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ゴータマ・ブッダ

Oh!Ah!Now! Wombat - 自由なバザール

en:Gautama Buddhade:Buddha Shakyamuni eo:Budho pl:Budda sv:Buddha

ゴータマ・シッダッタ(パーリ語でGotama Siddhattha、サンスクリット語でGautama Siddhārtha、悉達多)は、仏教の開祖の出家前の名前である。 紀元前463年(紀元前566年、紀元前624年など諸説ある)に、ヒマラヤのふもとの、現在のネパールにあるカピラ(迦琵羅)城のルンビニー(藍毘尼)でシャーキア族(釈迦族)の王子として生まれたらしい。

この記事では誕生から悟り(光明)を得るまでを含んでいる。

ネパール人は主に東南アジア系に似た人種であり、したがってゴータマ・シッダッタ・ブッダがそのような系統の人種であった可能性がある。なお、ネパール人は日本人に近い顔をしている。

父親はスッドーダナ王(浄飯王)、母親はマーヤー妃(摩耶夫人)。伝説によれば、16歳の時に従姉妹ヤショーダラー(耶輸陀羅)(当時13歳)と結婚。29歳のときにラーフラ(羅喉羅)という息子をもうけるが、息子の顔を見ることもなく夜のうちに出家の道を選び宮殿を抜け出した。35歳で悟りを開き、45年間の布教活動のあと、80歳で入滅している。

それまで出家僧がおこなっていた数々の苦行を否定し、なにごとも極端ではなく中道を行くべきであるという教えを説く。これが現在の仏教のもとになっている。

出家前の生活

ブッダが、王の地位を引き継ぐ王子「ゴータマ・シッダッタ」として生まれた日の、星の位置を見たインド占星術師は、シッダッタは「世界の王」になるかまたは、「出家をして真実を見つける」と語った。父王はシッダッタに出家などして欲しくなかったので、出家を避ける方法を尋ねた。

師は、シッダッタが世界に幻滅することがないように、あらゆる手を尽くすことを提案した。あらゆる否定的な感情から守ること。死や老いがあることに気付かせないこと。この世界で得ることのできる楽しみや贅沢を途切れることなく与えることなど。

くしくも、これらの提案がシッダルタを将来出家に導くための布石となることを、誰も想像だにしなかった。

シッダッタは、季節毎に宮殿を移動し、いつでも快適な気候を得ることができた。家臣は若く健康な者だけが選ばれ、国中から美女が集められた。庭園には、花が咲き続け、枯れた葉の落ちることはなく、夜のうちに全てが整えられた。シッダッタが行く先々はきれいに整えられ、汚いものを見ることすらなかった。

出家の日

ある日の事、城の外の祭に興味を持ったシッダルタが祭を見に行くことを望んだ。祭をシッダッタが見に行く通り道が直ちに決められ、道に沿って全てが完璧に整えられ、シッダッタは、馬車に乗って祭を見に出かけた。

祭を楽しんでいる最中に、予想外の出来事が起きた。老人がシッダッタの目に止まったのである。シッダッタは老人を見たことがなかった。御者に尋ね、御者はそれが老人であることを説明した。また、シッダッタはそれが自分にも起こることを突き止めた。

また、その先で、死を悲しむ人が現われた。その死は突然起きたので、シッダッタから隠すことができなかった。シッダッタは御者に尋ね、死の意味を知り、それが自分にもいつかは起きることを突き止めた。

そうして、決定的な事が起きた。運命が仕組んだとしか思えない出来事である。シッダッタの馬車の前を出家僧(サニヤシン)が横切ったのだ。御者は答えを拒んだが、シッダッタは出家者が「超えたものを求める修行者」であることを知った。

「老いと死を超えたもの」はシッダッタの興味の深くまで入り込んだ。「時間は限られている」。世界の可能な限りの贅沢と快楽を楽しみ尽くしていたシッダッタを留めることができるものはなかなった。

子供の姿を見てしまっては、執着が起きてしまう。子供が生まれるので父王を継ぐものは残る。妻からすがられたら、出家をする気持を通すことができない。

シッダッタは、夜のうちに密かに城を抜け出して探求者になった。

出家

当時は、ヴェーダが完成され間もない時期で、ブラフミンの特殊性がはっきりと示されたことに対する反発で、反ヴェーダ的な思想家が数多くいた時期である。

出家して約7年間で悟りを開いたとされる。この7年間という数字は非常に短い期間である。

理由として指摘されているのは、出家の直前まで非常に贅沢を尽くし、欲望の全てがかなえられる生活をしていた事である。普通に出家をすると、まだかなえられていない欲望を満たすことを考え、修行の妨げとなるし、迷いにもなる。それが、修行をしていても気持を他の所へつれて行ってしまう。

シッダッタには、そのように「もしかしたら」と思うような事柄はほとんど満たされていたので、他の出家者に比べて非常に有利な状況が作り出されていた。

同様に、ゴータマ・ブッダの元で悟りを開いた弟子には、王子だった者が多い。例えば、シャリプトラもマハカーシャパも王子の出身だった。

出家後には、適当な師を選んで弟子入りをした。可能性としてはこの時に、新しい名前をもらった事が考えられるが、出家時代の名前は伝わっていない。

ゴータマ・シッダッタ・ブッダの悟り

出家して7年間の修行のすえ悟りを得ることに失念して修行を止めることを決めた。ゴータマ・シッダッタの修行はトータルで、やり方が足りないから悟ることができないとは思えることはできなかった。数多くの教師のもと、グルの元で学び、これ以上教えることはないと言われた。

苦行が良いと教えられれば、とことん身体を苦しめた。断食が良いと教えられれば骨と皮だけになるまで、断食を続けた。考えられる、思い付く限りの努力を試みた。それでも、何も起こらなかった。

ここまでしても、たどり着くことができない。もう止めよう。河で身体を洗い菩提樹の根元にくつろいで座った。どのくらい長い間座っていたか覚えていない。空が明るくなって行き、満月が沈んで行き空が更に明るくなって行った。明けの明星が空から消えて見えなくなって行くのと一緒にゴータマ・シッダッタは消えていなくなり、ゴータマ・ブッダがそこにいた。


ゴータマ・ブッダGautama Buddha、瞿曇・仏陀)は、仏教の開祖。29才で出家し35才の時に悟り(光明)を得たとされ、大量の弟子を受け入れ大きな教団をかかえた。80才で入滅。入滅後にインドで最も大きな宗教となり、仏教はアジア全域に広がった。しかしインドでは、後に再構成されたヒンドゥー教や、イスラム教などによる弾圧によりインド国内からは消滅した。

ゴータマ・ブッダが悟りを得た後に名乗った名前にはいくつかあり、ゴータマ・ブッダは最後に使っていた呼び名だと思われる。しかし、各国の仏教でブッダ(仏陀)がゴータマ・ブッダだけを指すことから、ゴータマの名前も落して単にブッダと名乗っていた可能性もある。

ゴータマ・ブッダは満月の日に生まれ、満月の日に悟りを得て、満月の日に肉体を去ったとされる。明けの明星が消えて行くのとともに悟りを得たと伝えられる。強烈な努力の末に、完全にあきらめ全ての努力が落ちたときの出来事だとも伝えられている。

悟りを得た後、ゴータマ・ブッダは七日間沈黙していた。起きたことは言葉によって表現されるものでも、伝えられるものでもない。そこにあったのは二つの選択である。伝えられないのなら語らない。さもなければ、伝えられないのを承知で終わることなく語り続ける。幸いな事に、ゴータマ・ブッダは後者を選択した。仏教が生まれることになった。

ゴータマ・ブッダの違いを見て取った数人の友人の修行者が、教えを乞うた。最初の講話が行われた。

名前

ゴータマ・ブッダは、悟りを宣言して弟子を取りはじめた以後も名前を10回程度変えている。ブッダはその内のひとつで、最後に使っていた名前だと思われる。

そのほかに、バグワン (Bhagwan、祝福されし者。釈尊)、ボーディ (Bodhi、光明、菩提)、などを使った時期があるらしい。

ゴータマ・ブッダの行った奇跡

ゴータマ・ブッダが神格化される中で、神通力(じんづうりき)としての奇跡的な行いについて後に伝えられているが、実際に物質的な奇跡を行った証しはなく、それは精神的な意義で方便と解釈される。ゴータマ・ブッダの奇跡については数多く伝わる。詳細はゴータマ・ブッダの伝説を参照。

死んだ子供と母親

身よりもなく、夫に先立たれた未亡人がいた。当時のインドでは未亡人であることは地獄に暮らすにも等しかった。再婚は許されず、社会的に制限された生活を強いられる。幼い子供だけが希望の綱として残されていた。しかし、その子供も病気で亡くなってしまった。未亡人は気が触れて死んだ子供の身体を抱いて暮らし始めた。

ある日、ブッダが村に来ていることを村人が未亡人に伝え、死んだ子供を甦らせてくれるかも知れないと提案した。未亡人は子供の身体を抱いてブッダを尋ね、質問した。「私の子供を甦らせて下さい」。ブッダは微笑んで答えた。「簡単な事だ。ただし条件がある」。未亡人は言った。「どんな条件でも満たして見せます」。ブッダは言った。「カラシの種を数粒持って来なさい」。「そんな簡単な条件で良いのですか?」。「いや、条件はそれだけではない。死んだ者が出たことのない家から数粒のカラシの種を持って来なければならない」

未亡人は大喜びでブッダの元をさり、村の家のドアをノックして回った。村はとても古い村だった。行く家々で言われた。「カラシの種ならいくらでもあげることは出来るよ。でも、家からは沢山の死人を送り出した」。未亡人は一日中ドアをノックして回った。気の触れた人と言うのはエネルギーにあふれ疲れる事を知らない。一日中そのことに集中した。そうして夜になって、ブッダの元に帰って来た。

ブッダは言った。「カラシの種を持って来たかね?」。未亡人は答えた。「いいえ。私は死を避けることは出来ないと言うことを知りました」。未亡人はもう狂ってはいなかった。ブッダの元にひれ伏して未亡人は言った。「あなたは死を超えたものを教えていると聞きました。いつか私にも死が訪れます。どうぞ私を弟子の一人にしてください」

ゴータマ・ブッダの教団

ゴータマ・ブッダの回りには多くの人々があつまり、大きな教団が形成された。ゴータマ・ブッダは長期に渡って同じ場所に留まることはなく、教団とともに場所を変えて行った。多くの王族から支持され、王族から出た弟子も多かった。教団は経済的なサポートを得ることができ、弟子達は修行に専念することが出来た。

当時は、バラモン教の経典ヴェーダが完成し司祭階級のブラフミンの特殊性がはっきりと示された時で、これに対する反発も多かった。階級の廃止、すなわち4つのヴァルナ(カースト)の廃止を主張したゴータマ・ブッダは、非ブラフミン、特にブラフミン階級のすぐ下になる王族/戦士の階級であるクシャトリアから支持された。特に裕福な王族が多数、ゴータマ・ブッダのスポンサーとなって教団とともに旅をした。

当初は、男性のみが弟子になることを許されたが、後年になって、女性が弟子になり教団に入ることを許された。そのときにゴータマ・ブッダは語った。「私の教えは五千年の間続くことになっていたが、これで五百年しか続かないことになった」。

女性が修行が出来ないと言うよりも、男性に女性が混ざるとどちらも修行に専念ができなくなって、また、関係性の問題や力関係、権力の誇示、多くの問題が入り込むので教団も乱れて行くことを見て取ったのかもしれない。

教団の詳細はゴータマ・ブッダの教団に説明されている。

伝えられる講話録

ゴータマ・ブッダが使った言葉は、パーリ語である。パーリ語は当時のその地域で話されていた一般的な言葉である。当時は、サンスクリット語が宗教家や学者の間では使われていたが、ゴータマ・ブッダはパーリ語で話すことを選んだ。これも、ブラフミンに対する反逆である。

ゴータマ・ブッダは、45年間にわたり法を説いたが、その記録を取ることを許さなかった。それは、死んだ知識を残すことには興味がなかったからだと思われる(不立文字)。むしろ生きた伝達を残すことに精力をそそぎ、数多くの悟り(光明)を得たと伝えられる弟子達を残した。

弟子が悟りを得ると、ゴータマ・ブッダは弟子を外に送り出した。送り出すときに弟子の耳元でささやかれた言葉は「チェリベティ。テェリベティ」である。意味としては、「立ち止まらず進み続けなさい。立ち止まらず進み続けなさい」となる。

現在、仏教経典(仏典)として伝わる文書は、ゴータマ・ブッダの入滅の直後にゴータマ・ブッダの説法を伝え聞いた弟子達が王舎城に集まって会議を行い、ゴータマ・ブッダの意志に反してゴータマ・ブッダの説法の記録を記録編簒した(第一結集)。したがってそれは完全または正確な記録とは言いがたい。ちなみに多くの仏典は、「私はこの様に聞いた(如是我聞)」で始まる。「ゴータマ・ブッダはこの様に語った」ではないのである。

日本に伝わった仏教経典は、パーリ語から中国語に翻訳されたものである。

パーリ語で書かれた原典はスリランカに伝わっている。

悟りを得たと伝えられる弟子達

ゴータマ・ブッダの元で悟りを得たと伝えられる弟子達には、マハカーシャパシャーリプトラ、?などがいる。

マハカーシャパは、ゴータマ・ブッダと同じく王子の身分から全てを捨てて出家した弟子で、悟りを得たときのエピソードとして伝わる話がある。

ある日、ゴータマ・ブッダがいつものように講話を始めるのにやって来た。が、その日は花を手に一輪持って来ていた。花はバラであるとも蓮の花であるとも伝わる。ゴータマ・ブッダは、座った後も花を手にしたまま講話を始めずに座っていた。そうして長い間弟子達とともに静寂の中に座っていた。

しばらくして、誰かが突然笑い始めた。笑い始めたのはマハカーシャパである。ゴータマ・ブッダは立上り、木の下に座っていたマハカーシャパに近付いて行った。持っていた花をマハカーシャパに手渡し、語った。「語ることの出来ることは全て語った。語ることの出来ないことはマハカーシャパに伝えられた」(拈華微笑)。それ以降のマハカーシャパの記録は仏典には残っていない。マハカーシャパから始まる流れがである。

また、ゴータマ・ブッダが入滅した直後に悟りを得たと伝えられる弟子達も多い。その様に伝えられる弟子達には、アナンダや?がいる。

アナンダはゴータマ・ブッダと血の繋がった年上のいとこである。アナンダはゴータマ・ブッダの近くに留まり寝食をともにしていた。それは、出家前にアナンダが主張しゴータマ・ブッダが受け入れた条件による。当時の慣習ではゴータマ・ブッダは年上のいとこの言うことを聞かなくてはならない。アナンダはその権利を出家をして失う前に主張し、それはゴータマ・ブッダの身近の世話をすることだった。

入滅

入滅は80才。布施を受けた食べ物が原因の食中毒だったといわれる。

入滅にあたって最期の言葉は、「サマサティ (Samasati)」である。これは、「正覚」と漢字が当てられている。意味は「正しく気付いていなさい」で、これは「いつでも思いだし続けなさい。あなたはブッダだ」というメッセージだと思われる。

遺骨

ゴータマ・ブッダが火葬にふされた後の遺骨は、スポンサーだった王族達によって主張されたため、八つの遺骨と二つの遺灰に分割された。

現在も残っているストゥーパ(仏塔)や日本にもある仏舎利塔にはゴータマ・ブッダの遺骨が納められているものがある。仏舎利はゴータマ・ブッダの遺骨を意味するが、他の高僧の遺骨や「仏舎利は年を経て水晶となる」という言い伝えから水晶が納められている場合もある。

スリランカキャンディにある寺院には、ゴータマ・ブッダの歯(仏歯)が納められているという。また、鎌倉の瑞鹿山 円覚寺にも一時仏歯が置かれていたと言われる。

同時代の思想家

ゴータマ・ブッダと同時代には、ジャイナ教マハヴィーラをはじめ8人の偉大な師がほぼ同じ地域に存在したが、現在まで伝わっているのは、ゴータマ・ブッダとマハヴィーラの教えだけである。

当時は時期的にインドが文明的に最盛期を向かえており、物質的な生活は満たされており、その次を求められる時代であった。それゆえ、多くの修行者が社会から経済的にサポートされていた。それゆえに、多くの偉大な思想家が生まれたとされる。

インドはその後、物質的な繁栄を羨ましがる外部の侵略を受け、その富の多くを失うことになるが、また先の時代である。

また、地理的に離れているが、中国ではほぼ同じ時期に老子が生きている。老子とゴータマ・ブッダが出会うことはなかったが、後にマハカーシャパ系列の弟子であるボーディダルマ中国に渡り、老子の教えと出会い中国禅の元となった。

仏像

仏像には、ゴータマ・ブッダの彫像とされるものが多いが、ゴータマ・ブッダ自身は偶像崇拝を否定して自分の彫像を作ることを禁じており、入滅後300年から500年の間は彫像が作られなかった。しかし実際には、代わりに蓮華座や菩提樹を仏の象徴としての崇拝が行われていた。

ギリシャ文明との接点であるガンダーラにおいて、ギリシャ神話の彫像の影響を受けて初めて仏像が制作されたらしい。その間に、ブッダの神格化は進み、仏の32相などの人を超越した様相が語られるようになっていた。したがって本来のゴータマ・ブッダの姿形を示しているわけではなく、シンボルとしての表現となっている。

仏像には仏陀とはどういうものであるかという仏師(仏像の彫刻家)のビジョンが表現されている。また、仏像が作られた後にゴータマ・ブッダとの繋がりを行うための儀式を終えてのみ仏像は仏像になる。

菩提樹

ゴータマ・ブッダはインド??州のブッダガヤの河のほとりにある菩提樹の根もとに座っている間に悟りを得た。菩提樹の名前は、ゴータマ・ブッダの別名である「ボーディ」から来ている。菩提樹は挿し木により増殖することができるので、インド各地にゴータマ・ブッダがその元で悟りを得た菩提樹の子供が伝えられた。

ブッダガヤにあった元の菩提樹は、5世紀頃にインドにおける仏教の弾圧により切られており、現在同じ場所にある菩提樹はスリランカに伝えられた二代目の菩提樹の枝からの挿し木であり三代目ということになる。スリランカにある二代目の菩提樹はアヌラダープラ(Anuradhapura)にあり、現在も大事に守られている。また、挿し木による三世代以降の菩提樹はスリランカ各地に存在する。

スリランカに二代目の菩提樹が伝えられたとき、メッセージを伝える女性の使者(??姫)の髪の中に隠して伝えられた。

参照:ゴータマ・ブッダの菩提樹

メディア、芸術作品の中のブッダ

イエス・キリストと並んで、ブッダの生涯も芸術作品の中でしばしばとりあげられてきた。 手塚治虫の長編漫画ブッダ』、ヘルマン・ヘッセの小説『シッダールダ』、などはブッダの生涯を描く。光瀬龍のSF小説『百億の昼と千億の夜』には、キリストや阿修羅やプラトンなどと並んでブッダが登場する。なお、『百億の昼と千億の夜』は、萩尾望都により漫画化されている。

哲学者和辻哲郎には『古寺巡礼』というよく知られた評論があり、様々な仏像や建築についての批評を含んでいる。

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