メガ、もとヒッピー、いまサニヤシン、そして絵を描き始める。彼が語る、奇妙奇天烈、楽しい人生。

どうして絵を描き始めるようになったかって? オッケー、それがどうしてハプンしたかきっちりと話してみよう。



  それはね、1991年のことだった。OSHOが死んでからまる一年たったころ、僕は精神的に危機的状況になってしまった。もうどうしようもなくなって、それで、ラクナウにいるプンジャジっていうマスターの噂を聞いたんだ。彼のことはみんなパパジって呼んでいるけどね。だから僕はとにかくそこへ行ってみることにした。そこに行って、たぶんいま思うと、僕はとってもオープンになったんだね。
   当時、僕はエンライトメント(覚醒を得ること)にだけ焦点をあてていた。トータルにね。OSHOが肉体を離れて以来、僕の生涯で興味や関心をそそるものは、もうなくなっていた。まぁ、つまるところ、僕はもうどうしようもなくなっていたんだよ。もう何がどうでもよかった。だから、とにかくそのラクナウのマスターに会いに行くしかなかったのさ。
   そうそう、ラクナウに行くまえにも、僕はいろいろなエネルギーの状態を体験していた。それを敢えてスピリチャルな霊的なことだとは呼びたくないんだけどね。とにかく、何かが僕に起こりつつあった。それがなんだったか、いまでもわからないよ。それで、そのマスターのところに行く必要性を感じたんだ。というより、彼が僕のことを呼んでいるって感じだった。僕は自分の人生でやらなけりゃならないことをやるってときもあるんだよ。

  僕はそこに行って、とてもたくさんの経験を通過した。だけどやっぱり、それをスピリチャルな霊的なことであるとは呼びたくないんだ。そう、いくつかの経験だったとしておこう。たとえば、光の体験とか、宇宙的オーガズムの体験だとかね…こういった言葉があっているのかもよくわからなくなってしまうけど、よく考えると、あれはいった何がどうしたのか、よくわからない…とにかくとても強烈だった。





  その後、プーナに帰ってくると、僕の友人たちが、「なんてこった!君になにかが起こった!」て口々に僕に言うんだ。



  友人たちがいったい何がどうしたのかを聞いてきた。僕は、「ラクナウから帰ってきたんだけど、僕に起こったことがとても強烈だった。」と言ったよ。

  何事もやるとなったら、100%でやらなければ意味がないでしょ。当時は、覚醒が僕の最後の欲望だったんだ。もうそれ以外に考えられなかった。僕は見つけ出したかったんだ。それはこんなだよ。僕はある人がいつもいつも僕にリンゴの話をしてくれるのを聞き続けてきた。リンゴって知っているよね。どんな形で、どんな香りで、どういう味で…

  仮に僕がいまジャングルから出てきたばかりとしよう。原始人みたいにね。その僕が誰かに会った。その誰かが、僕にリンゴというものがどういうものかを説明してくれる。15年まえ、OSHOは光明とか、覚醒とか、瞑想とかについて僕に向かって話しはじめた。それから15年間、僕はそこに座り続けて、それを聞いていた。それはまるで、誰かが原始人の僕にリンゴの話をし続けるようなものだったんだ。馬の耳に念仏ってやつさ。

  僕は思った。「クソッ!そのリンゴってやつが、いったいどういうものなのか、ちっともわからん!香りがどんなで味がどんなだか、さっぱりだ」そしてついに、ある日、僕は自分に向かってこう言ったんだ。「クソッ!このリンゴとやらをどこかで探してやる!リンゴがどこにあるのか、僕に教えてくれる人間を見つけ出すんだ!そして、リンゴを手にとってどんなものだか見てみたい。感じてみたい。匂ってみたい。かじって、味わってみたい!」

  そうして、ある日、僕は北インドのとある場所にいる男に出会った。彼は僕に示した。それは緑色のときも、あるいは赤い色のときもあるとね。そして彼は「おい、見てみろよ」って、「匂ってみなさい」って言った。「よっしゃ」って僕は言った。「なかなかいい匂いだ」ってね。彼は「じゃあ、かじってみなさい」って言った。僕は「とんでもない!」って言ったよ。僕はね、こんなリンゴをかじったら、死んじゃうよぉって思ったんだ。

  そのとき、僕がラクナウにいるとき、この男に出会ったとき、僕は信頼した。「よっしゃ、このリンゴとやらをかじってみよう!」そして僕はこのリンゴにかぶりついたら…とっても美味しかった、ハッハッハッ…。いったいなんで怖かったんだろうか?こんなに素晴らしいものが!なんてこった、15年間だよ!このリンゴってものの話を散々に聞いていただけだったんだ。それは食べて味わうと最高だったということがわかったぞ!



  そして、ラクナウからプーナに帰ってきて…クソッ!俺の思考(マインド)が…それはまったくの気違いだった。




  ラクナウから帰ってきて、僕は探しもとめていた。僕はこのリンゴをもっと欲しい。このリンゴをしっかりと握りしめていたい。僕は、自分の生涯のなかで、こんな素晴らしいものごと…あのリンゴを体験したことがなかったからね。だから僕はそのスペースに、なんて呼ぶにしてもね、そこに留まっていたかったんだ。それがとんでもない大きな問題を創り出してしまった…惨めさとか執着というものだよ。だから、ラクナウから帰ってきてから二週間というもの、僕はまったく混乱してひどい状態だった。それは、ある意味で、多くのマスターがニルバーナ(涅槃)は最後の悪夢だと呼んでいるものじゃなかったかと思う。そんな話を聞いたことがあるかい?とにかく僕は悪夢の毎日を過ごした。

 

 




mega

  そんなある日の朝、僕は目を覚まして…そして聞いたんだ、僕の内側の声が「絵を描きなさい!」って言うのをね。




  そうして、僕は絵を描き始めた。とてもシンプルな始まりだったよ。絵を描くための学校にも行ったことはないし、絵の描き方を誰かに習ったこともないよ。それはこんな風に…ラクナウから帰ってきて、そして数週間のあいだ、僕はまったく自分を見失っていて、何か、自分をグランディングさせる、地に足をつける必要があったのさ。絵を描くことは、僕にとってグランディングになる。それは僕の足を地にしっかりとつける。絵を描いているとき、僕はトータルに平穏な状態にいる。先のことを考えたりしないし…先のこととか、お金のこととかで悩んだりしない。それは僕の瞑想なんだ。

  その日以来、ちょうど今年で9年めになるけど、僕は絶え間なく絵を描き続けている。朝起きて、コーヒー飲んで糞たれて、それから最初にやることが絵を描くことさ。何を描くかなんて問題じゃない。いいものが出てくるかもしれないし、どうでもいいようなことしか出てこないかもしれない。だったら、その上にまた描きなおして…何がそこに描かれるかってことは気にしていない。これは僕の修行ってところ、ただ絵を描くってことがね。絵を描いていれば調子がいいんだ。

  描いた絵は売れるかもしれないし、売れないかもしれない…絵は僕にとってレットゴー(手を放す)ということ。絵にしても僕はレットゴーする。だって、素晴らしい一点を仕上げるなんてことはこれっぽっちも頭にないからね。僕は絵で有名になりたちとかそんな夢はまったく持ってないよ。絵はね、僕にとって、この瞬間にいるということなんだ。この瞬間にその流れのなかで、流れに身を任せるって感じかな。色と戯れて、セメントも使うこともあるし、僕はいろいろな素材を使って絵を描く。


 





  最近、僕はゴアでこんなことをやっているんだ。




  最近、僕はゴアでこんなことをやっているんだ。キャンバスにゴミと一緒に色を投げつけて、それでそこに爆竹を突っ込むのさ。絵の具がまだ濡れているときに、爆竹に火をつける。僕は逃げ出して、その絵のなかで爆竹が爆発する。それがどんなだったか、見せたかったよ。来年は、どでかい爆竹をたくさん買って、それを絵のうえで爆発させようともくろんでいるんだ。まるでショータイムだね。どでかい絵に、たくさんの爆竹…それに火をつけて…遊びだよ。たぶんね、そんなにたくさんの爆竹を爆発させたら、絵がまるごと燃え上がっちゃうかもしれないけどね、ハッハッハッ!

  こうやって、楽しいこと、馬鹿らしいことかもしれないが、それをみんなにシェアするってことがまたとても楽しい。お金はいつもついてくる。家も知らない間に手に入って、そんなにも高くなくてね、ほんとはとても高いのにね。なんだか、いつも、なんとかなっている。すばらしい人生だよ!ただ、やり続けて、楽しみ続け、喜びを分かちあうだけさ、ハッハッハッ! だから、僕は、スピリチャリティとか、精神世界だとか、光明だとか、覚醒だとか、そういうものには深刻になりたくない。ただ、こうして絵を描いて、それをシェアすることが、とても楽しいのに、これ以上、いったい何を望むんだねって感じだよ。こういう馬鹿らしい話をしていても、じつはとても楽しいんだ。 でもね、じつはね、僕も時々、将来のことを考えたりする。今日の朝もね、友人と話しているとき、それは少し「将来!」の先のことに関したものだった。それでね、僕は友人を顔を見合わせて、「ハッハッハッ!」って大笑いしたところさ。





次号はメガのバイク冒険、インドの現実はこうだっ!