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2007|03|12|
2008|04|
この日記も新年ですね。
いや、遅すぎるけど。
三が日過ぎてるけど。
しょっちゅう覗いて下さる方、大目に見て下さい。
お正月やら年末やらというのは
やはり日本人にとってはちょっとしたイベントなのだろう。
私が暮らすこの土地では結構急激に人が減る。
そして空港と駅と大きな神社と中心地だけが混み合う。
それでもって、新年会だ飲み会だののお誘いが息つく間もなくやってくる。
ところが、私はあまりイベント事に乗らない性質である。
クリスマスもバレンタインも関係なく生活するタイプである。
なので『只今完全休業中』の看板を掲げて平常心で年末年始を過ごしていた。
それじゃあつまらないだろう
という声が一部からあがったりしたのであるが
それはそれで非常に面白いものである。
何が面白いって自分が観察者になれる点。
どのように面白かったかは内緒。
平常心もそう悪いものではないのです。
JAZZ関連で検索をしてみる。
キーワードはルー・ドナルドソンだ。
久しぶりに検索してみて驚いた。
ネットを始めるきっかけはJAZZだった。
あまりに周囲の情報量が少なかったから。
そして、いざネットを始めてみても
お目当ての一つであるルー・ドナルドソンの情報は決して多くはなかった。
あれから4年くらい経つのだろうか。
たった4年の間に検索結果が非常に増えていた。
しかも、ショップ関係ではなく個人のHPのレビューが。
某JAZZチャットにお邪魔して長くJAZZを聴いている方々に
ルー氏の事を聞いたりすると半分以上の方が
『あんな色物は聴いちゃいけない』
『あんなもんはJAZZじゃない』
と一刀両断にされたものである。
JAZZかどうかじゃなくて好きか嫌いかの話じゃん。
と思いながらも少々がっくりしつつ検索を重ねていたあの頃。
そして、長くJAZZを聴いている方のHPを見つけて覗いてみると
大抵酷くこきおろされているルー氏関連の記事ばかりに当っていた。
余程、自分でルー氏関連のHPでも立ち上げようかと思うくらいに
えらい事けなされまくっていたのである。
もちろん、今日の検索結果の中にも酷く書かれている記事はあるのだが
『いいじゃん。誰がどう言おうと好きなのよ』
という記事が意外にも増えていた。
評論家達が書く記事を読んで敬遠していた人や
名盤100選みたいな本にあがっていないからと聴かなかった人が
意外にも好意的なレビューを書いていたりする。
好き嫌いを言うのは自由。
自分にとってどうのこうのと語るのも自由。
だけどね、否定的感情を押し付けるのはやめて下さいよ。
私がどんなアーティストを好きでいたって
別に誰にも迷惑はかからないんだからさ。
と私は未だに思うのだけれど
案外同じような事を思って彼の作品を聴いてる人もいたのかもしれない。
一人暮らしになる。
仕事の関係で隣県に暮らす父のところに
思い立ったように母が長期で出かけて行くからだ。
長いときは数ヶ月になるだろうか。
その間、私は全くの一人暮らしとなる。
もちろん、生活費は家賃以外全額自分持ちだ。
母がいる時は甘えさせて貰っているので
金銭的な面では結構厳しい時もあるが
それ以外の部分では全く支障がない。
これも『自分の事は自分でやりなさい』
『自分の面倒も見れないで一人前の事を言うな』
『自分の身の回りの事や生活する上で必要不可欠な事も出来ないで自立出来ると思うな』
と今思えば幼児には少々キツ過ぎませんか
と問いたくなるような教育をし続けてくれた両親のお陰である。
よって私は母が居ようが居まいが当たり前に日常を過ごす。
一人でいる、と友人知人が知ると
時々凄く心配される。
それは私が体調を崩している時なのだけれど。
しかし、幼少期から一人で寝込んで
そして自力で治す事に慣れているので不自由はない。
もちろんあまり熱が高い時なんかは多少不自由するし
これはヤバイかなってくらいの時には
ちょっとだけ心細くなったりはするのだけれど。
しかし、しょうがないのである。
何故なら、母はずっと父に恋をしている人だから。
人様の恋路を邪魔すると馬に蹴られて死亡するそうだし。
彼女を見ていていつも思うのだけれど
彼女は父を家族として愛する部分も持ちながら
一人の男性としての父にずっと恋をしているのだ。
父と喧嘩をすると、まるで十代の女の子のようにふくれながら
彼がこんな事を言っただの
これって酷いと思うのだのと
愚痴りながらも最後には惚気始める。
父が体調を崩したとか怪我をしたと聞くと
『なんで気をつけないのよ』とぶつぶつ言いながらも
一人娘の私が高熱を出していようと父のところに迷わず飛んで行く。
父は娘の私から見ても年齢の割りにグッドルッキングな方だ。
父に恋をしている母から見れば尚更格好良く見えるようで
こんなスーツを買ったのだけどそれが凄く似合うの。
ネクタイを選ぶセンスがいいと思うの。
と嬉しそうに話し始める。
こんな事言って子供みたいなの。
あの人ったら我儘で。
でも外では全然紳士で大人なのよね。
威張ってるけど甘ったれだし。
私が注意しても全然聞く耳持たないどころか
自分の事正当化しようとして
私を論破しようとするんだから。
貴方はこういうところを自覚してないでしょって言うとね
それは君の思い込みだとか言って相手にしないの。
外ではあんなに物分りがいいし、聞き上手なのに。
それは貴女の前だから見せる顔なのでしょう。
血の繋がった娘の私だってそんな所は見た事ありませんよ。
そう正直に言うと
困ったような怒ったような
だけど照れくさそうな嬉しそうな顔で
それはそうかもしれないけど
と言いながら結局はにやけている。
こういう母を見て非常に可愛いなと思う。
還暦を過ぎても彼女はちゃんと現役の女なのである。
三十年以上一緒にいる父に未だにどきどきしてるなんて
ある意味妻の鑑ではなかろうか。
父は母ほど正直ではない。
おまけに自覚は全くないが相当な関白亭主だ。
昭和生まれの癖に明治の男だな、なんてこっそり母と言い合ってるくらいに。
時にはまるで何処かのお殿様のように
『よきにはからえ』とばかりに威張って座っている。
そして父は、ストレートアヘッドな愛情表現が物凄く下手だ。
悪態を吐いたり、シニカルな物言いをしたり
外では先ず見せない顔を見せたり
自覚の伴わない我儘や甘えや自分勝手をしたりする事で
愛情表現をする人だ。
そんなふうだから母は未だに不安になったり心細くなったりするらしい。
恋愛真っ最中の女の子のように
『あの人私の事どうでもいいのかな』
『必要じゃないならそう言えばいいのに』
と私の前でこっそり半べそをかいたりしている。
あくまで第三者である私から見れば、あの父がそこまでするんだから
なんだかんだ言いつつ彼女の事がとても好きなのだろうな、と思う。
未だにこっそりヤキモチを妬いてる事を私は見抜いてるし。
実年齢よりもかなり若く見える母は
他所の旦那さんや仕事関係の男性から
ちょこっと誉められたりする事があるのだが
それが父の耳に入ると途端にシニカルさが100倍以上になったり
無関心な態度をとったりし始めるのである。
そういう訳で彼と彼女は今もちゃんと恋愛しているのである。
娘は遠距離恋愛中。
会いたい時にすぐに会える訳ではない身の上。
相手が風邪で寝込んでもそうそう飛んでは行けない身の上。
よって中距離恋愛中の両親の邪魔はしないのである。
これもちょっとした親孝行ってとこだろうか。
この調子で最期の瞬間までちょっとした親孝行は続けよう。
もっと稼げるようになったら二度目のHoneymoonをプレゼントしたりしつつね。
随分と疎遠になっていた友人から年賀状が届いた。
その中に『日記を楽しみにしている』という文章があって
はて、と首を傾げた。
何故なら、疎遠も疎遠、この日記を始める前から彼女とは
殆ど全く連絡を取り合わないようになっていたからだ。
別に喧嘩をしたとかいう訳じゃなく
互いのベクトルが変わっただけだったのだと思う。
よってウェブ上で日記を書いているという話を
彼女にした覚えが全くなく
けれど、もしかして手紙でも書いて報せたのかしら?とも思い
しかしながら、どうにもそんな記憶はなく
なんだかすっきりしないわって事で悪友に連絡をとったついでに聞いてみた。
結果は悪友から伝わったとの事だった。
自分の記憶力がそこまで退化したのだろうかと
正直少々ビビっていたりしたのだ。
そこからなんとなく、この日記の話題になった。
昔は毎日欠かさず更新されてて驚いたが
今では更新されてると驚く
というお言葉を頂戴してしまった。
他にもあちこちお知り合いやら友人やらから
『なんで更新しないの』
というお声があがっていたりする。
なんでだろうね。
なんとなく。
割と時間がもっと欲しいって生活してるから。
ウェブ上に書きたいって事がないのよね。
書きたい事はあるんだけどR指定な事とかだと書けないのよね。
これは全部本当の理由だ。
けれど、今日になって今まで気づかなかった理由に気づいた。
理由というとなんだか理屈をくっつけてるようで居心地が悪いので
要素という程度にしておこう。
ある事がきっかけで自分の手で文章を綴る習慣がついたからだ。
長らく放置してある画材の中から色鉛筆を引っ張り出して
絵を描いていた頃と同じように自分の手で削り
その鉛筆でノートに文章を綴る。
画材用の色鉛筆で文章を綴るのは結構贅沢なのだけれど。
ただ、誰に見られる訳でもなく
HNなんて匿名性の高いものを用いる事もなく
無制限に吐き出す事が出来る。
つまりR指定だろうとなんだろうと構わないのである。
面白い事に自分の手を使って鉛筆を削り
自分の手で鉛筆を握って文章を綴っていると
もう長い間思い出す事もなかった事を思い出したり
記憶の引き出しに放り込みっぱなしになっていた事の意味に気づいたりする。
そこになんの意味があるのかは分からないし
意味があるのかどうかすら分からないのだけれど。
ただ、なんとなく必要だからそうなってるんだろうね、としか思わない。
昇華されていないものにも頻繁に出くわす事が出来る。
そして自分がどんな風にどんなスピードで進んできたのかも分かってくる。
なるほど、だから私は描かなくなったし描けなくなったんだな、と昨日やっと気づいた。
元々、あまりゆっくりと進む人間ではなかった。
常に全力疾走してないと気が済まなかったのだ。
けれど本人には全力疾走の自覚が全くなく
それが常態であると認識していたのだ。
私は唯の人間である。
超人的な体力も人ではないもののような精神力も持ち合わせていない。
つまり休む時は休まないと倒れる生物。
ところが休む事も休み方も知らずにいたものだから
自分が疲労しきっている事に気づかずに走るうちに
描く事も書く事も出来なくなったのだろう。
高速での移動は視界を狭め
スピードが上がり続ければいつかブラックアウトするものなのだろう。
描き易いように鉛筆を削るというのは案外集中力がいるものだったりする。
集中力を使えば疲労する。
つまりその程度の集中力すら注げなくなっていたのだろう。
そしてそんな事をしてるうちに描く事も書く事も忘れてしまったのだろう。
そう思うと、それを思い出す為の手助けをしてくれたのはこのウェブ上の日記だったのかもしれない。
ここに呼んで下さった方に改めて感謝の意を捧げたくなる。
楽しみにしていると言って下さる一部の方々には申し訳ないのだけれど
この日記は今後も不定期更新のままだと思う。
自分の手で道具を整えて自分の手で書くという
とてもリアルな事が私には必要であり楽しい事だったりするのだ。
だからといって、ウェブ上で綴る文章が仮想世界のものである訳じゃないけれどね。
今は不特定多数へのアウトプットより
自分自身との対峙の方が必要な時だと思ってやって頂ければ幸い。
別に悩んでいる訳でもないし
落ち込んでいる訳でもないのでご心配なく。
ただ、ここには書けない事もあるだけだ、って思って頂きたい。
境界線上にいる今は自分がどう進んできたのかを知りつつ
これからどう舵を取っていくかに集中したいだけ。
何やってんのか気になるよって方は私信を下さい。
タイムラグはあっても必ず返信致します。
出来る事というのはあるのだなと実感。
愛する最強の悪友の来訪によって尚更実感。
兎と過ごした時間を思い出し尚の事実感。
悪友と過ごす為に数時間の時を捻出する事に努力はあっても苦はない。
それどころか、まだ足りてないよな、と思うくらいだ。
悪友に自分が気に入って使用しているものと同じものの新品を
『持っていきなよ』と差し出す事は当たり前の事でしかない。
代償や対価なんか少しも欲しくはない。
それどころか『わぁい♪』と笑ってくれる彼女に感謝するくらいだ。
兎にご飯を作るのは面倒臭くもなんともない。
その日何件心身を使うなんちゃって仕事をこなして疲労していようが
その疲労を感じる部分とは別のところからエネルギーが湧くし
逆に兎にご飯を作る事でエネルギーチャージをしていたりする。
兎や悪友に身体を触られても全く不快に思う事はないし
逆にこうして触れ合う事が自然な関係に感謝して幸福になるくらいだ。
ああ、こういう事を挙げていったらきりがないな。
時間や労力、そして感情や心を注ぐにも
語弊がある表現だけれどレベルがあるのかもしれない。
大切に思う人に対しては意識せずに
また、一生懸命に
苦に思う事なく
そして少々努力したりもしながら
あくまで自分の意思で自分や自分と相手の為に出来るのに
対象が変わると決して同じようにはいかない。
大切な人に対してしている時には当たり前の事をするような気持ちでいるのに
そして愛情を注いだり伝えたりする気持ちでいるのに
そこまでの気持ちがない相手には決してそうではなかったりするのだなと実感。
別に恩を着せるような気持ちではないのだけれど。
顔にも口にも感情は出さずあくまでにこやかに接してはいるんだけど。
感情をそこに表さないというのが一番の違いかもしれない。
にこやかでありつつも何処か無関心と言ってもおかしくないスタンスであるところも
大きな違いかもしれない。
親しき仲にも礼儀あり、なんて言葉がある。
確かにそう。
だけど、礼儀云々じゃないレベルで早々にボーダーラインを設定し
こちらも踏み込まない代わりにあちらにも踏み込ませない自分がいる。
親しいからこそではない一線をしっかりと引いている自分がいる。
全然間違っているとは思わない。
だけど、大切な人だからこそ出来る事
大切な人だからこそ苦に思わない事って意識せずともあるのだなと
なんとなく実感させられただけだ。
お陰で兎から逆に問いかけられた事の意味が少し分かった気がする。
必要な事ってほんとにちゃんと目の前に流れてくるのね。
厚着が嫌いで着込まない。
風邪ひくぞと言われても着込まない。
だってこの土地のこの寒さだったら死なないから平気。
怪我しても大騒ぎしない。
縫って貰いなと言われても医者には行かない。
だってこの程度の怪我だったら自分で治せるし死なないから平気。
それを聞いた人が時々言うのは
『もう若くないんだから』
『無理してんじゃないの?』
なんて一言だ。
若いか若くないかじゃなくって
しなくてもいい嫌いな事はしたくない。
無理してるんじゃないか、って簡単に治せるものを病院に行く方が私には無理。
乱暴な物言いであると笑ってくれた友人に言った事。
生きてればなんとでもなる。
生きてる事が基本。
自分が生き易いようにするのが基本。
自分の生活が大事。
自分の在り方が大事。
それがベース。
そうやって生きてる。
生きてる事が先ず大事。
自分の生活のベースを大切にする事が先ず大事。
曲げなくてもいい事を曲げて人の言う通りにするのなんて嫌いだよ。
leelaらしいとまた笑った。
と言ったら繊細な女子には怒られる。
考えてもただただ辛いだけの事なら
いつまでも考えてても辛くなるだけ。
とりあえず寝て休んで問題と向き合えるようになった方がいいんじゃない?
と柔らかい言い方を何度もしてきたけれど
百万回言っても通じないから『寝れば治る』と言ってみた。
だけどこれは案外本当だと個人的には思う。
生きてくのに必要な睡眠とか食事とか運動とかって
まともにやれば身体にだけじゃなく気持ちにもきっちり作用してくれる。
お腹ぺこぺこで泣いてる人に
ご飯を差し出したら意外と食べてくれて
お腹がくちくなったらちょっと笑うようになったり
一睡もしないで泣き続けてる人をお日様に当てたお布団に寝かせて
ゆっくりゆっくり話し掛けながら背中をとんとんしてると
結構そのまま長時間眠っちゃったりして。
そういう基本的な事が通用しなくなっちゃうまで自分を放置しないで
毎日毎日自分を可愛がって欲しいよな、と傍観者の私は思う。
あらぬ時間に鳴り響く。
何事かと思ったら母からで
『今からパパ(=leela父)と一緒にちょっとそっちに行くから。
イヤかもしれないけどー。』
との事。
イヤも何も私はもう
『お父さんのパンツとあたしの下着一緒に洗わないでよっ!』
などと叫ぶ思春期の娘さんではないのだから
父親に会いたくないなんて事はない。
ついでに父と顔を合わせられないようなうしろめたい事もない。
父と会うのはお盆過ぎ以来、母と会うのは一月ちょっとぶり。
しかし娘はあっさりした娘である為
とりあえず2人元気で楽しんでればいいではないか
と思っているので『おかえり』と言うだけである。
父は喜んで欲しそうであったが。
一つ感心した事がある。
父は何時会っても洒落た格好をしている。
相変らずネクタイの趣味もいいし、きちんとオーダーで仕立てて
自分の身体にきちんと合ったスーツを着ている。
一応フレグランスなんかも纏っている。
そんなふうだから『leelaのお父さんかっこいいよね。うちのと換えてよ(ぉぃぉい)。』
『leela母さんのご主人素敵よね。うちのと換えて(ひどい)。』なんて事をよく言われる。
しかしそんな事を言うのは皆女性。
流石は昔数多の女性を泣かせた父。
グッドルッキングなのをいい事に何人も泣かせた父。
今で言うストーカーまがいの女性までついた父。
しかし蓋を開ければコテコテ亭主関白の明治の男であり
家の中じゃスエット、夏はトランクスとシャツを着てるだけの
ただのおっちゃんである事を知らないから皆そんな事が言えるのである。
何故か大量の生鮮食品を恵んで頂いた。
お父さん、お母さん、娘は自分で食い扶持稼いでるよ。
と思うのだが、彼らから見れば私は永遠に子供である。
第一、私が生まれてから彼等が生きてきた年数の半分しか経っていない。
父は相変らず『パパはねえ』と私に話す。
私がまだ幼少の頃は彼を『パパ』と呼んでいた。
忙しくてあまり家にいない父が珍しく家にいると
『パパ遊んで』と懐いていったものである。
その頃の私が余程可愛かったのであろう。
だから未だに『パパはね』なんて言うのであろう。
しかし娘は『おとっつぁん』『父上』『ダディ』と彼を呼ぶ。
可愛くもなんともない呼び方である。
けれど父はベタなネタが好きなので
いつか『おとっつぁん、お粥が出来たわよ』とか言ってあげたら
大変に喜ぶのではないかという目論見もある。
お茶を淹れた。
私は略式で入れる日本茶があまり好きではないので
毎回結構真面目に淹れる。
なので少々時間がかかる。
父にお茶を出したら『ありがとう』と言われた。
その時娘は母に『なによ。私がお茶出したって絶対「ありがとう」なんて言わないのにっ。』
と言わんばかりの顔が一瞬覗いたのを見逃さなかった。
父と母がこちらに来る際に通る道の途中にお豆腐屋さんがある。
割と有名なお豆腐屋さんで山の湧き水と国産大豆を使って
昔からの製法で作っている為か評判がいい。
わざわざ県外から買いに来る人までいる程で
休日の早朝などには行列まで出来ている。
確かに美味しいけれど私からすれば
まだ幼少の頃にお豆腐屋さんが売りに来ていたお豆腐と
変わらぬ味なので美味しいよりも懐かしいという感じだ。
父はわざわざそこに寄って、私に、と大量に大豆製品を買って来てくれた。
大豆イソフラボンは大事である。
これで娘が今後も皺やシミのない肌を維持出来ると良いね。
親はいつまで経っても親。
いつまで経っても私は彼らにとって拙い子供。
だからって32の娘にお小遣いを渡そうとしないでいいのに、パパ。
ただ、これも彼の愛情表現なのだろうと思う。
なんとなくだけれど、忙しくて娘に構う間がなかった事や
娘が欲しがる物は基本的に買い与えず
本と勉強道具ばかりを買い与えた事を気にしてる気がする。
受け取らないと不機嫌になる、と母にこっそり突付かれて
とりあえずお礼を言って笑顔で受け取る。
『助かります』という一言もくっつけたら
父は嬉しそうに満足そうに笑った。
これでネクタイ買ってあなたにプレゼントするよ、ダディ。
と娘が思っていたという事には気づかない方がいいのである。
こういう我が家の話をすると『へーん!』と言って笑う友人が多い。
まあね、ヘンなのかもしれないですね。
だけどね、平和でいいんですよ。
うちの場合はある程度親と子を分離した方がいいんです。
特に父と娘は感情表現が得手じゃないから
久しぶりに会って相手の表情と素振りから
互いを思いやる気持ちや親子の愛情を感じて
そしてちゃんと家族だね、と自分で納得するくらいで丁度いいんです。
娘は少し感情表現しときました。
珍しく彼らが車に乗ってからも見送ったりして。
『気をつけてね』なんて言ってみたりして。
運転席の父の笑顔は本当に凄く父親な笑顔で
見送って良かったなとちょっと思ったりして。
とりあえず親というのはありがたいものである。
孝行したい時には親はなし、なんて言う。
孝行と言う程の孝行は出来ていないが
感謝したい時に親はなし、って事になってないだけ良かった。
父上様、母上様、私を産んで下さってありがとうございました。
感情表現が得手でない娘は今日もこっそりそんな事を思っている。
父に会って縮み上がる。
別に父にいじめられた訳ではない。
実はにゃんこはうちの子になる筈ではなかった。
この子には別の飼い主がいたのである。
その飼い主が二週間の出張に出るというので
知人を通じて頼み込まれて二週間だけ預かる筈だったのだ。
その飼い主というのが40代後半の男性で確かに猫好きではあるが
猫の健康管理も猫をちゃんと可愛がる事もしないお人であった。
なのでにゃんこは耳ダニ(蚤や他の猫を通して感染するダニ)を持っているのに気づかれず
ずっと耳が痒くてロクに眠れず、食も細く、遊びへの集中力もないまま我が家に来た。
ついでに遊んで貰った事もお腹一杯可愛がって貰った事もないままであった。
生後三ヶ月になる前に里子に出された子猫には酷である。
うちに来た一時間後、私はにゃんこの健康チェックをして即耳ダニに気づく。
恐らく長く猫と暮らした事のある人にはわかるだろうが
生後三ヶ月の子猫が食が細く、ぐっすり眠れず、
遊ぼうとしないなんて異常がある証拠なのだ。
翌日病院に連れて行くとやはり耳ダニがいると判明。
注射と薬を使っての毎日の耳掃除で完治させる事になった。
そして思ったとおり体重が軽すぎると言われた。
我が家で預かり始めて三日も経たないうちににゃんこはすっかり懐いた。
母猫が恋しい年頃に目一杯甘え
遊びたくて堪らない時にしっかり遊んで貰い
毎日綺麗なお水と新鮮なご飯
居心地のいい寝床、清潔なトイレ
そして毎日ちゃんと愛情を感じられる環境。
それだけの事でにゃんこの体重は数日で月齢に応じた適正体重になった。
その様子を知った知人が『にゃんこはleelaと居るべきだ』と
飼い主の男性に言い、その飼い主も
『じゃあ、あげるよ』と言ってきた。
無責任な話である。
にゃんこは余程その頃が辛かったのだろうか。
男性=可愛がってくれない、ちょっと乱暴
という図式が出来ているのか
すっかり男の人が大嫌いな子になってしまった。
特に声が低い男性が怖いようである。
元々猫には低い男性の声が苦手な子が多いのは多いのだが
うちのにゃんこの場合は元の飼い主が低い声であった事が影響してるのかもしれない。
うちの父の声は低くて渋い声である。
結構『ええ声』な人である。
しかしながら、にゃんこにとってはその声は恐怖の対象でしかなく。
父に『おい』と声をかけられただけでフリーズしてしまった。
そして巨○の星のアキコ姉さんのように物陰から様子を伺っていた。
にゃんこの男嫌いはもう治らない事であろう。
本当は優しい男の人もちゃんといるんだって分かって欲しいのだけれど。
というのはなかなか避けられない事なのか。
私の周囲の一部の♀の友人には
優しい人が多い。
優しいけれどそれは淋しさの裏返しでもあると感じる。
誰かが笑うともっと笑わせようとして
自分の心と身体と時間を使う。
誰かが泣くと抱きしめようとして
自分の心と身体と時間を使う。
優しい彼女は本当に一生懸命な人で
一生懸命が過ぎて自分のベースを見失う。
私も似たような事を経験した事があった。
私は彼女ほど優しい訳ではないから自ら進んでではなく
いたしかたなくという理由だったけれど。
頑張れば頑張っただけ成果や結果という見返りがありますよ。
幼稚園くらいの頃に習ったような気がする。
子供の頃に学んだ事は確かに生きる。
けれど子供の頃に学んだ事がそのまま今も適用されるかというとそれは否である。
ただ頑張るだけでは立ち行かない時がある事。
自分をおいといなさい。
その事は案外子供の頃には習わない気がする。
自分というベース
自分の中で外せないと思えるベース
自分のペースを守っていく事
それらをおろそかにしてただただ頑張ったとしても
大人の世界じゃ『自己管理能力の欠如』とみなされたりする。
自己管理能力なんて言うとカタイ感じがするかもしれないが
自分は常に100%自分のものであるかというとそうでもなくて
自分の中の何処かを大切な人と共有しているもののように思う。
その自分をきちんと管理しなければ自分を粗末にする事に繋がる時がある。
その時に哀しむのも痛みを味わうのも自分だけでは済まない事がある。
そこも含めてベースだと思う。
一人で何もかもを支えて生きてる訳ではないのだから。
子供のように一生懸命な彼女は見ていて愛しい。
けれど彼女の中にリミッターがない事を知っているから心痛する事が見えて気にかかる。
案の定泣かなきゃいけない羽目になったようで
大切な人と傷つけあう事までしてしまったそうだ。
ここでガツンと悪友のように叱る性質を私が持っていればいいのかもしれないが
なかなかどうして気の長さがガツンを遠ざけている。
彼女は私と話す事を『里帰り』と呼ぶ。
別に私をお里にしてくれるのは構わない。
けれど泣いて帰ってくるばかりじゃ少々困る。
今年は泣いて帰る事が減る事を祈る。
お里は逃げはしないけれど
時にはお説教を食らう場所でもある事を忘れずに。
の写真を初めて見たのは16の頃だった。
マジメでない私が誰よりマジメに受ける授業。
それは美術と後数科目。
美術の担任は教師達の派閥に入ろうとせず
あくまで進学率を上げようとするモデル校では少し異質な教師だった。
進学に美術が不要な生徒が99%以上で
学校側も偏差値の高い大学にひたすら生徒を詰め込もうとしていたから
美術の事など気にもかけていなかった。
美術教師はただ一人。
あの美術室はまさに彼の趣味で溢れていた。
美術の授業など真面目に受けない生徒が殆ど。
作品提出率はいいけれど全てやっつけ。
けれど彼は授業の前後などに必ず言っていた。
今度県立美術館でアンディ・ウォーホルの作品が公開されます。
今度平山郁夫の作品が某所に展示されます。
皆さんぜひ見に行って下さい。
その授業の前後に彼があるポスターを指しながら言った。
ヘルムート・ニュートンの作品が来ますよ。
モノクロの写真。
硬質で無機質に思える車の傍で
風に舞うようなポーズをとった女性を写した写真だった。
こういう表現もあるのだな、と当時ポップアートとクリムト一辺倒だった私は知った。
彼の撮る女性はクリムトの描く女性のようなあどけなさも怖さもない。
だけどとても綺麗だった。
空の広さがよく見える写真だった。
そのヘルムート・ニュートンが亡くなったというニュースが流れる。
哀しいとも淋しいとも言いがたい気分だ。
けれど、あの日の美術室を思い出した。
ただそれだけだけれど
会った事もない写真家は確かに私の記憶の中にいるのだなと思う。
『レコードは傷に針を当てて歌うんだよ』
歩いた後には足跡
それはいつか道になって
高い空から見れば小さな溝のようなもので
足跡を追いかけるように針を走らせて
そして歌うのだと私は思う。
傷だって足跡の中の一つでしかないのだから。
『leelaは自分の限界まで頑張っちゃってたからね』
そのとおりである。
その事を分かっている兎は昔何度も愛あるお説教をしてくれた。
分かった上でお説教をしてくれる兎が相手だから
私は随分と納得しつつ反省を繰返した。
自分の衝動や感情を大切にする事は大切だ。
けれど、それだけでは何かが確かに狂っていく。
気づいたらあるバランスを大切にするようになっている。
私に都合の良い期待を押し付ける人は
今の私を冷たいと評するが、それはもうどうだっていい事。
私にとって大切なものは私にしか選べないし決められない。
そして私はもう既に自分で見分けて選んで決断しただけなのである。
誰にも大切なものはあるだろう。
それを放り出してまで他者の期待に応えて尽くし続けろ。
そうでなければアナタを認めない。
そんな身勝手に付き合える程の暇は今の私にはもうないのである。
だからと言って、片っ端から蹴りはしないけれど
あくまでバランスをとる私は出来る事の半分程しか注がない。
出来る事全てを注ぐべきは先ず自分と自分のベースとなる部分と人。
なんだ、これっていいじゃないの、と思う。
そしてそう出来る自分が嫌いじゃない。
分かりやすい優しさを見せ続ける事は減ったけれど
決して意地悪になった訳じゃない事は私と
そして誰より兎が知っている。
自分で自分を認める事の大きさ。
真に信頼出来る相手を見分ける事。
自分で見分けて選んで決断する事。
言語化出来るレベルまでそれらをこの数年で学んだのだと思う。
やはり私はとてつもなく運がいい。
兎卵。
兎のおうちでありあわせで作った卵焼きの名前。
兎が結構気に入ったらしい卵焼きの名前。
卵焼きのバリエーションはないかと
知人に聞かれて教えておいたら結構好評。
兎卵二代目をいつか作ろう。
兎が気に入らない限り二代目襲名できないけど。
をあるお知り合いに送った。
その方から頂いたものの写真だったから。
ありがたく活用していますの感謝の意を込めて。
そしたらその方のサイトにアップされていた。
無神経な方ではないからちゃんと私が撮ったものだと明記までしてあった。
ウェブ上で自分の文章を公開される事は日記を書き始める前から割とあった。
なのですっかり慣れっこ。
けれど写真は初めて。
妙に新鮮。
写真を撮られるのとは別の意味で撮る事にも苦手意識があったけど
意外と様になってるように見えるものだから少し調子に乗ろうと思う。
来週のテーマは悪友を激写だ。
母校の後輩達が高校生クイズに出ていたらしい。
後輩とは言っても高校を出て大分経つので面識はないが
一応後輩って事になるのでそう呼ばせて頂く。
随分変わったものだなと驚いた。
なにせ、うちの高校は厳しい事でそれはそれは有名で
とあるCM(全然如何わしくない、ただの食品のCM)
に出演した一期生は出演発覚直後に強制退学を食らったと有名であった。
私は七期生であるが私の時代でもTVなどに出れば大騒ぎで
ローカルの深夜番組のあるコーナーに出た生徒が翌日早速呼び出され
停学+生徒指導室での自習一週間なんてものを食らっていた。
ついでにバンドなんかやってるのが発覚したら
保護者ごと呼ばれて厳重注意を頂戴してしまう。
かくいう私もバンドをやっていた。
しかもパンクだった。
しょっちゅうベースを担いで出かけていた。
なので当然夜間にライブハウスにいるなんて事は日常茶飯事だった。
ところが何故か一度も学校側に見つかる事はなかったが
見つかってしまって、みせしめとばかりに
エライ目に遭わされている同級生を見た時にはゾッとしたものである。
うっかりTVに映ってしまった事もあったが
運良く後頭部と横顔が写った程度で
しかも私服とヘアスタイルのせいで別人に見えたらしく
これも学校側に気づかれずに済んでホッと胸を撫で下ろしたものである。
そういえば、時々見かける後輩達は私達の時代よりも自由そうに見える事がある。
男の子と一緒に下校しようものなら即とっつかまっていた私達であるが
後輩達は仲良く手を繋いで下校していたりする。
羨ましいとは思わないけども。
だって昔の事だし、今は高校生の時より楽しいし。
けれど、あの年代にしか出来ない事は沢山沢山あって
そこをぎゅうぎゅうに締め付けられていた者としては
(締め付ける者の目をかいくぐって騙してたけど)
出来るだけ後輩達があの年代にしか出来ない事を
沢山沢山出来るといいよなあ、なんて思う。
その時にしか出来ない音楽やその時にしか出来ない恋だけでも山ほどあるのだから。
真新しいショッピングモール。
決して大きくはないが、あの街には大きすぎる程だろう。
悪友が居た。
彼女を見つけて共通の同級生が声をかけてくる。
悪友が『leelaだよ』と彼女達に言う。
変わったね。
分からなかった。
彼女達が言う。
特別仲良くしていた訳でもないし、思い入れもなかったけれど
記憶力だけはいいのか色んな事を覚えている私は適当に話を合わせていた。
私の昔の呼び名で彼女達が私に話しかける。
後ろから女性の声で『leela?』と呼ばれた。
振り返ると小さな子供を連れた女性が居た。
私には一目で誰なのかが分かった。
一瞬遅れて悪友の表情が少し曇った。
そうだね。
貴女は彼女を好いていなかったものね。
納得のいく理由から好いていなかったものね。
悪友は夢の中でもやはり余計な事は言わない人だ。
悪友と同級生達に『ちょっと、ごめんね』と告げて彼女と場所を移した。
相変らずだ。
いつまでも少女のようで何処かお姫様。
我儘で甘ったれでだけど憎めない人。
どうして連絡をくれなかったのだと問われる。
言えない理由が多すぎて胸の中で呟く。
もう見ていられなかったんだ。
声にしたのは『ごめんね』だけ。
彼が向こうに居るよと彼女が言う。
また試そうとするのだね。
少し拗ねたような怒ったような顔で彼の所に私を引っ張っていく。
人形のように白くて綺麗な手。
ネイルのやり過ぎで爪の付け根が荒れているよ。
頬に影を落とすのが嫌いだと言って切った睫は元に戻っているのだろうか。
年を重ねた彼は特に表情もなくそこに立っていた。
当時の共通の知人もそこに居た。
彼女が『leelaだよ』と例の試す時の声で言う。
彼の顔が少し変わる。
私達を試す為に彼女がその場を去った。
そうだ。
この人はいつもこんな優しい顔でこちらを見ていた。
だけど今はそこに懐かしそうな表情が加わる。
元気なのか。
どうしていたのか。
どうしているのか。
問われるままに答える。
あの頃はさ。
時が過ぎた事を知っている私は冷静にその言葉を聞く。
あれからもう、18年が過ぎたのです。
子供を抱く彼の手は余り父親らしくない。
私にはとても優しかった大きな大きな手は人を傷付ける事で有名だった。
大人になったねと言う。
大人になって下さいと思う。
今更聞いてもどうにもならない言葉を彼が発した。
私はただ穏やかな気持ちで答えた。
幸福になろうとする事だけはやめないで下さい。
そして私が今どんな風に生きて、どんな風に誰を愛しているのかを話した。
昔の穏やかな笑顔が返って来た。
最後にあの大きな手と握手をした。
お互い相変らず言葉が得手ではないからかもしれない。
彼は彼女の所へと歩いていく。
私は悪友の元へと戻る。
私は振り返らない自分に納得する。
モールを出るととても晴れていた。
真っ青な空には雲一つなく
微笑むような顔になるような眩しさが溢れていた。
目が覚めた。
ある人が言った。
哀しい事は夢の中で経験してね、と。
哀しい事ではなかった。
けれど実際に経験する事が叶わないという意味で哀しい事だった。
終わりというのは一度ではないのかもしれない。
段階を踏んで終わりの階段を一つずつ昇らなければ終わりにはならない事があるのかもしれない。
終わったのだと思っていた私には意外な事だったけれど
これでまた幸福な過去が増えるのだから
これはどこからかやってきたギフトなのだろう。
私はやはり今を生きる事が大好きなのだ。
というものを何かによって連想するが故に何かを恐れる。
意外と友人達との話でも出てくるネタである。
とあるお知り合いは猫によって死を連想するが故に猫を恐れるのかもしれないと言い
また別の人は蛇によって死を連想するから蛇を恐れるのかもしれないと言う。
私は動物によって死を連想して恐れた事がない。
何故なら私にとって死は実に身近なものだからだ。
両手で足りる程度ではあるが、自分が死に瀕した経験があるというのも理由ではあるだろうが
何より幼少の頃から身近に生物がいた事が大きいのだろう。
まだ大人の目線が遥か遠くにあった頃。
両手足を使って床を這う私の最初の友人は犬であった。
黒曜石で作ったボタンのような目と白い真綿のような毛の犬。
彼女はいつも縁側の向こうから私と同じ目線で私を見
私が縁側を移動するとまるでベビーシッターのように
縁側の向こうを移動しながらこちらを見守っていた。
彼女の死は記憶にない。
ただ、見過ごした訳ではないと思う。
大人達が隠したのか何なのかは不明であるが私は恐らく彼女の死を見た。
二歳未満の事である。
祖父は熱帯魚を飼っていた。
実に生物の命を大切にする人であったから
毎日の細やかな世話と温度管理は徹底していた。
けれど時々水面に横たわる者がいた。
産卵を繰り返し、命を生み尽くした雌のグッピー。
生きる事を最後まで続けた年老いた金魚。
よく軒下にスズメの雛が落ちていた。
飛ぶ練習を始めた頃なのだろう。
カラスにでも追われたのか、怪我をして落ちていた。
スズメの雛の育て方にはあるコツがある。
そしてそれは授乳期の赤ん坊を育てる事にも似ている。
ぬるま湯でふやかしたドライのドッグフードを2〜3時間置きに与える。
夜間は最大6時間だ。
けれど、当時の私はそんな事は知らず、動物が好きな大人達も知らず
母鳥の体温のない場所で雛は短い一生を終えていた。
セキセイインコに十姉妹。
彼らも本当に可愛がられていた。
毎日の日光浴。
新鮮な水と青菜。
清潔な鳥かご。
しかし彼らには捕食者がいる。
野良猫達はいつもお腹を空かせて生きる為に食べ物を探している。
祖父が目を離したほんの少しの隙に猫の命を繋ぐ為に消えた小鳥がいた。
小学生から高校まで住んでいた場所には猫が多かった。
無責任に繁殖させた猫を飼いきれず捨てていく人間が絶えなかった。
子猫たちは雨に打たれて消えてゆく。
何度もそんな子猫を助けては里親を探したものだが
見つけた時にはもう息がないものが多かった。
運良くと言っていいのか、自力で生き延びて野良として生きる者もいた。
しかし彼らは人間の都合も傲慢さも知らない。
人間の道具も知らない。
道路に横たわる彼らの遺体を何度葬った事だろうか。
生物は理不尽な理由であれ、なんであれ、いつか必ず逝ってしまう。
その事に気づくのにそう時間はかからなかった。
最初に人間の死を経験したのは小学校の6年生の頃だ。
医療ミスによる、ある友人の死であった。
人も必ず死ぬ。
人だって所詮ただの生物なのだから。
彼女からはその事も教わった。
死をもって教えてくれた大切な事だ。
そして、その後、祖父、祖母、叔父の死を経験する。
遡って、弱い受精卵であったのか、生まれて来れなかった私の弟達も
ずっと昔に死を経験したのだと知った。
今、死ぬとしたら、ある意味恐ろしい。
まだやりきれていない事があまりにも多すぎるから。
こんな思いのままでは逝けないではないか
大切な人達との多くの約束も果たしていないではないか
その時間を奪われるのはやはり怖い事だ。
けれど、何処か死に対して冷静な所はそれでもある。
周囲からは気味悪がられるのだが。
順番なのだよ、と思う。
年齢に関わらず順番なのだよ、と。
短いながらも多くの事を伝えて人を育てた者も
長い時を生きて多くの事を伝え誰かを育てた者も。
育てられる前に私たちは先ず迎えられる。
そして、育てた者は迎えた者よりも先に行く。
そうやってカノンのように連なるのが生と死のように思う。
私はこれから先も誰かを見送るだろう。
その時は哀しみに暮れるかもしれない。
私もいつかは誰かに見送られるだろう。
その時に『順番が来たのだな』と思って逝けたらいい。
育ててくれた者、生み出してくれた者、見送ってくれる者
そして私と関わってくれたもの全てにありがとうを言いながら逝けたらいい。
いつか必ずそういう時が来る。
それまでは恐れる事なくこの生を愛していこうと思う。
多分それはとても私らしい選択であり決断だ。
間に恐れを覚える人は少なくないようだ。
かくいう私も時々間を恐れるという程ではないが
漠然とした不安を覚える事がある。
間は空
(クウ)であると思う。
読み替えれば『カラ』となる。
空っぽの箱は時に人を失望させる。
空っぽの箱は時に人の想像力を喚起する。
間の美学は日本特有のものであると言う人もいるが
私の愛聴するアメリカ産の音楽であるJAZZの世界にも間は存在する。
間や空だけが語る事があると思う。
また、間や空があるからこそ自由だと思う。
自由でいて自由を楽しむには自分の足元がしっかりしていないと
難しいのではないかと時々思う。
実際心の足元がしっかりせず
何かに依存したがった頃の私は間を極端に恐れた。
今だから思い出せるのだろうが
間は自由な空間だ。
間に想像力を喚起され
思いを遊ばせ
何かを創造する事が出来る幸福がある。
飛び石更新のこの日記をこまめに覗いて下さる方へ。
間と空に想像の翼を広げていて下さい。
私は細密画を描くのが得手ではありません。
間に自分だけの何かを描けるのは読み手であるアナタだけなのです。
から何かを葬る人もいるのだろう。
私は昔、思い出を手繰り寄せる道具を葬る事が出来なかった。
埋もれていく過去が恋しかったのだろう。
記憶が薄れる事が怖かったのだろう。
当時の匂い。
体温。
痛みも幸福感も感じたもの全て
私は手元に置き続けた。
思い出を手繰り寄せる事をしなくなっても
それらは随分と長い間私の手元にあった。
今の私の手元に思い出を手繰り寄せる道具は殆どない。
物理的に必要なもの、例えば当時から今でもお付き合いがある方の
住所や電話番号を明記したものくらいだ。
その当時の写真。
人の匂いが濃く残るもの。
当時の私が色濃く映り続けているもの。
手放した、と言うと冗談交じりに言う人がいる。
そんなに人に見せられないものなのか、と。
単に私にはもう必要のないものだからだよ、と言うと
冷たいねー、などとまた笑いながら言われる。
手繰り寄せる道具はもう本当に必要なくなったのだ。
その過去を共有する人はその人の中にその人だけが知る過去として記しているだろう。
私とて恐らくそうなのだ。
もうしがみつく必要もなく
手繰り寄せる必要もない。
淋しがったりしなくても、あの頃は私が誰よりちゃんと胸に記している。
例え記憶の渦に呑まれて思い出せなくなったとしても
それでも確かにあの頃という足跡は残っているのだ。
もう不要なものを手放し
これからを作る事に夢中な私にはこれで丁度いい。
『leela』の昔を知りたいと言ってくれる人もいる。
写真もビデオも文章も絵も
いつの間にか私のところから旅立って行きました。
だけど、その過去ごと私がここに居るから。
今の私の後ろには過去という道があるから
今の私からかつての私を知ってくれると嬉しいなと思う。
オープンではないけれど正直者だから何も隠しはしないから。