| イマーノ | エコロジー | エディプス主体 | シンクロニシティ | スピリチュアル | フェミニズム | ボディワーク | ロック | 歌 | 瞑想
ものを考えられません・・・。まあいいか、ちょうど仕事も途切れてるし、のんびりいこう。
という音楽スタイルがある。これはジャマイカのスカ、レゲエの延長上に出てきた音楽スタイルで、マルチトラックにレコーディングされた、本来は歌の伴奏用のテープを、歌をとっぱらって、イントロだとか、サビとか無視して(笑)、ベースやドラムに素っ頓狂なディレイ(音をこだまのように反響させる効果)かけて、コムヅかしく言えば元の音楽録音作品のディコンストラクション(脱構築)に走るのである。すると、あ〜ら不思議、ここに現れてくるのはスピリチュアルなものがムーヴィンしていくかのような、ダイナミックな霊気のようなものが立ち昇ってくるのである。さて、このことをエディプス主体の解体(正確にはアンチ・エディプス主体の生成)と絡めて語っているのはまだ読んでないので・・・、つまり、そんなことを結びつけて考えているのはどうも俺だけなので(笑)、僕ももうちょっと論文調にもっともらしく書けばいいものを(・・・)。とにかく、「歌」としての物語性を持ち込んでそれに合わせて音楽構造を決めると、イントロがこうで、Aメロはこうして、サビはこうでバースはこう、というような(近代的な)物語性に音楽が合わせられてしまうのが普通の歌だが(もちろん、それはそれで完成度が高く、霊感に満ちた素晴らしい音楽はたくさんあるが)、と、とにかく、ダブというのは元の歌とはかけ離れたイカれてブっとんだ音楽として始まったのであるが、しつこいけど、元の歌にあった(エディプス主体が支配した)近代性物語性を脱構築すると、なんで霊気が満ちてくるの?というところに、この前書いた、アストラル的なるもの(霊性に深くかかわるオカルト(笑)用語だと思うけど?)をさえぎるエディプス主体という構造があることをダブは浮かび上がらせているとは言えまいか。またはそれ以外のどのような形容で、脱構築音楽、ダブが素晴らしく生き生きとしたスピリチュアルな感覚を放射していることの説明ができるのだろうか。エディプス主体がどうとかこうとか議論している先端のフェミニズム学者たちも、このように具体的な「感性」にかかわってくるレベルで、ことの「的を射た」物のいいようであることを講義すると良いのだが、まだ日本では誰もやってなさそうだ。ああ、そういや、エコロジカル・フェミニズムとも地続きなマルチカルチュラル・スタディーズの、名前忘れた、大物学者がイギリスにいるが、あの人(黒人)、髪はレゲエアーティストたちと同じドレッドヘアなんだよな。ムコーではもうそういうこと言われてきてるのかしら?
うーん、仕事の打ち合わせがよく入るのだが、なんだかんだと延長があったりして、即座に収入にはならない。キビしいのでバイトいくことにする。なんて書くと「嫌々」のようだが、結構、「ああ、しばらくコンピューターとおさらばできるぞ?」という喜びがある(<幸せもの・笑)。九月から某家具メーカーのCADの講師をやる話が入っているが、まあ、基本的に大手の三割しか導入成功しておらず、中小企業のまずほとんどが三次元CADを取り入れてない状況なので、こちらが主体的に営業をかければ山ほど仕事がでてきそうだが、情けないことにラップトップをまだ買えてない。つまり、紙の資料だけ持っていっても、「はて?なんのことでしょうか?」という反応なので、ノートパソコンあるといいみたいなのよね。それと、ブローカーがあいだにはさまっているとやりにくくてしょうがないし、ブローカーの向こう側、つまり、コンピューターを取り入れてなんとかしようという中小企業の社長さんらと、なんというか、「大手が中国に仕事回すような勝手なことばかりやりやがってよう」という仲間意識があるので、ようは「気持ちの問題」のところでスムーズなコミュニケーションがとりやすい。ブローカー連中も目先の利益ばっかり計算してないで、そういう気持ちでいけばいいんだが、そういう感じはしないねえ(ため息)。まああと、商品企画?今出てないのでこういうのがあると便利じゃん、というようなのがいろいろと閃くが、以前だったら、大手が発案して、下請けに製造を任せるというパターンだったが、だんだんと中小企業の「実際にモノを作っている」実力派の横のつながりがネット等を通じてどんどん太くなってきており、ちょっとおもしろそうな変化が起きそうだ。いや、まてよ?そういうのはもしかすると俺にとっての「希望の橋」であって、あえてその橋を断ち切るのもおもしろそうだとか余計なことを考え出したりもするが、まあ、一応、「仕事やめます」宣言すると、5、6人ぐらいが「困るよ〜」と言い出しそうなのでそれもできない。まあ思えば、家業がバブル崩壊でふっとんでなければ、僕もこれに手を出してなかっただろうし、なんとか持ちこたえて頑張っているところは三次元CADを習得するヒマもないという状況らしく、当初、勉強を始めた頃、「ああ、ほかのところはバリバリにこういうのをとりいれて先進んでいるんだろうな、もう遅いかもな」という杞憂は、「ありゃ?ほかのところ、全然取り入れてないじゃん?」と、現実を知るのである。まあバイトもそうだし、この仕事も順調に収入が入るようにして、人生のひとつの目標である、優れた音楽作品を作ること、というのをかなえたい。今、公開しているのは4トラックのカセット時代の作品で、ご存知のように、最近の音楽用ソフトというのは、10年前だったら超高級音楽スタディオでしかできなかったこととが、そこらへんのにーちゃんでも自宅でできるようになってきている。すごいなコンピューターって。と、とにかく、モデリング仕事やってると音楽作る気力や、コンピューターディスプレイ見る気が失せてしまうので、単純な肉体労働で脳疲労取って、モデリングと同じぐらいに自由自在に音楽ソフトを動かせるようにして(略
書いているのはあまりみかけないな。シドはピンク・フロイド創生期のリーダーで精神分裂症に犯されてしまった伝説的な人物。一般的にシドの狂気はLSDのせいだとされていて、あまり知られてない話だが、実はシドの狂気の発端は、学生時代、インドのグルに会いたいと教師に相談したところ、それを駄目だと禁止されたことにあるという説がある。ありうる話だと思う。まあイギリスという国は世界でもっとも早く、いわゆる産業文明化されたところで、近代都市型文化がどのように人々を変調(笑)させていくかを計るサンプルとしても興味深い場所なのである。まあビートルズが突破口を切り開いて、ある種の開放は起きたのだが、それまでのイギリスの産業化がもたらした人々への抑圧は、1930〜40年代まわり、イギリスの女性に特異に「気狂い」が多かったことからも伺えるだろう。まあ英国女性の当時の狂気の多さはフェミニズムの脈でも研究が進み、エレイン・ショーウォーターその他のフェミニズム思想家によって近代産業化を推し進めた結果人々を抑圧していた力、まあエディプス主体だが、の在り方を突き詰めてきてはいる。話がズレたが、とにかく、早い話、イギリスでの教育というのは、日本でのそれと違い、教師が陰険というのは言い過ぎだが、とにかく、歴史の積み重ねの上に伝統的に厳しい教師と生徒の上下関係があって、教師が生徒に与える影響というのは大きかったのだ。ちなみに、ロビン・ヒッチコックはハーヴァード大学(日本で言えば東大か)に推薦入学したほどの天才肌で、大学入ってから、自殺未遂その他、「奇行」がひどすぎると、精神科に強制的に通わされたりしていたという。なんてことを書いていると、彼らが好きな俺って凄くない?などと自慢気になってしまうのが嫌だが、まあ、例えば、フロイド全盛期、同様に評価されたプログレッシブロックなんかでは、EL&Pとかイエスその他、色々いたが、当時からフロイドがダントツに良いと思っていたり、ハードロックなんかだと、ディープ・パープルとレッド・ツェッペリンの二大巨頭とか言ってたが、当時から、ツェッペリンのほうが全然いいけどなあ?と思ったりするのが、後年の風化で、残るのが好きなほうだったりして、なんというか、自分が好きになるのって、後年の評価もずっといいままで、要するに自分の「好み」には年々自信が持ててきているというのはある。まあそういう自然な嗅覚的なセンスの良さが身についたのは、繰り返すけど、中学二年の夏休み、フロイドにはまって、二学期が始まってから、学校から帰ってから家族らと夕ご飯を食べるまで、「ずっと」部屋を真っ暗にして、目を瞑り、フロイドに聞き惚れていた、つまり、一種の瞑想をしていたのが大きかったと思う。人によるだろうが、僕の中学二年くらいでは、まだまだ、いわゆる世界というものへのコモンセンスがなく、つまり、コモンセンスに「邪魔」されることなく深い瞑想体験を得られたのだ。これはちょっとというかかなり瞑想には有利な状況(笑)。ああ、当時「瞑想」という言い方知ってればなあ。いろいろとやりやすかったのに。まあ、逆に「瞑想」という概念もないままにソレができたわけで、これは感謝しなくてはいけない。まあ、それは今にして思えばいいことだったが、当時悩んでいたのはフロイド漬けになって長時間瞑想し、夕飯の時間に家族らと会うと、家族たちがなんか他の世界のナメクジじみた奇妙な生き物のように感じられて、「(そういうふうに感じる)俺ってへんなのかなあ?」と気後れしたりした。実はこの他の人間がナメクジのように感じる違和感はずっと続いてたりして、ある日、イマーノ「ビッグボス」キヨシローを知ったとき、「ああ!初めてナメクジじみたところの皆無な人を見つけたぞ?」とも思ったことが、オイラがビッグボスのファナティックなまでのファンである理由のひとつでもある。
実はそれ以前はビートルズから始まったポップス愛好少年だったが、同じくビートルズと並び称されるローリング・ストーンズも聞いてみた。EP(当時、シングル盤レコードで四曲入りのやつ)で、「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」「ホンキー・トンク・ウーメン」「ルビー・チューズデイ」「悪魔を憐れむ歌」がいっしょになっていたのを購入し(注、瞑想前)、当初は「ルビー・チューズデイ」はビートルズにも通ずるきれいなメロディだが、後は、マジに「(悪い意味で)土人の音楽」にしか聞こえなく、「なんでこんなのがいいんだろ?」と思っていた。しばらくフロイド漬けになって(つまり瞑想を始めて)、ある日、「ブラウン・シュガー」を演奏するストーンズをTVで見て、自由奔放に歌い踊るミック・ジャガーに衝撃を受け、そのEPを聞きなおしてみたら・・・、スッゲーカッコイイじゃ〜ん、と、それまで、土人の音楽にしか聞こえなかった他の曲の「真髄」が分かり、フロイド偏愛時代は終わりをつげ、ストーンズにイカれる時代が始まったのである。まあ、要するに、ここでも、「瞑想」がなかったら、ストーンズの良さはすぐにはわからなかった可能性も高いと思う。まあそれが証拠に、2ちゃんのストーンズスレなんか読んでみると、結構ストーンズって本当の良さがわかりずらいちょっと難解なところがあるっぽい、みたいな言い方をしているのをたまに見かける。そうそう、当時、初めて購入したストーンズの「It's Only Rock'n Roll」アルバムにて、ライナーを書いていた評論家が「日本ではビートルズのファンは多いのに比べ、ストーンズのファンは少なすぎる。日本人はストーンズのエイトビートのかっこ良さが分からない民族なのではないか?」みたいな書き方してあって、「ふ〜ん」と思ったが、とりあえず、当時のストーンズのかっこ良さは尋常なものではなかった。この世で「一番かっこいいもの」はローリング・ストーンズだと私はいまだに思い込んでいる。もちろん、残念ながら、近年の彼らではなく、ベガーズ・バンケットからまあせいぜい5,6枚くらいのまでのストーンズはとにかくこの世で「一番かっこいい人たち」だった。ほんと当時のストーンズの良さがわかったら、日本のジャニーズ系とかとてもかっこいいシロモンとは思えないと思うんだが・・・(あたりまえで凡庸な言い方に聞こえるだろうけど、ジャニーズ系が売れているということは、あれを買っている女性たちはストーンズの鼻血もののカッコ良さを認識してないという文化的欠落が起きているということだからね)。まあ余談だけど、ストーンズ好きの女はこれまた極上の美人(かとんでもないドブスの場合もたまにあるらしい)と相場は決まっている(えへへへ)。ちなみに、キース・リチャード(ストーンズのギタリスト)は、ニューヨークのスラム街を、ガードマンなしでうろつきまわり、強盗に襲われても、キースだと分かった強盗が「なんだあんたキースじゃないか?大ファンなんだぜ」と、当初の強盗という目的を忘れさせ(笑)、握手を求められたりするという。いい話だ。
もう昔の話だが、フィンドホーンをまだ知らない頃、TV神奈川だったか、放送大学番組があって、「新しい宗教的対話の場としてのフェミニズム」という番組を見ていた。というか、フェミニズムは現代思想の分野であるから、宗教的対話とかいう形で、神さんごとが関わってくるのはちょっと問題あるんじゃないかなあ?というような疑問をもちながら、興味深く拝見していた・・・。と、その時、
と窓の外の、クーラーの廃熱機?が設置してある2メートルぐらいのでっぱっているところに、自宅マンションの×階上のほうから、額に入れられ、ガラスで覆われている「絵」が落ちてきて、そのガラスが砕けちる音。窓を開けて、その絵を見ると、和風の童女の絵で、まごころがこもった、優しい雰囲気の素敵な絵だった。そして、その愛らしい女の子の両脇に「吉祥」、「如意」と書かれていたのだ。現代風に言い直せば、「神様の意に従い(如意)、幸福なこと(吉祥)が起こります」というような意味だろう。これだけでも十分な(というか、うるさいぐらい・笑)なシンクロニシティだが、さてさて、次章へ。
これも凄いぞ。なんと!!!、その絵を書いたのはこの日記のだいぶまえに書いた瞬間的+12、つまり恋に陥った「あの人」の母親だったのだ。見かけた人がみんな優しい気持ちに強制的に突入させられてしまうような素晴らしい霊気を発散しているおばあさん。こう書くと、「え?じゃ、君のいう、あの人って年はいくつなの?」と思うだろうけど、つまり、ずっと年上なのだが年齢を感じさせない溌剌とした人。当然、結婚されている。誤解なきように書いておくけど、僕が一方的に彼女に「恋」しただけであって、決して不倫のようなことになったわけではない、が、つまり、同じマンションの住人として、ご尊顔(笑)をときどき拝見できる程よい距離感。ああ、もちろん、あの人は僕が好きになってしまったことにすぐ気づいて、優しく諭すように「私のことが好きですか?・・・ごめんなさい。どうかあきらめてくださいね。私は夫のある身ですから・・・」とフられましたが、不思議と全然つらい感じが起きなくて、至って爽やかなぐらいだったのでご心配なく。ああ、すうちゃん、読んでくれてるかな?この人が2ちゃんでエリック・クラプトンの演奏曲を例にヒいて説明した、「体がぶるぶる震えだす」体験をさせてくれた人です。(注、2ちゃんを見てなかった人たちのために補足説明。このエリック・クラプトンなにがしは、クラプトンが演奏したブルース「Have You ever Loved A Woman」というタイトルの曲のことで、歌詞が「女を本当に愛したことがあるかい?体がぶるぶる震え出すんだ」というのがあるのです)。
「Hand in my Pocket」という曲がある。「片手をポケットに突っ込んで、もう片方の手で(いろんなこと)をするの」、という歌詞を繰り返して、最後に、「ポケットの中の手はいつだってピースサインなのよ」とキメる名曲だ。・・・いや、実は歌詞、英語を聞いて聞き取れるところだけで判断しているので、違うかも知れないが、とにかく、曲調のニュアンス的にもそういうセンスなはず。これはデビュー・アルバムの「ジャグド・ア・リトル・ピル」に入っている曲。まあヒッピー時代は堂々とピースサインを出していたわけだけど、それをポケットに隠しておくというのが現代的でカッコいい。しつこいけど、エディプス主体に向けてピースサインを見せても、批判されるだけだが(なにあまっちょろいこと言ってるんでえ、みたいな感じかしら?)、エディプス主体に向けては隠しておくという新しいウィットを感じる。全然見当違いの歌詞だったらごめんね。
以下のメッセージを削除するには、「設定」画面から「フッタ」を編集してください
ジョナー [http://now.ohah.net/setu/diary/20040707.html これって最高だわ。 ]
セトゥ [風邪の具合はどうですか?のんびりしてくださいね。Love, Setu ]