ニューチャイルド

翻訳  スワミ・パリトーショ スワミ・アトモ・スディープ


教育

”知性(インテリジェンス)とは正確には何なのでしょうか?
またハートの知性は、マインドの知性と
どんな関係があるのですか?”



聡明さ(インテリジェンス)とは
わかるための、理解するための先天的な能力のことだ
あらゆる子供は聡明に生まれ
それから社会によって愚か者にされる
私たちは子供を教育して、愚か者に仕立て上げる
遅かれ早かれ、教育が終わる頃には愚か者になっている

聡明さとは自然な現象だ
まさに呼吸することと同じ
見ることと同じようなものだ
聡明さとは内なる視力、つまり直観的な認識ニンシキだ
それは知的能力(インテレクト)とは何の関係もない
いいかね
知力(インテレクト)と聡明さ(インテリジェンス)を
決して混同してはいけない
それらは対極のものだ
知力は頭のものだ
それは他人から教えられた、押しつけられたものだ
人はそれを耕さなければならない
それは借りもの、よそからのもので
先天的なものではない
だが聡明さとは、先天的なものだ
それはあなたの実存ジツゾンそのもの、あなたの本性そのものだ

あらゆる動物は聡明だ
動物は確かに知的ではない、だが彼らはみんな聡明だ
樹々は聡明だ、全存在は聡明だ
そして、子供はひとりひとり聡明に生まれる
これまで愚かな子供に出会ったことがあるかね?
それはあり得ない!
だが、聡明な大人にはめったに出会わない
その中間で、何かがおかしくなる

私はみんなに、この素晴らしい話を聴いてもらいたい
役に立つかもしれない
その話は、「動物学校」と呼ばれる

ある日、森の動物たちが集まって、学校を始めることにした
集まったのはうさぎ、鳥、りす、魚、そして、うなぎで
彼らは自分たちで教育委員会を作った
うさぎは、履修課程リシュウカテイに「駆けっこ」を入れるように主張した
鳥は、履修課程に「飛ぶこと」を入れるように主張した
魚は、「泳ぎ」が入らなければならないと言い張り
りすは
絶対に「垂直木登り」が入らなければならない、と言った
みんなはこれを全部入れて、履修課程案内を書いた
そこで彼らは
全員がすべての学科を履修しなければならないと強調した

うさぎは「駆けっこ」ではAを取っていたが
「垂直木登り」はうさぎにとってまったくの難問だった
うさぎは木から落ち続けた
じきに、うさぎは一種の脳障害を起こして
走ることもできなくなった
彼はそれまでAだった「駆けっこ」でCを取るようになった
そして、もちろん「木登り」はいつもFだ
鳥は「飛ぶこと」にかけては実に素晴らしかったが
地面を掘るときになるとあまりうまくできなかった
鳥はくちばしを折り、翼を折り続けた
すぐに彼は「穴掘り」のFだけでなく、「飛ぶこと」もCになり
「垂直木登り」となると、もう地獄のときを過ごした

この話の教訓キョウクンは
動物学校の卒業生総代に選ばれたのが
全科目で中途半端チュウトハンパな成績だった
知恵遅れのうなぎだったということだ
だが、教育者たちはみんな
全員が全科目を履修したことで満足し
この教育は「広範囲教育」と呼ばれた

私たちはこの話を笑うが
これこそが現に起こっていることだ
これが、あなたたちが受けてきている教育だ

私たちは実際、誰をも他のみんなと同じようにしようと試み
そうすることで
存在が、ひとりひとりに与えた潜在能力を破壊している

聡明さは、他人を模倣モホウすることに中で滅ホロびる
聡明なままでいたいと思うなら
模倣することを止めなければならない
聡明さは、コピーという行為の中で
カーボンコピーになろうとすることの中で自殺する
どうすればあの人と同じようになれるかと考え始めた瞬間
人は自分の聡明さから墜落し、愚か者になりはじめる

自分を他の誰かと比較しはじめた瞬間
人は本来の潜在能力を失い始める
その人はもう決して、幸せになることはない
そして曇りのない、明晰で
率直な人間になることは決してない
人は自分の明晰さを失い、自分のヴィジョンを失う
借り物の目を持つことにはなるだろうが
他人の目でどうやって観ることができるだろう?
あなたに必要なのは、あなた自身の目だ
あなたに必要なのは、歩くための自分の足
鼓動するための自分の心臓だ

人は借りものの生を生きている
それゆえに、人々の生は麻痺マヒしている
この麻痺が、彼らを非常な愚か者に見せる


世界には、まったく新しい種類の教育が必要だ
詩人になるべくして生まれた人間が
数学では愚か者ということになり
大数学者になれたはずの人間が
ひたすら歴史を詰め込まれ当惑トウワクしている
教育が、その人間の本質にあっていないため
何もかもめちゃくちゃになっている
教育は、個人にどんな尊敬も払わず
誰も彼を一定の型にはめ込んでいる
偶然二、三の者にはその型が合うかもしれないが
大多数の者は手も足も出ず、惨ミジめに生きることになる

人生における最大の不幸は
自分を愚か者、無価値な、聡明でない者と感じることだ
だが、聡明でなく生まれている者など誰もいない
誰ひとり聡明でなく生まれることはあり得ない
なぜなら、私たちは神のもとからやって来るからだ
神とは純粋な聡明さだ
この世に来るとき、私たちは
神からの何がしかの香り、何がしかの芳香ホウガをもたらす
だが、たちまち社会が飛びかかってきて
操作し始め、教え始め
変更し、切り刻み、付け加え始める
そして、じきに人は、元の姿、元の形をすべて失う
社会は、あなたが従順であること
順応すること、正統であることを要求する
このようにして、あなたたちの聡明さは破壊される

私のアプローチのすべては
この押しつけられたパターンから、あなたを連れ出すことだ

これは、あなたが住んでいる牢屋だ
あなたは、それを捨てることができる
それを捨てるのが難しいのは
あなたが、それにあまりにも慣れてしまったためだ
捨てるのが難しいのは
それが、単なる服のようではなくなってしまったからだ
それはほとんど、皮膚のようになってしまった
あなたは、あまりにも長いことその中に住んできた
捨てるのが難しいのは
あなたが、それに自分のすべてを同一化しているからだ
しかし、あなたが
本気で自分の真の実存を手に入れたいと望むなら
それを捨てなければならない
あなたが本当に聡明でありたい、と望むなら
あなたは反逆者でなければならない
反逆的な人間だけが聡明だ
反逆という言葉で
私は何を言おうとしているのだろう?
私が言うのは
自分の意志に反して押しつけられたものを
全部捨てるということだ
自分が誰であるかを、もう一度探求しなさい
もう一度、イロハからはじめなさい
これまでは、他人の言葉に従ってきたために
自分の時間は、無駄になったと考えなさい

ひとりとして、他の誰かと同じ者はいない
ひとりひとりがユニークだ
それこそが聡明さの本質だ
そして、ひとりひとりが比較不可能だ
自分を他の誰かと比較するのは止めなさい
どうして比較などできる?
あなたはあなただし、他人ヒトは他人ヒトだ
あなたたちは同じではないのだから、比較は不可能だ

だが、私たちは比較するように教えられてきた
だから絶えず比較している
直接的、間接的に、意識的、無意識的に
私たちは比較の中で生きている
そして比較したら、決して自分を尊敬することはない
より美しい者もいれば、より背が高い者もいる
より健康な者もいれば、他のことで秀でている者もある
誰かの声は素晴らしく音楽的だ……
かくて、比較を続けたら
あなたはどんどん重荷を負うことになる
無数の人々がそこにいて
あなたは自分がする比較で押しつぶされる

あなたには、花開こうとしていた素晴らしい魂が
素晴らしい実存があった
それは黄金の花になろうとしていたが
あなたは、それを決して許さなかった
重荷をおろしなさい
すべてを脇に取り除ノけなさい
あなたの純真さを、あなたの幼年時代を
再び手に入れなさい
開墾するのだ

「再び生まれ変わらない限り、神の王国には入れない」
と言うイエスは正しい

私は、あなたたちに同じことを言おう
もう一度生まれ変わるのでなければ……、と

あなたのサニヤスを新しい誕生にしなさい!
自分の上に押しつけられた
あらゆる、がらくたを捨てるのだ!
まっさらになるといい!
最初の最初から始めなさい
そうすればあなたは驚くはずだ
――どれほどの聡明さ(インテリジェンス)が、たちまちに解放されることか

あなたは
「インテリジェンスとは正確には何なのでしょうか?」
と尋ねている
それはわかる能力、理解する能力
自分自身の本姓に従って、自分の人生を生きる能力だ
それが聡明さ(インテリジェンス)の何たるかだ

では、愚かさとは何か?
他者に従うこと、他者を真似ること
他者に服従すること、他者の目で物を見ること
その人たちの知識を
自分の知識であるかのように吸収しようとすることだ
それが愚かさだ

学者が、ほとんど常に愚かな人々であるのはそのためだ
彼らはオウムだ、同じことを繰り返す
彼らはいわばレコードだ
復唱することは巧みにできるが
本に書かれていない新しい状況が起これば
彼らは途方に暮れる
彼らは、いかなる聡明さも持たない
聡明さとは、プログラムに従ってではなく
その瞬間、その瞬間、起こるがままの生に対応し得る能力だ
聡明でない人々だけが、プログラムを持つ
彼らは恐れている
あるがままの生に遭遇ソウグウするに足るだけの聡明さを
自分が持ち合わせていないことを知っている
彼らは準備しなければならない
彼らはリハーサルをする
問題が持ち上がる前に、彼らは解答を準備する
そしてそれこそが、彼らが愚か者であることの証明だ

なぜなら、問題は決して同じでないからだ
問題は常に新しい
毎日がそれぞれの問題を、それ自身の課題をもたらす
一瞬一瞬が、固有の疑問をもたらす
だから、もし出来合いの答を頭の中に持っていたら
その疑問に耳を傾けることすらできなくなる
あまりにも自分の解答でいっぱいになっていて
聴く能力を持たなくなる
その場にいなくなる
だから何をしようと
それを出来合いの解答に従ってすることになる
それは状況には的外れで
あるがままの現実とは何の関係もない

聡明さとは、準備せずに現実と関わることだ
そして、準備することなく生に向かい合う素晴らしさは
途方もないものだ
そのとき生は新しさを、若々しさを持つ
そうなれば生には、ある流れが、ある新鮮さが起こる
そうなれば生は実に、たくさんの驚きに満ちる
そして、生がそれほどたくさんの驚きに満ちれば
決して、その人に退屈は生まれない

愚かな人間は、常に退屈している
彼が退屈しているのは
他人から集められた解答を復唱し続けているためだ
彼が退屈しているのは
彼の目に知識が詰まりすぎて
現に起こっていることが見えないためだ
彼は、何ひとつ本当には知りもしないのに
たくさんのことを知りすぎている
彼は賢くはない
ただ知識を持っているだけだ
薔薇の花を見ても、その薔薇の花を見てはいない
これまで読んだことのあるすべての薔薇の花が
詩人たちが歌ったすべての薔薇の花が
画家が描き、哲学者たちが議論したすべての薔薇の花が
これまで聴いたことがあるあらゆる薔薇の花が
――大いなる記憶の、情報の列となって――
彼の目の中に立っている
現にある薔薇の花は
その列の中に、その群れの中に消える
彼にはそれが見えない
彼はただ同じことを繰り返すだけだ
「この薔薇の花は美しい」と、彼は言う
その言葉もまた、彼自身のものではない
真摯シンシな、誠実な、真実の言葉ではない
誰か他の者の声……

愚かさとは反復すること、他人の言葉を繰り返すことだ
それは安直だ
それが安直なのは、学ぶ必要がないからだ
学ぶのは骨が折れる
学ぶにはガッツがいる
学ぼうとすれば、謙虚にならなければならない
学ぶには、古いものを捨てる用意がなければならない
絶えず新しいものを受け入れる用意がなければならない

学ぶとは、非利己的な状態を意味する
そして
学ぶことがその人をどこに導くかは、決して分からない
学ぶ者について、予測することはできない
彼の生は、予言不可能なものになる
彼自身、明日何が起こるか
明日どこにいるかを、前もって言うことはできない
彼は無知識の状態で動く
無知識の状態を生きて
絶えざる無知識の状態を生きて、初めて人は学ぶ
だからこそ、子供たちは素晴らしく学ぶ

大きくなるに従って、彼らは学ぶことを止める
知識がたまって、それを繰り返す方が安易だからだ
なぜ心配なんかする?
型に従った方が、輪の中を動いた方が、安直だし、簡単だ
だがそのとき、退屈がやってくる
愚かさと退屈は、手をとりあっている

聡明な人は、朝日を浴びた露のように新鮮だ
夜空の星々のように新鮮だ
彼の新鮮さ、そよ風のようなその新鮮さは
あなたも感じることができる

聡明さとは、繰り返し繰り返し再誕生する能力だ
過去に対して死ぬことが、聡明さだ
そして、現在に生きることが聡明さだ

あなたは
「ハートの知性は、マインドの知性と
どんな関係があるのですか?」と、尋ねている
それは180度反対のものだ
頭の聡明さなど、聡明さではまったくない
それは知識能力(ノリッジアビリティ)だ
ハートの聡明さこそが聡明、存在する唯一の聡明さだ
頭とは、単なる蓄音器にすぎない
それは常に古い
決して新しくはない
決してオリジナルであることはない
特定の目的のためには、それはいい
ファイリングのためには、完璧にいいものだ
そして人生で、これは必要になる――
たくさんのことを覚えておかなければならないのだから
マインド、頭とは、バイオ・コンピュータだ
その中に知識を蓄積し続けることができ
また必要なときには、いつでも
それを取り出すことができる
それは数学のためなら、いいものだ
計算のためなら、いいものだ
日々の生活のためなら、市場のためなら、いいものだ

しかし、もしそれを自分の全人生だと考えるとしたら
あなたは愚かなままでいることになる
決して、感じること(フィーリング)の美しさを知ることはない
決して、ハートの祝福を知ることはない
すると、あなたは
ハートを通じてしか、降りて来ない優美さを
ハートを通じてしか、入って来ない神を
決して知ることはない
祈りを知ることは決してない
詩を知ることは決してない
愛を知ることは決してない

ハートの聡明さ(インテリジェンス)は、あなたの生に詩を生み出す
あなたの歩調にダンスをあたえる
あなたの生を喜びに、祝祭に、お祭り気分に、笑いにする
それは、あなたにユーモアのセンスをあたえる
それは、あなたが愛することができるように
分かち合うことができるようにする
それが、真の生だ

頭で生きている生は、機械的な生だ
人はロボットになる
――非常に有能なロボットではあるだろうが
ロボットは、非常に有能だ
機会は人間より有能だ
頭を使った方が、たくさん稼げるだろうが
たくさん生きることにはならない
生活水準は良くなるかも知れないが
いかなる生も、生きることにはならない
生とは、ハートのものだ
生は、ハートを通じてしか成長することはできない

愛が成長するのは
生が成長するのは
神が成長するのは、ハートという土壌の中だ
美しいものはすべて
本当に価値のあるものはすべて
意味のある、意味深いものはすべて
ハートを通じてやって来る
ハートこそが、あなたの中心そのものだ
頭は、あなたの周辺にすぎない
頭の中に住むとは
中心の美しさと宝に気つ゛くことなく、周辺に生きることだ
表面に生きることが、愚かさだ

あなたは「愚かさとは何でしょうか?」と尋ねている

頭に住むことが、愚かさだ
ハートに住んで、必要になったら頭を使うことが聡明さだ
だが中心は、主人は、あなたの実存の核そのものにある
その主人こそが、ハートであり、頭はその召使いにすぎない
これが聡明さだ
頭が主人になってハートのことをすべて忘れたとき
それが愚かさだ

それを選ぶのは、あなたにかかっている
いいかね、召使いとしてなら頭は素晴らしいものだ
たくさんの使い道がある
だが、主人としては危険な主人だ
あなたの全生命を破壊し
あなたの全生命を毒することになる
まわり中を見回してごらん!
人々の生は、完全に毒されている
頭によって毒されている
彼らは、感じることができない
彼らは、もう感受性を持っていない
何ひとつ彼らを、ぞくぞくさせるものはない
太陽が昇っても、彼らの中には何も昇らない
彼らは虚ろな目で太陽を見る

空が星々で満たされても……
――驚くべきこと、神秘だ!――
だが、彼らのハートの中では何ひとつ動かない
どんな歌も沸き起こらない
鳥は歌う、が人間は、歌うことを忘れてしまった
空に雲が浮かび、孔雀が踊る
が、人間は、踊り方を知らない
人間は、片輪になってしまった
樹々は花開く……
が、人間は考える、決して感じない
だが感じることなくしては、どんな開花もあり得ない

このひと月の間、ずっと話してきた黄金の花は
あなたの中で、待っている
――何世紀もの間、いくつもの生涯にわたって待っている
いつになったら、あなたはそれに注意を向けて
それが、花開けるようにするつもりなのか?

そして、人は黄金の花にならない限り
ヨギが「一千枚の花びらの蓮華レンゲ」
サハスラーラと呼んできたものにならない限り
あなたの生が開花し
一千枚の花びらが開いて、その香りを放たない限り
あなたはいたずらに
「激情と騒音に満ちた
何の意味もない、白痴が語ったおとぎ話」
を生きることになるだけだ

見守りなさい
よく吟味し、観察して
自分の生をもう一度見直してみなさい
他の誰もあなたを助けてはくれない
あまりにも長く、あなたは他人に寄りかかってきた
あなたが愚か者になったのはそのためだ
今度こそ、気をつけなさい
それは、あなた自身の責任だ
あなたは自分自身に対して、自分の生に対して
自分が何をしているのかを
深く見抜くべき責任を負っている

あなたのハートの中に、何か詩があるだろうか?
もし、それがないのなら、時間を無駄にしてはならない
あなたのハートが詩を紡ぎ、織りなすのを助けなさい

あなたの生に
何かロマンスがあるだろうか、それともないだろうか?
もし、それがないのなら、あなたは死んでいる
あなたはすでに墓の中にいるのだ

そこから出て来なさい!
何かロマンティックなものを
何か冒険のようなものを、生に与えなさい
探検するのだ!
数限りない美と輝きが、あなたを待っている
あなたはぐるぐると回り続けて
決して生の寺院の中に入ろうとしない
その扉こそ、ハートだ

だから私は言う
真の聡明さ(インテリジェンス)はハートのものだ、と
それは知的なものではない
それは感情的(エモーショナル)なものだ
それは考えることには似ていない
感じることに似ている
それは論理ではない
それは愛だ


  "The Secret of Secret" Vol.2, Chapter 8 より 
  September 3, 1978





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