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まはのインド日誌

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2002-09-02 日印比較論・日本人はせっかち?

_ ありがとうございます。明日ばかりのマハでございます。

日本は残暑厳しいとのこと。こちらインドは涼しい涼しい、まるで軽井沢ですなぁ〜。インドは広いんで、正確には、インドのムンバイ(旧ボンベイ)より南へ200キロ、プーナはまるで軽井沢ですなぁ〜。

今日、日本から、久しぶりに友人がやってきて、いろいろな話をしました。インドのどこがいいのか?ってな話になって、それで日本のどこが嫌なのかという、逆の話になり、日印の比較論をやりました。

そのなかで、先日、インドで交通事故にあい、一時は足が腐りかけて、大変な目にあった女性の話しになりました。彼女は、道を歩いていて、バイクに突っ込まれ、軽傷を負ったのです。軽傷とはいっても、骨が見えるほど、足の肉ががばっと開いてしまったのですが、それがなんとも惨憺たる話。バイクに乗っていた人物は、「お前の不注意だ!」とはいさようなら。完全にバイクが悪いのだけども、インドでは、相手に怪我をさせても、ほとんど保証の義務はないそうです。後日、怪我を負わせた犯人?が判明、その父親がやってきて、お詫びをいれてくれた、、、それではお金を払いましょうと言ってくれたまではよかった。そのときまでの治療費用を言うと、じゃ、その半分もちましょう。えっ、半分、とんでもない、ちゃんと全額もって頂戴!と彼女は怒鳴ってしまったら、その父親も急に怒り出し、「あんたはナイスじゃない!人がせっかく半分だしてやるっていってんのに、なんだ全額出せだと、知るか!」とはいさようなら・・・

あとで、インドの知り合いに聞くと、インドではそんなもんなんだそうだ。人のお値段は超安い。人が死んだとしても、誰も気にしない・・・ある人などは、「我々は(人口が)多すぎる」とのこと。人の一人や二人死のうが、神様がそう決めていたのだからと済ませてしまうお国柄だそうだ・・・

それはさておき、犯人が逃走?したもので、仕方なく、骨の見えた足をひきずって、リキシャにのって、病院に自力で向った、、ところまではよかった。病院に行って助けを求めると、まず、最初に、簡単に見てもらうと、医者が「これは緊急に手術が必要です。〇〇〇ルピーかかりますが、ちゃんとお金はもっていますね?」と聞いてきた。彼女はあいにく財布のなかに少ししかお金を持ち合わせていなかった。それで、いまはもっていないが、あとで何とかするので、とりあえず治療してください!と頼んだところ、お金がなければ、治療は何もできませんとあっさりとつっぱねられたそうだ・・・・彼女は、激怒、おまえ達は、こんな骨が見えている患者を見放すのか!

あとで、知り合いのインド人にきいたところ、インドはそんなところだそうだ。金がなければ、国立の無料病院以外は、どこも治療してくれないそうだ。といって、国立の無料病院は、治療を受けたいと思えるような場所でないし・・・

人が死んで、多少死のうが、我々は人口が多すぎるから。。。ってことなのかな?彼女は、骨の見えた足を引きずって、表に出て、たまたま、運のよいことに、友人に出会い、お金の算段をしてやっと治療ができたという訳。

やれやれと思うでしょ?こんな話をすると。。。こんなインドのどこがいいの?なんてね。

そんなことをマイナスしても、インドにはインドのよさがあるんだという話になった。

ここでは、誰もあまり人のやることに干渉しない。寛容であるということが、モットーのようになっている。

仮に、そこで人が死のうが干渉しないし、どのように生きようが極端な事でもない限り、気にしない。だから、自分のライフスタイルがほかの人と違っていようが、だからといって、それがまったく問題にもならない。つまり、日本でいう人並みな生き方といわれている生き方はないと思ったらよいと思う。

インドで人並みに生きなさいといっても、どういう人並み?ってなことになる。あらゆる種類の生き方が、あらゆる方法で混在している社会では、決まった生き方がなく、だから、自分の行き方を生きていても、誰も文句もいわない・・・それが気持ちを楽にさせてくれる。日本は、何か感覚的に重く感じさせる。インドから、空港に降り立つと、その感覚はすぐに戻ってくるんだ。

これが、インドと日本の大きな違い。よきにつけ、あしきにつけ・・


2002-09-03 日印比較論・日本人はせっかちか?

_ インド時間の10分は日本時間では何分?

昔、インド人に

「テンミニッツ(10分待って)」

と言われると、僕は「インド時間の10分?それとも日本時間の10分?」と冗談で聞き返したものだった。すると、相手は、ニタッと笑って、「オフコース、インディアンタイム(もちろん、インド時間さ)」と答える。

僕も、もう笑うしかない。。。インド時間の10分は、いままでの感覚でいうと、日本時間で最大3時間くらいまでの感覚があるんだ。いやね、この間、郵便局へ小荷物を出しに行ったとき、大分長い行列があったんだけど、やっと僕の番になった。局員が僕の大きな数個の荷物を見るや、「テンミニッツ(10分待て)」と言う。彼はそれでどうしたかというと、僕の後ろにいた、手紙など1つしか持っていない人の手紙をやり始めたんだ。なんせ、今日は偉い混雑していて、後ろに大行列ができている。とにかく、小包みたいな面倒な作業は、後回し・・・局員は列を早く消化したい一心だったんだろう。10分待った。それで僕は、局員のほうをじっと見た。彼は随分と僕のほうを無視していたが、ちらっとこちらを見ると、「テンミニッツ」と言った。

そのとき、行列は、減るどころか、増えるばかり。

そんなんで、こんなんで、彼はテンミニッツと延々と言いつづけ、時計を見たら、もう3時間たっていた!そして行列は、もう一人もいない!最後の人間となって、やっと小包を局員がとってくれた。

「おい、時計を見ろよ!10分っていったのに、3時間も待たされたぞ!」

と目一杯のイヤミを言うと、

「ソーリーソーリー、1分でこの小包の作業をやってあげるから、、ソーリー」

と言って、一生懸命に作業をやりだしたが、この局員はちょいと間抜けで、作業が鈍い。1分で作業を終了してあげると言ったが、時計を見ていたら、楽に10分はかかっていた。たった三つの小包のためにさ、15分もかかる・・・

つまりね、インドでは、10分が最大3時間まで、1分っていうことなら、15分くらいかなっていう感じ・・・

_ ほんとうにインド時間10分=日本時間3時間なのか?

_ ここで、インド時間×18=日本時間みたいな時間の方程式で推し量ろうなんて、言っているが、でも、そうでもないともいえる。

そもそも、インドでは、おっそろしく時間が長い。時間が長いというのは、時間の心理的な感覚ってこと。日本人の時間の感覚はどちらかというと時計の時間と同じように動いているかもしれない。1分といったら、1分だし、10分休憩って言われたら、時計の秒針が10回、回ったら休憩は終わり・・・

でもね、こんな正確な時間が、ほんとうに時間なのか、って、ここインドにいると疑問になる。

つまりね、悠久の昔から、何千年も何万年も続いてきたインドの歴史という視点からみると、10分が3時間だろうが、1分が120分だろうが、感覚的にさほど違いはないんだ。

だから、インドの人たちは、ここまで時間にルーズになれる。時間をきっちりと守る人はほとんどいない。10時に待ち合わせといっても、まともに10時に来た事などまずない。よくて、午後の何時かくらい、あるいは、ひどいときは、翌日などにやってきたりする。それでも、全然、憎めない。こちらも、そんな経験から、約束の時間はあってなきがごとく考え始め、だんだん、寛容になっていくんだ。これが不思議。


2002-09-04 フラワリーキス

_ せっちゃんの世界

せっちゃんと言えばさ、「あなたがあなたを愛しています」で御馴染み。たまに、わけのわからない不思議なことを言ってくれる。でもねぇ、なかなか、深いなーと思うことが多い。

よく、喧嘩するんだけどね、せっちゃんとはね。そんな仲。でもねー、なんだか、わたしゃ、せっちゃんの言っている、ハートの世界や、優しい世界には、もうあまり用のない人間だと思っていたけど、たまたま、サミーラさん(そよ風日記)の紹介で、ミワコさんのフラワーエッセンスのページをいま、創らしてもらっている。創っていると、これがまた、よい感じになるのね。気持ちよい。。。。お花のことばかりやっている。フラワリィキス、まぁ、お花の口づけって訳になるんだろうけど、このエッセンス、きっといいに違いないって、創っていて思えた。まだ、これから、制作していくところなんだけど、さっそく、制作現場を覗きたい人は、http://now.ohah.net/kissを見てみて。まだ、全然途中なんだけど、マハは一人でよい気分になっているので、もったいない、みなさんにもお分けします。。。


2002-09-07 役にたたない人間

_ インドは楽チン

最近、インドの話題がよく出る。どこに出ているかっていうと、まはと友人たちのお話に。今日もメシを食いながら、そんな話をしていた。ちょっと話それるけども、今日のおかずは餃子。自分で皮を伸ばして、具を入れて、焼きました。こっち風にいうとモモ。モモとは、チベットやネパールで餃子のことをモモというのだけども、インドでもその名前で定着している。つまり、今日のおかずはモモで、ももを食べながら、インドは楽だなぁ〜を御互いに確認しあっていた。

何が楽かって?まず、気分。これが一番大きい。空気が何か、違うのです。日本は、すべてがきっちと整理整頓されていて、綺麗、美しい・・それはまるで整備された日本庭園のように美しく仕上げられているが、その反面、窮屈な気持ちになる。どこでそれが窮屈になってあらわれるかというと、日本は工場生産の効率と品質において世界でも有数だよね。家電では、工場で、毎日のように何万台もの同じ製品がベルトコンベアから流れ出てくる。これも、そのきちんと整備された、昔からの鍛錬の成果。こんな、きっちりとした整備=管理がなくして、一定の品質の製品はできない。同様に、人間も整備、管理され、同じように動作することを求められる。一定のリズム、秩序を乱すものは、はずされるんだね。

ところがだ、もし、インドで、ベルトコンベアを動かしたら、どうなると思う。最初は、もう目もあてられない状況になると思う。みんながみんなで、勝手なことをはじめたり、勝手なことを言い始める。からきし、協調性もなく、そして、秩序がなく、混沌とした状況のなかで、たとえば自動車工場から、エンジンをつけたら、後ろに進む車が出てきた!と新聞にのっても、別によくある話くらいにしか思えないくらいだ。

これを逆にいうと、インドでは、人を管理するのが大変に難しい。言うことを聞いてくれない。強調的な一定のリズムで人々が動くことはまずない。みんな思い思いに、自分勝手に動く。だから、大勢の人間が集ると、そこにはカオスが生まれるんだ。それは一見、どうしようもない状態なんだけど、日本の制御されたところに住み慣れた人間にとって、なんとも、心地よい空間を提供してくれる。そんなカオスのなかでは、誰も、誰にも、こうしなさい、ああしなさいと指図することはないし、できない。

そんな、カオスのムードが気持ちを楽にしてくれる。

_ まはは、最近、何の役にもたたない人間、あるいは、何の役にもたたないもの、そういうものに敬服している。

たとえば、役にもたたない人間。社会に何の貢献もしない、そんな役たたずになれることじたい、勇気がいるよね。みんな、社会の役にたとうと考えるか、その反動で、社会を乱すことばかりしようとする。日本という国は、そういうお国柄。ところが、インドっていう国は、そういう意味では、役にたたない人間が実に多いと思う。もちろん、まはにしてもそうだけど、日本では、役立たずで、はじきとばされた。というか、日本では、役にたたない、社会に貢献しない、税金を払わない(払えない)、仕事をしない、怠け者、消費に関心がない、そういう人間というのは、つまはじき、村八分。やっぱり、勤勉さ、ここの勤勉さってのは、社会にどれだけ、仕事として貢献できるかってことだけど、それで人間の価値が決まるようなところがあるね。もし、何もしないでブラブラ、朝から、ぼーっとしていたら、近所の人たちが、あの人は、いったい何をやっているのか、と不審人物扱いだもんね。交番のおまわりさんまで、チェックにやってくる。

「何をやっているのかな?」「仕事は?」などと調査にやってくる。それで、何もやっていないとでも答えようものなら、以来、チェックが入ってしまう・・・・

ところが、インドでは、何もしなくても、誰も何も不思議に思わない。実は、昼間から、何もしない人間が実に多く、だから、特別なことでもない。何かをやらなくては!という考えもあまり起こらない。

すると、どうなるか?知っている。急にいろいろとやりたくなる。どんなことをやりたくなるかというと、遊び。自分が自由に思ったことをし始めて、遊び始めるんだ。それは社会にとって価値、評価される、お金になることではないかもしれないが、少なくても、マハにとっては、楽しいこと、それ自体が価値なんだけどね・・・・楽しいことをできる、遊んでいられる、それについて、誰も何も文句も言わないどころか、そんな社会がインドかもしれない。


2002-09-08 ラーマクリシュナ

_ インド人の心理の深層

インドのカルカッタに、かつてラーマクリシュナが生きていた。友人が、カルカッタによって、そのラーマクリシュナ・ファンデーションに寄って来た。そこで、彼の本と、音楽テープを数本買ってきて、聞かせてくれた。一聞(一見と違います。一回聞いたところ)、どこにでもありそうな、昔のインド曲に聴こえた・・・んだけど、聞いているうちに、なんだか、とってもリラックスして、僕はそのまま、うとうとと眠ってしまった。そのあとの、何と爽快なこと。すると、友人が、たった数枚だけあるラーマクリシュナの写真を見せてくれた。一見、お百姓さん!って感じだけど、すごーっくパワーがあるやら、なんともいえない感じがその写真から生々しく伝わってきた。

ラーマクリシュナは、日本でいうと、江戸末期から、明治初頭の人物。最初は、キチガイ同然の状態だったという。

友人曰く、「やはり、インドは素晴らしいと思う。ラーマクリシュナのようなキチガイが、守られて、そして、ついに聖者になってしまえるのだから・・・日本だったら、精神病院にぶち込まれて、それでおしまいだろう・・・」

インドには、ぱっと見、わからない世界が、底辺に流れている。先日も、インドは、懐が広いというような話をしていたけど、それは、たとえ、インドで、どんなあり方をしていても、誰も文句も言わないってことなんだ。ゴアに、ヒッピーが集って、何もしないで、毎日のようにチャラス(マリファナ)をすいつづけていても、誰も何も文句はいわない。近年、そんなゴアにテクノ集団がやってきて、かなり派手なことをやったので、インド当局ともめたが、さもなければ、誰も何も言わないで、放任してくれる寛容な社会だ。その底辺には、「人生は、探求のプロセスであり、神を見つけるための途上では、人にいろいろなものごとが起こりうる」というような、暗黙の了解があるのだと言う。仮に、誰かが、日本でいう精神病のような症状になったとしても、インドでは、人に危害を加えるのでなければ、ちゃんと保護される。現代インドでは、それもすたれつつあるかに見えるが、一昔まえまでは、気が狂うことは、許されたという。いや、許されるどころか、場合によっては、かのラーマクリシュナのように、手厚く保護され、面倒を見られたんだ。

ラーマクリシュナも面倒を見てもらった一人。いまでは聖者だが、初期はキチガイ。ただ、ヴェダンダなどの経典にも書かれているらしいが、人が神聖な道をたどる過程において、キチガイ的な現象を通過するのは裂けて通れないのだ。そのことが、伝統的にインドでは受け入れられ、理解されてきた。

キチガイすら、守られ、面倒をみてきたインドでは、ほとんどのことは許される。この世は、探求のためにあり、人の過程には、さまざまな状態が起こるのだと考えている・・・

そのことを、現代では、はっきりとは見ることはできないが、インド人の心理の寛容さ、懐の大きさは、こういう伝統的な理解から来ているに違いないと思う。

こんな話もある。インドでは、スックという言葉がある。これは「キチガイ」という意味なのだそうだ。ただし、日本語のキチガイのもつニュアンスとはまったく違う。スックにはとてもよいニュアンスがあるのだ。スックの別の意味は、幸せ。つまり、キチガイは途方もなく幸せにしていられるということ。昔、インドの村には、必ず一人や二人のスックがいたという。スックは村人により大切に面倒を見られたという。もし、村人が辛い思いをしたり、心配事があると、スックのところに行くのだという。スックのところでは、人は、自分の心配事がいかにばかばかしいかを理解し、再び幸せな気分になって、生活に戻れるのだという、そんな、無用の用として、インドでは、スックは大切にされたのだと。


2002-09-09 インドから水牛のミルクを日本に輸出!?

_ バイアグラも輸出!?

たまたま、知り合ったインドの実業家のおじさんがマハのおうちにやってきた。まはも一応、日本人だから、関心があって、様子を見にきたのだと思う。彼がいろいろなアイディアをしゃべってきて、マハにビジネスパートナーにならないかと言う。まぁ、どんな話をするのかと聞いていると、いろいろとユニークな発想を持った人物だということがわかってきた。

彼は、いま、マナリ近くのヒマラヤの高原地帯で、あるハーブを作付けしているのだという。そのハーブは、かなりの強壮剤的な作用があるらしい。あえていうと、ナチュラルなバイアグラのようなもの。ただし、バイアグラは男性自身のみをたてる作用に特化したものだが、彼が栽培しているハーブは、体をエナジェティックにする薬草なのだという。アーユルヴェーダの世界では、秘伝の部類に属するハーブらしい。そんなハーブを日本に輸出したいのだという。どうかと聞かれたんで、いや、そう言われても、一度試しに飲んでみないとねと答えると、ポケットから、包みを出して、これを飲んでみろという。「・・・!?これがそれ?」

さっそく、水に溶いて飲むと、なかなかのお味で飲みやすい。彼曰く、これを1週間飲めば、体に活力が溢れてくるのがわかるのだという。(1週間後にその成果を報告します。請うご期待)

ところで、その彼がハーブの栽培に着手したのは、最近のことで、彼の本業は野菜とフルーツの作付けと輸出だそうだ。冷蔵コンテナで、フルーツや野菜をヨーロッパ方面に輸出しているのだという。ただ、最近、競争相手が増えて、彼は新しいことを考えている。彼がいま、目をつけているのが水牛のミルクだ。水牛のミルクをテトラパックで滅菌処理された90日パックをつくり、それを輸出しようと考えているらしい。なにしろ、ヨーロッパは狂牛病が多いから、パニックも起こるくらい。しかし、狂水牛病は、いまだ発見されていないから、彼はそこに目をつけた。すでに1コンテナのプライスもはじき出し、これなら採算が取れるだろうと電卓をたたいていた。「君も日本に輸出しないかね?」と聞かれたが、「・・・!?」って感じだった。ちなみに一般の日本人が水牛のミルクと聞いたら、どう思うだろうか?あの黒い生き物が出すミルク!ちょっと飲めるのかなとか、まずそうとか思うかも・・・インドでは、実は、牛のミルクよりも水牛のミルクのほうが高値で取引されている。水牛のミルクのほうが栄養価が高いし、ちょっとだけ癖があるが、味とコクがあるので、チャイを水牛のミルクで入れると、これがなかなかよいお味。

それで、日本で水牛のミルクがスーパーなどに並んでいる姿を想像してみた。水牛っていうのはまずいなー、やっぱりバッファロー・ミルク、栄養万点!なんていうキャッチがよいかもなーなどと想像して遊んでみた。やっぱり、これは近鉄百貨店スーパーチェーンに話をもっていったらよいかもしれない。がんばれバッファローズ!栄養万点バッファローミルク!とか、近鉄バッファローズが強い??のは、毎日、栄養万点バッファローミルクを飲んでいるから!とか、どうだろう?いけるな、近鉄や、近鉄に売り込む!などと、マハも一日ビジネスマンになって、日本に水牛のミルクを輸出したような気分になって、楽しんでいました。終わり。


2002-09-10 インド万歳!

_ 友人の話:

うん、昨日ね、雑貨屋にいって、黒ゴマをくれと言ったら、いまないというんだ。すぐに取り寄せるから、明日来いという。それで次の日に言ったら、綺麗にパックした黒ゴマを渡された。30RSだという。支払おうとしたが、よく見ると、なんだか変だ。どうみても、白ゴマを焦がしたような感じのゴマ。臭いをかぐと、なんだか焦げ臭いような感じじゃないか。それで店のおやじに、これは黒ごまじゃない!白ゴマを焦がしたやつに違いないよというと、ちょっと待てという。メーカーに聞くからと受話器をとって電話したんだ。例によってヒンディー語か、あるいは地元の言葉か、とにかく、全く理解できない言葉で話し終えると、おやじは「これは正真正銘、黒ゴマだ。焦がしたようなものではない!製造者がチャンとそう申していますから、間違いありません!」と主張する。仕方ない・・こっちも頼んだし、まぁ、30RSだから、いいかと、ひきとって帰った。

家で、おそるおそる袋をあげて・・・それがじつにしっかりしたパッケージになっていたので、これは確かに黒ゴマかもなと期待しつつ、パッケージを開けたら、ががーん、正真正銘、焦がした白ゴマだった!焦げ臭い!ボロボロに炭化寸前の、コゲゴマだった。すぐに、そのまま、オヤジのところに言って、ほら見てみろ!かいでみろよ!というと、オヤジは、嫌そうな顔をしながら、袋のコゲゴマの臭いをかいでいた。「ううん、確かに焦げた臭いがする・・・焦がした黒ゴマに違いない!」

まるで漫才のような、話だが、インドでは、日常茶飯事に起こるからじつに愉快だ。黒ゴマが欲しいといったら、白ゴマを焦がして売る・・・日本ではありえないような話だが、それがあるんだよ、インドでは。

この間、ヴァラナシで、チャイ屋でチャイをすすっていたら、表通りが何やらにぎやかになった。何か、路上で見世物でもやっているのだろう。人だかりができている。ふっと、目にはいったのは、7〜8歳くらいのガキが、しきりに、たぶん、知りもしないオヤジの足を肘でトントンと叩いている様子。叩かれたオヤジは、その見世物に熱中していたが、ガキがしつこく叩くので、振り向いた。振り向いて・・というか振り向いて下をみたというのが正解ないい方。オヤジがガキのほうを見ると、ガキは、足元にあるカゴのほうに目線をやって、顎で、そのカゴのほうを顎指した。オヤジは、まるで何も見なかったかのように、また、見世物を見始めた。するとガキがまた、しつこく、オヤジの足をひじで叩いている。オヤジは、それでもそしらぬ顔で無視している・・・かと思いきや、突然、振り向くと、地べたにおいてあるカゴを、持ち上げ、ガキの頭の上にのっけた。すると、ガキは、両手でカゴを捕まえて、そのまま、何も言わずに、その場を立ち去った。オヤジは、何もなかったかのように見世物をまだ見ている・・・・

いったい、何があったのか?しばらく意味が理解できなかったが、これがインドなのかと納得した。ガキとオヤジは、まったく知りもしない他人だろう。ガキは、ちびだから、ひとりではカゴを頭の上にのっけられない。それで、カゴのすぐそばにいたオヤジにオレの頭の上にのせろと言っていたのだろう。そして、オヤジは、うるさいとも、はいよとも言わず、自分のペースでカゴをガキの頭にのせた。ガキは、それが当たり前のように、ありがとうの一言も何もいわずに立ち去った。

いや、その意味がわかったとき、インドっていうのは、スゲーところだなと思った次第である。

以上、友人の話。

だけどね、まはも、まっ、似たような経験がある。まははチャイが好きだ。それで、毎日、ミルクを買いに行く。でも、ミルクを買うときには、マハはかなり慎重なんだ。必ず、「今日のミルクか?」と聞く。なんで、そんなことを聞くかというと、ミルクがよく腐っているからだ。昨日のミルクなのか、今日のミルクでもすでに腐っていたのか、は、わからん。ただ、今日のミルクだったら、腐っている可能性が少ない。それで念のため、「今日のミルクか?」と聞いて確かめる。だけどね、仮に昨日のミルクでも、インドでは、今日のミルクと答えるだろうね。ただ、わかってはいても、何回も苦(にが)い?臭い思いをしているので、何だか、確認したくなるわけ。「今日のミルクか?」と聞いて、「もちろん!」と店員が答える。そのとき、じっと目を見ながら、買うわけ。そうして、家でミルクをあけて、チャイを入れるために温め始めると・・・ミルクが固まり始める!つまり、腐りかけのミルクはぱっと見た感じ、臭(にお)いをかいだだけではわかりにくいが、温めるとすぐに固まるから腐っているのがわかる。すると、確認したのに、やっぱり腐っているじゃないか!とプンプンに頭にくる。せっかく美味しいチャイを入れようと思ったのにぃ! あとで、さっきの店員に「おいこら!今日のミルクかってきいて買ったのに、腐っていたぞ!」と怒鳴ると、「あぁあ、たまに今日のミルクは腐っています」と答えるじゃないか!こんなの日本ではないよな!今日のミルクが腐っているなんてことが頻繁に起こるなんて、まずないはず。それに、店員の反応があとで思うと面白い。腐っていただって、それがどうしたんだ。大したことじゃないよ。よくある話しじゃないか・・・・ってな具合。

だから、インドがいいんだよ!と、友人とそんな話になった。日本ではありえないようなことが次から次へと起こったりする。ここはなんでもありの国。言い換えると、みんなテキトーに生きている。そこが気楽なんだ。インドの空気は、漫才みたいに軽いから、生きているのが楽。腐ったミルクを売って、文句を言うと「ミルク?腐ってました。そんなこともありますよ」などと平然としていられる国。白ゴマを焦がして黒ゴマとして売れてしまえる国、インド万歳!


2002-09-13 死に方

_ 友人の話:

インドの街角を歩いていると、久しぶりに、あるインド人の友人に出会った。彼は日本人女性と結婚して、日本に長い間住んでいた。一時、ソニーのマーケティング部門で世界を走り回る仕事をしていたらしいが、最近、仕事をやめて、ブラブラしているという噂を聞いていた。その彼が、インドの街角で、向こうから歩いてくるではないか・・・ううん、マハといったら、情けない格好だった。実は、最近、バイクを購入しかけていて、手付まではらったけど、インド製の15年もののベスパで、どうしようもないシロモノ。道端で、エンコして、それから、うんともすんとも動かなくなってしまったのだ。雨季もあがりはじめ、太陽がギラギラと照りつける中、僕は、額から汗をぽとぽとと落としながら、エンジンのキックをひたすらキックしていた・・・がかからない。そこへ通りかかったのが、そのインド人の友人だった。声をかけられて、顔をあげると、彼の目は潤んでいる。

「どしたの?」

と聞くと、

「僕の従兄弟と、叔父さん2人が死んだんだ・・・」

「えっ、事故か何か?」

「いや、違うんだ・・・実はね、僕より年下の従兄弟が死んだって知らせが、日本にきたので、僕は、すぐに飛行機に飛び乗った。僕とその従兄弟とは、魂の友人みたいな強いつながりがあったから、葬式は待ってくれ!と、その日に東京をたったんだ。翌日、僕の実家のグジャラートについて、葬式をやった。話を聞くと、従兄弟は、ある日、朝起きて、『美味しいチャイを入れてくれ』と言い、チャイを嬉しそうに飲み終わると、妻と子供を近くに呼び、妻に膝枕してくれと頼んで、横になって、これから行くよとみんなに言い、それきり、パタリと息をひきとったというんだ・・・」

「・・・!!」

「僕が翌日、グジャラートに到着して、それから、葬式を行ったんだけど、それが終わった、その日に、叔父がまた、まったく同じ様にして、死んだ!んだ。家族を集めて、これから行くよと言い残し、パタリ・・・・それで、また、葬式をおこなったんだけど、その翌日、別の叔父さんも、まったく同じ様にして、死んだ・・・・・『これから、行くよ』と言い残して・・・」

「・・・・!これは、すごい話だ!中国の禅マスターや、インディアンの死に方、あるいは、大勢の昔の人の死に方ではないの・・・・。現代では、みな病院にて、大量の薬や注射で、『死にたくない!』と苦しみながら死に絶える、、、そんな死に方が主流になっている現代では、ごくごく希な死に方。大往生。死期を悟った死に方・・・その希な死に方が、3日のうちに、同時に、君の親族に起こった・・・すごいこと・・・」

「そうなんだ。だけども、泣けてくる。わかっていても、それはすばらしいことなんだとわかっていても、涙が、涙が止まらない・・・実はね、僕の父親も母親も、全く同じ死に方だった。ふたりとも、これから、死ぬからね、あとはよろしくと言いのこして、死んでいった・・・」

「・・・!」

「父親も母親も、そして今度死んだ三人も、共通していたことは、彼らは、いつも瞑想をしていたこと。傍目にも、彼らには、何の暴力性も、何ももうないと感じることができたんだ。僕は、この5人の葬式にすべてたちあったけど、それは、普通の死に方?をした、つまり、苦しみながら死んでいった人の、葬式とは、まったく違った感覚だった。何か、素晴らしい感覚があるんだ。それで泣けて泣けて仕方ない。悲しいだけじゃないんだ。悲しいのは悲しい。彼らにもう会えなくなるから・・・それだけじゃなくて、表現することが難しいけど、彼らの死体、ぬけがらのそばにいると、それはそれは、素晴らしい感覚があった・・・だから、泣けて泣けて仕方ない・・・」

_ 「最後に死んだ叔父さんの家族が、どうしても納得できなくて、叔父さんの死体を医者に徹底的に検査してもらったんだ。死ぬ前日まで、とっても元気にしていたし、持病も大きな病気も何もなかったから・・・・医者が遺体を解剖して、脳から腎臓まで、全て調べたが、何も発見できなかった。すべて普通に正常な状態で、大きな疾患の形跡すら見出す事ができなかった・・・」

_ 「それはね、死期を悟った死に方、あるいは、ある人たちというのは、自分の死ぬときを選べるというからね。彼らは、これくらいで休もうと決めたのかもしれないね・・・・」


2002-09-20 病気?

_ 友人:日本は今 季節の変わり目で天気が不安定。気持ちがおかしくなったりする人が増えるのか、たった今も、たてこもっていた男が9才の女の子を刺し殺しました。ついさっきも、うちのピンポンがなりまして、誰かと思ったら隣のおくさんがガタガタ震えながら立っていました。ハアハア言って、うまく言葉がでてきません。どうしたの?と聞いたら、赤ちゃんが 39度5分もの高熱を出して 吐いてしまい、どうしたらいいのかわからないといって ガクガクとものも言えずに震えているんです。はじめての赤ちゃんで こんなことがあったら心配ですよね。で、さっそく赤ちゃんをみて、ナニをたべさせたのかたずねてみたら、ヨーグルトで薬を飲ませて熱があるから 少しでものどごしがいい冷たいものをたべさせたいと思って、ブドウをあげたって いうではありませんか。親心ではあるけれども、これは大人でも吐くわ。ご存じとおもいますが ヨーグルトにはアビシャンデイと行ってスロータスをつまらせる働きがあるので特に夜はたべさせてはいけませんし、薬なんか飲ませたら薬がひろがらないで溜まってしまうかもしれない。それにヨーグルトとくだものは最悪の組み合わせ。しかも冷やして与えたり日にゃあ...といった具合です。この赤ちゃんは 実家への里帰りツアーで疲れたカラダに気候の変化が重なってアグニの力が落ちていたのも 災いしました。(特に今日は赤ちゃんの熱発のヘルプ!が3件もはいるほど気候の変化が悪い日だったようです)大人にはそれほどでもない気候の変化でも赤ちゃんには激変です。2〜3日前から熱っぽいと言っていたのに 薄着だったので その時におせっかいをやいておけばいいのかもしれなかったけれど。でも 今日の熱発は必要なことだったのかもしれません。前からこのお母さんには アーユルヴェーダの話しはしていたのだけれど、こうでもならなければ 人は受け入れないのですよね。赤ちゃんに なぜヨーグルトや果汁をあげてはいけないのか?という話しもしていたのですけれど、保健所でもそう指導しているし、みんながあげているのに、どうしていけないの?って思ったみたいで、聞いてはいても 受け入れていなかったのでした。

_ 友人:ある人が言いました。「どんなに困っている人でも 助けてはいけない。助けて欲しいと 手を出した人しか 本当に助けることはできないのだから、と。今日、はじめて彼女は わかったとおもいます。ヨーグルトとくだものの組み合わせを、アグニの弱った子供に夜あたえるとどうなるのか?ということを通じて。こんな状態の赤ちゃんは 蒸しタオルでオナカと首の後ろをあたためて下半身をオイルマッサージしてあげるのが一番です。オロオロしていたダンナがそれをみながら しみじみと「食い合わせがわるかったのか...知らないって恐いな...」って言いました。これで彼女達がアーユルヴェーダを学ぶ気になってくれればいいんですが....。」

_ 友人:時々私はおもいます。病気も必要だから、あるんだなって。病気にならなければ気がつけないことが人間にはある。だから神様は病気もお作りになったんだって。そして 病むことの意味を見いだそうとする時、人は人生に向かい合うことができるのだろうと。時代は確実にそういう方向へむいているとおもいます。だからこそ 私たちは必要とされた時にこたえられる存在になりたいですよね。

_ マハ:そう思います。というか、病気はほんとうは病気と呼ぶのはおかしいなぁと感じています。一見、「病気」って症状も、これは、きっと体や心が何かを伝えているんだなぁと思います。病気になったり、不調になったりするとき、これは、いままでの生き方、やり方、生活を見直す、そんなタイミングなんだと思います。現代医学の最大の欠点は、割り切ってしまうところじゃないかと思います。このほうが商売になるんですね。健康な人が増えたら困る。まぁ、マーケティング上での、戦略だと思います。

_ マハ:薬や、手術とか、そういうものは、時と場合によっては必要なときもあるかもしれないですけど、一番、大切なことは、病気は、本当は病気じゃなくて・・・・きっと、何か、本人がきづいたり、考えたりする必要があるタイミングだってことだと思います。

_ 友人:ここ10年くらい、アフガニスタン生まれのイスラエル人のアーユルヴェーダ医師がカタコトの日本語で下北沢で開業していて 結構人気があります。私もうわさはきいていたのですが、昨日はじめてお会いしました。で、前から聞きたかった質問をぶつけてみたんです。つまり、ユダヤには伝統医学はないのか?という問題です。旧約聖書の中には 食べてはいけないものや 食べるべきもの、オイルを使ったマッサージのことなどが出てきますから、アーユルヴェーダと相通じる部分があるように思っていたんですよ。でも、あれだけ伝統をおもんじるユダヤ教の中に、伝統医学というものがある、という話しを聞いたことがありません。私はイスラエルにも半年ほど住んでいたことがるのですが、きかないのです。なので、かねてから不思議に思っていたんです。そしたら答えはこんなことでした。ユダヤにも確かに伝統医学があったらしい。これは一冊の本になっていて、この本にはどんな病気でもなおしてしまう方法が書かれていた。しかし、ダビデ王の孫である王様の時代に この本や焼かれるかかくされるかして、どちらにせよ抹殺されてしまった。と、いうのも、この本があると人は病気になっても すぐになおせてしまうので、病気になった原因に気づくことができないし、おごりたかぶってしまう。また、ひとは病気の人がいれば 助け合って思いやりを経験することができる。しかし、この本があると、その機会を奪ってしまうので、この智慧はわざと抹殺されてしまったのだ。というのです。でも、う〜ん、ユダヤ人のやることだから、マハさんの言うように、マーケティングの可能性もあるかな...などとも思いつつ(笑)

_ マハ:そういえば、パンチャカルマで、下痢させたり、はかせたりしますよね。これって、何も特別なことじゃないんだって最近、気づきました。自然に、そのままの状態で、パンチャカルマが起こるのを目撃しましたよ。まぁ、パンチャカルマがどんなものか、見たことないので、知らないんで、憶測ですけど、あるとき、女性が、腎盂円になって、腎臓病になって、そのとき、40度の熱を出しながら、薬をひとつも飲ませずに、マハが看病したんです。

_ マハ:はいたり、しましたけどね、黄色の液体も出したし、下痢と嘔吐で、それがすごかったです。すると、1ヶ月後、全身の浮腫みが取れ、爽快になりました。が、しばらくするとまた始まり・・・軽いですけど、前に盲腸を薬で散らしたところがあって、急に盲腸が痛みはじめ・・・・ごぼうがよいというので、ごぼう汁を大量に飲んでもらったら、下痢がビシバシで、嘔吐して、それで、爽快になりました。体全体が、浮腫んでいましたが、いまでは、昔の体形にもどって、体がすごく軽くなって、体調がよくなったそうです。こんなんて、自然に起こるパンチャカルマじゃないかとも思うんです。


2002-09-24 自然のもの

_ うんち遊び

実は、マハ、子どものころ(2〜3歳)、自分のウンコをくちゃくちゃやって遊んでいたそうです(それがすきだったらしい)。小学校とか、は、泥んこ遊びが大好きで、いまでは、ヘナです。こういう自然のもの!はよいみたい・・・

ところで、泥、大事ですよ。週に1〜2回は、土に触れてくださいね。これは人間にとって、とっても大切です。

今の都会の方は、汚い、不潔と思うかもしれないですけど、この土こそ、人間の原点です。聖書にありましたよね。髪は泥から人を作られたとあり、これは本当だよなぁーとおもうんです。人間の体は、野菜やそんなものから出来ている、つまり、土から、でてきたもので、この体を創っている・・・・

犬は、調子が悪くなると、土を食べるんです。土には、体に必要なミネラルなど、が多く、犬は知っているんですね。必要なミネラルがそこにあるのを・・・それで、調子を落とすと、すぐに食べる・・・

また、人間は、肺だけから、呼吸していると思っていると大間違いです。皮膚呼吸というのが、とても大事です。土に触れることで、大事なものを皮膚が吸収するんだと思います。火傷して、皮膚の一定以上がこげてしまうと、生きていけないと聞きます。それは皮膚からの呼吸も必須だからだと思います。

皮膚、呼吸にも、自然の土の香りがするもの、そんな贅沢をさせてあげたい・・

ハーブやヘナは、そんなものだと、マハは思います。

_ 最高の贅沢じゃないでしょうか・・・

_ そうそう、セサミオイルマッサージ、これ最高です。実は、マハは体全体でやっています。調子を落とすと、すぐにやると、回復に向うんです。せさみには、栄養がとってもあり、これを皮膚から直接体が吸収するみたいですよ。インドでは、昔から、セサミをマッサージに使用します。


2002-09-27 最近の流行--茶パツ、金髪、ヘアダイについて思う

_ 最近の社会の流行で、茶パツ、金髪、これ当たり前ですよね。結構な人が、何らかの、ヘアダイをしているか、経験者だと思います。普通のおしゃれ、まるで衣服の流行のようなおしゃれですよね。今日は、茶パツ、ちょっと金髪にかえようかなってな感覚だと思いますが、じつは、マハに言わせれば、これは、大変に危険なおしゃれだと思います。ヘアダイメーカーは、ほんと、自分の利益のことしか、考えていないんだなーと思ってしまいます。

_ マハは洋服は、流行で変えたらいいと思うんです。バッグとか、サングラスとか、靴とかね、まぁ、髪型もいいと思います。ただ、髪の色は、やばいです。最近の傾向として、整形やら、も普通なんだと聞きます。そんな傾向があるものがヘアダイの流行だと思います。

_ なぜ、やばいか・・・理由は、頭皮がヘアダイのケミカルを吸収し、体全体に回るし、頭皮は、頭脳に一番近いですよ・・・まずいなーと、マハは一人で勝手に思っているんです。

_ なんで、そんなことを一人で、勝手に思っているかというと、それには、マハ20年の苦節があるからです。マハの頭は、なんと、20年間も臭い、痒い、フケが断続的にあったんですぞ!いま思うとぞっとする。18のころから、頭の痒み臭みを覚え、それが断続的に続いた。理由もわからずに・・・・ひょっとしたら、これは、合成シャンプーが原因じゃないかと思い、石鹸シャンプーにしたら、もっとひどくなった・・・・かといって、何も使わないと、もっと臭くなるし、第一、脂っぽくて、気持ち悪い・・・だから、一時は、朝晩と二回、ケミシャン(ケミカルなシャンプー)して、なんとか、普通にやっていたけども、ちょっとでもさぼると、もう臭い臭いし、痒い!それに、帽子をかぶって、汗をかくようなことをすると、途端に臭くなるし、痒くなる・・・いやだなーなんとか、ならんのか!って、ずっと20年間も思っていました。ケミシャン、石鹸シャンプー、やめたいけれど、やめるわけにもいかなかった・・・

_ 大分と苦節して、40になって、ハーブに出会い、一切のケミシャンをたったら、あっという間に、頭皮の痒みも、臭みも、嘘のように消えてしまった!しまった、あれは、やっぱ、石鹸シャンプーやケミシャンが原因だったんだ!オレのせいじゃなかったんだ!と悟ったんですね。以来、頭には、石鹸すら使うべきじゃない!ヘアダイなんて、もってのほか!ってので、一人で納得しているんです。

_ 流行で、洋服替える、それはOKでしょう。だからといって、自分を傷めることにはなりませんからね。流行で、髪型替える、それもOKOK、かっこいいほうがいいと思います。でも、流行で、髪の色かえるだと!それはいかん!いかんよ!って思うわけす。アンタ、自分を痛めてまで、そこまでして、流行についていかなあかんのか!ってな、感じなんです。