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まはのインド日誌

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2002-09-07 役にたたない人間

_ インドは楽チン

最近、インドの話題がよく出る。どこに出ているかっていうと、まはと友人たちのお話に。今日もメシを食いながら、そんな話をしていた。ちょっと話それるけども、今日のおかずは餃子。自分で皮を伸ばして、具を入れて、焼きました。こっち風にいうとモモ。モモとは、チベットやネパールで餃子のことをモモというのだけども、インドでもその名前で定着している。つまり、今日のおかずはモモで、ももを食べながら、インドは楽だなぁ〜を御互いに確認しあっていた。

何が楽かって?まず、気分。これが一番大きい。空気が何か、違うのです。日本は、すべてがきっちと整理整頓されていて、綺麗、美しい・・それはまるで整備された日本庭園のように美しく仕上げられているが、その反面、窮屈な気持ちになる。どこでそれが窮屈になってあらわれるかというと、日本は工場生産の効率と品質において世界でも有数だよね。家電では、工場で、毎日のように何万台もの同じ製品がベルトコンベアから流れ出てくる。これも、そのきちんと整備された、昔からの鍛錬の成果。こんな、きっちりとした整備=管理がなくして、一定の品質の製品はできない。同様に、人間も整備、管理され、同じように動作することを求められる。一定のリズム、秩序を乱すものは、はずされるんだね。

ところがだ、もし、インドで、ベルトコンベアを動かしたら、どうなると思う。最初は、もう目もあてられない状況になると思う。みんながみんなで、勝手なことをはじめたり、勝手なことを言い始める。からきし、協調性もなく、そして、秩序がなく、混沌とした状況のなかで、たとえば自動車工場から、エンジンをつけたら、後ろに進む車が出てきた!と新聞にのっても、別によくある話くらいにしか思えないくらいだ。

これを逆にいうと、インドでは、人を管理するのが大変に難しい。言うことを聞いてくれない。強調的な一定のリズムで人々が動くことはまずない。みんな思い思いに、自分勝手に動く。だから、大勢の人間が集ると、そこにはカオスが生まれるんだ。それは一見、どうしようもない状態なんだけど、日本の制御されたところに住み慣れた人間にとって、なんとも、心地よい空間を提供してくれる。そんなカオスのなかでは、誰も、誰にも、こうしなさい、ああしなさいと指図することはないし、できない。

そんな、カオスのムードが気持ちを楽にしてくれる。

_ まはは、最近、何の役にもたたない人間、あるいは、何の役にもたたないもの、そういうものに敬服している。

たとえば、役にもたたない人間。社会に何の貢献もしない、そんな役たたずになれることじたい、勇気がいるよね。みんな、社会の役にたとうと考えるか、その反動で、社会を乱すことばかりしようとする。日本という国は、そういうお国柄。ところが、インドっていう国は、そういう意味では、役にたたない人間が実に多いと思う。もちろん、まはにしてもそうだけど、日本では、役立たずで、はじきとばされた。というか、日本では、役にたたない、社会に貢献しない、税金を払わない(払えない)、仕事をしない、怠け者、消費に関心がない、そういう人間というのは、つまはじき、村八分。やっぱり、勤勉さ、ここの勤勉さってのは、社会にどれだけ、仕事として貢献できるかってことだけど、それで人間の価値が決まるようなところがあるね。もし、何もしないでブラブラ、朝から、ぼーっとしていたら、近所の人たちが、あの人は、いったい何をやっているのか、と不審人物扱いだもんね。交番のおまわりさんまで、チェックにやってくる。

「何をやっているのかな?」「仕事は?」などと調査にやってくる。それで、何もやっていないとでも答えようものなら、以来、チェックが入ってしまう・・・・

ところが、インドでは、何もしなくても、誰も何も不思議に思わない。実は、昼間から、何もしない人間が実に多く、だから、特別なことでもない。何かをやらなくては!という考えもあまり起こらない。

すると、どうなるか?知っている。急にいろいろとやりたくなる。どんなことをやりたくなるかというと、遊び。自分が自由に思ったことをし始めて、遊び始めるんだ。それは社会にとって価値、評価される、お金になることではないかもしれないが、少なくても、マハにとっては、楽しいこと、それ自体が価値なんだけどね・・・・楽しいことをできる、遊んでいられる、それについて、誰も何も文句も言わないどころか、そんな社会がインドかもしれない。

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