薮田

賢   治   の   学   校

 賢治の学校 「綾・自然農実践場」
 薮田誠二郎(sei0123@hotmail.com)

  薮田くんは、23才の若さで、賢治の学校の先生をやっていると聞きました。どうして、賢治の学校の先生になったのか?とか、賢治の学校がどんなことをやっているのかとか、そんな話しをしてくれませんか?   

  薮田:えっ?先生?…先生というほどのことでもないんです。それに、今年の4月から宮崎の賢治の学校にスタッフとして行くことになっているだけで、僕も賢治の学校全体がいったいどういうものなのか、実はまだよくわかっていません。   

  …僕はもともと農学部を専攻していたんですけど、大学4年生までは、ごく普通に大学生をしていました。就職せずに大学院に進んだのですが、あるとき、自分はいったい何をやりたいのか?という疑問がやってきて、どうもいまの農学部でやっていることではなさそうだということに気が付いて……それから、どうしようかとしばらく悩んでいたときに、農業でもまったく違う農業があるということに気づきました。奈良の川口さんの自然農法を見学に行ったりして、これこそ僕がやってみたい農業じゃないかなと思いました。ちょうどそのころ、賢治の学校の鳥山さんと出会ったんです。鳥山さんの話しがとてもよかったんで、それなら生徒として賢治の学校に入学しようと思ったんですけど、「アンタは農学部だから、ちょうどいい」と鳥山さんから言われ、「宮崎に自然農法を実戦している賢治の学校があるから、そこでやってみないか?」と誘われて、宮崎にある賢治の学校でやってみることになったというわけです。

  宮崎の賢治の学校は去年の4月に始まったばかりで、これからと言うのが本当です。宮崎の綾町は、有機農業がさかんで、全国でも有名。ゴウダさんという町長さんが自然農法や鳥山さんの賢治の学校をこの町でやりたいということで、自然農法をやる賢治の学校が出来たんです。それで立派な宿舎もできて…でも、まだ生徒が一人…専任スタッフがいない。そこで僕が就職?することになりました。でもね、就職って言っても、別に給料が出るわけじゃない。宿舎費用も食費も自分で払う。それならどうやって生活していけるのだということになりますが、それは自然農法で出来た野菜を売ったり、受け入れる生徒から入るわずかばかりの授業料をもらったり、賢治の学校のイベントをやりながら、そこから出てきたお金のうち、プラスになれば給料になる…だから、自分でお金を作るところから始めるんです。

   僕は、こういう生き方ってとってもいいなと思います。大学院まで行ったんだから、どこかの研究所とか、いろいろと道はあると思いますけど、そういう型にはまった生き方って、はっきり言って面白くありません。大学院に通っていながら、ふと、本当にこれは自分がやりたいことなのだろう?と考えて、自分がやりたいと感じるものは何か?と考えていたら、次から次へと、いろいろなものが目の前に現れきて、それでただ自分の感覚に従って進んでいったら宮崎の賢治の学校に行き着きました。だから、大学院も卒業半年まえに行かなくなってしまった。大学院中退ということになっちゃうのかな…。不登校!

  じつはね、自分は本当は何をどうしたいのだろうと試行錯誤しているとき、大学にしても、学校にしても、いまの社会、この社会の仕組みにしても、もう先が長くないぞって思ったんですね。この社会の仕組みはあと10年も持ったらいいほうじゃないかな?そういう感覚が強くありますね。この世の中はおかしなことばかりだから…。環境問題ひとつとってみても、解決できそうにない。僕たちの環境は汚染が日々深刻化してきています。そのなかでも食の問題はかなり深刻化してきています。食の汚染で、アトピーになっちゃう子どもたちがとても増えてきて、何も食べられなくなっているし…。それと同時に「学校に行きたくない」って不登校が増えてきています。いまの時代の子どもたちには、いちばん影響が出ているのだと思いますよ。だから、僕は、宮崎の賢治の学校にとても期待しています。宮崎の賢治の学校「綾・自然農実戦場」では、子どもたちが自分たちで食べるものを自分たちで作りながら、自然のなかで学べるような学校として、大きな可能性があると思います。




  薮田くんの話しはとても熱く、話しを聞いているうちに、僕も23才のころはリヤカーをひいて無農薬の野菜の引き売りをやっていたなぁと昔のことを思い出した。京都の出町に「菜の花」というビオマーケット系の自然食品店があるけど、その店がオープンするまえは「リヤカー*注」をひいて、「無農薬の野菜」というノボリをあげて野菜を売っていました。ううん、でもいまから20年前は、無農薬と言っても、まだまだ今のように浸透していなかったので、結構大変で、金銭的にはとても苦しかったけど、じつに楽しかった。(マハ)

  *注:リヤカー:自転車のようなタイヤが両サイドについた台車。戦争前後の時代には、よく映像に写っております。今ではかなりアンティークですけど、20年前もアンティークになりかかっておりました。もう使わないから要らないという人からタダで貰い受けたものを使用していました。もう、最近はほとんどみかけません…と思っていたら、いまどきの若い子たちはホームレスのおじさんが曳いていると、リヤカーなるものを知っていました。まだまだ、現役のようで失礼しました。







HOME