| イマーノ | エコロジー | エディプス主体 | シンクロニシティ | スピリチュアル | フェミニズム | ボディワーク | ロック | 歌 | 瞑想
子犬のような目つきされて(笑)。「小泉くん、たいへん申し訳ないんだが、いま、会社の経済状態がおもわしくないのでしばらく休んでくれないか?」との話がでる。「いいっすよ〜」と軽く受け流し(<これがマズかった)、残っていた仕事を明るくやって気持ちよくしばしのお別れの挨拶を社員の皆さんにしようと思っていたのだが・・・。
なんだか、妙に皆がつっかかってくる。「え?」とわけがわからなかったが、まあ、要するに、僕のほうはモデリングという技術職があり、そっちのほうで食うあてがあるのに対し、社員の人々はそうではないということ、つまり、平気な顔をしているのがなんだか腹だたしいらしい。普通の人って悲しいねえ、と根がブットんでいる俺まで悲しい気持ちになったりする。社長はともかく、社長夫人までそんな態度するので、気持ちよく挨拶できる状況ではなく、まあいわゆるダブルバインド状態、グレゴリーベイトソンが分裂症の少なからぬ原因である、といった状態におかれ、気が滅入ってしまい、思い切り泣いて(いやあの家帰ってからですけど。まあ、会社でそれやってもおもしろかったかな?)、ウォーターボーイズを聞いてすぐさま立ち直り(はやっ!)、一連のロック名盤を聞いて気分が盛り上がっきて、「うっしゃ〜時間がたっぷりとできたぜ、少し骨休みさせて、休憩期間をおこう。その間思いのままにこの前かった音楽ソフト使って曲づくりできるぜ。仕事でバテてると曲なんか閃かないもんなあ」と思っていてみたら・・・
とイマーノさんが週間TVブロス誌上で発言。シンクロニシティかも知れない。
まあ、直接的にではないけど、俺が高校中退した間接的な原因。まあ、当時(高校時代)、通学時間にいつも感じていたことは、いわゆるサラリーマンの群れを見渡して「俺も将来はああいうふうになるのかな、それはどうしても「嫌」だな。ここで退路(いわゆる安定した人生)を断ち切っておかないと後悔しそうだ」という気持ちが強かった。まあ、そんなこといいつつ大学入学資格検定は受けて取っておいたが(・・・)、当時、レヴィストロースも知ることもなしに「文化人類学」は面白そうだな、そっちへ行くか、というつもりがあった。この日記では書いてなかったかな?まあ親父がいかにもなスターリンや金正日を思わせる権威主義的性格だったので、当然(笑)、権威に対する嫌悪感が強く、そのへんでも教師との折り合いが悪く、まあ暗い高校時代でしたとさ。いやしかし、それとはまた別にいわゆる一連のエクササイズに取り組んでいた時、どうも底抜けに性格が明るかったらしく、「ご両親の育てかたが良かったのよねえ」とは良くいわれたが、もちろんそれはない。それどころか、こちらが性格良くなってくるのを「邪魔」されるような状態。まあ、それを、R・D・レインが「人の自己実現を拒む力はたいていの場合、家族らからくることが多い」、として、まあ、よほどに質のいい家系(や環境)でもない限り、ある種の自己変容はそれまでの周りの人々との「関係性」を変化させてしまい、通常、人は自分たちが理解できないやりかたで目の前で個人が「変容」していくのは恐怖(いや、俺の実感だと強い嫉妬だったような?)を伴うというのが問題その一。キリストが「わたしはあなたがたを家族らから切り離すために来た」というのはそういうようなことを提起していると思ってるけど、全然違うかも知れない。
運がいいほうだろう。こうして精神病院にブチ込まれることなく、エクササイズによる変容体験(!)を得たあとで普通人(は?)として生活してられるのは。まあ、ひとつあるのは、いわゆるシンクロニシティが頻発したことによって、「人生には今まで思い込んでいたようなものごとだけではなく、もっと知られざることがあるのだ」という畏怖の念とそれに伴う、理由なき(笑)信頼感がある。ああ、そうそう、変容当時、家族らに浴びせかけられていた罵声は「この気狂い」だったけど、ちょっとここでバラすのは過激かしらん?まあ、並以下に陰湿な抑圧的家系だったので、言い訳じゃないですけど、当人至ってマトモな心つもりでおります。ただ、ひとつ、「ああ、こんなふうに踊りまくれる(様な心身機序を再生させた)のって、家の家系じゃ、俺が始めてなんじゃないだろうか?」というのはあるから、あんまりマトモとは言えないかな?(ハハハ)。
まだこの前までの仕事入ってる予定だったから金なくなってきた。ここがフリーの三次元モデリング(使用機種はハイエンドのユニグラフィックスだというのに・・・すみません、つい宣伝してしまいました)請負のツラいところ。営業かけるのほったらかしていたので仕事がゼロ。まあ、骨休み&ディスプレイ見るの中止(目のため)ということで、単純な肉体労働のバイトをやりたくなる。時間は5時間くらいで、どこか探そう。まあ、このモデリング業界というのは、例えば、デザインも含めての仕事だったりすると、デザインロイヤリティが発生し、いきなり月収300万とかいう人もいる業界なのである、などと自分を鼓舞してみまちた。
ので(笑)。パラノイア防止の意味も含めて昨年末はいそがしくてできなかった部屋の大掃除をしている。ガラス拭いたら、タバコのヤニが凄くてメマイがしました。ぞうきんが綺麗な(笑)茶色に染まってきます。まあ、徹底的に掃除するつもり。見えてる人には見えるだろうけど、部屋の隅のほうの埃がたまっているところとかを攻めると、「子鬼(みたいなもの)」が逃げていくんだよなあ(あ、怪しいことを言い出してる・笑)。ガサゴソガサゴソと。まあ、掃除じゃなくて瞑想もうまくいくと、「子鬼(もう少し大物の・笑)」が逃げていくんだけど、アレってなに?ミンチア。
曲を作るとき、まず(中略)ドラムとじゃれるのが曲作りの始まり。スティックを握ってメロディーラインのイメージもないまま、でたらめに激しくリズムを刻む。15分もすると全身から汗が噴き出してくる。すると体も脳も活性化していく。すーっとずっと奥にある感性までも覚醒するんだ。これでウォーミングアップ終了、それからギターやベースでぽつぽつと音を拾って感じるままに並べるんだ。できるときは簡単にできるんだよ。
イマーノビッグボスは、自転車にハマってるけど、これもフトモモ鍛錬系ですな。いつまでもついていきますぜボスっ!まあつまり、ボスがドラム叩くところを俺は一連のフィジカル系エクササイズで身体や脳を活性化させてたということなんじゃないかな。そうそう、これも調べてもみつからないんだけど、まあ、超「いっちゃったあ(あ、ノンケミカルで、です)」(+12)状態でさ、夏のど暑いときに、身体の真ん中(頭から足までの一直線状に)に「冷たい」ものが在ってさ、暑いのも全然苦にならないの。あれってナに?。少々危険な話になるけど、覚せい剤を「冷たいやつ」という言い方するというのがあったけど、そういうようなことなのかな?。
瞑想がもちろん中心になるのは確かだけど、それらを「行う」ということのひとつの構造の場が現出する。それは日常の生への隷属性に「属」さない行為であること。まあ、スターホークスというアメリカの魔女が「儀式」を日常の意識を止める「場」でもあると位置づけているように、瞑想と儀式というのは極めて隣接した構造の場を現出させる。実はこの言い方をもっと精緻に述べておられる北沢方邦の「知と宇宙の波動」から引用したいのだが、手元にないので自分なりの解釈で書くが、逆に言うと、瞑想や儀式などのいかにも近代的理性にとってあやしげな行為を行うということはあまり良く思われないがため(まったくの偏見だなあ・ため息)、まあ、オウム事件などで印象が悪くなるのもあるし、まあ、とにかく、ここで述べてみたいのは「彼らはソレ(瞑想的状態)がどのような状態であるかは認識していないというのがある。あたりまえに人間、自分が理解できなものは未知なるものとして「怖い」、ないしは釈然としないというのはあるから、それ(瞑想や儀式)に対する無意識的な嫌悪感は在るのだろう。キリストが「わたしはあなたのそのくびき(偏見)をとりのぞきたいのだ」というのはそのことだと解釈してるけど、もちろん、全然違うかも知れない。
キリストもそうだし、まあ、たいていのマットーな宗教(?)は「隣人愛」を薦めているということになっている。まず、ひとつ提起してみたいのは、その「隣人愛」とやらは、ほんとうは隣人が嫌いなのに、宗教的義務として我慢しなくてはならないものになってはいないかという問題。これでは逆効果でさえあると思うけど、おそらくは後年キリスト教が、人間に原罪があるとさせて互いに罪悪感で縛り付けるような強迫的な関係性のもとにおかれてしまう少なからぬ原因にそれがあると思う。要するにあなたが義務から隣人を愛するのではなく、おのずから隣人を愛せざるを得ないような、ある「狂態」、いや違った(笑)、「状態」に入り込んでいられるかということなんだと思うけど、いやあ、また「なんで俺、キリストについて偉そうに講釈垂れてんねん」という念が沸いてきたのでひとまず、解散。まあ、なんかのヒントぐらいにはなるっしょ。
前回のつっこみに人の「気の滞ったところ」あたりが薄黒く見えるというのがあったけど、その意味ではこういう人たちって、それ(薄黒いところ)がまったくないような身体ー脳ー精神の完成度の高さで、それがため(薄黒いところがないため)、後光が差しているかのように見えたのだろう。なんかチョー常識的なことを書いてるような気がしてきたが、結構重要なポイントだと思ってるン。ああ、こうも言えるな、あなたが人に言えないような悪いことを裏でやっても見える人にはそれが「黒く」見えてしまうのだみたいなあ。。。、俺、疲れてるかも知れない。出直してきますわ!
TVでミャンマーの坊さんたちの姿が映る。精神を集中させて激しい呼吸を延々やるという修行。「え?これってホロトロピック・ブリージングじゃん?」と一瞬、虚をつかれたが、言うまでもなく、ホロトロピック・ブリージングじたいがそういった伝統的な宗教的呼吸法を参考に集大成したものではあるから、似てるのも当たり前である。いやあ、ミャンマーって成人男性の9割が出家してソレしてるんだってさ。まあ、そのへんの国の仏教徒が敬虔で尊敬されるべき人柄であるのは良く知られているけど、逆に彼らの社会の「闇」も深いのはなんでだろう?ってこの目で確認してきたわけじゃないけどさ。
ま〜だ家にネット接続させてないので端折るが、ディランフリーク>俺。南こうせつだったか、日本のフォークシンガーが「ディランって何歌っているのかよくわからないけど、そこがお経みたいでありがたい」などとトンデモな発言。まあ、ネイティヴでもなに歌ってるのかわからなかったりするらしいけど、と、とにかく、ディランの「視覚」というか「社会観」みたいなものがイケてる。まあ、このウェブでさんざん言っている「家父長制主義」的なるもの(ニヒリズムもそうだね)に対してのあからさまな批判と攻撃。そしてその攻撃は美しいところ(インディアンの言い方ならホゾ(美)から放たれているがため、本質的な説得力を持つ。まあ、あんまりこういう言い方もしたくないのだが、ニューエイジ的なスピリチュアルな奇麗ゴト並べ立てても、あの薄汚い最低の連中はなんの痛手もなく「ホクソえんで」いやがりますぜ?ダンナ、といったハガユいところに切り込んでいくディランの歌の数々。代表的な作品に「見張り塔からずっと」というのがあるけど、どうもその「見張り塔」というのが瞑想そのものでもあるような気がしないでもないというか強く(笑)思う。ライクアローリングスト〜ン♪、歌ってみまちたが、そのままですね・・・。
が、一件だけじゃなあ、とウツが続く・・・。まあ、時間はタップリあるので、音楽ソフトを触って、いわゆる無料のvstプラグインを片っ端からダウンロードして験している。じ、時間が足りないじゃないかこれやってると。ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンがこれらのようなコンピューターの隆盛についてビートルズの時代にこれができたらさぞ素晴らしかったでしょうね?という問いに対し「いや、おそらくコンピューターいじってるだけで時間が過ぎていってしまい、音楽を作れなかったかも知れないよ」と。・・・気をつけます。
というのはある。雪ダルマは落下していくにつれて大きくなってくるのだ(?)。音楽(に限らず)を創造するということにそれが大きく関わっていて、もちろん、その差異とはディランの章で振ったように、ある種のホゾ(美)を「認識」するということから、それらが当たり前ではない近代理性に対しての「違和感」を持つこと、その「違和感」こそが、大きな「差異」として創造性を発現させる力として強く作用すると思っている。このレベルではすなわちそのまま、音楽作品が現実に対する批判の場(構造)としてありうることになり、より本質的なレベルでの政治的な説得力を持つがゆえ、そこのところでもディランはずば抜けているのだ。まあ、この言い方だとヒップホップやラップもそうだし、ザッパもそうなのかも知れない。ホ〜イホ〜イホ〜イ!(ザッパのパジャマピープルより引用)。
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sameera [え、擬似恋愛ってオフィスのお姉さまたちが金妻になりたい願望? いいよられたりしてたのぉ〜?せまられたり〜? さすがモ..]
ルナっち [うーん、まあ、ジョナーだけに女難、なんつって。ハハハ(乾いた笑い)。 ]
死ね [お前も俺の暗殺リストに載っている。 ]