ニューチャイルド

翻訳  スワミ・パリトーショ スワミ・アトモ・スディープ


私ワタシは世界中セカイジュウで「教育キョウイク」と呼ヨばれ
ているものの大部分ダイブブンは二十一世紀ニジュウイッセイキ
におけるこの地上チジョウの生セイのために本当ホントウに必要
ヒツヨウとされるものではない、と感カンじています。

学校ガッコウや大学ダイガクで教オシえられる学科ガッカは、
しばしば時代遅ジダイオクれであり、ますます複雑化フクザツカ
しながら危機的様相キキテキヨウソウを帯オびてきている
今日コンニチの世界セカイに生イきるために適切テキセツ
なものではありません。

カリキュラムには、
気キつ゛き、生イきること、
生セイへの畏敬イケイ、
愛アイを込コめて関カカわること、
疑問ギモンを解トいていくこと、
機智キチ、創造性ソウゾウセイ、
「今イマに応オウじる能力ノウリョク」、
瞑想メイソウ、同調ドウチョウ、
あるいは客観性キャッカンセイ、といった
ような課目カモクを含フクんでいません。

大部分ダイブブンの人々ヒトビトは
こういうことを知シらないか、あるいは
どういうものかさえも知シりません。

そして両親リョウシンや、教師キョウシや、
聖職者セイショクシャや政治家セイジカたちは、
懸命ケンメイに子供コドモたちから
生セイを搾シぼり取トってきました。

何千ナンゼンという
規則キソクや、儀式ギシキや、期待キタイが、若ワカい
人々ヒトビトに押オしつけられています。このことの及オヨぼす
結果ケッカとして、大部分ダイブブンの子供コドモたちは、
全面的ゼンメンテキに「順応ジュンノウ」して、退屈タイクツし、
従順ジュウジュンになってしまうか、あるいは不従順フフクジュウ
で、反抗的ハンコウテキな行動コウドウを表アラわすか
のどちらかになってしまうのです。

この本ホンの中ナカで和尚オショウは、その「生セイ」と
学マナびが非常ヒジョウに違チガったものになるはずの
「ニューチャイルド」について話ハナしています。この
「ニューチャイルド」は、生イき生イきとしており、
安心アンシンし、責任セキニンを持モち、楽タノしい
ことが大好ダイスきで、自分ジブンが生イきている
世界セカイにたいしてもっと用意ヨウイができています。

和尚オショウは子供コドモたちについて、家族カゾクについて、
そして学習ガクシュウするということについて、光明コウミョウ
を得エた神秘家シンピカとしてのまったく新アタらしい
観点カンテンから語カタっています。彼カレの考カンガえは
極キワめて根源的コンゲンテキであり、またしばしば、
非常ヒジョウに急進的キュウシンテキです。

和尚オショウのアシュラムやコミューンで子供コドモ
たちと過スごした経験ケイケンから、そして様々サマザマ
の教育上キョウイクジョウのセッティングで働ハタラいた
自分ジブンの経験ケイケンから、私ワタシは彼カレの
考カンガえが実際ジッサイに有効ユウコウ
であることを発見ハッケンしました!

人ヒトは色々イロイロな意味イミでひとりひとり違チガいます。
子供コドモも大人オトナも同様ドウヨウに、無用ムヨウな
条件付ジョウケンツけから自ミズカらを解放カイホウし、
自然シゼンで、創造的ソウゾウテキで、勇敢ユウカンで、
気キつ゛きのある、ユニークでユーモアに満ミちた、自分ジブン
の内ウチなる感覚カンカクから生イきることを喜ヨロコんで
学マナぶことができるのです。

この本ホンは、子供コドモたち、親オヤであること、そして
教育キョウイクについて和尚オショウが語カタったことの
極キワめて特別トクベツなセレクションです。それは、
これまでの教育キョウイク、心理学シンリガク、哲学テツガク
、あるいは宗教シュウキョウについて
これまで語カタられたどんな文章ブンショウにも見ミられない
豊ユタかな智慧チエと、人々ヒトビトについての深フカい
洞察ドウサツに満ミちています。それは深フカい真理シンリ
の琴線コトセンを打ウちます。この本ホンは、
あなた自身ジシンの「ニューチャイルド」の開花カイカ
のためのガイダンスでもあります。

和尚オショウが語カタっていることは、
全面的ゼンメンテキな手放テバナし、
全面的ゼンメンテキな変容ヘンヨウです。
私ワタシはこの本ホンが大好ダイスきです!
これがあなたの人生ジンセイと仕事シゴト
の上ウエでの啓示ケイジになりますように。

アメリカ マサチューセッツ 
ケンブリッジ大学教授ダイガクキョウジュ
教育学博士キョウイクガクハクシ ウェンディ・クリス

新アタラしい人間ニンゲン
が必要ヒツヨウとされている
そしてこの新アタラしい人間ニンゲンは
過去カコにおいて私ワタシたちが別ベツの
生セイに望ノゾんでいたまさにその楽園ラクエン
を現実ゲンジツの中ナカにもたらすことになる
楽園ラクエンは今イマここで実現ジツゲンできる
だが私ワタシたちは新アタラしい子供コドモたち
NEW CHILD を生ウみ出ダさなければならない
OSHO


私ワタシは創造的ソウゾウテキになりたいと思オモいます どうしたらいいでしょうか?

もう一度イチド、子供コドモになりなさい
それであなたは創造的ソウゾウテキになれる
子供コドモはみんな創造的ソウゾウテキだ
創造性ソウゾウセイには自由ジユウが必要ヒツヨウだ―
―頭マインドからの自由ジユウ
 知識チシキからの自由ジユウ
偏見ヘンケンからの自由ジユウが……

創造的ソウゾウテキな人ヒトとは
新アタラしいことを試ココロみることのできる人ヒトだ
創造的ソウゾウテキな人間ニンゲンはロボットではない
ロボットは決ケッっして創造的ソウゾウテキにならない
彼カレらは繰クり返カエすだけだ
だから、もう一度イチド、子供コドモになりなさい

そうすれば
あらゆる子供コドモが、創造的ソウゾウテキであることに驚オドろくだろう
どこで生ウまれようと、子供コドモはみんな創造的ソウゾウテキだ
だが、私ワタシたちは子供コドモたちの創造性ソウゾウセイを許ユルさない
子供コドモたちの創造性ソウゾウセイを押オしつぶし、殺コロし
激ハゲしく非難ヒナンする
私ワタシたちは彼カレらに、ものごとの正タダしいやり方カタを教オシえ始ハジめる

いいかね
創造的な人ヒトは、いつも間違マチガったやり方カタを試タメし続ツツ゛ける
いつも正タダしいやり方カタに従シタガってやっていたのでは
決ケッして創造的ソウゾウテキにはならない
正タダしいやり方カタとは、他人タニンが発見ハッケンしたやり方カタだからだ
その正タダしいやり方カタをすれば
無論ムロン、それで何ナニかをつくることはできるだろう
生産者セイサンシャ、製造者セイゾウシャにはなれるだろう
技術者ギジュツシャにはなれるだろう
だが、決ケッして創造者ソウゾウシャにはなれない

生産者セイサンシャと創造者ソウゾウシャの違チガいとは何ナニか?
生産者セイサンシャはものごとの正タダしいやり方カタ
ものごとの最モットも効率コウリツのよいやり方カタを知シっている
最小サイショウの努力ドリョクで、より多くの結果ケッカを生ウみ出ダすことができる
彼カレは生産セイサンする人ヒトだ

創造者ソウゾウシャは寄ヨり道ミチをする
ものごとをやるための正タダしい方法ホウホウなど知シらない
だから彼カレは何度ナンドも何度もいろいろな方向ホウコウを探求タンキュウし
探サガし求モトめ続ツツ"ける
何度ナンドとなく誤アヤマった方向ホウコウに進ススむが
どこに動ウゴいても、そのたびに彼カレは何ナニかを学マナぶ
彼カレはどんどん豊ユタかになる
彼カレはそれまで誰ダレもやったことがないことをする
ものごとの正タダしいやり方カタに従シタガっていたら
そんなことはできなかっただろう

こんな小話コバナシがある……日曜学校ニチヨウガッコウ
の先生センセイが生徒セイトたちに聖家族セイカゾクの絵エを描カかせた
手元テモトに集アツまってきた子供コドモたちの絵エの中ナカには
何枚ナンマイかのお決キまりの絵エがあった
馬小屋ウマゴヤの聖家族セイカゾク、ロバに乗ノる聖家族、といった具合グアイだ

先生センセイはひとりの小チイさな男オトコの子コを呼ヨんで
自分ジブンの絵エを説明セツメイさせた
その絵は窓マドから四ヨっつの頭アタマが飛トび出ダした飛行機ヒコウキの絵だった
先生センセイは言イった
「あなたが描カいた頭アタマの三ミっつまではわかるわ
ヨゼフとマリアとイエスでしょ
でもこの四ヨっつ目メの頭アタマは誰ダレなの?」
「ああ、これは*ポンティウス・ピラトだよ!」
と男オトコの子コは答コタえた

*イエスが十字架ジュウジカにかけられた時トキのローマの総督ソウトク

さて、これは素晴スバらしい
これこそが創造性ソウゾウセイというものだ
彼カレは何ナニかを発見ハッケンしたのだ
だが、子供コドモにしかこんなことはできない
あなたたちには、恐オソろしくてそんなことはできない
それでは馬鹿バカみたいだ
創造者ソウゾウシャには、必カナらず馬鹿バカみたいに見ミえるところがある
創造者ソウゾウシャは、
いわゆる対面タイメンを危険キケンにさらさなければならない

詩人シジン、画家ガカ、舞踏家ブトウカ、音楽家オンガクカが
あまり尊敬ソンケイすべき人々ヒトビトに見ミえないのはそのためだ
そして、彼カレらが尊敬ソンケイされるようになった時トキには
ノーベル賞ショウが与アタえられた時トキには
もうその人ヒトは創造的ソウゾウテキではない
その瞬間シュンカンから創造性ソウゾウセイは消キえる

何ナニが起オこるのか?
これまでノーベル賞ショウの受賞者ジュショウシャで
受賞後ジュショウゴ価値カチのある作品サクヒンを書カいた者モノを知シっているかね?
名声メイセイを得エた者モノが何ナニか創造的ソウゾウテキなことをしたのを
これまで見ミたことがあるだろうか?
彼カレは恐オソれるようになる
もし何ナニか間違マチガったことをしたら
あるいは何ナニかが上手ウマくいかなかったら
自分ジブンの名声メイセイはどうなる、と
彼カレにはそんなことはできない
だから尊敬ソンケイされるようになったら、芸術家ゲイジュツカは死シぬ

自分ジブンの名声メイセイを、プライドを、世間体セケンテイを
何度ナンドでも危険キケンにさらす用意ヨウイのある者モノだけが
誰ダレも価値カチがあるとは思オモわないようなことを
深フカく追求ツイキュウできる……
創造者ソウゾウシャは常ツネに狂人キョウジンだと思オモわれる
世界セカイは彼カレを認ミトめはするが
それは、ずっと後アトになってからのことだ
世間セケンは何ナニかおかしいと考カンガえ続つつ゛ける

創造者ソウゾウシャとは、常軌ジョウキを逸イッした人ヒトたちだ
そして、子供コドモはひとりひとり
創造者ソウゾウシャになるための、あらゆる能力ノウリョクを持モって生ウまれて来クる
このことを、もう一度イチド思オモい出ダしなさい
例外レイガイなく、あらゆる子供コドモは創造者ソウゾウシャになろうとする
だが、私ワタシたちがそれを許ユルさない
私ワタシたちは、たちまち
子供コドモたちに正タダしいものごとのやり方カタを教オシえはじめる
そして、一度イチドものごとの正タダしいやり方カタを覚オボえたら
子供コドモたちはロボットになる
そして彼カレらは何度ナンドも、何度も
何度も正タダしいことをやり続つつ゛け
また、そうすればするほど上手ウマくなる
そして上手ウマくなればなるほど、彼カレらは尊敬ソンケイされる

7歳サイから14歳までのどこかで
子供コドモに大オオきな変化ヘンカが起オこる
心理学者シンリガクシャたちは、その現象ゲンショウを研究ケンキュウしつつ゛けている
……なぜそれが起オこるのか、何ナニが起オこるのか、を

人ヒトには二フタつの頭脳マインド、二つの脳半球ノウハンキュウがある
脳マインドの左半球ヒダリハンキュウは非創造的ヒソウゾウテキだ
それは技術的ギジュツテキには非常ヒジョウに有能ユウノウだが
創造性ソウゾウセイに関カンする限カギり、まったく無力ムリョクだ
それは自分ジブンが一度イチド学マナんだことしかできない
そして、それなら非常ヒジョウに巧タクみに、完璧カンペキにできる
それは機械的キカイテキだ

この左脳ヒダリノウは、推理スイリの、論理ロンリの、数学スウガクの半球ハンキュウだ
それは計算ケイサンの、巧タクみさの、訓練クンレンの、秩序チツジョの半球ハンキュウだ
右半球ミギハンキュウはまさにその反対ハンタイだ
それは秩序チツジョではなく、混沌コントンの半球ハンキュウだ
それは散文サンブンではなく、詩シの半球ハンキュウだ
それは論理ロンリではなく、愛アイの半球ハンキュウだ
そこには美ビに対タイする大オオいなる感受性カンジュセイ
独創性ドクソウセイに対する大いなる洞察力ドウサツリョクがある
だがそれは能率的ノウリツテキではない、能率的ではあり得エない
創造者は能率的ではあり得ない
彼は実験ジッケンし続つつ゛けなければならない

創造者はどこにも落オち着ツくことができない
創造者は放浪者ホウロウシャだ
彼カレはテントを担カツいでいる
確タシかに一夜イチヤの宿ヤドをとることはある
だが、朝アサになれば彼はまた出て行く
私が彼を放浪者と呼ぶのはそのためだ
彼は決して家を持たない
落ち着くことはできない
落ち着くことは、彼にとっては死を意味イミする
彼は常ツネに、危険キケンを冒オカす用意ヨウイがある
危険が彼の恋愛レンアイとなる

だが、これこそが右半球だ
子供が生まれたときは、右半球が機能キノウしている
左半球は機能していない

それから、私たちは子供に教え始める
――それと知らずに、非科学的ヒカガクテキに
いくつもの世代セダイを通じて、私たちは
右半球から左半球へのエネルギーの移行イコウのさせ方
右半球の止め方と左半球の始動シドウのさせ方の
巧妙コウミョウなやり方(トリック)を学んできた
それが、私たちの学校教育ガッコウキョウイクの何たるかだ
それが、幼稚園ヨウチエンから大学ダイガクまで
私たちが訓練クンレンしているもののすべてだ
それは右脳を破壊ハカイし、左脳を支援シエンするための努力ドリョクだ
7歳から14歳までのどこかで、私たちは成功セイコウし
かくて子供は殺コロされ、子供は破壊される

そうして、子供はもはや野性ヤセイではなくなる
――彼は、市民シミンになる
そうして、彼は規律キリツの、言語ゲンゴの、論理ロンリの
散文サンブンのやり方を覚える
彼は学校で競争キョウソウを始め
エゴイストになり
社会シャカイに蔓延マンエンしている、あらゆる神経症的シンケイショウテキなものごとを
学び始める
権力ケンリョクや金に興味キョウミを持ち始め
自分がより強力キョウリョクになるために
どうすれば、もっと高い教育キョウイクを受けられるのか
どうすれば、もっと金が得られるのか
どうすれば、もっと大きな家を持てるのか

そういったことすべてを考え始める
子供は変わる
そうなると、右脳はますます機能キノウしなくなる
夢ユメの中で、ぐっすり眠ネムりこけているときにしか機能しない
あるいはドラッグをやっているときにしか――

西洋世界セイヨウセカイでドラッグが非常に魅力ミリョクを持っているのは
西洋が義務教育ギムキョウイクによって
右脳を完全カンゼンに破壊ハカイすることに成功したからに他ホカならない
西洋人はあまりにも教育を受けすぎた
――つまり度ドを越コした
  片側カタガワに寄ヨり過スぎてしまったということだ
それは極端キョクタンになってしまった
もうどんな可能性カノウセイも残ノコされていないようだ
小学校、中学校、高校、大学で
もう一度、右脳を復活フッカツさせる何らかの方法が導入ドウニュウされない限カギり
ドラッグは消えないだろう
法律ホウリツだけでドラッグを禁止キンシできる可能性はない
内ウチなるバランスが再び正常セイジョウに戻モドらない限り
強制的キョウセイテキにやめさせる方法はない

ドラッグの魅力ミリョクは
それが直ちにギアを切り替えるということ
――エネルギーが左脳から右脳へと移動イドウするということだ
ドラッグにできるのはそれだけだ
何世紀ナンセイキにもわたってアルコールがそれをやってきたが
今やはるかにましなドラッグ
――LSDやマリワナやシロシビン――
が、手に入るようになった
そして将来ショウライは、もっといいドラッグが手に入るだろう
そして、悪ワルいのはドラッグをやる人々ではない
政治家セイジカや教育者キョウイクシャこそが犯罪者ハンザイシャだ
悪いのは彼らだ
彼らが人間の心を一方の極端キョクタンに押しやった
――それはあまりにも極端で、今や反逆ハンギャクが必要だ
しかもその必要性は極めて大きい
人々の生から詩は完全に消え失せた
美が消え失せ、愛が消え失せた……
金と権力とコネ、そういうものが唯一ユイイツの神カミとなった

愛がなくて、詩がなくて、歓びがなくて
そして祝祭シュクサイがなくて
どうして人間が生き続けることができるだろう?
長くは生き延びられない

そして、新しい世代は世界中で
あなたたちのいわゆる教育の愚オロかしさを示すことによって
大変タイヘンな貢献コウケンをしている
ドラッグをやる者がほとんど例外レイガイなく
ドロップアウトになるのは偶然グウゼンではない
彼らは大学から姿スガタを消す
これは偶然ではない、これは同じ反逆の一部だ

そして、一度ドラッグの楽しみを覚えたら
それを捨てるのは非常に難ムツカしくなる
その人の中の詩を解放カイホウすることのできる
もっといい方法が発見されない限り
ドラッグを捨てることはできない
瞑想メイソウはより良い方法だ――
他のどんな化学物質より、破壊性がなく害が少ない
それどころか、それにはまったく害はなく、益がある
瞑想も同じ働きをする
それはあなたたちの思考シコウ(マインド)を
左脳から右脳へとシフトする
それは、あなたたちの内なる創造的能力を解放する

現在ゲンザイ世界中で
ドラッグによって発生ハッセイしようとしている大変な災厄サイヤクを
避けることができるものは、たったひとつしかない
――それが瞑想だ
他に方法はない
瞑想がもっともっと頻繁ヒンパンに行なわれるようになり
人々の生にもっともっと浸透シントウしていけば
ドラッグはなくなるだろう
そして教育は、右脳とその機能の全面的な否定ヒテイを
止めなければならない

もし子供たちが
その両方リョウホウがマインドなのだということを教えられ
また、その両方の使い方を教えられたなら
どちらの脳をいつ使うべきかを教えられたなら……

左脳だけが、必要とされる状況ジョウキョウというものがある
それは市場で、毎日の仕事の中で計算ケイサンをするのに必要だ
また右脳が、必要になるときもある
そして、右脳こそが目的モクテキで
左脳は手段シュダンだということを、いつも覚えておきなさい

左脳は、右脳に仕えなければならない
右脳が主人だ――
なぜなら金を稼カセぐのは
自分の生を楽しみ
生を祝うためにすぎないからだ
ある程度テイドの預金ヨキンを望むのは
ただ愛せるようになるためだ
働くのは、ただ遊べるようになるため
――遊びがゴールだ
働くのは、くつろげるようになるためにすぎない
あくまでもくつろぎがゴールだ
仕事はゴールではない

労働倫理ロウドウリンリとは、過去カコの遺物イブツだ
それは捨てられねばならない
そして、教育界は真の革命カクメイを通り抜けなければならない
人は強制キョウセイされるべきではない
子供たちは、反復練習ハンプクレンシュウを強制されるべきではない
あなたたちの教育とは何か?
それを調シラべてみたことがあるかね?
それについて考えてみたことがあるだろうか?

それは単なる記憶キオクの訓練クンレンに過ぎない
それによっては賢カシコくはならない
ますます非知性的ヒチセイテキになるだけだ
人は愚オロかになる
子供はひとりひとり
非常に知的チテキな存在ソンザイとして学校に入る
だが大学を出るときにもなお知的である者は、極めて稀マレだ
――それは非常に稀なことだ
大学はほとんど常に成功する
確かに、あなたたちは学位ガクイをもらって卒業ソツギョウする
だが、あなたは
そういう学位を大変なコストで買い取っている
あなたは自分の知性を失う
自分の歓びを失う
自分の生を失う
――それは、あなたが右脳の働きを失うからだ

そして、あなたが学んだものとは何か?
情報ジョウホウだ
あなたの頭(マインド)は記憶キオクでいっぱいになる
あなたは、それを復唱し
それを再生産サイセイサンすることはできる
――それが、あなたたちの試験シケンの何たるかだ

自分の中に投げ込まれたものを
すべて吐き出すことができれば
その人間は非常に知的チテキだと思われる

まず彼は、のみこむように
のみこみ続けるように強制キョウセイされなければならない
それからテスト用紙が与えられ、それに吐き出す
うまく吐き出すことができれば、その人は賢カシコい
与えられたものを
正確セイカクにそのまま吐き出すことができれば
その人は知性がある、というわけだ

さて、これは理解リカイすべきことだが
その人が消化ショウカしていないからこそ
同じものを吐き出すことができる、ということだ
いいかね
消化していれば、同じものを吐き出すわけにはいかない
何か違チガうものが出て来るだろう
血が出て来ることはあるかもしれないが
パンが、そのまま出て来ることはない
そうはならない
パンは消えてしまう

あなたは、それを未消化のままに
ただ、胃の中に止めておかなければならないことになる
そうすれば、非常に賢いというわけだ
最も愚かな人間が、最も知性的だと考えられる
これは非常に悲しいこと、悲しむべきことだ
聡明ソウメイな者は、適応テキオウできないかもしれない
アルバート・アインシュタインが
大学入学資格試験に受からなかったことを知っているかね?

あれほどの創造的な知性が、だ
彼には他のみんながやっているような
愚劣グレツな振フる舞マいは難ムツカしかったのだ

いわゆる学校時代の、大学の優等生ユウトウセイたちはすべて姿スガタを消す
彼らは決して、何の役にも立たない
彼らの栄光エイコウは金メダルで終わりだ
それ以降イコウ、決して姿を現すことはない
彼らは生に何の貢献コウケンもしていない

こういう人たちはどうなるのか?
この人たちは破壊されたのだ
彼らは卒業証書ソツギョウショウショを買い取り、そして、すべてを失った
今や彼らは、その免状メンジョウと学位を持ち運び続けることになる

こういう教育は全面的ゼンメンテキに改革されなければならない
教室キョウシツには、もっと歓びが持ち込まれなければならない
大学には、もっと混沌コントンが、持ち込まれなければならない
――もっとダンスが、もっと歌が、もっと詩が
  もっと創造性が
  もっと知性が持ち込まれなければならない
記憶力に対する、これほどの偏重ヘンチョウは
捨てられなければならない
人間は、もっと知性的になれるように
見守られ、援助エンジョされるべきだ
新しい方法で応答オウトウしたときに
その人は評価ヒョウカされるべきだ

正解セイカイなど、あるべきではない
そんなものは、ありはしない
愚かな解答と、知性的な解答があるだけだ
正しいとか、間違っているとかいう
分類ブンルイそのものが間違っている
正しい解答も、間違った解答もない
それまでの繰クり返カエしの愚かな解答か
あるいは創意ソウイに満ミち
打てば響ヒビくような、知性あふれる解答があるだけだ

たとえ、過去の繰り返しの解答が正しいものに思えても
それまでの解答の反復ハンプクなのだから
あまり評価ヒョウカされるべきではない
そして知性に満ちた解答が
完全に正しいものではないとしても
従来ジュウライの考えと適合テキゴウしないようでも
それは、新しいということで評価されるべきだ
それは知性を明かしている

あなたは「私は創造的になりたいと思います
どうしたらいいでしょうか?」と尋ねている
社会があなたにしたことを、すべて取り去りなさい
両親や教師たちがあなたにしたことを
全部はずしなさい
――そうすれば、あなたは再び創造的になる

再び最初サイショの最初に持っていたあのスリルを
取トり戻モドすことになる
それは抑圧ヨクアツされたまま、まだそこにある
それは、解き放つことができるのだ
そして、創造的なエネルギーが
自分の中に解き放たれたとき
その人は宗教的シュウキョウテキになる
私に言わせるなら
宗教的な人とは、創造的な人間のことだ
誰もが創造的に生まれてくるのに
創造的なままの人間はごくわずかしかいない

その罠ワナから出るのは、あなたの仕事シゴトだ
あなたにはそれができる!
もちろん、大変な勇気ユウキがいるだろう
なぜなら、社会がしたことをぬぐい去り始めれば
あなたは尊敬ソンケイを失うことになるからだ
あなたは立派リッパな人とは思われなくなる
変わり者になり始めるだろう
あなたは人々には奇人キジンに見えてくる
変人ヘンジンに見えてくる
人々は
「かわいそうに、あの男はどうかしてしまった」
と思うだろう
他人タニンが奇人だと思うような生の中に
入っていくことこそが、最大の勇気だ
そこには困難コンナンが待ち受けている

創造的でありたかったら
人はすべてを賭カけなければならない
だが、それだけの価値カチはある
小さな創造性には
全世界とその王国オウコク以上の価値がある
何か新しいものを創造することから来る歓びは……
それが何であろうと
――小さな歌、ちょっとした絵
どんなものであろうと……

何か新しいものを創造するとき
人は創造主ソウゾウシュに参加サンカしている
神こそ創造者だからだ
創造するとき、あなたは神と同調ドウチョウしている
本当に創造するとき
あなたを通して神が創造している
――大いなる歓びが沸ワき起こるのはそのためだ

過去のものを繰り返すとき
あなたは一人で繰り返している
そこには神はいない
あなたは砂漠サバクだ、あなたは機械だ
あなたが創造するとき
神はただ、あなたのハートの中に入ってくる
あなたは中空チュウクウの竹タケになり
神があなたを演奏エンソウしはじめる
そして、あなたは笛フエになる

大いなる歌が沸き起こる

誰もがその歌を持ち運んでおり
その歌が歌われない限り
人は、決して充足ジュウソクを感じることはない

私のサニヤスとは、創造性への参入イニシエーション、危険への参入
かつて教えられたことのない
それどころか、これまで教えられてきたすべてと反対の
新しい生への参入に他ならない

私の闘いのすべては
このいわゆる神経症的シンケイショウテキな社会に反逆ハンギャクするものだ
私は、あなたたちにもう一度、無学ムガクになってもらいたい

"Sufis: The People of the Path" Vol.1, Session 8 より August 18, 1977

"You can do one thing   ――こうして みてごらん!!"

……こうしてみるといい
家に小さな子供がいたら
毎日1時間その子の後を追い回してみてごらん
そのほうがブッダを追い回すよりいいし、有効ユウコウだ
子供をよつんばいで這い回らせ
自分もよつんばいで這い回る
よつんばいで這い回る子供の真似マネをする
そうすれば、生まれて初めて
新たな生命セイメイエネルギーがやってくるのを感じられる
あなたは再び子供になる
子供を見て、その真似をする
子供は部屋ヘヤの隅々スミズミまでいき、あらゆるものに触フれる
触れるだけでなく
あらゆるものを口にいれ、あらゆるものの匂いニオイを嗅カぐ
子供の後を追い、何でもその子のする通トオりにする

あなたもかつては子供だった
そして同じことをやった
子供は感カンじている
頭アタマでやったり、考カンガえたりしない
何かの匂いを感じると
その匂いを追って部屋の隅までいく
りんごを見ると、その味アジをみる
あなたもまた、子供のように味わってみるといい

子供がりんごを食べている様子ヨウスを見てごらん
彼は、それに夢中ムチュウになっている
世界全体セカイゼンタイが消え去っている
もはや世界はない、ただりんごだけがある
いや、そのりんごでさえ存在ソンザイせず
その子もまた存在しない
ただ食タべることだけがある
1時間イチジカンほど、小さな子供の真似をする
その1時間は実ミノり豊ユタかなものになるだろう
あなたは、再び子供になる

自己防衛ジコボウエイは消え去り、鎧ヨロイは消え去り
あなたは再び子供のように世界を見る
つまり、感覚カンカクの側面ソクメンから見るようになる
そして、あなたはこう感じる
「自分は感じることができる――自分は考えてはいない」
その時、あなたはじゅうたんの折オり目メを楽しむ……
子供のようにじゅうたんの上を這い回り
その感触カンショクや暖アタタかさを楽しむ

無邪気ムジャキに子供の真似をすることによって
様々サマザマなことが子供から学べる
やがて、真シンの無垢ムクがほとばしり出る
あなたはかつて子供だった、そして
あなたは子供であるとはどういう意味イミかをしっている
ただそれを忘ワスれてしまっているだけだ
肝心カンジンなのは、感覚センターの機能が開始カイシすることだ

方法は、まだ他にもたくさんある
それを行うのに特別トクベツな努力ドリョクはいらない
眠ネムりに入るとき、ベッドを感じ
まくらを感じ、その冷ツメたさを感じる
まくらを相手アイテに、まくらとたわむれる
目を閉トじ
エアコンの音オトや、車クルマの音や、時計トケイの音に、ただ耳を傾カタムける
レッテルを貼ハらず、何も言わない
心を動かさない、ただその感覚の中を生きる

朝になって目覚メザめ、眠りが消え去るのを感じたとき
思考シコウを開始カイシしてはいけない
しばらくの間、子供になりなさい……
無垢で新鮮シンセンな子供に
思考を開始しないこと
これから何をしようか、何時ナンジに出社シュッシャしようか
どの汽車キシャに乗ノろうかなどと考えないこと
そういった些細ササイな事コトには、後でいくらでも時間がある
そのまま、しばらくのあいだ音を聞く
鳥トリが歌っている、あるいは木々キギがそよいでいる
子供が泣ナいている、牛乳配達ギュウニュウハイタツがやってきて音をたてている
牛乳を注ツぐ音がする……
およそ、起こることすべてを感じなさい
それに対して敏感ビンカンになり、オープンでいること
そういったことを自分に起こるままにさせておく
そうすれば、敏感さは成長セイチョウする

"The Book of the secret" より March 31, 1973



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