メガ、もとヒッピー、いまサニヤシン、彼が語る、奇妙奇天烈、楽しい人生。

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疥癬病にやられて…クタクタ…それでゴアに行くことにした



   僕が、そのころドミトリーに寝泊りしていたのは話したと思う。当時、アシュラム(現在のOSHOコミューン)がドミトリーをやっていて、一晩5ルピー(およそ現在の50RS、130円に相当する)で寝泊りできたんだ。そのとき、そのドミトリーには犬がうろついていて…、インドじゃ、犬はどこにでもいる。道端でも屋敷の周りでもね、そういう犬がいつからか、どういう理由からか、わからなかったんだけど、たぶん、その犬は僕のことが気に入ったのかね、それとも、僕の体が暖かかったのかな…インドでもプーナはデカン高原だから、夜とても冷えることがあるんだ…それで、夜になると僕に体を摺り寄せてきて、一緒に寝た、そのドミトリーでね。だけど、まずいことに、その犬は疥癬病にかかっていた。もちろん自分が疥癬病にかかって、それではじめてわかったことなんだけどね。後の祭ってやつよ。ほっとくととてもやっかいで、疥癬という虫が体のなかに寄生して体のなかを動き回って蝕んでゆく。アジアじゃ、いまでも結構疥癬病が多いね。いやぁ、大変な目にあったもんだ。疥癬病はその虫のせいで一種の病気に似た症状になる。まぁ、病気だね。疥癬病で、その虫に蝕まれて、僕の体にできものがたくさんできて、熱も出てききて、それからしばらくすると、手首のあたりから肩にかけて、うねるような線が浮き出てきて、それが、心臓のほうに向けて伸びてゆく…「これはたまらん、虫が俺の肉を食って、それで内臓のほうに向かってる!」



おかげで、なけなしの金をはたいて、病院で治療しなくてはならなくなった。ペニシリンを8本も打たれて、それでなんとか回復したが、こういう病気のあとで、休養が欲しくなった。「そうだ、ホリディだ、ゴアに行こう!」それで僕はゴアに出かけることにした。



  ゴアに到着した。そこには、みんなが馴染みのチャイショップ(インドのお茶屋・ティーハウス)があって、別嬪ののリリィっていう名の姉さんがやっていた店だったけど、そこに大勢サニヤシンがダマッていた。サニヤシンたちが自分のバッグを彼女のお店に預かってもらっていたんだ。というのはね、当時は、ホテルなんぞというものには泊まりやしない、夜、みんなは海岸で寝ていたんだ。オレンジの服を着てマラをかけたサニヤシンたちが、その一帯の海岸を占拠していた。あっちを向いてもこっちを見ても、どこもかしこもサニヤシンだらけだったよ。だから、みんな、まずそのチャイ屋にやってきて、そこに荷物を預けて、それで海岸でごろ寝したんだ。

  僕がそこに着いたとき、また言うのもなんだけど、所持金はたったの100Rsだった。だから、到着するなり、そのお金をどうしたと思う? そのチャイ屋の少し先の人気のないところにいい場所を見つけて、地面の砂地に小さな穴を掘って、そこに隠した…当時の僕にとって、100Rsというのは大金だったんだ!だから絶対に誰かに盗まれたくなかった。だって、僕も砂浜で寝起きすることにしていたからね。

  それで、穴を掘って、それはころあいのいい林のそばだった。だから、どこに埋めたかちゃんと思い出せる。その林で見通しが悪い。それでその穴にお金を置いて、その上に人が後から見てもわからないように砂をかけて…。数日後、僕はお金が必要になってその林のところにもどって、お金を掘り起こした…でも、あのお金を見つけることはできなかった。いくら掘っても出てこなかった。要は金がどっかへ行っちまったのさ。どうなったのか、誰がどうしたのか、いまもって謎。
「くそっ、こんなのってありかよ!文無しでいったいどうしたらいいんだ!」
   僕は途方にくれたが、そのとき手にオレンジ色の時計をしていることに気づいた。「そういえば、アンジュナのビーチにフリーマーケットがあったよな。あそこで、この時計を何とか売るしかない。どうせなら350Rsで売ろう!」そう心に決めて、僕はフリーマーケットに向かった。うまいことに、その時計を350Rsで買ってくれる人間に出会うことができて、僕は無事プーナに戻ってくることができた。当時、ゴアからプーナまでのバス料金が28Rsだったことを考えると、350Rs(およそ現在の8000円くらい)というのは、大金だったね。(注:現在の夜行バスの料金は寝台バスが350RS約900円である。だからだいたい、当時のルピーに10倍をかけたら、現在のルピーになり、それに2.5倍したらだいたいの日本円になる計算である)



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僕は、プーナに帰ってきた。それでアシュラムへ行くと、そこで、誰かが僕のことを探していると言われた。なんでもボンベイに本社があるドデカイ会社のプーナ支店長が僕を探しているということだった。何のことだか、さっぱり要領を得なかった。それはとりあえず、腹が減ったので、僕はプレムス・レストランに向かったんだ。




  知ってるよね、プレムスレストラン。プーナに来たことのある人なら、誰でも一度はプレムスのメシを食べにいく。プレムスのオーナーとは長い付き合いなんだ。彼がレストランを始めたとき、手伝ってやったからね。最初は、僕が彼に目玉焼きとか、オムレツとか、西洋人の好きそうな料理の仕方を教えたんだ。

  プレムスのオーナーのプレムはね、もともとケニヤで警察署長をしていた。ケニヤって、アフリカのケニヤだよ。イギリスがケニヤを植民地化したとき、大勢、インド人がケニヤに連れていかれて、鉄道や道や、家を建設したり、その他もろもろの雑用にために、インド人をケニヤに連れて行った。プレムもケニヤに連れて行かれて、そこで警察署長をしていたんだけど、アフリカ諸国が次々と独立して、ケニヤも独立して、それでそういうインド人が不要になって、イギリスは彼らをみな解雇したんだね。その際、補償としてわずかばかりの退職金を与えた。プレムもお金を貰ってインドに帰ってきて、そのお金で、今のプレムスレストランのある土地を購入した。当時は、小屋が数個たっていただけだった。それで、プレムはサニヤシン相手にレストランをやりはじめた。プレムとはそのころからのつきあいなんだ。

  僕がプレムスレストランに入ったとき、彼が駆け寄ってきて、「おいおい、メガ、でかい会社の人がおまえさんに会いたいってよ。ボンベイに本社のあるあのでかい会社だよ。その支店がプーナにもあって…プーナの支店の人間がメガのことを探していたんだよ。なんでも、君のためにお金を用意していると…」その会社は、インドでも指折りのお金持ちが経営する会社だった。それで僕はわけがわからんことなった。「いったいぜんたい、どういうことなんだ」って。「なにがどうなっているのか、さっぱりわからん。インドのでかい会社、それが僕にお金を用意しているって?」

  謎が解明したのは、それから数日後だった。その会社の人間となのる男に会えたのは数日後よ。彼はやはりボンベイにある会社のプーナ支店長だった。彼が言うには、イギリスの僕の友人が僕がインドでひどいにかかっていると聞いたらしく、それで心配していると。彼の話しを聞いてやっと理屈がわかった。じつはね、僕は、イギリスにいるとき、ユダヤの大金持ちが経営する会社で働いていたことがあるんだ。でかい会社でね、インドと貿易の仕事をやっていた。イギリスの、そのユダヤの大金持ちの僕の知り合いが、どいう訳だか僕が病気だという噂を聞いてね、たぶん、疥癬病の噂でも聞いたんだろう。40度の熱で生死をさ迷う、ちょっと大げさか、40度の熱で唸っていた…これはホント…からね。それで彼らが取引しているインドの貿易会社に、僕のことを探し出して助けてくれるようにと連絡したらしい。インドのそのドデカイ会社のプーナ支店長が僕のことを探しに来たのは、もともとはイギリス、さらにもとをたどれば、噂ってことかね。

  それで、そのプーナ支店長さんが僕に「いくら必要かね?」と聞いた。それで僕は「ううん、2000くらい」と答えたんだ。当時は、ファックスもEメールもなかった。ファックスの機械自体がなかったよ。だからテレックスが使われていた。彼はすぐにイギリスにテレックスした。メガが2000を必要としているというメッセージを送った。イギリスは、それを2000ポンドと解釈したらしく、2000ポンド(注:当時の1ポンドはどれくらいの価値があるのでしょう?恐らく1ポンド=300円くらいでなかったでしょうか、とにかく当時の2000ポンドはインドでは相当の金額)は、当時の僕にしたら、とんでもない金額だよ。僕はただ、2000ルピー(現在の5万円くらい)あったらナァと言ったつもりだったんだけどね…。

  ともかく、プレムは僕がボンベイの企業とコネがあるらしいの知って、急に態度が変わってね、文無しに近い僕に向かって、「メガ、ウチで食べてゆきナよ。必要なだけ食べていってくれ。まぁまぁ、お金は後でいつだっていいからさ。」と言った。おかげでとても助かった。とにかくその日その日のお金がなかったからね。でもその彼も去年突然亡くなった。それはちょっと奇妙な死に方だったな。というのはね、普通にしていた彼が突然死んで…原因はなんなんだったか、いまもってわからん…その数時間後になんともなかった彼の母さんまでも突然死んだ。息子が朝に死んで、その同じ日の午後には母親が死んだんだよ。「アンビリーバブル!」信じられないような話だろうけど、インドではなんだってありだよ。これくらいの話し、ごろごろしている。インドで不可能なことはありえないのさ!




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たとえばね、そうそう、去年、世界中で、2000年問題って、大騒ぎしていたろ。Y2Kだよ。Y2Kっていったい何だろうって、聞いたら…電気がこないとか、水道が止まるかもしれないとか、食料が来なくなるかもしれないとか…そんなのインドでは日常茶飯事じゃないか!




  Y2Kが毎日どこかで起こり続けている、世界の人が聞いたら信じられないような話しが起こっているのが、この国だよ。電気は頻繁に停電、水も乾季には断水することが多いし、ちまたには路上生活者があふれ返り、毎日どこかで餓死者がでている…。でもな、この国では、不思議なことに、この状況に対して大騒ぎする人間はまったくいない。だから、去年、やれ2000年問題だの、Y2Kだのと世界が大騒ぎしているとき、インドはいたってのんびりしていたね。Y2K?それってなんだって、ほとんどの人は知らなかったし、仮に知っていたところで、誰も大騒ぎなどしないさ、今日に始まったことじゃないってね…。

  このまえ、ゴアからプーナに帰ってくる日、それは日曜だったけど、僕は日曜に夜に出る寝台バスに乗ることにしていた。その日は雨が一日降っていて、電気がまったくこなかった。じつはそれは前の日の、土曜日の夕方から延々と続いていた停電だった。土曜の夜の8時に停電が始まって、電気が戻ってきたのが次の日の夕方5時だったよ。しかも、あとから聞いたら、ゴア一帯が全部ほぼ丸一日停電していたんだから驚きだよ。でも、みんないたって普通、いつものように暮らしている。インドでは、こんな停電がしょっちゅうあるさ、毎日が混乱状態だね。それで、どうしてやっていけるのか、よくわからないけどね、それでもやれていけてるのさ。

  僕はバイクが好きだから、バイクを乗り回しているけど、エンフィールドっていう1500ccなんだ。バイクのうえからよくよくインドの道を観察していると…みんながどうやって運転しているか、あるいは、どうやって歩いているかをよーく見てみると…こいつは気が狂っているとしか思えない。車は左側通行、人は右側通行、そんな決まりなんてあってなきが状態。車がどうどうと反対車線をつっぱしる。かと思えば、牛が道のど真ん中に立ち往生、それをよけようとしたトラックが路肩にはまり込んで、その脇をリキシャ(インドの小型三輪タクシー)が追い越そうとする。さらに他の車がそのリキシャに二重追い越しをかける。さらにさらにバイクが三重追い越しをかけて…そのとき、反対車線から車がハイスピードで接近!あわや事故か!と思いきや、反対車線の車は路肩に乗り上げながらそれをよけて突っ走って去ってゆく。よくもこんな無法状態で、どうしてやっていけるのかまったく理解できないんだ。それでも、事故というのは、もちろんあるんだけども、あんな状態にもかかわらず意外と少ない。奇跡としかいいようがないね。インドではものごとはうまくいっている!ってことさ。




こういう風に考えると、インドはY2Kを乗り越えるために修行をする場所として最高の場所じゃないかと思う



  …2000年は何も問題なく済んだようだけど、でもこれから先、何が起こるかわからないだろう。経済問題だって、不況だって、いろいろな要因で世界が2000年状態にいつなんどきなるかわからない。でもね、この国では、とっくに落ち込んでいて、毎日が2000年問題状態。だから、インドで生活してみれば、これはとてもいい練習になる。ここで練習しておけば、日本に帰ってとても役立つよ。ひどい停電があったって、へっちゃらさ。「停電、たいしたことじゃない」ってね。もちろん、ほとんどの人にとっては大変だろうけど…みんな居心地のよい生活に馴れきっているからね。電気が来て当たり前、水が蛇口から出てきて当たり前、電話が鳴って当たり前、でもここでは、電気は停電して当たり前、水は断水があたりまえ、電話が不通なのがあたりまえだから…知ってるかい、この間、大雨が降ったとき、ボンベイでは6万7千の電話回線が不通になった。こんなことが日本で起こったら、大騒ぎになるだろうよ。でもね、ボンベイのみんなは、とてもリラックスしていた。大したことないじゃない、電話が6万7万止まろうと、いつかは直るさってね。ここプーナでも、停電は日常茶飯事だよね。特に木曜日には長い停電があるけど、時として、朝から晩遅くまで電気が止まる事だってある。でも、みんなまるで何もないかのようにリラックスしているね。だから、インドはY2K学校として最高の修行場を提供できるんだよ。(まだまだつづきます…次号をお楽しみに!)




次号はメガの悟り体験!そして絵を描きはじめる…悟り?も彼が語ると冗談だっ!