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さて、ビートルズのファンだったりすると、ジョンの「伝記」の類はたくさん読むはめになる。はたであんな夫婦(ジョンとヨーコ)がいたら、嫌だなあ、というぐらいに二人ともテンパってピリピリしている。だいたい、ビートルズ中期だって、ジョンの作る曲は「俺は負け犬、眠い、疲れた、だまされた、ヤクを打ってくれ、死にたい」とブーたれた曲ばっかりで、突発的に「愛こそはすべて」という曲を作ったりはするもの、たいていはヒネくれた性根丸出しの優れた(・・・)曲ばっかりであって、とても愛と平和に満ちたパーソナリティとは思えない。まあ両親を早くに亡くし、そのことが影を落として、若い頃のマーロン・ブランド風のマッチョイズムから始まったジョン・レノンの不良っぷりが売れたからといってすぐ治るわけもなく、当時の、フラワームーブメントの「愛と平和」にすぐさま馴染めるわけもなく、曲としてはコーユー曲ばっかりである。そういうムーブメントの真っ只中に置かれ、全世界的な若者の精神的リーダーに祭りあげられたジョンが平静でいられるはずもなく、相当のプレッシャーがかかったせいで、同じく小野家の異端児として、売れない前衛芸術家であった(つまりほぼ乞食同然の貧苦にあえいでいる才女)オノ・ヨーコのテンパり具合というか、似たような状況で二人が惹きつけられるのも無理からぬことだろう。ごく単純にジョンいわく「世界で僕のことを理解しているのはヨーコだけなんだ」とのことだが、まあ、ジョンが感じていたプレッシャーをヨーコの前衛的なセンスが解放したのかも知れない。で、もちろん、ビートルズ解散の(直接ではないにしろ)引き金になったわけで、ヨーコに対する世間のあたりは冷たく、それをかばうジョンのあつれきは想像外のものがあっただろう。と、とにかく、そんなこんなで、当然だと思えるのだが、当時の二人はそういったプレッシャーに耐えられず、「ヘロイン中毒」だったのはほぼ間違いのないところだろう。そういったなかで
を作ったのかと思うと、(ああ、もちろん、その前に例のプライマルスクリームアルバム、「ジョンの魂」があったけど)、・・・えーと、うまい言い方がみつからないが、少なくとも、金満家のポップスターがお慰めの曲つくったのとはわけが違う状況であの曲が作られたのだろうとは思う。まあなにが言いたいかというと、根拠もない理想主義的な曲をでっち上げたのではなく、当時のジョンがおかれた「状態」が必然的にあの曲を作り出したわけで、生命保険のCMなんかに使われてしまうような安い曲ではないと言いたいのだ。まあつまり、スタンダードナンバーにはなっているから、各アーティストが良く(最近ではジャズボーカルで多いね)取り上げているときに感じるその優美なメロディの裏にあったギリギリにまでとぎすまされた感覚を欠落したまま、「立派なお題目」化されて歌われるのには抵抗感がいつもある。こういう言い方ができるかな。これを歌って本当に似合うのは、まさに憎しみと闘争の苦痛を味わっている当事者なのだ。・・・少しかっこ良さげ(笑)。
もう一人のロックカリスマ、ミック・ジャガーも例にひいてみよう。キース・リチャードとの不仲が取り沙汰されていた当時、キースいわく「ミックは世間のたいていの男が羨むような生活を送っているというのに、なんでああまで不満をかこっているのか俺には理解できないね、」とのこと。この発言は後にキースがソロ活動した時「ああ、自分でリーダーシップをとって歌を歌って、世間にメッセージを届けるということがどれだけのプレッシャーになるのかがやっと分かったよ」と反省(笑)、めでたく二人とも仲直りしましたとさ。多分、不満をかこつミックとテンパっているジョンは似たような心境だったんじゃないかな。いわゆる60年代後半から続いてた理想主義?、リベラリズム、カウンターカルチャーを代表する立場にいながら有効なアプローチを見出せないみたいなさ。そういえば、爆発的に売れてしまったピンクフロイドが、やたらと仰々しく女々しいピアノ中心の曲作ったりして、いにしえの(笑)フロイドファンに受けが悪かったが、あのへんは当時の(つまり爆発的に売れてからの)フロイドのリーダー、ロジャー・ウォーターズが愛聴していたアルバムがジョン・レノンの「ジョンの魂」だったからだと僕は解釈している。まあ、それを言ったら、REMはワーナーブラザーズ以降のアルバム、ほとんどが爆発的に売れてしまって気が動転しているのをそのまま歌っているようなもんだが、あと、U2も「マックフィスト」とか悪魔のメイクしだしたり(注、U2のメンバーは全員、敬虔なクリスチャンである)、まあとにかく、一ロックファンとして、彼らのような才能に恵まれたアーティストが世間のプレッシャーで変調きたしていくのはちょっと、いや、非常におもしろくない。まあ日本で爆発的に売れている邦楽ミュージシャンがそうはならないのはアーティスティックなセンスの欠如を示しているだけではあるが(もちろん例外もあるけど・・・)。
我が敬愛するロビン・ヒッチコックやマイクスコット、ジュリアン・コープやキヨシローの「爆発的に売れない」傾向は、各アーティストが自分を見失うことなく、着実に活動できるとも言えるわけで、嬉しいような物足りないような。マイクやジュリアン、レコード会社から契約を切られたりしてるし・・・、そういや、イマーノビッグボスも今出しているレコードレーベルはインディーズ。ロビン・ヒッチコックにおいてはどういうことになるのか心配だったが、なんと、彼のコンサートにギターでピンクフロイドのデイブ・ギルモアが参加し、シド・バレット時代の「インターステーラーオーバードライブ(1stアルバム「夜明けの口笛吹き」に収録、邦題は星空のドライブ)」をやったという。繰り返すが、ロビン・ヒッチコックのセンスは、シド・バレットと同じものなので、これはほとんど第一期ピンク・フロイドの再現そのもの!!!。凄い話だ。つーか、この話、ちゃんと普通のロックファンに伝わっているのかしら?。余談ではあるが、ロビンもマイクもディランフリーク。あ、ロジャー・ウォーターズもか。このへんのセンスって、アメリカの公民権運動の中心的な動きのひとつでもあった「草の根(グラス・ルーツ)運動」の感覚というか、超絶主義者の流れ、「森の生活」ヘンリー・ソロー著の流れを感じるんだが。まあ表層的な一般常識としての「正義」ではなく、もっとより奥深いところに「義なるもの」の感覚としてこいうのがあると思っている。REMにもその匂いがあるね。いずれにしても、彼らの表現が政治的でもあるのはそういう構造からだろう。その意味では政治が政治の体をなしていないわが国ではなにかがすっぽぬけていて、このよふな志向性を持ったアーティストには「困難」な状況だとは思う(つーか、そういう感覚を持ち合わせているアーティストはほとんどいない)。イマーノビッグボスがいつも言うことだが「あいつらは人間をナメてるんだ」、ということ。
さて、わたしの幼少の頃からの音楽好きは、ものごころつくときにはラジオをテープに録音して、いつでも聞けるようにしたいと強く思っていた。子供であるからそんな金はなく、周りの大人たちにそれをいいつのっていたら、「かけっこで一等になったら買ってあげるよ」とのこと。当然(笑)、いつもはてきとうにビリとかブービー賞で終わる私は、「その気」になって一等賞を獲得。ラジカセを手に入れる。実はこのパターン繰り返しでてきて、高校受験の時も「第一志望に受かったらオーディオセット買ってやる」との約束を取りつけ、当然(・・・)、難なくクリアーとか。なお、余談ではあるが、後から聞いた話だが、ベイビーの頃のわたしは当時のオープンリール式の録音機がお気にいりで、それに自分の声を吹き込んで遊ぶのが好きで、それを取り上げると泣き喚いていたそうな。「(3才くらいのガキが録音機いじれるわけないじゃん)嘘だろ?」と思ったが、後に証拠写真をつきつけられ、ちょっと驚く。まあそれはともかく、当時、家にまだいた叔父さんが青春まっさかりで、プレスリーやビートルズ、ビーチボーイズやモンキーズ等のレコードが家にたくさんあり、まだ幼稚園にもいってない私はそれらがお気に入りだったという。まあ、ものごころついた頃は吉田の卓ちゃんを代表とするようなフォークブームでそこらへんから、自覚的に音楽好きになり、同じくフォーク好きの友人が「ビートルズっていいみたいよ?」と発言。かけっこで獲得したラジカセでFM番組のビートルズ特集を録音する。「あれ〜っ?これ俺知ってるぞ?」と思ったのはつまりこの叔父さんのおかげ。なお、最初のエレキギターをくれたのもこの叔父さん。性格が泉谷しげるに似ている(笑)。と、とにかく、ビートルズを聴いたとあっちゃあ、卓ちゃん等のフォークも色あせ、洋楽愛好少年に一変する。また当時、いわゆるシンガーソングライターブーム(とあと、デヴィッド・ボウイやT・レックス等のグラムロックか)で、初期エルトン・ジョン、キャット・スティーヴンス、ギリバート・オサリヴァンや、カーリー・サイモン、カーペンターズやミッシェル・ポルナレフ等、いわゆる美メロの宝庫だった時代にハマり、まだ「ロック」という方向ではなかったにしろ、音楽と「恋に落ちた」のである。シカゴのサタディ・イン・ザ・パークを聞くと、いつもこの頃の優れた楽曲聴きながらゆったりと満ちた足りた時間を過ごした少年時代を思い出してしまうというか、この曲がそういう雰囲気を代表するような感覚かなあ。
・・・。この章はもっとあとで詳しく書くことにしよう。まあピンク・フロイドにやられた時代。13,4歳くらいの話。
いわゆるデジタル録音、14.1キロヘルツ、16ビット規格での「CD」の音は、ロックとかオーケストラ(というかバイオリン等の弓で弾く弦楽器類)では音が悪くて聞いているとイライラしてくる。ピアノだけ、とか、エンヤのような丸い音質のCDは自然に聞けるが、とにかく、別にハイファイな音が必要ではないはずのロックというジャンルに絞ってみても、CDの音質はキンキンとしてて、なにかが欠けていて、息詰まるような、苦しい音である。のちに「リマスタリング」とか言って、CDの音がレコードみたいになめらかな音質になりました、みたいな売り文句で少しは聞きやすくなるCDも発売されているが、根本的なところでダメですね、CDのデジタル規格に縛られた音質は。まあそのことをはっきりと認識したのは、例のウォーターボーイズの「A Pagan Place」の生ギターを何回も重ねて録音したウォールオブサウンドをレコードで聞いたときの途方もない高揚感がCDではまったくといっていいほど感じられなかったのである。まあつまり、そういうことで、ここ20年間のCD全盛期はロック音楽にとっては暗黒の時代だったと思う。その証拠にレコード時代にあれほど優れた作品を量産していたロックが、CD時代になってから、なにか生み出しましたか?セックス・ピストルズはまだレコードの時代でしたよ?っと。もっと言うと、今、隆盛を誇るDJ文化ですけど、あの人たち、ほとんどレコードしか使ってませんよ?っと。
・・・今日はこれを書きたかった。昨年の夏に購入した音楽録音ソフト、キューベースではHalionというサンプラーがバンドルセットされていて、今のスタンダードなサンプル規格、つまり、CDと同じ音質を、録音のほうの設定を96キロ、32ビットにしておいても「ちゃんと使える」のが便利かな?と思って買ったのだが、一週間ほど前、いわゆる最後の音質調整に使うマスタリングソフトの体験版を手に入れ、試しに、気にいらない音質のCDを音質調整でいい音にならないかとテストする。音楽CDからキューベースにデジタルダビングしてみたら、最初は96キロに合わせられてしまい、すごく早くスピードで甲高い音でキェロケロキェロケロとしか聞こえなく、「・・・もう、ダメぽ」とあきらめかけたのだが、「あれ?サンプラーがちゃんとできるはずなんだから、どこかに同じことができるオプションがあるはず」ということで、・・・やった〜!、その方法を先日、発見したのである。WAVに書き出して、プロパティを見ると、ちゃんと96キロ32ビットになっている。音も凄く良くなったように聞こえるが、プラシーボ(じゃなくて、こういうのはなんていうんだっけ?)、えっと、自分の「思い込み」かも知れないと冷静に、様様な音の悪いCDで同じことをして、元のCDと繰り返し、聞き比べを行う。・・・結果をご報告いたします。元のCDよりもずっと素晴らしい音質になりますたああああぁあぁぁっ!!!!!。夢のようなはなしだが(オイラにとってはね)、ほ、ほ、本当だぜ。CDで「嫌」だったトコロがなくなっているっっっ!!!。グレイト〜!!!。まあ難点はデータ量が5倍くらい増えるのでCDに全曲焼けないし、そもそも、再生用の音楽カードが96キロヘルツ(khz)、24ビット(bit)に対応してないと、再生できないので、すぐさま皆さんにそのスバらしい音質を伝えられないのが残念だ。もう、音質がノビノビとなめらかで雄大でダイナミックで気持ちいいのなんのって。レコードの時代はこの音質が当たり前だったんだよなあ・・・。なお、マックのほうではワカらないが、ウィンドウズ・メディア・プレイヤー9では96キロ32ビットの音楽ファイルを96キロ24ビット規格のサウンドカードで難なく再生できます。データ量からして適応できるメディアはDVDディスクになるでしょう。これ、やりかた黙っておいて「あなたのCDが生まれ変わったような素晴らしいサウンドになります」という売り文句でお金取れる仕事になるなあ。最初の一枚は無料サービスとして変換してあげて、気に入ったらどうぞご利用ください、という形にして、当然、気にいる人は多いはず。まあやりかた書いちゃったけど(・・・わたし生き方下手ですか?・笑)、バカ高いソフトを買うより、おいらに任せてくれれば、最低限の費用でできますよ?といったところか。しかし、キューベースのその変換エンジンはどんな仕組みなんだろう?。他のソフトでも同じことをして音質はどう違うか験してみたいとはちょっと気になるが、まあとにかく、現状でも十分に満足できるサウンドであり、ぜいたくな悩みではあるが、よりいっそうCDの音が耐えられなくイライラさせられるヒドい音であることがハッキリとしてきました。まあ時代はSACD(スーパーオーディオCD)やDVDオーディオが次世代に控えているわけで、CDの音ともおさらばする日は近いが、今まで買ったCDがそれらにひけをとらない音質になるわけで、俺、そういう次世代規格、必要性を感じなくなっちゃったなあ(<いつも時代とズレている男・笑)。なお、オーサリングソフトでDVDオーディオの96khz32bit規格に合わせてDVDに書き込めるようになるので、それがある人は、特にコンピューター用のサウンドカードは必要ない。とはいっても、DVDオーディオが再生できるユニヴァーサルプレーヤーは、まだ最低でも、5、6万はするが、コンピューター用のサウンドカードだったら、2万弱ぐらいで問題のない音質のカードが買える。そのへんはわたしに相談してください、ドゾ、ヨロシク。
というわけで、ここ最近のわたしは仕事ほったらかして(うそうそ)、様々なCDを超高音質化にいそしむ。今験して聞いているのはウォーターボーイズの6枚目、「Dream Harder」より、10曲目、スティーヴ・ウィッカムのバイオリンが効果的な「Wonders of ルイス(綴りわすれ)」、予想はついていたが、バイオリンの音質が元のCDとは比べものにならないほど素晴らしい。たいしてうまい演奏ではないが(ハハハ)、うっとりと聞き惚れ、気づくと目を瞑っていろいろな情景が脳裏に浮かんできて白昼夢状態に突入。思えば、レコード時代はそういう聞き方をしていたのである。CD時代の音楽は子供騙しの金儲けの道具に堕落してしまったが、本当にいい音の音楽はまるで別世界の扉をひらく魔法みたいだ。いやあ、音楽ってほんとうにいいもんですねえ。あ、今、元のCDの音質に戻して聞いてるけど、ぜんぜん、頭のなかに「情景」が浮かばないぞ?おもしろいなこりゃ。というかCDの音質がスタンダードだと、みな、音楽聞いて「情景」が浮かぶという体験を得ることが少なくなっているということか。ヤバいな、それは。「Dream Harder」、今、全曲、変換して聞いているが、これ凄くいいアルバムじゃないか。CD規格のせいでこのアルバム、「息の根」を止められていたのか。題名にもある「もっと夢見るんだ」というのがCD規格音質ではさえぎられてしまうのはたった今わたしが発見したことだし、まあいずれにせよ、とにかく、色んなCD変換して気づいたことは全然疲れなくて、ずっと聞いていたいと思ったこと。CDって聞いてると疲れるよねえ?。なんであんな規格策定したんだろう。確かソニーが(以下略)。
さて、今でこそ、「名盤」の誉れ高いプライマル・スクリームの「スクリーマデリカ」というアルバムがある。わしは古くさいロック親父なので、ハウスだのドラムンベースなどの新進の音楽についていけなく「おっちゃん、もう、かなわんわあ」と時代に取り残されかけたが、このアルバムで「開眼」しまひた(祝)。ここにはかってのバーズやピンク・フロイド、ストーンズ等にあった「あの感覚」がそれらのような新しい音楽感覚とともに満ちてあり、2ちゃんねる風に言えば「キターッ(顔文字まだだせません・笑)」といったところか。まあその感覚を一言で言い表してみると「アストラル照射感」と、自分勝手に命名しているのだが、まあなんども繰り返している「(隠された)義なるもの」の感覚。たとえば、「おてんとうさま」と言い換えてみても言えてる感じ。このアルバムが出た当初、どっかの安い音楽評論家が、「尻軽ボビー(プライマルスクリームのリーダー)がハウスに手を出した」でかたづけてやがって、ムッとしましたね。まあとにかく、このアルバムは近代ロックのなかでも傑作のひとつであり、メッチャカッチョいいっす。また、このアルバムから派生した一連のリミックスシングル、「Come togeter」「Loaded」あたりは、かのラーズの「There she goes」以来の名曲であり、前者は「曲」になっているが、後者「Loaded」は、「え?なにか曲になってんの?」と一聴、わけがわからなくなるくらいの「よくある」リズムとベースの繰り返しに映画、イージーライダーの一シーンの音を被せただけなのだが、そこに醸し出されている雰囲気は「アストラル照射感」そのもの。踊らずにはいられない。こういう言い方もあるな。ここには「フェスティヴ・ディメンション」があるのだ。お祭り次元?つー奴。この「フェスティヴ・ディメンション」という言い方は和尚の説話から採ったのだが、それを言ってくれただけでも、和尚偉いと言わざるを得ない(笑)。あ、それでなにが「He got money, I got soul」なのかというと、このフレーズはプライマルのエクスターミネイターというアルバムの一曲目に繰り返される歌詞だが、まあ仕事の関係で、お得意さんとの間に入るブローカーがいる。みのもんたがセコくなったような人(俺もヒドいこと言ってんなあ・笑)。当然、ビジネスのことであるから、金銭ごとの交渉をやらなくてはならない。音楽的才能に溢れるタイプにありがちな(お、俺のことだがなにか?)ビジネスセンスにまったくうといということで、このセコいみのもんたの言いなりである。つまりあまりフェアな金銭の分配じゃない感じだなあ?なのだが、まあ早い話、みのもんたが「ちょっと俺、ボったくりかなあ?」と後ろめたい気持ちになってこころ落ち着かない様子で可愛そうになってくる。いっけん、なにも考えてなさそうだが、実は深いところを見通す俺(はい?)とつきあうあの人の気苦労は絶えないことであるなあ。実はなんどもブチ切れかけて、もうこの人の相手するのはやめようと思っていたのだが、別の会社の社長と世間話しているとき、そのことを言ったら、「いや、そうは言うけど、あの人だって君を頼りにしているのだから、ひとつここは気持ちを大きくもって付き合ってあげなさいよ」と言われる。うーむ、ビッグなハートの持ち主(がはは)としてはそう言われるとそうせざるを得ないなあ。はぁ。まあ世の中は色んな人がいるのだ。もしかすると、全然人間のタイプが違うというところで妙にフォローしあえてたりして。
これが今の政治経済システムに「無くなって」しまっているのが大きな問題。ずっと前にも書いたけど、アメリカ合衆国設立の時、「州制度」を憲法に盛り込んだベンジャミン・フランクリンは、どこから「州制度」のアイディアを採ってきたのかというと、当時、ヨーロッパから移民してきた各地の「植民地」で、互いにケンカばかりしてて、まあ、その各植民地を「州」にして、ユナイテッドしようぜ、ということだったのだが、ベンジャミンいわく、「野蛮人であるところのインディアンのイロコイ連邦は、各部族同士、ケンカすることなく仲良くやってるのに、われわれ西洋人は彼らよりもずっと文化が進んで優れているはずなのに、ケンカばかりして情けないことであるなあ」というのがあったのである。まあ、なんでイロコイ連邦が「仲良く」できていたのかという根本的な要素を欠かしたままであるから、借り物でしかないのだが、とにかく、イロコイ連邦の「仲の良さ」の基本的原理として、その「フェスティヴ・ディメンション」があったということはあまり知られてないので再度わしは書く(笑)。政治の「政」の字を変換してみると「まつりごと」と出てくる。まあとにかく、イロコイ連邦においては、政治ごとを司るのを「許す」ことを女性たちが担っており、早い話、インディアンの文化では「お祭り」の時に歌や踊りに頭角を顕わす男を「いい男」と誉めそやし、実質的には女性たちの人気投票で(笑)、政治ごとを司る男性が選ばれたのである。歌や踊りでいったい「なに」をあたり一面にある種の「雰囲気」として撒き散らすことができたのか?というところで、「フェスティヴ・ディメンション」だったり、僕の言い方(正確には北沢教授の言説より)では「アストラル照射感」「義なるもの」というものを歌や踊りで体現することができた男性が、政治ごとを任されるという社会システムであったこと、が、そのまま、各部族が「仲良く」できる基本的原理だったのだ。まあ、近代では、なかなかそれを復活させるのが難しい状況にあるのかも知れないが、それでも、成熟した素敵な女性たちが「いい男」の定義としてよく挙げる言い方、「叙情を感じさせる男(ひと)」というのがあるように、この感性は近代においても失われてはおらず、まあ、「叙情=自然との弁証法的意味交換」であるから、そういうわけで、エコロジーとフェミニズムが切り離せないトコロにあり、現状の政治経済システムのやくたいもなさ、パワーゲームのどうしようもなさへの優れて批評的な、なおかつ公平な観点を提供する突破口になりうるということが、オイラの「青年(?)の主張」してみたいところなのである。ああ、あと、これは言っておかなくちゃ。実はここに書いているようなことを知る「前」から、「理由はわからないが、踊れば環境問題が解決するような気がするぞ?、いったいなんでなんだ?」と、独りレイブ(笑)に走っていた当時の私の頭上に純然たるインスピレーションとして在り、共産党員であった親父に「経済とか環境問題ってみんなが踊ればおのずと解決すると思うよ?」と言ってみたところ、顔を真っ赤にして「バッカモ〜ン!!」と一喝されたことをここに報告しておこう(・・・)。プライマル・ボビーのお父さんはイギリスの炭鉱関係の共産主義運動家の大物なんだけどな。うちの親父はただの党員だったけど(笑)。そういや、「独りレイブ」だけど、当時、瞑想やヨーガ、気功法に凝って、ある種の内的エネルギーが高まってくるじゃない?、で、「お、お、踊りたいっ!!!」という衝動に憑かれて、当時(今でも好き)なアーティストのジュリアン・コープの歌にあった「僕はここに立って、(天からの)愛すべき命令を待っている」的に、世間というものを「無視」して(笑)、いかに内面の深いところからの衝動に素直に従うかというのがテーマみたいな感じ?この感覚にはぴったりの日本語がある。「天衣無縫」というのだ。まあ、これがうまくいった結果の人格の単純さはもしかすると大きな宝ものなのかも知れない。まあ知らずの瞑想しちゃった厨房当時も「おまえってほんと単純な」と呆れかえられていた過去もあり、元からの性格だったりするのかしらん?。たぶん、その単純さは瞑想の結果だったんだと、今にして思フ。別にイマーノビッグボスと自分を同一視するつもりもないけど、あの人の歌詞にある「友達はみんな複雑そうな顔して通りすぎていく」がグッとくる今日このごろです。
エアロスミスとシンディ・ローパーとケルトの民族音楽とマイケル・ナイマン。本は「母性とはなにか」青木やよひ著、金子書房を借りた。仕事柄、コンピューター(モデリングというか微積分)の本も借りて勉強する必要があるのだが、おかげさまで新しいお得意さんも付き、勉強の暇もない。まあ、この新しいお得意さんはいつもの仕事先に飛び込みできて、デキる人探していて、俺と知り合い、「すべてお任せします」と一任された。ハンサムで誠実そうなナイスガイだが、どういうわけか、仕事先の男性陣が彼に素っ気なくする。???と思ったが、彼の仕事場がそばなので、即行し、少し世間話とかしていると「なんか、僕、生意気だとか言われちゃうんですよ」と苦笑。全然生意気な感じしないじゃん?と思ったが、要するに、それは「嫉妬」を買うんだろうなあとオモタ。違うかしら?。まあそんなつまんない話はともかく、エアロ最高だぜ!!!・・・少し気分を変えて、ここは自分勝手に決めちゃうけど、著作権無法地帯ということで、確か、ベストアルバムの「Magic」にしか収録されてない、イマーノビッグボスのメンフィス時代のアウトテイク、「口笛」の歌詞でものせておきたい気分だ。この曲は一緒にレコーディングしたMG'sのスティーヴ・クロッパーが「まるで(音楽が)ジョン・レノンみたいだ」と感動したらしい。
_ [歌]「口笛」忌野清志郎
あの人なら きっと 笑うさ
僕の口笛 聞いたら また 吹きだすのさ
信じてる人 よく笑う人 聞こえるだろ ほら
寒い季節は すぐに 終わるさ
僕の口笛 北風に 消されても
信じてる人 よく笑う人 かわらないさ
僕の友達を 理解できる人 会わせたい人
あの人なら きっと 笑うさ
奴の口笛 聞いたら 顔を背けたりしないさ
信じてる人 よくわかる人 冗談さ アハァ
信じてる人 よく笑う人 可愛い あの人
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ルナっち [はい、みなさん、あけましておめでとうございます。・・・書いてんの9日だ(笑)。 実は昨年末からやっていたコンピュー..]
mintia [ハ−ッ。。。!! 珍しいよ。るなっちの日記、一気に読めた。ついでに叫ばせて。。。 バカヤロ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ..]
mintia [あ。場所、借りただけよん。 るなっち。。。あけおめ。。chuっ☆ ←レンタルスペース代 ]