ニューチャイルド

翻訳  スワミ・パリトーショ スワミ・アトモ・スディープ


内なる子ども

”愛する和尚 遊び心について話していただけますか? 私がお願いするのは 私の中に、もう長いこと私が無視してきた 美しい小さな男の子がいるからです この小さな男の子は遊び好きで 好奇心に満ち、歓喜に満ちています けれども、私はたいてい 彼が自制心を失うのを許しません どうぞコメントしてください”

アナンド・ゴーゴー(Gogo)
遊び心とは、人間の中で最も抑圧されているもののひとつだ
あらゆる社会、文化、文明は、遊び心に反対してきた
なぜなら
遊び心のある人間は、決して深刻にならないからだ
そして人は深刻にならない限り
支配されることはあり得ない
彼に野心を持たせることはできない
彼に権力を、金を、地位を、求めさせることはできない

誰の中でも、決して子供は死なない
大人になったからといって、その子は死ぬわけではなく
その子供はそのまま残っている
かつてのあなたは
今でもそのままあなたの中にある
そして最後に息を引き取るまで、あなたの中に存在し続ける

だが社会は常に、深刻でない人々を恐れる
深刻でない人々は、金や政治権力に対する野心を持たない
彼らは、むしろ存在を楽しむ
だが存在を楽しむことが
地位をもたらすことはあり得ない
人を権力者にすることはあり得ない
その人のエゴを満たすことはあり得ない
ところが、人間の世界はすべて
エゴという観念のまわりを回っている
遊び心はエゴに反する
――試してみれば気がつくはずだ
ちょっと子供と遊んでみれば
自分のエゴが消えていくのが分かるはずだ
自分が再び、子供になっているのが分かるだろう
それは、あなたについてだけでなく
誰についても言えることだ

自分の中の子供を抑圧してきたために
人は自分の子供を抑圧することになる
自分の子供が踊ったり、歌ったり
叫んだり、跳びはねたりするのを許す者はいない
ほんの些細な理由で
――多分、何かが壊れるかもしれないとか
外に飛び出したら雨で服が濡れるというような――
そんな小さなことのために
大いなる霊的資質、遊び心が完全に破壊される

従順な子供は、両親にも、教師にも、誰にでも褒ホめられる
そして、いたずらっ子は非難される
その子の遊び心は、まったく何の害もないかもしれないが
そこに反逆の危険があるという理由で、その子は非難される
もし子供が、遊ぶための完全な自由を持って成長し続けたら
その子は反逆者になるだろう
彼は簡単には隷属しようとはしない
彼は、人を殺すため、あるいは自分が殺されるために
たやすく軍隊に入ったりはしない

反逆的な子供は、反逆的な若者になる
そうなったら、彼に結婚を強制することはできない
彼に特定の職業を押しつけることはできない
そうなったら、両親の満たされなかった欲望と憧アコガれを
成就するように、その子を強制するわけにはいかない

反逆的な若者は、自分自身の道を進む
彼は、他の誰の理想に合わせるのでもなく
自らの内奥ナイオウの願望に従って、自分の生を生きることになる

反逆者は、基本的に自然だ
従順な子供は、死んでいるも同然だ
それゆえ、両親は非常に幸せだ
その子が常に支配の下にあるからだ

人間は不思議な病にかかっている
人間は他人ヒトを支配したい
――他人を支配することで
  自分のエゴが満たされる、自分が特別な者になれる
そして、自分自身もまた他人に支配されたい
――支配されれば、もう自分に責任はないからだ
これらすべての理由のために
遊び心は、最初の最初から窒息させられ、押しつぶされる

あなたは、こう言っている
「私の中に美しい小さな男の子がいます
その子のことを、私は長いこと無視してきました
その小さな男の子は
遊び好きで好奇心に満ち、歓喜に溢れています
けれども、私はたいてい
彼が自制心を失うのを許しません」と

その恐怖は何だろう?
その恐怖は他人によって植えつけられたものだ
つねに制御の下にとどまりなさい
つねに規律の下にとどまりなさい
つねに年上の者を尊敬しなさい、と
聖職者や、両親や教師たちの言うことに
いつも従いなさい、と
「お前にとって何が正しいかは、私が知っている」と

あなたの本質は
けっしてその本音を言うことを許されない

ゆっくり、ゆっくり
あなたは死んだ子供を自分の中に運び始める
このあなたの中の死んだ子供が
あなたのユーモアのセンスを破壊する
あなたは心から笑うことができない、あなたは遊べない
あなたは人生の小さなものごとを楽しむことができない
あまりにも深刻になるために
あなたの人生は広がるどころか、むしろ縮小し始める

私はいつも、なぜキリスト教が
世界最大の宗教になったのか不思議に思ってきた
そして繰り返し、繰り返し
それは十字架と磔ハリツケにされたイエスのためだ
という結論に達した
あんなにも悲しげで、あんなにも深刻そうな……
当然のことだ
十字架上のイエスに
微笑みを期待するわけにはいかない
そして無数の人々が
自分と十字架上のイエスの間に類似性を見いだしたのだ

その深刻さ、その悲しさこそ
キリスト教が、他のどの宗教よりも大きく広がった理由だ

私は、私たちの教会や寺院、モスクやシナゴーグが
深刻でない、もっと遊びに満ちた
笑いと喜びに満ちたものになってほしい
そうなれば、人類に
もっと健康で、完全で、統合した魂がもたらされるはずだ
私はあなたに踊ることを、歌うことを、遊ぶことを教える

生は、一瞬一瞬が貴重な創造性であるべきだ
何を創造するかは問題ではない
それは海辺の砂の城であってもいい
だが、あなたが何をするにせよ
それは、あなたの遊び心と喜びから出てくるべきだ



あなたの子供を死なせるべきではない
その子に栄養をあげなさい
そして、その子が
統制から飛び出すことを恐れてはいけない
その子が、どこに行けると言うのか?
そして、たとえその子が飛び出したとして
――だから、どうだと言うのかね?

コントロールから飛び出したところで
あなたに何ができるだろう?
あなたは狂人のように踊ることができる
狂人のように笑うことができる
あなたは狂人のように飛び跳ね
走ることができる……
人はあなたが狂ったと思うだろうが
それは彼らの問題だ
もし、あなたがそれを楽しんでいるのなら
もし、あなたの生が、それによって栄養を得られるのなら
それが残りの全世界にとって問題になろうと構わない

大学の頃、私は非常に朝早く
3時か4時頃に散歩に出かけた
私の家のすぐ脇には
竹薮タケヤブの蔭になった小さな通りがあって、ひどく暗かった……
そして、そこは散歩には最高の場所だった
というのも
そこで人に会うことは、めったになかったからだ……
金持ちの家の番人が私を見ていただけだ
だが、ある日
――これこそまさに
統制から飛び出す、と言ってもいいかもしれないが――
通りをジョギングしている私に
後ろ向きに走ってみたら面白いのではないか
という考えがひらめいた
インドでは、幽霊は後ろ向きに歩くという迷信がある
それにどのみち、通りには誰もいなかった……
そこで私は、後ろ向きにジョギングを始めた
その日はひどく涼しい朝で
私は、それをとても楽しんでいた

そのとき牛乳屋が、たまたま私を見かけた
小さな村から、牛乳を持って来る人たちがいた
彼はその日いつもより少し早く来ていた
つまり、それまで彼は一度も私を見かけたことがなかった
ミルクの入ったバケツを運びながら
彼は突然、私を見た
私は竹薮の蔭になっていたに違いない
だから彼がその木陰に近つ゛いたとき
――そこには月の光を受けた小さな場所があった――
私が突然後ろ向きにジョギングしながら現われた
彼は「ワー!」と叫んで、バケツを落として逃げ出した

それでも、まだ私は
彼が私を恐がったのだとは気つ゛かなかった
何か他のものを恐がったのだと思っていた
そこで私は、バケツを二つ手に取って……
牛乳はもうこぼれていたのだが
バケツだけでも返してやるべきだと考えて
彼の後を追いかけた
私が駆けて来るのを見て……
私は、人間があんなにも速く走るのを見たことがない!
どんな競技に出ても
あれなら世界チャンピオンになれたに違いない
私は非常に驚いた
私は「待ってくれ!」と叫んだ
すると彼は後ろを振り向き、何も言わずに……

この光景を、あの金持ちの門番がずっと見ていた
彼は私に
「あんた、あいつを殺しちまうよ」と言った
私は
「バケツを返そうとしているだけだ」と言った
彼はこう言った
「ここにそのバケツを置いていったらいい
日が昇ったら、あの男が来るだろう
しかし、あんなことをしては駄目だよ
ときどき私だって、恐くなるときがある
ただ、私は知っているから平気なだけさ
もう何年もあんたがこの通りで
奇妙なことばかりやっているのを見ているが
ときには、私だって恐くなる
後ろ向きにやって来るのが本当にあんたなのか
それとも幽霊なのか分かりゃしないぞ、って思うよ
門を閉めて中に入るときだってある
あんたのために、私はいつも拳銃に弾タマを込めているんだ」
私は言った
「ひとつ理解しておくべきだね
もし僕が幽霊だったら、あなたの拳銃は役に立たない
鉄砲の弾では、幽霊は殺せない
だから、そんなものは使わない方がいい
幽霊はそんなものは平気なんだから
でも、もしそれが本物の人間だったら
あなたは殺人で捕まることになるよ」
「なるほど幽霊なら、どうなるかまでは考えなかった……」
そして私の目の前で、彼は拳銃の弾を全部抜いた
「時と場合で、あんまり恐ろしくなったら……
誰かを撃ち殺してしまうかもしれないからな」と彼は言った
私は言った「ちょっと僕の方を見た方がいい
まず僕が本当に人間か
それとも幽霊なのかを確かめた方がいい
あなたは拳銃の弾を抜いているけれど
今あなたを説得しているのは幽霊かもしれないよ!」
「何だって……?」と彼は言った
そして、彼は拳銃に弾を戻し始めた
「このバケツ二つ、預かっておいて欲しいな」と私は言った
私はその町のそこには、ほぼ6ヶ月いた
そして毎日のように、その門番に
「あの男は来たかい?」と尋ねた
「まだ来ていない」と、彼は答えた
「二つのバケツはまだあの男を待っているけど
あいつは、もう来ないと思う
どこかに移ってしまったか
でなきゃ、すっかりおびえて
二度とこの通りには来ないかだ
私が非番のときは、もうひとりの門番が来るんだ
そいつにも、もし誰か来たらって言ってあるんだが……
それにバケツは門の前に置いてあるんだから
それが、あることは分かるはずだ
しかし6ヶ月も経つのに、あの男は姿も見せない」
「それはまた不思議な話だね」と、私は言った
彼は言った「何も不思議じゃないさ
あんたが暗闇から突然出て来たら
誰だって驚いて死んでしまうかもしれない
どうして後ろ向きで走っていたんだ?
ジョギングする奴はよく見かけるけど
後ろ向きでやるってのは……」
「ジョギングしていて
いつも前向きに走るのに飽きたのさ
ちょっと気分を変えるために
後ろ向きにやってみたんだ
まさか、あの日あの馬鹿が来るなんて
思わなかったからね」

その通りでは誰にも会わなくなった
あの男が噂を広めたに違いない
そして、噂は野火のように広がったのだろう
私が住んでいる家の家主でさえ
その通りの噂を聞いていた
家主は私に、「朝早く散歩に行くのは止めた方がいい
日が昇ってからにしなさい
あそこで幽霊を見た者がいるんだから」と言った
「誰がそんなことを言いました?」
「女房から聞いたんだが、近所中が知っている
夕方8時を過ぎたら
あの通りは空っぽになるんだ」

私は彼に言った
「信じないかもしれませんが
あそこには幽霊なんかいませんよ
実は、後ろ向きにジョギングしていたのは僕なんです」
「私を馬鹿にしてはいけない」と、彼は言った
「僕と一緒に来てみるといいですよ
朝の3時には誰もいないから」と私は言った
彼は言った
「どうして私が
そんな危ないことをしなくちゃならないんだ?
それから、ひとつだけ言っておくがね
もし君が行くのをやめないんなら
君には、この家を出てもらう
君はここに住めなくなる」
私は言った
「これはまた奇妙な話だ
たとえ、あの通りが幽霊でいっぱいだとしても
どうして僕に、この家を出て行け、なんて言えるんです?
そんなことを僕に強制はできない……
あなたは僕に受け取りを出している
それに裁判で
幽霊がジョギングしている通りに出かけるから
なんて理由を言い立てるわけにはゆきませんよ
そんな理由を受け付ける裁判所が
あるとは思えませんね」
と言うと
「君は私を裁判に引っ張り出すつもりかね?
君がそう言い張るんなら、この家にいてもいいよ
私がここを売ることにする
私がこの家を出て行くよ」
「しかし」と私は言った
「僕は幽霊じゃないんですよ」
「それは分かっている
しかし幽霊と仲間になっているんだろ?
いつか幽霊の誰かが
君についてこの家に来るかもしれない
それに私には女房もいれば子供もいるんだからね
危ない橋は渡りたくないよ」
と、彼は言った

ここでは、あなたは何も恐れる必要はない
後ろ向きにジョギングしたらいい
それにたとえ、あなたが本物の幽霊だとしても
誰ひとり、あなたのことなど気にしない
もし、あなたがここで
自分の遊び心を許せないとしたら
世界中どこに行っても、それはできない

遊び心を全面的に許しなさい
それを統制(コントロール)から出してやりなさい

そして、いったん、あなたの子供が本当に生き生きとして
あなたといっしょに踊り始めたら
それは、あなたの生の香りそのものを変えることになる
それは、あなたにユーモアのセンスを
素晴らしい笑いを与える
そして、あなたの頭でっかちを壊してくれる
それは、あなたをハートの人にするだろう

頭の中に住んでいる人間は、まったく生きてはいない
ハートに生きる人間だけが
そして頭には理解できない歌を歌う人間だけが
外側の状況とは
どう見ても、つり合わないダンスを踊る人間だけが……

自分の豊かさから
自分が溢れているからこそ……
あなたは踊り、歌い
そして叫びたいほどのエネルギーがある……
だったら、そうしなさい!

そうしたら、あなたはもっと生き生きする
それはあなたに、生の何たるかを味わう機会を与える

深刻な人間は、死ぬ前から死んでいる
死ぬずっと前に、彼はほとんど死体になっている

生はあまりにも貴重な機会だ
深刻さの中に、それを失うべきではない
深刻さは、墓場用にとっておくといい
深刻さは、墓場の中に倒れ込ませたらいい
最後の審判の日を待ちながら、深刻にさせておけばいい
墓場に行く前に、死体になることはない

孔子のことを思い出した
孔子の弟子のひとりが
無数の人々が尋ねた典型的な質問をした
「死んだ後起こることについて
何か言っていただけますか?」
孔子は
「そういうことは
死んで墓場に行ってからじっくり考えたらいい
今はまず生きなさい!」と言った

生きるべきときがある
そして死ぬべきときがある
それを、ごっちゃにしてはいけない
さもなければ両方を取り逃がすことになる

今はまず、全身全霊で強烈に生きなさい
そして死ぬときが来たら、全身全霊で死ねばいい

半身で死んではいけない
片目だけ死んで
もう片目で辺りを見続けていたり
片手だけ死んで
もう片手で真理を探し続けていたりしてはいけない
死ぬときは全面的に死になさい……
そして死が何かを、じっくり考えたらいい

だが今は、まず
この瞬間を生きなさい
ずっと先のことを考えて時間を潰してはいけない

子供は強烈に、また全面的に生きることを知っている
そして恐れることなく、統制(コントロール)から抜け出すことを

この寺院(テンプル)の中ではいかなる禁止もなく
あなたは自分自身であることを許されている
私は世界中がこうなってほしい
これはほんの始まりに過ぎない

ここで、一瞬一瞬を全身全霊で
強烈に、喜びに満ちて
そして遊び心をもって、生きることを始めなさい
そうすれば、何ひとつ
羽目(コントロール)が外れたりしないことが分かるだろう

あなたの聡明さはより研ぎすまされ
あなたは、より若くなり
愛がより深まることが分かるはずだ
そして世間に出たら、あなたがどこへ行こうと
生を、遊び心を、喜びを、できるだけ遠くまで広げなさい
――この地球の隅から隅まで

もし全世界が笑い、楽しみ、遊び始めたら
大いなる革命が起こる
戦争は、深刻な人々が作り出すものだ
殺人は、深刻な人々が犯すものだ
自殺は、深刻な人々がするものだ
精神病院は、深刻な人々でいっぱいになっている

深刻さが人間にどれほどの害をなしたか
を観てとったら
あなたは自分の深刻さから飛び出すはずだ
あなたの中で遊ぼうと、歌って踊ろうと待ち構えている
自分の子供を許すだろう

私の宗教のすべては、遊び心で成り立っている
この存在は、私たちの故郷(ホーム)だ
これらの樹々、そして星々は
私たちの兄弟であり、姉妹だ
これらの海や川や山は、私たちの友人だ

この途方もなく親しげな宇宙の中で
あなたたちは石仏のように座っている

私は、石仏になることは説かない

私は、あなたたちに踊る仏陀になってほしい

仏陀に従う者たちには、気に入らないだろうが
しかし私は、誰が何を考えようと構わない
私が気にするのは真理だけだ
もし真理が踊り方を知らないとしたら
それは片輪になっている

もし覚者(ブッダ)が笑う能力を持たないとしたら、何かが欠けている
もし覚者が
子供たちの仲間になっていっしょに遊べないとしたら
その人はブッダフッドの近くには来ていても
まだ全面的には覚醒してはいない
何かが眠っている

日本には九枚続きの絵があって
その絵には、途方もなく深い意味がある

一枚目の絵の中で、ひとりの男が自分の牛を見失う
――彼は、あたりを探し回っている

  そこは木立に囲まれた深い森だ……
  だが牛は影も形もない
二枚目の絵で、男は牛の足跡を見つける
三枚目の絵では
――牛はどうやら樹の蔭に姿を隠しているらしい
  牛の尻の部分だけが見えている

四枚目では、男はほとんど牛に手が届きそうになる
――そして牛は全身を現している
五枚目では、男は牛の角を捕らえる
六枚目では、男は牛と格闘する
七枚目では、男は牛を征服する――彼は牛の背に乗っている

八枚目では、彼らは家に向かっている
九枚目では、牛は牛舎に入り、男は笛を吹いている

これらの九枚の絵は一枚を欠いている
それらは中国から来たものだ
そして中国でのひと組みには、十枚の絵がある
それが日本にもたらされたとき
十枚目が捨てられた

ひどく法外なものに見えたからだ
――そして、その十番目が私のブッダだ

その十枚目の絵の中では
牛は牛舎につながれ
その覚者(ブッダ)は、酒壺を持って町に出ている
日本人のマインドは、これではあんまりだと思った
酒壺を持った覚者では、人がどう思うだろう?と
これは普通の宗教的マインドにとっては法外だが
私に言わせれば
このシリーズで、これこそが最も重要な絵だ
それがなければ、このシリーズは不完全だ
ブッダフッドを達成したら
そのとき、人はごく当たり前の人間になるはずだ

酒壺を持って町に出るというのは象徴的だ
それが意味するのは
つまり、もう座って瞑想する必要はないということだ
瞑想は、すでにハートの中にある
今や深刻になる必要はない
見つけたかったものは、見つけた

今度は、楽しむときだ
その酒壺は喜びの象徴だ
今や祝祭のときだ!

そして、街以外のどこで祝うことができるだろう?
瞑想のためなら
森の中、山の中に入って行けばいい
しかし祝うためには
街に出なければならない

ディスコを見つけに、あなたならどこに行くかね?

いつでもこの十番目の絵を覚えていなさい
九枚目で止まってはいけない
九枚目は素晴らしいものではあるが、まだ不完全だ
もう一歩がある……
ただ笛を吹くだけでは足りない

酔っぱらいなさい!
そして、狂ったように踊るがいい!

そしてゴーゴー、あなたには素晴らしい名前がある
――あなたが何をしようと
  ゴーゴー(Gogo)ならぴったりだ

"The Rebellious Spirit" Session 17 より February 18, 1978

"Beloved Master, Why childlikeness aompared to meditation ? "
”愛するマスター、なぜ子供のようであることは瞑想と比較されるのでしょうか?”

Garimo, 
When a man is reborn only then understands 
what is the beauty and the grandeur of childhood.

ガリモ
人は生まれ変わって初めて
子供の美しさと、その偉大さを理解する

The child is ignorant:
hence he is unable to understand 
the tremendous innocence that surrounds him.
Once a child becomes aware of his own innocence, 
there is no difference between the child 
and the sage.
The sage is not higher 
and the child is not lower.
The only difference is, 
the child knows not what he is 
and the sage knows it.

子供は無知だ
それゆえに
自分を取り巻く、その途方もない無垢を
子供は理解することができない
ひとたび子供が自分自身の無垢に気つ゛いたら
子供と賢者の間には何の違いもない
賢者がより高いわけでもなく
子供がより低いわけでもない
唯一の違いは
子供は自分が何者であるかを知らず
そして賢者は、それを知っているということだ

I am reminded of Socrates.
in his very last moments of life 
he said to his disciples, 
"when I was young "
I used to think I knew much.
As I became older, as I knew more, 
a strange thing started happening, 
an awareness that 
knowing more is bring me to knowing less.
And finally, when the Oracle of Delphi declared 
Socrates to be 
the wisest man in the world...
the people of Athens were very happy 
and they went to Socrates, 
but Socrates said, 
"Go back and tell the Oracle 
that at least for once its prophecy has been wrong.
Socrates knows nothing."

私はソクラテスのことを思い出した
その生涯のまさに最後の瞬間
彼は弟子達にこう言った
「若い頃、私は
自分が、たくさんのことを知っていると思っていた
年を取るにつれ、より多くを知るにつれて
奇妙なことが起こり始めた
それはより多くを知ることで
自分がより無知に近つ゛いていくという意識(アウェアネス)だ」
そしてついに、デルフォイの神託が
ソクラテスこそ、この世で一番の賢者だ
と宣言したとき……
アテネの人々は
喜び勇んでソクラテスの所にやって来た
だがソクラテスはこう言った
「戻ってその巫女ミコに告げなさい
少なくとも今回だけは、その預言は間違った、と
ソクラテスは何も知らない」

The people were shocked.
They went to the Oracle...

but the Oracle laughed and he said,
"That is why 
I have declared him the wisest man in the world ! 
it is only the ignorant people who think they know."
The more you know, the more you become innocent.

人々はショックを受けた
彼らは巫女のもとに戻った……
だが巫女は声を出して笑ってこう言った
「だからこそ私は
彼がこの世で一番賢い人間だと宣言したのです!
自分が知っていると思うのは、無知な者だけです」
人は知れば知るほど、無知になる

According to the Socratic division, 
there are two categories of people: 
the ignorant knowers and the knowing ignorants. 
The world is dominated by the second category. 
Thesae are your priests, your professors; 
these are your leaders, 
these are your saints, 
these are your religious messiahs, 
saviors, prophets, 
all proclaiming that they know.
But their very proclamation destroys 
the utter simplicity and innocence of a child.

ソクラテス的分類に従うなら
2種類の人々がいることになる
無知なる知者と、知っていると称する無知なる者と
世界はこの第二の範疇ハンチュウの人々によって支配されている
それが、あなたたちの聖職者、あなたたちの教授たちだ
それが、あなたたちの指導者だ
それが、あなたたちの聖者だ
それが、あなたたちの宗教的救世主(メサイヤ)救い主、予言者
みな自分は知っていると主張する者たちだ
だが、まさに、その主張そのものが
子供の全き素朴さと純真無垢を破壊する


Bodhidharma remained in China 
for fourteen years. 
He was sent by his master 
to spread the message of meditation. 
After fourteen years, 
he wanted to come back to the Himalayas; 
he was old enough and was ready to disapper 
into the eternal snows.
He had thousands of disciples 
he was one of the rarest people who have existed 
on the earth 
but he called only four disciples and he said, 
"I will ask only one question 
what is the essence of my teaching ? 
Whoever gives me the right answer 
will be my successor."
There was great silence, tremendous expectation. 
Everybody looked at the first disciple, 
who was the most learned, most scholarly. 
The first disciple said, "Going beyond the mind 
is all that your teaching can be reduced to."

菩提達磨(ボーディダルマ)は14年間中国に留まった
彼は瞑想というメッセージを伝えるために
その師によって遣わされた
14年後、彼はヒマラヤに戻りたいと思った
彼は年老い、万年雪の中に姿を消す準備が整っていた
彼には何千人もの弟子がいた
――彼はかつて地上に存在した最も稀な人物の一人だった
だが彼は4人の弟子だけを呼んで、こう言った
「私はひとつの質問だけをしようと思う
私の教えの心髄は何か、ということだ
誰であれ、正しい応えを出した者が私の後継者だ」

大いなる沈黙と、この上もない期待がそこにあった
誰もが、1番目の弟子の方を見た
彼こそは最もよく学び、最も学識があった
1番目の弟子は言った
「心マインドを超えて行くことが
あなたの教えのすべてだと言えます」

Bodhidharma said, 
"You have my skin, but not more than that."
He turned to the second disciple who said, 
"There is no one to go beyond the mind. 
All is silent. 
There is no division 
between the one that has to be transcended 
and one that has to transcend. 
This is the essence of your teaching."

ボーディダルマは言った
「お前は私の皮膚だ、だがそれ以上ではない」
彼が2番目の弟子の方を向くと
その弟子はこう言った
「心(マインド)を超え行く者などおりません
すべては静寂です
超えられるべきものと、超えて行く者の
分割などありません
これこそが、あなたの教えの心髄です」

Bodhidharma said, 
"You have my bones."

ボーディダルマは言った
「お前は私の骨だ」

And he turned to the third disciple, 
who said, 
"The essence of your teaching is inexpressible."

そして彼が3番目の弟子の方を向くと
その弟子はこう言った
「あなたの教えの心髄は、言葉では表せません」

Bodhidharma laughed and he said, 
"But you have expressed it ! 
You have said something about it. 
You have my marrow."

ボーディダルマは笑って言った
「だが、お前はそれを言い表した!
お前はそれについて、何かを言った
お前は私の脊髄だ」

And he turned to the fourth disciple 
who had only tears 
and utter silence, no answer. 
He fell at the feet of Bodhidharma...
and he was accepted as the successor, 
although he had not answered anything.

そして彼は4番目の弟子の方を向くと
その弟子は、ただ涙を流すばかりで
完全に沈黙し、何も答えなかった
彼はボーディダルマの足許にひれ伏した……
そして何ひとつ答えなかったにも関わらず
その彼が後継者として受け入れられた

But he has answered 
without answering, without using words, 
without using language. 
His tears have shown much more 
than any language can contain. 
And his gratitude and his praterfulness 
and his thankfulness to the master...
what more can you say ?

だが彼は応えていた
答えを口にすることなく、言葉を用いることなく
言語を使わずに応えていたのだ
彼の涙は、どんな言葉が伝え得るより
多くのことを語っていた……
そして彼の感謝
そして彼の祈り
そして師の有難さ……
これ以上何を語ることができよう?

The great gathering of disciples were very much 
disappointed, because 
this was a man nobody had ever bothered about. 
The great scholars have been rejected; 
the great knowers have not been accepted, 
and an ordinary man...

大勢の弟子たちはひどく失望した
なぜなら、それは
今まで誰ひとり気にもかけないような男だったからだ
大学者たちが退けられ
偉大な識者たちが受け入れられずに
こんな当たり前の男が……と

But that ordinariness 
is the only extraordinary thing in the world...
that childlike wonder, that childlike experience 
of the mysterious all around. 

だが、その当たり前のことこそが
この世でただひとつ途方もないことだ……
その子供のような驚き
まわり中の神秘を、子供のように体験することこそが

Remember one thing; 
the moment you start knowing something 
you are not a child. 
You have started becoming part of the adult world.
The society has initiated you into civilization; 
it has distracted you from your essential nature. 

ひとつ覚えておきなさい
人は何ごとかを知り始めた瞬間
子供ではなくなる
大人の世界の一部になり始める
社会があなたを文明に参入させてしまう
それが、あなた本来の自然からそらしてしまう

When the child is surrounded by the misterious
 all around, everything just a mystery
 with no answer, with no question,
 he is exactly at the point
 the sage ultimately reaches. 
Garimo,
That is why childlikeness is compared
 again and again to meditation. 
Meditation would not have been needed
 if people had remained
 in their essential childlikeness. 

子供が、まわり中の神秘に取り囲まれているとき
まさに答えもなければ、問いもない
神秘そのものであるすべてに取り囲まれているとき
彼は、賢者が最後にたどり着くまさにその地点にいる
ガリモ
だからこそ、子供のようであることが
何度も何度も瞑想と比べられるのだ
もし人々が
その本来の子供らしさの中にとどまっていたら
瞑想など、必要にならなかっただろう

Do you know the root of the word
 "meditation" ?
 it comes from the same root as medicine. 
It is a medicine. 
But the medicine is needed only if you are sick. 
Meditation is needed if you are spiritually sick.
Childlikeness is your spiritual health,
 your spiritual wholeness;
 you don't need any meditation.

瞑想(meditation)という言葉の語源を
知っているかね?
それは薬(medicine)と同じ語源から来ている
それは薬だ
だが、薬が必要になるのは人が病んでいるときだけだ
瞑想は、人が霊的に病んでいるときに必要になる
子供のようであることが、あなたの霊的な健康(ヘルス)
あなたの霊的な全一性(ホールネス)だ
健康な人には、どんな薬も必要ない

Little Ernie wants a bicycle,
 but when he asks his mother, she tells him
 he can only have one if he behaves himself,
 which he promises to do. 
But after a week of trying to be good,
 Ernie finds it impossible.
So
his mother suggests,
 "If you write a note to Jesus,
 maybe you will find it
 easier to be good."

アーニー坊やは、自転車が欲しかった
けれどもお母さんに頼むと
いい子にしていたら買ってあげるわ、と言ったので
坊やはそう約束した
けれども1週間いい子でいようと頑張った結果
アーニーには、それが無理だと分かった
すると
「もしお前がイエス様に手紙を書いたら
いい子にしているのが
そんなに難しくないかもしれないわよ」
と、お母さんが提案した

Ernie rushes upstairs,
 sits on his bed and writes; 
"Dear Jesus,
 if you let me have a bike,
 I promise to be good for the rest of my life."
Realizing that he could never manage that,
 he starts again: 
"Dear Jesus,
 if you let me have a bike,
 I promise to be good for a month."
Knowing that he can't do that,
 he suddenly has an idea.

アーニーは2階に駆け上がって
ベッドの上に座って手紙を書いた
「イエス様へ
もしあなたが僕に自転車を買ってくれたら
僕は一生いい子にしていると約束します」
が、自分にはそんなことができっこないと気がついて
彼はもう一度書き始めた
「イエス様へ
もし僕に自転車を下さるなら
僕は、ひと月いい子にしていると約束します」
が、そんなことはできっこないと分かって
突然、ある考えがひらめいた

He runs into his mothers room,
 takes her statue of the Virgin Mary,
 puts it in a shoe box and hides it under the bed.
Then he begins to write again:
"Dear Jesus,
 if you ever want to see your mother again..."

彼はお母さんの部屋に駆け込み
お母さんの聖母マリア像を手に取って
それを靴の箱に入れて、ベッドの下に隠した
そしてもう一度書き始めた
「イエス様へ
もしあなたがもう一度お母さんに会いたかったら……」

For absolitely irrational reasons,
 man has been dragged into seriousness.
All religions
 have played their role in poisoning man.
The people who are going for any kind of power trip
 are bound to destroy man's laughter,
 his innocent wondering eyes, his childhood.
The giggle of a child seems to be more dangerous
 to these people than nuclear weapons.
And in fact they are right---
 if the whole world starts laughing a little more,
 wars will be reduced.
If people start loving their innocence
 without bothering about knowledge,
 life will have a beauty and a blessing
 of which we have become completely unaware.

まったく非合理的な理由で
人間は深刻さに引きずり込まれてしまった

あらゆる宗教は、人を毒する役割を演じてきた
権力闘争(パワートリップ)を続けるつもりの人々は
人間の笑いを、その無垢な驚きの目を
その子供らしさを破壊せずにはすまない
子供のくすくす笑いは
こういう人たちには核兵器よりも危険に思われる
そして実際、彼らは正しい
――もし全世界が、もう少し笑い始めたら
  戦争は減少することになる
もし人々が知識など思い煩うことなく
自分の無垢を愛し始めたら
生には、私たちがすっかり忘れてしまった
美と祝福が出現するだろう

I am
 not concerned
 with the temporal and the ephemeral and the timely.
My concern is with the eternal.
And the eternal has
 nothing to do with science or knowledge;
 the eternal has
 something to do with the mysterious and the innocent.

私は
一時的なもの、つかの間の、時局的なものには
関心がない
私の関心は永遠なるものだ
そして永遠なるものは
科学や知識には何の関係もない
永遠なるものは
神秘的なるもの、そして無垢なるものに関係がある

You be childlike, with open eyes,
 without any prejudices hidden behind the eyes.
Just look with clarity,
 and small flowers or grass leaves or butterflies
 or a sunset will give you as much blissfulness
 as Gautam Buddha
 found in his enlightenment.
The question is of your openness.
Knowledge closes you.
It becomes an enclosure, an imprisonment.
And innocence opens all the doors, all the windows.

どんな偏見も隠し持っていないつぶらな目を開いた
子どものようでありなさい
ただ明晰さをもって見るだけでいい
そうすれば小さな花、草の葉、蝶、あるいは日没は
ゴータマ・ブッダが
その光明において見いだしたのと同じほどの至福を
あなたに、もたらすことだろう
それは対象には依存しない
問題はあなたの解放性だ
知識はあなたを閉じる
それは囲いに、牢屋になる
だが無垢は、あらゆる扉を、すべての窓を開く

Sun comes in, cool breezes pass through.
Fragrance of flowers suddenly visits you.
And once in a while a bird may come and sing a song
 and pass through another window.
Innocence is the only religiousness.

陽の光が入り、涼しいそよ風が通り抜ける
花の香りが突然あなたを訪れる
そしてときには、鳥がやって来て歌を歌い
もうひとつの窓を通り抜けて出て行く
無垢(イノセンス)こそが唯一の宗教性だ

Religiusness
 does not depend on your holy scriptures.
It does not depend on
 how much you know about the world.
It depends on how much you are ready to be
 just like a clean mirror, reflecting nothing.

宗教性は、あなたたちの聖典に依存しない
それは、あなたが
どれほど世間を知っているかに依存しない
それは、あなたがどれくらい
何も映していない、まっさらの鏡になる準備が
できているかにかかっている

Utter silence, innocence, purity...

完全な静寂、無垢、純真……

And the whole existence is transformed for you.
Each moment becomes ecstatic.
Small things, sipping a cup of tea,
 become so prayerfull,
 no othr prayer can be compared to it.
Just watching a cloud moving freely in the sky,
 and in innocence a synchronicity happens.
The cloud is no more there as an object
 and you are no more here as a subject.
Something meets and merges with the cloud.
You start flying with the cloud.

それで、あなたにとっての全存在が変容する
一瞬一瞬が歓喜になる
些細なこと、一杯の茶を飲むことが
あまりにも祈りに満ち
他のどんな祈りも、それには比べられないほどのものになる
ただ空を自由に動いている雲を見ているだけで
無垢(イノセンス)の中に、ある共時性(シンクロにシティ)が起こる
その雲はもはや客体として、あちらにあるのではなく
何ものかが、その雲と出会い、そして融合する
あなたは、その雲といっしょに飛び始める

You start dancing with the rain,
 with the trees. 
You start dancing with the birds. 
You start dancing with the peacocks,
 without moving, just sitting,
 your consciousness starts spreading all around you.

あなたは雨と一緒に
樹々といっしょに踊り始める
小鳥たちと一緒に歌い始める
孔雀たちと一緒に踊り始める
動かずに、ただじっとしていれば
意識は、まわり中に広がり始める

Yhe day you have touched existence
 with your consciousness,
 religion is born in you,
 and you are born again. 
This is your real birth. 
This real birth I have called sannyas. 

あなたが意識で存在に触れたとき
あなたの中に宗教が生まれる
そして、あなたは再誕生する
これが、あなたの真の誕生だ
この真の誕生を、私はサニヤスと呼んできた

One birth is from the mother and the father;
 another birth is that
 which happens between the disciple and the master. 

ひとつの誕生は、母親と父親からのものだ
もうひとつの誕生は、弟子と導師(マスター)の間に起こるものだ

And the second birth opens all the doors
 and all the secrets to explore. 
Life becomes a continuous adventure,
 a moment to moment excitement,
 a day and night ecstasy. 
Neither life disappears into death
 nor day dies into the darkness of the night. 
Suddenly you become aware that day and night are
 two wings of the same bird,
 that life and death are two wings of the same bird.

そして、この第2の誕生は、あらゆる扉を開き
探求のためのあらゆる秘密を開く
生は絶えざる冒険になる
一瞬一瞬の興奮に
日ごと夜ごとの歓喜になる
生が死の中に消え入るのでもなく
昼が夜の闇の中に死滅するのでもない
突然あなたは昼と夜が同じ鳥の両翼
生と死が同じ鳥の両翼であることに気つ゛く

The whole sky of consciousness is yours.
You don't have to be a Christian, 
you don't have to be a Hindu, 
you don't have to be a Mohammedan. 
You only have to be a child. 

意識の大空すべてが、あなたのものだ
あなたは、キリスト教徒である必要はない
あなたは、ヒンドゥ教徒である必要はない
あなたは、イスラム教徒である必要はない
あなたはただ、子供でなければならないだけだ


"Om Mani Padome Hum" Session 3 より December 22, 1987





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