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まはのインド日誌

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2002-09-13 死に方

_ 友人の話:

インドの街角を歩いていると、久しぶりに、あるインド人の友人に出会った。彼は日本人女性と結婚して、日本に長い間住んでいた。一時、ソニーのマーケティング部門で世界を走り回る仕事をしていたらしいが、最近、仕事をやめて、ブラブラしているという噂を聞いていた。その彼が、インドの街角で、向こうから歩いてくるではないか・・・ううん、マハといったら、情けない格好だった。実は、最近、バイクを購入しかけていて、手付まではらったけど、インド製の15年もののベスパで、どうしようもないシロモノ。道端で、エンコして、それから、うんともすんとも動かなくなってしまったのだ。雨季もあがりはじめ、太陽がギラギラと照りつける中、僕は、額から汗をぽとぽとと落としながら、エンジンのキックをひたすらキックしていた・・・がかからない。そこへ通りかかったのが、そのインド人の友人だった。声をかけられて、顔をあげると、彼の目は潤んでいる。

「どしたの?」

と聞くと、

「僕の従兄弟と、叔父さん2人が死んだんだ・・・」

「えっ、事故か何か?」

「いや、違うんだ・・・実はね、僕より年下の従兄弟が死んだって知らせが、日本にきたので、僕は、すぐに飛行機に飛び乗った。僕とその従兄弟とは、魂の友人みたいな強いつながりがあったから、葬式は待ってくれ!と、その日に東京をたったんだ。翌日、僕の実家のグジャラートについて、葬式をやった。話を聞くと、従兄弟は、ある日、朝起きて、『美味しいチャイを入れてくれ』と言い、チャイを嬉しそうに飲み終わると、妻と子供を近くに呼び、妻に膝枕してくれと頼んで、横になって、これから行くよとみんなに言い、それきり、パタリと息をひきとったというんだ・・・」

「・・・!!」

「僕が翌日、グジャラートに到着して、それから、葬式を行ったんだけど、それが終わった、その日に、叔父がまた、まったく同じ様にして、死んだ!んだ。家族を集めて、これから行くよと言い残し、パタリ・・・・それで、また、葬式をおこなったんだけど、その翌日、別の叔父さんも、まったく同じ様にして、死んだ・・・・・『これから、行くよ』と言い残して・・・」

「・・・・!これは、すごい話だ!中国の禅マスターや、インディアンの死に方、あるいは、大勢の昔の人の死に方ではないの・・・・。現代では、みな病院にて、大量の薬や注射で、『死にたくない!』と苦しみながら死に絶える、、、そんな死に方が主流になっている現代では、ごくごく希な死に方。大往生。死期を悟った死に方・・・その希な死に方が、3日のうちに、同時に、君の親族に起こった・・・すごいこと・・・」

「そうなんだ。だけども、泣けてくる。わかっていても、それはすばらしいことなんだとわかっていても、涙が、涙が止まらない・・・実はね、僕の父親も母親も、全く同じ死に方だった。ふたりとも、これから、死ぬからね、あとはよろしくと言いのこして、死んでいった・・・」

「・・・!」

「父親も母親も、そして今度死んだ三人も、共通していたことは、彼らは、いつも瞑想をしていたこと。傍目にも、彼らには、何の暴力性も、何ももうないと感じることができたんだ。僕は、この5人の葬式にすべてたちあったけど、それは、普通の死に方?をした、つまり、苦しみながら死んでいった人の、葬式とは、まったく違った感覚だった。何か、素晴らしい感覚があるんだ。それで泣けて泣けて仕方ない。悲しいだけじゃないんだ。悲しいのは悲しい。彼らにもう会えなくなるから・・・それだけじゃなくて、表現することが難しいけど、彼らの死体、ぬけがらのそばにいると、それはそれは、素晴らしい感覚があった・・・だから、泣けて泣けて仕方ない・・・」

_ 「最後に死んだ叔父さんの家族が、どうしても納得できなくて、叔父さんの死体を医者に徹底的に検査してもらったんだ。死ぬ前日まで、とっても元気にしていたし、持病も大きな病気も何もなかったから・・・・医者が遺体を解剖して、脳から腎臓まで、全て調べたが、何も発見できなかった。すべて普通に正常な状態で、大きな疾患の形跡すら見出す事ができなかった・・・」

_ 「それはね、死期を悟った死に方、あるいは、ある人たちというのは、自分の死ぬときを選べるというからね。彼らは、これくらいで休もうと決めたのかもしれないね・・・・」

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