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と言って憚らない友人知人が男女とも結構な数で居る。
まぁ、その辺りは人其々考え方や感じ方があるものだし
家事の内容、家事の処理の度合いをどう設定しているかも
人や家庭によって随分違いもあろうから正とも否とも言い切れない話だ。
ただ、個人的には、ルーティンワークという言葉を耳にする時
単純で下らない仕事、という意味合いで使っているな
と感じる事があるので、己が生まれ育った環境上ちと疑問に思う事があったりもする。
家事が趣味である、とここに書いた事がある。
それは今でも変わらないし、息抜きやちょっとした運動としても必要なものだ。
また、基本的な生活の、そのまた基本中の基本
を整えるのには家事というものは必要不可欠であると感じ続けてもいる。
しかしながら、それは自分が一人で暮らしていた頃の話だ。
現在のように他者と共に暮らし、家事を請け負うに一番合理的な立場に居る
という事もあって家事全般を任せられてみると、一人の時に感じていた事だけではなく
一人じゃないからこそ感じる事も出てくるものだったりする。
一人きりの時よりも他者と暮らしている時の家事の方がもっと頭と心を使う
という事などは毎日毎日必ず感じる事である。
食事ひとつとっても、自分一人であれば味は二の次でもよいし
見た目は三の次、四の次でも特に問題はない。
栄養のバランス云々についても自分だけの身体に合わせればいいし
摂取カロリーについても自分の消費カロリーとニーズに合わせれば済む。
けれど、これが他者の分も作るとなるとそうはいかないのだ。
身内であれなんであれ、体質も代謝も一人一人違うし
痩せたいのか、太りたいのか、現状を維持したいのかも違う。
特に必要とする栄養素だって其々に違うし
軽くとも持病がある人がいれば、それに対応する内容が求められる。
また、味の好み、その日の体調、前日の食事との兼ね合い等、心と頭を使うべき部分は少なくない。
これは食事だけでなく、洗濯、掃除、片付け、物の配置にも言える事だ。
家人はあまり鼻と喉の粘膜が強くないようなので
カーテンの洗濯、布団干しはマメにする必要があると感じるし
マメに換気をして埃が堪り辛いようにするように心がけてもいる。
朝晩お風呂に入る事もあるし、複数の人間が使えば浴室はかなり汚れるものだから
バスタブや壁の掃除は勿論だが排水口の掃除とカビ防止の為の換気も必要になる。
とにかく、同じ家で暮らす者全員が出来る限り気持ち良く過ごせる事
健康である事、ゆったりと休んで疲労を追い出せる事を重視する家事
となると、とてもじゃないが、決まりきった単純作業としては処理出来ない。
体調も疲労度も、家の汚れ具合も洗濯物の量と質も毎日違うし
天気も気温も湿度も決して毎日同じという訳ではないのだから。
随分前にテレビでインドの主婦を取材したものを見た。
インドの全ての家庭が、という訳ではないけれども
私が見たその女性は、家族全員の体調とその日の気候を考え
毎食のメニューを決め、スパイスの種類と量を決める。
それを見て、自分の祖母達と母を思い出した。
祖母達も同じく、食卓に着く者全員の事を考えて台所に立っていたし
母にしても、異様なまでに多忙だった父の事を考えて包丁をふるっていた。
掃除にしても、洗濯にしても彼女達は家族の身体と気持ちを考えて行っていたのだ。
時々、三色昼寝つきの主婦は非生産的階級である、という声を聞く。
家事だけやってりゃいいんだから楽ができていい身分だよな、という声を聞く。
勿論、そういう主婦も居るのかもしれない。
しかし、私の知る主婦や、主婦でなくとも家事を請け負う人達は
どうみても楽をして怠惰な日々を過ごしているとは思えないのである。
日々、心と頭を使って生活の基本を作り、守る人達は少なくとも私にとって尊敬の対象だ。
日常的な、日課とも言える仕事を請け負い
日々頭と心を使い続けるのは口で言う程容易じゃないのだから。
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