| イマーノ | エコロジー | エディプス主体 | シンクロニシティ | スピリチュアル | フェミニズム | ボディワーク | ロック | 歌 | 瞑想
ぼくは虹を思い描いた
きみは自分の中にしまっておくだけ
ぼくは思いつきで動くのに
きみは計画ばかりたてていた
ぼくは何年間も世界をさすらい歩いた
その間きみはずっと自分の部屋に閉じこもったきり
ぼくが三日月を見ていた時
きみはまんまるな月を見ていた
きみは今にも飛び出さんといった様子で
回転ドアのなかにいた
星をつかもうと手を伸ばしていたんだ
うんと高くうんと遠くうんと早くいくことの素晴らしさを
きみはちゃんと知っている
きみはまんまるな月を見ていた
ぼくは地上にいたよ
きみが空を埋めつくしていたというのに
ぼくは真実を知って仰天し
きみは嘘をうまく切りぬけていた
ぼくが雨で泥んこになった谷間を見ていた時
きみはブリガドゥーンを見ていた
ぼくが三日月を見ていた時
きみはまんまるな月を見ていた
ぼくが翼のことを話せば
きみはただ飛んでみせるだけだった
ぼくはいぶかりあれこれ考え必死になっているというのに
きみはちゃんと判っていた
ぼくはため息をついた
・・・だけどきみは気絶してしまった
ぼくが三日月を見ていた時
きみはまんまるな月を見ていた
たいまつをかざし
風のいきおいで
きみははしごを登っていった
うんと高くうんと遠くうんと早くいくのが
どんな感じなのかきみはちゃんと知っている
きみはまんまるな月をみていた
どこにもかけてない月!
一角獣に砲丸
宮殿に桟橋
トランペットの塔に賃貸アパート
涙で溢れんばかりの大海原
旗にぼろきれに渡し船
三日月刀にスカーフ
星空の下の
かけがえのないすべての夢と幻
帆に風をいっぱい受けて
きみははしごを登って行った
きみは彗星のように現われ
光の道を残していく
うんと高くうんと遠くうんと早く
きみはまんまるな月を見ていた
The Water boys、アルバム「自由への航海」より
The Water boysのホームページはこちら
始めてしまうのである。最初から小難しくてすみませんなのだ。実は、ニーチェを読んだのはかなり後で、最初はE・M・シオランというニーチェ「悲劇の誕生」直系の実存主義哲学から入っていった。あ、最初はコリンウィルソンの「アウトサイダー」だったな。
この本を手にする一週間だか一ヶ月くらい前だったか、まあ、本読みではあったが、哲学思想など、自分には関係ない天上的頭のいい人たちのお話、として、敬遠してた。したがって、当時、突然におとずれた「洞察」は、おそらくは純然たるチャネリング様の閃きで、「ああ、どえらいことに気づいちゃったぞ?、うわ、こんなこと人様に言えないんじゃあ」とビビったりした。以下、免疫のない人には怖い話を続けてみる。
ということが突然に分かった瞬間の宇宙の底が抜けるような戦慄は怖かったなあ。少しフラフラしながら、「なんでみんなはあんなにのんきに笑ってられるのだろう?」とか思いつつ、偶然にも手に取った本がその「アウトサイダー」であり、あ、そのことに気づいたのは俺だけじゃないんだ、とちょっとホッとしつつも、結局、そのアウトサイダー感覚は依然同じものとしてあり、ニーチェ読む前に先にE・M・シオランの「生誕の災厄」を読んで、慄然とするのである。「ここにはそのままのことが書いてある」と。神秘主義なんかでいう「魂の闇夜」ってこれのことではないのかしら?とも思えるんだが。
ニーチェの話はどうなったんだようということはさておき、今日はバーブラストレイザンド主演の映画、「ナッツ」について語りたいのだっ。
ヨーガや気功法などで(もしくはあまらさんのマッサージでもいけるかも)、ある種の身体機序、たとえば気功法なんかでは「入静」、道教などでは「開面」と言い習わされる、クールな状態、なおかつ気力溢れるパワフルさも伴った状態の時にその映画を見たとき、バーブラの「気迫」が凄くて感激したことがある。
そのときにフト思ったんだけど、彼女は歌手で、いわゆる「息の長い歌い方」が特徴でもあり、そのことがあの「気迫」を感じさせた理由のひとつでもあるように思う。映画の一シーンでは例の精神病院のところでいわゆる他者の現実モデルをすりかえたりと脚本も優れた映画だ。だが・・・。
以下のメッセージを削除するには、「設定」画面から「フッタ」を編集してください
Before...
jonah [あとでまたツッコミを入れにこようとツッコミを入れてみる ]
セトゥ [あ、始まりましたね。書き方は、わかりますか? ]
セトゥ [好きに 言うことを聞かせたいときは タイトル <p> 一行目<br> 二行目<br> 三行目 <p> 新しい段落の..]