沖縄うるまエイサー隊岩井秀夫

祭 り を 起 こ し た い
沖縄うるまエイサー隊・岩井秀夫

皆さんも僕らと一緒にエイサーをやりませんか!エイサーでともに祭りを起こしていきましょう!と岩井さん。彼はうるまエイサー隊として、喜納昌吉とチャンプルーズのコンサートを支えている。

▼エイサーは

  ウパニシャッド(喜納昌吉)はコンサートには必ずエイサー隊を連れてゆきます。エイサーは祭りには欠かせません。エイサーはそもそも沖縄の伝統の念仏踊りです。その起源は1600年ころにタイチュウ上人という方が、法然のお弟子さんですけど、日本の念仏踊りと沖縄本来の踊りを合体させてやったのが始めです。当時の本土と沖縄のものが合体してできたもの、先祖を供養するという想いが込められていて、町中を旧暦のお盆(8月の後半とか、9月の頭ころ)練り歩くものですが、祖先のお迎えとお見送りのときにエイサーをやり、供養とか、あるいは自分たちがそのものになって、祖先の霊そのものになって、家々がエイサーを迎えることで祖先を出迎えたり、送ったりするという形になっています。ある種祈りでもある。祈りのスピリチャル、見てて芸能としてのレベルも高い。祭りを起こすときに非常なる意味があると思っています。

  僕らのやっているエイサーは自分たちで振り付けていますが、たとえばね、クダカというエイサーの振り付けは、僕らの体験からできたものなんです。クダカのなかで、手を大きく振り上げて地面を突き刺してまた挙げてまたもう一回突き刺すというような振り付けがありますが、これは、実は沖縄の手漕ぎ船を漕ぐときの動作なんですね。今はほとんど使われることのない手漕ぎ舟を漕いだ、そのときの強烈な体験のなかから生まれたものです。

▼手漕ぎ舟サバニピース

  4年ほど前に、サバニピース(サバニとは沖縄の言葉で小さな舟、小さな舟の平和という意味になります)ということをやりましたが、途中からテレビでも放送されたんで、ご存知の方もいるかもしれませんが、日本列島は北海道から鹿児島まで大体2000キロあって、実は鹿児島のちょっと下から台湾の国境までの島まで約2000キロ、日本列島がすっぽりとはいるわけです。この距離を手漕ぎ舟で島から島を渡り、長崎から広島まで行って、平和のメッセージを伝えようとしたんです。

  始めウパニシャッドが突然この2000キロを手漕ぎ船で漕いで、各島々に平和のメッセージを伝え、そして、本土の長崎と広島に伝えたらいいと言いました。わぁーすごいなぁ、そう思ったとき、いったいそんな大層なことを誰がやるんだろうと聞くと、それをやるのは自分たちだと言われ、僕らはワァーオってびっくりしました。

  結局、その手漕ぎ舟で台湾との国境近くの島を出発して、各島々をめぐり始めました。あらかじめ、島の人たちには船を漕いで平和のメッセージを伝えにゆきますから、平和運動の一環としてエイサーというものもやりますからと連絡しておいたのですが、反応が今ひとつ。平和のメッセージ?エイサー?なんなんだ、これってことで、まぁ来たらいいということで、僕らがエイサエイサと船を漕いでいくと、迎えに出ていた島民のみなさんが、おおっ、これぞ平和のメッセージと歓迎してくれ、喜んでくれました。そして僕らがエイサーをその島で披露すると、彼らは大喜び。これが平和のメッセージかと感激してくれ、それなら我々もと、きまったときにしかやらない島の民謡を披露してくれました。

  こういうことがあったので結構楽しい思いもしましたが、ほんとうのところを言うと、この手漕ぎ舟というのはとても辛かった。波がなく海が荒れていないときはそうでもありませんが、波が荒れてくると、思ったようにも先に進めず、もう船酔いはするし、それよりも船が沈没してしまうのではと、とても心配でした。それで目の前に島が見えてくると、もう平和もなにもどうでもいいから、とにかく陸に上がりたい一心でみんなでひたすら漕ぎはじめる。その勇ましい姿(実は必死だったんですが…)を見た島の人たちが、とにかくこんな珍しいものを見て、感動してくれ、大喜びで歓迎してもらって、飯を食わしてもらい、泊めてもらう。サバニピースはそんなことの連続で、辛くも嬉しくもある、そして2000キロを漕ぎ続けるという、強烈な体験でした。
  クダカの踊りはその体験から創りあげられたもので、クダカをやるたびに、僕の内側では、今でも船を漕いでいるのです。



インド・プーナで、岩井さんを囲んでの練習風景


祭りを起こしたいというのがぼくらの目的です

  今回のインドのプーナで、エイサーがこれほど受け入れられたことに驚きました。それに10代の若い女の子も頑張ってた。渋谷から飛び出してきたようなルーズソックスをはいている女の子たちが汗を一杯かきながらエイサーを踊ってる!…ルーズソックス・エイサー隊!なんてやってもいいんじゃないのかな?なんて思ったりもしました。とても新鮮。もっと若い子たちと、もちろんお母さんともお父さんとも、みんなで一緒にエイサーやりたい。
  祭りを起こしたいというのがぼくらの目的です。祭りにはエイサーは大きな鍵をもつと思います。エイサーは祭りの雰囲気を盛り上げますから。エイサーがもっと広まって、祭りの輪がもっともっと大きくなっていってくれたら嬉しいと思います。毎年、沖縄でニライカナイ祭りをやりますので、みなさん、ぜひ来てください。(岩井秀夫)


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