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だから、偶に、いや、昔と比較すれば頻繁にとも言えるかもしれないが
泣けて泣けてしようがなくなってしまう時がある。
本人以外の冷静な視点から見れば、泣けてしようがなくなる理由を
根っこから抜き去ってしまうには時が必要である
という事も頭じゃ重々理解しているつもりなのだ。
つまり、脳は理解しているから脳だけは納得してくれている。
けれど、生き物である以上は、脳以外にも納得させなきゃならない相手が身の内に在る。
心とか、感情とか呼ばれるものだ。
これは理だけではなかなか説得出来ぬ相手であるし
正直、脳の中で本能を司る部位を除けば脳よりも優位なもの
言い換えれば脳の主と言ってもいい位に生き物の中で大きな力を持つものでもある。
だから、脳が差し出すデータを突っ返す事もあるのだ。
今日、泣けて泣けてしようがなくて
運良く傍に居てくれたうさちゃんの前で泣いた。
むせる程泣くなんて、私は幼子か、と思い
なんだか更に泣けて来そうで、お陰で更にむせて
『大丈夫。ダメなんかじゃないよ。』
そう言いながら背を叩くうさちゃんのお陰でまた泣いた。
泣きながら思う。
自分の拙さ、不器用さ、愚かさを改めて知ると同時に
「そうか、大人も泣くんだな」と小さな子供のように思う。
ほぼ万全のコンディションの時であれば、ある程度は負荷を軽く出来るけれど
「ちょいと不調です」なんて時や、「これは長年悩んでます」
なんてネタと直結する系統の負のインパクトを受けた時は
そりゃもう大きな衝撃を受けてしまう。
ああ、大人って、この年齢の人間って、もっと強くて
もっと上手く綺麗に処理出来ると思ってたのに
と、口惜しさに拳を握り締めながら
足元の地面が崩れ落ちていくような恐怖と心細さを感じる事もある。
勿論、それはそう滅多にあることではない。
けれども、その負のインパクトが強ければ強いほど
数年の時が過ぎて、十数年の時が経っても
なかなかその時に味わった恐怖や苦痛を払拭出来なくなる事があるのだ。
私は今、その負のインパクトと向き合う機会を割と頻繁に得ている。
しかし、意思だけじゃどうにもしきれない事というのもある。
自分が日常の中で認識している意識、顕在意識の範疇でなく
自分で認識も把握もしきれていない、もっと奥の方にある何か。
これは意思の力だけで、早急にどうにか出来る事はそんなに多くはないのだ。
潜在意識に限りなく近い部分にこびりついた負のインパクト。
例えば恐怖。
例えば罪悪感。
例えば劣等感。
これを払拭してやるには、己の意思は絶対に必要であるが
意思だけでどうにか出来る事ばかりではないのだ。
だから私は『焦るべきでない』と知っていても
時々、ジタバタせずには居られなくなってしまう。
それはただ、時の流れによってのみ解決される事もあろうし
時の流れの中で積み重ねた何かによって解決される事もある。
何かを解決、改善、解消するという事についてジッとしていられない己の性分をこの頃実感している。
何もせずに居る事は勿論出来ないのであるが
何かをしていても、それなりの成果なしでは
何かをしている事すらも幻想に思えてきてしまう事もある。
だから、ジタバタするし、足掻いてしまうのである。
時に、苦痛に耐えかねて、せめてカンフルだけでも手にしたくて。
うさぎは言う。
『時間をかけて少しずつどうにかしていくしかないよ。』
分かっている。
ただ、その瞬間に感じている苦痛が大きいほどに
苦痛を味わった時間が長くなる程に足掻かずには居られなくなる。
理では御しきれない者。
それを納得させる為に使えるものは。
自己正当化、または自己否定となるのかもしれない。
私が泣けてしようがない理由のひとつは。
かなり厳しく、また、長期に渡る自己否定である。
他者に責められるならば、まだ耳を塞ぐ事も出来るし
反論するという方法だってあるのだけれども
自分に否定され、責められるとなると
耳を塞ぐ事は出来ず、反論の声は荒ぶる感情の波音にかき消される事がある。
自分に否定され、責められ、理不尽な仕打ちを受けた
自分自身からの抗議の声、哀しみの声なのだから聞かぬ訳にはいかないのだが。
因果応報、と言うと少々違うかもしれないが
己のした事が己にはね返って来るという意味では因果応報とも言えよう。
自分を酷く否定し、責めたてて、打ち据えると
そんな仕打ちを受けた自分から同じ目に遭わされるのだ。
これも、自分が生きる中で作ったツケのひとつだろう。
ツケは払わなきゃならない。
仮に自分への借金であったとしても負債を抱えたまま
その負債を忘れ去る事は私にはとても難しいからだ。
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