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という、はっきり言って超くだらない曲がある。銀×ナウというのはその曲が最初にTVでオンエアされた番組のことで、「こんなの今回なんか裏金でTVに出させてもらってて、一回きりで終わりでしょ?」と思っていたが、おそらく誰もリクエストなんかしてないのにシツこく(笑)、毎週のように繰り返しオンエアされ、「なんだこりゃ?」と思うまもなく、邦楽ヒットチャートの一位をとる。に、に、人間をナメとる・・・・。まあ、文化を資本が侵食してしまう一例として上げてみたのだが、これは人類に対する最大の犯罪的行為でもあるんだがしかし。。。
というモノの見方は「当然」だと思っているんだが、あんまり、それもネット上で書かれることがない様子なので、書いておこう。もちろん、ビートルズは「裏金」なんたらかたらで操られたデッチアゲではなく、本当にリアルなものとして登場し、それまでの、専門教育を受けた作曲家と演奏者、歌手等、まあ、ある種の、「特別な教育を受けた、恵まれた人」が音楽を一般人に売るつけるというのとは違う、一介のイギリスの田舎、リヴァプール出身のチンピラどもがまるで、人類が「突然変異」でも起こしたかのような驚異的な「突出」した音楽的才能を世に示し、世界中の若者たちが沸き立つような興奮の渦に巻き込まれたのだ。当然ながら、彼らの登場は、ビートニクス(ジャズ世代の、まあなんというか、近代的な論理に異を唱える人たち)の延長とも合致し、いわゆるヒッピーを生み出し、その波に感化されたある、名門スクールの学生リーダー(名前忘れちった・・・)が、ベトナム戦争反対運動を始めたのだ。
後者、ビートルズに限らず、優れた「(創造的な)文化」は人を興奮させ、生き生きとさせる。あたりまえだが、失恋レスト×ンではそんなこた起こり得ない(・・・)。さて、ここにあるのは、シミケンの場合、すべてが「計算」されて、「狙い(金もうけ)」がはっきりしており、「起こる」ことは事前に計画された通りに起きているだけの事象であり、つまり、「前もって」起こることは了承済みの事象でしかないというのは明白で、当然、誰も(笑)、シミケンの次の曲を「期待」したりはしない。つまり、われわれの「それまでの経験(過去)」をくつがえすようなシロモノではないわけだが、ご存知のように、デビュー当時はちょっとスチャラカな安っぽい演奏でのR&B曲のカバーも多かったビートルズは「どんどん(人々の予想をはるかに超えて)凄くなっていった」のである。これはつまり、当時のビートルズに反応した世代が絶えず新鮮な「期待」を持ち、ワクワクしながら、生き生きとした毎日を送ることができたということであり(まあ、長髪だと紅白歌合戦に出られなかったとかいう類の世間との軋轢はともかく)、そのような「意識の構え」がいわゆる一連の60年代後半〜70 年代前半の、目も眩むような素晴らしいロックの全盛期をもたらしたということでOkでしょうか?おおげさでもなんでもなく、今だったら10年に一枚クラスの名盤が当時は毎週のようにガンガン発売されていたのである。
要するに、これが問題。姿かたちを変えてはきているものの、資本の論理の重圧は「Beatles」的なるものが片隅に追いやられ、失恋レスト系が、ユースカルチャーの「環境」のほとんどを占めてきている。これはつまり、以前だったら、Beatlesに即座に反応しえた先鋭的な感性の持ち主が、まわりじゅうシミケン好き(・・・)という状態に置かれ、生き生きとできる環境が狭められて窒息状態におかれてきているという状況にある。もう古い話だが、新聞の相談欄で、コムロのTRなんとかが回りのみんな好きで、私は忌野清志郎が好きなので、皆と話題が合わないと悩む女子高生、というのがあった。なんだか、話作りすぎちゃうんかと思えるほど、「適切」な(笑)例えになるが、ほんとにこういう相談があった。コラム担当の相談相手は、「あなたが自分で本当に好きならば、気にすることはない」とまあ、適切な助言をしていたが、ととと、とにかく、資本の論理が文化の息の根を止めかけている状況が、以前にも増して増長している状況にあるのは明らかで、俺はスピリチュアリストだから(断言)、共産主義にも賛成する気にならないが、冴えてる女性たちが「元気がなくなって」きているのが今の状況だとジャッジする。こうして、書き出してみると、その「元気のなさ」と現在の政治経済システムの状況が密接に絡み合っているのは分かってもらえると思うが、これに気づいている人は思いのほか少ないように思えるのでこうしてフってみた。
もう古い話にはなるが、前期ヒップホップの代表的グループ、「パブリック・エネミー」(日本語だと社会の敵・・・笑)のインタビューで、リーダーのチャックが「我々は、ニューヨークのスラム街で生まれ育ち、麻薬や人殺しが日常の劣悪な環境にあった。そういったなかで生き延びてきて、経験を積み重ねて分かってきたことがある。「悪」は必ず、自滅するということだ。(中略)、われわれは神を信じるかたちでの社会主義を提唱する」と。うーん、凄いな。要するに資本の論理の中には「悪は自滅する」という考えかたは含まれるわけがないから,そのコトを含めるべく「神さんごと」に話がつながっているらしい。このブンだと、フィンドホーンで、パブリック・エネミーの連中がジャガイモの皮剥いてても、違和感がない(笑)。そういえば、おかしな話だが、「仏像に手を合わせる」ような気持ち、まあ敬虔な気持ちといっていいだろう、だが、個人的には町の中で黒人さんを見かけると、そういう気持ちになったりする。まあ生来のロック好きのせいで、「あの肌の黒い人たちが、ロックに生命力を与えてくれたのだ」という感謝の念にかられる。まあもっと言うと、黒人ベースシト、ブーツィ・コリンズの傑作音楽プロモーションビデオで、ブーツィがゴジラならぬブーツィジラ(笑)に扮して、東京の丸の内あたりを来襲し、目からビーム光線を発して、ぶっとばされた銀縁メガネ7,3分けのサラリーマン集団が「踊りだす」というのがあったが、まあそういうことです。和尚の言い方なら「神のところへは踊って行け」といったところでしょうか。
が、今月号のロッキング・オン(四月号)にインタビュー載ってるので購入。まあロック界随一の「知性」と言っていいだろう、インテリジェンス溢れる発言の数々。ジムいわく「儀式はすべてのものに影を落とす」・・・、さ、さ、さ、さ、ゴホン、ゴホン、(息を整えて)最高だぜジム!!!!。
さて、いきなりな展開だが、シニフィエとシニフィアンという、現代思想のタームがある。ジャック・ラカンの言い方なら、大文字のSと小文字のSというやつだ。ハートとマインドというのが分かりやすいのかも知れないが、と、とにかく、なるべく分かりやすく書こうと思うが、それは後々にゆっくりと書くとして、今回は飛ばす(笑)。実は少し前、「知の欺瞞」ジャック・カーソル著、という本がラカンも含めて、現代思想の大物連中がいかに数学や物理学の考え方を自己流に解釈して(つまり誤った解釈をして)、引用しているかを暴き、思想界に大きな衝撃を与えたことがある。ラカンの場合だと「位相」の数学的概念を間違って使っているとされているのだが、惜しいことに、その通りだと思われる(精しく位相関係の方程式とか調べたわけじゃないので断定できないが)。だが、ヒントというか、最初にその考え方を提起し、それがあるレベルまでは、正鵠を射たものの言い様であることまで、否定されちゃ、ジム・モリスンのその「洞察」も意味を持たなくなってしまう、つまり、細かいところはラカンは間違ってしまったが、大きなところは凄く有用な言説を提出してくれているのだ。
というのがもっとも大文字のSと小文字のSの区別を説明しやすい「矛盾」。まず、最初に出てくるクレタ人が嘘つきであるならば、「クレタ人は嘘つきだ」の文の中のクレタ人は、まず、ここではクレタ人は嘘つきという前提があるから、かっこ内の文は嘘であるから、この場合、クレタ人は正直であることを裏から証明する。が、話を戻して、この場合、クレタ人が嘘つきであることを前提としているから矛盾を呈する。次に最初のクレタ人は正直だとすると、正直に(笑)、「クレタ人うそつきね」と言うのであるから、当初の正直なクレタ人は例外的存在であって、と、とにかくだ、ここでは、例外を認めないので(笑)、「じゃあ、なんでおまえだけ嘘つかないんだよ?」とつっこまれる、つまり、これも矛盾した言説になる。この矛盾が生じるのは、おわかりのとおり、発言者のクレタ人と文の中のクレタ人が「同じ」ものである場合においてであって、別のものだと矛盾は生じない、つまり、ラカンが「自己」というものの在りかたを「大文字のS」「小文字のS」と区別することによって、その矛盾を止揚したのだ。う〜ん、こうして書くとそれがどう凄い発想なのか説得力とんじゃいそうだが、まあ、「儀式は・・・」の説明を待っていてくれたまえ。ネットで検索しても、予想外にラカンの仕事、フロイトのエディプス原則を、その大文字のSと小文字の Sを持ってくることによって、「位相」として捉えなおし、数学的な明快な論理をもって、フロイトのエディプス説を見事に論理的に解釈しなおして、「欲望」がみずからの「死」を望む心理的な(ないしは論理的な)圧力になりかけることをなきものにしえたお手前に対する高い評価というか、解釈を分かりやすく(難しくでもいいけど・笑)した「説」がほとんど見当たらないのはどういうこっちゃ。2ちゃんの哲学思想板過去スレとかあさると出てくるかなあ。ここでは数式や図を書き表せないので、はしょった説明になるけど、大文字のSと小文字のSの区別がちゃんとついてないと、「巻き込まれて」、欲望が死を望む論理性を持っちゃうの。わかりやすくいうと、欲望でギラついた人って、同時に死の匂いのようなまがまがしさをあたりにまきちらすような雰囲気になったりするじゃない?、そういう感覚(いや、本当はちゃんとした論理性があって感覚じゃないんだけど、普通ラカンなんてほとんど読まれないらしいから感覚的ないしは直観的にしか捉えられないけど、まあそれでもいいのだが)。まあこれは親子関係だったり、恋愛関係だったりすると、たとえば、相手に「こうあって欲しい」という欲望が、「こうならないのなら殺してやる」となる巻き込まれ方。・・・いや、それはちょっと話が違うな(論理的には親戚関係にはあるけれど)。とにかく、フロイトが発見したとされるタナトス(死への欲望)を論理的に解き明かして、簡単な(笑)位相の捉え方にしなおして、「数式化」をなしえたラカンは偉大だ。補足しておくと、晩年のフロイトはタナトス説を間違いだったと告白したという。
というのをちょっと数学的に言い換えてみよう。双対的に関係を持つ、というのだ。写像関数の領域かな?とにかく、抜き差しならぬ関係(笑)。当然、くりかえすけど、この抜き差しならない緊迫感(笑)は、大文字のSと小文字のSの「区別」がついてない状態におかれて互いに絡み合っている状況でもある。まあ早い話が「修羅場」ですな。
その「双対的に絡み合っている」、片方が「儀式」を行うとする。まあありていに言えば、ラカンの位相の捉え方においては瞑想もそれ(儀式)であるが、その他、(健康とか美容を目的にしない)ヨーガでも気功法でも、実際に魔術の儀式でも同じ。それらは「生への隷属性」に属さないというところに共通性があり (あ、だから目的、つまり生への隷属性、がある瞑想ってダメなのか、なるほど)、なおかつ、近代的な生への隷属性がもたらすエディプス原則に基づく死の欲望にも根ざさない。ということはだ、片方がなんらかの「儀式」を行うと、生への隷属性に囚われている双対的な関係から「外れる」構造の場を自立的に作り出すということになる。う〜ん、もうちょっと学術論文調に書いたほうがいいかなあ、俺のスタイルだとノンキな書き方なので、なんか「軽く」なっちゃうけど、まあ気にしないで続ける。人と人、人と事も「関係」はすべからく、よほど意識的な人ではない限り、双対的なものとしてあり、「儀式」は、双対的に向かいあっている関係性の「内部」での煮詰まり(笑)から抜け出して「外部」からの視点をもたらすことになり(まあそれは儀式の本質的なことそのものではないんだけど)、内部で囚われているそれらとの関係性を「変えて」しまう効果をもたらす。これはほとんど「魔術的」でさえあるんだがあまり知られてない心理学的数学的技術だ(このへんは手品にも似ている。つまり「儀式」は手品でいうタネにあたり、知っている人にはなんてことないのだが、知らない人には、少々おおげさな形容だが奇想天外さを感じさせるような効果を及ぼす)。ということで、ジム・モリスンが言う「儀式はすべてのものに影を落とす(影響を与える)」という言説が本質的に優れた知性から導きだされた洞察的な発言であったということがお分かりいただけただろうか。ジムのフェイバリット哲学者はニーチェだったんだよなあ。まあ、今日書いているテーマはこれからもっとわかりやすく噛み砕いて、なおかつもっと重要さを強く打ち出して(笑)、何回も書くでしょう。ヨロピク。まあ次回から何度か「推敲」して、もっとわかりやすく緻密に書きます。いやあ、俺、推敲しなくても、言わんとするところは分かる人には分かるからいいやあ、とかいい加減に書き飛ばしちゃうんだよね(<言い訳がましい・笑)。なお、ここに告白しておきますが、私、ラカンの本、一冊たりとも読み通したことがありません(・・・まあむりやり読み通して全部正しいと思い込んだ似非インテリが多かったのは確からしいが)。
さて、新曲といっても、公開するのが新しいというだけで、やっと、ヤフーの5メガの制限に収まるMP3ファイルを作る方法を修得(笑)したので、マスタリング(音質調整)も行って、ここに公開する(少々のノイズはごかんべんを。後々、ネット環境を整えてもっとクオリティアップさせて再登場させます)。曲名の通り、曲名はまだ決まってない(・・・)。ギターソロのほうもマスタリングしたので以前よりずっと聞きやすいはず。新曲のほうだが、聞いてもらえれば分かるように、「抑圧→解放(リラクゼーション)→飛翔」という感覚。ポリースがよくこれに似た構造の曲をよく作っていたが、いずれにせよ、メロディがまだなく、コードとリズムが進行してくるアイディアの簡単なアレンジだが、「伝わる」ものがあると思う。特徴的なのはこれと「似た」曲が過去にないということ、つまり、純然たるインスピレーションが降りてきた(まあ本来、音楽ってそういうものだけどさ〜)。もしかすると降りてきたのはフィンドホーンのスピリットかも知れない。いやマジに。まあ、アレンジを考えると、オーケストラからドラムンベースまで幅広くできる曲なので、最初に作ったアレンジ参考用のデモ録音物をこうして堂々と(笑)公開しますた。とりあえず盛り上がってくる感じの曲なので、最近どうもいろいろと調子悪そうなフィンドホーンガールズはこれ聞いて元気を出してもらいたい。次回の予定はフォークロック調の曲で、「義なるもの(または愛)をあらしめるべき」という雰囲気の曲だ。これはちゃんと歌メロもある曲なので期待できるかもよ?。なお、今回の新曲のほうだけど、「あれに似てるぞ」というのがあったらつっこみお願いします。ああっ、そうだ、今、思い出したが、ギターソロのほうは、六番目の弦、つまり一番細い弦が「無い」ままであれ弾いてたんだよなあ(困った奴だな・・・)。まあ俺らしいっちゃあ俺らしいけど、そういうところはマジになおしたほうがいいと思う今日この頃です。
サーバーの調子が悪かったらしく、しばらくこの日記、書き込めなかった。Setuさんだか、マハさんのどちらかだと思うけど、復旧に力を入れてくれた模様。迷惑かけてありがとう。つっこみ欄がまだ機能してないので、自慢の(笑)、オリジナル曲へのアクセスはまだできないが(というかHTMLめんどうがってないでここに書けばいいのだが・・・)、私は生きてます。
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ルナっち [http://jp.y42.briefcase.yahoo.co.jp/bc/teethofwhale/lst?.d..]