ニューチャイルド

翻訳  スワミ・パリトーショ スワミ・アトモ・スディープ


ツァラトゥストラはこう語った
――何が善で 何が悪か

ツァラトゥストラはこう語った

私はここに座して待つ
私の傍カタワらには、古い法の記された砕かれた石版と
半ば書きかけられた新しい法の石版がある
私の時が至るのはいつのことか?
私が下りゆく時、私の下降の時はいつ訪れるのか?
それというのも、私はいま一度人々の許モトに
赴オモムきたいと思っているからである

そのために、私は待ち受けている
私の時が至ったことを教えてくれる
最初の兆キザしが現れるのを
すなわち、鳩の群れを伴った獅子シシが現れるのを
私は待ち受けている

待ち受ける間、私は十分な時間を持つ者として
自分を相手に、語ることにしよう
私に新しきことを語る者が誰ひとりなき故に
私は自分に向かって、自分のことを語ることにする

かつて人々の許を訪れたとき
私は、人々が古きうぬぼれの上に居座っているのを見た
誰もが自分には、人間にとって何が善で何が悪か
久しく前から分かっていると思いこんでいた

美徳についてのあらゆる論議は
古臭くて、うんざりすることと思われていた
そして、よく眠りたいと望む者は
床に就く前に「善」と「悪」についてなお語っていた

私はこの惰眠ダミンを破り、彼らにこう教えた
何が善で何が悪かを知る者はいまだに誰ひとりいない
それを知るのは創造するもののみ!

まことに創造するもののみが独ヒトり
人類の目標を創造し、大地に意味を与え
その前途を決める

創造するもののみが物事モノゴトに
善悪という特性を創り与える

私は人々に、古き教えの講壇をくつがえし
古きうぬぼれの居座っていた場所を
ことごとくくつがえせ、と命じた

私は人々に、有徳ウトクの士や聖人、詩人
救世主たちを笑いとばせと命じた

私は人々に、あの陰気な賢人たち
黒い案山子カカシさながらに生命の木にとまり……
警告を発する者たちを
ひとり残らず笑いのめせと、命じた

そして私はこの連中の「過去」のすべてと
色あせ終わりを迎えんとする彼らの栄光を笑いのめした

まさに贖罪ショクザイを勧める説教師のように、道化師のように
私は、彼らの偉大さと卑小さのすべてに
怒りと哄笑コウショウを浴びせかけた
――彼らの最大の善の何と小さきことよ!
  彼らの最大の悪も何と小さきことよ!
私は、このようにあざ笑った

このようにして、私の聡明なる憧アコガれが
私の内側から叫び声を上げ、哄笑した
この憧れは山中で生まれた、まさに「野生の智慧」だ!
――荒々しく羽ばたく大いなる私の憧れは

そして、しばしば笑いのさなかに
このあこがれは私を高みに引きさらい
遠きところへと運んでいった
そして、そのとき私は一本の矢のように
陽光に酔い痴れた恍惚にうち震えながら飛び去った

まだ誰も夢みたことのない遠き未来へ
いかなる芸術家の夢想も及ばぬほど熱き南国へ
神々が舞い踊り、一切の衣を恥とする地へと――

私は、このように比喩ヒユで語り
ちょうど詩人のように、たどたどしく
どもりながら語るしかない
まことに、これは私の恥とするところだ
いまなお、私が詩人であらざるを得ないとは!

かの地では一切の生成が神々の舞踏であり
神々の気まぐれであると私には思われた
そして、世界が一切の縛イマシめから解き放たれて
本来の姿へとたちかえるところ……

そこでは、一切の時が瞬間瞬間に対する
至福に満ちた嘲アザケりであり
そこでは、必然が自由そのもので
自由の刺トゲを楽しげにもてあそぶように
私には思われた――

そこでもまた
私は古い宿敵の魔物、重力の魔と
それが作り出したすべての産物に出会った
すなわち、強制と教義、必要と結果
目的と意志、善と悪などに……

私はもう一度、人間の許モトに赴オモムきたい
彼らの間で私は没落したい
死にゆく者として
彼らに私のもっとも豊かな贈り物を与えたい!……


ツァラトゥストラはこう語った

フリードリヒ・ニーチェ著『ツァラトゥストラはこう語った』第3部より
ツァラトゥストラが信じる宗教はただひとつ
それは進化の宗教だ
進化が生の宗教であれば、当然のこととして
変化こそ、絶えざる変化こそ
その根本原理でなければならない
すべての宗教は、永久不変の価値に基つ゛いていた
すべての宗教は、その価値を恒久的なものと定めてきた

生は変化し続ける
それらの宗教の価値は、静止したままであるために
実在との接触を失ってしまう
これが、人間の心マインドに途方もない緊張をつくり出す
誰かがこうした価値を受け入れて生きているとしたら
その人は、もはや生の生ける根源と接触を持っていない
かといって、こうした価値を受け入れなければ
その人は罪悪感を感じる
自分が不道徳で、非宗教的だと感じ
すると、恐怖がその人を捕らえる

こうして人間は、生と
いわゆる永遠の価値のはざまで、揺れ動き続ける
どこに身を置いても必ず半身になる
どこにいても惨めな気持ちになる
なぜなら歓びとは、自分の全存在を傾けているときに
はじめて湧き起こるものだからだ

歓びは
全存在を傾けるとき、それに伴う芳カグワしさに他ならない
そして惨めさとは、ばらばらに分割され
断片となってしまったハートの所産だ

ツァラトゥストラにとって唯一不変のもの
それは、変化そのものだ
変化そのものを除けば、あらゆるものが変化し続ける
そして意識の人は、どんな変化にも応えることができる
不変の価値に従うのでなく
油断なく醒めていることによって、意識によって
自発的な判断によって
どんな変化にも応えることができる

ツァラトゥストラのヴィジョンでは
自発的に対応する力が
非常に根本的な役割を果たしている
価値観が不変のものではないとすれば
そのとき、あなたは自分が身を置いている現実に対して
自発的な判断力に身を任せ
そこから自分の価値をひき出すしかない
こうして得た価値は瑞々ミズミズしくて、新しく
しかもあなたは何の罪悪感を感じないで済む

あなたは現在を生きなければならない
5000年前に生きていた人たちは
将来の生活が、どのようなものになるかなど
考えもしなかった
彼らは自分たちの時代に合わせて価値を定めた

例えば、イスラム教は14世紀前に生まれたが
それはアラビアの広大な砂漠で起こった宗教だった
その頃、アラビアでは
女性の数が男性の4倍もいるという問題を抱えていた
なぜなら男たちは絶え間なく戦争を続け
戦いと殺し合いを繰り返していたからだ
その結果、ついには女性の数が男性の4倍に達し
大きな社会問題になっていた
これが、かつてのイスラム教が置かれていた状況であり
モハメッドは自発的な判断に基つ゛いて、これに対応した
モハメッドは、イスラム教徒は誰でも
4人の妻を持ってよろしいと定めた
今では、その状況も変化している
男性も女性も同数になった
この期に及んで
「我々の経典によれば
4人の妻を持つことが
許されているのだから……」と主張し、
それを恒久不変の法律にしようとするのは、愚の骨頂だ

だが、これこそすべての宗教が置かれている状況だ

昔の人は自分たちの時代にふさわしい対応をした
だが時は不変のものではない
生とは、流れゆく河だ
生とは、新しい領域に流れ入り、新たな分野を開拓し
新たな可能性を拓ヒラくものであり
そうした動きに敏感であることだ

過去に合わせながら、現在を生きることはできない
これはツァラトゥストラの基本的な教えのひとつだ
人間は未来を意識し
現在に見合った生き方をしなければならない

そして、覚えておかなければならないことがある
私にとって真実であることが
万人にとって真実であるわけではない
そして、今日の私にとって真実であることが
必ずしも明日の私にとって真実であるとは限らない
私たちの価値観のほうを
生に合わせなければならないのであって
その逆ではない

生を自分の価値観に適合させようとしたとたんに
あなたは生に対して破壊的になる
生に対して否定的になる
そして、生を破壊することは
すなわち自分自身を破壊することだ
そのとき、惨めさがあなたの宿命になる


ツァラトゥストラはこう言っている

私はここに座して待つ
私の傍カタワらには、古い法の記された砕かれた石版と
半ば書きかけられた新しい法の石版がある


生の移り変わるのは非常に速く
あなたがその法則を書きとめた頃には
もうその法則は時代遅れになっている
だからこそ、ツァラトゥストラはこう言っている
「私はここに座して待っており
私の傍らには古い法の記された砕かれた石版があり
それだけでなく、新しい法を書きかけた石版がある」

なぜ書きかけなのか?
それは、書きとめた頃には
その法則がもはや意味をなさなくなっているからだ
人間は、いかなる定式化された法にも基つ゛かず
自発的な判断に従って、生きなければならない
人間は、その全責任を自分の肩に負わなければならない

彼には語ることができない……
それは5000年前にマヌによって書き記されているからだ
4000年前にモーゼによって書き記されており
また
2000年前にキリストによって語られているからだ
それは、その法がよしとされた時代には
正しかったのかもしれない
だが、今ではこうした法制の記された石版は
すべて砕け散っている
そして、新しい石版は書きかけのままだ
新しい法を記した石版が
すっかり書きあげられることは決してない
それが書きあげられた頃には
これもまた古い法を記した石版と同様に
粉々に砕かれ、同じ瓦礫ガレキの山に棄スてられることになる

私の時が来るのはいつのことか?

ツァラトゥストラは「私は待っている」と言っている
何を待ち受けているのか?
彼は自分の時が訪れるのを待ち受けている

私が下りゆく時、私の下降の時はいつ訪れるのか?
それというのも、私はいま一度人々の許モトに
赴オモムきたいと思っているからである

山中に在って孤独のうちに生きることによって
いまやツァラトゥストラのヴィジョンはより明確になり
人間の無知に対する確信も深まった
いま、彼はひとつの可能性を感じている
ことによると、人類の闇夜に自分が何がしかの
光明をもたらすことができるのではないかと感じている

そのために、私は待ち受けている
私の時が至ったことを教えてくれる
最初の兆キザしが現われるのを

ツァラトゥストラは、非常に鋭敏な人間だ
彼は、自分の話が耳を傾けられ
自分が理解される適切な時期を
あくまでも待ち受けるつもりでいる
何によって、然るべき時期が来たことが分かるのか?

ツァラトゥストラには
彼の時が来たことを示してくれる象徴ショウチョウがある

すなわち、鳩の群れを伴った笑う獅子シシが現われるのを
私は待ち受けている

獅子が無垢な鳩たちと共に笑えるようになったとき
私の時が到来する
獅子が無垢な幼な子たちと一緒に遊べるようになったとき
私の時が到来する
ツァラトゥストラの言葉遣ズカいに従って言い換えれば
隷属レイゾク状態に対して反逆を起こすとき
駱駝ラクダは獅子となり
獅子が成長して無垢の境地に達したとき
それは幼な子になる

そして人類が、この無垢に達しない限り
ツァラトゥストラが理解されるのは不可能だ

待ち受ける間、私は十分な時間を持つ者として
自分を相手に、語ることにしよう
私に新しきことを語る者が誰ひとりなき故に
私は自分に向かって自分のことを語ることにする

彼はまさに独りだ、山には彼以外は誰もいない
彼は、自分に向かっていくつかのことを語りかける
それはもしかすると、たんにそれを
より明確に聴くためかもしれない
なぜならまもなく、彼はそれを
人間に語るつもりでいるからだ
彼はそれを練り上げ、研ぎすまし、より筋の通ったものとし
より理解しやすい、人間味のあるものにしようとしている

かつて人々の許モトを訪れたとき
私は、人々が古きうぬぼれの上に居座っているのを見た
誰もが自分には、人間にとって何が善で何が悪か
久しく前から分かっているものと思いこんでいた

これこそ、道徳と善悪に関して
人間が抱いてきた考え方に彼が加える最初の一撃だ
人間は…

古きうぬぼれの上に居座っていた

何が正しくて何が間違っているか
何が善で何が悪かということは
誰もが自分には、もう分かっていると思っている
あなたは、この現象を自分の内側に見ることができるし
外側に見ることもできる

この世界を動きまわってみれば
誰もが自分では知っているつもりでいて
しかも何の疑いも持っていないことが分かる――
なぜなら、そういった古い価値観は
過去の遺産として、その人に与えられたものだからだ
どの世代も自分たちの病を次の世代へと伝え続けている
彼らは、それを叡智エイチと呼んでいる
だが昨日、叡智であったものは
今日は、ただのナンセンスになってしまう

自分の子供に聡明であってほしいと願うなら
彼らに叡智なるものを決して与えないことだ
自分の子供に生に対して明晰であってほしい
その時々の状況と人々に対して
自発的な責任を持ってほしいと願うなら
子供たちに善悪の考えを押しつけて重荷を負わせないことだ
なぜなら子供たちが生きていくのは
あなたの時代ではないからだ……
しかも、あなたには
彼らがどんな時代を生きていくことになるのか
彼らをとりまく状況がどんなものになるのか
見当もつかない

あなたにできることといえば
子供たちの知性をもっと伸ばし
もっと注意深く、もっと意識的にさせることだけだ
子供たちが、もっと愛にあふれ
沈黙していられるようにすることだけだ
そうすれば子供たちが、どこにいても
彼らの感応が、沈黙から生まれてくるようになる
彼らの愛と注意深さから生まれてくるようになる
それが良い結果に結びつく
子供たちに、何が善かを言い聞かせてはならない
ただ、子供たちが違った状況の中でも何が善なのか
自分で発見するための適切な方法を与えなさい

だがこれまでは、その正反対が実情だった
私たちは「これは善で、それは間違いだ」と
言い聞かされている
まるで時が静止して動かず
私たちの価値観が
来キタるべき世代にも通用するかのような話だ

この過去からの条件つ゛けのために、誰もが
自分はすでに知っていると、うぬぼれて生きている
そして、これは最も危険な状況のひとつだ
知りもしないのに、もう知っているとうぬぼれていると
探求と探索へのドアがことごとく閉ざされてしまう
決して疑問を持つことがなくなってしまう
その必要がないからだ
答は、もう分かっている

どの子も、母親の答というミルクにうんざりしている
子供が質問もしていないのに
あなたは、子供に答を与えている
子供が向かい合わなければならないのは
別の疑問だということを、よく肝に銘じておきなさい
その疑問は、あなたが直面せざるを得なかった疑問とも
あなたの父親が直面した疑問とも違う
子供は、時代遅れとなった死んだ答という重荷を
背負わされることになり
こうして、あなたはその子の生を最初から損なってしまう
疑問が生じても、その子はそれに応じた応え方ができず
古い答を繰り返すだけになってしまう
だが、それでは問題を解決したことにならない

幼い少年が父親に尋ねた
「パパ、教えてよ、僕はどこから来たの?」
父親はちょっとまごついた
これから、人間の生殖について
何もかも話さなければならないからだ
だが、彼は勇気を奮い起こした
何しろ、今では教育者たちが
子供たちに話すべきだと言っている
心理学者たちも、子供たちが尋ねたときには
答えるべきだということで、意見の一致を見ている
そこで、父親は説明しようとした
父親は、自分が彼の母親とどんな行為に及んだかを
こと細かに話して聞かせ
彼が母親の子宮で9ヶ月暮らした後で
生まれてきたことを説明した

少年は不思議そうに父親を見て、こう言った
「パパ、なに馬鹿なこと言ってるの?
僕が聞いたことはとても簡単なことだよ
友達のジョニーがニュージャージーから来たって言うんだ
僕も、自分がどこから来たのか知りたいんだ
それなのに、パパの言っていること
すごく馬鹿みたいに聞こえるよ」

私たちは、子供に答を与えようと急ぐあまり
子供が何を尋ねているのか深く確かめてみようとしない
本当に疑問があるのかどうか?
辛抱強い親になるには、待つべきだ
だが、現状は違う
子供は、生まれ落ちるなり
即座にキリスト教徒としての洗礼を受けなければならない
それはつまり、その子にキリスト教が用意している答を
すべて与えてしまうということだ
あるいは、その子供は割礼を受けなければならない
それは、その子にユダヤ教が用意している答を
すべて与えてしまうことだ
さもなければ、その子はヒンドゥ教か
仏教かイスラム教に、入信しなければならない
これらの宗教には、それぞれの儀式がある
だが、それこそが答の始まりだ

誰も子供に何かを尋ねたりはしない
ものを尋ねる時期ですらない
子供には何ひとつ答えることなどできないからだ
彼らは生まれてきたばかりの存在だからだ
子供は言葉も知らないし
この世界のことなど何ひとつ知らない
誰がこの世界を創造したかなど関心もない
「神様って何のこと?」
彼らには何の考えもない

この世界は、答で満ちあふれている
どの人の頭も
真摯シンシな疑問を抱いてもいないことへの答で
いっぱいになっている
だからこそ私は、あなたの知識が が ら く た だという

まず、あなたの中に疑問が生じるべきだ
そして、その疑問はあなた以外の人には応えようがない
その応えは、あなたが自分で見つけなければならない
その応えが、あなた自身の応えであってはじめて
それには真実味がある
誰か他の人によって答が与えられたのだとしたら
その答は古くさくて黴カビが生えたマヤカシだ
自分で探し求めて、はじめて新鮮な応えが得られる……
だが、人々は古い欺瞞ギマンの上に居座っている


誰もが自分には、人間にとって何が善で何が悪か
久しく前から分かっていると思いこんでいた
美徳についてのあらゆる論議は
古臭くて、うんざりすることと思われていた
そして、よく眠りたいと望む者は
床に就く前に「善」と「悪」についてなお語っていた

美徳についてのあらゆる論議は、彼らにとって
余分で、面倒なことと思われている
もちろん、その探求は
古い世代の知識を受け継ぐことほど生やさしくはない
あなたは、その知識が身をもって知ったものではないことを
すっかり忘れてしまう
だが、他人の目でものを見ることはできない
他人の耳で何かを聴くことはできない
そして、他人のハートで感じることはできない

あなたは、誰か他の人の言葉から
真理を学ぶことができると思うだろうか?
応えは否だ
あなた自身の実存が、真理に直面しなければならない……
それはちょうど、あなたが自分の耳で
音楽を聴かねばならないのと同じことだ
自分自身の目で光や花、虹や星を
観なければならないのと同じことだ

だが真理や善、道徳や宗教に関しては
私たちは、自分が他の人々から
条件つ"けを受けるままにしてきた
生における最も重要なものが、ことごとく借りものだ
そして何であれ借りものは、真理ではありえない
真理には、ある根本的な条件が
備わっていなければならないからだ
その条件とは
真理とは、何よりもまず
体験されなければならないということだ

誰も、自分の眠りを妨げられたくはない
古いものを受け入れて
眠るほうが気持ちがいい

探求し、究明しようとすることは
あなたの眠りの妨げになり得る
それは必ずや、あなたの眠りをかき乱すに違いない
なぜなら、それは
あなたをより目覚めさせるものであれ
より深い眠りをもたらすものではないからだ
現在のところ人間は、生の偉大な現象に対して
ほとんど昏睡に等しい状態にある
人間は、ただ受け入れてきただけだ
それは、とてもたやすく、とても安上がりだ
自分の側では何の努力もしなくていいのだから……

私はこの惰眠ダミンを破り、彼らにこう教えた
何が善で何が悪かを知る者はいまだに誰ひとりいない
それを知るのは創造するもののみ!


ツァラトゥストラはこう言っている
「私は人々を不安にさせ、彼らの眠りを破り
彼らの眠気を覚まさせてきた
それは私が彼らにこう教えたからだ
創造するものでない限り
いまだに、誰ひとり
何が善で何が悪かを知りはしないのだと」

創造的な人にならない限り
何が善で何が悪かを知ることはない
なぜ知るためには、創造的な魂が必要とされるのか?
それは何であれ、あなたの創造性を伸ばすものが
善であり、神性であるからだ
何であれ、あなたの創造性を妨げるものが悪だからだ
それ以外に基準は何もない
何であれ、あなたの天性を実現に導くものが善だ
あなたを知恵遅れのちっぽけな存在に
押しとどめているものは、何であれ悪だ

ひとりの人間が、いかに小さな存在だろうと
その人の中には、巨人が眠っている
創造性が、その巨人を目覚めさせる
何かを創造することによって
――音楽、詩、踊り、何でもいい――
何かしらを創造することによって
あなたは宇宙の一部となる
そして宇宙は、常に創造的だ
創造性以外に、宇宙への架け橋はない

もしあなたが、ただ無為に暮らしているだけで
何も創造していないとしたら……
そして一生、何も創造せずに
生活している無数の人がいる
その人たちは、宇宙と調和していない
宇宙と調和していることこそ、善であり健康だ
存在と調和していないということは
悪であり、病んでいるということだ

まことに創造するもののみが独ヒトり
人類の目標を創造し、大地に意味を与え
その前途を決める
創造するもののみがものごとに
善悪という特性を創り与える


ものごとそれ自体は、善でも悪でもない
すべては、あなたにかかっている
あなたが、それをどう使うかにかかっている……
ツァラトゥストラは、それを明確にしようとしている

創造するもののみが独り人類の目標を創造する


自分自身の目標を創り出すことによって
初めて、人類の目標を創造していくことができる
あなたは、目標をめがけて飛んでいく矢であり得る
はるか彼方の星めがけて飛んでいく矢になれる
自分たちが矢のようになれると考えたことがない人たちは
あなたが飛んでいくのを見て
こんなことも可能なのだと思うようになる

創造するもののみが大地に意味を与える


あなたはこの地球に意味を与えてきただろうか?
以前より少しでも美しい地球にしてきただろうか?
生を少しでも優雅なものにしてきただろうか?
樹や山や河に、少しでも愛情を注いだだろうか?
地球の豊かさに――その魅力に、その尊厳に
何らかの点で貢献してきただろうか?
あなたは破壊的だろうか、それとも創造的だろうか?

アドルフ・ヒトラーが邪悪なのは
彼がこの地球から、意義深いものを奪い去り破壊したからだ
ヒトラーは6百万人のユダヤ人をガス室で殺し
他にも何百万という人々を殺した
ガス室に送り込まれた何百万という人々は
わずか数秒のうちに煙になってしまった
そして第二次世界大戦中に全部で5千万人の人々が死んだ
――その責任はヒトラーというたったひとりの男にある
5千万人もの人々が死ぬ原因となった男は同時に
何百万もの未亡人と孤児、何百万もの売春婦
そして何百万もの乞食をつくりだしたに違いない
これが悪のなんたるかだ

だが、ささやかな人間であっても
――誰にも知られず、歴史に残ることはなくても――
薔薇の咲き乱れる美しい庭をつくり
その庭に吹きわたる風が
薔薇の香りを見知らぬ人へと運んでゆくなら
その人は地球に美をつけ加え、地球に意味を与えている
独りギターを弾く男は地球に音楽をもたらしている
ダンサーは、地球に自分のダンスの気品をもたらしている

ツァラトゥストラは
まったく新しい善悪の基準を唱えている
これまで唱えられたいかなる基準より
はるかに偉大な基準だ
それは生に意味を与え、地球に意味を与え
未来に意味を与えることだ

創造するもののみがものごとに善悪という特性を創り与える


あなたが創造者だ
それは、あなたにかかっている
そして私が思うに、邪悪でありたいと願う人は誰もいない
悪という言葉は、ただの比喩ヒユにすぎない
――破壊的でありたい者など誰ひとりいない
  だが、知らず知らずのうちに
  私たちは、多くのものを破壊している

私の庭師のひとりが手紙をよこした
彼は、非常に悲しんでいる
ある一本の樹が枯れていると思い、彼はそれを切った
そして、切ってしまってから
その樹が枯れていないことに気つ゛いた
その樹のいちばん中心の芯は、まだ生きていた
もしかしたら、その樹は新しい葉を出す時を待っており
古い葉を落としただけだったのかもしれない

彼は私によこした手紙の中で、こう書いている

「私はずっと庭師の仕事をしてきて
何千本も樹を切ってきましたが
こんなに気持ちが乱れたことはありませんでした
自分が悪いことをしたと思ったことなど
一度もなかったのに
今日、生きているものを損なってしまい
泣いているところです
わざとやったことではありませんが
そんなことは問題ではありません
その樹は、新しい葉をつけ、再び花を咲かせたことでしょう
その樹は、風を受け、雨に打たれ
日光を浴びてダンスしたことでしょう
それなのに私は、その樹を倒してしまいました
私は、あなたにお詫びしなければなりません
私が、ここで学んだただひとつのことは
生に対する尊厳だからです
そして初めて、自分が生きたものを
損なってしまったことに心を痛めています」

それは、あなたの覚醒の問題にすぎない
創造的になりなさい
そうすれば宗教的になれる
あなたがキリスト教徒であろうと
あるいはヒンドゥ教徒か、イスラム教徒であろうと
そんなことは問題ではない
そんなものは、すべてくだらないレッテルにすぎない
そんなものは、とうの昔に捨てておくべきだった
あなたはキリスト教徒である必要もなければ
ヒンドゥ教徒である必要もない
あなたは、創造者でありさえすればいい
生をもっと意義深いものにし、樹や草に美しさを添え
生に対する尊厳を持ち
愛の波動を身のまわりに及ぼしさえすればいい
これこそ、真の宗教性だ

私は人々に、古き教えの講壇をくつがえし
古きうぬぼれの居座っていた場所を
ことごとくくつがえせ、と命じた
私は人々に、有徳ウトクの士や聖人、詩人
救世主たちを笑い飛ばせと命じた


人類の過去は、ほとんど悪夢に等しかった
最も喜ばしいことは
私たちが未来を変えることができることだ
それを悪夢にせず
人間の心の中の最も美しい願いを実現できることだ
私たちが未来を夢の地にできれば
楽園にすることができれば……
私たちは未来を創造していく過程で
途方もなく報いられることになる
――来世での話ではなく
創造の行為そのものの中で
この惑星を意義深く
美しいものにしていく行為そのものの中で
報いられることになる

私は人々に、あの陰気な賢人たち
黒い案山子カカシさながらに生命の木にとまり
警告を発する者たちを
ひとり残らず笑いのめせと、命じた


いわゆる聖人が、どんな存在だったというのかね?
――陰気臭く悲しげで
  あなたまで陰気で悲しい気分にさせている
彼らは、歌うことを忘れてしまい
あなたが、まだ歌うことができるという理由で、あなたを憎む
彼らは、あなたを罪深き者と決め付ける
彼らは、生を放棄してしまった、そして
あなたがまだ生を営み、愛に生きていることを妬ネタむ
そしてその仕返しに、あなたを罪人呼ばわりするばかりか
あなたを永遠の地獄に投げ込む
――あなたは、そこで永遠に苦しむ
これこそが、いわゆる聖人の姿だ

ツァラトゥストラは正しい
こういった聖人たちは
生命の樹に案山子カカシのようにとまって
こんな警告を発する
「生きるな、愛してはいけない、歌うな
楽しんではならない、踊ってはならない」
それなら、本当に宗教的になりたければ
あなたにできる一番いいことは、死んでしまうことだ
呼吸だけは続けていたいと望んでも
その点を除いては死んでいなければならない
生の兆候は、いささかもあってはならない
一番いいのは
自分の墓穴を掘って、そこに入ってしまうことだ
あなたは数世紀にわたって
偉大な聖者と崇アガめられることになる

こうして自殺志向の人たちが、聖者として崇められ
地球の栄光を担う人たちは、罪人と決めつけられる
だが、これは過去のことだ
現在まで同じである必要はないし
この状況は、未来に向けて必ず変わらなければならない

そして私はこの連中の「過去」のすべてと
色あせ終わりを迎えんとする彼らの栄光を笑いのめした
まさに贖罪ショクザイを勧める説教師のように、道化師のように
私は彼らの偉大さと卑小さのすべてに
怒りと哄笑コウショウを浴びせかけた
――彼らの最大の善の何と小さきことよ!
――彼らの最大の悪もまた何と小さきことよ!

いわゆる聖人たちのどこが偉大なのか
あなたは考えてみたことがあるだろうか?
ある聖人は30日間ずっと断食することができる
――そんなことが創造的なことだと思うかね?
ある聖人は逆立ちしたままでいる
――そんなことが美しいことだと思うかね?
ある聖人は針のベッドで寝ている
――この男が生に意味を付け加えていると思うかね?
世間から山奥の洞窟に逃げこんだ人たちがいる
こういった現実逃避主義者が
何かを創造していると思うかね?
彼らは臆病者だ
彼らは生に直面することができなかった
彼らは失敗を恐れた、打ちのめされることを恐れた
彼らは逃避し、山奥へ逃げ込んだ
そして、最も不思議なことは
あなたたちが、彼らを崇アガめていることだ
あなたたちは、その現実逃避主義者を崇めている

そして、生をより良いものにしようと
闘っている人たちが崇められることは決してない
誰ひとり、彼らに対して感謝しようとさえしない
過去において、諸々の宗教で聖人と呼ばれてきた人たちは
地球に対する余計な重荷でしかなかった
彼らは、人類にやどる寄生虫だった
こんな状況は、これ以上続いてはならない

このようにして、私の聡明なる憧アコガレれが
私の内側から叫び声を上げ、哄笑コウショウした
この憧れは山中で生まれた、まさに「野生の智慧」だ
――荒々しく羽ばたく大いなる私の憧れは

智慧は、いつでも野生のものだ
それは、大学から生まれたものではない
私は、長い間大学生活を送ったが
大学で智慧を身につけた人など観たことがない
確かに知識は豊かになる

学生はコンピュータと化し
――ありとあらゆるナンセンスを記憶する――
だが智慧に関する限り、大学で探しても場違いだ

智慧は野生のものであり
知識は手なずけられたものだ

それにしても、智慧が野生のものだと形容するとき
ツァラトゥストラは何を言わんとしているのか?
彼が言おうとしているのは
あなたは、社会とその桎梏シッコクから
完全に自由にならなければならない
社会から非難されることを
少しも恐れないように
ならなければならないということだ……
なぜなら、それはあなたから
ありとあらゆる尊厳を剥ハぎとるからだ
それは、あなたにありとあらゆる害を与え
生きることさえできなくしてしまう

聡明でありたいと願うなら、知性的でありたいと願うなら
あなたは、反逆者にならざるを得ない
なぜなら、あなたは非常に多くの迷信や
人々が究極の真理と見なしている
非常に多くの愚かしい考えと闘わなければならなくなり
あらゆる人を刺激することになるからだ
あなたは過去から完全に自由になり、人類の全遺産から
完全に自由になることを自分に許さざるを得なくなる
その過程で、あなたの野生が解き放たれる

あなたは自分の足で立つようになる
――外からの支えなど何もなしにだ
あなたは独りになる
だが、そこには大いなる祝福がある
そして、ものごとに対する大いなる洞察がある
そのとき、あなたは社会の桎梏から自由になるばかりか
より大きな生に向かって解き放たれる
より宇宙的な生に向かって
永遠の生に向かって解き放たれる

まさに「野生の智慧だ」
――荒々しく羽ばたく大いなる私の憧アコガれは

知識は重い
知識は重力の法則に従う
智慧は、あなたを軽くする
あなたはとても軽くなり
広々とした空を飛ぶことができる

そしてしばしば笑いのさなかに
このあこがれは私を高みに引きさらい
遠きところへと運んでいった
そして、そのとき、私は一本の矢のように
陽光に酔い痴れた恍惚にうち震えながら飛び去った

野生の完全に自由な知性だけが
矢になる歓びを知っている

陽光に酔い痴れた恍惚にうち震えながら飛び去った

まだ誰も夢みたことのない遠き未来へ
いかなる芸術家の夢想も及ばぬほど熱き南国へ
神々が舞い踊り、一切の衣を恥とする地へと

真に知性的になった人は、何ひとつ隠さなくなる
ひとりひとりの個人が開かれた本のようになる
隠す必要など何もないからだ

あなたがたの衣服は、たんに
体を保護するためのものではない
少なくともその始まりにおいては、そうではなかった
すべての動物、すべての鳥、すべての樹は
衣服をまとわず生きていくことができるし
人間もまた、何千年もの間
衣服をまとわずに生活してきたからだ
今では、衣服を捨てようとしても難しいだろう
なぜなら、体が衣服になじんでしまい
衣服のせいで、なまっているからだ
衣服は体を保護してきたが
何であれ保護されてきたものは弱くなる
衣服は季節の変化から体を保護してきたが
同時に体は衣服に依存するようになってしまった

だが、いつか好きな時に衣服をつけずに
過ごせる時代が来たとしたら
――それは海辺の砂浜でもいいし、山の中でもいい
  美しい森の中でも、自分の家の美しい庭でもいい……
衣服をつけずに舞い踊ってみれば
誠実に生きている人なら
衣服を恥じることだろう

ツァラトゥストラはこう言っている
「神々が舞い踊り
すべての衣服を恥とする時代が必ず来る」と


私はこのように比喩で語り
ちょうど詩人のようにたどたどしく
どもりながら語るしかない
まことにこれは私の恥とするところだ
いまなお、私が詩人であらざるを得ないとは!


なぜツァラトゥストラは自分が詩人であらざるを
得ないことを恥じるのか?
詩は、どんな散文よりも、ものごとを美しく言い表す
だが、その美しさは虚構に基つ゛いているからだ

詩人たちは、あまりにもたくさんの嘘をつく
事実、嘘のない詩はただの散文になってしまう
それにしても、なぜツァラトゥストラは
依然として詩人であらざるを得ないのか?
それは、散文がものごとを言い表す方法では
真理を表現することはできないからだ
散文は、あまりにも現世的だ
それは市場では有効だ
市場で野菜を買うために、詩の言葉で語る必要はない
そんなことをすれば
まわりから気が狂っていると思われるだけだ

だが、真理について語るには
美について語るには、エクスタシーについて語るには
何であれ神聖なものについて語るには
詩をおいて他に手段がない
散文は、あまりにも現世的だ
そして散文を除けば、あとは詩が残されるのみだ

代わりとなる三つ目の手段は何もない
人々は三つ目の手段を試みてきたが
それは、本当のところ三つ目の手段とは言えない
人々は沈黙したままでいて、その沈黙を通じて
意思の疎通をはかろうとした
だが、残念ながら
沈黙を理解できる人を探すのは非常に難しい
そして沈黙を理解できる人は誰の手を借りる必要もない
そんな人は、いずれは自分ひとりで
自分の野生の智慧を見いだすことだろう

したがって、詩とは沈黙と散文の中間にあるものだ
それは、沈黙と散文の混合物だ
ツァラトゥストラが恥じているのは
真理を完全に純粋な形で語ることができないことだ
真理は詩という形式によって汚されざるを得ない

かの地では一切の生成が神々の舞踏であり
神々の気まぐれであると私には思われた
そして世界が一切の縛イマシめから解き放たれて
本来の姿へとたちかえるところ

そこでは一切の時が瞬間瞬間に対する
至福に満ちた嘲アザケりであり
そこでは必然が自由そのもので
自由の刺トゲを楽しげにもてあそぶように
私には思われた

そこでもまた、私は古い宿敵の魔物
重力の魔と、それが作り出したすべての
産物に出会った
すなわち、強制と教義、必要と結果
目的と意志、善と悪などに……

こうしたものは、重力の魔の副産物だ

私はもう一度、人間の許モトに赴オモムきたい

人間が重力の影響のもとに生きており
最も低い価値にしがみつき、死んだものの亡骸ナキガラに執着し
過去に執着しながら生きていることを、よく承知しながら
それでもなおツァラトゥストラは、こう望んでいる

私はもう一度、人間の許に赴きたい
彼らの間で私は没落したい
死にゆく者として
彼らに私のもっとも豊かな贈り物を与えたい!

私もまた死ぬ前に、人間に私の最も豊かな贈り物
すなわち、私の野生の智慧を与えたい

知ってしまった人たちは、自分が知ったことを
知るだけの幸運に恵まれなかった人々に
分かち与えなければならないという使命感を感じる
そして、内なる宝を見いだした人たちは
まだ外側に乞い求めているばかりで
内側に眼を向けない人々に
自分の内なる宝を分かち与えたいと願う

ツァラトゥストラは 死を前にして
彼の最も豊かな贈り物
彼の智慧を人類に与えたいと願った

……ツァラトゥストラはこう語った
 "Zarathustra: The Laughing Prophhet" Session 17 より April 16, 1987







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