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(なお、本インタビューは英語だったため、しゃべり言葉は標準語調になっています)


 

なんで日本に行くことになったのかな?

  パタンジャリ:ビベカナンダを知ってる? ラーマクリシュナっていうマスターの弟子だけど、彼が言うには、日本に行くことができるなら、必ず行くべきだって、日本人がどんなにビューティフルにやっているか、必ず見てくるべきだと言ったんだ。それで昔からもしできれば日本に行きたいと思っていました。たまたま、ギャ−ナ(日本人)と出会って、彼女と恋に落ちて、それで彼女に連れられて日本に行く事になりました。

  ビザの関係で、彼女に遅れて後から彼女の待つ日本に行きましたが、なんと塩とか米を持って、それと僕は髭が濃いいんで髭切りはさみから、いろーんな身の回りのもの、ナベカマまでも持参しての登場でした。だってなんでも高いって聞いてたからね…大笑い、今から思えばね。

日本人は仕事の錬金術師って感じ

  初めてみる日本…その印象は?
  日本人がどうやって働くかを見て、驚いた。やっぱりビベカナンダの言っていたことは正しいってね。まるでインド人とは違うね。仕事をやるときの様子は、僕らインド人から見たらまるで仕事の魔術師、錬金術師って感じ。本当によくやるなぁって感心しました。一生懸命にやって仕事も美しい。僕はインド人やから、そんなに完璧にやれないんで、かなり雑なんで、始めは大変だった。インドっていうのは、日本から比べると、そうだね、とてもおおらかでいいけど、仕事に関しては日本人と比べるとまるでセンスがないし、そもそもみんなあんましやる気がないんだ。

始めは造園業…

  どんな仕事につきましたか?
  京都で日本生活を始めたんで、始めに造園をやりました。それはとても楽しかった。親方の面倒見がよくて、それに植物をいらうのはとても楽しい。始めは落ち葉拾いの掃除ばっかりしていました。それでも日給は7000円もらえた、インド人で仕事もおおざっぱ、大した仕事もできんのにね7000円だよ。今から思うと、ほんと親方に感謝します。たまにはさみを使って剪定をやってみいって言われて、これを丸くきれいに切りなさいってね、それで、よしやるかって、みんながやっているのを見よう見真似て植木バサミでバサッバサッって…でもてんで丸く切れなくて、タイガーカット(トラ刈り)になっちゃってね…それをみんながフォローしてくれて、あのころは、とっても楽しかったなぁ。日本人にはパタンジャリの名前が難しくて、それで同僚にパタって呼ばれていました。

  そうそう、日本に行く前、インドのこのコミューンで掃除とかチャイ造りを3年した。僕にとって、それはとても楽しい仕事でした。自分で掃除をして、それでみんなが喜んでくれるし、自分の作ったチャイをみんなが飲んでくれるってね。日本の庭の仕事のときにも、実際にとても楽しかったので、笑いながら、実際に声を出して笑いながらやっていた。そしたら、みんなも僕といると楽しいって、いっぱいミスしたけど、みんなが助けてくれた。

おなかおっぱい!?

  その時に、モンジュってサニヤシンの友人も一緒に働いていたんだけど、実は最初、彼の紹介で、その造園の親方のところで働くことになったんだけど、いっぺん、こういうことがあった。彼が「ソバって知ってるかい?」って聞いたんで、「もちろん知ってる、知っている」って答えたんだ。「あのイタリア人のショーバって女性だろ、友達だよ!」ってね。大笑いだったよ。こんなこともあったね、そのとき、日本語を習っている最中で、たくさん変な間違いをしたんだけど、ご飯を食べた後、「おなかいっぱい」っていうでしょ。だからご飯たらふく食べておなかがいっぱいになったあと、「おなかおっぱい!」って言ったんだ。みんな大笑いさ。「おっぱい」と「いっぱい」って違うってその時に初めてわかったよ。

引越しで、道路舗装工事の仕事に

  事情があって、京都を引っ越さなければいけなくなって、神戸にアパートが見つかったんで、神戸に引っ越しました。それで、せっかく気に入っていた造園を辞めなくてはならなくてとても悲しかった。造園の仲間がみんな来てくれて、引越しを手伝ってくれました。彼女の荷物がほとんどだったけどね。

  神戸では職業安定所で道路舗装屋さんに入りました。面接のとき、親方が、付き添ってきたギャ−ナに僕に「下品な言葉を教えとって」と言ったんだ。理由は、道路舗装は柄は悪いからとのこと。それくらい知ってないと馬鹿にされるってね。実際に、働きはじめると、みんなとすぐ仲良くなった。親方が言ってたように、みんな下品なネタを僕に一生懸命に教えるんだ。その下品な言葉を僕に言わせるのが面白かったみたい。結局、みんな僕を楽しんでくれたって感じかな。「おい、パタ、…って言うてみい」ってね。

言葉がわかってくるとイジメにあった

  実はね、昔は言葉がわからんかったので得していたというか、問題に直面しなくて済んだということが、最近わかってきた。3年も5年もたって、言葉がわかってくると、やっかいな問題に直面しなくてはいけなくなりました。というのはね、僕はね、誰とでもすぐに友達になれるんだ。社長さんでも、お偉いさんでも、みんなとも平等に友達になってしまう。それで、社長さんとかが、僕がインド人やからって、結構優遇してくれて、ユンボや道路機械の免許をどんどんと取らせてくれて…それで責任ある仕事を任せてくれたりってね…でも、それが今まで仲のよかった同僚たちの嫉妬を買ってね、だんだんと「あいつはインド人や」ってイジメられるようになってきた。言葉がわかるって辛いものだね。それで段々と面白くなくなってきたんだ。

 

パタンジャリとギャ−ナ、パタンジャリの出身地インドのグジャラートの観光地にて

テレビのCMに出た

  一度、テレビのCMにでてね、新聞で、ジャパンモデルの広告が入って、オモロイ外人探しているってね、それで写真をつけて応募したら、面接に来てくれって、行ったら、外人ばかりでフグ屋の宣伝に出ました。そのときに撮影が楽しかった!丸一日楽しんで1万8千円もらいました。それで、こんな仕事やりたいってね、タレント養成学校に入ったんだ。それはともかく、それでね、そのCMが関西一円に流されて、仕事の同僚たちも当然見ているわけ…まずいことにそれでマスマス嫉妬されてね、イジメられたよ、あのインド人ってね。

本当はどういうことをしたいかって考えた

  それで、やっぱり、あんまり楽しくなくて、考えたんだ…道路工事とかって本当に僕のやりたいことなんやろか?って…そしたら、答えは違う!ってでて、辞めました。でも生活していかなあかん。それで土木以外に何が僕にできるかって考えたら、彼女と一緒にできることないかなぁって…そうそうインド料理だって思いついた。和尚のフェスティバルのとき、大勢の人が来るんで、印度の料理をたくさん作ってみんなに出してたし、それがとても楽しかったんで、じゃ、インド料理をしよう!今度は、自分でインド料理店をしたい!

日本人は酒を飲んだらこの地球でもっとも美しい人たち

  日本人についてどう思いますか?
  僕が観察していると、彼らは酒を飲んだら、とっても美しい人になる。それまでは、酒が入るまでは彼らはマインドの中にいて、あれやこれやと考えていて大変みたいけど、酒を飲んだら、この地球でもっとも美しい人たちに見えるね。でも、さもなければ、彼らは結構大変だと思う。

インドの街角の野菜売りのおばさんはとても穏やかだった

  あるとき(彼はインドに里帰りしているので、これはインドでの最近の話)、すぐそこのインドの野菜売りのおばさんがね、彼女とは長年と馴染みだって、久し振りに会って「最近はどうだ?」って聞いたら、インド式に首をよこに振ってうなずいて、「グッド」って言ったんだ。彼女は僕が日本に行く前も、何年かぶりにこちらに来ても、相変わらず「グッド」。その時、僕はとても彼女に安らぎを感じた。街角の八百屋のおばさん。野菜を売って、そこから出るわずかばかりのモウケで生計をたてている彼女は、別段サニヤシンでもないし、でもその彼女が、「グッド」ってとっても毎日の生活に満足しているっていうか、穏やかだったんでびっくりした。

僕も知らず知らずに日本病にかかっていた

  日本ではみんなアクセクしていて、「もっともっと」っていう感じで、もっといい暮らし、もっとお金…正直あんまり楽じゃなかった。もちろんパッと見にはいい暮らしなんだけど、みんないい車に乗って、いい家に住んで、道路も綺麗だし…でもね、内心は穏やかじゃないんだ。空虚感があるって感じかな。それで、そのおばさんが「グッド」って言ったとき、その感覚、実はかつては僕にもあったんで、それを長い日本暮らしで失ってしまった。僕も知らず知らずその「もっともっと」っている日本病にかかっていたんだね。

物質の豊かさと精神の豊かさ

  日本で、僕は道路工事をやっていたけど、それと同じことをここインドでやったら、まるで路上生活者のように、満足な暮らしもできないよ。一日わずかばかりのお金をもらって、それで食べて寝るだけ。よく見るでしょ、道路で穴を掘っているインド土方の人たちを。彼らは仕事現場で寝て起きて、そこで飯を食って、それでまた穴を掘っている。彼らを見たときに、彼らはそれなりに満足してしまっているんだね。どんなに貧しそうに見えても、内心はみんなそれなりに穏やかなんだ、ここインドでは。それだから何千年もの間、何の変化や変革も起こらなかったんだけどね。

  でも、日本はというと、まったく逆。みんなもっともっとって。そのもっともっとがあるおかげで、日本は物質的に大きくの成長してきたのだと思うよ。日本というのは、内心の穏やかさを犠牲にして、みんなをもっともっとに駆り立てて、そうして、みんなをもっともっとって毎日の仕事にかりたてているんじゃないかな。でもね、インドでは、あんまりにも満足感が強くてね、これでいいじゃないって、それでグッドってね、それであんまり物事が早くすすまないんだ。あの野菜売りのおばさんの暮らしっていうのは、日本のスタンダードからすると、とっても低い、それでも彼女はとっても満足している。それに対して、日本人はお金お金って、何につけて不満がいっぱい、それが日本をあんなにまで成長させたんじゃないかと思うね。不思議なもんで、物質と精神というのが両方ついて来るっていうのはなかなか難しいようだね。物質が豊かになれば、内側は空っぽになるし、内側が満足していれば、外側の物質の世界をよくしようとか、変えようとか、そういう向上心がまるでなくなってしまい、物質的に貧しくなってしまうようだ。僕はサニヤシンだから、OSHOの言ったように、両方が豊かでありたいと思う。

瞑想から用意された食事には違いがあるよ

  なんで、日本でレストランをやりたいかって思ったかというと、僕にとってクッキングはすばらしい瞑想になるのを知っているんだ。誰でもね。そういう瞑想を通じて作られたものを出されたら、それを食べたら、すぐにわかると思うよ。じつはね、僕にはそういう経験がよくあるんだ。岡山のモンジュに連れられてある自然食のヘルスフード・ベジタリアン料理店で食事をしたんだけど、そのときとっても瞑想的になった。それで、そこには瞑想的な人が料理を作っているって感じた。だから、僕にもこういうことが仕事になって毎日を生きていけたらと思ったんだね。これは和尚ワークにもなるし、ね、料理を瞑想的なスペースから作って、それで出して、それで暮らしてみたいって思ったんだ。

僕は料理を作って、それを出して、瞑想をシェアして生活できたら最高って思った

  日本でね、たまに友達がきたときにね、インド料理でもてなしたんだけど、パラックパニールっていう、ほうれん草とカッテージチーズのカレーなんかつくったりね、日本人の友達が、えっ、インドの料理ってこんなうまいのって大喜びしてくれた。ダルも、とってもおししいっていってくれるような、そういうカレーを作って出してみたい。儲かる儲からないとかそういうことより、まず自分たちがしたいということを考えたときに彼女も料理がすき、僕もすき、それでみんなにおいしいものを出したいって、そう考えたら、もう嬉しくなって、楽しくなって、こういった方法で、日本の友人達と瞑想とかOSHOをシェアできて、それで生活していければ、もう最高だと思う。お店の名前ももう決めました。「アンナプルナ」っていう名前です。アンナプルナはインドのご飯の神様です。もちろん女性の神様。みなさん、アンナプルナがオープンしたらぜひ一度、インドの料理を食べにきてね!

 

どなたかお心あたりの方はご連絡を!

  コミューンのセレブレーションでは、日本人に混じって、龍の頭を担いで練って回ったパタンジャリ。日本語…関西弁!がペラペラだから日本人とも、誰とでも一緒に気さくに遊んでいる。とても楽しい。思い出せば、私(マハスック)は、彼が8年前に、ここで掃除のワークをしている姿をよく見ました。いつも楽しそうにやっていて、見ていてとても気持ちがよかった。それと、ヒマがあると、彼はいつもインドの横笛を持って吹いていました。日本に初めてきたときも、あの知る人ぞ知る大明神荘にやってきて、そこはサニヤシンばかりが住むアパートで、そこにギャーノも住んでいた関係で。もちろん私もそこの住人でした。彼はどこにいっても楽しいって感じの人です。
  彼が今、いままでやっていた土木の仕事をやめて、インド料理店を開こうとしている話しを聞きました。もう彼とギャ−ナの腹は完全に決まっていて、あとは場所だけ。それも時間の問題という感じがしました。もし、どなたかお心あたりがある方がおられましたら、ここにこういう場所があるとか、何でも情報提供をお願いします。メールはfareast@aminet.or.jpまで。

 

 

 

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