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とは今まで存在しなかったものを存在せしめること。
という保守論壇系の東大教授がいる。たまにTVにも出てるのでご存知の方もいると思うが、こいつ最低なんですよ?「若者がロックなんていうバケツをけっとばしたような騒音音楽を好むのはそれが流行ものだとありがたがっているからである」とヌかしやがりました。ナショナリストってどうしてこういう発想しかできないかな。そういや、ロック好きのナショナリストっつーのはあまり聞かないな。そのへんになにかありそうだ。くんくん。
と歌ったのはわれらがイマーノビッグボスだが、はっきり言えばその低能なガキとは尾崎×である。故人をケナすのもあまり気持ちのいいことではないが、尾×豊を「低能なガキ」と言い切り、なおかつ、その低能なガキを金儲けのために利用したまわりの連中への批判も同時に、このワンフレーズで歌いきったキヨシローの卓越したセンスは最高でしたね。×崎豊の遠からずの死因も、まわりの連中が金儲けのために利用したところにあるように思う。ああそういや、オウム真理教も尾崎×を信者勧誘に利用してたな。ちょっと吐き気がしてきた。RCにつぐジャパニーズロックバンド、ブルーハーツも解散の原因はベースが「幸福の科学」に入ったことだろう。そういやブルーハーツのファンクラブ会長がオウムの信者になったということもあったな。そりゃあ解散したくもなるよな。
というのが日本にもある。良くわからないままに批判する。街宣運動なんかで街宣車のうえで「みんな同じ」踊りをやっていたのがあった。これでダメだと思いましたね。まあ私、例のナショコミュ、仕事しながらチェックして、ほっとくとナショナリズム優勢になるので反論入れて鎮めてましたが、正直、コミュ参加者にもナショナリズム反対派はたくさんいるはずなのに、「発言」してくれないのが(いやたまにフォローしてくれたけど、ありがとうございます)なんか特有の雰囲気、まあナショナリズムにまつわる悪い印象、「暴力的」だから、怖くて発言をはばかるというのを感じた。まあとにかく、そこでのチェックと仕事の並立でバテバテなので機嫌が悪いのだっ!機嫌が悪くてもいいのだっ!その不機嫌な勢いでもしかすると「お仲間」なのかも知れないが、日本緑の党が嫌いだといっておく。政治思想とか関係ないもんね。「同じ踊り」してる時点でもうダメだと決めつけるもんね。グーグルやヤフーで検索、ほとんど1ページ目にのってても全然気にしないもんね。軟体ナントカで毎日くるかたご苦労さんだもんね。
とか書いてみる。某掲示板で遊んでて、「その覚醒境とやらを言ってみろよ」と煽られたので冗談半分に(つまり半分は本気だっ!)で書き込んだのに「木々が話しかけてくるのが聞こえてきます」と答えたことがある。「精神病スレいっとくれ」と返されたが(笑)、V・E・フランクルの「夜と霧」から、
・・・私自身もたとえばこの目でみた強制収容所におけるある一人の若い女性の死を思い出すのである。その話は単純であり、多く語るを要しないのであるが、それにも拘わらずまるで創作されたように詩的な響きを持っているように思われる。(注、つまりヒルベルト空間に開かれた認識があるということかも知れない)。
この若い女性は自分が近いうちに死ぬであろうことを知っていた。それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。「私をこんな目に遭わしてくれた運命に感謝しますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。「なぜかと言いますと、以前のブルジョア生活で私はあまやかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを追ってはいなかったからですの。」その最後に日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹はひとりぼっちの私のただ一つのお友達ですの。」と彼女はいい、バラックの窓の外をみるとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた一本の緑の枝を見ることができた。「この樹とよくお話をしますの。」と彼女は言った。私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が分からなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているのだろうか?不思議に思って私は彼女に聞いた。「樹はあなたに何か返事をしましたか?−−しましたって!−−では何て樹は言ったのですか?」彼女は答えた。「あの樹はこう申しましたの。私はここにいるーー私はーーここにーーいる。私はいるのだ。永遠の命だ・・・・・・。」
「イマーノ」「エコロジー」「エディプス主体」・・・(略)、なんだかな、という気がしないでもない。俺ってそんなごたいそうなこと考えてんだ?とか。ああまた、例によって「自分をバカっぽくアタマの軽そうな人に見せておこう」みたいな悪い癖がでてきてる気がするが、さりとて、頭のたいへんお良よろしそうな重厚そうな人間なんかには全然なる気がしないし、自然にそういうことに興味があるだけの話だからしょうがないか。まあ確かパスカルかったか、「人間は天使でも悪魔でもない、しかし、天使として振舞おうとすれば悪魔になる」というトコロからはハズれていられているはずなのでいいとするか。いやまあ全然関係ないけど、mixiのコミュうろついて、「なんかこいつ卑怯だな?」と感じさせる人って、からかうと必ずといっていいほど、国語辞典とか辞書を引用してくるのはなぜ?。やっぱりなんか「大きな権威」に無意識的に従おうというような心理からなのかしら?。まあ3、4人だからすべてがそうだとは言わないが、とりあえず、僕の中では「辞書とか引用してくる人はちょっとかわいそうな人」という結論がでている。そういえば、人がたやすく権威に従ってしまう衝撃的な実験をしたのはミルグラム博士の例のアレ(なんつったっけ?)があるが、こういう人たちは平気で電圧上げちゃうタイプなんだろうな。またしても話を飛ばすが(昨日から寝てまへん)、一時、ぐっもあさんの日記で「Dさんキレが良すぎて怖い」みたいな(笑)話になってたけど、彼はそれを超えるユーモアのセンスあってちょっと並外れた優れた人物ですよ?とか、なんか俺余計なこと言ってるかな。まあいいか。
が、フロイト自身が発見した当時の解釈でなんだかイラショナル(不または非合理)なものを押し込めておくまがまがしいホラー小屋じみたシロモノであるとされたのは、「誤解」であり、無意識のほうは整然としたものとしてある。これはつまり、意識と無意識の乖離の隙間にイラショナルなものが互いの「落差」上に現われているという構造を持つ。つまり、理性そのものは無意識と一体化しないところで有象無象のイラショナルなものを「起こして」しまうわけで、この場合、イラショナルなものは無意識と理性の間に吹きだまってしまうというのは、「(近代)理性」の側が「あまりあてになんないよね」なものであること意味する。なんか味気ない文章でワザと書いておいたが、これは色々と物事を解釈することへの大きなヒントになるだろうな、と思い書いてみまちた。例がたくさんありすぎて書ききれないのでひとまず筆を置く。
はあはあ。「現代思想」「ポストモダン」「ナショナリズム」「フェミニズム」「戦争反対」その他コミュをいったりきたりの毎日である。というか、各コミュで「発言」できるほどオノレはお勉強したと言えるんかいという気がしないでもないが、これもまた自然に書き込んでしまうのでよしとする。ご覧のとおり、俺は神秘主義者(ないしはアナーキーなまでの寛容主義者)だから、各コミュの学術系の論者に迷惑かなという気もしなくはないが、それぞれのコミュの共通した基本テーゼが近代の行き詰まりの「打破」にありそうなのでそれほどマト違いなことを言ってるわけでもなさそうだ。あ、新しくマイミクになってくださった方々ありがとうございます。
さてと、SG会というカルトがある。残念なことにこのカルトにて、池田チェンチェーが、かのエコフェミ提唱者(じゃないみたいだな)、ヘイゼル・ヘンダーソンを学会誌だかなんだかで対談とか持ち上げたりとか、しているのを発見。ダメじゃんそれ。どうりで、ヘイゼル・ヘンダーソンの名が最近のエコフェミ関係の本読んでも出てこないわけだ。ヘイゼル女史、湾岸戦争をアメリカ経済の立て直しになったと誉めてたらしいし。(2月27日、訂正、すみません、ヘイゼル女史のその言説は皮肉だったらしいです。つまり、戦争は結局のところ一部のエリートたちの金儲けのためにやっているのだと言う意味ですね)まあゴルビー(ゴルバチョフ元ソ連大統領)がチェンチェーと対談してたりとか、「金」にもの言わせて、世界的著名人らと対談の場を設ける池田チェンチェーはノーベル平和賞が欲しいらしいんですが、「無理」に決まってんだろ?バーカ。なんでこういう連中ってそういう判断力ないのかな。神崎議員も大変だな(嘲笑)。まあオウムも選挙運動やって誰も当選できず、不正選挙だとか文句つけてたのもあったな。「ハァ?」としか言いようがないっす。
というのは、池田チェンチェーが元いた宗教団体だ。当然、そこから独立したSG会と宗教論争が沸き起こっており、まあこてんぱんにノされている(SG会が)。ちょっと縁があって、日蓮宗のお寺にいって、念仏を唱えさせられたことがあったが、「これってホロトロピック・ブリージングじゃん」と気づいた(というか予想していたのが当たった)。30分だか45分だったか、延々と「大きな声」でお経を唱える、つまり深呼吸の繰り返しが行われ、その上声帯をフルに機能させるという効果は、歌手の人は良く知ってるであろう、陽性の神経系をオンにする結果、晴れ晴れとしたすがすがしい気持ちになる。これは毎朝通っている人には薬効(?)あらたかなものではあって、俺は先にそういうのやっちゃってたから分析できる、つまり、客観的に観てしまい、「宗教」としては取り込まれることはないが、そういうのが分からなかったら、感動したかも知れない。まあここは悪くはないみたいだな。説教をしていたお坊さんにはエゴが感じられなかったし、逆に爽やかな(笑)マイナスイオンさえ感じましたもの。
などと、マリファナと覚醒剤でトんでます、と歌ったのはジュリアン・コープだが、基本的にこの人はLSDでトんでる曲ばかり作っている。ある音楽評論家いわく「LSDで脳が溶けてる」そうだ。さて、個人的にも愛聴しているアーティストだが、実は純音楽的な才能はそれほどズバ抜けているとは思っていない。があっ!ある観点から聞くとこれほどズバ抜けたアーティストもなかなかいない。どういう観点かというと、「エディプス主体がない」という観点。さて、まあそのエディプス主体が「ない」状態を、ロシアの神秘主義者、グルジェフの弟子のキャサリン・リョリダン・スピースいわく「超自我の消失」と説明し、人がその人自身であること、を本当に成し遂げた状態としている。もちろん、グルジェフの時代にはLSDはなく、様々なエクササイズによって変容した個人が見出す、ある種の覚醒境の1つなのだが、そんな話はともかくとして、このジュリアン・コープは、それらと同時に「peggy suicide」という、エコフェミ(!)をテーマとしたアルバムを出したのだ。このエディプス主体の消失と伴ってエコロジーやフェミニズムへのシンパシーが起こる「(意識の)状態」はいったいなんなんだろうと強く思わざるを得ない。というか、誰もそういうこと言わないなあ・・・。超意識?とかやらにチューニングしたとか?まあそんなわけのわからないニューエイジ的な言説を抜きにしても、ジュリアン・コープの良さは「エディプス主体が抜けきっちゃったところ」にあり、たとえ、それがLSDのおかげだったとしても、個人的には高く評価しておきたい。ああ、すっきり抜けてて気持ちいい音楽だ。ちなみに、我がマイク・スコットも、同世代のアーティストとしてジュリアン・コープを高くかっている。別に字づらが似ているからではないが(笑)、ジュリア・クリステヴァという現代フランス思想の記号論マルクス主義フェミニストの言説でそれ(エディプス主体の消失)を見事に形容したのがあるが、いま、手元にないなあ。見つかったら書きます。

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D [>ある意味のフィールド →ある意味で自分のフィールド外でも]
ジョナー [へえ、そうなんだ。イ○カワさんもDさんも認めるとなるとちゃんと読まなきゃ(実は全然読んでなく、あの発言だけでキめつけ..]
chi* [こんちはっ! グーグルで検索しようとして、イマワノキヨシローの名前がきちんと変換されないので、仕方ないから「イマー..]