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20050201

どうしたのか、と、よく問われる。

何を考えているのか。

言いたい事があるのでしょう。

本当はそのとおりである。

しかしながら、言語化出来ないのだ。

いや、ただ出来ないのではなく、あえて『しない』と言ってもいい。

言葉というものはとても恐いものである。

ここに綴る日記の一部のように、他者から見ればただ抽象的で
どこかややこしく、決して具象化出来ないものであれば
責任というものを除外すればまた幾らかは違おうが
他者を目の前にして発する言葉はただ抽象的なものとして発する事はかなわない。

他者に向けて発する以上は相手の理解が及ぶレベルにして
発する事を求められもするし、そうでなければ自分ももどかしくて堪らなくなる。

神経を集中させないでいなければ居られない事も内側にはあるもので
同時に神経を集中させる過程を持たなければ言語化出来ない部分がある。

言語化し、外に向け、特に特定の個人に向けて発した言葉は
音となって聞こえ、そして空へと消えるものではあるけれど
相手の耳から消えたとしても、事によっては胸の中に永く永く留まる。

相手の理解を得られるであろうレベルでない状態で
ある特定の相手に言葉を発して痛い目を見た事が何度かある。

今以上に拙い頃を思い出せば幾らもある。

数年前。

迸る感情と同じ速度と圧力で言葉を発してしまった。

その後、自分自身は勿論の事だが、その言葉を受けた相手も痛みを抱え
また、短いとは言えない時間を痛みと共に過ごした。

私の事を口が達者だと言う友人は少なくない。

言葉に関する事が実に得手である、と言う人も不思議な位に居る。

それでも、思う。

私は言葉が不得手だ。

不得手だから慎重になる。

きっと、それもまたもどかしさを加速させるのだろうけれど。

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