この十年余のインド訪問の旅の中のある日、パンジャツプ州のガンヂー塾の理事、スシル・クマール君と、ニューデリーの二百哩西、パキスタンとの国境に近い、タール砂漠地帯を自動車旅行した。
パンジャヅプ州のパチアラ市から西に向い、国境地帝に沿って南下する。はじめの頃は、ユーカリ樹や、名もしれぬ樹木が重ばらに生えた殻倉地帯から、やがてピーナッツしか出来ない草原地帯に入り、約十余時間、自動車に乗りづめで、西に沈む太陽を追って走り、やがて真赤な太陽が沈み、草原が黄色から紫色に変ってゆき、暗黒が一面を覆った中を青白いヘッドライトを輝かせて走る。
時々燐光を見たと思うと、サツと得体のしれない黒い影が草むらに走り込む。名もしれない部落にやっと着いて、ゲストハウスに泊り、翌朝、車はまた南下する。
もうニューデリーの西方を南方に向っているのであろう。私の感じでは、太陽の位置から見て、車は西南に走っている感じである。どこへゆくのか?スシル君は、何もいわないで私をひっぱり出したので、地図も持っていなかった。
やがて、地平線に太陽の光を受けて一面にキラメクものが見える。丁度、何千、何万もの鏡を太陽に反射させているようである。車は草原に、ところどころ耕地のある地帯を真直ぐに伸びている道をヒタ走る。
目を射る鏡の山は、見る見る近づいて、一つの山になってきた。唸りをたてて走る車から見ると、鏡のように見えたのは、露出した樹一本ない水成岩の硬いスレートの山であった。
四十度以上、いや八十度に近い灼熱した太陽の光を受けて、鏡のように白く輝き映えている。
その山陵を越すと、一面の砂漠地帯となった。鏡の山を走り下る自動車から見ても、何処まで拡がっているのか判らぬ。
スシル君が、窓を閉めるようにという。慌てて窓を閉める。どこから襲って来るのか砂塵が窓ガラスに小さな音を立ててあたる。恐らく砂の粒は、百度近く熱せられているのであろう。
見渡す限り、砂の粒の波が、西から西から、草も、樹木も呑みつくし、うずめつくして押し寄せている。
この地帯のはるか地平線のその向うは、人類文化の発祥地の一つといわれるインダス河の地帯である筈である。
インダス文化の中心のハラッパは、今から五千年前かに、原因不明で死滅し、砂の粒に埋めつくされてしまっていた。ハラッパという都市が近年発堀され、そこには水道も、下水もあったという。人が住んでいた以上、煮炊きの薪をもたらす森林もあり、豊かなみのりの土地であったろう。
今走っているタール砂漢は、そこに連り拡がり、今、車にあたっている砂の粒は、百度いや百度以上に熱せられ、そのハラッパから来て走る車も、呑みつくさんとしているのであろうか?
ハラッパは、なぜある日突然に死滅したのであろう。
ハラッパの近く、タール砂漠の地帯には、インダスの流れがヒマラヤ山脈の白雪からの豊かな河水を運んでいる筈である。
見渡す限り、何もない砂漠、白熱の太陽の光と、砂の粒、それしかない。
音をたててあたる砂の粒、音もたてない砂ホコリ、私はインドの東部のガンガ河の沿岸に見た、河岸から森林のないビハール州の餓死の地帯を歩いたときより、白昼夢よりきびしい恐怖にオノノイて、この砂の粒の白い平原を見た。
東京砂漠という。
近代化のもたらす公害の果てに来るものは、この砂の恐怖であろうか。この砂の平原には、人影はない。そこに、太陽と砂のみ。人なきゆえに、戦いはない。
我々の求める平和は?
声なき声のたより54号(1972年7月15日発行)
☆谷底ライオンのページより転載