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2009|02|08|
2010|04|05|
昨年も多くの方々、親しい友人の皆様
最愛の男の子に支えられ、教えられ
何事もないわけではなかった一年を乗り切る事が出来ました。
どうか今年ものんびりとお付き合い下さいませ。
皆様にとって今年が昨年以上に実りある一年となりますように。
私の様子をこの日記を通じて見てくれる友人知人は
流石にこうまで更新しないのでメールを寄越してくれたり
メッセで声をかけてくれたり、時には電話をくれたりもする。
昨年10月のにゃんこの死の事もあって気にかけてくれているのだと思う。
なので、ここで簡単に近況報告をしておこうと思う。
昨年の12月24日からなにかと休業、充電中である。
にゃんこと10年間暮らした環境から一時的に離れて
穏やかに生産的に過ごせる環境の中で穏やかで生産的な人と寝食を共にしている。
今まで、散々『いやだいやだ』と避けてきた和装に手を出し
体型的には浴衣がやっとこさだ、と言われた事もあるのに
小紋を手に入れて、半襟がどーの、帯がどーのと遊びつつ学んでいる。
限りなくルーティンになっていた食事もまともに作る日々だ。
自分ひとりで食べる分には味は二の次で栄養価さえ問題なければいいのだが
流石に一緒に食べる相手が居るとそういう気持ちでは居られず
台所に立つ度に味と栄養のバランスを考えて手を動かすようになった。
ここにはオーブンはないのだが、パン焼きなんかも始めた。
炊飯器でパンやケーキが焼けるという話は前々から聞いていたが
オーブンでしか焼いた事がないので結構ドキドキだった。
ドキドキの癖に最初に手を出したのはドイツパンだというのが自分らしい。
ナッツとドライフルーツをたっぷり入れて
ちゃんとライ麦を使って焼いてみたら物凄く普通にドイツパンが焼けた。
毎日笑う。
怒りや哀しみは滅多に味わわない。
日々笑い、楽しみ、喜ぶ為に生産的に動く為の脳を使う。
一緒に生活する人間の為ではない。
お互いの為、最終的には自分自身の為にそんな風に生活している。
充電が始まってまだ二週間足らずの今はそんな感じで過ごし
遅まきながら気持ちの煤払い、澱の洗い流しをしているといったところだ。
これが今言語化出来る近況。
直接聞きたいという友人知人の皆様は携帯にでもご連絡下さい。
でもややこしいお話はご遠慮したいけど。
放置されていた全粒粉とライ麦粉をどう使いきってやろうか。
オーブンなしの限られた調理器具で何が作れるか。
どこまで美味しく出来るか。
最終的には外せない定番になって『お願いだから作ってくれろ』
と言われる位のものを作りたいぞと小さな野望まで生んでしまっている。
昨晩に続いて今日もパン生地を捏ねる。
今日は全粒粉入りのハーブソルト味のパンだ。
食べ物というのは作り手の手加減さじ加減ひとつ、そして気持ちひとつで随分味が変わる。
昨晩遅くに出来上がった似非ドイツパンは普通過ぎる位に普通で
息が切れるくらいに捏ねたのにと少々悔しく思った。
きっと気持ちも経験も手際もイマひとつだったのだろう。
毎日パンを焼いてもいいかと問うたら『いいよ』というお返事があった。
食べれば片付いてしまう、消えてしまうのだから、と。
消えれば記憶と負けん気に突付かれて
私がまた何かやり始める事を知っているから
あっさりと『いいよ』と答えたのかもしれない、と少し思う。
付き合いが長いだけあって、私をよくよく知り色んな時間を共にしたからこそ
結局は私が脳や身体を使って物を作らずには居られない事や
興味のある物事に向かって行く事をやめるとしおれる事を分かっているからこそ
『好きにしなさい。leelaのいいように、思うようにしなさい。』
と、呼吸をするのと同じくらい自然に言い続けているのかもしれない。
明日は何を作ろうか。
次は何を作ろうか。
と考えながらパンの焼き上がりを待っていた筈なのに
自分が充電する環境を作ろうとしてくれる人の心を思った。
随分と長い間忘れていた事を思い出した。
自分という人間が物を作る事によって活性化する、という事だ。
一時期、読み物的な文章を書き続けていた。
毎日気づいたら朝、というペースで平面作品、立体作品を作り続けていた。
高校の頃はコピーだろうとオリジナルだろうと
『曲』と言える形にしたくてスタジオにこもっていた。
ただただミシンを踏んでいた頃もある。
シェーカーを振る毎日もあったし、オーブンが恋人のような時期もあった。
そんな風に過ごしていた頃は、自分の内側が実に活き活きとしていた気がする。
バタバタと10年程をこけつまろびつ走り抜けたのだろうか。
日々を消化し目の前にある事を処理する事が増えれば増えるほど
何かを作るという事から遠ざかってきたのだと思う。
幸い、この充電期間にその事を思い出した。
しばらくはこうして作るという行為のリハビリに勤しもうと思う。
友人夫妻に待望の女の子誕生。
おしるしから二日間も粘り
いきなり10分間隔の陣痛で両親を起こしたのが流石にマズイとでも思ったのか。
分娩台に上がって医師の処置が可能な状態になるまで
待とうとしたとでも言うように足に臍の緒を巻いて生まれてきたという。
電話越しに聞こえる声は今まで彼女が産んだ男の子達より
ずっと静かでなんだか囁くような愚図り声だ。
小さなうちに抱きにきてね、と、優しい声でのお誘いを頂いた。
こちらは当然、新しい命の誕生などという大イベントはない。
けれど食べる事も作る事も大好きな彼女にドイツパンが焼けた事を報告する。
彼女の家にもここと同じくオーブンがない。
だから焼きあがったパンの写真を見せてレシピは必要かと聞いてみた。
出産後まだ間がない上にきつい後産を済ませた彼女なのに
やはり『美味しそう。レシピ送ってね。』と返事をくれた。
彼女には自分自身と同じだけ大切で愛しい家族が居る。
家族でなくとも、自分が好きな人達には美味しいものを出す事を喜びとする人だ。
今日の全粒粉入りハーブソルトのパンは昨日のパンよりずっと美味しく焼けた。
我流のレシピだが彼女なら巧く真似て彼女流の美味しいパンを焼くだろうから
今日のパンも写真に残して彼女に送ってみようと思う。
多分、彼女は笑顔で見るだろう。
20年以上の付き合いがある彼女には周囲の音も聞こえなくなる程に
集中し、試行錯誤して活きる私の姿も見えるだろうから。
原因は安心して過ごせる環境で暮らし始めて一定期間が経ち
今まで張りつめていた気が緩んだのであろう事と
毎日の娯楽を三日ばかり前に満喫し過ぎた事であろうと思われる。
その娯楽とは家事である。
と言うと皆にいぶかしがられるのであるが。
その日、満喫したのはお風呂掃除とトイレ掃除である。
磨けば磨くほど居心地良く使い良くなるお風呂とトイレ。
今日のところは天井はカンベンしてやるが容易に手が届く場所はカンベンしてやらん。
と、大変楽しく水周り二箇所を掃除したのであるが
今思えばその日は結構寒かったのだ。
また、掃除中は換気をするという習慣を押し通してしまったのだ。
水遊び感覚でお風呂を磨きながら少し寒かったような気もするのだ。
ついでにこの所、昼夜、または、日によって寒暖の差が激しかったようで。
なんだか喉が痛いなあと思った時には既に遅く
久方ぶりに熱を出し、クチュン、プチュンと情けないクシャミをし
慌てて野菜ジュースやらのど飴やらを買いに行く羽目になってしまった。
早い所治さなくては。
家事以外にも欠かせない娯楽を満喫したくてウズウズしているのだ。
風邪をひいてる時くらいはなんにもしないでいいんだよ。
そのとおりである。
私も自分以外の誰かが体調を崩していたら必ずそう言うだろう。
が、対自分となるとなかなかそうは言えない。
別に罪悪感からではないのだが、何もせずに寝ていられないのだ。
少しお腹に食べ物を入れ、薬局のおばさんの助言に従ってたっぷりの水で薬を飲む。
ビタミンCのカプセルもちゃんと飲む。
薬も飲んだし暖かくして沢山眠りましょう。
と思うが頑張って二時間。
二時間ばかり眠ったら休むのにすっかり飽きてしまった。
「風邪なんでしょう?休んでなさい。」
『飽きた。』
「アンタは子供かっ!」
そう。これではじっとしてられない子供といくらも変わらない。
買い物だって頼めばいいのである。
別に体調が悪い時に頼み事をしたり甘えたりしたからといって
嫌な顔をされる事もなければ文句を言われる事もないのだ。
しかし、お天気のいい日の昼間にお散歩がてらのお買い物に行かないなんて手はない。
いい風の吹く心地よく冷える夜気の中でもそうである。
そんな訳でお叱りを頂戴しても仕方のない我が身であるが
それでも、『風邪ひきなのに気持ちが元気な自分って結構いいよなぁ』
と喜んでいたりする。
先ずは不思議な事に周囲の一部が喜んでくれているという事。
特に両親なぞはエライ事喜んでおり
母は自分が持っている着物も帯も和装小物も全てくれると言う。
挙句、『おばあちゃんに言いなさい!
そしたら、おばあちゃんや大叔母さんの着物も貰えるから!』
と、美味しい情報を提供してくれる。
何かとシニカルで辛い物言いをする父は
『三十過ぎてやっと和服を着られるように練習しはじめました。遅いかもだけど。』
と言う愚娘に『いいや、遅くなんかない。まだまだ若いんだから(父に比べればそりゃ若い)。
ちゃんと目標を持って新しい事に挑戦するのは大事な事だ。』
と珍しく目じりを下げていたりする。
古い友人は『leelaちゃんなら、こんな色や柄の着物が似合うんじゃないかな。』
と電話の向こうで想像しつつ
『そのうち写メ送ってね。』と言ったかと思うと、数日後には
『私も両親が作ってくれた着物があるんだよねえ。
ねえ、練習すれば着られるようになるもの?』
と言い出し、終いには『一緒に着物着て遊びに行こうよ』という私の誘惑に乗ってくれた。
うさちゃんとも着物で一緒にお出かけしよう、という約束をした。
流石私の周囲で唯一和服を好む若手うさちゃん。
お出かけに備えて練習用に、と可愛い下駄ときりりとした御草履をプレゼントしてくれた。
きっと私が和服を着るかどうか、なんて事は大抵の人にとってはどうだっていい事だ。
けれど、その些細でどうだっていいかもしれない事を一緒に楽しんでくれる誰かが居る事にも
楽しんでいる私を見て喜んでくれる人が傍に居る事にも
この些細でどうだっていいかもしれない事に手をつけなければ
きっと気づかないままだったのだろうな、と思う。
という言葉に従って昨日から少しだけ大人しくしている。
全く何もしない、というのは逆に苦になるので
掃除も略式、お洗濯も一定量まで溜めてから
お炊事も残り物を利用したり手のかからないものを作ったり。
今、一番のおさぼりは、自分のお布団をあげない事だ。
だるさから少し横になりたい事が増えるから
その時に面倒くさがって寒い格好でうとうとしない為の対策である。
それでもなかなか日のある時間帯には横にならないこの性分。
なんだかんだ言っても動き回ろうとするのを見て
大抵は笑っている目が少し真剣になり
『まだしんどいでしょう。こんな事してないで休みなさい。』
と言う姿を思い出して反省するのは翌日の朝だったりする。
なんだかお脳の鈍さと足りなさが身に沁みた。
特に時間が遅くなったら食べない。
こう言うと単にダイエットの為と思われがちだが
単に翌日に胃腸に違和感を感じたり身体が重く感じたりするのが嫌なのだ。
ここ数日は風邪も手伝って尚の事食べなくなっており
夕飯は作るだけ作って給仕をするだけ。
その度に、ほんの少し驚いたような、困ったような淋しいような顔で
『leelaの分は?』『食べないの?』と言われていたのだが
言われている本人は『気を使わないでいいんだよ』と思うくらいで然程気にしていなかったのである。
昨夜の事。
薬を飲む為に何か食べなくちゃならなかったので
野菜たっぷりの豆乳味噌汁を中心に軽く食べる事にした。
『leela(の食事)は?』
今日は少し食べるよ、と答えて食卓を整える。
いただきますの合掌をした後
『一緒に食べる方が美味しいでしょう?』と言われた。
一緒に食べる方が美味しいと思っていたのだな、と
一緒に食卓につかない数日のご飯は少し物足りなかったのかもしれないな、と
お味噌汁を啜りながら思った。
今日からは私でも夕食の席につけるメニューを考えよう。
幸福感を増やす為のちょっとした努力だ。
『これって、おじいちゃんおばあちゃんの食卓だよね。』
なんですと。
確かに私は若いって程若い訳じゃあないが
今のところはまだまだおばあちゃんではない。
『今時の三十代前半とかでさ、こういう食事してる人ってあんまり居ないと思うよ。』
食卓を見れば、切干大根の煮物(大豆入り)、水菜とお揚げのお浸し
きゅうりとニンジンの生姜胡麻酢和え、根菜とお豆腐のお味噌汁。
大変健康的でコテコテの和食なのは認めよう。
しかしながら、ここにはカブと鳥ハムのポトフも並んでおる。
先日はパンも焼いたし、ジェノベーゼのパスタも作った。
真冬に冷たいものもなんだが、カッペリーニだって作った。
トルコ風オムレツだって作ったじゃないか。
ニンジンのマリネもゴボウのマスタードサラダも作ったぞ。
それに以前はインドご飯づくしだってやったじゃないか。
ご希望ならば中華だってエスニックだってなんだって作ろうじゃないか。
と思いはしたものの、思い出してみれば
たんぱく質の大半を豆類で補い、残りは卵が殆ど。
お肉を買った回数は片手で足りる程度だ。
そういえば、パンを焼いた日以外は殆ど油が減らない。
砂糖も随分使ってないし、バターだってたんまり残っている。
『こういう薄味で野菜中心の食事してる人って結局はそんなに居ないよね。』
分かった。
私が作る料理のジャンルがおばあちゃんなんじゃないんだ。
食材の選び方と調味料の使い方がおばあちゃんテイストなんだ。
なんだか妙に納得したものの、食卓が老いているっぽい表現がイマイチ切ない。
こうなったら着物に割烹着姿でおにぎり握ってやる。
そこまでやれば『おばあちゃん』じゃなくて
『コテコテ日本人』でオチがつくかもしれないから。
そんな事よりも正絹の半幅帯や小袋帯が欲しい。
そして洗える着物がもう二枚ばかり欲しい。
足袋ももう何足か欲しいし、足袋カバーだって三枚は欲しい。
襦袢もあと二枚ばかり欲しい。
そして本気で割烹着が欲しい。
このままでは勇ましくたすきがけをして日々を過ごしてしまいそうだし
着物一枚だけじゃ滅多にお洗濯出来なくなってしまうし
足袋カバーなしでは粗忽者の私は足袋を真っ黒にしてしまうはずだし。
なので日々ネット上の呉服屋さんと和装小物屋さんめぐりに忙しく
おばあちゃんと言われようとオバチャンと言われようと本当には耳に入っていないのである。
そして一番見つからないもののお陰で『もうこの際おばあちゃんでもいい』
と開き直りきってしまいそうな気分でもあるのだ。
その一番見つからないものとは、真っ白な綿のシンプルな割烹着。
うちのおばあちゃんの箪笥の中に残ってないものだろうか。
熱は三日間程微熱が出たくらいだし
それも日が落ちてからしか出なかったから
年々風邪の症状が軽くなっているなあ、と思う。
結局、薬も殆ど飲まなかったというのに。
しかしながら、今回の風邪は弱気なしつこさがある。
鼻と喉に、そう苦痛じゃない程度の症状を起こし
なんとか私の体内に粘ろうとしているらしい。
風邪のバイキンとて懸命に生きようとしているのだろう。
けれど私の『これ以上元のとりようがないくらいに楽しく生きる』
事に対しての懸命さには敵わない。
だから早い所諦めて私の鼻と喉から出て行って貰いたいものだ。
けれど少しぼうっとしている。
理由は一目惚れだ。
と書くと『アンタあれだけ恋人に惚れてると言いながらナニやってんの!』
と友人知人からツッコマレたり尋問されたりしそうであるが
期待を裏切って申し訳ないけれども相手は殿方ではない。
当然女性でもないし、人間以外の生物でもない。
お相手は着物である。
先日半襟を買いに行った時の事だ。
サクッとお買い物を済ませてとっとと帰ってご飯を作ろうと思っていた。
が、休日の客を罠にかけるように作家物の着物の展示即売会をやっており
『ごらんになって羽織るだけでしたら無料ですから』と笑顔で誘われ
『そんな事言いながら買わせる気だな』と確信しつつ
『無い袖は全然振れないから大丈夫。かかってこんかい。』
という気持ちを込めて『じゃあ拝見しますね』と会場を覗いた。
気になるものを数点選んで羽織ってよし、という言葉に従い
三点ばかり選んで羽織らせて貰う。
すぐに着付けの先生が出てきて、作り襟をつけてくれたと思うと
あっという間に服の上から簡単に着物を着付けてくれる。
伊達襟なんてつけたのはきっと七五三以来だ。
普段は半幅帯(細帯、小袋帯)ばかりなので使う機会のない帯締めに帯揚げもつけてくれる。
そりゃあそうだ。
なにせこの日締めたのは正絹の袋帯なのだから。
着せて貰って鏡を見ると、意外と似合ってはいたものの
柄の入り方のせいで無駄に脂身のついた下半身が強調され気味。
その上、体型上衣紋を大きく抜くのでフルメイクでもすれば夜の街にご出勤な雰囲気もある。
これで襟を緩めに着れば多分姐さんになってしまう。
こりゃあいかんよ、と思っていると作家さんご本人がおすすめを数点出してくれる。
予想通り古典的な柄のものや、よく好まれる色のものは出されず
渋めでちょっと難しいタイプの小紋を着せられる。
その中の一点を着た時である。
生まれて初めて正絹の着物に人目惚れをしたのだ。
一見、薄く藍のかかった紫。
しかし光の加減で海老茶や葡萄、臙脂が見え隠れするような地色。
目立ちはしないが、こっそりと葡萄唐草の地模様。
銀鼠の柄に細く添えられた鈍い金。
それだけでも惚れるには十分だというのに、妙に似合ってしまった。
無駄な脂身をフォローした上に、少々高めの身長を利用して縦長に見せてくれる。
ついでに顔映りも意表をついて結構よろしい。
また、この時に締めた袋帯も私の心臓を鷲掴みにした。
金茶に銀の染めの帯。
少々変わった加工をした帯地であるが、大抵そういう帯は異様に重い。
その上固い。
大昔の話であるが、10代の頃に織の袋帯を締められた時
硬くて重いコルセットをつけられたようで数時間でギブアップした記憶があり
それ以来袋帯には懲りてしまったくらいだ。
しかし、先日締めた帯は違う。
まるで最愛の男の子の腕で胴を抱かれているような感覚の締め心地。
不思議なくらいに苦しくないし、動いても帯が身体に沿って動いてくれる。
おまけに、全くもって重くないし、動いてみても妙な皺が入らない。
ここで生まれて初めて正絹の袋帯に心底惚れた。
が、無い袖は振れないのである。
この手の展示即売会、しかも作家物で全て一点ものとなると
生地の質や格が変わらない『作家物でない着物』を買うよりかなりお高くなる。
ちなみに私が惚れた着物は楽々で軽自動車一台買えるお値段。
帯は最新のPC一台余裕で買えるお値段。
で、そこに仕立て代と八掛(裏地)代がつく。
あっという間に福沢さんが100名弱お並びになる。
買って買えない訳じゃないが、気楽に買えるお値段ではない。
ので、『凄く素敵ですけれど分不相応ですから』と後ろ髪ひかれつつお断りする。
店員さんは押しつつも諦めモードを漂わせていたが
ただ一人、作家さん本人だけは食い下がり続けた。
どう見ても買いそうにない客で、買いそうにない年代の女だというのに。
しまいに『内緒で御草履(帯地で作った鼻緒付き)プレゼントします』とまで言い出す。
他に私よりずっとずっと金銭的余裕がおありであろうお客さんは放っておいて
最初からずーっと私に付きっぱなしとは。
どうも作家というのは商売がわかっていないらしい。
が、店長。作家さんの熱意に刺激されたのか
『よいお返事が頂けましたらお仕立て代だけで八掛等は全てこちらで持たせて頂きますので。』
と、それなりの高さの舞台から飛び降りて見せる。
(でもね、本当はこちらがどう駆け引きするかでもっとお値段下がるんだよね。)
と思いながら『じゃあ、とりあえず考えさせていただきますね。
いいお着物で遊ばせて頂きましてありがとうございました。
お勉強になりました。』とお礼を言ってお店を後にした。
同行してくれた現在の棲家のご城主様がプリンを買ってくれたところまでは平気だったのだ。
が、おうちに帰ってご飯を作り始めた辺りから恋煩いの症状が出てきた。
野菜を刻んだり洗物をしたりという単純作業を続けるうちに
それはそれは、あの着物と帯が恋しくなったのである。
ご城主様に『本当に欲しいなら買っても構わない』と言われ身も心も驚いて仰け反る。
しかしながら、こういう言葉に『わぁい。じゃあ買いに戻ろうよ♪』と思える性質ではない。
いらないもん。と頑張りつつも、帯と着物を思って胸を疼かせる。
この後食べたタイカレーがとても美味しかったので食べている間だけは忘れていたが。
今も一日に何度もあの帯と着物を思う。
あの日のタイカレー以上に美味しいものは食べていないから
食事時でもあの帯と着物が私の胸をチクチクと突付く。
初恋は実らぬもの、とは言うけれど着物と帯への初恋もなかなか実らないものらしい。
自分が着物に割烹着姿でPCに向かい、こうしてキーを叩くだなんて。
多分、私以上にそう思っているのは古い友人達であろうが。
着物が普段着のひとつ、な生活は思いの外快適である。
筋肉痛以外は。
普段着である以上は着物を着て近所に買い物に出かけるわけだが
その際には慣れぬ『こっぽり』や草履を履いて出かける。
これまでは殆ど毎日パンツにブーツかスニーカーで外を歩いていた。
イコール『腰と足の付け根をフルに使って踵から歩く』
という動きをしていたのであるが、その動きばかりしていた下半身が着物になった途端
『膝から下のみでどちらかというとつま先で歩く』
というこれまでにない動きを強いられる訳である。
また、今まではつま先から踵、ブーツの日には足首までしっかりホールドされていた足が
『自分の足の指の力でしっかり鼻緒掴んで歩かんかい』と思いもしないしごきを受ける。
膝下だけで歩く感じにしようとすれば、太腿はしっかり閉じなきゃならない。
そうでなければ、背筋をきっちり伸ばして膝を軸に歩くなんて事はムリなのである。
よって、内腿やら、お尻のほっぺたやらが激しく筋肉痛。
誤算であり、予想外の収穫(?)である。
なにしろ、下手なトレーニングマシーンやエクササイズより
余程、腿とお尻の筋肉に不可がかかるとしか言いようがないのだから。
着物が普段着=割烹着は必需品、というイメージが今の生活以前から頭にあった。
きっと、父方の祖母の影響のせいであろう。
彼女は普段着としてよく着物を着ていた。
記憶を穿り返してみるに、多分あの柄や手触りからすると
木綿、紬、銘仙、冬場はウールだったと思う。
足を悪くしてからはお茶とお華の時や、慶弔時のお出かけに
留袖なり、訪問着なり、付け下げや色無地なりを着るくらいだったけれど
それ以前は洋装よりも和装でいる事が格段に多い人だった。
春夏秋冬、着物で家事をする彼女の傍には割烹着があった。
私のような粗忽者ではないから、普通の丈のものであったが
何時も白い割烹着の向こうに赤い縞が透けていたり
藍染の藍色が透けていたりしていた。
そして、その姿でサクサクと動き、毎日きっちり家事をこなし
庭木の手入れをし、小さな私を抱いたり、小さな手をひいて買い物に行ったりしていた。
白い割烹着からは何時もセッケンとお日様の匂いがして
朝ごはんの後に小さな薄茶の染みがある日はお味噌汁の匂いもした。
そういう祖母と幼少期を過ごしたからか、どうしても自分の中では
『着物が普段着=割烹着は必需品』となってしまうのだ。
勿論、自分が大変な粗忽者で注意力散漫だと自覚しているので、というのもあるが。
その証拠に私の割烹着は膝下の真ん中辺りまである丈の長いものだ。
色は勿論白。
割烹着を着けて包丁を使う時、洗い物をする時
片付け物をする時、洗濯をする時、気のせいだろうが祖母の匂いがする事がある。
セッケンとおしろいと桃の葉クリームの匂い。
せっかく彼女が着付けてくれた着物をあっという間に着崩した私を見て
笑いながら直してくれた時にも嗅いだ匂いだ。
もし、本当に時々祖母が傍に居るとしたら、きっと苦笑している事だろう。
何故なら、粗忽な孫娘の割烹着の袖には、もう既にカレーの染みがついているのだから。
現在愛用中の着物用割烹着という奴は実に優れものである。
袖が太く短く出来ているので、着物の袖の振りがすっぽり収まり
襷がけも腕まくりもなしで肘まで綺麗に袖をあげてくれる。
また、かぶったり、ボタンで留めたりするタイプの割烹着ではなく
首の後ろと腰の二箇所で紐を結ぶタイプなので帯もあまり崩れないし
なにより両腕が動かし易い。
お陰で今日もサクサクと夕食の下準備をする事が出来た。
私にとって割烹着はなくてはならないお気に入りなのである。
が、先日の事だ。
やっと人様の前で着ても失笑されないで済むかも
のぎりぎりのラインまでは来たかなと判断したその日
着物に割烹着姿でキッチンに立つ事にした。
流石に洋服の時とは勝手が違うところもあるし
如何に今までの自分の所作が荒っぽいかを思い知らされもするのだが
思っていた以上に動けるので大変楽しくブロッコリーを解体していたのである。
ガチャッという鍵音と共に入ってきたのは家人、いや、現在の住処のご城主様。
『おかえりなさい』と真顔で言った瞬間、笑い声が聞こえてきた。
ご城主様がこちらを見て笑い転げておいでなのだ。
着物を着られるようになるぞ、と努力する私を支持していたはず。
割烹着を購入したのだ、と言った時にも、そうかそうかと笑顔で頷いていたはず。
なのに、一体ナニが可笑しいと言うのだ。
最初はそう思って唖然としていたが、そのうちつられて笑い出してしまった。
勿論どうにも納得いかない気持ちのままで笑ったのであるが。
で。一体ナニが可笑しいとおっしゃるのか。と問うたところ
まだ笑い止まぬまま返ってきた答えは
『だってさ、家に帰って玄関開けた途端に着物に割烹着の人が
「おかえりー」とか言うってデータが自分の中に無かったんだもん。』
前例がなく、また意外性に溢れ、意表を付かれる出来事であった故
奇抜なものに目が行くと自覚するご城主様のツボに入ったらしい。
『leelaが』『着物を着て』『割烹着を着けて』
『包丁片手にブロッコリーを解体しつつ』
『いつもと変わらぬ調子で』『「おかえりー」とか言う』
たかがこれだけの事で笑いをとれたのである。
しかし。
なーんか違うんじゃないか、と思うのは私だけだろうか。
『成長を願う対象が少しでも前進したら先ず何をおいても褒めるべし。』
と思う私だから「なーんか違う気がするぞぅ」と思いながらその夜を過ごしたのかもしれないが。
歩く時にも腰から下全部を使うような歩き方だし
女性にしては少々歩幅が大きめで、地元では歩くのが速い方でもある。
幾らある程度慣れてきたとはいえ、よくもまあそんな奴が着物で日常を過ごせたもんだ
というのが身近な人の大半の印象であろうと思われる。
現に母なぞはえらく驚いていて『あらぁ!うそぉ!』以外の言語を数分間発しない
という割合失礼な会話を交わしてくれた。
もしかしたら母も含めて勘違いしているかもしれない。
あの粗忽者が急に静かでしとやかな所作を身に着けたのかもしれない、と。
甘い。
三つ子の魂百まで、という言葉をしっかりと思い出して頂きたい。
当然、着物を着ている時の為に身に着いた所作もあるにはあるだろう。
しかし、私が快適に何の問題もなく着物で過ごせる理由はそれではない。
自分の体型と自分の身体の癖や動きの癖に合う着付け方を
少しずつ覚えていっているから全然平気で普段から着物を着ていられるのだ。
友人数名から『練習すれば着られるようになるのか』『難しくないのか』
という問いがあったが、物凄く美しく、完璧に着付けるのは難しいだろうと思う。
毎日、朝の忙しい時間に袋帯を締めるのも平気です、なんてレベルになるのも簡単じゃないだろうと思う。
が、自分が快適に過ごせて、着崩れもし辛く、少々崩れても自分で直せる
という位の事ならば練習すれば大抵は出来るものだな、というのが個人的な意見だ。
一人で角だし(袋帯なんかでやる上級者向けの帯結び)10分で出来ます。
と言えるようになりたい場合は、きちんとお教室に通うなり
身近なところに上級者が居れば教えて貰うなりして練習した方がよろしかろうと思う。
しかし、普段着の着物は実は凄く凄くお気楽なものなのだ。
美しさより機能性と機動力を重視した帯結びで十分だし
着物の世界の色んな決まり事に捕らわれずに着付けて本人が快適ならいいのである。
が、本当は動き易く快適に過ごせる大きな理由は別にある。
早い段階で上手に裾を割れるようになったから。
粗忽者が先ず最初に覚えるべきはこれかもしれない。
ごく短い時間だけれども。
居候なので玄関まで出てきちんとお見送りする。
30を過ぎ、それ以前から一人の生活をそれなりの年数の間続けて
また、それ以前やその後の短期間、家族、または異なるバックボーンを持つ人と暮らし
誰かと居を同じくする時、『気をつけて出かけてね。そして元気で帰ってきてね』
を込めた『いってらっしゃい』と『寒かったでしょう?(暑かったでしょう?)お疲れ様。』
『アナタのおうちへようこそ。帰ってきてくれて本当に嬉しいんだよ。』
を込めた『おかえりなさい』が些細なようでも軽んじていいものではない、と感じるようになった。
いってらっしゃい。気をつけてね。
笑ってそう言うと、『はい。いってきます。おとなしく待ってるんだよ。』
穏やかな笑顔と一緒にそう返ってきた。
幼い頃に言われたのと全く同じ事を言われてくすぐったさと嬉しさを感じる。
照れ臭くて『もういい年なんだからお留守番中に大暴れなんかしないよ。』
と言って誤魔化したくなったけれど、照れ笑いでそのまま見送った。
玄関には残り香。
まだ赤ん坊の頃から幼稚園にあがる前まで
毎朝祖父と父を玄関まで出て見送っていた。
パパ、いってらっしゃい。
おじいちゃん、いってらっしゃい。
出かける直前に抱き上げてくれる祖父の手。
抱かれて肩に顔を寄せるとトニックの匂い。コロンの匂い。
ほっぺを撫でる時を重ねた大きな手。
見送った後も微かに残る匂い。
お昼寝の時に香る移り香。
大好きな祖父が早く元気で帰ってくるように。
そう思いながらタオルケットに包まる午後。
意識はしていなかったけれど、きっとその頃から感じてはいたのだ。
笑顔で見送り、いってらっしゃいと手を振ると
出かける誰かが笑顔になり、その笑顔で自分の胸も温かくなる事に。
しかし、洋服の時より幾分目立つ。
それはそうだ。
民族衣装が生活の中にしっかりと根ざしている訳ではないこの国のこの時代。
日常的に着物に羽織で外を歩く人間は絶対的に少ないのである。
ちょいとコンビニにタバコを買いにと出かけたり
今夜のご飯はなににしようかと考えながらスーパーに行ったり
榊を買わなきゃならんぞと花屋さんに出かけたり
喉が痛いからのど飴買おうと薬局に行ったり
という程度の事をするだけで必要以上に視線を集めるのだ。
出来る事なら目立たずひっそりこっそり地味に人生を送りたいのだが
こんな所で日常的に目立ってしまっているとはどうしたもんだ。
まあ、目立つのは仕方ないと諦めよう。
しかし、目立つ以外にも『?』と思う事が起きる着物生活。
何故か世間が微妙に優しい。
コンビニ前に座り込むお邪魔な青少年は『どうぞっ』と道をあけてくれる。
スーパーの店員さんは通常客が詰めるレベルの量を
ご自分で袋に詰めて下さり持ち易いように差し出してくれた。
花屋さんにしてもそうだ。
お店に入ろうとするとドアを開けてくれる人まで出てくるし
すれ違った異国の方々は笑顔を向けても下さる。
見ず知らずの叔母様は『これお使いになる?』とショッピングカートを差し出して下さった。
もしかして、あれか。
今時自分で着物を着るなんてエライわねえ。ってヤツと
着物なんて着るのも管理も手間の要るものをわざわざ着るとは
きっとどうしてもの事情があるに違いなかろう。
さぞかし動き難いだろうからこりゃあ親切にしてあげねば気の毒である。ってヤツだろうか。
異国の方々については他国の民族衣装が日常の中にある事が珍しいだろうから
それ以外に特別な理由はないと思われるが。
和服を普段着の枠の中に入れている人間は現在少数派なのだ、という事。
また、今の私の年齢(特に見た目の年齢)で
和服も普段着の一部としているというのは考えづらいらしく
『和服を着なきゃならない事情があって着ている』だとか
『物凄く殊勝な心がけを理由とし、頑張ってお勉強している(和服の着方等)』
と解釈される事が少なくないようなのである。
単に着るものの幅が増えたというか、選択肢を増やしただけなのだが。
勿論、和服をワードローブに加えるにはそれなりのきっかけはあったし
聞きようによっては殊勝に聞こえるかもしれない理由もあるにはある。
しかしながら、そんなものは私個人の思い入れの類に過ぎない。
今までスカートしか穿かなかった人がわざわざ人に宣言する事無く
自分の中の気持ちや嗜好の変化に従ってジーンズ『も』穿くようになった、というのと然程変わらない話だ。
それでも周囲の反応はあくまでマイノリティに対する反応だ。
なるほど。
着物業界がヤバイと言われるのにも納得。
毎日『特別な日にしか身に着けないドレス』を『当たり前にしょっちゅう購入する』
なんて事があるはずはないんだから。
ないわけではないが、少なくとも現段階においては
『ものすごーく不自由しております』と言う程の事はない。
けれども、もし和服の際に気をつけるべき動き
というのを踏まえずに暮らしていたらしょっちゅう不自由を感じていたかもしれない。
例えば、スーパーに買い物に行った時、洋服であれば
欲しい物がどの位置にあってもスッと手を伸ばす。
しかし、和服の時は袖の長さを考えて手を動かさないと
辺りにあるものに袖を引っ掛けて物を落としたり
壊したりする可能性も十分にある(袖が破れる場合もあるらしい)。
表が滑り易いウレタン草履でスロープ型のエスカレーターに乗る際は
重心を爪先寄りにして、足の指で鼻緒をしっかり掴まないと
下手をすれば草履から滑り落ちそうになったりもする。
と、細かい事を挙げたらきりが無いのであるが
和服の時には気をつけた方がいい事を踏まえないと現代社会は必要以上に不自由なものだろう。
が、これもミニスカートの女性が座り方等の所作に気をつけるのとそう変わらない話だと思うのだが
きっとミニスカートをしょっちゅう穿く女性は聞かれないだろう。
『ミニスカートでの生活って不自由じゃないの?』なんて。
なのに、まだお日様が照る時間に玄関で物音がした。
朝からなんだかチャイムがしょっちゅう鳴り
このフロアの部屋全てをチャイムが巡回していくのを聞いていた。
ここは一応オートロックのマンションだ。
住人の誰かを訪ね、その住人が開錠しない限りは入れない。
エントランスにあった張り紙を思い出す。
どうにかして中に入り、どうにかして勧誘しようとする者や
『管理会社から依頼されて来たので、これこれこういう事をさせろ』
と、にじり寄って小銭を細かく稼ごうという者が居るから気をつけるように。
どうもその類の輩は絶滅しないらしい。
曲りなりにも私も女性である。
一応嫁入前でもある。
この際、嫁としての仮予約すらないという事は何処かに置いて置く。
まぁ、とにかく何ぞあったら堪ったものじゃないわ、と警戒していた。
そこに真昼間から鍵をガチャガチャやる音が聞こえたものだから
とにかく玄関まで現在の体調からするとあり得ないスピードで飛んで行った。
勢いをつけて走ったので丁度軽く滑り込むような感じになり
ご城主様が防寒防音対策に敷いてくれたタイルマットを破壊しかけた。
『おぉっ!』
この声は私が発したものではない。
真昼間に鍵を開けようとしていた張本人のものだ。
その張本人とはここん家のご城主様なのであるが。
割烹着の件以来二度目である。
帰宅した者を玄関先で驚かせるのは。
とは言っても病気や怪我ではない。
しかし、病気や怪我でなくとも痛いものは痛い。
鎮痛剤を飲むタイミングを逃し、慌てて飲んだものの時既に遅し。
痛いのを隠してなんでもないふりをしながら横になる。
痛い思いをしている時、意識が二つに分離され、二方向に集中する。
一方は痛みと、痛みを感じている自分の身体そのもの。
もう一方は自分の外側へ。
痛みを逃がす為に呼吸を変える。
出産経験のある友人にこの事を話すと『まるでラマーズ法だ』と言われるのだが
まさにそんな調子で息を吐いては痛みを逃がし
浅く緩く小さく吸って痛みを強くさせないように呼吸する。
ドアを開け閉めする音。
カチリと小さく響くライターに火を点す音。
タンブラーに注がれる水音。
木綿の衣擦れ。
勢い良く降り注いでいるであろうシャワーの音。
痛み疲れてハァハァと肩で息をしながら
外側の状況を音で把握していた。
こういう時の私の痛がりようは傍に心配をかける。
病気ではないから心配ない、と本人は分かっているけれど
傍からすると、人によっては『本当は病気なんじゃないか』と不安になる位だそうで
何度か救急車を呼ばれそうになった事もある。
なので、あまりこういう姿は人には見せたくないのだ。
例え身内であっても。
なんとか寝床に一人きりの間に痛みが治まらないものか、と思い呼吸する。
痛む箇所を楽にする姿勢を探し、手を当て、擦る。
タバコを消す音の後にドアが開く音が続く。
どうにか心配をかけぬようにしようと思うけれど
痛みに耐えるので精一杯で今月もバレバレだ。
私の寝床に腰を下ろす音と感触の後
腰と背に人の体温が触れた。
一定のリズムで背や腰を擦ってくれている。
骨盤やお腹を暖めようとしてくれている。
女性ならお分かりだろうが、この痛み、冷えが大敵であり
高過ぎない温度で暖める事で随分と楽になるのだ。
体液全ての流れを促すように、凝り留まる冷えを溶かすように
人の手で擦られ暖めて貰う事は個人的には凄くありがたく、凄く贅沢な事だ。
腕が疲れるから、もういいよ、大丈夫。
そう言おうとするが痛みに耐えるばかりで声も出せず
唯、されるがままでありがたい体温を感じていた。
どれくらいそうしていたのだろうか。
やっと通常どおりの呼吸を取り戻し始めたから、と思い
『もういいよ。だいぶ治まってきたから。腕が疲れるよ。』
聞こえたのか聞こえないのか人の温度が私の腰や背から離れない。
『ありがとう。もう大丈夫だから。腕が疲れちゃうよ。』
そう言って起き上がろうとしたら背中を緩く抑えられ
四肢を思うように動かせない赤ん坊のようにぺしゃりと寝床にうつ伏せになった。
心配しているのだ。
無理をさせたくないのだ。
無理をせず気を遣わず横になっていなさい、と言いたいのだ。
少しだけ大人しく従ってはいたものの
きっともう相当にいい時間だろうと思って寝床を整えようとクローゼットを開けに行く。
『布団なんか敷かなくていいから。』
『痛いんでしょう。』
もう随分治まったから平気だよ、と笑う私に返ってきたのは
『いいから。寝てなさい。』
もう滅多に聞く事のなかった私を案じた時の重みのある心配声だ。
『はい。』
案じてくれる思いに素直に従って痛みが完全に抜けるまで横になった。
痛い思いをすると疲労する。
くたびれ果ててうとうとと眠り、時折目を覚ますと
腰や背を暖める手が伸びてきたり、『大丈夫?』と問う穏やかな声が聞こえてきたり。
『ゆっくり休んでなさい。』
だから今日はいつもより少し多く眠った。
これが昨日の着物姿の私を見た友人の感想である。
昨日着ていたのは黒地に朱寄りの橙の波千鳥柄のウールの単。
恐らく彼女が言う御茶屋とは茶店の事であろう。
看板娘にしてはいささか年がいき過ぎているが。
昨日の着物は素材から見ても柄と作りから見ても普段着仕様の着物である。
茶店のお姉さんと言えば毎日着物を着て店で忙しく働いていた筈だ。
職業上、汚れる事も少なくないまさに普段着な様子の着物を着て
髪の結い方や髪飾り、帯や半襟で自分なりの装いをする程度だったろう。
そんな女性に例えられるとは、私の着物の着方も少しはマシになったという事だろうか。
ほぼ毎日着物を身に着ける事は着付けの上達云々もあるだろうが
それ以上に、着慣れる、身に着く、板につく、という利点があるのかもしれない。
新作の展示会をやるから是非来店して羽織って遊んでくれ、との事。
ざっと目を通して即破り捨てる。
まぁまぁ、と家人は笑って諌める。
が、私は破り棄てる事を止めなかった。
理由は、彼等とは着物に対しての考え方やスタンスが全く異なり
彼等はあくまで彼等のスタンスで着物と接する事を正とし
それをこちらに不躾に、かつ、狡猾に強要するからである。
以前書いた一目惚れした正絹小紋と袋帯の件。
あの時からずっと何かが引っかかっていた。
今思えば、それは作家の態度と店のスタッフの態度の違いから感じた事かもしれない。
作家さん本人は『売りたい』というより『着て欲しい』というスタンスだった。
自分が自信を持って薦められる作品を、自分が見て似合うと思う人間に着て欲しい。
好きで染め織作家という道を選んだ人の気持ちなのだと思う。
また、着物の格云々の問題ではなく、着物を消耗品にせず
長く大切に日常の中で身に着ける人間に『引き取って欲しい』という様子だった。
しかし、その店のスタッフは違う。
彼等はあくまで『着物を売る事が仕事』なのだろうとしみじみ感じた。
その日の展示会では皆着物で接客をしていたのだけれど
きちんと着物が身に着いていると感じるスタッフは一人だけだった。
それ以外のスタッフは完全に着物に着られてしまっていたし
誰かに着付けて貰った事がよく分かる着方で
所作も着物に慣れていない人間の所作だった。
つまり、彼等にとって着物はあくまで『商品』であり
自分の生活の中で『衣類のひとつ』として存在している訳ではないのだろう。
もし、着物が自分の日常の中で衣類として存在しているのなら
正絹の格の高い小紋はそうしょっちゅう着るものではない事も
同じく正絹の袋帯もそうそう身に着けるものではない事も
客である私の素性を聞いた段階でよくよく分かる筈だ。
そして、そうしょっちゅう身に着ける訳ではない以上
着物を普段着のひとつにしている人間は普段着に向かない着物は
安易に購入しないという事くらい十分に分かる筈だ。
バブルが弾けとんで久しいこの時代に高級呉服を易々と購入する人間は少ない。
だから必死で売ろうとするし、なんとかローンを組ませようとまでする。
それが彼等の商売の仕方であるから仕方がなかろう。
そこに文句を言う気はない。
ただ、どうしても気に食わない事がある。
家人にたかれ、と表現すると些か過激かもしれないが
時に暗に、時に強引に家人に買って貰えばよろしい、と押し付けてくる。
これが気に食わないのだ。
他者の財産は他者の物。
決して私の物なんかじゃあない。
他者のお金は他者の物。
絶対に私が稼いできたお金じゃあないのだ。
他者がその労力と時間と気持ちを注いで手にしたお金を
自分の高級過ぎる普段着を手に入れる為に使わせろ。
私からすれば彼等の売り方は私にそう押し付けているものでしかない。
大手の全国展開をしている呉服屋さんは往々にしてこの調子のようである。
商売をするのは構わない。
商売人ならば当然の事だ。
しかしながら、客を不快にさせる売り方をして
それこそが商売である、と客に強要する商売人は好きじゃない。
だから私はこの呉服屋さんに背中どころかお尻を向け、DMを破ってポイしているのである。
という認識が一部の呉服店、また、着物と日常的に接する機会がない人に
すっかり浸透しきっているものだ、という事がよくよくわかった。
多分、自分が着物を普段着のひとつにしなければ分からなかった事だろう。
着物を着るのは大変な事である、と思われているのであろうが
それは正装、礼装としての着方をした場合のお話だと思う。
TPOを弁えた上で失礼のないように場に相応しい美しい着方をする場合
現代人の体型からすると相当な補正が必要な場合も多いだろうし
身に着ける物の数も増えるし重さも出るから、それは大変だろうと思う。
正装、礼装に位置付けられている種類の着物を苦しくないように着こなすのは
余程着慣れていて、着物と自分の身体をよくよく知っている人くらいだろう。
しかし、普段着としての着物は全然苦しくない。
着物はきっちりぴっちり着付けるものである、と思って着れば
例え普段着の着物であっても苦しかろうし、ちょっと動くにも難儀するだろうが。
祖母達の着方を思い出し、着物が普段着として存在していた時代の写真を見ると
きっちり、ぴっちり、がっちり、な着方をしている人は多くない。
当時のファッションリーダーであった花柳界の女性の着姿からしても
衿を深く深く合わせて帯の位置を高くして着ている姿はそう多くは見ないのだ。
衿はきちんと合わせてはいるが、そう高い位置で合わせてはいないし
現代の着物の着方と比較すると帯の位置もかなり低い。
丁度ローライズ、ヒップハングのお洋服を着ている時のように帯の位置が低いのである。
昨日、ウールの単を着た時に動き易さと着崩れの少なさを模索しながら着てみると
着物が現役で普段着として世の中にあった頃の着方に近くなった。
体型の問題でもあるがうち合わせが甘い(浅い)着方になり
外から見える半襟の分量が格段に増える(現在よしとされる分量は三センチ幅程度)。
よって半襟がついている襦袢の衿も喉元をきっちり隠すような合わせ方にはならない。
帯にしても私の場合腰高なので傍から見るとあまり低い位置にないようだが
それでも『腰で着る』という感じで現代薦められている帯の位置よりだいぶ低目になる。
思い出してみれば、祖母も普段はこういう着方をしていた。
寒い日にはウールと木綿の重ね着みたいな事もしていた気がする。
これはこれで襟元の色の重なりが綺麗でキュートで
普段着や街着としてのお洒落には丁度良かったように思う。
バブル崩壊以降の呉服業界は実に厳しいのだそうだ。
当然である。
手入れも大変で、おまけに着方も分からず、着ても苦しい着方をする滅多に着ない衣類に
車一台、場合によっては車十台分の大枚を叩け、と言われても
金銭感覚が狂っていたバブル期のようには行く筈がない。
日常の中に気負わず共存出来るものでなければそう簡単には売れない
と思うのは私が呉服業界の人間ではないからだろうか。
特に猫が多いエリアではないのだが、相変わらず猫遭遇率が高く
それなりに顔馴染の猫が出来てはいるものの
皆、野良ちゃんらしく近づく事は出来ても遊ぶまでは出来ないのだ。
お愛想をしてくれるだけでもありがたいものの
肉球と猫毛に飢えた身にとってはやはり淋しい。
が、たった一匹だけ飼い猫であろう青いチョーカー付きの子が居る。
何時も、どんなに近くに寄っても逃げる素振りも見せず
まあるい目でじっとこちらを見上げて緩やかに尻尾を動かすのだ。
いける。
この子なら恐らく私と一緒に遊べる子だ。
という事をご城主様にお話申し上げ
『だから、その子と一緒に遊んでもいい?』
と問うたら『ダメ』というお返事が返ってきた。
『どうして?』
『遊んだら思い出して、また猫と一緒に暮らしたくなるでしょう?』
そうか。
先々の事と私の受けたダメージを考えての『ダメ』なのか。
けれど、私はもう余程の縁がある場合でない限り
人間以外の動物と暮らすつもりはない。
そして、幾ら余所の子と遊んであの子を思い出しても
あの子はもう居らず、あの子の代わりなんて都合のいい存在はこの世にないのだ。
そう思っている、と伝えたら
『そうか。それなら遊んで貰っておいで。』
少しだけ、少しだけ心配そうな声が返ってくる。
この人は私が今もまだどこかで悲しい事を私以上に感じているのかもしれない。