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さて
The Water Boysの反対位置に史上最低なButholeSurfers(ケツの穴サーファー達・・・)というバンドが当たるかも知れない。マイクスコットが神の息吹がかかっているような、と形容されるのならば、このバンドは糞尿の臭いが立ち込めているようなドグサレ根性というか、そこんとこに特異に「集中」して、新しい表現領域を開拓してたりする、困った連中だ。ドグサレっぷりにキレがあってイケるのがこれまた困ったものだ。このバンドのリーダーはREMのマイケル・スタイプを泣したりしてるが、泣かされるマイケルも情けないが、わざわざ泣かすなよオメーもよ、といった感じで、とりあえず、全CD買う気はないが、「認めざる」を得ない優れたロックバンドである。名前忘れたが、ドイツのヘヴィメタバンドでなんというか、フロイトの「タナトス」、死への衝動、のような感覚をモロに放出した嫌〜な感覚(例えていうと、黒板を引っかくキーッというような感じを延々続けているような、、こうして書くとなんだかヒステリックにカンだかい音質のように思われるかも知れないが、歪みきってて音が「甘く」なってるぐらいのヘヴィメタ)のバンドもいたな、そういや。一枚もCD買う気はないが、これもまた「認めざる」を得ない人類未踏の(音楽上の)感覚領域を開拓したスゴいバンドではある。なんか今日は嫌な話ばっかりだが、えーと、無責任に書き出してどう話をまとめたらいいものか大変な思いだが、なんだって、こんな「ネガティヴ」な表現を「優れた」とみなしてしまうかという問題だ。聞いてたら具合悪くなってきた(アホですな・だが続けてみる)。ちょっとお腹がすいて軽い眩暈がするのでご飯食べてきた。OK、調子良くなってきたぜ。今回取り上げたのは少し極端なので、話をもう少しかみくだいて、例えば、イマーノボスが好きだったパンク・バンドの二例をあげてみましょう。ひとつはトム・ロビンソン・バンド、もうひとつはコントーションズです。トムのほうがWaterboys系で、コントーションズのほうがケツの穴系です。トム・ロビンソンという人は誠実なパーソナリティで、「(アストラル照射系)義なるもの」系、コントーションズはグループ名Contortion(ひん曲げる)にもあるように「イカれ」系ですね。一見「正反対」のものに見えますが、「あるもの」に対してそれを超越した義なるものが在るアストラル界へとイくか、またはアンチの意を表するべく、根性をひん曲げてイカれるという意味では、それらはその「あるもの」に対しての異議を表明している相にあるということでは同じことになります。さて、もちろん、この「あるもの」とはエディプス主体のことです。では、逆にエディプス主体に違和感を持つことなく調和しちゃうタイプとはどのような人物像があるでしょうか。これは俗に言う「お役人」がその一パターンですし、まあ与えられた職務に疑問を持つことなく淡淡とこなすようなタイプ、こうして書くと、人畜無害なタイプのように思えますが、よく知られてきているように、こういう人たちが広島に原爆を落とし、ユダヤ人をガス室送りにするのになんの疑問を感じることなく、「職務に忠実」な行いのもとに極悪非道な行いをしているのです。「実直なお父さん」といったイメージですかね。少々堅苦しい感じの。猟奇的な事件を起こして「あんなに真面目な人が」というのもそのタイプであることも多々見受けられます。そういえば、イマーノビッグボスはタッペイ君が生まれて少したってから、「僕はイカれたお父さんになるのが理想ですから」と、「実直なお父さん像」を粉砕するような発言をしておられました(Wonderfull!)。
これは前にも書きましたが、古代や未開人が自らの心的特性としてもっていた「神なるもの」を喪失した現代人が、その内なる「神なるもの」の位置に別のもの、を布置してしまっているという状態における「別のもの」のことです。さて、これは近代的な無意識的な心的装置ですから、その「別のもの」は、行動規範を近代主義的な価値観に絡めとられています。まあ具体的に特定の人物を挙げて説明してみましょうか。キッチュこと松尾タカシ(貴志だっけな?)が、結婚前まではUFOとかのオカルト好きで、結婚して子供ができた途端、「子供たちをしっかりと育てなくては」という強迫観念に襲われ、UFOを代表とするようなオカルト的なるものを「封印」するようになり、「あーゆーのは子供たちにとっては危険な考えだ」とみなすようになりました。まあこの場合の「子供たちを世間に適応させるべく、オカしな考えかたをしないようにさせよう」と動く心理的主体がそのままエディプス主体と言っていいと思います。まさかキッチュもここでこんなこと書かれるとは思いだにしないでしょうが(笑)、とりあえず、エディプス主体の現われ方としての、「(未知なる)可能性を閉ざし」「世間に合わせる」一例でした。お話、わかり易いでしょうか?。とりあえず、エディプス主体がなんたらかたらと言ってるフェミニズム学者連中も、このぐらい話を噛み砕いて、みんなに分かりやすくするといいと思うんだが、なんでまたやたらと小難しい言い回しを多用するかね?。そのへんさもしい乞食根性(学問を専門領域に押し込めておいて、特権的に自らの利益を図るようなさ)を感じるのはわたしが僻んでるからですか。そうですか。まあことは内なる心理に発するものではあるから、瞑想をしないと見えてこないものでもあり、つまり自ら見出すような体験を経ることなくして、他の学者の専門文献読み漁って、それに影響されてああいう書き方になるんだろうけど。ほんと、こういうことは「ありのまま」、つまり、「偏見」という目の梁を取り除いて、判断するべく、瞑想しておかなくちゃだわ。
2ちゃんですうちゃんらと遊んでいた頃、よく言われたが、「本から読んだ知識を言ってるだけじゃないの?」みたいな言い方をときどきされたけど、全部が全部、「先に体験」してから、そのことを書いてある本見つけたり立て続けにシンクロ二シティが起きて驚いてたんだよな。最初はコリン・ウィルソン〜E・M・シオラン系の実存主義的暗黒時代も、そうだし、エクササイズに集中して、「意識状態って段階があるっ!」と気づいてから、ジョン・C・リリーの「意識の中心」読んで、そのままのことが載っててびっくりしたし、フィンドホーン系シンクロニシティが続いていた頃、エコロジーとフェミニズムが(と、あと舞踏か)凄く強い結びつきがあるらしいが、そういうことを他者に「ちゃんと」伝えるべく言い方を考えあぐねていた頃、いきなり入手できた北沢方邦教授の「知と宇宙の波動」にそのまんまのことがより精緻に書かれてあったり、ジョンじゃないけど、毎度のことながらECCO(宇宙暗号制御局)にはにわにわとりがいる。
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宇宙暗号制御局の者ですが何か?
世間=エディプス主体とは違うのれすか?エディプス主体は世間の裏側にあるのかな。
ぼくのブログ(http://www.starsofeast.com/saleem/archives/000382.html)で世間の研究書を紹介してるんですが、これらの本によると欧米では人間と神の関係の中に世間が存在してるようですねえ。それでこそのカトリックとプロテスタントの対立か・・・などとふといま思いました。
うん、世間とはイコールじゃないと思います。無意識下の「権威」のようなものかな?。いきなりな話だけど、近代理性の出自じたいがキリスト教の影響かららしい。・・・話題のスケールがデカすぎるぞ?(笑)。
お〜、その話くわしく聞きたい!
というのもくだんの本はヨーロッパでの「個人」の出現はキリスト教の影響が深くかかわっているといい、例として懺悔や民間信仰の排除の話がのっていたのです。
罪を犯すのは個人でしかありえないとして自己に意識を向けるのがキリストのメソッドだったのかな。ふるいけや だいくとびこむ みずのおと ぽちゃ・・・ で、こんなところにまで波紋が来てるなんて、侮れませんな(笑)
この世的な実在を持たないキリスト教の神は、だんだんと拘束力を失っていって、それが西洋での発達にとって重要だったんじゃないかと思います。
日本ではいまだに「世間様」だけど、これってソクラテスだかが集合無意識か何かを、でっかい獣のたとえを使って説明してたのと同じだよね。
エディプス主体についてももっと読みたいなぁ〜。
いやあ、いつになったら書き出せるか分かんないけど、とりあえず、瞑想やヨーガ等に凝っていた頃、超自我が消えうせる体験があってさ、そのときに超自我とほぼイコールだと思われるエディプス主体の在り方が客観的に見えたという感じ?それに囚われることがなくなった自己再生の感覚みたいなのがあるんさ。ああ、その意味では世間と意味が近いな。俺、世間体がどうでも良くなっちゃってるもの。
・・・で、超自我ってなに?(笑)
集合的な自我ってことでしょうか。
だとしたら世間との共通項は多いと思われ。
超自我っつーのは無意識下の「権威」(って無限ループかYo!)。まあ神なき時代の父、母、子の関係性に起こるもので、一対のカップルでしか結婚が認められない近代の家族制度を支える基本的なナニではあるから、集合的な(もしくは普遍的な)ことになってるけどね。メビウスの輪状で混乱するけど、神なき近代理性じたいが神を信じるキリスト教を出自とするから、まあ、ここからは構造主義の出番で、古代や未開人たちの豊穣な宇宙観にかけた(西欧的な)近代理性そのものに疑念を提示しているのが構造主義なわけです。まあ「機能主義」と言い換えたほうが分かりやすいかも。と書いて、構造主義者たちに批判の矢面に立たされるテスト(・・・)
いや〜、大体わかったっす。あとは構造主義だな(笑)
あと、「超自我」ってどういう体系の用語ですか?
超自我が消えうせるのを目撃していた、禅でよく問題になるような意識は、なんと呼ばれているんでしょう。
ああ、それはフロイトの心理学用語。エスとかイドとかのやつ。禅のほうはあまり詳しくないからわからないな。そういや、超自我らしきものがなくなる「見性」を禅でなんと言うんだろう?。
いやぁ〜、むずかしい話をしてますね〜〜。
さっぱりおつむに吸収できないんですが。音楽のことまではよかったんだけど。
The Water Boys探して聴いてみますねい♪
さて、ここでまことに突飛な質問を。
あたし最近、ほんとにマルチオーガ二ズム(って言ったっけ?)状態で、1回の「セッション」でカウントできないほどになってるんですが、
これって、第1チャクラとなんか関係あります?
mixiのコミュでこんな発言すると、なんかあとあと怖いなと思えてきて、
お門違い?と疑念にかられつつ、とりあえず投げてみます。えいっ!!
オショウは「マルチプル・オーガズム」って呼んでましたが、何か?
ああっ、それです、それです。マルチプル・オーガ二ズムですね!
で、第1チャクラとの関係についてもオショーさんは見解を出されておられるのですね???
はい、じゃあ、読んでみます。
いろいろとお世話になりますね〜、セトゥさん。
>mixiのコミュでこんな発言すると、なんかあとあと怖いなと思えてきて
などと自分で書いておきながら、やっぱり「性」についてもっとおおっぴらに語り合いたい!という欲求に負けて、日記にちょこっと書きました。
たぶんおおかたの人々は呆れてしまうんだろなあ。
なんだろう?マルチプルオーガニズムって。ぜひ体験してみたいな。全身にオーガニズムの波が脈打つようにクるのとは違うの?あれは爽快だったなあ(ゴブサタな俺・笑)。
オーガ二ズム じゃなくて オーガズム です。一度だけ二回続けていった事ありますが、驚きました。数十秒くらいだったかな?の間があいていました。男性はマルチプル・オーガズムはないって聞いてます。
オショウの話では、オーガズムが人間が宗教を作ったきっかけの一つだって言っています。これは何だろう?って所からそれを追いかけて言ったって話をしていた。
マルチプル・オーガズムの話では、女の子は男の子と違ってマルチプル・オーガズムを得られるので男の子達は女の子を大事にしなさいって言ってました。(「おまいら、勝手に行って、背中を向けて寝たりすんなよ」って言ってたかな?)。
第一チャクラとの関係は覚えてないです。
あははは、おっかしい!
あたしよくやるんです。とんだ勘違いヤローなんです。女だけど。
オーガ二ズム。たぶん、「オーガ二ック」とかき混ぜちゃったんすよ。や〜、失礼しました。
話振っといてナンだけど、禅の用語なんてしらーん(笑)
見性というと一般的には思考のない純粋な状態への一瞥かな??
超自我って集合無意識とほぼ同義か不可分のように思えるので、「見性」時にはきっと消えるかも。消えるっていうかフォーカスが移るだけなんだろうけど。
男のマルチプル・オーガズムは「マルチ・オーガズミック・マン」っていうタオイスト・タントラの読みやすい本があるよ。訳書は出てないと思うけどボランティアの翻訳があった: http://www.geocities.co.jp/Beautycare-Venus/3214/multi.htm
基本的には第一チャクラ周辺の筋肉を鍛えて射精を制御するようです。あとは深くゆったりした呼吸(これはオショーも言ってたね)。射精は脊髄反応だけどオーガズムはエネルギーの上昇によって起こるんだそうな。
あと女性のオーガズムはクリトリス、Gスポット、もっと奥、と3種類ぐらいはあるようです。男でも単なる射精とオーガズムは違うと思われ。
こんにちは〜。mixiから来ました。
あっちこっち日記を読ませてもらっています。瞑想、フェミニズム、エコロジー、わたしも関心あることばかりですが書き方が全然違う。すごいですね。脱エディプス主体的文体?さいきん自分の中の階層化された自己について考え直していて、それがジョナーさんの話と重なってました。タテに階層化された自己(フロイトでいうと超自我、自我、無意識でしたっけ?)を横並びに見ようと試みています。「世間」の発動って、人に嫌われたくないという怖れとか、愛されたいというナルシスティックな欲望に裏打ちされてますよね?そういう意味では自我そのものだと思うのです。タテのように仮定されている関係を横並びにしてみたら、自分の中にいろんなキャラクターが見えるように思います。世間を意識する真面目な子(近代主義的)と、ま〜ええんちゃう好きにやるしっていう創造的な子(シンクロニシティを呼び込むのが得意技)がいて、あとはその二人の顔色を疑いながら、衝動的にどっちかの身方について行動に移す子もいるな〜と(わたしのなかではこの「衝動性」が乗り越えるべき課題のようですが)。こういうタテからヨコへの変化って、ジョナーさんのいう超自我の消失とは話が違いますか?
いやあ、感覚的なことを言葉にして書いているだけなので、タテのものをヨコ(笑)にするという解釈はまだしてなかったなあ。おそらくは「タテ」、つまり一元的な支配階層構造を支えているのが超自我(この言い方だとフロイト言うところの無意識でもあてはまるけど)で、僕の中のイメージでは、ヨコにするというより、多次元化していく?(まあそれがchi*さんのいうヨコということなのかな?)、なんというのか軽やかにポリフォニックな(超自我から解き放たれた)自由な意味主体生成の歓び?の復権、のような感じがあるなあ。
修行するぞ!(爆)
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