました。それはイギリスもソ連も拒否し、アメリカも拒否して、近代化まで拒否しているような国だからです。だからそこには貧しさとか、非近代的なネガティブなことはいっぱいあるけど、僕にとってはプライドだけは絶対に渡さないという強い人たちの国だというイメージがありました。すごく高い山がたくさんあって、誰も征服できない。今アメリカはタリバンは追い出しましたが、第二次アフガン戦争のときも、イギリスは全領土を占領しましたが、そこから皆殺しになりました。

アフガニスタンという国は、ぼくに思考を要求するんです。アメリカが嫌いなわけではないのですが、でも、世界が単一の価値観に被われてしまうのは危険です。いろいろな価値観や考え方がないと、変化に適応できなくて、終わるときはいっぺんに終わってしまう。

今アフガニスタンの人々はひどい苦しみを味わっているけれど、ぼくにとっては一種の希望でもある。アフガニスタンに対して、あるいはアフガニスタンが象徴しているものに対して、自分が何ができるのかと問うことができるという意味で希望という言葉を使ったんですが。』

坂本 『 アメリカ人と言っても一部の人間ですが、その少数の人間が巨大な力を使って好きなことをやっているのに対して、世界に60億人もいて誰も止められないのも事実ですよね。我々の国、日本が100%それに従っていることに対しては、日本人としてきちんと考えないといけないと思います。』

ニルファー 『 アフガニスタン人は大きな代償を払っていますが、アメリカに強い運動がないと、おっしゃるように決定は結局一部の人が持っている力のほうに行ってしまうのではないかと思います。戦争に対する強い認識を持ってもらえなければ、それは今後何らかの形で政治的に影響を与えると思います。

でもアメリカ人がその認識を持ってないなら、それは彼らの怠慢でしょう。だって彼らは知らなかったというより、知ろうとしなかった。いろいろなアクセスがあって、私は知ることができたんです。本当に知ろうと思ったら、アメリカ人でも私たちのことを知ることができたのではないですか。』

山本  『 残念ながらそれが事実だと思います。現実を認識しなかったということ。無知。だから彼らも怠慢なのですが、現実はそのことの繰り返しですね。情報というのは非常に大事です。』

ニルファー 『 アーティストとか作家の仕事はinformationだと思います。ジャーナリストもそうですね。ところが残念ながら、ほとんどのメディアは政治家の言うことしか書かない。できればそういうことは止めて欲しいと思う。独立した自分たちの認識をもたなければ、自分たちの首をしめることになります。』


■無時間
『南からの声 ジンバブエ・レポート』 秋山寛 第10回目

「農村の風景」

『 プロジェクトの関係で、ときおり地方の農村を訪れます。 田んぼと畑の違いはありますが、農村に流れる穏やかな時間は、ジンバブエでも日本でも変わりません。

 暑さを避けるため、朝早くから畑に出る。畑に生えた雑草を抜く。小川から水を汲んできて乾ききった畑にまく。水はしばらく地面を黒く染めているものの、すぐに土の中に吸い込まれてしまう。暑い日差しの中、同じ事をゆっくりゆっくりと繰り返し、汗を拭きながら淡々と働き続ける。

 太陽が真上に上がる頃、とうとう耐え切れず木陰に逃げ込み休息をとる。体を休めるため横になると、まどろむ間もなく眠りこける。短い昼寝から覚めると、また、同じことの繰り返し、草を取り、水を撒き、土を耕す。

そんなことをしているうちにようやく日は傾き、すこし涼しい風が吹き始める。次第にあたりは暗くなってくると一人二人と仕事を終え、水場に集まってくる。のんびりと冗談を言い合っている横で、子供たちが水をかけ合いはしゃいでいる甲高い笑い声が聞こえる。

 みんなが集まると三々五々、村に帰ります。畑を水の便の良いところに作るが、家は洪水を避け高台の少し離れたところにあるので、鍬や水を汲んだ壺を持ってぶらぶらと歩きます。昨日も言っていた冗談をまた今日も言い、同じようにみんなで笑う。今日は暑かったと繰りごとを言う。早くチブク(ジンバブエのどぶろくのような地酒)が飲みたいなあ、と隣を歩く者に話しかける。』

『 私は、この開放感に満ちたひとときが大好きです。このときに居合わせると、言いようのない幸福感に浸ることが出来ます。土地改革や経済混乱とかいう喧噪が嘘のようです。』


■テロの進行を防がなかった米軍 
田中宇

▼無為に過ぎた直前の30分

『 国防総省はこの飛行機がハイジャックされてから15分後の9時10分ごろには、連邦航空局(FAA)からの連絡で、この飛行機のハイジャックを知っていた。』

『 しかしそれから30分間、国防総省の司令室では、何をしたらいいか分からない混乱状態が続き、すぐ近くにあるエドワード空軍基地から戦闘機を発進させることもせず、ハイジャック機が自分たちのビルに向かって突進してくるのに、何の手も打たなかった。マイヤー司令官に電話をかけることも、誰もしなかったのである。』
http://www.nytimes.com/2001/09/15/national/15CONT.html

『 この朝、マイヤーの上司にあたるラムズフェルド国防長官も外出していたが、彼が連絡を受けたのも、国防総省に飛行機が突っ込んできた後だった。』

▼緊急発進に大統領の決定が必要だというウソ

『 911では事件後「一般市民が多数乗っている旅客機を撃墜するかどうかという難しい最終判断を、米軍の最高司令官であるブッシュ大統領が下すのに時間がかかり、戦闘機の発進が遅れた」といった説明が、テレビのインタビューに答えるかたちで、チェイニー副大統領によってなされている(9月16日NBCテレビ)。』
http://stacks.msnbc.com/news/629714.asp?cp1=1

だが、これは間違った指摘である。最終的に旅客機を撃ち落すかどうかという判断を下す前に、まず戦闘機が緊急発進し、ハイジャック機の近くまで行って強制着陸に応じるかどうか試してみるのが先である。』

『 戦闘機の緊急発進には大統領の判断など必要なく、管制塔(連邦航空局)からの要請を受けた米軍やカナダ軍が日常業務として行うことである。火事の発生を知らされた消防隊が火事現場に駆けつけるのと似ている。戦闘機の緊急発進は、それほど珍しいことではない。日本でも領空侵犯などがあると行われ、報じられている。』

『 チェイニー副大統領は国防長官の経験者で、国防体制には詳しいはずだ。それなのに、戦闘機の緊急発進に大統領の判断が必要だという趣旨の間違った発言には、何か意図があると勘ぐられてもしかたがない。』

▼無意味にニューヨーク上空を旋回し続けた戦闘機

『 ここまでの話には「ハイジャックに気づいてから戦闘機が緊急発進するまで34分もかかったのは遅すぎないか」という疑問が湧く程度だが、ここから後の話になると、疑問はどんどんふくらんでいく。』

『 3機目の旅客機がワシントンを飛び立ったのが8時10分、ハイジャックされたのが8時55分で、その後9時10分ごろまでにはハイジャックの連絡が米軍に入った。』

『 このときには、すでに1機目と2機目を追いかけたF15戦闘機2機がニューヨーク上空を旋回し始めていた。ニューヨークからワシントンDCまでは約300キロで、最高時速2400キロのF15なら10分以内で到着できる。

ニューヨーク上空にいる戦闘機をワシントン方面に向かわせれば、9時40分に国防総省に激突した3機目のハイジャック機を、その20分前には捕捉して強制着陸を命じ、応じなければ国防総省に突っ込む寸前に撃墜することもできたはずだ。』

『 しかし、そうした命令は下されず、戦闘機はその後3時間ほどニューヨーク上空を旋回し続けた。』

▼国防総省がやられた後で繰り出した大部隊

『 ニューヨーク上空の戦闘機をワシントンに向かわせる代わりに、米軍がとった行動は、ワシントンから200キロ離れたラングレー空軍基地から3機のF16戦闘機を緊急発進させることだった。これが実行されたのは9時30分で、米軍が3機目のハイジャックを知ってから20分後だった。』

『 しかも、戦闘機はワシントン上空に着くまでに30分近くかかった。時速2400キロまで出る戦闘機なのに、なぜか時速400キロしか出さなかった。最高速度で飛んでいれば、直前で激突を止められた可能性もある。

ワシントンに着いたのは10時少し前で、すでにハイジャック機が国防総省に激突してから15分ほどたっていた。(1機目と2機目を追いかけた戦闘機は、ニューヨークまでの約400キロを15−20分で飛んでおり、最高速度に近い速さを出していた)』

『 もう一つ考えるべきことは、ワシントンDCを守備する担当の空軍基地は、200キロ離れたラングレーではなく、ワシントンから15キロしか離れていないアンドリュー空軍基地だということである。ここは大統領専用機「エアフォース・ワン」の母港になっているエリート基地で、空軍と海兵隊がそれぞれ戦闘機群を配備していた。

ところが9月11日、国防総省に旅客機が突っ込むまで、この基地からは1機の戦闘機も飛び立っていない。「この日、アンドリュー基地の戦闘機は、緊急発進の準備ができていなかった」と述べた米軍関係者もいたようだが、これは間違いである。

アンドリュー基地からは、国防総省に旅客機が突っ込んでから数分後になって、戦闘機やらAWACSなどが次々と飛び立ち、他のハイジャック機の飛来に備え、上空を旋回し始めたからである。』

『 AWACS(空中早期警戒管制機)は「空飛ぶ作戦司令室」の異名を持つレーダー搭載の飛行機で、地上のレーダーより広い範囲をカバーできる。1機目のハイジャックが分かった時点でこれを飛ばしていれば、ハイジャック機の動きを早くつかむことができ、少なくとも3機目の国防総省への激突は防げた可能性が大きい。なぜこの日の米軍の行動がすべて後手に回ったのか、理解に苦しむところだ。』

『 アメリカでの911の事態は、米軍の失態というより、ふつうなら機能すべき防空システムの重要な部分、たとえば連邦航空局から国防総省への連絡システムなどが、この日に限って正常に作動しなかった可能性が大きい。そういう重要なシステムは、技術的な不調を回避する措置が二重、三重にとられていると思われるが、その多くが機能しなかったということだ。』

『 前回の記事「テロをわざと防がなかった大統領」に書いたが、ブッシュ政権は石油利権を重視してFBIによるテロ捜査を止めていたことが判明している。

そのこととあわせて考えると、911当日の米軍の失態は、技術的な不調が原因ではなく、政府上層部による意図的なかく乱があったのではないか、と思われてくる。』
http://tanakanews.com/c0124wtc.htm

『 なお、この記事の中で私が疑問を呈したことのいくつかは、私のオリジナルではない。ジャレッド・イスラエルというアメリカのフリージャーナリストが書いた3部作の英語の記事に載っている。』
http://emperors-clothes.com/indict/indict-1.htm
http://emperors-clothes.com/indict/indict-2.htm
http://emperors-clothes.com/indict/indict-3.htm

ジャレット・イスラエルの経歴は
http://emperors-clothes.com/editors.html#5 にある。自分の正義感からいろいろ調べ、疑問に思ったことを記事にしていることがうかがえる。サイトのトップページ
http://emperors-clothes.com/ には、多くの記事が並んでいる。


■テロをわざと防がなかった大統領 
田中宇

『 ハイジャック事件の容疑者たちがこの住所に住んでいたことは、事件6日後の昨年9月17日にFBIが金融機関など各方面に送った捜査協力要請文に添付された容疑者リスト(22人分)に出ている。』
http://www.fdic.gov/news/news/financial/2001/fil0179a.html
http://www.fsa.gov.uk/pubs/other/FBI_Cover.pdf

『 ところがどうもおかしいのは、FBIがその3日前の9月14日にマスコミに発表した容疑者リスト(19人分)には、この住所が出ていないことである。』
http://www.fbi.gov/pressrel/pressrel01/091401hj.htm

『 以前の記事「テロリストの肖像」でも指摘したが、FBIは911の事件捜査に関して、非常に雑な発表しかしていない。誰が911事件を起こしたか調べ上げることは、アメリカにとって最も重要なことであるはずなのに、である。』
http://tanakanews.com/c0107WTC.htm

▼FBIの捜査に圧力がかけられた

『 この疑問を解くカギとなりそうな報道が昨年11月6日に行われていた。イギリスBBCテレビの「ニュースナイト」という番組で、この日のテーマは「FBIの捜査には圧力がかけられていたのか?」というものだった。番組のスクリプトをネット上で見ることができる。』
http://news.bbc.co.uk/hi/english/events/newsnight/newsid_1645000/1645527.stm

『 それによると、4人のハイジャック容疑者が住んでいたリーズバーク・パイク通り5913番地のすぐ近く、同じ通りの5613番地に「世界イスラム青年会議」(WAMY
http://www.wamyusa.org/ )の事務所があった。WAMYはサウジアラビアの首都リヤドに本部を置くイスラム教徒の若者のための国際的な親睦団体で、若者向けの文化活動や慈善事業を世界的な規模で行っている。

そしてWAMYのトップをつとめていたのは、オサマ・ビンラディンの弟であるアブドラ・ビンラディンという人で、アブドラと別のもう一人の弟(オマル・ビンラディン)も、その近くに住んでいた。』

『 BBCによると、FBIは911事件が起きるずっと前の1996年ごろから、WAMYがテロリストを支援している可能性があるとして、WAMYとアブドラ・ビンラディンについて調べを進めていた。ところが捜査の結果が出る前に、アメリカ政府の上層部からFBIに対して横槍が入り、捜査は途中で打 ち切られてしまった。』

『 その後も911事件の発生を経て現在にいたるまで、このことに関する捜査は再開されていない。WAMYに対しては、すでにパキスタン政府では911の後に活動が禁止されているし、インドの当局はWAMYがカシミールの爆弾テロ事件に関与したイスラム組織に対して資金提供したと指摘している。フィリピンの軍も、WAMYがイスラム反政府勢力に資金援助していると非難している。いずれもテロ戦争の「現場」の国々である。』

『 ところがアメリカの当局は、WAMYの資産を凍結する措置をとっていない。米当局は、少しでもテロに関与していると思われる他のイスラム組織に対しては、可能性が薄い団体に対しても容赦なく資産凍結をしている。』
http://tanakanews.com/b1224somalia.htm

▼ブッシュ一族とビンラディン一族

『 なぜFBIがWAMYに対する捜査を打ち切らされ、アメリカだけがWAMYの活動を制限しないだろうか。その理由についてBBCの番組は、ブッシュ大統領とその父親(元大統領)が、WAMYを運営するビンラディン一族とビジネス上で密接なつながりがあるためではないか、と指摘している。』

『 ビンラディン一族とブッシュ一族とのつながりとして指摘されているものに「カーライル」がある。カーライルはワシントンDCに本社を置く、アメリカの軍事産業に投資することを主な事業とする金融会社で、1987年に設立された比較的新しい企業であるにもかかわらず、すでに軍事産業を統括する企業 としてアメリカで最大級のものになっている。』
http://www.thecarlylegroup.com/profile.htm

『 カーライルの会長はブッシュ政権の国防長官だったフランク・カールーチであるほか、上級相談役には同政権の国務長官だったジェームス・ベーカーが就いている。ブッシュ元大統領自身はアジア向け投資の担当相談役をしているほか、レーガン政権からはワインバーガー国防長官、そしてイギリスからはメー ジャー元首相が同社の上層部に名を連ねている。』
http://www.billtotten.com/japanese/ow1/00460.html

『 ビンラディン一族は、カーライルのファンドに投資している顧客である。判明している投資額は200万ドル(2億円強)と、世界最大級の金持ち一族にしてはかなり小さい額だが、昨年9月下旬、この問題を批判したウォールストリート・ジャーナルの記事は、把握されていない部分でもっと大きな額を投資 しているはずだとみている。』
http://www.peacenowar.net/Sep%2027%2001--WSJ.htm

『 ウォールストリート・ジャーナルはブッシュ、レーガンらを輩出した米共和党寄りの右派系新聞である。そこが「共和党重鎮たちの会社がビンラディン家を国防産業への投資で儲けさせている」という批判記事を出したということは、共和党内でもこの問題への批判がかなり出たのだろう。

ブッシュ大統領は「テロリストを支援する者は、テロリストと同罪だ」と言っているが、実はブッシュ一族自身がテロ支援者だったのではないか、という疑惑である。』

『 ビンラディン一族は、サウジアラビア最大の建設会社「サウジ・ビンラディングループ」などの企業群を持つ大資産家で、サウジ王室とも密接な関係にある。』

『 しかし、オサマとは違って「良い息子」の一人として扱われてきた弟のアブドラ・ビンラディンがテロ関連組織と疑われているWAMYのトップをつとめ、WAMYのアメリカ事務所のすぐ近くに住んでいたサウジアラビア人の若者たちが911のテロ実行犯の中に入っている。

BBCの番組や、その後報じられたイギリスのガーディアンの記事などは、オサマ以外のビンラディン一族やサウジ王室のメンバーが国際テロ組織を支援している可能性が高いことを指摘している。』
http://www.guardian.co.uk/Archive/Article/0,4273,4293682,00.html

『 このガーディアンの記事によると、パキスタンの核兵器もサウジアラビアからの支援を受けて作られた可能性があるが、FBIはそれらの捜査を上からの命令で打ち切らされている。

BBCは、1996年に打ち切られたアブドラ・ビンラディンに対する捜査に関してFBIが作った機密文書を入手し、それをもとにニュースナイトの暴露番組を作っている。』

『この問題でBBCにコメントし、ガーディアンの記事を書いたイギリスのジャーナリスト、グレゴリー・パラスト
( http://www.gregpalast.com/ )は、30年前には調査報道などで高く評価されていたアメリカのマスコミが、今では政府や大企業に嫌われることが全く書けなくなってしまった、とインタビューの中で嘆いている。』
http://www.guerrillanews.com/counter_intelligence/235.html

▼抗議して辞めたFBI幹部、無念の死

『 昨年11月にフランスのジャーナリスト2人が書いた本「ビンラディン:禁じられた真実」(Ben Laden: La Verite Interdite)によると、ブッシュ政権は911まで、トルクメニスタンからアフガニスタンを通ってパキスタンに抜ける天然ガスパイプラインを建設することなどを目的として、タリバンと交渉 してアフガニスタンに連立政権を作らせようとしていた。』

『 そのため、アメリカがタリバンと交渉している間は、FBIがオサマ・ビンラディンやアルカイダに対する捜査を進めないようにさせていた。FBIのテロ捜査の最高責任者だったジョン・オニールは、この措置に抗議して、昨年7月に責任者の座を自ら降りた。』

『 2000年10月にイエメンで起きた米軍の駆逐艦に対するテロ事件を捜査するため、オニールらFBI捜査官がイエメンに行って調べていたところ、2001年7月に米国務省から「イエメンとの友好関係にひびが入るのでもうイエメンに来るな」と命じられた。

オニールはその2カ月後、9月11日に死亡した。FBIのテロ捜査事務所がニューヨークの世界貿易センタービルにあったからだった。』
http://ist-socrates.berkeley.edu/~pdscott/qf2.html
http://www.lemonde.fr/article/0,5987,3230--243578-,00.html

『 また、マイク・ルパートというアメリカのジャーナリストが各種の報道記事を調べたところによると、2001年6月にはドイツの情報機関BNDが911のテロを察知して米当局に通告し、9月の事件発生直前には、イランとロシアの情報機関などが米当局に対して警告を発している。

ケイマン諸島では、ラジオ局のリスナー参加型の生番組に911の発生を警告する電話がかかってきて放送されたりした。これらの警告を、アメリカの最上層部はすべて無視したのだった。』
http://www.copvcia.com/stories/nov_2001/lucy.html


■農はいのち AKIRA

『 一九六五年から一九八五年のあいだに作物に対する化学薬品の使用は三倍に増え、先進国では五〇パーセント精子の製造が減退しているという。農薬は発癌性も高く、乳癌、前立腺癌、健康児出生率の低下、遺伝子の突然変異などにも影響を及ぼす。』

『 同じ量の毒物を取り込んでも、大人の体と比較して体の小さな子どもほど危険度は高まる。五歳以下の子は大人の三、四倍、ひどいものでは、ナシは大人の十五倍、リンゴひとつを丸かじりすると、三十四種類の化学薬品の残留物が体にはいるんだって。

駆除剤たっぷりの公園の芝生、ペットのノミとりスプレー、農薬の空中散布、界面活性剤たっぷりついた皿、子どもはスポンジのように吸収してしまう。一九七三年から、子供の脳ガンや白血病の増加率は三〇〇パーセントというから驚きだ。』

『 四十年前のほうれん草一束と同じ栄養をとるには、現代では八束も食わねばならない。それほど農薬で枯れた土地からとれる農作物は衰えている。ここ数年、たくさんの農家が有機栽培に踏み切ったのは、消費者のためというより生産者の健康がまず害されてきたからだ。』

『 自然農法の革命児、福岡正信さんについては去年の八月七日の日記で紹介したが、もうひとりの野人、川口由一さんにもふれておこう。彼には二年前の「命の祭り」で実地指導を受けた。白髪交じりの長髪、やせぎすで飄々とした面持ちは、仙人の風格さえある。「耕さず、肥料や農薬をやらず、雑草を生かし、虫を殺さない」川口農法は、彼の苦い経験から生まれた。』

  『 一九九一年、三重県の赤目で月一回の自然農法を実践指導する赤目塾をはじめる。現在、実践指導の場は全国十数カ所にふえ、漢方学習会も全国五カ所で定期的に行われている。著書には、「妙なる畑に立ちて」(野草社)、「自然農より農を超えて」(カタツムリ社)、「いのちのいとなみ」、「真の治療優れた治療を」など。 長編記録映画映 「川口由一の世界 1995年の記録」(鳥山敏子・グループ現代)作品がある。』

『 Yahooで「無農薬野菜」を検索すると、何千件もでてきた。こんなにたくさんの農家が自家製の無農薬野菜を宅配してくれんだなあ。みかん箱いっぱい(十キロ以下)にさまざまな野菜をつめて三千円から三千五百円で送ってくれる。しかも送料込みだ。

しかしさらにその上をいく過激なものを見つけてしまった。「野菜のお代はいただきません。配送料のみご負担ください」というのだ。「我が家のはたけ」というホームページで、アクセスが120くらいしかないから、まだはじめたばかりなのだろう。

 岐阜県羽島市で三百坪ほどの畑をもつふじこさんは、「都会に住む息子に健康的で安全な野菜を食べさせよう」という動機から無農薬野菜をつくりはじめた。農業は趣味で、営利目的ではないという。  四十五種類もの野菜が、種まき時期、収穫時期、投与肥料などのデータから写真までついて紹介されている。なんか我が子のように野菜を育てる母親の愛情を感じるなあ。』


■私は進化しているか? 増田俊男

『 我々がこの世を去った後の、遠い遠い未来世代の人類はきっと2001−2002年を「人類大変化元年」と位置付けることでしょう。戦争の対象がテロイズムという精神になったことは、「モノから心」へ人類が流されはじめたことを意味します。』

『 人類の体を覆っていた毛は薄くなり、バランスを保つための尻尾(しっぽ)は無くなり、直立するようになり、手で道具を使う、等々人類は大きな「進化」を遂げたが、果たして「進歩」したのだろうかと。』

『 1845年、カラカウア大王はハワイ王国憲法を制定し、ハワイ全土を、王族、貴族、平民に3等分して与えた。山の頂(いただき)を頂点として、海に向かって紡錘型に集落を作り、山仕事、野良仕事、漁労等、仕事の分業化をはかった。毎週一度、山の頂で「市」が開かれ、それぞれ物々交換が行われた。』

『 交換を司るのはその集落のチーフ(酋長)である。チーフは人のために自らを犠牲にする人で、集落で最も尊敬される存在であった。市はいわば今日のマーケットであるが、交換の基準となる原則が今日の市場原理と大きく異なる。ハワイ王国の精神はアロハとハーモニーであった。アロハは「与える精神」であり、ハーモニーは「和の精神」である。』

『 物々交換の一週間前からチーフは村人の情報収集に努める。収穫状況は、悪天候の被害状況は、おめでたは、病人は、ご不幸は、等々。そしてこうした村人の生活情報を充分に知った上で物々交換の取引を仕切る。先週はA一家のタロー芋20個とB一家のマヒマヒ一匹が交換された。今週はどうかというと、A一家はB一家のマヒマヒ一匹に対して30個のタロー芋を与えるよう決められた。

マヒマヒの需要が増えて値上がりしたのではない。B一家の子供が病気になって労働力が落ち、B一家に余分な手間と経費がかかるのでチーフが交換レートを20個から30個に決定したのである。こうすることにより病気というB一家のハンデはA一家のタロー芋10個の犠牲によって癒されるのである。』

『 ハワイ王国の市場原理は「欲」ではなく「愛情」だったのである。こうした「愛の集落」は山から海へどんどん発展し続け、キャップテン・クックがハワイに漂流した時は、今日ハワイ州人口と同じ人口120万人のハワイアンが平和な生活を営んでいた。

白人がハワイに「欲」と「性病」を持ち込んでから瞬く間にハワイアンの人口は30万人に減り、とうとう今日の7万人になってしまった。「愛」を尺度にした社会では人々は争わず、助け合い、人口が増える。「欲」を尺度にした資本主義社会では人は騙しあい、殺し合い、奪い合い、人口は減る。』

『 現代文明ははたして古代文明から「進歩」したのだろうか。肉体は進化しても、精神は退化してしまったのではないだろうか。』

■新世紀にジョンとヨーコを読む

『 2001年の9月11日に、ニューヨークの世界貿易センタービルがテロによって崩壊し、数千人の人々が亡くなった。アメリカ人の多くは当惑し、怒り、報復を叫んだ。ブッシュ大統領はこの世論に乗って、あるいは世論を誘導して、軍事作戦の準備を始めた。アメリカがそういう機運にあった9月の25日、ニューヨーク・タイムズに不思議な広告が載った。全面を使って、メッセージはただ一行

Imagine all the people living life in peace

すべての人が平和に暮らすさまを想像せよ。ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞の一行である。紙面に広告主の名はなかったが、後にオノ・ヨーコであることが伝えられた。』

『 ジョンがニューヨークのダコタ・ハウスの前で殺されたのが1980年12月8日。それから20年以上になるけれど、彼の歌は思想として生きている。彼なき後、ヨーコはとても賢くジョンの思想を守り、生かし、新しい時代に向けて発信しつづけている。それをしみじみと感じさせる広告だった。』

『 事件の直後、アメリカのラジオ局の一部で「イマジン」を掛けることを自粛するという動きがあった。これもまたジョンの思想が強い力を持っていることを逆接的に証明するものだ。彼の考えを恐れるものがアメリカには今もいる。この自粛に応じなかった局にはリクエストが殺到したという。』

『 この本はジョン・レノンとオノ・ヨーコが1980年12月6日に、つまり後になって考えればジョンがこの世を去る二日前に、行われたインタビューの記録である。二人は、自分たちの出会いにはじまって、音楽活動から私生活の細部まで、何の抑制もなく開けっぴろげに話している。この率直な姿勢は二人の自信に裏打ちされたものなのだろう。』

『 これほど創造的な二人が夫婦だったということがまず感動を呼ぶ。クリエイティブな者はその分わがままであり、誰かがサポートしなければならない、というのが世間の常識である。アーティストの配偶者はいわゆるシャドウ・ワークを任される(あるいは押し付けられる)ものだ。』

『 しかしヨーコはジョン・レノンというビッグ・ネームの妻であると同時に自分もアーティストであるとして活動を続けた。対等の仲で大きな仕事をした。彼がいなくなった後だって遺産管理に明け暮れたわけではない。ジョンの未亡人という身分とは別に、オノ・ヨーコは今もなおオノ・ヨーコである。そのような強い夫婦関係の現場報告としても、このインタビューはおもしろい。今も強い力を持つジョンの思想は、実はジョンとヨーコのものだった。』

『 ジョンはどんな男だったか? あの時、彼の死の意味を問うには、まず彼の生の意味を明らかにしなければならない、とぼくは考えた。その鍵がこのインタビューだった。ぼくが寝る間も惜しんで250枚を3、4日で訳し上げたのは、そういう思いに促されたからだった。』

『 訳しながら、これは本当にすごい夫婦だと思ったのを今もよく覚えている。有名人であるという不断の圧力のもとでよくもここまで素直に生きられるものだ。外からの力を押し返すだけの強いものが内側にあってはじめて可能なことである。』

『 1981年の2月25日、つまりジョンが亡くなってから11週間後に刊行された本『ジョン・レノン―ALL THAT JOHN LENNON』は今は品切れになっている。もう一度、今度は文庫で出そうかと版元と話しはじめたのが今年の初め、いくつかの理由で遅れているうちにあの事件が起こり、ジョン・レノンとヨーコはもう一度自分たちの思想を世に訴えることになった。彼らの歌を聞きながら、彼らの言葉を読んでいただきたい。』 2001年10月29日 沖縄  池澤夏樹


■毎瞬全員一致する自然界
『十二人の怒れる男』 新世紀へようこそ 063

『 今、アメリカ国民の多くはブッシュ政権の方針を支持しています。先日、ある会食の席で、アメリカの会社の東京支社で働くアメリカ人男性が、「空爆もアフガニスタンのためだ」と言っていたと、同席した友人が憤慨して報告してきました。』

『 このような発言に至る経路が類推できないわけではありません。賛成ではなく、理解でもなく、類推です。アフガニスタンはタリバンという悪い連中が支配している。それを排除して、正しい政府を作るには空爆しかない。正義のために多少の犠牲はしかたがない。単純でわかりやすい論法です。』

『 しかし、単純でわかりやすい論法がいつも正しいわけではありません。』

 『十二人の怒れる男』という映画があります。制作は1957年。監督はシドニー・ルメット。主演ヘンリー・フォンダ。』

『 評決は多数決ではありません。全員一致が原則です。どうしても一致しない場合は陪審は不成立。すべてやりなおしになる。有罪という結論が出れば、17歳の少年は死刑になります。』

『 最初の投票が行われる。11票が「有罪」。しかし、1票だけ「無罪」がある。こんなわかりきった事件、結論は目に見えているのに、誰が無罪などと言うのか、とみなが腹を立てる。』

『 無罪を投じた一人が立って(これがヘンリー・フォンダ)、その理由を説明します。自分も無罪と信じているわけではない。しかし、一人の人間の生命がかかっているのだから、少し議論をしてもいいのではないか。みんなはうんざり。』

『 そうして始まった議論の中で、証言の信憑性が少しずつ崩れてゆく。議論が進み、何度も評決が行われます。最初は紙に書いての投票だったけれど、後は挙手になる。そして、一人また一人と無罪派が増えてゆく。』

『 無罪というのは、少年が父を殺さなかったと確信することではありません。法廷で彼を有罪とするに足るだけの立証が行われなかったと判断した陪審員は有罪票を投じられない。「疑問の余地」を残したまま死刑は執行できません。』

『 ビデオででももう一度見たいと思っていたら、クリスマスの前にDVDが発売されました。さっきあらためて見たところです。』

『 アメリカ流の民主主義と陪審制度の間には密接なつながりがあるようです。国を動かす政治家を市民が自分たちで選ぶ。社会の規範となる倫理を市民が作る。どちらにもぼくは賛同します。しかし、それは12人に一人はヘンリー・フォンダが混じっていることを前提にしての話です。』

『 単純でわかりやすい論法に従って、この件はさっさと片づけ、その子は死刑にしようと言う多数派に対して、ちょっと待てと議論を始める者がいることを前提にしての話です。ヘンリー・フォンダの、あの思い詰めたような顔がなければ、民主主義は衆愚主義になってしまう。』

『 9月11日の事件の後で、ヘンリー・フォンダの役を担ったのは、バーバラ・リー議員でした。上下両院合わせて500人を超える議員の中で、たった一人。この人がいたことを、ぼくの好きなアメリカがまだあることを、ぼくは嬉しく思いました。』(池澤夏樹 2001−12−27)


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