光と闇の瞑想  ヴィギャン・バイラヴ・タントラ

翻訳  スワミ・アドヴァイト・パルヴァ(田中ぱるば) 市民出版社


本書の原本は、インドの覚者OSHO(和尚・1931〜1990)によって語られた 『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』である。これは1年以上にわたって 断続的に展開された10シリーズ全80回の講話集で、本書はそのうちの 岱7集8講話を収めている。

第1章 意識的な行動



あなたの目を覗ノゾきこんでも
そこにあなたの姿はまったくない
まるで不在であるかのようだ
あなたは存在しながら不在だ――
これこそがあらゆる苦悩の核だ

まったく不在のままでも生きてはいられるが
もし不在だったら
あなたの存在はひとつの退屈となる
そしてこれが実際の状況だ

だからあなたの目を覗いてみても
そこにあなたの姿はない
あなたはまだ出現していない
あなたはまだいない

状況は整っている……
可能性は存在している
いつなんどき出現してもおかしくない――
ところが
まだあなたはいない

この不在に気つ゛くことが
瞑想へと向かう旅
超越へと向かう旅の
第一歩だ

自分が い な い ということに気つ゛いたら……
自分はここに存在しているが
なぜ
どのように存在しているのかわからないし
そもそも内側に誰が存在しているのかもわからない……

このような気つ゛きがないと
いろいろな苦悩が生まれてくる
自分のすることすべてが
知らず知らずのうちに苦悩をもたらす

重要なのは
何 を す る か ではなく
何かをするときにあなたが
存 在 し て い る か 否 か ということだ

何をするにせよ
そのとき自分が全面的に存在していたら
その生はエクスタシーに満たされる……
その生は至福となる

ところが自分が存在せず
不在のまま何かをしたら
その生は苦悩となる
必ずそうなる
地獄とは自己の不在だ

探求者には二種類ある

一方はつねに「何をするか」を探求している
でもそれは間違っている
「すること」はまったく重要ではない
重要なのは「在アること」だ……
「何であるか」「どのように在るか」だ

だからけっして「行為」とか「すること」の見地から考えてはいけない
だとえ何をしようとも
自分が不在だったら
そこには何の意味もない

俗世に暮らそうと僧院に住もうと
群集に交じろうとヒマラヤに独居しようと
何も変わらない
ここにいようと彼方にいようと
あなたは不在だ

何をしようと――それが群集の中であっても
無人の荒野であっても――すべては苦悩をもたらす
自分が存在しなかったら
何をしようとすべては誤りだ

二番目の種類
正しいほうの探求者は
何をするのかは探求しない

彼が探求するのは
いかに在るかだ
彼にとっていちばん大事なのは「いかに在るか」だ

ひとりの男がゴータマ・ブッダのもとへやって来た
男は人々を深くあわれんでいた
それでゴータマ・ブッダに尋ねた
「私は世の人々を助けたいと思います
一体どうしたらいいでしょう」

するとブッダは笑ってこう言ったそうだ
「あなたには何もできない
それはあなたがいないからだ
自分がいないのに
いったい何ができるだろう
だから世の人々のことは考えなくていい
どうやって世に奉仕しようか
他人を助けようかなどと考えなくていい」

そしてブッダは言った
「まず最初に存在することだ
あなたが存在すれば
することすべてが
奉仕になり
祈りになり
慈悲になる
自分の存在こそが転回点だ
自分の存在こそが革命だ」

だからふたつの道が存在している
――行為の道と瞑想の道だ
このふたつは正反対だ
行為の道は根本的に行為者としての人間を対象とする
この道はあなたの行為を変えようとする

この道が変えようとするのは
あなたの性格であり
道徳であり
対人関係であって
けっしてあなた自身ではない

瞑想の道はそれと正反対だ
この道は
行為ではなく
直接あなたを対象とする

あなたが何を す る かはどうでもいい
あなたが何で 在 る か こそが重要だ
それこそが基本であり根幹だ

なぜなら
あらゆる行為はあなたから発するからだ

行為はいくらでも変えられる
正反対の行為に取って替えることもできる
でもそれはあなたを変えない
どのように外側を変えても
内側の革命は起こらない

なぜなら外側は表面的だからだ
最奥の核は手つかずのままだ
何をしようとも
それは手つかずのままだ

でもその逆は革命をもたらす
もし最奥の核が変わったら
表面は自動的に変化する

この基本を理解して初めて
こうした瞑想技法にも入っていける

よくないのは
自分の行為にこだわることだ
それは往々にして
真の問題から逃れる策略であり方便だ

たとえば暴力的な人間がいるとする
彼はどうにかして非暴力的になろうとするだろう――
非暴力的になれば宗教的になれると思って……
非暴力的になれば神に近つ゛けると思って
また残虐な人間は
どうにかして慈悲深くなろうとするだろう

たとえそうしたところで何も変わらない
本人は同じままだ
彼の慈悲には残虐さがつきまとう
それは余計に危険だ
彼の非暴力には暴力がつきまとう
その暴力はさらに微妙になる
彼は暴力的に非暴力となる
その非暴力には
暴力のあらゆる狂気がある
また彼はその慈悲を通じ
残虐を行う

慈悲によって人が殺される
人々はそうして殺されてきた
宗教戦争というものが数多く存在している
そうした戦争は慈悲の心をもって行なわれる

人を殺すにしても
じつに慈悲深く
じつに非暴力的にやる
愛の心をもって人を殺す

というのも
殺すのも 当 人 の た め だからだ
相手を殺すのも
それが当人のためになるから
当人にとって助けとなるからだ

自分の行為を変えたところで
行為を変えようとする努力は
じつは根本的な変化を避けるための方便だったりする

根本的な変化のためには
まず自分が存在することだ
自分の存在について
もっと気つ゛きを深め
意識的になる
そうして初めて
 在 る こ と が現れる

あなたはけっして自分を感じない
ときに感じることはあっても
それは他人を通じてだ――興奮とか刺激とか反発を通じてだ
誰かほかの人間が必要だ
ほかの人間を通じて
あなたは自分を感じる

これは不条理だ

ひとりでいて興奮もなく
鏡となる人間が存在しないと
あなたは眠りに落ちる
退屈する
けっして自分を感じない
 在 る ということがない
あなたは不在のうちに生きる

この 不 在 で あ る こ と は非宗教的だ
自己の存在に満たされるということ……
自己の存在の光に満たされるということ
それは宗教的だ

だからこれが基本的に重要な点だ

私はあなたの行為を重視しない
あなたが何をするかはどうでもいい

私が重視するのは
あなたが 何 か ということだ――
不在か実在か
気つ゛いているか気つ゛いていないか――

これから観ていく技法は
あなたをもっと存在させるため
あなたを今ここに連れて来るためにある

あなたが自己を感じるためには
他人かあるいは過去が必要だ
過去を通じて
過去の記憶を通じて
あなたは自分というものを感じる

あるいは未来が必要だ
あなたは未来に自分の夢を投影する……
自分の理想を
未来の生を
モクシャ(解脱)を投影する

だから自分の存在を感じるためには
過去の記憶とか
未来の投影とか
他人が必要だ

けっして自分だけでは満たされない
これこそが病気だ
自分だけで充分でない人間には
何物も充分ではない

ひとたび自分だけで満たされたら
そこに勝利がある
葛藤は終わった
もはや苦悩は存在しない
引き返すことのない地点がやって来る

この点を超えると永遠の至福がある
この点以前には苦悩がつきものだ

でもその苦悩のすべては
奇妙なことだが
自分の行ないに由来している

これはまさに奇跡だ

あなたは自分の苦悩を作り出す
ほかの誰でもない

もしほかの誰かが作り出すのなら
それを超えるのは難しい
もし世界がそれを作り出すのなら
あなたにいったい何ができるだろう

でも実際のところ
あなたには何かができる
「何かができる」という事実は
その苦悩を作り出しているのは他人ではないということだ

それは自分自身の悪夢だ

そしてその基本的な要素は以下のとおりだ

第一に
あなたは「自分は存在する」と考えている
…………「自分は存在する」と思い込んでいる

それはたんなる思い込みだ

あなたは
けっして自己に直面したことがない
けっして自己に面と向かったことがない
けっして自己に出会ったことがない
――出会いというものはあったためしがない

たんに「自分は存在する」と思い込んでいるだけだ

まずこの思い込みを捨て去る

自分はまだ存在しないということをよく自覚する

こうした偽りの思い込みがあったら
あなたはけっして変容できない

この偽りの思い込みによって
あなたの生は偽りになる

グルジェフは
かつて弟子たちによく言ったものだ
「何をすべきか私に尋ねてはならない
あなたには何もできない
何かを行なうためには
まず第一にあなたが必要だ
だがあなたはいない
だったら誰がするというのか
いくら何かをしようと考えても
あなたには何もできない」

こうした技法の目的は
あなたを助けること
あなたを連れ戻すこと
自己に出会える状況をもたらすことにある

いろいろなものを破壊する必要がある――
間違っているものすべて
偽りなるものすべてを
「真」が生じる前に
まず必要なのは
「偽」が消え去ること
「偽」がやむことだ

「自分はいる」という観念は偽りだ

「自分は魂だ
アートマンだ
ブラフマンだ」
という観念は偽りだ

とは言っても
実際にそうでないというわけではない

その観念が偽りだということだ

グルジェフはいつも「あなたの中に魂はない」と言っていた
あらゆる伝統に反して彼はこう語り続けた
「人間に魂はない
魂とはたんにひとつの可能性だ
可能だというだけで
今あるとはかぎらない
それは達成するものだ
あなたはたんにその種子だ」

たしかにそのとおりだ
その可能性はある
その潜在性はある
でもまだ現実ではない

ところが私たちは
いつもギータやウパニシャッドや聖書を読んでは
自分は魂だと思い込む

つまり
種子が自分のことを樹だと考える
樹はそこに隠されていて
まだ顕れていない

だから
よくこころえておくことだ――ことによると
自分はいつまでも種子のままかもしれない
種子として死ぬかもしれない……

樹が自分で出現することはない――
樹が自分で芽生えることはない

まずはそのために
何かを意識的に行なうことだ
意識を通じて初めて
それは成長する

成長には二種類ある

一つは無意識的な成長
自然な成長だ
条件が整っていたら
それは成長する

でも
魂
アートマン
内奥の存在
自分の中の 神 的 実 存 の成長は
それとはまったく違った種類の成長だ
それは自然ではない超自然だ

自然にまかせていたら
それはけっして成長しない
進化にまかせていたら
それはけっして進化しない

意識的に何かをする必要がある
意識的な努力が必要だ
意識を通じて初めてそれは成長する

いったん意識の焦点がそこに合わされると
その成長は起こる

こうした技法は
あなたをもっと意識的にするためにある
それでは技法に入ろう


73 雲のない空のように晴れ渡る

第一の技法


空全体が果てしなく晴れ渡るとき
その 晴 れ 渡 り の中に入る

マインドとは混乱だ
晴れ渡っていない
マインドはつねに混雑している
つねに曇っている
けっして
雲ひとつない空っぽの大空ではない

マインドにとってそれは不可能だ
マインドを晴れ渡らせるのは不可能だ
マインドにとってそれはもともと無理なことだ
マインドはいつまでも曇ったままだ

もし
あなたがマインドを去ったら
もしあなたが突然
マインドを超越し
マインドの外に出たら
きっとそこに 晴 れ 渡 り が起こるだろう

あなたが晴れ渡るのは可能だ
しかしマインドはだめだ
晴れ渡ったマインドというものはない
いままでけっしてなかったし
これからもけっしてない
マインドというのは
曇りということだ
混乱だ

マインドの構造を理解すれば
この技法がはっきり理解できるだろう

マインドとは何か
それは思考の移り行きだ
いろんな思考の連続体だ――
関連するものしないもの
意味のあるものないもの――
あらゆるところから集まってきた多次元的な 印 象 の 集 積 だ

生全体はひとつの集合だ
塵の集合だ
それが連綿と続く

子供が生まれる
子供は晴れ渡っている
それはマインドがないからだ
マインドが出現するやいなや
曇りが混乱が現れる

子供は 晴 れ 渡 り だ
でも彼はいずれ集めることになる――
知識や情報や文化や宗教や条件つ゛けを
それは必須であり役立つものだ
彼はあらゆるところからそれを集める
その情報の出所は
ときに互いに対立し矛盾している
何千何万という情報源からやってくる

かくしてマインドは騒々しい市場のようになる
情報源があまりに多いと混乱は避けられない
何を集めて来ようとも確実なものは何もない
なぜなら知識はつねに成長するからだ

ある人からこんな話を聴いたことがある
彼は偉大な探求者だった
彼はかつてある教授のもとに医学生として五年間すごした
その教授は自分の専門分野で偉大な学者だった
ところが最後の授業で学生達を集めこう言った
「最後にひとつ 断っておくことがある
私は今までいろいろ教えてきたが
その中で『正しい』と言えるものは
わずかに五十パーセントだ
残りの五十パーセントは完全に間違っている
そして厄介なことに
どの五十パーセントが正しくて
どの五十パーセントが間違っているか
私にはわからない」

知識の大伽藍ダイガランとはこんなものだ
何も確かではない
誰も知らない
誰もが手探りだ
手探りしながら
私たちは体系を作り上げる

そしてこの世には
何千何万という体系が存在する
ヒンドゥー教はかく語り
キリスト教は別のことを語り
イスラム教はまた別のことを言う――
すべては矛盾している
すべては互いに矛盾している
そこに一致はなく
何物も確実でない

こうしたすべてが人々の情報源だ
人々はそれを集めそして
マインドはガラクタの山になる
混乱は避けられない
あまり多く物を知らない人だけが確実であり得る
たくさん知れば知るほど不確実になる

昔の人間はもっと確実であり
外見的にはもっと明白(クリア)だった
実際に明白だったわけではなく
たんに相反する諸事実に気つ゛いていなかっただけだ
もし現代人のほうが混乱しているとしたら
それは現代人のほうが多く知っているからだ

知れば知るほど混乱する
知識をたくさん得れば得るほど
人は不確実になる

確実になれるのは愚者だけだ
教条的になれるのは愚者だけだ
愚者はけっして躊躇しない

たくさん知れば知るほど
自分の足元は危うくなり
躊躇するようになる

つまりこういうことだ――
マインドが成長すればするほど
「マインドの本性は混乱だ」とわかるようになる

「確実になれるのは愚者だけだ」といっても
それは別にブッダが愚者だという意味ではない
確かにブッダは不確実ではない
でも
そこには違いがある
ブッダは確実でもなければ不確実でもない

彼はひたすら晴れ渡っている

マインドというのは不確実であり
愚かなマインドは確実だ
でも無心の場合
その両方が消え失せる――確実と不確実が

ブッダは 晴 れ 渡 り そのものであり
開いた空間だ

彼は確実でない……この世に確実なものはない
彼は不確実でない……この世に不確実なものはない

不確実でありうるのは
確実さを探し求める者だけだ

マインドは
つねに不確実であり
つねに確実さを探し求めている……混乱しており
つねに 晴 れ 渡 り を探し求めている

ブッダとはマインドを落とした人間だ
そしてマインドとともに
あらゆる混乱
あらゆる確実
あらゆる不確実
といったすべてが落ちる

こう考えてごらん
意識はちょうど空のようなもので
マインドは雲のようなものだ

雲は空に触れることがない
雲は去来するが何の跡も残さない

空は手つかずのままだ――
何の記録も
何の足跡も
何の記憶も
およそ雲に関わるものは何も残らない
雲は去来するのみで
空は乱されることがない

これは人の内側でも同じだ
意識は乱されることがない
思考は往来する――マインドは展開しては消え去る

また
あなたのマインドは一つだけではない
マインドはいくつもある
まさに群集だ
あなたの様々なマインドは
絶えず変わり続ける

たとえばあなたが共産主義者だったら
あなたには特定の型のマインドがある
でもあなたはまた
それを去り反共産主義者になったりする

かくしてマインドは変わる
たんに変わるなかりでなく正反対になる
そのようにしてあなたは
ちょうど着物のように絶えずマインドを変えていく

必ずしもあなたはそれに気つ゛いていない
こうした雲は去来する

 晴 れ 渡 り が達成されるのは
あなたが空に近つ゛いたとき
その焦点が変化したときだ

空に焦点を合わせていないときあなたは
雲に焦点を合わせている

だから要は
雲に焦点を合わせず
空に焦点を合わせることだ

この技法は言う

夏 空全体が果てしなく晴れ渡っているとき
その 晴 れ 渡 り の中に入る

空に瞑想する――雲ひとつなく
無限にからっぽで晴れ渡った夏空に――
それはまったく手つかずであり
その中では何ひとつ動くものがない

その空に思惟する
その空に瞑想する
その 晴 れ 渡 り の中に入る

そしてその晴れ渡りに な る
その宇宙的な晴れ渡りに な る

雲ひとつない大空に瞑想すれば
突然
マインドが消え去っていくだろう……
マインドが落ちていくだろう

そこには隙間(ギャップ)がある

突然あなたは気つ゛くだろう――それは
まさに晴れ渡った空が自分の中に入ったかのようだ

合間が現れる
少しのあいだ思考は止む
まるで交通が途絶え
動くものが何もなくなったかのように

最初のうち
それは瞬間的なものだろう
たとえ瞬間であっても
変容をもたらしてくれる

すこしずつマインドは減少し
もっと大きな隙間が現れる
何分ものあいだ
思考が雲が存在しなくなる

思考が雲が存在しないとき
外側の空と内側とは ひ と つ になる

思考こそが障壁だ……
思考こそが壁を作り出す
思考があるからこそ
外は外となり
内は内となる

思考がなくなれば
外と内の間に境界はなくなり
その二つは ひ と つ になる

実際のところかつて
境界などけっして存在していなかった
境界があるように見えるのは
まさに思考のせい障壁のせいだ

空に瞑想するのは素晴らしい
寝ころんで現実を忘れる
人気のない浜辺とか
どこでもいいから
あおむけに寝ころんで
ただ空を見つめる

空の晴れ渡っているときがいい
雲ひとつなく
果てしなく晴れ渡っているときが……

ただじっと見つめ
その 晴 れ 渡 り を感じる――
その雲のないことを
その限りない広がりを

そしてその晴れ渡りの中に入り
それと ひ と つ になる

まるで自分が空になったかのように
宇宙になったかのように

最初のうち
もし大空だけに瞑想し
ほかに何もしなければ
隙間が現れ始める

つまりこうだ
もしあなたが何かを見れば
その見る物すべては
あなたの中に入って来る

あなたの見る物すべては
あなたの内側をかきまわす
あなたの見る物すべては画像となり反映される

たとえば建物がそこにある
あなたはそれを見る
でもただ見るだけでは終わらない――
何かがたちまち内側に起こり始める
あるいは
男なり女なり車なりを見る
何を見たとしても
それはたんに外にあるものではない

何かが内側で起こっている……
その反映が起こっている
あなたはもうそれに対して反応している

だから見るものすべては
あなたを鋳型にはめ
あなたを作り
あなたを変化させ
あなたを創造する
外側の物はたえず内側の物に関連している

大空を見つめるのはいいことだ
その境界のない広がりは素晴らしい
あなたの境界もまた消え去る
なぜなら
境界のない空が内側に反映されるからだ

まばたきせずに見つめられたら
さらにいい
まばたきしたら
思考作用が続いていく
だからまばたきせずに見つめる

その空虚に見入り
その空虚の中に入り込み
自分がそれと ひ と つ になったと感じる

そうすれば
いつでも空はあなたの中に入る

まずあなたが空の中にはいる
そうすれば空はあなたの中に入る
そこに出会いがある――
内なる空と外なる空との出会いがある

その出会いの中に覚サトりがある
その出会いの中に無心がある
その出会いが起こるのはマインドがないときだけだ
その出会いの中で初めて
あなたはマインドではなくなる

そこに混乱はない
マインドのないところに混乱は存在できない
そこに苦はない
苦もまたマインドなしには存在できない

あなたは今までに
「マインドなしに苦は存在できない」
という事実に気つ゛いたことがあるだろうか

マインドなしには苦悩できない
マインドこそがその源泉だ

いったい
誰がこの苦をあなたにもたらすだろう
誰があなたを苦悩させるだろう

その逆もまた真だ

マインドなしには苦悩できないし
マインドがあったら至福を得ることもない
マインドはけっして至福の源泉とはなりえない

だから内側と外側の空が出会うときマインドは消え去る

たとえそれが一瞬のことであっても
あなたは新たな生に満たされる
その生の質はまったく異なっている
その生は永遠のものであり
死によって汚されていない……
どんな恐怖によっても汚されていない

この出会いの中で
あなたは今ここにいる――
この現在にいる

なぜなら
過去とは思考に属するものであり
未来も又思考に属するからだ

過去と未来はあなたのマインドの一部だ

でも現在とは<存在>だ
マインドの一部ではない

今の瞬間はマインドに属していない

でも過ぎ去った瞬間
これから来る瞬間
はあなたのマインドに属している

今の瞬間はけっしてあなたに属していない

むしろあなたのほうがこの瞬間に属している

あなたはここに存在している――
まさに今ここに存在している

でもマインドは他所ヨソに存在している
いつも他所ヨソにある

重荷をおろすことだ

あるスーフィー(イスラム密教)の神秘家が
こんな逸話を語っている

彼はある淋しい道を旅していた
通る人は誰もいなかった
やがて一人の農夫が牛車に乗ってやって来た
その牛車が泥にはまった
道はデコボコだった
農夫は車一杯のリンゴを運んでいた
ところがデコボコ道のせいで荷台の押さえ板がはずれ
そこからリンゴが転がり出ていた
でも農夫は気つ゛いていなかった

車が泥にはまったとき農夫は最初
どうにかして車を泥から外に出そうとしたが
なかなかうまくいかなかった
そこで彼は考えた「荷を降ろした方が良さそうだ
そうすれば車をひっぱり出せるだろう」
彼は後ろを振り返った
ところがリンゴはいくらも残っていなかった
荷はすでに降ろされていた
何とも悲惨な状況だ

スーフィーの神秘家によれば
憤慨した農夫はこんなふうに言ったそうだ「立往生だ
こんちくしょう!立往生だ!おろす荷物もありゃしない!」
車から荷を降ろすというのが唯一の望みだった
そうすれば車を出すこともできた
でも今では降ろす物さえない!

幸いなことに
あなたはこんなふうに立往生していない
荷はおろせる――あなたの車は荷を積み過ぎている
マインドという荷をおろすのだ

マインドが無くなったとたん
あなたは飛ぶ
あなたは飛べるようになる

この技法――晴れ渡った空を見つめ
それとひとつになるという技法――は
最も盛んに実践されているものの一つだ
いろんな伝統がこの技法を使ってきた

特に現代人にとって
この技法は実に有り難い

というのも
地上には何も残っていないからだ
地上には瞑想するものが何も残っていない

ただ空だけだ

まわりを見まわしてごらん
すべては人工物だ……すべては有限で
区切りがあり境界がある

幸いなことに
ただ空だけが今も瞑想のため残されている

この技法を試してごらん
きっと役に立つ

でも覚えておくことが三つある

一つ
まばたきせずに見つめることだ
たとえ目が痛くなって涙が出てきても
心配することはない
その涙でさえ荷を降ろすことの役に立つ
その涙によって目は
無垢になり新鮮になり洗われる
だからひたすら見つめ続けるのだ

第二点
くれぐれも空について考えない
あなたはいつ空について考え始めるかわからない
例えば色んな詩を思い出したりする――空についての美しい詩を
そうしたら横にそれてしまう
大事なのは
空について考えることではなく
空の中に入ること
空とひとつになることだ

もし空について考え始めたら
再び障壁が現れる
すると空を再び取り逃がし
自分のマインドに閉じ込められてしまう

だから空について考えずに
空になるのだ

ひたすら見つめ
空の中に入り
空を自分の中に入らせる

もしあなたが
空の中に入ったら
空もたちまちあなたの中に入る

どうしたらいいか
どうやって空の中に入るのか

ひたすら見つめること――
どこまでもどこまでも見つめることだ
まるで空の境界を見つけようとするかのように見つめ
深く進む
可能な限りに進む
その進むことが障壁を破る

この技法は少なくとも四十分間実践する必要がある
それ以下ではだめだ
それ以下ではあまり役に立たない

もし自分は ひ と つ になった
と真に感じたら
目を閉じていい
もし空が自分の中に入ったら
目を閉じていい

きっと内側にも
空が見えるようになるだろう
そうしたら目を開けている必要は無い

四十分たって ひ と つ になり
交感が生じ自分が空の一部となり
もはやマインドが無くなったら目を閉じ
内側の空にとどまる

第三点は 晴 れ 渡 り が役に立つ
その 晴 れ 渡 り の中に入る
晴れ渡って汚れない空
雲のない空が役に立つ

自分を取り巻いている晴れ渡りに気つ゛くのだ
それについて考えずひたすら
その晴れ渡りを
その純粋さを
その無垢を
意識する

こうした言葉は
繰り返したり考えたりするものではなく
感じるものだ

空をじっと見つめれば
その感覚はやって来る

そうしたものは想像によって出現するのではない

それは そ こ に あ る 

見つめることによって
それは段々あなたに起こってくる

空は純粋だ
存在するものの中で最も純粋なものだ
何物によっても不純にされることがない

世界は往来する……地球は現れては消え去る
でも空は純粋なままだ
純粋さはそこにある

それを投影する必要はない
ただ感じればいい
それに対し自分を開き
それを感じてみるのだ

そうすれば 晴 れ 渡 り は現れる

空があなたに現れるようにする
それは強制できない
あなたにできるのは
起 こ る に ま か せ る ことだけだ

そもそも瞑想とは 起 こ る に ま か せ る ということだ

決して瞑想のことを攻撃的なものと考えてはいけない
決して強制的なものと考えてはいけない

なにものであれ強制は不可能だ

実際いままでのあなたの苦は
みな強制によって生じたものだ

強制できるものは何もない

ただ物事が起こるのを許すのみだ
要は女性的であることだ
物事が起こるにまかせ受動的になる

空は絶対的に受動的だ
まったく何もせず
ただそこにある

だからひたすら受動的に
空の下にとどまる
無防備で開放的で女性的になる

決して攻撃性は持たない

そうすれば空はあなたを貫く

夏、空全体が果てしなく晴れ渡るとき、その 晴 れ 渡 り の中に入る

でも
もし夏でなかったらどうするか
もし空が雲におおわれ
晴れ渡っていなかったらそのときには
目を閉じて内側の空に入ればいい
目を閉じ
もし思考が見えるようなら
それを空に浮かぶ雲として見る
その背景である空を意識し
思考には関心を払わない

私たちは思考に関心を払い過ぎる

けっして隙間には気つ゛かない

一つの思考が過ぎ去り
次の思考がやって来る前
そこにひとつの隙間がある

その隙間の中に空がある

思考がないとき
いつもそこにあるのは空虚だ

だから空が曇っているとき……夏
でなく空が晴れ渡っていないときには
目を閉じマインドの焦点を
その背景に会わせる
その背景というのは
思考が往来する内的な空だ
思考にはあまり注意を払わずに
その背景にある空間に注意を払う

例えば私たちはこの部屋の中に座っている
私は二通りの仕方でこの部屋を見ることができる

一つはみんなを見ることだ
すると私は空間に無関心になる
空間というのは皆がいる
この空間でありこの部屋だ
私は皆を見る
私のマインドの焦点は
ここにいる皆にあって
皆のいるこの部屋にはない

いっぽう私はその焦点を変えることができる
つまり部屋を見て皆のことは見ない
皆はここにいるが私の注意は
私の焦点はこの部屋にある
すると視点全体が変化する

このことを内面世界でやってみる
空間を見る――思考はその中で動いているが
それには無関心でいる
何の注意も払わない
思考はそこにある
それをマインドにとめておく……
思考はそこにあって動いている

多くの車が通りを走っている
でも車には関心を払わず
ただ通りを見る
誰が通るか見たりしない

ただ何かが通っていくことをマインドにとめ
その背景の空間を意識する

そうすれば夏空は内側に起こる

夏を待つ必要はない
だいたい私たちのマインドというものは
どんな口実でも見つけ出す
マインドはきっと「まだ夏ではない」と言う
また例え夏であったとしても「空は晴れていない」と言う


74 宇宙全体を頭の中で感じる

第二の技法

シャクティよ全空間を
自分の頭の中に吸収されたものとして見る――
光輝のうちに


この技法をするときには目を閉じる
目を閉じ
まるで全空間が頭の中に吸収されたかのように感じる
最初のうちそれは難しい
これは上級の技法だ
だから段階を踏んで進むといい一つずつする
もしこの技法を行ないたかったら段階的にすることだ

第一の段階
眠りに入ろうとするとき
寝床の上に横になり目を閉じ
自分の足がどこにあるかを感じる

あなたの身長が180センチなり150センチだとする
自分の足がどこにあるか感じる
その見当をつける
それからこう想像する
「自分の背が10センチだけ伸びた……
背が伸びた10センチだけ大きくなった」
目を閉じそれを感じる
想像の中で自分の背が10センチ伸びたと感じる

そして第二の段階
頭がどこにあるか感じる内側でだ
そして頭もまた10センチだけ伸びたと感じる
これが感じられたら全ては楽になる
そうしたらそれを更に進める
例えば自分が300センチになったと感じる
あるいは自分が部屋全体に広がったと感じる
想像の中で
自分が壁に触っていると感じ
自分が部屋全体に広がったと感じる
そして順々に家全体が自分の中に入ったと感じる

いったんこの感覚がわかったら後は全く楽だ
もし10センチ伸びることができたら全ては楽になる
自分は150センチではなく160センチだと感じられたら
もう難しいことはない
この技法は簡単になる

三日間これを感じ続ける
それから更に三日間自分が部屋全体になったと感じる
これは想像力の訓練だ
それから三日間言え全体が自分の中に入ったと感じ
それから三日間家全体が自分の中に入ったと感じ
それから三日間自分が空になったと感じる
そうすればこの技法は全く簡単になる

シャクティよ全空間を
自分の頭の中に吸収されたものとして見る――
光輝のうちに


そうしたら目を閉じ
空全体が空間全体が自分の頭に吸収されたと感じる
これを感じたらマインドは消え失せる

なぜならマインドはごく狭い空間を必要とするからだ
こんな広さを相手にしたら
マインドは存在できない
マインドとは全く狭く有限なものでしかない
こういう無限の空間の中には
マインドの存在する余地はない

この技法はいい技法だ
突然マインドは蒸発し空間が出現する――
三ヶ月もすればこれが感じられるようになる
そうすれば生はすっかり変わる
だが段階を追って成長していくことだ

なぜなら人によっては
この技法によって変調をきたすことがあるからだ
この技法によってバランスを失うことがある

とにかくすさまじいものだ……
その衝撃はすさまじい――もし突然
自分の頭が全空間を吸収し
自分の内側に星や月が動くのが見え
全宇宙がそこにあったりしたら
目がくらみかねない

多くの伝統において
この技法はたいへん注意深く使われている

今世紀インドの神秘家ラマティルタはこの技法を使った
そして彼を知る多くの人々は
「ラマティルタが自殺したのはこの技法のせいだ」と考えている
でも彼にとってそれは自殺ではなかった

彼のように全空間が自分の中に入ったことを
知っている人間にとって自殺は不可能だ
それは起こりえない
そもそも自殺する者が存在しない

でも外から見ている人々にとってはそれは自殺だ

彼はこう感じた
「全宇宙が自分の中に
自分の頭の中に入って来る」

でも弟子たちは彼が詩を語っているものと思った
さらに弟子たちは彼が気違いになったと思い始めた
なぜなら彼がこう言い出したからだ
「自分は宇宙だ一切は自分の中にある」

そしてある日彼は断崖から川へ飛び込んだ
飛び込む前に彼は美しい詩を書いた
いわく
「私は宇宙になった
もはやこの体は私にとって重荷だ不要だ
だから私はそれを元へ返す
もう境界はいらない
私は境界のないブラフマンとなった」

精神医学を学んだ者ならこう思うだろう
「彼は気が違った、これはノイローゼだ」

でも人間意識のもっと深い次元を知る者ならこう言うだろう
「彼はムクタ『悟った者』になった」
だが普通の人間から見ればこれは自殺だ

こういう技法には危険がつきまとう
だから私は言う――
こういう技法の場合は段階的に進んで行くようにと
何が起こるかあなたには分からない
あなたは必ずしも自己の潜在性について気つ゛いていない
自分がどんな地点にいるのか知らない
いつ何が起こるのかが分からない
だから段階を踏んでやるといい

まず自分の想像力を小さいもので試してみる
体が大きくなったとか小さくなったとか
そのどちらでもいい
自分の身長が165センチだったとする
それを120センチと感じる
それから90センチ60センチ30センチと小さくし……
そしてついには一つの種子になったと感じる

これは一つの訓練だ
自分の感じたいものを感じるための訓練だ
内側のマインドは感じることについて完全に自由だ
なにものにも妨げられない
それは自分の感覚だ
大きくもなれるし小さくもなれる
突然あなたはそれが自分だと気つ゛く

いったんこれに熟達したら
自分の体から外に出ることも実にやさしくなる
想像力を通じて大きくなったり小さくなったりできたら
体から外にも出られるようになる
自分が体の外に立っていると想像するだけでそのようになる
でも今すぐには無理だ

まず小さなことから始める
そしてそれに慣れ
何の恐怖感も無くなったら次に
自分が部屋全体を満たしていると感じてみる
あなたは実際に壁の肌触りを感じるだろう
その次に家全体が自分の中に入ったと感じる――
家を自分の内側に感じる

そんな具合に進めていき
それから少しずつ
空を頭の中に感じるようにしていく
いったん空を頭の中に感じたら……
空がそこに吸収されたと感じたら
マインドは消え去る
もはやマインドは全く用が無くなる

この技法は誰かと一緒にやったほうがいい
教師や友人と共にやる
一人ではいけない
そばで見守ってくれる人間が必要だ
だからこれは修道場の技法だ
多くの人々が修行(ワーク)している道場のような所では
この技法は全く簡単で害や危険も少なくなる

空が内側で爆発すると
ときには何日間も自分の体を忘れたりする
その感覚の中に飲み込まれてしまって
外に出て来なくなるかもしれない
時間が消え去り時間の経過が感じられなくなる
体が消え失せ体が感じられなくなる
あなたは空になる
だから誰かに自分の体を看てもらわないといけない
愛情深い気配りが必要だ

だから師とともに
あるいはグループの中でこの技法をやれば
害や危険は少なくなる特に
何が起こるか何をすべきか知っている
グループの中でやれば……

なぜなら
そういうマインドの状態で突然目覚めたら
気違いになりかねないからだ
マインドが元に戻るには時間がかかる
突然体に連れ戻されたら
神経系はそれに耐えられない
耐えるようにはできていない

そのためには訓練が必要だ
だから一人でやってはいけない
どこか離れた静かな場所で
グループの中で友人と共にやるといい
突然ではなく段階を踏んで


75 自分を光として想起する

第三の技法

目覚めているとき眠っているとき夢見ているとき
自分を光であると知る


まず目覚めているときから始める
ヨガやタントラは人間のマインドを
三つに区分する――マインドのあり方をだ
その三つとは目覚め眠り夢見だ
それは意識の区分ではなくてマインドの区分だ
そして意識は四番目だ

東洋ではそれに何の名前も与えられていない――
ただ「トゥリヤ」つまり「第四』と呼ぶだけだ

始めの三つは名前を持っている
この三つは雲だ
だから名つ゛けられる
目覚めの雲 眠りの雲 夢見の雲 どれもみな雲だ
その雲は空間の中を動くが
その空間つまり空には名前が無い
ただ第四と言われる

西洋の心理学が夢見の次元に気つ゛いたのはごく最近のことだ
フロイトに至って初めて夢見は注目された
でもインド人にとっては
これは最も古い概念の一つだ――
つまり人を知るにはその人が
夢の中で何をしているのかを知ればいい――

覚醒時にすることは何であれ
多かれ少なかれ必ず演技や虚偽になる
マインドが目覚めた状態にあるとき
人はいろんな事をさせられる

彼に自由は無い
社会がそこにあり規則があり道徳がある
いつも自分の欲求と闘い抑圧し変形し
社会に受け入れられるように鋳直す

そして社会は決して
彼が全面的に彼自身であることを許さない
社会は取捨選択する

それこそ文化の意味するものだ
文化とは選択だ

文化とは条件つ゛けだ――
一定のものの選択であり一定のものの拒否だ

あなたという人間の全面的な存在は
どこに行っても受け入れられない
どこに行ってもだ

こちらではこの側面が受け入れられ
あちらではあの側面が受け入れられる……
こちらの国ではこれで
あちらの国ではあれだ

どこへ行っても
全面的な人間存在は受け入れられない

だから覚醒時の意識は必ず偽りで
にせもので人為的で強制的だ

覚醒時には人は本物ではなく役者だ――
無為自然ではなく人工的だ

夢の中ではじめて人は自由だ
夢の中ではじめて人は真に自分自身だ
夢の中では何でも自分の好きなことができる

誰にかまうこともない貴方は一人だ
誰も見通すことはできない
誰にもうかがえない
そして
誰も気にとめはしない
夢の中で何をするかは当人の問題だ
他人にとってはどうでもいい
それは
絶対的に私的なものだ
絶対的に私的であり
誰にも関係が無いから
人は自由でいられる

だから夢が分からない限り
人の真の顔は分からない

古代のインド人はそれに気つ゛いていた
――夢を見通すことの必要性を

でも夢もまた雲だ
もちろん私的でより自由だ
でも依然雲だ

それも超えないといけない

目覚め 眠り 夢見
これが三つの状態だ

夢見はフロイトによって大変重要なものとなった
そして現在は眠りが研究されている
現在西洋では数多くの研究機関
によって眠りが研究されている

じっさい非常に奇妙なことではあるが
眠りとはいったい何なのか私たちは知らない
眠りの中で実際に何が起こるのか
まだ科学的には知られていない

もし眠りとは何かが分からなければ
人間とは何かを知るのは難しい
なぜなら人間は生涯の三分の一
を眠って過ごしているからだ
生涯の三分の一だ!
60年生きるとしたら
20年眠っていることになる
これは実に大きな割合だ

その眠っている間に一体ひとは何をしているのか
何か神秘的なことがそこに起こっている
それはまさに必要欠くべからざるものであり
それなしで生は成り立たない
何か深いことが起こっている
でも人はそれに気つ゛いていない

目覚めているとき
夢見ているとき
そして深く眠っているとき
あなたはそれぞれ別の人間となる

深く眠っているとき
あなたは自分の名前すら思い出せない
はたして自分がイスラム教徒なのかキリスト教徒なのか
ヒンドゥー教徒なのか分からない

深い眠りの中では
はたして自分が誰なのか
金持ちなのか貧乏なのか答えられない

もはや「自分は何々だ」という観念
がない――自己像(イメージ)が無い

目覚めている層では
あなたは社会と共に存在する

夢見の層では
あなたは自分自身の欲求と共に存在する

深い眠りの中では
あなたは自然と共に
自然の子宮の奥深くに存在する

ヨガやタントラによれば
この三つを超えて初めてあなたは
ブラフマン「宇宙的全体」の中に入る

だからこうした三つはぜひとも超え
通過し超越すべきものだ

一つ違いがある
西洋の心理学は現在
こうした三つの状態に関心を寄せ
その研究をしている

東洋の探求者もまた
こうした状態に関心を寄せていた
でもそれは研究という意味ではなかった
その関心は
いかにそれを超越するかにあった
この技法は超越的な技法だ

目覚めているとき眠っているとき夢見ているとき
自分を光であると知る


たいへん難しい
まず目覚めているときから始める
どうやって夢の中で思い出せるだろう
はたして貴女は意識的に夢を創り出せるか
はたして夢を操作することができるか
はたして自分の望む夢を夢見ることができるか

できはしない
人は何と無力なことか!
自分自身の夢を創ることさえできない
夢もまた出来事だ――
当人にはどうすることもできない

でもある種の技法を行なえば
夢を創り出せるようになる

その種の技法は超越するための大きな助けとなる
なぜなら
もし創り出せたら超越できるからだ
でも
まず目覚めているときから始めてみる

目覚めているとき動いているとき食べているとき
働いているとき自分自身を光として想起する
あたかもハートの中で炎が燃え
体がまさにその炎を取り巻くオーラになった
というふうに想像してみる

ハートの中で炎が燃え
体はまさにその炎を取り巻く光のオーラだ……
体はその炎をとりまく光だ

これを自分のマインドや意識の奥深くまで入り込ませる
かみしめる

それには時間がかかるだろう
でもそれについて絶えず考え感じ想像し続ければ
そのうち一日中想起できるようになる

目覚めているとき通りを歩いていて
あなたは動く炎だ

最初のうち誰もそれに気つ゛かない
でも続けていけば三ヶ月もすると
人もそれに気つ゛くようになる
人が気つ゛くようになったら
もう大丈夫だ

でも誰にも言ってはいけない
ひたすら炎を想像する――そして自分の体のことを
炎を取り巻くオーラだと想像する
物理的な体ではなく
電気的な体
光の体だと想像する

頑張ってやれば三ヶ月ほどで
人も気つ゛くだろう――「彼に何かが起こった」と
人はあなたの周りに微妙な光を感じるだろう

あなたが近つ゛くと人はある種の温かさを感じるだろう
あなたが触れるとその触感は火のようだ
何か奇妙なものがあなたに起こっているように感じられる

誰にも言ってはいけない
人が気つ゛くようになったらもう大丈夫だ
そうしたら第二段階に入っていい
それ以前はだめだ

第二段階ではそれを夢見の中に持ち込む
もう夢見の中に持ち込んでいい

それは現実となった――もはや想像ではない
想像を通じてあなたは現実を見いだした
それは現実だ

すべては光でできている
あなたは光だ

それに気つ゛いていないというだけだ
物質を構成する素粒子はすべて光だ

科学によれば素粒子は電子によって構成されている
それもまた同じ意味だ
光は一切の本源だ
あなた自身もまた濃密な光だ

想像を通じてあなたは現実を見いだす
その想像をかみしめるのだ
その想像によってどこまでも満たされて初めて
それを夢の中まで持ち込めるようになる

そうしたら眠りに落ちるとき
その炎を感じ
その炎を見
自分が光だと感じてみる

それを想起し想起し想起し
そして眠りに落ちる
するとその想起は継続する

最初のうちは夢の中で
「自分は内側に炎を持っている
自分は光だ」と感じるだろう
そして少しずつ夢の中でも
その同じ感覚をもって振舞えるようになる

ひとたびこの感覚が夢の中に入ったら
夢はだんだん消え去っていく
徐々に夢は減っていき
深い眠りが増していく

もし夢の全体を通じてこの現実が示されたら
つまり「自分は光だ炎だ燃える炎だ」
という現実が示されたら
一切の夢は消え去る

夢が消え去って初めて
この感覚を眠りの中に持ち込めるようになる
それ以前はだめだ

今あなたは戸口にいる
夢が消え失せ自分自身を炎として想起するとき
あなたは眠りの戸口にいる
そしてその感覚と共に眠りの中に入ることができる

ひとたび「自分自身は炎だ」
という感覚と共に眠りの中に入ったら
あなたはその中で覚醒している
眠りは体にだけ起こり
あなたには起こらない

この技法によって
この三つの状態は超えられる
「自分は炎だ光だ
眠りは自分には起こらない」と気つ゛いたら
あなたは意識的になる
あなたは意識的な努力を保っている
あなたはその炎の周りに結晶化している

体は眠っているがあなたは眠っていない

だからこそクリシュナはギータの中でこう言うのだ
「ヨガ行者は決して眠らない
ほかの人々が眠っているあいだ目覚めている」

それは別に彼らの体が決して眠らないということではない
体は眠るでも
体だけだ
体には休息が必要だが
意識に休息は必要ない

なぜなら体は器械装置(メカニズム)だが
意識は器械装置(メカニズム)ではないからだ

体には燃料が必要だ
体には休息が必要だ
だからこそ体は
生まれ青年になり老年になり
そして死ぬのだ

いっぽう意識は
決して生まれず
決して年老いず
決して死なない

燃料もいらないし
休息もいらない

意識は純粋なエネルギーだ
永遠不朽のエネルギーだ

もしこの炎と光の想像を
眠りの戸口まで持っていけたら
あなたは二度と再び眠ることはない

体が休息するだけだ
そして体が眠っている間
あなたにはそれがわかる

一旦このことが起こったら
あなたは「第四」になる
目覚めと夢見と眠りは
マインドの一部分になる
その三つはマインドの部分であり
あなたはすでに第四になっている――
その三つ全てを通り抜け
かつ
そのどれでもない

実際これは全く単純だ
例えば目覚めた状態にあった人間が
その後夢の中に入るとする――
彼はその両方ではあり得ない

もし目覚めた状態にあったら
どうして夢が見られるだろう

またもし夢を見ていたら
どうして夢のない眠りの中に入れるだろう

あなたは旅人であり
この三つの状態は駅だ

あなたは一つの駅から次の駅へと向かい
そして戻る

朝になれば
あなたは再び目覚めた状態へと向かう

この三つは状態だ
そしてこれらの状態の中を動くのはあなただ

でもそのあなたは第四だ

そして
その第四は魂と呼ばれるものだ
その第四とは「神」と呼ばれるもの
「不死なる要素」「永遠の生」と呼ばれるものだ

目覚めているとき眠っているとき夢見ているとき
自分を光であると知る


これはたいへん素晴らしい技法だ
でもまず目覚めているときにやってみる
そして成功の唯一の目安は人が気つ゛くということだ
人はきっと気つ゛く

そうしたら夢の中に入ってもいい
それから眠りの中に入り
それからあなたは目覚めることができる……
 自 分 が そ う で あ る も の
つまり第四に





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