インドの砂漠が森へと甦る。イマジン&実践レポート / ああ、インド暮らしの日々/ /月刊いんどアーユルヴェーダ新聞 /インド伝統医学に学ぶアーユルヴェーダな生活有料メルマガ
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水の動きにすぎない ジェラールッディン・ルーミー

『全身全霊を挙げて何事かに集中しきるとは、
自分というものが全然そこにいなくなってしまうことだ。

自分が何かをしようと努めることがなくなり、
自分が積極的に何かをする、
自分から動くことがなくなってしまう。

つまり水に溺れきるということだ。

それでも何かするとすれば、それは
 彼 の 行為ではなくて、
 水 の 動きにすぎない。

水の中に手と足をひたしただけでは、水に溺れたとは言わぬ。
「ああ、大変だ、おれは溺れた!」
などと叫ぶ奴がいるが、そんなのは溺れたとは言わない。』

1なる無限の愛100% D

1. 大きな動の中の大きな静

『そして、自分がこの世に生を受けたのは、地球で繰りひろげられている
ゲームを傍観したり忌避したり解説するためではなく、積極的に
ゲームに参加するためであり、様々な困難な中で愛を実践することこそが
ゲームの肝腎要なところだ、ということがよくわかるようになります。
禅の十牛図はこの辺のところを非常にうまく表現しています。

先日申し上げた、「大きな動」とは、常に自分の限界に挑戦し、
数多くの他者との摩擦を体験し、なおかつ沢山の愛を実践する
生き方のことであり、「小さな動」とは、この地球で積極的に生きる
ことを放棄してただ漫然と生きたり戦線離脱したりして、またこれと
いった大した愛も表現しない消極的な生き方のことをさしています。』

3. エゴは不死鳥

『皆さんは、そもそも愛を実践するために生まれてこられた
のであり、愛を実践することが不可能であるはずがないのです。

それは出来ないのではなく、幻にばかり気をとられ、またエゴ
に惑わされて、出来ないと自分勝手に思い込んでいるだけです。
本気になっていないだけのことです。やる気がないだけの問題です。

愛に関して、皆さんが出来ないことなど本来何もないのです。
もし、本当に出来ないものがあるとすれば、それは本来皆さんが
やるべきものではない、愛とは違ったものであるということです。

真に賢いものとは、知識が豊富だとが、記憶力が良いということ
ではありません。自分の誤りを素直に認め、これをすみやかに修正
できるものこそが、真に賢いものなのです。
これが出来ないものはみな愚かものです。』

5. 怒ると大損

『ほとんどの方は、真の「正しさ」とは、主義や主張の中ではなく、
思いやりや優しさ、すなわち愛の実践の中にあるということを
ご存知ありません。こうしたことを知らないがゆえ、どこまで
いっても平行線のいがみ合いを延々と続けます。』

『そして、もし皆さんが自分の「正しさ」を主張したい
のであれば、どなた様に限らず、怒ることではなく、
愛の実践を通してなすべきなのではないでしょうか。』

6. お金の正体

『問題は、お金があるにしろ無いにしろ、大半の方が過度に
お金に心を奪われてしまっている、という現実にこそあるのです。』

『皆さんがあの世に還られた時、お金に関して訊ねられることは 
「あなたは、人様のために、どれだけお金を役立てられましたか」 
ただそれだけだ、ということを最後に申し添えておきます。』

13. 雑魚に惑わされて大魚を逃す

『それから、最近色んな情報を拝見していると、時代を反映して、
光明体験をされたり神との一体感を感じられたりしている方が急増
しているようです。大変結構なことですが、一方ではそうしたこと
は所詮千里の道の一里塚でしかないということを、しっかりと
認識しておく必要があります。

全ては神であり、神とは愛である、ということを理解する
ことも大切ですが、それよりも今そこにある現実の中で、
いかに愛を実践することが出来るかが、はるかに重要なのです。』

落とさないでね ヴィスタール

『第20話   ミスティック・ローズ(V)
この泣きの週では、泣こうとせずとも涙に明け暮れていた。
3日目から、なぜだか「子供」のことで涙した。

それもたった一つのキーワード「いい子でいなさい。」が引き金であった。
私が言った一言ではなく、その日の朝に私の耳に届いたこの言葉だけで、
その後の3日間は涙が止まらなかった。3日目のグループ中、突然
「いい子でいなさい。」という言葉が、頭の中で鳴り響き始めた。
そして、分からず屋の娘と格闘している
自分の姿がイメージとして、浮かび上がってきた。
「親の言うことを聞きなさい。いい子でいなさい。」
と子供を押さえつけようとしている。
しかし、言うことを聞かず、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまった私は、
15階位の建物の屋上から、子供を放り投げてしまった。

その瞬間、2人の動きが止まった。
私も子供も「あっ!」と我に返ったが時すでに遅し。
お互い目が合うが、どうすればいいか分からない。
私の体は硬直し、全てが終わってしまった瞬間であることを感じている。

そのまま子供は、
「助けて〜。いい子でいるから助けて〜。お父さ〜〜〜ん。助けて〜〜。」
小さくなって落ちていく声と共に、暗闇に包まれた。
強烈なイメージだった。

私は声を張り上げ泣いた。
「ごめんね。ごめんね。・・・いい子でいなくてもいいから。。。ごめんね。」

全てが終わった。。。。。
こんな信じられないようなイメージは、何十回と、
これでもか、これでもかと私に映し出されてきた。
現実でないのは分かっていても、あまりにも生々しかった。
その度、声を張り上げ、恐怖に打ち震え、絶望の淵で泣き叫んだ。

時には、落ちていく子供を助けようと、
自分も一緒に落ちていくイメージも浮かんできた。
落ちていく恐怖、地面に叩きつけられる想像を絶する痛み。
どこまでがイメージなのか?私は硬直し、震えていた。

ここ数年、幼児虐待や信じられないような
子供殺害のニュースが取り沙汰されている。
しかし、事件発覚後、ほとんどの容疑者の
素顔は、ごく平凡な普通の人の場合が多い。
誰の中にも、身の毛のよだつほどの
狂気が隠されているのかもしれない。

たまたま運悪く容疑者の現実世界に、
その狂気が顔を出してきただけなのかもしれない。
彼らを責める前に、それぞれが自分
の心の中を覗いてみることの方が、
はるかに大切なような気がしている。

さらに私の恐怖は続いた。
イメージの世界で、娘は10歳になっていた。
舞台は、インドで借りていたアパート(4階建て)の屋上。
10歳になった娘は、突然「もういい子でいるのは疲れたよ。」と言い残すと、
屋上の塀に足をかけると、そのまま自ら飛び降りた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

私は何もすることが出来ず、その場に立ちすくみ、泣き崩れた。
絶望。孤独。脱力。空白。放心。悲しみ。寂しさ。せつなさ。憤り。落胆。。。

これらのイメージは、一日限りの悪夢で
終わることなく、3日間色あせることなく、
その度ごとに強烈に私を恐怖のどん底まで導き続けた。
それはまるで、死んでも殺されても風が吹けば生き返り、
血の池地獄、針の山を歩き進まなくてはならない地獄絵のようであった。

私の目は、誰にも見られたくないほど赤く腫れ上がった。
「いい子でいなさい。」という言葉の持つ本当の悲しみ。
その子が、そのままでいることを許してくれない重圧。
誰もが心の中に想像できないほど、いや
思い出したくないほどの悲しみを隠し続け、
その人がその人であることを表現できずに生きている。

私の場合、たまたま「いい子でいなさい」
という言葉が引き金になっただけで、
悲しみの感情を吐き出すシチュエーション
は、実は何でも良かったのだと思っている。

話はそれで終わらない。
5日目が終わり、子供を迎えに行き、
抱きかかえて歩いていると、突然、娘が
「落とさないでね。」と言った。

”えっ?俺落としたことないのに、何を言い出すんだろう?”
と不思議に思った。

その後も、もう一度娘はそう言った。訳分からなかった。

そして、夕方アパートの階段を娘を抱きかかえながら登る途中だった。
”そういえば、今日もよく泣けたな〜”とあの時のイメージが浮かんだ
その瞬間!

「落とさないでね。」

・・・・・・・・・・・・私の体は再び硬直し、全てを理解した。。。。。

そして娘を抱きしめながら、
止めることなど不可能なほどの悲しみと涙が噴き出した。

娘は ”どうしたの?大丈夫だよ。”
とでも言っているように見つめていた。』


からだは中空の竹 モンジュ

「人間は、基本的にドーナッツです……
つまり口から肛門迄穴が空いているので、筒状になってるのですが、これは
口がめり込んで喉となり、尻がめり込んで直腸となってできている構造です。

だから、口から食べたものが胃や腸に入るだけでは、まだ、外なんです……腸
の粘膜のバリヤー構造を超えて、体内に入って初めて中に入ったと言えるのです
が、このリンゴ状の人体というイメージをとらえ損なったら、もうアウトです。

皮膚は外側に露出した粘膜であり、粘膜は内転した皮膚ということがしっかり
イメージできるようになることが大切です。これは人体を取り巻いている
オーラ圏の構造とも重なってくるので、よほどしっかりと押えておく必要
があるのですが、実際は、なかなかそうなっていないようです……

だから、中空の竹というのはイメージじゃなくって、
リアリティなんですけれども……。

ここがしっかり押えられたら、からだに対して
かなり正確なアプローチをとることができるようになりますね。」

言葉の力 池央耿

『「難しい漢字を使うことを避けるべきだ」
という指摘は、広い意味では、

「他の人も簡単にわかりやすい
 翻訳をしているから、そうするべきだ」

という考えにつながってしまいます。

つまり、誰も彼もが、
簡単な言葉しか使うことができなくなります。

ただ……
キングも指摘していましたが、
「言葉の力」は、ものすごいものです。
簡単な、限られた言葉ばかりを使っていれば、
自然と、語彙が少なくなってしまうわけでして。
すると「考えていること」そのものも、
やせほそってゆきます。

語彙を失ったことで、
「かつては表現できていたけれど、
 今は表現できなくなったことが
 出てきてしまう」
という事態が起こりかねないんです。』

『最近、
「狩猟採集民が、
 農耕民族によって追われてゆく」
という歴史を描いた、
『エデンの彼方』という
ノンフィクションを翻訳しました。

そこでわかったのは
「農耕民族が狩猟採集民を
 辺境に追いやっていく過程で、
 狩猟採集民は言葉を失ってしまう」
ということなのです。

深い考えを持っていたことが
明らかになっている狩猟採集民たちは、
自分たち固有の言葉を失ったことで、
ある大切なことを、
もう表現できなくなってしまいました。

これは何も、
遠い世界の話には見えないんです。
今の日本でも
起きていることなのではないでしょうか。』

これってドッキリなんじゃない? インド今ここ


太母さん サハジ

 自分で意味がわからなくても 「意味の無いものはない」のだから
きっとそこに何かがあるはずだ
いつもそう思っていた

’今語られた言葉で 太母さんは何を示していたんだろう、
 何をやろうとした(やった)んだろう’

’ブッダの語る言葉の深さなど 自分には測るすべは無い
 しかし意味不明のまま 用をなさない言葉もないはずだ’

こう思って 太母さんの言葉を心に留めていると
時間が経って いろいろな場面に突き当たり
少しづつ おぼろげに
’あのとき太母さんは このことが言いたかったのか’
と 思えてくる

これが 「ワシの言うことが判っている」と
いわれたときの意味だったのだと
あとになって 思いついた

それと 太母さんの言動の(本当の)意味を
(知っているのだから?)他の人に伝えておくれ
ということも 含まれているかもしれない

この連載を書いたのは じつはそこに根拠があるのかもしれない



  別れ

太母さんの肉体とのさよならをしたのは
岐阜での最後の講演会のときだった
講演の最中、Sahaj は用事があり、抜けなければならなかった

一人会場を出た
会場の前のフロアは誰も居なくて静かだった

太母さんの体は 見るからに衰えはじめており、
この美しい人を肉眼で見るのは
このときが この世界では最後になることを覚悟した

在る日、太母さんの訃報を聞いて
後悔するようなことはしたくなかった

それより 死などないのだから
肉体を離れた太母さんを 認識できるように
自分の意識を広げ 仏眼を得たい
再会の可能性を考えなければ 辛くなる

・・・

最後に Sahaj は フロアに頭をつけた

会場の扉越しに 太母さんが見てて微笑んでくれているような気がした



  目

以来、Sahaj には 「仏眼を開くこと」が 課題となった
仏眼が無くては どうして 太母さんの意識体を探せるだろう

忘れられないものがある
太母さんの あの「目」だ
瞳は小さいが きらりとして 澄みきっている

もう一度 あの目に会いたい
太母さんの肉体がなくなったとしてもだ

それは実現する日がくるだろう




合掌


これでいいんだよ 石川 仁

『砂漠での半年の間に、歌える歌は全部歌って、思い出せる
ことは全部思い出して、想像できる将来は全部想像した。
心の部屋の中を大掃除するみたいに。
ゴールに着く当日、
「あと三時間も歩けばいいんだ、もう、水のことも、
食べ物のことも、死ぬことも心配しなくていいんだ。僕は生きている。」
そう思ったとき、
「からっぽ」になった。

そして次にふと気づくと白い世界に居た。
アラスカの一番北の町でイヌイットの人たちと暮らした。
上も下も右も左も前も後ろも、真っ白な氷の上に一人で立ったときのこと。
「地球」が一人の友達みたいに思えてついつい話しかけてしまった。

「地球さん、環境が汚れちゃって大変じゃない?」
「そう言う君も、いろいろ大変そうだね」
「でも、うれしいこともあるんだよね」
「そうそう、うれしいこともあるんだよね」
「これでいいのかもね」
「これでいいんだよ」

ジャングルを丸木舟で河下りするまで死にたくない!
マラリアが発病し高熱で頭がヘンテコリンになりそうなとき(ちなみに日本で)
、その思いだけが絞り出てきた。
そして、幻覚が現実になったとき、コロンビアのジャングルの中にいた。
緑の世界は、何百万の種類の、植物、動物、昆虫、菌類、魚がうごめいている。
一歩間違えば大混乱を招くような、生き物のオンパレード。
でもそれが、不思議と美しい。
ちょうど、ありとあらゆる楽器を持ちよった
オーケストラが、ひとつのシンフォニーを奏でているような。
ジャングルの中を一人で歩いたり、寝たりするのはすごく怖いけど、
その音楽が僕の深い何かと共鳴するのがとにかく心地いい。
茶色い水の流れの上をカヌーでスーっと進ませると、
川イルカが遊びに来て水をかけたりもした。
何百万年も変わらないハーモニー。
意味もなく涙がこぼれた。

僕は葦船って乗り物がすごく好きなんだ。
何千年も前の古代船に揺られて、魚を釣りながら
毎日過ごしていると、何かが変わってくる。
もちろん最初の1,2週間は陸のことを思い出したり懐かしんだりもする。
でもそれが過ぎると船の上だけが僕らの世界になっていく。
昼飯を食べた後(マグロの刺身と味噌汁と白米が基本)、
ごろりと竹でできた甲板でねっころがって雲なんか見上げていると、
すごい昔、航海してた人たちと何にも変わんない生活のなかにいる。
タイムマシーンに乗ったみたいに、いきなり
縄文時代にトリップしたみたいな感覚。

生活自体は毎日同じことの繰り返し。
船の舵を取って、食べて、ウンコして、寝る。
ただ、それだけの毎日が続く。
そうすると、心の深いところが、働き始めるような気がする。
そのときに、人が船とひとつになり、船が海と空と風がひとつになる。
その心地よい感覚が自然との一体化なのだと思う。 』

輝きの音 もんじゅ

「曲のアイデアは、彼女が伝え聞いたアフリカにある部族の伝承にヒントを
得たものなのだそうです……この部族では、赤ちゃんがお腹の中にいる間に、
お母さんは荒野に出かけ、瞑想をして、その赤ちゃんの歌、その赤ちゃんの
本質の響きを聴き取ることに専念するのだそうです……

そして、その歌、その本質の響きが聴き取れたなら、母親は、帰ってきて、
その歌を部族のみんなにも伝えるのです……するとそれはその生まれてくる
子の魂の本質を映し出す、その子固有の音、響きとして、部族みんなの共有
の体験になるわけですね。

やがて、その子は成長してゆきます。そしてさまざまな人生体験を積んでゆく
うえで、様々な困難に出会うとき、または、病む時や、老いて死んでゆくとき
などでも、まわりのみんながその歌を歌って、そのひとの魂の本質を思い出す
手助けをするのだそうです……

そして、もし万が一にも、その子が道に迷い、悪事に身を染めるようなことが
起こったとしても、現代社会のように罰則によって力づくで懲らしめるのでは
なく、部族の者たちみんなが輪になって、その真ん中に、その悪事を犯した子
を坐らせ、みんなで、その子の魂の本質の歌を歌い、その子が再び本来の響き
を取り戻せるように、音を通して想起のお手伝いをするのだということです……

麻以さんは、この伝承を聴いて、こころを打たれ、「輝きの音」という新曲を
生み出したわけですが、サウンド・レゾナンスのワークというのも、これと
そっくりなプロセスを辿ります。そのひととの響きの本質を見出すささやか
なお手伝いをし、また、忘れてしまったその人固有の振動数を思い起こす
よすがとなる周波数や、音を見出すプロセスを辿るわけですから……」

常泣菩薩と観音菩薩 もんじゅ

「 平原綾香さんのデビュー曲『Jupiter』の歌詞の中には、
ちょうど観音菩薩の働きをそのまま表しているようなくだりがあります。
--------------------------------

心のしじまに 耳を澄まして
私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

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苦しみの中にある衆生が、助けを求めてその名を呼ぶと、その声を聴いて、
即座にやってきてくれる観音菩薩の働きを、上記の詩は、見事に描き出して
いると言えますし、平原綾香さんの声質とも相まって、この歌を聴く人々は、
われ知らず、観音菩薩の働きの圏内へと誘い込まれているのかもしれません。

さて、かつて遠い過去に、この惑星地球の上に存在する、すべての生き物たち
の姿を観察しながら、とめどなく涙を流しつづける菩薩が存在していたそうです
。その菩薩の名は常泣菩薩といい、いつも泣いてばかりいたことからこのように
名づけられたということです。

では常泣菩薩は、なぜ泣き続けていたのでしょう……それはこの世界に生きて
いる生き物たちを深く観察すると、どんなに小さな生き物たちでも苦しみを
背負いながら生きている姿が、深いところから、誤摩化しようもなく見えて
きたからであり、もうひとつは、その苦しみに対して為す術もなく
立ち尽くしている自分自身の無力さに対する涙でもあったともいいます……

そして時が経ち、この常泣菩薩は、転生を遂げて、観音菩薩になったのです……

観音菩薩は、千とひとつの手を持つとも言われ、また33の姿に変化して、
人々を巧みに救いとってくれる菩薩なのですが、変容を遂げたこの菩薩は、
もう無力ではなく、臨機応変に、それこそまさに縦横無尽の働きを
発揮してゆくことになります。

大いなる苦しみに呻吟し、のたうち回っているときでも、その名を呼べば、
即座に感得して、その声を聴き取り、その苦しみを抜き取って、安らぎの
なかへと導いてくれるとされる菩薩こそが観音菩薩ですが、この観音菩薩
が観音菩薩になる前に、こうしてただひたすら泣き濡れる常泣菩薩の時代
があったことはまさに注目に値することではないでしょうか。

常泣菩薩から観音菩薩への転身を思う時、脳裏に浮かんでくるのは、
クリシュナムルティの次のような言葉です……。

---------------------------------------------

おわかりになりませんか
私はただおたずねしているのです
思考、自己憐憫の悲しみ、イメージの悲しみよりも
もっとはるかに深い悲しみのことがわかりませんか? 
それにお気づきになりませんか?

思考の悲しみではなく、もっと深いもの
その悲しみが終わる時、慈悲が誕生するのです。

(クリシュナムルティ『生の全体性』より)

--------------------------------------------

『生の全体性』は、たくさん翻訳されているクリシュナムルティ関連の講話本の
中では異色の作品であり、これはシャインバーグ博士、デービット・ボーム博士
とクリシュナムルティの鼎談であることと、対話のプロセスが、クリシュナムル
ティ関連の本としては例外的に、こころの深みへと至るプロセスが、湛然に描き
出されているところにあると思います。

もし読者が、油断なく心し、細心の注意力を払って、この本に描き出された三者
のプロセスを辿ってゆくことができたなら、あるいはもしかすると、クリシュナ
ムルティが仕掛けている瞑想の道程を辿り直すことで、通常の読書体験を超えた
、深い体験をするかもしれません……

そしてそれはまた、まさに、常泣菩薩を通って、観音菩薩へと変容を遂げる
旅でもあるのです。

私たちの心の底には、個人的な悲しみではない、もっともっとはるかに深い
悲しみの層があります。通常体験するところの悲しみというのは、そうした深い
レベルの悲しみに比べるならば、まだまだ浅い個人的なものであり、むしろ
センチメンタルなものと呼ぶの方が適切だと思われる感情の一こまにすぎない
と言えます……

クリシュナムルティが、この鼎談の中で「思考、自己憐憫の悲しみ、イメージ
の悲しみよりも、もっとはるかに深い悲しみ」と呼ぶものを……河合隼雄氏は
中沢新一との対談の中で宮沢賢治の諸作品に触れながら、「情ではない“非情
な悲しみ”、“非個人的な悲しみ”」(『ブッダの夢』)といった言葉で表現
していますが、それはセンチメンタルな悲しみでもなく、いわゆる情緒溢れる
母性の領域に属するものでもなく、もっと天空に向けて突き抜けたもので、
名前をつけるならば、悲しみとしかいいようがないけれども、それはとても
深いところにあるフィーリングで、いわゆる感情的なレベルのものではない
悲しみだということになります。

こころの深層にあるところの、この深い深い悲しみの層と、カルーナと呼ばれる
ところの仏菩薩の慈悲とは、紙一重です……この紙一重が、常泣菩薩と観音菩薩
とを分かっている最後の薄い一枚のベールといってよいでしょう。ひとは、その
悲しみが極限にまでくると、個人的な悲しみを超えた非情の悲しみのレベルに
達っしてゆき、さらには、その悲しみの層をも突破して、無限の青空へと超出
することができるのですが……そのとき初めて、観音の働きの源となる、
カルーナが、大悲が立ち顕われてくるのです。

そして、OSHOもまた言います……瞑想が慈悲となって花咲かないかぎり、
その瞑想はまだ足りないところがある、と。」


祈り 

『物があり余るほどある今の日本、生まれた時からありとあらゆるものに囲まれ 、何不自由なく育てられた若い世代に対して、着る物も食べる物も、水も空気も 、山も海も、大地もお天道様も、それらはみんなあることが当たり前ではなく、 有ることが難しい有り難いことなんだよ、というような話しをしてみたとしても 、何をトロクサイことを言っているんだ、と一蹴されてしまうのがオチだろうが 、あって当たり前のものが、実は当たり前ではなかった、と全員が強制的に 気づかされることになる時代がもう間もなくやってくる。

すなわち、人類をはじめ数多くの魂達に永きにわたって勉学の場を提供してきた 母なる地球は、もう間もなく銀河の博物館へと変身を開始する。

地球学校最後の生徒であり、また散々母なる地球に対して親不孝を重ねてきた 人類は、こうした時期にあたり本来なら地球をいたわり、地球の変身がスムーズ に進行するように率先して佑けていかなければならない立場なのだが、人類の やっていることと言えば、皆さん自身が一番よくご存知のとおり、自分一人が 生きていくことに汲々とし、地球を佑けるどころか地球のことなど一顧だに せず、これでもかこれでもかと今もなお傷つけ汚しているのが現状である。

何とも情けなく、地球に対して本当に申し訳ない気持ちで一杯になるが、 じゃあ具体的に何をどうするかとなると、全ては時間切れで焼け石に水 みたいな段階に来てしまったから、あとは地球のためにただひたすら 祈ることが唯一残された手段となってしまった。

祈る祈らないは皆さんの自由だし、祈りの効果を疑う人も中にはいるかも 知れないが、皆さんの真剣な祈りは必ずや地球や天上界に届き、少なからず 地球の癒しに貢献できるので、是非ともこの機会を活かして 祈りを実行に移して頂ければ幸いである。

                 【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、 地球さん、本当にありがとうございました。

満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただ ひたすら大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。

もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、 元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。

天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、 地球さんにたくさんの癒しの光をお送り下さい。

  海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ

『 人類の誰しもが、愛をより深く理解するため、生まれる前に全ての 記憶を消され、また持てる能力のほとんどを削がれ、無知無能に近い状態で この地球に生まれ、故に生まれてから死ぬまで数限りない失敗や誤りを犯し、 そのたびごとに悩み苦しむことを繰り返す人生を歩むが、その悩み苦しんだ 体験とそれを克服してゆくプロセスこそが、人類にとってこの上もない霊的 な成長をもたらしていることを、人類はそろそろ理解する必要がある。 』

『   私は神である

    私は生命である

    私は愛である

    私は叡智である

    私は光である

    神. 生命. 愛. 叡智. 光

    神. 生命. 愛. 叡智. 光

    我が真我よ 宇宙の果てまで光り輝け

    我が真我よ あまねく一切を照らせ 』

『 アレコレ頭で考えるヒマがあったら、手近なところで自分の廻りの ありとあらゆるものを、努めて愛することから始めればよいのである。 愛することの喜び、楽しさをまず思い出すことが、何よりも大切なのである。

毎日、どんどん愛する対象をふやし、家族を見るたびに愛しているからね、 友達に会うたびに愛しているからね、花を見るたび愛しているからね、ワンコ を見るたび愛しているからね、小鳥を見るたび愛しているからね、植栽を見る たび愛しているからね、を毎回繰り返すうち、あなたの愛は序々に大きくなり、 そのうちお返しの愛もじゃんじゃんやってくるようになると、これはもう 世の中が全く違って見えてくるようになるから、不思議である。

何故なら、世の中のそこらじゅうに存在する愛と、自分の発する愛とが シンクロし、すざましいバイブレーションを引き起こすようになるからである。

そして、いつしか大きくなったあなたの愛は、おのずと自分の廻りのすべての 存在、森羅万象を、さほどの意識のないまま、自然体で、今あるがままを 愛せるようになる。 』

『今の今、何をするかが重要である。なぜなら、あるのは常に今のこの瞬間だけ だからである。この瞬間が過ぎ去ったものが過去であり、この瞬間の少し先に あるものが未来である。あなたが生きることができるのは、今のこの瞬間だけで あり、過去にも未来にもあなたは生きることなどできないのである。今の秘密が わかれば、今の今、あなたは変化することができる。だから今の今、愛を実践す ることである。祈りは、いくつかある愛の実践の中で、最も手近な方法である』


アセンション 

『しかしもし、私たちの未来にとって致命的に重要なある情報を、
その裏に何があるにせよ、マスメディアが報道しない方針を堅持
しているとしたらどうでしょうか? 

確かなことは、地球と地球のすべての生命体は、大転換への
がけっぷちに立っているということです。それが、アセンション
です。ここでいうアセンションとは、星や惑星がその住人
(全生命体)と共に、より高い次元へ移行することです。
これを、グローバル・アセンションと言います。これは、宇宙の
すべての星や惑星が経験する現象で、太陽系の場合、約2万6千年
ごとにその機会があります。しかし過去の地球のアセンションは、
すべて失敗に終わっています。ちなみに次元とは、音階の
各オクターブのようなもので、惑星や生命体が持つ基本波動
(振動数)の違いに対応しています。宇宙の本質は多次元構造です
。私たちが知覚し、科学の教科書が教えている世界は、その中の
極めて限られた3次元の領域です。』

『アセンションは、惑星にとっての大祭典で、本来なら惑星の住人
全体で、何年も前から大々的に準備して、その時を待ち焦がれる
性質のものです。これに対して、その時が目前に迫っているのに、
地球のこの無気味な沈黙はどうでしょうか。しかし沈黙している
のは地上の人類だけで、意識を持つ存在としての地球自身は
もとより、地底の人類、イルカ・クジラ族、動植物そして鉱物界も、
ずっと以前から集合としてアセンションに取り組んでいます。更に
、今回の太陽系とくに地球のアセンションは、早くから全宇宙の
注視の的となっています。ちなみに、まだ一般的な認識になって
いませんが、地底の人類やイルカ・クジラは私たちの言わば兄弟で、
地上の人類よりはるかに進化した存在です。イルカ・クジラの巨大
な脳やその表面の複雑な脳溝(脳のしわ)は、無意味に存在
しているわけではないのです。また、鉱物も意識を持つ存在です。

地球のアセンションが注目されている理由の一つは、地上の人類が
これから十数年の短い期間に、宇宙のどの惑星でもこれまで経験
したことのない、巨大な転換を成し遂げることが予見されている
ためです。奈落から一挙に頂上を目指すジャンプの大きさと、
当事者である地上の人類のほとんどが、いまだにそれを知らない
(知らされていない)という事情が、極限状況についてのどんな
想像をも超えるものだからです。また、今回のアセンションは、
宇宙(私たちが属する創造)全体に関係する出来事で、もし地球
がアセンションできなければ、他の星々のアセンションも失敗に
終わり、彼らのこれまでの準備が一蓮托生で水の泡になるという
事情もあります。』

『地上の人類に必要とされる飛躍のスケールが、宇宙で前例がない
ものになるという事情の背後には、アセンションに関連する情報
の徹底的な隠蔽のため、人類が一丸となってそれに取り組む
マス・アセンションが未だに起動しないという事実があります。
そして隠蔽されてきたのは、アセンションや宇宙存在のことだけ
ではなく、もっと重要な情報もあります。それは、私たち人類の
一人ひとりが、根本創造主の分身として創造主としての能力を
持っているという事実です。その事実を知り、その能力を信頼
して活用すれば、人は自分の現実を自在に創造することができる
ようになります。』

『神を人間の上位に置き人間が創造主としての能力を持つことを
認めない宗教と、五感で認識できる3次元物理現象の枠外のものを
否定する科学は、支配継続の「道具」としてたいへん好都合だと
いうことが容易に了解できるでしょう。
現代でもこの状況は続いています。』

『徹底的に変わってもまだ足りないぐらいと考えた方がいい
でしょう。これからは、変化しないで生きていくことは不可能で、
変化することが最も安全だと心得ましょう。また、変化が自然に
起こってきたとき、それに抵抗しないことも大切です。』

『最も簡単に変化する方法は「捨てる」ことです――お金、モノ
、仕事、名誉、権力そして人間関係などへの執着を。』


感謝を感じる テクムセ

ショーニー族の首長、テクムセの言葉

朝起きたら、

太陽の光と、おまえの命と、おまえの力とに、

感謝することだ。

どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、

それは、おまえ自身の中に、罪がとぐろを巻いている証拠だ。


魔法のことば(エスキモー族)

ずっと、ずっと大昔

人と動物がともにこの世に住んでいたとき

なりたいと思えば人が動物になれたし

動物が人にもなれた。

だから時には人だったり、時には動物だったり、

互に区別はなかったのだ。

そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。

その時ことばは、みな魔法のことばで、

人の頭は、不思議な力をもっていた。

ぐうぜん口について出たことばが

不思議な結果をおこすことがあった。

ことばは急に生命をもちだし

人が望んだことがほんとにおこった---

したいことを、ただ口に出して言えばよかった。

なぜそんなことができたのか

だれにも説明できなかった。

世界はただ、そういうふうになっていたのだ。


シャイアン・インディアン 祈り

独りぼっち だったり

困りはてて いたり

誰かの 助けが 必要なときは

まぶたを 閉じて

わたしを 思い

わたしの 名前を よびなさい

そうすれば わたしは くる。

見上げる 夏の日の 大空に

わたしの 姿を さがしもとめ

道に響く わたしの 足音に

あなたの 耳を こらしなさい。

石を 持ちあげて みれば

そこに わたしは いる。

HO!

1854年、ネイティブ・アメリカンのドウワミン族長シアトルが、 アメリカ大統領に出した手紙があります。(訳・押田成人)

水のささやきは私の父の父の声です。
川は我々の兄弟であり、我々の渇きを癒してくれます。
川は我々のカーヌを運び、我々の子供たちを養います。
もし、我々のこの土地をあなた方に譲るとするなら、その時あなた方は
、川とは我々の、そしてあなた方の兄弟であり、どの兄弟にも示すその親切を
川にも示めさなければならぬということを、かならず思い出してください。
白い人の死者は星の間を歩き始めると、生まれ故郷を忘れます。
我々の死者は決してこの美しい大地を忘れることがありません。
なぜならそれは、赤き人々の母だからです。
我々は大地の一部であり、大地は我々の一部です。
香り高き花は我々の姉妹であり、鹿や馬や大きな鷲は我々の兄弟です。
岩場の山頂、野原の露、ポニーの温かい体、そして人間みな、
一つの同じ家族に属しています。
あなた方はご自分の子供たちに、足の下の大地は我々の祖先たちの遺骨の灰
であることを教えなければなりません。
彼らが大地を尊ぶためです。
子供たちに、地球は我々の親族の命、すなわち、大地は我々の母である、
ということをあなた方の子供たちに教えてやってください。
大地にふりかかることは、大地の子らの上に降りかかります。
地上に唾を吐くことは、自分自身に唾をはくことです。
我々は知っています。
大地は人に帰属せず、人は大地に帰属する、ということを。
血が一つの家族を結ぶように、そのように結びあっていることを。


世界の三つの力が働く マシュー・キング

「インディアンは、決して嘘をつかない」 ハービー・アーデン編著 矢鋪紀子訳 サンマーク出版 より引用
『世界の三つの力(マシュー・キングの言葉)

神は
わしらが使えるように、三つの力をこの世に与えた。
わしらにはそれらすべてが必要だ。
わしらインディアンは、三つの力すべてを知っている。百万年もかけて、
わしらはそれらを見つけたのだ。

三つの力とは、物質の力、霊的な力、そして超自然的な力だ。

物質の力は、この大地の善良さだ。
霊的な力は、人間の善良さだ。
超自然的な力は、神、グレート・スピリットの善良さだ。

三つの力は、すべて別々のものだ。
それらはつながっていない。
それらを結びつけるのは、人間の仕事なのだ。

わしらは祈ったり、セレモニーを行なったり、行動したり
することによって、三つの力を結びつける。

すべてのよい行いは、神の創造を支える柱になる。
すべての祈りが、この世を支えている。

サンダンス(木片や骨片で胸や背を串刺しにし、肉や血を捧げる)
などのセレモニーは、三つの力をつないで宇宙の調和を保つ。

物質の力は、人々を最も強くひきつける。
それは、この大地の物事を楽しむために
神がわしらに与えてくれた力だ。

物質の力しか存在しないと考える人々もいる。
ウランを神が置いた場所から掘り出して原子爆弾
を作り、人殺しをするような人々だ。

そして、彼らは教会に行って叫ぶんだ。
「神よ、私たちを祝福してください。
私たちがあなたの世界を支配するのを助けてください」 

まったくありえない話だ。
神は彼らを助けたりはしない。

彼らはこの世を支配できない。
この世は神のものであり、神だけがこの世を支配できるのだ。

第二の力は、
霊的な力だ。
霊的な力がなければ、物質の力はすべて命あるものを破壊してしまうだろう。
霊性のない物質主義は、この世の呪いだ。
霊的な力とは、よい行動をする力である。

祈る力であり、
神に語りかける力であり、
神の声に耳を傾ける力であり、
神の導きにしたがう力だ。

ただ、そうしなければならないというものではない。
どの道に進むべきかは、わしらにまかされている。

それが霊的な力であり、神がわしらに恵んでくれた二つめの力だ。

それは、わしらを人間にしてくれる。・・』


お金より大事なこと プレアデス

『もしも、あなたが手の指をひきちぎられたら、どう感じるでしょうか。どうしようもない痛みに耐えられないことでしょう。母なる地球も同じことなのです。手の指だけでなく、今、母なる地球は全身を切り刻まれています。人間が地球を破壊すればするほどその痛みはどんどんひどくなるばかりです。ずいぶん長いあいだ、その痛みにじっと耐えつづけてきた母なる地球は、とうとうバランスを崩しはじめました。バランスを失いはじめ、すでにコントロールが利かない状態になりつつあります。かつてのチェロキー族の大地は奪われ、そして荒らされて、民はばらばらになり団結は失われました。我々は昔のようにひとつの部族として幸せな暮らしをすることはできません。チェロキー族の敬愛する母なる地球もまた、多くのものを失ってしまいました。母なる地球はまるで小犬でも蹴散らすかのように動きはじめました。大雨や火山の爆発や地震や竜巻といった多くの自然災害を起こしはじめているのです。すべての地球上のいのちに対して大きな被害を与えるかもしれません。愛を与えることを知らない人々を取り除き、破滅にむかって導く人を戒める浄化をはじめたのかもしれません。

母なる地球の声が聞こえます。「いくどおまえたちは聴いたのか。同じ言葉が世界中のいろんな人々から、発しつづけられたのを知らないわけはないはずだ。何度、同じことを繰り返し言わねばならないのか。よく耳をすませて聴くがいい。さもなくば、私はわずかに残った最後の希望を捨ててしまうかもしれない。新たな価値観を持った多くの人々が出会い、ひとつになることを私は待ち望んでいる。再び世界を赤い道(正しい道)の方向へ誘うために。わかってほしい。おまえたちを真の正しい道に戻すために大きな変化を起こしはじめたのだ。」』

『すべての人々が兄弟や親子のように集い、助けあうことが真の道だということをチェロキー族は知っています。偉大なる母の導きによって寄り添い、すべての生 き物が愛し合う日がやってくることを知っています。他人より強くなる必要はありません。武器による威嚇や核による脅威はまったく無意味なことです。人間は、 本当に大切なものを急速に見失いつつあります。大地のエネルギーとなる金や プラチナ、ウラニウムや石炭を掘りつくし、酸素を生みだしてくれる森林までもあまりに無駄にしすぎました。大地の大切な資源をお金儲けのためだけに使って しまったのです。しかも、ごくわずかな一部の人達がお金を儲けるためだけに ・・・わずかな人々のせいで何百万、何千万という人々はすべて奪われ 貧しさに苦しみながらこの世から消えていきました。母なる地球からのビジョン はこう告げます。「我々のエネルギーは個人的な安楽のためだけに使われるべ きではない。我々すべてを破壊へ導く、心の貧しいわずかな人々の力をなくす ために、いまこそ集え」と。』

『「やがて光のなくなる日がやってくる。世界中の電気は消えてしまうだろう。 電気によって動くすべてものはなくなり、生活は一変するだろう。しかし、我々 は生き続けなければならない」・・・電気がなくなるとどうなるのでしょうか。 想像するだけでもぞっとするかもしれません。でも思い出してください。電気が 発見される以前には、私たちは電気というものなしに生きてきました。長老たち の知恵こそが今、若い世代に必要となっているのです。電気がない時代にどうや って生きてきたのか、その頃のことを知恵として、語り継いでいかなければなり ません。この時代に生き残るためには、我々すべてが自分のできることを人に対 してするときなのです。自分の兄弟や姉妹、父や母にしてあげるように、すべて の人にそうした助けを惜しみなく分け与えるのです。我々は、もともとはひとつの地球の家族なのだから、生きるために助けあうのは当然のことなのです。慈しみの気持ちで人と接することができるならば平和はあなたの内に訪れます。我々の才能や時間、労力などを十分に活用するべきときがやがてやってきます。そのと きは何ものにもとらわれることなくその力を与えなさい。報酬や見返りなど 何も期待することなしに・・・』

『大きな変化の後にはお店も何もかもなくなり、お金で買えるものも何もなくなってしまうかもしれません。多くのお金があっても買うものがなくなればお金など 何の役にもたたないことがわかるでしょう。お金でしか物を買えないと思ってい る人に、こう尋ねてみなさい。あなたは、お金で作物を豊富に収穫したり、たわ わに実らせることができるのかと。或いはその方法を知っているのか、また教 えてくれるのかと・・・・・・・。お金などよりもっと大事なものが何かということを人々はすぐに理解するでしょう。作物を豊富に収穫したり、たわわに実らせることを知ることが、あるいは愛する兄弟である四つ足の人々(動物)から、コー トや靴を作る方法や子供たちを寒さから守る服を作る方法を学んでおくほうが、 お金儲けよりも大事なことだということがわかるでしょう。我々が学んできたことは、より多くのものを与えれば与えるほど自分の人生が豊かになるということ です。物質的なものだけでなく、あなたの知識や技術、能力を、そして愛や思 いやりといった価値あるものを計算することなく与えることが幸せにつながり ます。真の豊かさとは、多くのものを与えられるあなた自身の内にあるのです。 』

「プレアデスの知恵」 薗田綾 著 総合法令 より引用


バランスをとる ホピ

『今、世界中の人々がバランスを失っている。

昔の生き方に戻らなければならない、と長老たちは言っていた。
そうすることがとても難しいことは、わしは知っている。
だが、バランスが大きく崩れると、地震、竜巻、病気の蔓延、
飢餓、火山の爆発などさまざまな厄災がやってくる。

わしらは、自分たちの身も心も守らなければならない。
新しく、近代的なテクノロジーは確かに強い。だが、
その力でいつもコントロールできるとは限らない。

もしも事態が悪化すれば、なんの役にも立たなくなるだろう。
飢餓が来れば、大地から食べ物を得るのは難しくなるだろう。
すべてが汚染されているからだ。

そのために、わしらはたいへんな目にあう。

だから、何よりもバランスを取り戻さなければならん。

わしらは今、まるで自分で自分を滅ぼそうとしているようなものだ。

もしも、わしらがバランスを少しでも取り戻さなければ、
すべてのことがますます悪化していくだろう。
人も動物も大地もすべてのものが滅んでいくだろう。
そして、戦争がやって来る。・・・』

『これはひとえに、バランスを失っているあなた自身にかかっているのだ。

バランスを保つ生活に戻るのが困難なことは知っている。
何か、もっと醜い死者が出る何事かが近づいている。
動物も人を襲うようになる。

すべてはバランスが狂っているからだ。

わしら自身を浄化し、バランスを取り戻さなければ、
戦争や破壊を止めることはできない。

自分たちの信じていることを、もっと積極的に進めなければならない。

わしらの言うことを信じるのは難しいかもしれん。

だが、重ねて言おう。
あなた自身にかかっているのだ。』

『すべてはあなたたち次第なのだ。
自分自身と人々のために、大地や動物たち、地球のために、何かをするのだ。

わしらは皆、ひとつの地球の上にいる。
神戸の地震は終わっていない。
大地はまだ揺れている。

だからこそ、わしらは、
大地や人々や動物や木々や草花を救わなければならない。
それを救うのは、あなた次第なのだ。

植物は、病気の治療のための薬として、わしらが使ってきた役立つものだ。

この地上のすべてのものが救われ、生き残ることは、わしらの願うところ
だが、すべての人が生き残るというわけにはいかないだろう。

地震や、あるいは竜巻、洪水、地球上に蔓延する病
が人口を減らしていくだろう。

わしらは、今、紛れもなく危機に面している。

自分のことと、人々のことを考えるのだ。』

「ホピ的感覚」預言された「浄化の日」のメッセージ 小原田泰久著
KKベストセラーズ より引用

『もしおまえさんたちが今やっている行いを正さなければ、
自然そのものが手を下すことになるだろう。

どうすることもできない強力な“力”が現れるのだ。

ホピの予言に伝えられている“最終段階”が今なのだ。

近年各地で起こっている地震、噴火、火災、ハリケーンの数々 ---

これは最後のしるし、最後の警告なんだ。
地球はすでに最終段階に入っている。』


叡智を生きる 

『しかし、その魂は風のようにこの地球に生きる
  多くの生命をあるべき道へといざなってきた。

自らの欲望や快適さと引き換えに
自らの根を大地から引き抜き、その魂を売り渡すことなく
次の世代に生きる生命を守るために自らの欲望と闘ってきた人びと。

彼らの魂は遥か遠い祖先の魂と共に生き続けている。
彼らの祖先が命をかけて守り続けた生き方。

大地に根をおろし感謝と祈りと喜びにあふれた世界。
その世界に吹いていた風は心の自由と慈愛を携えていた。

そしてそれぞれの時代において、この世界を受け継いだ感謝の
想いと、次の世代に引き継がねばならない責任を感じていた。』

『自らの欲望や快適さのために他の多くの生命の犠牲を求めつづけた。

  自らの欲望と闘うのではなく、
自らの欲望のために他の生命や大地と闘い奪ってきたのである。

この今の私が住んでいるこの家の木は何処から来たのだろう。
この私が日々使っている物は何処から掘られたものだろう。

それらのものの多くが彼ら無名の戦士たちが
命をかけて守ろうとした大地からのものかもしれない。

実際に私たち日本人が使っている木材の80%が
外国から、それも熱帯雨林といわれる森から持ち込まれている。

それはこの森に生きる人びとの生活の場のみならずその生命を奪っている
こと(サラワクを参照)を意味している。

直接には手を出さずとも、私たち文明人は
先住民族の土地とそこに生きる生命を今も奪いつづけている。

細分化された産業構造の中にあって、
私たちが何かを手にすることにより、
何が消え何が奪われてしまったか
を肌を通して実感することが出来なくなっている。

まるでこれらのものが私たちの世界とは異次元の空間から
もたらされたものという傲慢な幻想の上に、大量生産・
大量消費の文明が成立してきた。

この無関心が持つ残虐性が世界中に悲劇を産みつづけてきた。

大地との絆、根っこを
完全に葬り去ることによって築き上げられたこの文明。

そこには先住民への虐殺や略奪、そしてその後の
自己基盤の喪失による高い自殺率、アルコール中毒、貧困が残された。

私たちはこれらの重い現実をどのように受け止めればいいのだろう。

数少ないがこの無関心を装ってきた中に潜む残虐性を感じとった人びとがいた
、ヴェイユしかり、賢治しかり、フランシスコしかり、先住民族しかり。

これらの偉大な魂は無関心に潜む残虐性と戦い続けた。

このはっきりと断罪することの出来ない魔物。
この魔物の正体を見つめること無しに、
真の自由や慈愛など存在しない。

その意味で私も彼ら先住民族の無名の戦士の魂を、
自らの欲望や快適さと引き換えに売り飛ばしてきた
醜い人間のひとりかもしれない。

地球上に生きる多くの生命の輝きや大地を奪ってでも
手に入れなければならないものとは一体何だろう。

そのような文明を私たちは目指そうとしているのか。
それが私たちの歩くべき道なのだろうか。』

『無名の戦士たちが守り続けてきた道に咲く、
  自由と慈愛の花たちを踏み荒してきた私たち文明人。

この自らの残虐性に気づくことなしに、
未来は見えないし未来への子孫への
責任を全うできるはずもないだろう。

この拙いホームページで紹介させていただいた
インディアンや世界各地の先住民族の声が皆様の魂に、
そしてこの私にも根をおろすことを願ってやみません。

そしてこの未来を守ってきた無名の戦士の魂が、
希望を再び私たちに取り戻してくれることを。』

『私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも
  七世代先の人々のことを念頭におきながら行われる。

これからやってくる人々、まだ生まれていない世代の人々が、
私たちよりも悪い世界で暮らしたりすることのないように、
できればもっと良い世界に生まれてこられるように
心を配るのが、私たちの仕事なのだ。

私たちが母なる大地の上を歩くときに、
いつも慎重に一歩一歩進むのは、
これから生まれてくる世代の人々が、
地面の下から私たちのことを見上げているからだ。

私たちはそのことを、片時たりとも忘れない』

オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)

「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」

スティーブ・ウォール+ハービー・アーデン著 船木アデルみさ訳 築地書館より引用

『ものごとすべてを輪として見よう。
  輪は生きる方法のことである。

つねに未来の七世代のことを考えて生きることである。
たえずこう問いつづけることである。

自分の行動は
自分の子どもの子ども、そのまた
子どもにどんな影響を及ぼすのか。』
ジョセフ・ブルチャック(インディアン・アベナキ族)の言葉

「先住民族 - 地球環境の危機を語る」

インター・プレス・サービス編 清水和久訳 明石書店 より引用

『水や雨を大切にしよう。

水は私たちの考えを浄化してくれる。

雨は空気を浄化して、地の渇きをいやしてくれる。

私たちは水や雨なしでは生きられない。


地球にあるものは皆、それぞれ存在する意味と役割をもつ。

自然の音に耳を澄ませば、自然は私たちに色々なことを教えてくれる。


鳥の鳴き声に耳を澄ませば、自分の心がわかってくる。

魚の泳ぎに目を向ければ、自分自身の答えが見つかる。


花には生命を絶やさないようにするという役割がある。

花の美しさや色にもそれぞれの役割がある。


目標に向かう私たちに力を与えてくれ、未来への夢を広げてくれるのである。

目がないから見えないとは限らない。

耳がないから聞こえないとは限らない。

鳥、魚、花、木、すべてが私たちの話を聞いている。

彼らに向かって心を込めて話すこと。


寒い冬の日に、木々が話をするのが聞こえてくる。

私たちや、私たちの未来について話している。

いつでも木々を敬うこと。


木の枝がなければ花は咲かない。

木があってこそ森になり、その美しさも生まれるのだ。

なぜ木を倒したり、森を破壊したりするのだろう。


木は私たちに生命の息吹を与えてくれる。

鷲、鹿、ビーバー、すべてが自分たちの流儀で生きている。

それぞれがビジョンを持っている。

肝心なのは、他人をまねることなく自分自身のビジョンを持つことだ。


夢は私たちにストーリーを語り、ビジョンの源を与えてくれる。

私たちが得たビジョンは、また他の人の夢となる。

人々に良い夢を見せてあげることだ。


ひとりひとりの画家は夢をもっている。

一枚の絵には、何かが隠されている。

画家の語りかけに耳を傾け、自分たちと結びつきのある話を聞こう。


太鼓の音や人々の歌は、私たちの心臓の音だ。

私たちの心臓の音は、いつでも宇宙の鼓動を映している。

歌を歌いたくなくなったり、太鼓を打ちたくなくなれば、

誰も私たちの鼓動に耳を澄まさなくなるだろう。


知恵の種は、私たちの中心にある。

自分自身の中心に、汚れのない思考とよい水を与えること。

そうすれば、閉じた中心が開いてきて、知恵の実を結ぶことだろう。』


聖なる大地 アトル首長

アトル首長
『ワシントンの大統領のお便りによれば、
我々の土地を買い上げたい、とのこと。
友情と好意のお言葉も添えてあります。

あなた方の申し出を考えさせていただきます。
我々が売らなければ、白人たちは銃を持って
私どもの土地を取り上げに来るかもしれませんから。 

この申し出の考え方は我々にとって不慣れなものです。

大気の新鮮さや水の輝きもこの地域のどの部分も聖なるものです。
輝く松葉、砂浜、奥深い森の霧、すべての切り透かし、
そしてハミングする虫たち、皆、この民の思い出の中で、
また体験の中で聖なるものなのです。

水のささやきは私たちの声です。
川は我々の兄弟であり、我々の渇きをいやしてくれます。
川は我々のカヌーを運び、我々の子供たちを養います。

もし我々のこの土地をあなた方に譲るとするなら、
その時あなた方は、川とは我々の、そしてあなた方の兄弟であり、
どの兄弟にも示すその親切を川にも示さねばならぬということを、
必ず思い出してください。

白い人の死者は、星の間を歩きはじめると、生まれ故郷を忘れます。
我々の死者は決してこの美しい大地を忘れることがありません。
なぜならそれは、赤き人々の母だからです。

しかし、我々の土地を買いたいという申し出を考慮してみます。
もし我々が賛成するならば、それは、お約束になった
代替地を確保することを意味します。

多分そこで残された短い日々を、望むように生きられるのでしょう。

最後の赤い人が地上から消え、彼の記憶が牧草地を通り過ぎる
雲の影のようになった時でも、あの浜辺たちや森たちは
私の民の霊を保っていることでしょう。

なぜって、彼らは、生まれ出た赤子が
母親の心臓の鼓動を愛するように、
この大地を愛していたからです。

だから、もし我々が我々の土地をあなた方に売るなら、
我々がこの土地を愛したように愛してやってください。

あなた方がそれを取り上げた時、
そのままの土地の姿を心に刻んで下さい。

すべての力をもって、すべての思いをもって、すべての心を持って、
あなた方の子供たちのために、そのまま保存して下さい。

そしてその土地を愛して下さい。

・・・・・・神が私どもみんなを愛し給うように!』

「酋長の系譜」 新正卓 著 押田成人 訳 講談社 より引用


地域通貨と共生のコミュニティ パリトーショ

『 「通貨」は、経済社会の“血液”と言われます。
 人間社会という一種の有機体の、エネルギー交換の媒体だからでしょう。
 でも、その「お金」にちょっとした細工が施されていたため、私たちは
いつの間にか「お金」に使われ、自分たちの生存基盤である地球を搾取して
いました。
 そしてついに、なぜかこのままでは人間社会が有機体として機能しえない
土壇場まで来てしまいました。 これまでの資本主義社会で、
私たちは地球を資源として扱ってきました。
 資源であることも事実です。でも、地球は私たちの“全身”でもあります。
もちろん、“全身”をへたらせて“細胞”だけが生き延びることはできません。

 その意味で、私たちは地球生態系の表面に生息する小さな虫でもあります。
それぞれに10兆個もの腸内細菌を抱え、その働きによって生存を
支えられてもいます。
 地球が死んでも、腸内細菌が死んでも、私たちは生きてはいられません。
 では、生きているのはいったい「誰」なのでしょう。』

『そのことの理解のために、現段階の私たち人類には、有機体の中の自分が
属する部位(これを「コミュニティ」という言葉で代表させましょうか)
との協調を学ぶのが一番自然であり、そこを素通りはできません。
 そして、完璧な有機体として機能できる段階に達するまでは、自分たち
の身の丈にあった「通貨」(エネルギーの交換媒体)を洗練して
いかなければならないのでしょう。
そしていつの日か、地球家族が本当の「家族」になったら、
今も家庭内では夕ご飯に「お金」を払わないように、
「お金」はその役割を終えるのかもしれません。』


共感 ばさんと

『そして、必然的になんでもない葉っぱやなんか
よーく目をこらして観始めたのだ。

それで、最初のうちただの葉っぱにしか思えなかったのがよく観てみると
なんでもないただの葉っぱひとつにしろ、なんか、どんなにどえらい大家
の大先生が制作した芸術作品なんてものも足元にもおよばないほどすごい
ものに感じられたりしてきたのだよ、実際、小さな葉っぱの中の葉脈の模様
や形やなんか観てたらすごくて、なんか、ただなんでもない葉っぱの持つ
途方もない美しさが観えてきたといゅうのか、たった一枚の葉っぱでさえ
こんなにすごいのにいま目に映る世界には無数の数え切れないほどの芸術的
な美しい宝物のような葉っぱやなんかが、ごく自然に、あたりまえのように
存在していて、しかもそれらのなにひとつ存在は手を抜いていなくて、まさに
神技といゅうか、存在のすごさといゅうのか、僕はそのことに気づかされた
瞬間、思わず、「Oh, My God!」と叫びそうになってしまったのだった。

そしてその時、僕はなにかとても宗教的な体験をしたような気がしたのだ、
そして、いままでたった一枚の葉っぱでさえ観ているようで僕はなにも観て
いなかったんだななんて教えられた気がしたのだった。

なんか最近、日本の社会では瞑想だとか宗教だとか口に出して言おうものなら、
なにか胡散臭そうなことしているように思われて、そういゅうのえらく誤解
されている部分が大きいなあと僕は感じているのだけれど、本来、瞑想や宗教
といゅうものはそんなふうになにか人知を超えた大いなるものや美しいものを
実感させてくれ、我々が生きるうえでとても大切ななにかを教えてくれるもの
ではないかと僕は感じているのだが、、、?

たしかに絵を描くことで僕はいろんなものが少しずつ見えてきた気がするし、
いろいろなことを感じさせてもらえた気がするのだ。

そして、いまでは絵を描くことが僕にとっての気づきをうながす、
僕にもっとも適した瞑想方法になったのかなといった感じなのだ?

そして僕は誰かさんの言うように絵を描くことで気づかされ見えてきたものたち
にともなって、そこから僕自身少しずつでも人間的に成長していけたらなあ
と思う今日この頃なのだ。

なんの因果か、僕はインドまで行って妙な世界にはまってしまったわけだが、
でも、日本を離れてインドになんて行ってみると日本にいる時とはずいぶん
時間の感覚が違うなあだとかあらためて感じたりすることがよくあるのだが、
日本の社会にいると忙しすぎてなかなか見えてこない大切なものってたくさん
あると僕は思うけれど、できればインドまでとは言わないが、この日本の社会
の中にいてもそれに埋没しないで、時にはこんなめまぐるしい日常を離れて
独り静かに道端にさりげなく生えているなんでもない草の美しさなどに思いを
はせるのも、それはそれでなかなかおつなものではないかと僕なりに感じたり
する今日この頃なのだ。』


「意味」の発見  アキラ

『子どもは大人より、たくさんの未来をもっている。
大人たちはそれを無意識に恐れているのではないか?
子どもを殺すことは未来を、その可能性を葬ることだ。
大人たちは未来への存続を望んでいないのではないか?
「犯人たち」と書くべきところをあえて「大人たち」
と書いたのは、 誰の中にも負の可能性はあるからだ。
犯罪は時代の集合無意識がつくりだすものならば、
オレたちもすべての犯罪に荷担していることになる。』

『幼くして死んでいく者は、
犯人に、母親に、家族に、大人たちに、オレに、君に、
なにかを伝えるために不条理な運命を受け入れる勇者だと思う。
殺された子どもと同じように、残虐な犯人も過酷な運命を受け入れた。
オレはこのような考え方を世界の先住民から学んできたが、
押しつけるつもりもない。
正しい考え方などない。
真実などない。
ただこう考えることによってオレはあらゆるものとつながれる。
自分が存在する「意味」を見つけられるからだ。
子どもたちの世界は「意味」を発見する驚きに満ちている。
物質的な価値観が崩壊した今、子どもたちのつむぎだす
精神的な価値観が未来を創造するだろう。
「幼子のようにならなければ、天国にはいることはできない」
とキリストは言った。』


この世界が滅んでも  アキラ

あなたが花をながめるとき
花もあなたを見つめている
あなたが鳥の歌を聴くと
鳥もあなたに耳を澄ます

 ミタクオヤシン 
 すべてのつながるものに 
 ひとつひとつの命が 
 そっと寄りそい合う

この世界が滅んでも
声からして歌うから
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
なんど傷ついたって
どんな馬鹿にされたって
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから

あなたが風にふかれるとき
風もあなたを感じている
あなたが木々にふれるとき
木々もあなたにキスをかえす

 ミタクオヤシン
 すべてのつながるものに 
 ひとりひとりの祈りが
 今ひとつになる

この世界が滅んでも
声からして歌うから
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
なんど裏切られても
どんなことを言われても
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから

あなたが友をいじめるとき
友もあなたを恐れている
あなたが火をもてあそぶとき
火もまたあなたに燃えうつる

 ミタクオヤシン
 すべてのつながるものに 
 一粒一粒の涙が
 いつか時を変える

この世界が滅んでも
声からして歌うから
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
なんど倒されたって
どんなかっこわるくても
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから

ぼくらが星を見あげるとき
星もぼくらにささやいている
あなたがぼくに微笑むとき
ぼくもあなたに笑いかえす

 ミタクオヤシン
 すべてのつながるものに 
 7つの世代を越えて
 夢を伝えていこう

この世界が滅んでも
声からして歌うから
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
なんど涙流して
どんな孤独の中でも
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから

 せとぅ

オショウが戻って来て講話を再開するとして、

話してはいけない内容の一覧を渡す人は何人いるだろう。

講話をすることを拒絶する人は何人いるだろう。

寝室から出る事を禁止する人は何人いるだろう。

アシュラムの出入りを禁止する人は何人いるだろう。

天国へ帰るように勧める人は何人いるだろう。

何人が彼を十字架に張り付けるだろう。

そういう笑い話を思い付いた。みんな成長して偉くなったもんだ。

☆ Thought a little

If Osho came back and start discource again,

How many people give a list of the thing which should not talk.

How many people refuse to do a discource.

How many people prohibit him to go out from his bed room.

how many people reject him to enter the Ashram.

How many people tell him to go back to the heaven.

How many people put him on the cross.

I just thought this joke. Many people has grown and became great.


笑いの力 セトゥ

笑いの力 - ドンと来い。ドンと来い。ガハハハハ

ハートの中心 せとぅ

『ハートの中心を見付けたのは、1989年の1月の事だ。

詳しい日付は覚えていない。当時はインドにいてインターネットに繋がって
いなかったので、オンラインじゃない。新聞やテレビも見ていないので、
日付は気にしない事が多い。

きっかけは当時つき合っていたというか、一緒に生活していた彼女に好きな
男の子が出来た事。

僕はパニックだったので、なんとかしようともがいたら、何と
ハートの中心にたどり着いてしまった。

ハートの中心は静かなのである。
ハートの中心にいると頭も心も静かだったのである。

信じられなかった。それで、一日中、ハートの中心にいることをしていた。
そうするといろいろな事が起きた。多分、数日もすると彼女に好きな男が
出来た事なんかすっかり忘れていた気がする。

まあ、最初は頭も心も混乱していたので、それを救うために
ハートの中心にいたのだ。ハートの中心にたどり着いたののは、
もしかしたら、師匠の助けがあったかも知れない。

そのちょっと前だと思われるのだけど、記憶が混乱しているので話の前後が
差だかではないが、私の師匠の講話の最中に、やはり頭が混乱して、更に周囲
の人の思考が飛び込んで来るような感じで、ハートが痛いくらいになった。

それで、頭に周りから痛いのが飛び込んで来るような感じだったので、
耐え切れずに「Help Me!!!!」と、心の中で叫んでしまった。
叫んだと言っても、実際に声に出した訳ではないけど。

でも、精神的な師匠は、その心の叫び声が聞こえたのか、話の途中で、言葉を
止めた。「ああ、師匠。ごめんなさい。あなたの邪魔をしてしまいました」
と思った次の瞬間。

師匠の方向から暖かい質がまっすぐにハートに流れ込んで
来て、縮こまっていたハートが風船の様に膨らんだ。
僕のハートの痛みは消えて、ハートが幸せ
になって、頭の混乱はきれいに止まった。

そうして何事もなかったように、我が師匠は講話を続けた。
その間、2秒とか5秒とかそんなくらい。誰も師匠の講話の
中断などに気が着く長さではない。でも、僕は知っている。
多分、師匠も知っているんだと思う。僕と師匠の間の秘密。』

クリックすると音色が聴けます

■命の力を信じて

Dedicated to j.Krishnamurti and Osho

  昼下がりのひととき

スズメのさえずりが 聞こえる

  風にさざめく 庭の笹の葉

通りすぎる スクーターの音

  いま 世界を聞いている  注意ぶかく

風が吹き かすかにサッシが鳴る

  通りすぎる トラックの音

それらに混じって 聞こえてくるのは 子供らの声

  いま 世界を理解している

私という中心領域は どこにもない

  静寂なこころ  静寂なあたま

そして 私はお金がないとか

  なにをしなければいけないかとか

そんなあれこれの やっかいごととは 無縁だ

  連なる思考や たくさんの夢から 解放されたかのよう

私は 空っぽで ただ 世界という友人を 喜び迎え入れるだけ

  静寂なこころ 静寂なあたま

そして 私は自分が誰かとか

  なににならなければいけないとか

そんなあれこれの苦悩の種とは 無縁だ

  ただ受け取る 喜びがある ただ刈り獲る 収穫の幸せがある

そうだ いえることは ひとつだけ

  世界は実り豊かな  ひとつの広大な畑 ひとつの無辺の田

私が受け取ろうと 受け取るまいと

  いつもいつも 与えっぱなしに 与えてきた

私がこの世から 姿を消しても 

  おびただしい太陽とともに  幼少から今日まで

遠い太古の過去世から  現在に至るまで  

  黄ばんだフィルムに焼き付けられた 生のひとこまひとこま

いまは 日時計の 影とともに 色褪せてしまい

  私は 産むこともなく そして決して 倦むこともなく

育むのみ  命の力を信じて

  喜びも悲しみも 超えて行こうよ

一粒の種を蒔き  毎日水をやれば いつかは芽が出て

  立派な木となり やがて 花が咲いて 実を結ぶ

そうだ 必要なのは ただ 命の力を信じる力だけ 

  それを 愛と呼ぼうと 呼ぶまいと

By Dhyan(Meditation) Akaam(Without desire)

ガヤトリィ・マントラ



Imagine

Imagine there's no Heaven it's easy if you try

No Hell below us  Above us only sky
Imagine all the people  Living for today
Imagine there's no countries  It isn't hard to do
Nothing to kill or die for  And no religion too
Imagine all the people  Living life in peace

You may say I'm a dreamer  But I'm not the only one
I hope someday you'll join us  And the world will live as one

imagine no possessions   I wonder if you can
No need for greed or hunger  A brotherhood of man
Imagine all the people  Sharing all the world

You may say I'm a dreamer  But I'm not the only one
I hope someday you'll join us  And the world will be as one

想像してごらん、天国なんてないんだよ。
もし君がトライするならかんたんなことさ。
僕たちの足もとに地獄なんかない。
上には空があるだけじゃないか。

想像してごらん、すべての人々が「今日を生きている」ということを。

想像してごらん、 国家なんて存在しない世界を。
そんなにむずかしいことじゃないさ。

想像してごらん、「なにかのために」殺すことも、死ぬこともない。
宗教だって同じことだよ。

想像してごらん、すべての人々が平和のなかに生きることを。

君は僕のことを「なに夢見てんの」なんて言うだろう。
でもこんな願いを抱いているのはひとりだけじゃないんだ。
いつの日か君もいっしょになって、世界はひとつになるだろう。

想像してごらん、所有なんてできないんだよ。
君にできるだろうか。

欲張ったり飢えたりすることはない。
僕たちは人という兄弟なんだから。

想像してごらん、人々が世界を等しく分かち合うことを。

君は僕のことを「なに夢見てんの」なんて言うだろう。
でもこんな願いを抱いているのはひとりだけじゃないんだ。
いつの日か君もいっしょになって、世界はひとつに暮らすだろう。

(Akira 訳)

日月神示

『真の信仰に入ると宗教に囚われなくなるぞ。
真の信仰に入らねば、真の善も真の信も真の悪も真の偽りも判らんのぢゃ。

今に岩戸開いてあきらかになったら宗教いらんぞ、政治いらんぞ。

高い心境へ入ったら神を拝む形式はなくともよいぞ。
為すこと、心に浮かぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。

右の頬を打たれたら左の頬を出せよ。
それが無抵抗で平和の元ぢゃと申しているが、その心根をよく洗って見つめよ。

それは無抵抗ではないぞ、打たれるようなものを
心の中に持っているから打たれるのぞ。

マコトに居れば相手が手を振り上げて打つことは出来ん。
よく聞き分けて下されよ。

笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが。

これが無抵抗ぞ、世界一家天下泰平ぢゃ。
左の頬を出すおろかさをやめて下されよ。

まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ。
よく見分けなならんぞ。

悪の大将は光り輝いているのざぞ、神の印つけた悪くるぞ。
悪の顔した神あるぞ。

信仰を得て霊的に病気を治すのは一瞬には治らんぞ。

奇跡的に治るとみるのは間違い迷信ぞ。
時間もいり手数もかかる。物も金もいる。

大き努力いるのであるぞ。取り違い多いのう。

この神のもとへ来て信心さえしていたら
善いことある様に思うているが、大間違いぞ。

この方のもとに参りて先ず借金取りに借金払いして下されよ。

苦しいこと出来てくるのが御神得ぞ。

この方のもとへ来て悪くなったと言う人民遠慮いらん帰りてくれよ。
そんな軽い信心は信心ではないぞ。

結構な苦しみが判らん臣民一人も要らんのぞ
しっかり褌締めてついて御座れよ。

この方悪神とも見えると申してあろうがな。

この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすること
がよくあれなれど、それは大難を小難にし、またメグリが一時に来て
その借金済ましをさせられているのぢゃ。

借りた物は返さねばならん道理ぢゃ。
長い目で見て良くしょうとするのが神の心ぞ。

目の前のおかげではなく永遠の立場から良くなるおかげがマコトのおかげ。

天国を動かす力は地獄であり、光明を動かす力は暗黒である。

地獄は天国あるが故であり、暗は光明あるが故である。

因が果にうつり、呼が吸となりゆく道理に於いて歓喜は更に歓喜を生ず。

その一方が反抗すれはするだけ他方が活動し。また強力に制しようとする。

この道は因縁なくては判らん難しい道であれど、
この道貫かねば世界は一平にならんのぢゃ。

縁ある人は勇んで行けるのぢゃ。

一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ。

元の神代に返すというのはたとえでないぞ。

穴の中に住まなならんことも出来るぞ、生の物食うて暮らさなならんし
臣民取り違いばかりしているぞ。

何もかも一旦は天地へお引き上げぞ、
われの欲ばかり言っていると大変が出来るぞ。

官は潰され御分皆、火にかけられ灰となる。

この世の終わり近づきぬ。

さあ今の内に神得積んでおかんと八分通りは獣の臣民となるのざから
、二股膏薬ではキリキリ舞いするぞ。

キリキリ二股多いぞ、獣となれば同胞食うことあるぞ、気付けておくぞ。

牛の食べ物食べると牛のようになるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。

臣民の食べ物は定まっているのざぞ。
四つ足は食ってはならん、共食いとなるぞ。

草木から動物生まれると申してあろう。
臣民の食べ物は五穀野菜の類いであるぞ。

獣の食い物食う時には、一度神に献げてからにせよ。

神から頂けよ、そうすれば神の食べ物となって何食べても大丈夫になるのぞ。

神に献げきらぬと獣になるぞ。

日本のてんし様が世界まるめて治めす世
と致して天地神々様にお目にかけるぞ。

てんし様の光が世界の隅々まで行き渡る
仕組みが三四五の仕組みぞ岩戸開きぞ
何もかも神に捧げよと申してあろうがな、
それが神国の民の心得ぞ、否でも応でもそうなって来るのざぞ。

物、自分のものと思うは天の賊ぞ、
皆てんし様のものざと申してあるのにまだ判らんか。

神にとけ入れよ、てんし様にとけ入れよ
立て直しと申すのは世の元の大神様の御心のままにすることぞ。

御光りの世にすることぞ。てんし様の御稜威輝く御代とすることぞ。

三四五とはてんし様の稜威出づことぞ。神が世界の王になる。

てんし様が神と判らん臣民ばかり。

富士は晴れたり日本晴れ、
てんし様が富士から世界中にみいづされる時近づいたぞ。』

火水伝文

『
「日月神示」
大きアジアの国々や島々八十の人々と、手握り合ひ神国の光り輝く時来しと、
皆喜びて三千年、神の御業の時来しと、思える時ぞ神国のまこと危き時なるぞ。

「日月神示」
空に変わりたこと現れたならば、地に変わりたことあると心得よ天の異変、
気つけて居れよ。海の津波、気つけて呉れ。寒い所暖かく暑い所涼しくなるぞ。
月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は血の色となるぞ、流れも血ぢゃ。
天も地も一つにまぜし大嵐、攻め来る敵は駿河灘、富士を境に真っ二つ、
先づ切り取りて残るもの、七つに裂かん仕組みなり。地震、雷、火の雨降らして
大洗濯するぞ。いよいよとなりたら地震、雷ばかりではないぞ。火と水の災難が
どんなにおそろしいか今度は大なり、小なり知らさならんことになりたぞよ。
一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから。地つちの軸動くぞ、
フニャフニャ腰がコンニャク腰になりてどうにもならんことになるぞ。 
江戸と申すは東京ばかりではないぞ、今のような都会みな穢土であるぞ、
穢土はどうしても火の海ぞ。

「火水伝文」
国、土台から破壊され。ケガレし権力潰えしも外なるケガレ逆巻きて内なる
ケガレ払うのぞ。私有財産壊滅し、衣・食・住にも困窮し、国民同士の戦いある
。人と獣の分かれ目ぞ。

「日月神示」
一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざからよく世界のこと
を見て皆に知らせてくれよ。百人に一人くらいはなんとか役に立つぞ。
臣民無くなるぞ。残る臣民三分むずかしいぞ。三分と思えども二分であるぞ。
あちらに一人、こちらに一人、というふうに残るくらいむごい事に
せなならん様になっているのざから。』

『「火水伝文」
いつまでもイシヤの仕組みに引っ掛かりて居りて、この世にありもせぬ
自由・平等・博愛なる戯言に振り回されて揚げ句、不自由・不平等・不博愛なる
世を創り上げてしもうた事にまだ気づかんか。』

『「日月神示」
宗教によるもののみ天国に行くと考える者、自分の教会のみ天国に通ずると思う
者、皆悪の蛮族ばかり迷うなよ。神から来た教えなら他の教えとも協力して
共に進まねばならん。教派や教義にとらわれるのは邪の教え、他の神を拝しては
ならんという、そんな信仰はそれだけのもの早よう卒業結構。』

『「日月神示」
裁判所いらんぞ、牢獄いらんぞ、法律いらんぞ、一家仲ようしたらいらんのぢゃ
国も同様ざぞ、そんな事すれば世の中メチャクチャぢゃと申すであろうが、
悪人が得すると申すであろうが、誰も働かんと申すであろうが、
人間の小知恵ぢゃ。そこに人間の算盤の狂うたところ気づかんか、
上に立つ人もっともっと大きな心けっこうぞ、算盤なしで梶とらすぞ。
神の申す通りに進むのぢゃ、これが出来ねば一段と下がって頭下げてござれ、
余り大き取り違いぢゃぞ。悪の守護となっているからぢゃ、ここの道理判るまで
は動きとれんのぢゃぞ世が変わったら天地光り、草も光り、石も物心に歌うぞ、
雨も欲しい時に降り、嵐も欲しい時に吹くと雨の神、嵐の神申して居られるぞ。
神の世と申すのは、今の臣民の思うているような世ではないぞ、
金は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、
衣類・食べ物・家倉まで変わるのざぞ。
草木も喜ぶ政治と申してあろうがな、誰でもそれぞれに先の判る様になるぞ。
お日様も、お月様も、海も山も野も光り輝くぞ、水晶の様になるのぞ。
博打、将棋は無く致すぞ、雨も降るだけ降らしてやるぞ、風も良きように吹かし
てやるぞ、神をたたえる声が天地に満ち満ちて、嬉し嬉しの世となるのざぞ。
世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違う臣民
によりて一つ一つの国作らすぞ、その心々の国であるぞ、
一つの王で治めるのざぞ。天の日嗣の御子様が世界中照らすのぞ。』




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