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さまざまな(っても呼吸法とヨーガと気巧法と瞑想、プラス音楽かな?)スピリチュアルなエクササイズに取り組んでいたとき、まあ、実存主義の壁を打ち砕くような経験をなんどか味わったが、そのときに思ったことがある。「あれ?これって境界線が引けないぞ?」と。どういう境界線かというと、まあ、早くいうと現実と魔法のあいだの境界線。少し手探りしてみても、もっと奥になにかが在るというような、または、通常、埒もあかないマテリアルワールドがグンニャリと変化するような手ごたえというか、が、起きた。もちろん、良心とペテンがごったまぜになった半ばインチキなそれ(ニューエイジ)も多いので警戒しておく必要はあるが、それでも、普通にニューエイジ全般をいっしょくたにして批判的に見ている常識人よりはいくらかイカレ度が進んでしまったのは確か。いや、イカレ度なんて卑下する必要はないな。要するに、脳内劇場ではなく、実際にリアルワールドでそれを体験しているので、そこにはなにかがほんとうにあるということだけは認識できている。なんというか、そのことを深く感じるたびに謙虚な気持ちにもさせられる。たとえそれが理解しえぬものだとしても。
さて、エクササイズに取り組んでいた時期、ある朝、天上的な爽快さとともに目を覚ましたことがある。その時に見ていた夢は「蛇が口のなかに入り込んで口から喉のあたりをグチャグチャにしようとするので噛み切って殺す」というのだった。その時はなんか無意識的な邪悪なものを撃退したようなコトなのかな?と軽く解釈していたんだけど、これが後年、やっとニーチェを読み出して、「ツァラトゥストラはかく語りき」に登場する牧童が超人に生まれ変わるシーンとして描かれていて心底ビックリしたことがあった。もちろん、当時はシンクロニシティの頻発その他で最初に書いたような実存主義の暗黒を抜け出せていたが、よりにもよって、実存主義者ニーチェの代表作でこんなシンクロニシティが起こるというのは不思議なくらい入り口と出口が一緒だったような畏怖の念が残る。
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わあ、もっとよみたーい。ニーチェは読んだことないけど 月さまに何か起きたという 迫力伝わってくるよ。 これ 何歳ぐらいの時?
26ぐらいだったYO。
今もこういう感覚ある?
残念ながらちょっと(いやかなりかなあ)薄れている。でも、この日記でどんなふうに復活していくかを記録していくつもりなのでこうご期待を。