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牧畜と砂漠化、緑化

Oh!Ah!Now! Wombat - 自由なバザール

> 地球緑化機構 | 印度サマサティ |

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http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/japan/jpn082.html からの引用です。

『現代の科学者に言わせますと、牧畜をやれば土地は肥えるはずだ、と言います。実際はどこでもやせている。オーストラリアの青年の話を聞きましても、インドの青年の話を聞きましても、やっぱり、畜産をやれば土地がやせる、というのが自分の結論なんです。
(福岡正信、『わら一本の革命』)

いまでは、このことは、常識になっているようです。たとえば、昨日のニューヨーク・タイムズ紙でも、中国の砂漠化の原因の一つは人工的なもので、それは増えすぎた牧畜であった、という科学者の報告の記事が載っていました。

The desert is the combined result, scientists say, of severe overgrazing that has destroyed the thin topsoil, and a decade of hotter, drier weather, including three straight years of extreme drought. (ERIK ECKHOLM, "Chinese Farmers See New Desert Erode Their Way of Life", New York Times, July 30, 2000)

人工によって自然でなくなったものを自然に戻してやる手助けをする、というのが福岡氏の砂漠緑化の考えの基になっているようです。

ついでに、興味深い福岡氏の考えを述べておきます。上記のニューヨーク・タイムズ紙の記事における科学者の報告では、あの砂漠化の原因は、牧畜のやりすぎ(人工)と天候の変化(自然)、ということですが、福岡氏は、雨が降らなくなったから砂漠化するのではなく、(牧畜などで)土地をやせさせ緑を無くすから、雨が降らなくなるのだ、と言われています。いわゆる「雨は下から降る」という考えです。

気象学言えば、雨は上から降るかもしれないけれど、哲学的に言えば、雨は下から降るもんだと自分は思う・・・。下が緑になれば、そこに水蒸気がわいて雲がわいて、雨が降るんだ、と。
(福岡正信、『わら一本の革命』)

福岡氏がいうように、また、ニューヨーク・タイムズ紙の記事でもそうであるように、雨が降らなくなったから砂漠化する、というのが今日の常識的な考えだろうと思います。しかし、「牧畜が砂漠化させる」という考えが今では常識となっているように、「雨は下から降る」という考えも近い将来常識となるかもしれません。少なくとも、ニューヨーク・タイムズ紙の記事では、人工による地球温暖化が、その天候の変化をもたらせている可能性があることを指摘しています。

しかし、福岡氏の砂漠緑化に関して、わたしの注目を引くのは、「砂漠緑化は自然か」といった問題ではなく --- すでに述べたように「何が自然か」という問題は客観的に決着のつく問題ではないのです---、むしろ、前回ものべましたとおり、それが人間が楽をする(何もしない)方法を目指しているところです。従来の潅漑方法の常識では、かならず、たとえばコンクリートを使った方法などを考えていたに違いありません。従来の思考が、「目標を達成するには、人間は何をすればよいか」、ということしか考えないからです。そうではなく、「できるだけ人間が何もしないで(つまり、自然に)、その目標を達成するにはどうしたらよいか」、と考えるのが、福岡氏の方法でしょう。』

「ところで、福岡氏は、国民皆農を究極の理想と考えられておられます。前回も指摘しましたように、氏の主張によれば、自然農法は一日平均2時間の労働時間で一家五人が養える、というものです。これは結局どういうことかといいますと、食うための仕事は、一週間に一日だけやればよいのであって、あと(六日)は、各自勝手にやりたいことをやればよい、ということだそうです。この国民皆農の理想からいえば、(日々の食物に関しては)流通機構は不必要になります。つまり、自分たちが食べるものは、家の外に出て新鮮なものをもって帰ってくればよい、ということになるからです。

じつは、わたしはこの考えに注目しています。自分が食べるものは自分が作るということ、しかも、それを一週間に一日の割合の仕事量でできるということ、これは、自然からますます離脱し、過労働でしかも運動不足、諸外国の市場と中央役人に重度に依存してきた、そんな現代日本人を、健康にし、独立させ、余裕を持たせ、自由にすると考えられるからです。自分たちの食うものが自分たちで確保できる土台さえあれば、いざというときに、会社や役人や他国の言うがままになる必要はもうなくなるのです。

最近では、サラリーマンが、週末だけ、郊外に買った農地や、田舎の農地に帰って、家族一緒に農作物を作ることを楽しむ人が増えているようですが、このような人々がますます増えれば、国民皆農の理想は、完全とはいかなくても、それに近いものが出来上がる可能性は十分にある、とわたしには思われるのです。日本の農業の未来の姿はその方向にあるとわたしは考えています。 」

Anadi (印度サマサティ)


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