| イマーノ | エコロジー | エディプス主体 | シンクロニシティ | スピリチュアル | フェミニズム | ボディワーク | ロック | 歌 | 瞑想
ご存知のようにラップは喋りを単純な繰り返し音楽に載せているだけであり、確かに、西洋和声音楽の流れからいくとおもしろくもなんともない。があっ!、キマってるとかキてるとか超クール、みたいな感覚からみるとこのジャンルにとくに傑出した作品が多い(みたい。あんまりたくさんは聞いてないので)。まあニューヨークサウスブロンクスという極悪な地から発祥した音楽スタイルであり、麻薬だの売春、人殺しだのといったダークサイド抜きには話せないのだが、実際問題として、彼らが絶えず「死」と隣り合わせな毎日であることがある種の「質」をこのジャンルにもたらしていることは否定できないだろう。まあ、あんまりいいたとえだとも思えないが、やくざに心底から惚れる女性はことのほか多い。
というか、一般的に「好き度」(?)からいくとやくざの男性はものすごく好かれるパターンがある。そのわけは、つまり、絶えず「ドンパチ」が起こりやすい環境にいて、いつも「死」を覚悟しているという状況が、そのやくざに、一般人とはかけはなれた「ふところの深さ」を身につけさせるのだ。ヒップホップのおもしろさはそれに通づるものがある。もしかすると、瞑想の技法としても良く知られる、絶えず死んでいく人をみつめていなさい、というようなこととも通づるコトなのかもしれない。エリザベス・E・キューブラー・ロスという癌のホスピスで著名な人が、深い瞑想体験者ではないと起こることのない事象をいろいろと体験し(天使や精霊を見たりしたそうです・笑)、合理主義者だったので受け入れがたかったのが、あるマスターに、あなたは死にいく人を見つめ続けていた、それは瞑想だったのですよ、とサジェストされたらしい。まあ、とはいうものの、やっぱりやくざはやくざで人道的に許しがたいことも平気でやるのでちょっとナニですけど。あとまあ、リスキースポーツといって、スキーやスカイダイビング、モータースポーツ等の一歩間違えると死ぬ危険のあるスポーツもまた、逆に生命の焔を燃やすような高揚感があるという説もある。ンー、あんまりこういうことは書きたくないのだが、われわれが存在している事象そのものが瞬間瞬間に生と死を行き来していることでもあるのだが(実際の物理的問題として)、まあとにかく、まったりとした日常しか知らない腐った中産階級には理解できないようなことだろうって、仕事ホサれた僻みかしらん?いや、結構大切なポイントをついてるぞ?(自分で言ってる・笑)。
という問題がある。(日本では)水道なんか使いほうだいじゃん?なのになぜ?。本人の性格がだらしないからだというのはほぼ間違い。これはやくざがふところが深くなるのとはかなり違うが、それでも、ある種の極限的神経状態であり(今日にも飢えていたり、凍えたりして「死」の一歩手前に在るから)、彼らが求めているのは「体臭」なのだ。なぜならば、まあ、あっさり書くと「幼児退行」してて、赤ちゃんの時代、母親に抱かれて安心していたような状況、つまり体臭を嗅ぐと安らぐという哺乳類の神経回路にまで退行しているがため、彼らは体を不潔なままに保ってしまうらしい。しかし、やくざだのホームレスだのと暗い話題ですみませんなのだ。もしかするとちょっと欝なので考えることもそれっぽいのかも知れない(笑)。気を取り直してウォーターボーイズを聞くことにします。うーん、ウォーターボーイズを聞くと覚醒する神経回路ってなんだろう?いきなりだけど、この世のものではないかも知れない(爆)。She is everywhere and no place,The Church is not made by men
だがしかしなんだな、俺のロック歴(その時、その時に「最高だ!」と思っていた歴)の流れで、最初はビートルズに始まり、ピンク・フロイド、ストーンズ、ドアーズときて、最終型打ち止めロックアーティストとしてのウォーターボーイズがあるが、ビートルズからドアーズまではもう知らぬ人はいない大物ばっかだけど、なしてウォーターボーイズだけ知る人ぞ知るような地味系なのかね?。不思議。大物連中と「肩を並べてる」っつーの。ついでにシツこいけど、ロビン・ヒッチコックもシドバレットがリーダーのビートルズといったドエライとこにイったアーティストだけど、ほとんど知られてない。なんでかね?。ちなみにロビン、右手にバナナ、左手にオレンジ持って、町の中でイっちゃった(笑)目つきして不可解な動き(つまりパフォーマンスアート)して、偏狭そうなおばさんに文句言われても無視して続けているシーンがありましたが、名シーンでした。まあ、来日して、日本人インタビュアーがインタビューして、「やはりこの人は少しオカしいのかも知れない」とは皆が言うことではあります。ははは。天才は少しオカしいのが常態なのかも。
の伝記を読み返していた。途中はさまれるジョンの「詩」の才能のなさにあきれかえりつつ(ヒドいもんです・笑)、いわゆる一連の物理学者、文化人類学者、精神分析家、宗教家(笑)の大物たちとの幅広い交流に感心する。リチャードファインマンの本ではジョン・C・リリーとの付き合いが短かったような書き方だったが、ジョンの伝記を読み返すと、その「後」もずっと付き合いがあったらしい。まあ、それらはともかくとして、ジョンの人生の詳しいことがわかったのも良かったが、印象に残っているのは、人はある種のスピリチュアルな訓練を積み重ねると、「新しい魂」が入ってくるというところ(あ〜みんなヒかないで〜)。まあ、あんまり深く考えすぎないようにして、「そういうのもありかもね」ぐらいに捉えているけど。
新しい魂とか言い出したブンには(笑)、幽体離脱とかの話題になりがちだが、実はこの「魂が浮かびあがるような体験」というのは、いわゆる日本の昔の文化、つまり「能」においては、重要なテーマになっている。まあ能では恋こがれるあまりにソーなるという流れだが、もちろん、それはそれで違和感がない。そういうものだろう。まあ、ここで問題にしてみたいのは、「能」では当たり前ではあった、ある種の「状態」というのが、近代では、あまりにも見過ごされすぎている、というのがある。それも、「集団」でソーユーことないものにしちゃってるから、却って、それを知ってるほうが異端扱いされかねない。そういや「嵐が丘」もそういうお話だな。ヒースクリフ、私よ、キャシーよ(怖)。
あまりタイプではないのだが(?)、ケイトブッシュという女性アーティストがいる。ビョークなんか比べ物にならないほどの才能あった人だが(ねえ?)、今、何やってるんだろう?。実はこの人の一番ヤバい(悪い意味でね)アルバムに「ドリーミング」というのがある。もう堪忍してっと泣きたくなるくらい、ある種の「果て」にイきかけて分裂症一歩手前みたいなアルバム。このままつきすすめば女シド・バレットくらいには言われたかも知れないが、次のアルバムは愛の感覚が戻ってきていいアルバム。「ハウンズオブラブ」という題だったかな?まあ、とにかく、そのアルバムに入っていた曲で、題名思い出せないが(まんまハウンズオブラブだったかも)、ウィルヘルム・ライヒをテーマにした曲があって、プロモビデオが、ライヒが地球を生命の喜びに満ちさせようとするのを国家権力がなきものにしようとするストーリーだったな。まあ国家権力がなんでそういうことを「したがる」のかという問題はさておき、いいビデオでした。
さて、今はどうなってんだか知らないが、高校の倫理教科書にたいてい載っていた実存主義者サルトルの言葉がある。「飢えてる子供たちの前で文学は可能か?」。うーん、実存主義とどういう関係があるんだよと素直に突っ込みたい気もするが、抑えて(笑)、これを別の言い方に変えてみよう。「飢えてる子供たちの前で踊ることは可能か?」。おおっ!これはまさしく構造主義思想哲学そのものを言い当てた物言いだ!(えー、自慢ですけど、これは私が「最初」に思いついた言い換え方で、うーん、こうしてネット上で公開して、誰かが盗んでさも自分が言ったかのように言い出したら腹立つなあ。まあいいか)、まあ、とにかく、飢えた子供の前で踊れる奴なんかいねえって、というところに構造主義思想の半永久的な中立性というか、普遍性が見えるところであり、このことが、まさにレヴィ・ストロースが言語学から(つまり我々が観念としてネイチャーから翻訳する仕組み、つまり「言葉」の本源から捉えなおしている学問体系)発展させた構造主義思想が、レイブと飢えの間に「厳密な論理」を持ってくることを可能とし、極論でもなんでもなく、レイブの志向性はアフリカの飢饉を「救う」可能性だって大きいはずなのである。Because,It beguns in Africa!
というあたりにある。んが〜っ!と意味もなく「こまわりくん」になってしまうが、さて、ここで我が北沢教授は若かりしころ、現代のように散逸構造論あたりのカオス論まで科学の先端が突き進んでないころ、「音楽は構造主義の勝利を告げる女神である」とまで言ってのけておられた。何言ってんだかわかんなくなってきそうだが、持ちこたえて(笑)、ここで、浮上する構造は、音楽というものがある種の「知性」でもありうるということなのであ〜る。オッケー。もうちっと分かりやすくしよう。小泉総理のプレスリー好きはどうでもいいが(ハハハ)、あ、つまり、音楽等に大切な「感性」というものが、普通、認識されている「知性」よりも、より高次の「知性」であること、というのが、まあ、つまり構造主義思想の根っこを支えているとも言えよう。これはつまり、心ある人たちが昔っから願っていた「政治」と「感性」を結びつけるところに構造主義思想があるということであり、今まで、別個のもの、かけはなれたものとされている、政治事と芸術、哲学、宗教(というか宗教的体験、いわゆる至高体験ね)を厳密な数学的論理によって結びつけることが構造主義思想によって初めて可能になってきているのだ。というかかって未開人だった我々の政治とお祭りごとの一体性を切り離してしまった近代の「失敗」を構造主義は「新しく再生」させうるところにある。
うぬぬぬぬのぬ。んが〜っ!(・・・)。オッケー、これも例を上げてみよう。言語学者(まあつまり構造主義思想家ということでもある)チョムスキーが、今回のイラク戦争において、アメリカのイラク戦争賛成派の知識人たちに対する批判(というか構造主義論的な指摘)で、「今、現代、アメリカの知識人(文化人)というのは、近代的な衣を被った宗教的指導者でしかない(いや、もうちょっと正確な言い方をしていたが、まあそういう言い方)。」、という言い方にある、外側のうわっつらの形容(ここでは知識人とか文化人)をとっぱらって、社会の中でどのように「機能」しているかという抽象化をしてみると、かっての悪しきキリスト教の指導者と同じ役割をしていやがんなあ、とチョムスキーさんは怒っておられるわけである。そうそう、日本語だと意味がかなり違ってくるが、構造=機能としても質的には同じことになる。要するにことの上っ面をひっぺがして、物事がほんとうはどのように「機能」しているかを暴くことが構造主義がやっている仕事なのである。機能=関数でもあるから、数学的厳密さをも伴って。うーん、数学的論理性と能天気なお祭り気分を結びつけるのはちょっとナニな気がしてきたが、まあ、それは各自それぞれが分担するとして、この方向でちょっと努力してみましょうよう。そういや、日本で企画制作されたチョムスキー氏のドキュメンタリー映画、忌野清志郎が音楽担当だったんだよな。いつまでもついていきますぜボス!
名前失念したが、フランスのトップモデルで、「質素な暮らしぶり」が風変わりだと注目されてインタビューを受けた女性がいる。彼女いわく「学生の頃、レヴィ・ストロースの構造主義が流行っていて、私も深く影響されたわ。家族もインテリばっかりだったし、家の中でもしょっちゅう構造主義思想について議論しているような環境だったの。マリファナやLSDをキめてぶっとんでは(えー、良識ある方々、ここでヒかないでくださいませ・笑)第三世界(アフリカ)の窮乏をどうにか救えないかと良く考えたりしていたわね。私が西洋物質社会の贅沢を好まないのはそういった生育環境だったからだと思う」とのことです。誰だか名前分かった人、つっこみよろしく。
おそらく、では、構造主義とはなんだろうと文献漁っても、ここに書いてあるような書き方はされてないので、「自分勝手な解釈してるんじゃないの?」という疑問をもたれる方もあろうが、要するに、「他の人」がやったことや言ったことはそれはそれで正しい解釈であり、間違いではないのだが(もちろん、見当違いもあったりするが・笑)、僕の基本的性質として、他の人が書いたことを引用するよりオリジナルな発想ないしは解釈をつけくわえて自分なりの言葉で書いておきたいというのがあるので、そこんとこ誤解なきようにジョナーのお願い(ん?)。
私は共産党が嫌いである(・・・)。赤旗を読んで見ると色んな宗教家(坊さんとか神父とかさ)との語らいを書き連ね、いわゆるイラク戦争についての反対の辞を述べているが、いやあ、いい加減にしろと怒りたくなってくるなあ。まあ、語られていることは賛成なんだが、唯物論に基づく共産党のくせに宗教とグルになってどうする、という疑問点はぬぐいがたい。そういう意味では、中国の共産党がチベットを侵攻しているほうがまだ正統な行い(唯物論の内部ではね)のように思える。だが、しかし、イラクへの自衛隊派遣を「反対」しているのは主要な党では共産党だけであり、民主党と自由党の「区別」なんざありはしないこの時期、共産党に一票いれときましょう、皆さん。他は「駄目」です(笑)。
うーん、あんまり具体的に政治的問題を語ると嫌なつっこみがキそうでうっとーしいが、それでも、ひとつ不思議に思っていることがある。もしも、ダライラマがチベットの「天皇」であるとされて、中国が侵攻やめて、独立したとしよう。この場合、チベットはかっての日本の天皇制との違いはどこにあるのだろう?。いやあ、実は大きな違いがあるよね。日本の天皇みたいに「世襲制」ではなく、どっかのガキ(笑)を選んで、天皇にするシステムだもん。まあ、日本の新右翼というのも、今の天皇が「天皇」ということではないとする流派もあり、考え方としては面白い。ここにあるのはDNAを超えた論理つーことだね。シュタイナーの言い方にもあったな。人間を地に縛り付ける「血縁」から開放されること、というのが。うーん、先祖崇拝との兼ね合いはどうなのよお、とワラワラと疑問が湧いてこなくもないが、実はこの先祖崇拝の念というのはエコロジーにも関わってくる部分がある。なんか書き出してみるとバカバカしくなってくるんだが(・・・)、先祖はどこまでが先祖か、という問題に変えてみれば、宇宙の始まり、であって、我々は「ひとつ」のものから枝分かれした存在であるというところにまでいきつく。駄目だあ、ちょっとスケール大きすぎて今回、頭がついていかんぞなもし。あ、でも、このことは述べておこう。
・・・、えっと。まあ、いない場合の問題は、この日記(ってか日記じゃないけど。ハハハ)の前半部分で書いておいたエディプス主体が偽りの神として君臨してしまう問題があるが(まてよ、それも俺が独自に発想した解釈だなあ・・・)、と、とにかく、いる場合の問題、つーのもある。いると仮定して、ではどのような存在が「神」を作ったのか?という論理の延長性という基本的命題がある。まあ、普通、「神」は最高概念であるから、それ「以上」はないとされるんだが、まあとにかく、その「神が最高」論理を受け入れるとしよう。そこで起こるのはある種の「思考停止」であり(瞑想によって起きるそれとは違うパターンの)、この思考停止状態という「盲点」を礎としたある種の「(無意識的な)抑圧」が起きてしまう。まあ、自分で自分を騙しているのと変わらない抑圧的状態に置かれる羽目になる。それがたとえば、普通のキリスト教会なんかいくと信者が薄らバカっぽく笑っている理由のひとつだ(ちょっと言い方キツいかしら?)。まあ、そういう意味では、神がいるとする、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は問題あって、神がいるんだかいないんだかはっきりとしない仏教の方が論理的ではある。うーん、はっきりとしないほうが論理的とはこれいかに?。まあ、それが神がおわしまするところなんだろうなあ。ただフィンドホーンで語られる「神」についてはちょっとおもしろいのがいわゆる「全体性」そのものを神とするんだよね。サンマーク出版から出版された「神は私にこう語った」アイリーン・キャディ著、は素晴らしい。なんか読んでて、「つっかかる」ところがまったく感じられない、スムーズに染みてくる神の(笑)言葉の数々。そういや、瞑想してシンクロニシティが起こるのを語った宗教(なんかな?)はフィンドホーンが初めてじゃないかしら?。逆にシンクロニシティが起こらなくなったら気をつけなさい、あなたは間違った精神状態なのかも知れませんとまで言うんだよな。・・・・・、あ、しまった、俺、最近、シンクロニシティが起きてないわ(爆)。瞑想サボりすぎますた。まあ正直な感想だけど、瞑想がうまくいってシンクロニシティが頻発すると少し怖くなったりもする。まあ、ホラー映画みたいな「怖さ」ではなく、畏怖の念が起こるような感謝の気持ちも伴った感じなんだが。そうそう、後、「静けさ」がくるんだよね。なんだかクールな気分(byイマーノ)。
前章ではちょっとキリスト教につらく(笑)あたってしまったので、まあ、なんというか、近代的理性では計り知れない「理由」というのが彼ら(マザーテレサやインディアン)にはあるということを述べてみたい。まず、マザー・テレサの奉仕活動だが、彼女たちの基本的理念に、人類はそれぞれがイエス・キリストそのものなのである、という人間観の元に、奉仕する相手に「キリスト」を見出して、助けてあげようという振りかぶった姿勢ではなく、純粋な愛おしさのレベルで奉仕活動を行っている。まあ、なんというか、イカれている(???)。少なくとも、偽善的ではないのは確かだ。一方、インディアンのほうだが、まあ、アメリカでインディアンが抵抗を続けた理由というのは、近代的なモノの見方だと、「自分たちのものである土地を侵略者から守るべく」戦った、ということにされがちだが、もちろん、インディアンたちには土地を「自分のもの」とする観念はなく、土地も含めた環境全体を神の現れとして畏敬の念とともに生活していたのを、そういったエコロジカルな視点を持たなかった当時の白人たちの自然に対する略奪行為じたいが神への冒涜にも感じられて、それがため、徹底抗戦にまで発展してしまったのだ。って見ていたわけじゃないけど、どうもそういうことらしい。うーん、こうも言えるな。俺がギター弾くのは金を儲けたいとか、女にモてたいからではない(<意味不明)。少し違うかも知れない(笑)が、それぞれ、なんらかの共通性を感じるんだが。まあ、一元的な損得計算からじゃないということは確かかな。
まあ、話を端折るが、前章の「一元的な損得計算からじゃない」マザー・テレサ&インディアンの在り方が、一元的な損得計算を基底とする資本主義の限界を超えるイディがあるというあたりがビューティホーっしょ。あるカメラマンいわく、「資本主義、社会主義の次にくるのはフェミニズムのほうからかも知れない」というのがクる話です。追記しておくと、このカメラマンがそのような発想を得たのはイギリスでのレイブシーンの最中でしたとさ。×つーやつかね?。うーん。あんまりドラッグ方面を語りたくはないが、レイブにおける主要ドラッグは通称「エクスタシー」といって、夫婦仲が冷え切った(笑)、夫婦の愛情を取り戻すための向精神性薬の一種だというのも、ことの良し悪しはともかくとして、示唆的ではある。できれば、ケミカルに摂取する形ではなく、なんらかのエクササイズにトライして、ナチュラルなハイを得て欲しいと思う。外部から摂取するのにお勧めレシピはビール酵母(薬局で売ってるよ)とヨーグルトの大量摂取でしゅ(笑)。みるみる体調が良くなってきますな。EM菌ってなんじゃろ?。
というのはコンクリート・ブロンドというアメリカのロックバンドの一アルバムのタイトルだけど「まだ、ハリウッドにいるんだが、なにか?」というようなニュアンスかな。ジャケットがハリウッドの映画看板をバックにしたホームレス。まあ、瞑想とかやってると、当然ながら「ああ、都会なんかとっととおさらばして森の中に住みたい」となりがちではある。空海が森に引き篭もったのも分かるような気がする。松尾ミライという日本の魔女(?)が、「魔女が住むのだったら、自然の中が一番です。もしも、都会に住まなければいけない条件があるのでしたら、瞑想してください。そうすれば、自然の中にいるのと同じ精神状態になれます」というのもあったな。まあとにかく「ま〜だ、ハリウッドにいるんだが、なにか?」という題を持ってきたとおり、そのへんのニュアンスも絡めて、コンクリート・ブロンドがいかにカッチョいいロックバンドかということを語りたいのだ。まあ、ボーカルのジャネット・ナポリターノの「歌い方」が非常に気持ちいいのがひとつ。プリテンダーズのクリッシー・ハインドとも比するべき自己実現型特有のボーカルスタイル。以前、ケイト・ブッシュがタイプじゃないとかわけのわからないことを言ったが(俺が・笑)。ジャネットとクリッシーの二人はストライクゾーンど真ん中の好きなタイプです(ハハハ)。まあ、クリッシー姉御は「覚悟おし、マクドナルド」とグローバルな多国籍企業への敵意剥き出しに「できるもんならあいつらのお偉方が集まったビル爆破したいわ」とか言い出してる。姉さん、落ち着いてください。駅の売店では、ポルノ雑誌をそこらじゅうにブチまけ、「こんなくだらない本売ってんじゃないわよ」と店員を脅かしたりしている。お、落ち着いてください、姉さん。あ、あと、クリッシーはウォーターボーイズの大ファンなんだぜ?知ってた?。まあとにかく、それで、ジャネットのほうだけど、「Heal It up」、つまり「そこいらじゅうを癒しまくったれやあっ!」とド偉くカッチョいいロックに載せて腹の底からの優れたボーカライゼイションを見せ付けてくれる。普通そういうテーマ(癒しとかさ)を歌うんだったら、ヒーリングミュージックのようなポワワ〜ンとしたバラード系になりそうなもんだが、ド直球のロックで説得力あるつーのが素晴らしい。要するにそのへんのセンスが「まだハリウッドにいますが?」というアルバムタイトルに現われているのだろう。か、カッチョ良すぎるゼ。ちょっと専門的な話にするけど、このバンド、録音とかのセンス(ロックとしてのね)も凄くカッコいいんだよな。ワカッテる人たちです。プリテンダーズに比して無名すぎるので取り上げてみまちた。あ、「Heal it up」は別のアルバム収録曲です。なお、コンクリート・ブロンドと彼らを命名したのはREMのマイケル・スタイプでしたね。ああ、マイケルと言えば、ナタリー・マーチャントというこれもまたグレートな女性アーティストがいる。うーん、ナタリーもそうだし、P・J・ハーヴェイとか、今、優れたロックやってるアーティストって女性ばっかだなあ。そろそろコートニー・ラヴのニューアルバムも登場だ。まだ聞いてないがヤーヤーズというのも良さそうだな。
まあある種の完成された女性性(母性?)を感じさせるアーティスト。素晴らしく「気が通った」歌い方をする。今回のイラク戦争でどうなったのかニュースを聞かないが(あ、ネットで調べればいいのか)、前回の湾岸戦争当時、彼女はそのことにナーヴァスになって半ば引退しかけたほど、ショックを受けたらしい。クリッシーやジャネットが「ビッチ」入ってるの対し、彼女は図書館の司書ふうな品の良さと素朴さ、それとアーティスト特有のぶっ飛んだセンスもあるが、おもしろいのは、ナタリーは「変人」好きなんだよね。古今東西の変人の記事をスクラップして読むのが趣味だという。あんまりこういう書き方はしたくないんだが、女性としてのクオリティが上等なほど(<嫌味な言い方かなあ・・・)、変り者好きになってくるのはドーユーわけ?みたいな。まあ、まわりにそういう奴いないので全部はそうだとは言い切れないが、川村隆一とかいたじゃん?(今でもいるか)、そいつの写真集を買った女性を本屋で見かけたことがあったが、異様にオーラが暗くて、はたで見ているこっちの気が滅入ってくるほどだったな。ジャニーズ好きってブスばっかなのは定説(笑)だし。このへん、なんかあるよね?。そうそう、Luciaどの。ジェニファー・ウォーンズはレイナード・コーエンと付き合ってたらしいですよって、ここでは関係ない話題かな。ハハハ。あ、いや、関係あるな。ジェニファーのように成熟した女性は渋い中年男性が好みになるっつーのはあるな。いまだに「ボクぅ」呼ばわりされる俺には縁のない話だ(トホホ・・・)。まあだがしかし、それらにひきかえ、日本の芸能界はどうしてくれよう(怒)。なんだってあんなに「幼児」っぽいほどアイドルになれるんだ?なんかムカムカしてきた。そういや、音楽用のソフト買いに秋葉原の音楽機器売ってる店いったら、店の趣旨変えやがって、ロリコンゲームばっかになっててさ、思わず火をつけたくなったが、我慢ひまひた。クリッシー・ハインドがその店入ったらどエライことになるでしょう(大笑)。うーん、そういや音楽評論家の湯川れい子が言ってたが、クリッシー・ハインドみたいなタイプって日本人には滅多にいないという。よし、こうなったら日本女性全員クリッシー・ハインド化計画を持ち上げようゼ。
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ルナっち [うん。なるほど。インドに行くと固定概念が粉砕(笑)されるというのは良く聞く話だけど、そういう意味じゃインドでのホーム..]
sameera [あ、うんうん、るなっちの伝えようとしてることとまったく違う観点の話をしたのはわかってるよ。話の腰を曲げてしまったよう..]
ルナっち [そうそう、多分他の人にはまだ開かれてない「回路」みたいなのが、自分は言葉にして説明できる部分や体験があるな、というの..]