ニューチャイルド

翻訳  スワミ・パリトーショ スワミ・アトモ・スディープ



――どうしたら良き親でいられるでしょうか?

――愛する和尚
  先日、競争と私たちの子供時代について
  あなたが話すのを聞いてから
  私自身が受けた教育について考えていました
  私は、まる21年の間を振り返ってみて
  幼稚園の遊技から、学校公認のスポーツ
  ラテン語の文法にいたるまで
  学校行事のどれひとつをとっても
  それは基本的に、いかにして仲間を打ち負かすか
  という訓練であったことを実感しました
  それは、私の人生で最もひどく
  自分を損なった経験だったように思われます
  私には、これ以上に子供を損ない
  身のまわりの世界と調和できなくしてしまう
  確実な方法など思い浮かべることもできません

  どうすれば、このような競争心をあおることなく
  子供たちが、その子自身の潜在的な可能性を
  あますところなく開花させるように
  子供の手助けをすることができるのでしょうか?


子供たちが、まったく競争心を持たずに
成長していく手助けをしようと考え始めたとたんに
あなたは間違った道に踏み出している
あなたが何をしようとしているにせよ
子供たちに特定のプログラムを与えることになるからだ
そのプログラムはあなたが与えられたものとは
違っているかもしれない
だがあなたは、やはり子供を条件つ゛けしていることになる
たとえ、この上なく好ましい意図に基つ゛いているとしても

樹は、誰かが成長の仕方を教えなくても成長し続ける
動物も植物も、全存在も、何のプログラムも必要としない
根本的には
プログラムを植えつけているという考え方そのものが
隷属を生み出している

そして、人間は何千年もの間
さまざまな名のもとに、隷属する人間を作り出してきた
ひとつの呼び方に飽き飽きすると
すぐに別の呼び方を考えて、名前をつけかえた
その条件つ゛けは、2、3はプログラムの修正がなされ
ところどころに変えられた箇所があっても
根本的なところは何も変わりはしなかった
――両親や年輩の人々が
  子供たちに、特定の流儀で生活することを
  望むというそのことは……
  だからこそ、あなたは「どうすれば?」と
  方法論を尋ねている

私に言わせれば
親の役目とは、子供が成長するのを助けることではない
子供は、あなたがいなくても成長する
あなたの果たす役目とは
すでに成長しつつあるものを支えてやり
それに滋養を与え、手を貸すことだ
指示を与えてもいけないし
理想像を与えてもいけない
子供たちに何が正しく、何が間違っているかを
教えてはならない
子供自身に、それを経験させるようにしなさい

子供たちに対して、あなたにできることはひとつしかない
それは、あなた自身の生を分かちあうことだ
子供たちに、自分もまた
親から条件つ゛けを受けてきたことを話しなさい
特定の理想に従い、特定の制限の中で生きてきたこと
そして、こういった理想や制限のために
すっかり生を無駄にしてしまったことを話しなさい
そして、自分はおまえたちの生を損ないたくない
完全に自由でいてほしいと、話しなさい
――親の自分から自由でいてほしいと
  なぜなら子供たちにとって
  あなたは過去そのものを表しているのだから

子供たちに、そう伝えるには勇気がいる
父親と母親には、途方もない愛情が必要とされる
「お前たちは、私たちから完全に自由でいなければならない
私たちに従うのではなく
自分自身の知性に基つ゛いて行動しなさい
たとえ道に迷ったとしても
盲従したまま、いつも正しいことをするより はるかにましだ
自分の考えで行動して間違いを犯し、そこから学ぶほうが
他の人に追従して間違いを犯さないよりはいい
間違いを犯さなかったところで
人に追従する以外は何ひとつ学ぶことにならない
そして、人に追従することは害になるだけだ」

これは、あなたに愛があれば、いともたやすいことだ
私に「どうすれば」と訊かないことだ
「どうすれば」という質問は
手順や方法論、テクニックを求めているということだ
だが、愛はテクニックではない

子供たちを愛し、彼らが自由であることを楽しみなさい
彼らが間違いを犯すままにさせ
どんな点で間違いを犯したのか
自分で理解できるように手助けしてやりなさい

子供たちに、こう言いなさい
「間違いを犯すことは悪いことじゃない
いくらでも、たくさん間違うといい
これこそが、より多くのことを学び続ける方法だからだ
だが同じ間違いを何度も繰り返してはいけない
そんなことをしても、馬鹿になるだけのことだ」

結局これは、私から単純な答を得て済む問題ではない
あなた自身が、瞬間から瞬間へと子供たちと共に生き
些細なことにおいても、彼らに最大限の自由を与え
あなた自身が、応えを見つけ出さなければならない

たとえば、私が子供の頃の話だ……
それは、何百年も前からずっと続いてきたことなのだが
子供たちは、こう教えられる
「早く床に就きなさい、そして朝は早く起きなさい
そうすれば、利口になれる」

私は、父に言った
「僕が眠気も感じていないのに
無理やり夕方の早い時間に寝かせるなんて
おかしな話だ」
しかも、ジャイナ教徒の家庭で夕方早くと言ったら
それは、実に早い時間のことだ
夕食は5時、どんなに遅くとも6時には済ます
そのあとには、何もするべきことなどない
子供たちは、床に就かなければならない

私は父に、こう言った
「僕のエネルギーは、眠りにつく用意ができていないのに
お父さんは、僕を無理やり寝かせる
そして朝には、まだ眠気を感じているのに
僕をベッドから引きずり出す
僕を利口にさせる方法にしては、おかしなやり方だ!
僕には、どんなつながりがあるのか分からない
眠くないのに無理やり寝かされると
どうして僕が利口になるの?
それに僕は、暗闇の中で何時間も横になっているんだ
それは、床に就いていなければ
何かしら使い途があって、有効だったはずの時間だ
それでも、お父さんは無理やり僕を寝かせる
でも、思いどうりに眠れるものではないでしょ
目をつぶったからといって、眠れるわけじゃない
眠気は来るときに来る
お父さんの命令にも、僕の命令にも従わない
だから、僕は自分の時間を
無駄にしていることにしかならない」

「それに朝だって、僕がまだ眠いと感じているのに
お父さんは、朝早く、それも5時に無理やり僕を起こす
そうやって僕を、森へ早朝の散歩に連れて行くけど
お父さんが僕を引きずっているだけなんだ
僕には、こんなことがいったいどうして
僕を利口にしてくれるのか、分からない
お願いだから、僕に説明してよ!」

「それに何人の人が、こんなことをして利口になったの?
ほんの何人かでいいから、利口になった人を見せてよ
僕のまわりには誰もいやしないんだから」

ところで、私はよく祖父と話をした
そして祖父は
そんなことは、まったくのナンセンスだと言ってくれた
家中で、ただひとり誠意のある人が祖父だった
祖父は他の家族が何と言おうと耳を貸さず
そんなことは、まったくのナンセンスだと言ってくれた
「早く床に就いたところで、智慧がつくものではない
私は生涯、ずっと早寝を守ってきた
70年もの間、そうしてきたのだ
それでも、いまだに智慧をさずかってはいないし
これから智慧をさずかるとも思えない!
今となっては智慧を授かるどころか、死期が近つ゛いている
だから、そんな諺コトワザに騙されてはいけない」

私は父にこう言った
「よく考えて
それに、どうか事実を直視して、正直になって
これくらい僕の自由にさせてよ
眠くなったら床に就けばいいし
もうその時間がきて、眠りが去ったと思ったら
起きればいいじゃない」

父は一日思案して次の日、私にこう言った
「いいだろう、もしかすると、お前が正しいのかも知れない
自分に合った眠り方をしなさい
私の言葉よりも、自分の身体に耳を傾けなさい」

原則は、こうあるべきだ
すなわち、子供たちが自分の身体に耳を傾け
自分自身の欲求に耳を傾けるよう、手を貸してやるべきだ
両親がすることは、基本的には
子供たちが溝に落ちないよう、守ってやることだ
両親によるしつけの働きは消極的なものにとどまる

『消極的』という言葉を覚えておきなさい
積極的なしつけではなく、消極的に守るだけだ
何といっても、子供は子供であり
何かしら彼らに害を与え、彼らを損なうものだ
はまりこんでしまうこともありうるからだ
そのときも、子供たちにやめるよう命じるのではなく
説明するだけにしておきなさい
服従を強要してはならない
あくまでも、子供たちに選択させなさい
あなたは、ただ状況の全体を説明するだけでいい

子供は理解力に富んでいる
そして、あなたが子供に敬意を払えば
彼らには、耳を傾ける用意がある
理解する用意がある
そうして、彼らの理解力に任せなさい

それに、そんなことが問題になるのは
最初の2、3年にすぎない
子供はじきに
自分の知性に基つ゛いて行動するようになる
そして、あなたの保護も、まったく必要でなくなる
子供は、じきに独力で行動できるようになる

私には、子供が望ましくない方向に
向かうのではないかという両親の恐れが理解できる
――だがそれは、あなたの問題だ
子供は、あなたの好みにかなうように
生まれてくるわけではない
子供は、自分の生を生きなければならない
あなたは
子供が自分自身の生を生きていることを
喜びとすべきだ
それがどんな生であろうとも
その子は、貧しいミュージシャンになるかもしれないが……

かつて私の知り合いに、ある裕福な男がいて
その男は、大学の入学資格を得た息子に
医者になってほしいと願っていた
だが、息子のほうは音楽にしか興味がなかった
彼は、もはやアマチュアではなかった
その世界では、よく知られており
彼は、どこであれ式典が開かれる場所では
必ずシタールを演奏して、ますます有名になっていった
彼は音楽の研究だけを目的とする大学へ
行きたいと願っていた
ことによると、そこは音楽の研究だけに専念している
世界でただひとつの総合大学かもしれない
しかも、その大学にはあらゆる部門が揃っていた
ダンスの部門があり、さまざまな楽器の部門がある
ただし、その大学の小世界全体が音楽に関係している

父親は徹底的に反対した
彼は、私を呼んだ
なぜなら私は、その息子と非常に親しかったからだ
そして父親は、私にこう言った
「息子は乞食になろうとしている」
というのも、インドではミュージシャンの稼ぎは
たいしたものではなかったからだ
「息子はせいぜい、音楽の教師になるのが関の山だ
どれだけ稼げるというんだ
そんな額なら、うちではたくさんの召使いに支払っている
それに息子は怪しげな者たちと関わりを持とうとしている」
なぜならインドでは、音楽は今でも
売春婦と非常に深い関わりを持っているからだ

インドの売春婦は、他のいかなる国の売春婦とも違う
「売春婦」という言葉は、インドの売春婦を
正当に言い表しているとは言えない
なぜならインドの売春婦は
音楽や踊りに、非常によく精通しているからだ
しかも、インドでは その音楽も踊りも
非常にバラエティに富んでいる
もし、あなたが本当に
音楽や踊りの深い部分を極めたいと思うなら
どこかの有名な売春婦の許に行かなければならない
いくつかの非常に有名なファミリーがあって
それは、ガラナと呼ばれている
ガラナとは、家族という意味だ
それは、通常の家族とは何の関係もない
それは、師弟関係に基つ゛くファミリーだ
したがって、独自の流儀を持った
有名なガラナが、いくつか存在する
同じ楽器を演奏し、同じ踊りを見せるにしても
ガラナによって、別の流儀でそれを演出し
微妙なニュアンスがつけ加えられる
だから、もし音楽の世界に本当に入っていきたければ
その人は、どこかのガラナの一員にならなければならない
そして、ガラナは上品な人たちではない
裕福な人からみれば、とても上品なお近つ゛きとは言えない

だが彼の息子は相手の身分など、どうでもよかった
彼は父親の言うことに従わず、音楽大学に入った
そして父親は、その息子を勘当した
父親は、激怒していたからだ
そして息子のほうは父親に勘当され、他に手だてもなく
――というのも、その大学は人里離れた山岳地帯にあり
そこでは何の仕事も見つけようがなかったので――
その息子は郷里に帰り、父親が予告した通りに
ただの学校教師にならなければならなかった

彼の父親は私を呼んで、こう言った
「そら見たことか、私が言っていた通りだろう
他の息子たちは、技術者になった者もいれば
大学教授になった者もいる
それなのに、あの馬鹿者は私の言うことに耳を傾けなかった
だから、私はあの馬鹿者を勘当してやった
あの馬鹿者が私から相続する金は1セントもない
こうなっては、あの馬鹿も、ずっと学校教師などという
最も貧しい職を続けるしかないだろう」

だが、私の友人自身は途方もなく幸福だった
自分が家族から見捨てられたことも
生涯、貧しいままでいることも
自分が一銭も相続できないことも
少しも気に病んではいなかった

彼は、そんなことで悩みはしなかった
それどころか彼は幸福だった
「家族が僕を見捨てたのは、幸いなことだ
これで、僕はどこかのガラナの一員になれる
かつては、家族が屈辱を感じることを心配していた
でも、こうして家族が僕を見捨てた以上
僕は、家族の一員ではないし
どこかのガラナの一員になることができる」

彼は学校で教えながら、あるガラナの一員となり
今では、インドでも屈指のミュージシャンのひとりだ
問題は
彼が屈指のミュージシャンになったということではない
大事なことは
彼が自分の潜在的な可能性と感じていたことを
実現したということだ

どんな場合であれ、自分の潜在的な可能性に従っていれば
あなたは、いつでも最高の状態でいられる
自分の潜在的な可能性から外れてしまうと
冴サえないままでいるしかない

この社会全体が凡庸ボンヨウな人々で成り立っているが
それには単純な理由がある
誰ひとりとして、その人がそうなるべき
運命にあった存在になっていないということだ
どの人も、何かしら別の存在になってしまった
そうなると、何をしても最高の状態になれない
満たされた気持ちになることもできず
歓びに浸ることもできない

したがって子育てという仕事は
非常に微妙で、しかも大切な仕事だ
なぜなら、子供の全生涯がそれに左右されるからだ
積極的な指示を与えてはいけない
何であれ、子供自身が望む方法で力添えをしてやることだ

たとえば、私はよく木登りをしたものだ
そして、樹の中には、登っても安全な樹がいくつかある
つまり、枝も幹も丈夫な樹のことだ
てっぺんまで登ることさえ可能で
しかも、枝が折れる心配などしなくてもいい
だが、非常に脆モロい樹というのもいくつかある
こんな話をするのも、私はマンゴーや
ジャムヌというマンゴーとは別のおいしい果物を
とるために、よく木登りをしたからだ
家族の者は、とても心配して
私に木登りをやめさせるために、必ず誰かをよこしたものだ

私は父に、こう言った
「僕が樹に登るのをやめさせるぐらいなら
どの樹が危険なのか、僕に説明してよ
その樹は避けるようにするから
そして、どの樹が危険でないか説明しておいてもらえば
僕は、その樹に登ることにするよ

だけど、僕が樹に登るのをやめさせようとすれば
危ないことが起こるかもしれない
僕は間違った樹に登るかもしれない
そしたら、お父さんがその責任を負うことになるよ
木登りをやめるつもりはない
僕は木登りが大好きなんだ」
樹のてっぺんに登り、日差しを浴びながら
強い風に吹かれる、それは最もすばらしい経験のひとつだ
そして、その樹全体がダンスしている
それはとても心を豊かにしてくれる経験だ

私は言った
「僕は木登りをやめるつもりはないから
お父さんがするべきことは、どの樹に登ってはいけないのか
僕にきっちり教えておくことだと思うよ
僕だって、樹から落ちるかもしれないし
骨折したり、怪我したりするかもしれないんだから
でも、お父さんは僕に『木登りをやめなさい』なんて
頭ごなしに命令しないで
木登りをやめるつもりなんかないんだから」
そこで、父は私を連れて街中をめぐり
どれが危険な樹なのか、私に教えなければならなかった
そして、私は父に二つ目の疑問を尋ねた
「この街に、木登りが上手な人で
僕に危険な樹の登り方まで教えてくれそうな人はいないの?」

父は言った
「もうたくさんだ!
今までのことだって、度を越しているんだから
お前が言ったことは、ちゃんと聞き入れたというのに……」

私は言った
「お父さんの言うことは聞くよ
僕自身が言い出したことだから
でも、お父さんが危険だと言う樹の中に
たまらない誘惑を感じる樹があるんだ
だって、その樹にはジャムヌの実が
―インドの果物だ―
なっているし、すごくおいしいんだ
その実が熟れる頃には誘惑に勝てなくなるかもしれない
僕のお父さんなんだから
これは、お父さんの責任だよ
誰か僕の手助けをしてくれる人の心当たりはあるんでしょ」

父はこう答えた
「父親になることが
これほど大変なことだと分かっていたら
私は決して父親にならなかっただろう
――少なくとも、お前の父親には!
確かに、そんな人物の心当たりはあるがね」
――そして父は私を
  稀代キダイの木登りの達人に引き合わせてくれた

その男は樵キコリだったが、非常に高齢なので
樵の仕事ができるとは信じられないほどだった
その男が手がけるのは、あまり例のない仕事だけだった
それは誰でもやってのけられる仕事ではない……
大きな樹があって、その枝葉が家の上に広がっている
――その枝を切り落とすのが、彼の仕事だ
その男は本当の玄人クロウトで、その樹の根を傷めもしなければ
家を傷めもせずに、その仕事をやってのけた
彼はまず、切り落とす枝を他の枝にロープで結び合わせる
それからその枝を切り払うと、その枝はロープで
他の枝に引き寄せられて、家から離れたところで
下に落ちていくという仕掛だ

それにしても、彼は大した年齢だった
だが他の樵にはできない仕事でも必ず、彼はやってのけた
そこで、父はこの男にこう伝えた
「この子に何かしら教えてやってほしい
とくに折れる可能性のある
危険な樹のことなんかについて頼む」
樹の枝は折れることがある
そして私もそれまでに2、3回樹から落ちたことがあった
私の脚には、今でもその傷跡が残っている

その老人は私を見て、こう言った
「今まで誰ひとり来たことはないし
こともあろうに、父親が息子を連れて来るとはねえ……!
これは危険な仕事だが、息子さんが大好きだと言うなら
こちらも是非とも教えてやろうという気になるよ」
そしてその男は、どうすれば危険な樹に
何とかして登ることができるかを私に伝授した
彼は私に、どうしたら上手に自分の身を守ることができるか
ありとあらゆる秘訣を教えてくれた
樹の高い所まで登って、下に落ちないようにしたければ
まず最初に、その樹の十分に丈夫と思われる箇所に
ロープを使って、自分の体を結びつけなければならない
それから、さらに高い所へ登るようにする
そうすれば、もし落ちても
ロープで樹からぶら下がるだけで、地面まで落ちないで済む
そして、この教えは本当に私の役に立った
それ以来、私は樹から落ちたことがないからだ!


父親や母親の役割は非常に大きい
彼らは新しい客人を、この世界に送り込もうとしている
しかも、その客人は何も知らず
それでいて、何らかの潜在的な可能性を宿している
そして、その潜在的な可能性が開花しない限り
その客人は、幸せにはなれない

どんな親でも、子供が不幸せなままでいるとは思いたくない
親は、子供の幸せを望むものだ
たんに彼らの考え方が間違っているにすぎない
両親は子供が医者になれば、あるいは大学教授か技術者か
科学者になれば、幸せになれるだろうと考える
だが、彼らには分かっていない!
子供たちが幸せになれるとすれば、それは
彼らがそうなるべく生まれてきたものになる場合だけだ
子供たちは、自分の中に
種として宿しているものにしかなれない

だから、可能な限りあらゆる手を尽くして
子供たちに自由を与え、機会を与えるようにつとめなさい
ふつう、子供が母親に何か訊くと
母親は、子供が言っていることを聴こうともせず
子供が訊いていることにノーとしか答えない
「ノー」というのは権威のある言葉だが
「イエス」のほうはそうではない
だから、父親も母親も
その他の何らかの権威の座にある人たちも
どんな些細な事柄に対しても、イエスと言いたがらない
子供は、家の外で遊びたがる
だが「ノー」だ
子供は雨が降っているのに、外に出て
雨の中をはね回りたがる
だが、それに対しても「いけません! 風邪をひきます」と言う
風邪は癌ではない
だが、雨の中で躍らせてもらえなかった子供は
二度とそんな経験をする機会もなく
非常に大切で美しいものを逃すことになる
風邪をひいても、それだけの価値はあったかもしれない
――それに、子供が必ず風邪をひくというわけでもない
  それどころか、子供は手厚く保護されればされるほど
  ますます、ひ弱になる
  より大きな自由を与えておけばおくほど
  子供には免疫力がつく

親は、イエスと言うことを学ばなければならない
ふつう、親がノーと言う場合の99パーセントまでは
たんに権威を誇示するためでしかない
誰もが一国の大統領になれるわけではないし
何百万という人々に権威を振るえるわけでもない
だが誰でも、夫となり
妻に対して権威を振るうことならできる
どんな妻でも母親となり
子供に対して権威を振るうことはできる
どの子も、縫いぐるみを持っており
縫いぐるみの熊になら、権威を振るうことができる
縫いぐるみの熊なら、部屋の隅から隅へと蹴とばして
たっぷり平手打ちを食わせてやることができる
その平手打ちは
本当は、母親か父親にお見舞いしたいと思っていたぶんだ
そして、哀れな縫いぐるみの熊にはその下がいない
これが権威主義社会というものだ

私が言っているのは
自由に満ちあふれ
「イエス」という言葉は聞き慣れていても
「ノー」という言葉はめったに聞いたことがない子供たちを
生み出していく過程で
権威主義社会は消え去っていくということだ
私たちは、もっと人間的な社会に住めるようになる

したがって、これは子供だけの問題ではない
この子供たちが、明日の社会となっていく
三つ子の魂百まで、という諺のとおりだ

"Beyond Psychology" Chapter 23 より April 23, 1986 Evening

”死んだら、みんなどこに行くの?”

ダルシャン日誌――和尚との対話

1977年8月26日より

”私に何か言うことがあるかね?”
と、和尚がガルジャンに尋ねる

ガルジャン:
何ヶ月か前から
この子はあなたに質問できる機会を待っていました
あなたに訊いてくれと言うのです
この子は、”死んだらみんなどこに行くのか?”
教えてもらいたがっています

和 尚:
それは非常にいい、カルーナ! うむ

子供はみんな死に興味を持つ
それは自然な好奇心のひとつだ
しかし、それに答えるより――
つまり、答えはすべて偽りになってしまうからだが……

ガルジャン:
私は、一度もこの子に答えたことがありません

和 尚:
そう、決して答えてはいけない
ただ自分は知らない、死んだらわかるだろう
と言いなさい
そして、自分が知らないことについては、すべて
ごくさりげない、暗黙の了解にしておいたらいい

自分が知らないことを子供が訊いたら
自分の無知を認めなさい
無知を認めることが
子供に良くないかもしれない、と思うことはない
そんなことは決してない
親は常に、自分が知らないと認めれば、それが害になる
子供の前で自分の面子メンツが立たない、と考える
だが実際は、ちょうどその逆だ
遅かれ早かれ、子供には
あなたが本当は知らないのに答えたことが
それもまるで
自分がさも知っているかのように答えたことがわかる
そして、それがわかったとき
子供は、あなたが騙していたと感じる
するとそのとき、すべての尊敬が消え失せる
遅かれ早かれ、子供は自分の両親も
他のみんなと同じように、無知だということ
他のみんなと同じように、無力だということ
他のみんなと同じく、暗中模索しているのだということ……
だが知っている ふり をしたのだ、と気つ゛かざるを得ない
だから、ふり をすることは非常に破壊的だ
だから、自分が知らないことがあったら
「私にはわからない
私はそれを探し求めているところだ」と応えなさい

そして、死とは
ひとつのこと以外、何も言うことができないものだ
それは、私たちが家に帰るのだということ
私たちが、やって来たと同じところに行くということだ
私たちは、そのどちらも知らない
私たちは、ある未知の源からやって来て
その未知の源へと戻って行く
死こそ、その円の完成だ
だがその両端、始まりと終わりは、神秘の中に隠れている

それはちょうど
小鳥がひとつの窓から部屋に入って来るようなものだ
しばらくの間、そこで羽ばたいて
もうひとつの窓から外に出て行く
私たちは、その鳥が部屋の中にいる時のことしか知らない
私たちは、それがどこから来るのか知らない
私たちは、それがどこへ行ったのか知らない
私たちが知っているのは
小鳥が部屋の中にいたその短い時間、その間のことだけだ
私たちは、小鳥がひとつの窓から入って来るところを
そして、もうひとつの窓から出て行くところを見た
どこから来たのか、あるいは、どこへ行くのかは知らない

そして、これこそが全人生の状況だ
私たちは、子供が生まれて来るのを見る
小鳥が入って来た
――どこからかは、誰も知らない

それからある日、ひとりの人間が死ぬ
小鳥は飛び去った
そして人生とは、誕生と死の間のことに過ぎない
……小さな一節だ

子供が、その神秘に気つ゛くようにしてやりなさい
答を与えるよりは
むしろその子に
まわり中にある神秘的なものに気つ゛かせた方がいい
子供がより多くの畏敬の念を
より多くの驚きを感じ始められるように

無味乾燥な答をあたえるよりは
むしろ探求を生み出した方がいい
子供がもっと好奇心を持つように、手伝いなさい
子供がもっと探求するように、援助してやりなさい
答を与えるより
むしろ、子供がもっと質問をするように仕向けなさい
子供のハートが探求するようになったら
それで充分だ
それが、両親が子供にしてやれるすべてだ
そうなったら、子供はその子自身のやり方で
その子自身の応えを探し求めるようになる
決して答をあたえてはならない

それは、いくつもの時代を通じて私たちが行ってきた
最も危険なことのひとつ、最大の災厄のひとつだった
――解答をあたえるとき
  私たちは非常に傲慢ゴウマンであるということ
  まったく謙虚さをなくすということ、だ
私たちは、生が未知のままであるということ
――'X'のようなものだということを忘れている
私たちは、それを生きてはいるが
未知のままだ
私たちはその中にいて、しかもそれは未知にとどまる
その不可知性こそが、根本的なものであるらしい
私たちは、たくさんのことを知るが
その不可知性は同じままだ――触れられることがない
人間は知識において大いなる進歩をとげた
毎日たくさんのことが知られている
何千という研究論文が人類の知識に付け加えられ続け
何千冊という本が加わり続けている
しかし、それでも根本的なものは同じだ
根本的なものの前には、私たちは謙虚であり、無力だ

だから彼女が、もっともっと
その神秘を感じるように仕向けてやりなさい、ん?

"The No Book"より August 26, 1977



”子供たちが、自分の本来の顔(オリジナル・フェース)を
守り通すことができるようにしてやるには
どうすればいいのでしょうか?”

どんな子供でも、その本来の顔(オリジナル・フェース)は、神の顔だ
もちろん、私が言う神とは
キリストの神でも、ヒンドゥ教の神でも
ユダヤ教の神でもない
私の言う神とは
ある種の神格でさえなく、ただ臨在するものだ
それは花というより、むしろ芳香のようだ
それは感じることはできても、つかむことはできない
それに圧倒されることはあり得ても
所有することはできない

私の言う神とは、客観的な対象、そ こ ではない
私の言う神とは、あなたの主観そのもの、こ こ だ
私の言う神は、「それ」という言葉で
指し示すことなど、絶対にできない
神を指し示すことができるのは、「これ」という言葉だけだ

私が自分で体験し、心に抱いている神は
シナゴーグや寺院、モスクで探すことはできない
ヒマラヤ山脈や、修道院で探すことはできない
神はそこにはいない
神はいつでも、こ こ にいるからだ
だが、あなたがたは神を そ こ に探し続けている

私が、どんな子供でも
その本来の顔は、神の顔だと言うとき
私が言っているのは
神とは、生と、存在と同じ意味だということだ
何であれ、存在するものはすべて
神性を帯びており、神聖だ
そして、神以外には何ものも存在しない

神は量ではなく、質として理解されるべきものだ
あなたは、それを測ることはできない
あなたには、神の彫像を作ることはできない
神を描くことはできない
そのような意味では、神は完全に非人格的だ
そして生まれてすぐの、生の根源そのものから
やってきたばかりの子供たちの顔を見れば
あなたは、そこに
名つ゛けることのできないある種の臨在を感じるだろう
それは名つ゛けることも、定義することもできない

その子供は生きている
あなたには、その子供の生気を
定義することはできないが、それはそこにある
あなたは、それを感じることができる
それは非常に圧倒的であり
あなたが、どんなに盲目であっても
見逃すことなどありえない
それは瑞々ミズミズしい
あなたは、子供のまわりに立ちこめる
その瑞々しさを嗅ぐことができる
その芳香は徐々に、徐々に消えてゆく
そして不幸にして、その子が成功して
名士になってしまったら
――大統領か、総理大臣
あるいは法王にでもなってしまったら――
その同じ子供が今度は悪臭を放つようになる

その子供は、かつては測ることも定義することも
名つ゛けることもできない
途方もない芳香を携えて生まれてきた
子供の目をのぞき込んでごらん
これより深いものなど見つけることはできない
子供の目は深い淵だ
その目には底がない
残念なことに、社会が子供を破壊してゆく過程で
子供の目はたちまち、うわべだけのものになってしまう
何層にも及ぶ条件つ゛けのために
その深み、子供の目のとてつもない深みは
とうの昔に消え去っていたということになる
だがそれこそ、その子供の本来の顔だったのだ

子供は何も考えない
子供が何を考えるというのかね?
考えるためには過去が必要だ
考えるためには問題が必要だ

子供には過去がない、子供には未来しかない
子供は、まだ何の問題も抱えていない
子供は問題とは無縁だ、子供が考えることなどあり得ない
何を考えるというのだね?
子供には、意識はあるが思考はない
これが子供の本来の顔だ

hajimeta



かつては、これがあなたの顔でもあった
そして、あなたは自分の本来の顔を忘れてしまっているが
それは依然として、あなたの内側にあり
いつの日か、再発見されるのを待っている
私が再発見される、という言葉を使っているのは
あなたがたが、過去生において
何度も、それを見いだしていながら
繰り返し繰り返し、それを忘れてしまっているからだ

おそらく、この生においてさえ
あなたが、あとほんの少しのところで
自分の本来の顔を知り、それを感じ
本来の顔そのものであり得た瞬間が何度かあったはずだ
だが、私たちの前に世間というものが立ちはだかっている
世間の引力は大きい
――そして、それは千と一つの方向にあなたを引っ張る
それによってまちまちな方向に引っ張られているために
あなたはバラバラになってしまっている
人々が自分を何とか一つにとりまとめて
過ごしていく様は奇跡に等しい
それに失敗すれば、片手は北へ
もう一方は南へ行こうとしていて
頭は天をめざすことになるに違いない
各部分が四方八方に飛び散ることになる

あなたが自分を何とか一つに
保ち続けていく様は奇跡という他ない
あらゆる方面からの圧力があまりにも強いので
手も足も頭も飛ぶことができずにいるだけかもしれない
あなたは、いたる方面から圧迫されている

私はいつでも見かけるたびに…… なぜか知らないが
人々は私に、次々と素晴らしい文鎮を送ってくる
――私のところには一枚も紙はない
私が文鎮を何に使うというのかね?
もしかすると、彼らは
私の名前で出た本が、何百冊もあるのだから
私の身のまわりには大量の原稿があって
部屋中が紙だらけに違いないと思っているのかもしれない

とにかく、次々に文鎮が送られてくる
そして、文鎮が送られてくるたびに
私は、すぐあなたたちのことを思い出す
あなたは、強い風の中を
紙のように飛んでいてよさそうなものなのに
たくさんの文鎮があなたを押さえつけ
あなたに、自分はひとりの個人だという考えを与えている

あなたはひとりの個人ではない
――あなたは大勢から成り立っている
そして、あなたの存在のこの多数性のうちに
その寄せ集めのうちに、あなたの本来の顔は失われる

たとえあなたが、たまたま
自分の本来の顔に出会ったとしても
あなたには、それが自分の顔だと分からない
それは見知らぬ顔に見える
あなたは何かの拍子に
ときどき自分の本来の顔と出会っているかもしれない
だがあなたは”やあ”と声をかけることさえしない
それは見知らぬ人のようであって、内側の深い部分で
見知らぬ人に向かい合うときに必ずつきまとう
ある種の怖れを感じるせいかもしれない

あなたは私に、どうすれば
子供の本来の顔を守ってやれるかと尋ねている

あなたは直接には何もしなくていい
何であれ直接に為されることは妨害になる

あなたは、何もしないでいる術(アート)を学ばなければならない

それはとても難しい術(アート)だ
それは子供の本来の顔を守り、救ってやるために
あなたがしなければならないことではない

何であれ、あなたがすることは
子供の本来の顔を歪ユガめることになる
あなたは何もしないでいることを学ばなければならない
子供の邪魔をしないように
遠ざかっていることを学ばなければならない
あなたは大変な勇気を持たなければならない
子供に好きなようにさせておくことには、危険が伴うからだ

何千年もの間、私たちは、子供を好きなようにさせておけば
野蛮人のようになってしまうと聞かされてきた

だがそれは、まったくのナンセンスだ
こうして、あなたの目の前に座っている私を
あなたは野蛮人だと思うかね?
しかも私は自分の両親の干渉を受けずに生きてきた
もちろん私の両親の苦労は大変なものだったし
あなたも大変な苦労を背負うことになるだろう
だが、苦労するだけの価値はある

子供の本来の顔は非常に貴重なものであり
どんなに苦労しようとそれだけの価値がある
それは値のつけようがないほどに貴重なもので
あなたが、どんな代償を払う羽目になったとしても
まだ安上がりなくらいだ
それでもなお、あなたは
それを、ただ同然で手にいれようとしている
そして、あなたの子供が、本来の顔を損なわれることなく
かつて彼がこの世界に携タズサえてきたと同じ美しさを備え
同じように無垢ムクで、澄み切っていて、喜びにあふれ、陽気で
生き生きしている姿を認める日の喜びを考えたら……
あなたはそれ以上に何を望むというのだね?



あなたは子供に何も与えることができない
あなたには奪うことしかできない
もし本当に子供に贈り物をしたいのなら
あなたにもできる贈り物がひとつだけある
それは、干渉しないことだ
危険を覚悟で、子供が未知なるものに踏み込み
道なき道を歩んでゆくのを許すことだ
それは難しいことだ
両親は非常な不安に襲われる
子供の身に何が起こるとも限らない

この不安ゆえに、両親は子供のために
特定のパターンをつくり始める
この不安ゆえに、両親は子供を
特定の方向、特定の目標に向けて方向つ゛け始める
だが、彼らには自分たちの不安のために
子供を圧殺アッサツしつつあるということが分かっていない

こうして育った子供が
無上の喜びを味わうことは決してない
そればかりか、あなたに対して
感謝の気持ちを抱くことも決してない
その子供はあなたを恨む気持ちを
いつも抱いているようになる

ジグムント・フロイトは
この問題に対して鋭い洞察をしている
フロイトはこう言っている
「どの文化でも、父親に対して敬意を払う
父親は尊敬されるべきだという考えを標榜ヒョウボウし、広めなかった
文化はこれまで地上に存在しなかったし、今でも存在しない」
ジグムント・フロイトはこう言っている
「このような父親に対する敬意が生じたのは
有史以前の時代には
父親が子供たちに殺されるということが
あったからに違いない
それは子供たちにとっては、父親によって
不具にされないためにであったにちがいない」

奇妙な考えだが、非常に意義深いものがある
フロイトに言わせれば、父親に対して敬意が払われるのは
罪悪感によるものであり、この罪悪感が何千年にもわたって
伝えられてきたのだという
どこかで……と言っても歴史上の事実ではなく
深遠な神話としてだが、その若者たちは自分の父親を殺し
殺してしまってから悔いたに違いない
当然のことだ……それは自分の父親だったのだから
だが父親は若者たちが惨ミジめな思いをするような状態に
追い込んでいた

若者たちは父親を殺した
そして殺してしまってから、それを悔いた
そして、今度は恐怖から
父親や祖父といった先祖の霊を崇拝しはじめた
彼らが幽霊となって復讐しにこないとも限らないからだ
そして徐々に、徐々にそれは
年長者に敬意を払う慣習となっていった
だが、なぜだろう?

私はあなたがたに
子供に対して敬意を払ってもらいたいと思う

子供たちは、あなたがたが
可能な限りのあらゆる敬意を払うに値する
彼らはとても瑞ミズミズ々しく、とても無垢ムクで
神に近い質を持っているからだ
狡猾コウカツで悪巧ワルダクミみにたけ、偽りに満ちている腐敗した人々を
年老いているというだけの理由で
誰彼なく尊敬するよう子供たちに強いるのはやめにして
子供たち自身に敬意を払い始めるべきだ

私はこの現状を完全に逆にしたいと思っている
子供に対して敬意を払いなさい
彼らの方が、より源に近い
あなたは遠く離れてしまった
彼らは、まだオリジナルだが
あなたは、すでにコピーになってしまっている

それに、子供に敬意を払うことによって
どんなことが可能になるか、あなたは理解しているだろうか?
そのとき、愛情と敬意を通して
あなたは子供が間違った方向に行くのを防ぐことができる
それは、恐れからではなく
あなたの愛情と敬意を通して可能になる

私の祖父のことだが……
私には祖父に嘘をつくことができなかった
なぜなら彼は私をとても尊敬してくれていたからだ
家族全員が私に敵対しているときでさえ
少なくとも祖父だけは頼りにすることができた
祖父は、私に不利な申し立てなどいっさい意に介そうとせず
こう言ってくれたものだった
「この子が何をしたかなど、どうでもいい
本当にそうしたのだとしたら、それは正しいに違いない
私はこの子を知っているが
この子が間違っていることなどあり得ない」

そして、祖父が私に味方したとなれば
他の家族は全員引き下がらざるを得なかった
私は祖父に何もかも話した
それに応えて祖父はこう言ったものだ
「何も心配することはない
何であれ自分が正しいと感じたことをしなさい
他の誰に決められるというんだね?
お前の置かれた状況があり、お前自身の立場があるのだから
お前にしか決めようがない
何であれ自分が正しいと感じたことをしなさい
それに、お前の味方ができるように
いつでも私がここにいることを覚えておくんだよ
私はお前を愛しているばかりか、尊敬しているんだからね」

祖父の私に対する尊敬は、私が受けた最大の恩恵だった
祖父が死にかけているとき
私は80マイルほど離れたところにいた
祖父は私に、もういくらも時間がないから
急いで来るように知らせてきた
私は急いで飛んでいった
2時間のうちに私は祖父のところについていた



祖父はひたすら私を待っていたかのようだった
彼は目を見開いてこう言った
「お前が私のところに着くまではと思って
なんとか息を続けようとしていた
ひとつだけ、お前に言いたいことがある
私は、もうここにいてお前を助けてやることはできないが
お前には助けが必要になることもあるだろう
だが、覚えておきなさい
私がどこに行こうと、私の愛と尊敬はお前と共にある
誰も恐れることはないし、世間を恐れてはいけない」

これが祖父の最後の言葉だった
「世間を恐れてはいけない」

子供たちに敬意を払いなさい
彼らがものごとを恐れないようにさせなさい

だが、あなた自身が恐れでおっぱいだったら
どうして子供たちが
恐れを知らないようにしてやれるだろうか?

自分が子供たちの父親であり
お父さん、あるいは
お母さんであるというだけの理由で
あなたに対する尊敬を子供たちに強要してはいけない

そんな姿勢を変えて、敬意を払うことによって
子供たちがどんなふうに変わっていくか観ていてごらん

子供たちに敬意を払えば
彼らはあなたの言うことに
もっと注意深く耳を傾けるようになる
子供たちに敬意を払えば、彼らはもっと気をつけて
あなたと、あなたの気持ちを理解するようになる
そうならざるを得ない

そして、あなたは
決して子供たちに無理強いすることがなくなる
こうして、子供たちが理解することを通して
あなたが正しいと感じ
あなたに遵シタガうのであれば、彼らが本来の顔を失うことはない

本来の顔は特定の道を歩むことによって
失われるのではない
それは、子供たちが強制されることによって
自分の意に反して無理強いされることによって失われる
子供たちを愛し、敬意を払うことによって
彼らがこの世界をもっとよく理解していくための
大きな力になってやることができる
彼らがもっと油断なく、醒めていて
注意深くなるための手助けをすることができる

生とは実に貴重なものであり、それは存在からの贈り物だ
私たちは生を無駄に費やすべきではない

私たちは死んでゆく、その瞬間
自分は、より良い世界、より美しく、より優美な世界を
あとに残していくのだ、と言えるようになるべきだ

だが、それは私たちが
自分の本来の顔
この世界に生まれてきた時と同じ顔のまま
この世界を去っていく場合にしか実現できない

"From Darkness To Light" Session 6 より March 5, 1985

あるスーフィーの話

ある婦人がスーフィーの神秘家を非常に慕っていた
そして彼女は自分の一人息子のことを
とても心配していた
彼女は、その子が生きがいだった
父親は死んでいた
その男の子が彼女の命であり
息子には、ひとかどの人物になって欲しかった

その少年は
甘いものや、あらゆる良くない食べ物が大好きだった
彼女としては、できるだけのことはやってみた
周囲の誰もが、先生も、教会の牧師も
みんな試みたが
少年は彼らの忠告など、いっさい聞こうとしなかった
彼は甘いものを食べ続けた

彼は一人息子だったので
母親はついに折れて
その子が望むものを与え始めた
そうしないと、子供は腹をすかせたままだった
それでも彼は
食べたくないものは何も食べようとしなかった
彼は食べたいと思うものしか、食べるつもりはなかった
しかもそれは健康に良くない、栄養にならない
将来問題を引き起こすような食べ物だった

例のスーフィーの神秘家がその村にやって来た
母親はいい機会だと思った
あの方なら、まわりに
途方もない強力なオーラを放っていらっしゃる
おそらく、あの方なら
この馬鹿な息子の気持ちを変えて下さるに違いない
彼女は男の子を連れて行った……
息子の助けになるかもしれないと思えば
誰のところにも連れて行っていたので
それは、ほとんど毎度のことになっていた
少年はいやいや
ひどく逆らいながらも、ついて行った
それはもう彼の自尊心の問題になっていた

その婦人がスーフィーのマスターに状況を話すと
彼はこう言った
「これは勘弁してもらわなければならんな
この素晴らしい少年に、今は何も言えない
私は年寄りだ、70歳にもなる
私がこの子に何かを言うためには
少なくとも2週間はかかるだろう」

婦人は彼の言葉が信じられなかった
誰だって、どんな馬鹿でも喜んで忠告をしてくれた
ところが
非常に多くの信者に慕われているこの偉大な神秘家が
息子に
「君には許してもらわなければならない
せっかく来てくれたが、今は君に忠告できない
少なくとも私には2週間が必要だ」と言うのだ

少年は初めて、しぶる気持ちを、抵抗を捨てた
初めて彼は尊敬された
尊厳ある人間として受け入れられた
その場で、たやすく非難はされなかった
しかもその老人は本当に心配してくれた
何か自分に重要な忠告をしてくれようとしている
彼には少なくとも2週間は必要だと言うのだ
母親は完全にショックを受けた
この偉大な神秘家がこんな些細なことについて
小さな子供に忠告できないなどということが
信じられなかった
しかしどうしようがある?
彼らは2週間待たなければならなかった

2週間後再び彼女はやって来た
今度は少年もとても嬉しそうについて来た
実際、速く日が経たないかと
心待ちにしていたのだ
彼は、もう一度あの神秘家に会いたくて
日を数えていた
「あの人は、お母さんがこれまで
僕に会わせた人たちとは全然違うね」
母親は驚いた
なぜなら息子はいつも抵抗し、嫌がっていたからだ
彼は自分の意志に背いて
むりやり連れて行かれたのだ
――ところが今度はこんなにも熱心になっている!
彼は2週間も待つのがつらかった
その2週間が2年にも思えた

ついに、その日が来た
そして朝早く、少年はシャワーを浴び
服を着替え、支度を整えた
母親は、「何をそんなに急いでいるの?」と尋ねた

少年は応えた
「僕はあの人に会いたいんだ
あの人は、僕が尊敬したたったひとりの人なんだ」


ふつう、他人に忠告することとは一種の侮辱でしかない
――それはこう言っているのだ
  私は知っているが、お前は知らない
  私が導く者で、お前は導かれる者だ
  私が教える者で、お前は教えられる者だ、と
それは他の人を卑イヤしめることによって
ある種のエゴイズムを楽しむことだ

彼らは出かけ、そして母親はまず尋ねた

「息子についてお伺ウカガいする前に
なぜ2週間もかかったのか知りたいのですが
――これはそんなにも大きな哲学的問題でしょうか?」

神秘家は言った
「哲学的問題なら、私は即座に応えただろう
だが、これは実存的な問題だ
私は70歳で、彼は7歳に過ぎない
私はこの少年の十倍も生きているのに
まだ甘いものが大好きなんだよ
自分で甘いものを食べている限り、私には何も言えない
この2週間、私は甘いものを食べないでみた
どうなるか観ようと思ったのだ
私の忠告は自分自身の経験に基つ゛くものだ
甘いものは悪いという単なる一般的意見ではない
それはいけない物なのかもしれないが
もし70歳の私が止められないようなら
それを小さな少年に期待するのは……
私にはそんな忠告はできない

少年は非常に感動した
あの年齢の年寄りが2週間もわが身を苦しめたのだ
そして彼は少年にこう言った
「息子よ、これはとても難しいことだ
私は何とか甘いものを止めた
そして、これからの生涯も、もう止めることにした

――だが君に忠告するとなると
  私は少し心許ココロモトない感じがする
君はまだ幼い
大好きな甘いものをやめるのは大変なことだろう
だから君に、そういう考えを押しつけるのは
ほとんど暴力的な
君の個人的権利を犯すようなものだ
だから私に言えることは
甘いものをやめるのは、いいことだし
健康的なことだけれども
非常に難しいということだけだ
それはひとつの挑戦課題だ
君は自分で
それに挑戦する用意があるかどうかを決めたらいい
私は残る人生、甘いものを食べるのをやめることにした
だから今初めて私には
君も、それをやめることができると
権威を持って言うことができる
だがそれは確かに難しいことだ
君はその挑戦に対して
冒険に向かって準備ができているかな?」

少年は応えた
「僕は今すぐにやめます
そして一生食べません
もし、あなたがやめることができたのなら
僕だってやめられるはずです
あなたは、そんなに年寄りなのに
僕はこんなに若いのだから
だんだんあなたは弱くなっていく
でも、僕はもっともっと強くなります
僕は挑戦します
心配しないでいて下さい」

母親はそこで起こっていることが信じられなかった
それは奇跡だった
少年が老人を
「僕は大丈夫です」と説得しているのだ

「私の感じだが
君も、2週間考えてからにしてみてはどうかな……」
と老人は言った

「いいえ
僕は今、あなたの前で
あなたの祝福を受けて、この場でやめます」
と、少年は応えた

"The Invitation" Session 12 より August 27, 1987 Morning





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