ニューチャイルド

翻訳  スワミ・パリトーショ スワミ・アトモ・スディープ


善悪

”あなたは宗教に関するこれまでの考え方を すべて破壊しようとしているのですか?”

それより他に宗教的になる術スベは存在しない
あなたがこれまでに宗教について
聞いたり、読んだりしたことは
すべて完全に捨て去られなければならない

あなたの意識に何も書き込まれておらず
澄みきった状態にならない限り
あなたが宗教の何たるかを知ることは決してない
宗教と呼ばれるものがしていることは、その正反対だ
そして、その結果は知っての通りだ

全世界が、諸々の宗教に分割されている
シナゴーグへ行く人たちもいれば、寺院に行く人たちもおり
教会に行く人たちもいる
だが、どこにせよ、何かしら宗教的なものに
お目にかかることがあるかね?

どの子供も育てられ、条件つ゛けされる過程で
ある特定の宗教へと染められてゆく
それは人類に対する、最大の犯罪の一つだ
無垢な子供の魂を
その子が生を発見する妨げになるような考えで汚すこと
これより大きな犯罪などあり得ない

何かを発見したいと思った瞬間
あなたは一切の偏見から自由でなければならない
あなたはイスラム教徒として、あるいはキリスト教徒
ヒンドゥ教徒として、宗教を発見することはできない
それは不可能だ
こういったものは、あなたが真の宗教を発見するのを妨げる

これまでずっと、どの社会も
子供たち全員に教義を教え込もうとしてきた
子供は質問できるようになる前から、答を与えられている
その愚かしさが分かるかね?

子供が質問もしないうちから
あなたは子供に答を与えている
あなたが実際にしていることは、子供の中に
質問が湧き起こる可能性そのものを圧殺することだ
あなたは子供の心を答でいっぱいにしてしまった
だが、子供が自分自身の疑問を持たない限り
どうして自分なりの答を得ることなどできるだろう?
この探求はあくまでも
その子供自身のものでなければならない
それは借りることもできなければ、受け継ぐこともできない

だが、このナンセンスは何世紀も続いてきた
聖職者が関心を持ち、政治家が関心を持ち
親達が関心を持っているのは
自分が何者であるかを、当人が発見する前に
子供を何者かに仕立て上げることだ
彼らが恐れているのは
自分が何者であるかを、あなたが発見すれば
あなたは反逆者となり
体制から既得の利益を受けている人たちにとって
危険な存在となることだ
そうなれば、あなたは個人として
借り物の生ではなく
自分の権利に基つ゛いて生きるようになる

彼らは非常に恐れている
だから子供が質問し
尋ねることができるようにならないうちに
子供の心にあらゆるナンセンスを詰め込み始める

子供は非力な存在だ
子供は当然、自分の母親や父親が正しいと信じる
そして父親と母親が信じている聖職者の言うことなら
もちろん正しいものと信じる
疑いという偉大な現象は、まだ起こっていない

そして疑いとは、生における最も貴重なもののひとつだ
なぜなら疑わない限り、発見することもできないからだ

くだらないものを切り捨てて
誰も答えられないような質問をするには
疑う力を研ぎ澄まさなければならない

自分自身で探求し、探し求めてこそ、初めて
そんな問いを発することができるようになる
宗教に関する疑問は
他の人に答えてもらえるものではない
あなたに代わって愛せる人など誰もいない
あなたに代わって生きられる人など誰もいない

あなたは自分の人生を生きなければならず
生に関わる根本的な疑問を自分で追及し
探し求めなければならない

そして自分で発見しない限り
そこには何の歓びもエクスタシーもない

もし神が出来合いで、たんに与えられるものなら
そんな神には何の値打ちもない、無価値と言っていい
だが、それこそ実際にまかり通っている流儀だ

あなたが宗教的な考え方と呼ぶのは
実は、宗教的どころか
何世代も受け継がれてきた迷信にすぎない
――それは非常に長く受け継がれてきたので
  古イニシエの考えというだけで
  本当らしく思えるようになってしまった

アドルフ・ヒトラーは、彼の自伝『我が闘争』の中で
意義深いことを、いくつも述べている
この男は狂っていたが、狂人は時として、正気の人々が
口に出すのをはばかることを言ってのける
ヒトラーの最も重要な発言の一つは、こういうものだ
「どんな嘘でも、何度も繰り返し、再三強調され
四方八方から、みんなに聞かされていれば
本当のことになってしまう」
学校に行き、神の話とお祈りを聞かされる
家でもまた、神の話とお祈りを聞かされる
寺院に行くとまたしても、神の話とお祈りだ
非常にたくさんの人々だ……
そして、年端トシハもいかない幼い子供が
この群集全体と向かい合うことになる

その子が疑いを抱くことなど不可能だ
――この人たちがみんな間違っているだなんて?
しかも彼らだけではない
彼らの両親も、その両親も、何千年もの間
これらの真理が正しいものと信じてきた
彼らが全員間違っていることなどありえない
「人類全体に比べれば
僕は小さな子供にすぎない……」
その子には勇気をふりしぼることなどできない
その子は、あらゆる疑いの芽を抑圧し始める

そして身のまわりの誰もが疑いを抑圧する手助けをする
「疑いは悪魔の仕業だ
疑いは大きな罪、それもことによると最大の罪だ
信じることこそ美徳であり
信じていれば、見いだすことができる
疑いを抱こうものなら
最初の一歩からして、道に迷うことになる」
真理はその正反対だ
信じてしまえば、見いだすことは決してない
そして何であれ、あなたが見いだすものは
自分が信じているものの投影にすぎない
――それは決して真理ではあり得ない

真理が、あなたの信じていることと
何の関係があるというのかね?

疑いなさい、それも、とことん疑いなさい
なぜなら疑うことが、浄化の過程になるからだ
疑いはあなたの心(マインド)から、あらゆるがらくたを一掃する
疑うことによって、あなたは再び無垢になり
両親や聖職者、政治家や教師によって損なわれてきた
子供の姿にたち帰る
あなたは子供の姿を再び取り戻さなければならない
あなたは、その地点から出発しなければならない

したがって、私がここでしようとしていることは
あなたがたの、いわゆる宗教的な考えを
ことごとく破壊することに尽きる

それは、あなたを傷つけることになる
なぜなら、そういった宗教に関する考えは
すっかり、あなたの身に馴染ナジんでしまっており
あなたは、それが自分で発見したものでも
自分で経験したものでもないことを
忘れてしまっているからだ
あなたはそれを身をもって生きたこともなければ
本当にそれを大切に思ったこともない

誰かしら他の者が、あなたにそれを信じるよう強制してきた
そして、あなたに強制したのが誰であれ
その人はあなたに対して
非人間的な仕打ちをしたことになる

私は、その人たちが承知の上で
そうしているとは言っていない
彼ら自身もまた同じ成り行きの犠牲者だ
彼らに対して両親がそうしてきたし
彼らに対して教師たちがそうしてきた
だから私は、彼らに対して
怒りを感じるようにと言っているわけではない
彼らにすれば、あなたにとって
良かれと思ってしたことだった……
その意図だけで良い結果が生まれるわけではない
――その意図だけでは
彼らは、あなたの手助けをしようとしてきた
だが事柄によっては
当人を放っておかなければならないこともあり
そのとき、初めて
その人が発見することができるということが
彼らには分かっていない
当人を手助けしようとすれば
あなたはその人を損なうことになる
誰であれ当人が自力で切り抜けられるうちは
その人に、あなたの手助けを受けるように
強要してはならない

誰であれ当人にも目があるのに
その人があなたの目を通して
見るように強制してはならない
そして少なくとも、誰の目にも
あなたのメガネをかけさせようとはしないでほしい
サイズからして違うのだから
あなたは、その人を盲目にしてしまうことだろう
あなたは、その人の視覚を歪めることになる
だが人々は、他人ヒトにメガネをかけさせるばかりか
自分のメガネをかけさせるだけでは気が済まず
他人ヒトの目の上に、自分たちの目を押しつけている……
しかも彼らがそんなことをするのは
ひとえにその人のためであり
あなたに良かれと思ってなのだ
そして絶えざる条件つ゛けを20年、30年と受け続ければ
あなたは、最初に抱いていた疑問さえ
尋ねたことがないのを忘れることになる

私は非常に創造的だった人物
ガートルード・スタインのことを思い出す
彼女は死にかけていた
友人たちが彼女を取り巻いていた
突然彼女は目を見開き、こう聴いた
「答は何?」
そして友人たちは当惑した
彼女は死を目前にして気が狂ってしまったのだろうか?
正気を失ってしまったのだろうか?
いったい、どんなことを彼女は聴いているのだろうか?
「答は何?」とは

友人のひとりがこう言った
「でもあなたは質問をしていなくてよ
それでは、私たちも答えようがないじゃないの?」

すると彼女はこう言った
「いいわ、それなら、教えてちょうだい
質問は何なの?」
そして彼女は息を引き取った

私に言わせれば、この話には途方もない意義がある
それは、万人に関わることといってもいい
あなたは、自分が質問をしたことがないのを忘れている
しかも、あなたはすでに
答を無理やり詰め込まれている
もちろんそれが単純な条件つ゛けの過程だ……
同じ相手に対して
同じことを繰り返し繰り返し言い聞かせ続ける
その人は、じきに言われたことを
レコードのように繰り返すようになる
そして、その人は自分が
質問をしたことがないことさえ忘れてしまう

もしかすると、スタインは最後の最後で
瑞々ミズミズしい子供時代を取り戻したのかもしれない
それは死に瀕ヒンしている多くの人に起こる
周期が完結し、彼らは
自分が歩み始めた、その同じ地点に戻ってゆく
だからこそ、彼女は「答えは何?」と聴いている
なぜなら、答だけしか与えられていなかったからだ
だが誰も、その質問にとりあおうとはしなかった
そして、いよいよ最後の瞬間が近つ゛いてくるに及んで
誰かが、こう訊いた
「まず質問が何なのか、私たちに言いなさいよ」
――彼女は目覚めた…… だがもう遅すぎた

答がふんだんに与えられ
存在に重くのしかかって、重荷となってしまうと
本物の質問をすることもまた不可能になってしまう
だから彼女はこう聴いた
「いいわ、質問が必要なら、こう聴くことにするわ
『質問は何?』」

私にとって、このちょっとした出来事は
途方もなく意義深いものだ
これこそ万人の人生だ
あなたは神について語り、魂について語り
天国と地獄について語っている
だがあなたは、こう考えてみたことがあるだろうか?
――これらは本当に疑問と言えるか、と?
あなたは本当に関心を持っているのだろうか?
いかなる理由で神を自分の探求の対象にしたのだろうか?

私はジャイナ教の家庭に生まれた
ジャイナ教では神というものを信じない
創造主としての神は存在しない
なぜならジャイナ教の条件つ゛けでは
子供たちに神という観念を強要しないからだ
子供であれ老人であれ、ジャイナ教徒が
「誰が世界を創造したか?」と尋ねることは決してない
なぜなら彼らは幼少時代から、世界は永劫から永劫にわたって
存在する、創造主というものは存在せず
その必要もない、と条件つ゛けられてきたからだ
したがって、そんな疑問は起こらない

仏教徒も「神とは何者で、どこにいるのか?」
という疑問を問題にすることは決してない
仏教では神の存在を信じないからだ
――だから子供たちもそのように条件つ゛けされてきた

あなたは自分が神について尋ねるとき
それが自分自身の質問だと考えている
だが、それは違う
あなたはヒンドゥ教の家庭に生まれたかもしれず
キリスト教か、ユダヤ教の家庭に生まれたかもしれない
そして、彼らがあなたの心(マインド)に
神は存在するという条件つ゛けをしてきた
彼らは神に関する特定のイメージ
特定の考えをあなたに与えてきた
そして彼らはあなたに
疑うことは危険なことだという恐怖心を植えつけてきた

幼い、いたいけない子供が
永遠の地獄を恐れるように仕向けられている
そこでは生きたまま火の中に投げ入れられる
焼かれても死ぬこともできないというわけだ
当然ながら、それほどの危険を犯してまで
疑うことに価値があるとは思えなくなる
さらに、あなたはこんなふうに動機つ゛けられる
信じていれば、それもたんに信じるだけで
人生のあらゆる楽しみ、喜びがあなたのものとなる
信じなさい、そうすればあなたは神の側にいる
疑おうものなら、あなたは悪魔の側にいることになる

幼い子供は
あなたが与える、どんながらくたでも
必ず飛びつく
幼い子供は恐れている
夜、家の中で自分ひとりになることを恐れている
しかも地獄について、こんな話を聞かされている
「そういう子は、暗闇の中をさらに暗い闇の中へ
どこまでも、どこまでも落ちていくことになる
しかも、どこまで落ちても底がなく
そこからは抜け出すこともできない」といった具合だ
当然ながら子供は縮みあがって、疑おうとしなくなる
怖くて仕方がなくなり
疑うことには、それだけの価値がないと思う
そして信じることは、いともたやすい
要求されることなど何もないからだ
――たんに神を信じ、神のひとり子を信じ
  聖なる幽霊を信じていればいい……
  ただイエスが神の息子で
  救い主であることを信じるだけでいい……
  そしてイエスは人類全体の罪をあがなうために現れ……
  彼があなたの罪もあがなってくれることを……

そんなに安上がりに罪をあがなってもらえるなら
結構なことじゃないか?
たいしたことを求められているわけじゃない
ただ信じさえすれば
何もかも都合のいいように納まってくれる

だとしたら、なぜ疑いを選ぶことがあるだろうか?
あなたは当然、信じる方を選ぶ

そして、こうしたことは非常に幼い頃に起こる
――そしてあなたは成長し続け
その上に、信仰や条件つ゛け、観念や哲学が
積み重ねられていく

だから、あなたにもまた
疑いに満ちていた時期があったという事実を
掘り起こし、認めるのは非常に難しい
だが、その疑いはずっと押しつぶされ
目につかないところに押し込められてきた
あなたにも信じようとしなかった時期があったが
言いくるめられてきただけだ
あなたは目の前に
ありとあらゆる御褒美ゴホウビを差し出されてきた

あなたは、おもちゃを与えるだけで
幼い子供を言いくるめることができる
――ましてや、あなたは子供に天国全体を与えた

首尾よく言いくるめて
子供が信じたところで
偉大な奇跡を成し遂げたわけではない
それは単純きわまりない搾取だ

あなたは自分がしていることに
気つ゛いていないかもしれない
あなた自身もまた、同じ過程をくぐらされてきた

そして、ひとたび疑いの扉を閉ざしてしまったら
あなたは理性の扉をも閉ざし
考え、疑問を口にし
尋ねる能力を締め出してしまったことになる
あなたは実際には、もはや人間ではなくなる
疑いの扉が閉ざされてしまったら
あなたは生ける屍シカバネにすぎない
恐怖心や欲望を介して、信じるよう催眠術をかけられ
条件つ゛けされ、言いくるめられてしまっており
こうしたことが仕組まれない限り
正常な子供なら信じるはずもないことを
正しいと信じるようになっている

そして、ひとたび疑い考えることをやめてしまうと
あなたは何でも信じるようになる
そうなると疑問などというものは起こらない
政治家が望んでいるのは、こうなることだ
あなたが特定の宗教の信者なら
あなたをだますのは簡単だ
特定の宗教を信じるのは、だまされやすい証拠だ
それだけで、充分な証拠になる
あなたが教会に行くとすれば、それだけで
充分に、こう証明している
あなたは自分で考え、疑問に思う人でも
議論する人でもなく
論理的、合理的、科学的に証明されない限り
何ごとも納得しない人間でもないことが充分に分かる

あなたがシナゴーグに通い
あるいはモスクに行けば――政治家は満足する
政治家は誰も彼もがシナゴーグか、モスクか
教会に通うようになって欲しいと願っている……
どこに通うかは問題ではない
通うことが大切なのだ
――どこに通おうと同じだからだ

基本的な仕組みと、その策略は変わらない
ヒンドゥ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒
どれであろうと問題ではない
なぜなら、基本的な策略はまったく同じだからだ
その策略とは、疑いの扉を完全に閉ざし
いかなる隙スキも与えないこと
人の心の中を
あらゆる類の信仰でいっぱいにしておくことだ
信仰というものを観察したら、あなたは驚くだろう
人々は、どんなナンセンスでも信じてきた

ひとりひとりの子供たちに自由を与えれば
子供たちは、いわゆる法王やイマームや修道僧といった人々が
まったくの馬鹿に見える状況をつくりだすことだろう
子供たちは、馬鹿という分類に
こういう人たちを数えいれることだろう
ただ、あなたの子供たちに疑うことを許しさえすればいい

だが子供たちは、疑うことを許されていない
そしてひとたび、ある信仰に慣れてしまうと
それは、ゆっくりとあなたの全存在を毒する
そうなると、誰かがその信仰を攻撃しようものなら
その人があなたを攻撃しているような気になる
私はその問題でこれまでずっと、てこずってきた
生涯にわたって私は攻撃し続けてきた

あなたの信仰の体系
あなたのイデオロギーを攻撃しない限り
私は、あなたの手助けをすることができない
私は自分をあなたと分かち合うことができない

そこには壁が、それも厚い壁がある
私は叫び続けることができる
だが、あなたは私に耳を傾けようとしない
私は絶えずその壁を叩き続け
ハンマーを振るって
少なくとも壁に穴を開けなければならない
そうなれば、私があなたを見ることができ
あなたも私を見ることができて
面と向かい合うことができるようになる
そうなれば、私はあなたから奪われてきたものを
蘇ヨミガエらせてあげることができる

私はあなたに無垢ムクな子供時代を
取り戻してあげることができる
そして、そこから初めて本当の真理への探求が始まる
そこから、初めて宗教が可能になる
そうならない限り
あなたは宗教について話しているにすぎない

だからシーラ、それは本当のことだ
私は、あなたが他の人たちから与えられてきた
すべてのたわごとから
完全に自由になってくれるように心から願っている
そして私はあなたに、いかなるたわごとも与えてはいない
だから、私の特異な姿勢を理解しようとしてごらん

だからこそ、私はこれが世界で最初の宗教だと言うのだ

もし、あなたが宗教をヒンドゥ教からキリスト教へ
あるいはキリスト教からイスラム教へ
さもなくばイスラム教からヒンドゥ教へ変えたところで
何ひとつ変化するわけではない
あなたは、うわべだけの言葉を変えているにすぎず
せいぜい服を着替えたぐらいのものだ
それは、あなたの皮膚にさえ触れてはいない
あなたは同じ人間のままだ
もちろん、あなたは古い信仰の体系の代わりに
新しい信仰の体系を信じるようになる
あなたは、その古い信仰の体系に
飽き飽きしていたに違いない
それは、あなたをどこにも連れて行きはしなかった

だが、もしかすると……
キリスト教に効き目がなくても
ヒンドゥ教にはあるかもしれない
イスラム教なら有効かもしれない
だが、それは違う

私は、あなたに新しい教義や信念や
信条やイデオロギーを与えてはいない
私は、あなたに何ひとつ与えてはいない
私の役割はまったく異なっている

私の役割は
何であれ、あなたが身につけたものをことごとく取り去り
その代わりとなるものを、何ひとつ与えないことだ

なぜならもし私が、ある石を取り去って
その場所に別の石を置くとしたら
私は、最初の石を置いた人より
危険なことをしていることになるからだ
最初の石は古くなりつつあり
あなたは、それに飽き飽きするようになっている
それは、あなたに何の滋養ジヨウも与えてくれはしない
石はしょせん石だ
石があなたに、どんな滋養を与えるというのかね?
そして、あなたはその重荷を背負い続け
ゆっくりと、この石を投げ捨てたほうがましだと
気つ゛くようになっているかもしれない

だが新しい石となると、また新たな蜜月(ハネムーン)が始まる
あなたは、この石こそは
然シカるべき石なのではないかと、考えはじめる

私はあなたの信仰にとって代わるような
別の信仰を提供しはしない
私は、ただ破壊するだけだ

私はただ壊すだけだと聞いて
あなたは驚くかもしれない
――私は、あなたに押しつけられてきたものを
  ことごとく破壊したいと願っている
そして、代替する必要のあるものなど何もない
創造性は、あなたに本来備わった潜在能力だ
創造性を作り出す必要などありはしない

ひとたび障害が取り除かれれば
あなたは成長しはじめ、流れるようになる
あなたは自分自身で探求しはじめ
すぐに強さと新しい力を身につける
なぜなら自力で発見したものは、ちょっとしたことでも
思いもよらないほど、途方もない幸福感を
あなたに、もたらすからだ

ほんの小さな発見を自力でするだけで
あなたは別の存在になる
なぜなら、今やあなたの中に真実が生まれたからだ

それは種にすぎないが、始まりに手をつけたことにはなる
あなたは、これまで知らなかったスリルを感じる
そのスリルは、私があなたに信念や
お仕着せの教義、イデオロギーを与えたのでは
得られるはずのなかったスリルだ
だから私は、あなたに何ひとつ与えはしない
私はただ、あなたが持っているすべてを取り去る

私の唯一の役割は、あなたを一人きりにして
自分自身と向き合わせることだ
あなたは両親から、一人きりにさせてはもらえなかった
あるいは教師によって、一人きりにさせてはもらえなかった
僧侶によって、牧師によって
一人きりにさせてはもらえなかった
誰ひとり、あなたを信頼してはくれなかった

私は、あなたを信頼する
彼らはみな、自分のイメージに沿って
あなたを何者かに仕立て上げたがっていた
私は、自分のイメージに合わせて
あなたを何者かに仕立て上げようとは思わない

私はただ、あなたが花開いて
本当のあなた自身になることを望んでいるだけだ

私には、本当のあなたがどんなふうになるのかは分からない
あなたにも、本当のあなたがどんなふうなものかは分からない

なぜなら、それは非常に驚くようなものだからだ
――それは、まるで、あなたが突然にして
無尽蔵ムジンゾウの宝物を見つけたようなものだ
私は、あなたを信頼すると言った
だから、私はあなたにいかなる信念も与えはしない
なぜならあなたには、生を、愛を、笑いを
発見する完全な能力が備わっていることが
私には分かっているからだ

ただ、あなたの上に積まれてきた石ころが
すべて取り除かれなければならないだけだ
そういった石ころに執着シュウチャクしないことだ
それは、あなたの敵なのだから

あなたがユダヤ教徒なら、ユダヤ教があなたの敵だ
あなたがキリスト教徒なら、キリスト教があなたの敵だ
あなたがヒンドゥ教徒なら、ヒンドゥ教があなたの敵だ
あなたが何者であれ
探求せず、捜し求めもせずに
あなたが受け入れてきたものがあれば
それが、あなたの敵だ

「お前とは、さよならだ」と言ってやりなさい
その敵に、こう言ってやるといい
「お前とはこれまでだ、もう私はひとりになりたい
きれいさっぱりとして、重荷をおろしたいのだ」と

そして、あなたは驚嘆キョウタンするだろう
重荷をおろしたとたんに
あなたは自分の翼を広げ
あなたをずっと待ち受けていた
広大な存在の中に、とびこんでゆくことができる

あなたは翼を広げて飛び込んでいくことができる
だが、あなたは来ることができずにいる
なぜならシナゴーグがあなたをつかまえているからだ
寺院があなたをつかまえているからだ
教会があなたをつかまえているからだ
司祭や牧師、聖職者が
どうしても、あなたを放そうとしない
まわりの群集が、あなたの首にまとわりつく
彼らは、あなたを自分たちの集団から出ていかせまいとする

それは彼らにとって、政治的な問題となる
数に左右される政治の問題となる
彼らは、人々が自力で行動するようになるのを恐れている
自分たちは権力を失い、数が減ることを恐れている
彼らは、あなたをそこにとどめておいて
数として利用し
手段として利用したいと望んでいる

そして、覚えておきなさい
いかなる目的のためであれ
人間を手段として利用することは最大の罪のひとつだ

誰ひとりをとっても、その人自身が目的だ
そして、私のここでの働きかけは
あなたが、自分に本来備わった可能性や潜在能力を発見し
究極の目標を見いだすのに手を貸すことだ
それは遠く離れた場所どころか
あなたの内側に存在する
あなたが捨て去らなければならないものは
他の人たちがあなたに押しつけてきた、たわごとだけだ

人々は、私がイエスがしていたこと
あるいは仏陀がしていたことと
同じ働きかけをしていると思っている
モハメッドがしていたこと
あるいはマハヴィーラがしていたことと
同じ働きかけをしていると思っている
だが、そう考える人たちは完全に間違っている

私が、現に行っている働きかけは
ただ、私だけがしているものだ
彼らがしていたことは、私の正反対だ
そして私がしていることは、彼らの正反対だ
そして、あなたがたに対して
はっきりさせておかなければならないことがある
それは、私がこういった人たちの頭を
ハンマーで叩き続けるだろうということだ

注意深くありなさい
訳もなく傷ついてはいけない
なぜなら、私はそうせざるを得ないし
他に方法はないからだ
それは外科手術のようなものだ
私は、あなたを手術台の上に乗せ
本来あなたのものでないものを
いくつか取り除かなければならないからだ
だが、あなたはそれを
自分の手足であるかのように受け入れてきた
だが、それは本来あなたのものではない
それは、あなたを不具にしている
そのせいで、あなたは死にかけている

私は、本来のあなたではないものを
ことごとく取り去りたい
ひとつ残らず取り除きたい……
するとそのとき、爆発が起こる


"The Rajneesh Bible" Discourse 13 より
November 11, 1984





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