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私は共産党が嫌いである(・・・)。赤旗を読んで見ると色んな宗教家(坊さんとか神父とかさ)との語らいを書き連ね、いわゆるイラク戦争についての反対の辞を述べているが、いやあ、いい加減にしろと怒りたくなってくるなあ。まあ、語られていることは賛成なんだが、唯物論に基づく共産党のくせに宗教とグルになってどうする、という疑問点はぬぐいがたい。そういう意味では、中国の共産党がチベットを侵攻しているほうがまだ正統な行い(唯物論の内部ではね)のように思える。だが、しかし、イラクへの自衛隊派遣を「反対」しているのは主要な党では共産党だけであり、民主党と自由党の「区別」なんざありはしないこの時期、共産党に一票いれときましょう、皆さん。他は「駄目」です(笑)。
うーん、あんまり具体的に政治的問題を語ると嫌なつっこみがキそうでうっとーしいが、それでも、ひとつ不思議に思っていることがある。もしも、ダライラマがチベットの「天皇」であるとされて、中国が侵攻やめて、独立したとしよう。この場合、チベットはかっての日本の天皇制との違いはどこにあるのだろう?。いやあ、実は大きな違いがあるよね。日本の天皇みたいに「世襲制」ではなく、どっかのガキ(笑)を選んで、天皇にするシステムだもん。まあ、日本の新右翼というのも、今の天皇が「天皇」ということではないとする流派もあり、考え方としては面白い。ここにあるのはDNAを超えた論理つーことだね。シュタイナーの言い方にもあったな。人間を地に縛り付ける「血縁」から開放されること、というのが。うーん、先祖崇拝との兼ね合いはどうなのよお、とワラワラと疑問が湧いてこなくもないが、実はこの先祖崇拝の念というのはエコロジーにも関わってくる部分がある。なんか書き出してみるとバカバカしくなってくるんだが(・・・)、先祖はどこまでが先祖か、という問題に変えてみれば、宇宙の始まり、であって、我々は「ひとつ」のものから枝分かれした存在であるというところにまでいきつく。駄目だあ、ちょっとスケール大きすぎて今回、頭がついていかんぞなもし。あ、でも、このことは述べておこう。
・・・、えっと。まあ、いない場合の問題は、この日記(ってか日記じゃないけど。ハハハ)の前半部分で書いておいたエディプス主体が偽りの神として君臨してしまう問題があるが(まてよ、それも俺が独自に発想した解釈だなあ・・・)、と、とにかく、いる場合の問題、つーのもある。いると仮定して、ではどのような存在が「神」を作ったのか?という論理の延長性という基本的命題がある。まあ、普通、「神」は最高概念であるから、それ「以上」はないとされるんだが、まあとにかく、その「神が最高」論理を受け入れるとしよう。そこで起こるのはある種の「思考停止」であり(瞑想によって起きるそれとは違うパターンの)、この思考停止状態という「盲点」を礎としたある種の「(無意識的な)抑圧」が起きてしまう。まあ、自分で自分を騙しているのと変わらない抑圧的状態に置かれる羽目になる。それがたとえば、普通のキリスト教会なんかいくと信者が薄らバカっぽく笑っている理由のひとつだ(ちょっと言い方キツいかしら?)。まあ、そういう意味では、神がいるとする、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は問題あって、神がいるんだかいないんだかはっきりとしない仏教の方が論理的ではある。うーん、はっきりとしないほうが論理的とはこれいかに?。まあ、それが神がおわしまするところなんだろうなあ。ただフィンドホーンで語られる「神」についてはちょっとおもしろいのがいわゆる「全体性」そのものを神とするんだよね。サンマーク出版から出版された「神は私にこう語った」アイリーン・キャディ著、は素晴らしい。なんか読んでて、「つっかかる」ところがまったく感じられない、スムーズに染みてくる神の(笑)言葉の数々。そういや、瞑想してシンクロニシティが起こるのを語った宗教(なんかな?)はフィンドホーンが初めてじゃないかしら?。逆にシンクロニシティが起こらなくなったら気をつけなさい、あなたは間違った精神状態なのかも知れませんとまで言うんだよな。・・・・・、あ、しまった、俺、最近、シンクロニシティが起きてないわ(爆)。瞑想サボりすぎますた。まあ正直な感想だけど、瞑想がうまくいってシンクロニシティが頻発すると少し怖くなったりもする。まあ、ホラー映画みたいな「怖さ」ではなく、畏怖の念が起こるような感謝の気持ちも伴った感じなんだが。そうそう、後、「静けさ」がくるんだよね。なんだかクールな気分(byイマーノ)。
前章ではちょっとキリスト教につらく(笑)あたってしまったので、まあ、なんというか、近代的理性では計り知れない「理由」というのが彼ら(マザーテレサやインディアン)にはあるということを述べてみたい。まず、マザー・テレサの奉仕活動だが、彼女たちの基本的理念に、人類はそれぞれがイエス・キリストそのものなのである、という人間観の元に、奉仕する相手に「キリスト」を見出して、助けてあげようという振りかぶった姿勢ではなく、純粋な愛おしさのレベルで奉仕活動を行っている。まあ、なんというか、イカれている(???)。少なくとも、偽善的ではないのは確かだ。一方、インディアンのほうだが、まあ、アメリカでインディアンが抵抗を続けた理由というのは、近代的なモノの見方だと、「自分たちのものである土地を侵略者から守るべく」戦った、ということにされがちだが、もちろん、インディアンたちには土地を「自分のもの」とする観念はなく、土地も含めた環境全体を神の現れとして畏敬の念とともに生活していたのを、そういったエコロジカルな視点を持たなかった当時の白人たちの自然に対する略奪行為じたいが神への冒涜にも感じられて、それがため、徹底抗戦にまで発展してしまったのだ。って見ていたわけじゃないけど、どうもそういうことらしい。うーん、こうも言えるな。俺がギター弾くのは金を儲けたいとか、女にモてたいからではない(<意味不明)。少し違うかも知れない(笑)が、それぞれ、なんらかの共通性を感じるんだが。まあ、一元的な損得計算からじゃないということは確かかな。
まあ、話を端折るが、前章の「一元的な損得計算からじゃない」マザー・テレサ&インディアンの在り方が、一元的な損得計算を基底とする資本主義の限界を超えるイディがあるというあたりがビューティホーっしょ。あるカメラマンいわく、「資本主義、社会主義の次にくるのはフェミニズムのほうからかも知れない」というのがクる話です。追記しておくと、このカメラマンがそのような発想を得たのはイギリスでのレイブシーンの最中でしたとさ。×つーやつかね?。うーん。あんまりドラッグ方面を語りたくはないが、レイブにおける主要ドラッグは通称「エクスタシー」といって、夫婦仲が冷え切った(笑)、夫婦の愛情を取り戻すための向精神性薬の一種だというのも、ことの良し悪しはともかくとして、示唆的ではある。できれば、ケミカルに摂取する形ではなく、なんらかのエクササイズにトライして、ナチュラルなハイを得て欲しいと思う。外部から摂取するのにお勧めレシピはビール酵母(薬局で売ってるよ)とヨーグルトの大量摂取でしゅ(笑)。みるみる体調が良くなってきますな。EM菌ってなんじゃろ?。
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EM菌に興味をもたれましたかぁ〜。
るなっちがその歴史にまで踏み込んだら、また長文の書き込みが読めるのだろうなぁ。
日本。。。てさ、いろんなもの、神さま。。って、よぶじゃない。
えびっさんとか、こんぴらさんとか、おいなりさんとか、大仏さんとかも。。。
でね。Mintia,こないだ、べんてんさま、行ったんだけどね。
広域テレパシーをもった超進化した魂。。。特別な宇宙人が、おおむかしから、いっぱい、日本には来てて、それを神さま。。って、言ってるのかなあ。。。とも、思ってるの。
うん、実は「シンクロニシティ」が起こる理由って、僕の思考範囲だと(笑)、人類以外の知的存在、ミンチアの言い方なら、特別な宇宙人か、が物事の起こる順番みたいなものを時間や空間の制約を超えて、「配置」してると考えてる(いやあ、俺、イカれてるかなあ?)。まあ、ジョン・C・リリーはそういうシンクロニシティを起こす存在を「ECCO」(宇宙暗号制御局)と名づけたりしている。あと、ここで例に挙げたのは「一神教」の場合で、日本のそれらは「多神教」になるから質が違うよね。ちょっと長くなるのでまだ書いてないシンクロニシティ話があるのでお楽しみに!。
生きている限りある与えられた今。それに感謝するしか今は誰もできないんじゃないか。心臓も自分で動かしているか。細胞分裂もやってもらっている。動かすのは体だけ。しかし感情も心も勝手に浮かんできてころころ変わるから自分じゃない。大切なのは自分から人に向ける出る言葉や思い。それが自分。文句をいうのが自分か。感謝の心を出すのが自分か。最高の人格はある。人の振る舞いもある。つまるところ自分を知る旅にいるのだろう。イチロウは大リーグに行ったが、小学生の頃にもし未来を教えたら信じただろうか。自分でも未来はわからない。自分で自分を知らないのは不思議な話だ。ただ今の積み重ねでしか未来の自分は作られない。神頼みにすれば、人は甘えた人頼みになるのでは。オカルトは現実経験の希薄さを感じる。みんな苦労をし、人のために働く。お互いがお互いのために仕事をしてる。相互関係はよくするといい。仲良くするのも大切。つまり難しくわからない言葉遊びは必要ないのかも。言えることは、生命の尊厳。つまり生きてる我々が大切に思いやる事。人は時に人を助ける働きをしている。人の中に大切な働きを見つければいいのではないでしょうか。超能力で物を動かすより手を使え。怠け者があこがれそうな事。飯が食いたい時奇跡が起きるのと、親が食事を作ってくれるのも結果は同じ。目の前に料理は出てくる。人が苦労して誰かのために働いている。その働きが助ける働き。それを受けて今度は自分がそれをやる立場になる。人の中に尊い働きを変わりにしているように見える。当たり前じゃない。つまり感謝する事でいい関係はできる。関係性が大事。そこに崇高な働きを見る。