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書名: 『I AM THAT 私は在る  ニサルガダッタ・マハラジとの対話

書誌:
英訳者  モーリス・フリードマン
編集者  スダカール・S・ディクッシット
翻訳者  福間 巌
発行所  株式会社ナチュラルスピリット(2005年6月8日初版発行)
       http://www.naturalspirit.co.jp/
索引:
 ニサルガダッタ・マハラジ辞書(『私は在る』より)
引用:


背景

 何かが現れる前に、それに対する誰かがそこにいなければならない。
 すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化を前提とし
 ている。(p23)


すべての問題

 あなたが抱えているすべての問題は、あなたの身体の問題――食事、衣服、
 家、友人、名前、名声、安全、生存だということがわからないだろうか?
 これらの問題すべては、あなたが単なる身体ではないと悟った瞬間に消え去
 るのだ。(p23)


存在の感覚@

 「私は在る」という感覚のなかに深く入っていきなさい。
 そうすればあなたは見いだすだろう。
 忘れ去ってしまったものを見つけだすにはどうするだろう?
 思い起こすまでマインドにとどめておくのだ。
 「私は在る」という存在の感覚が最初に現れる。
 それがどこからやってくるのか、自分に尋ねなさい。
 あるいは、それをただ静かに見守りなさい。
 「私は在る」という感覚のなかにマインドが動じることなく定まったとき、
 表現不可能な、しかし体験可能なひとつの境地へとあなたは入っていく。
 何度も何度も試みることだ。
 そうすれば、「私は在る」という感覚は、つねにあなたとともにある。
 あなたが身体、感情、思考、観念、所有物などをそれに付随させてきただけ
 だ。
 こういった自己同化は、あらゆる誤解を招く。
 そのため、あなたは本当の自分ではないものを自分自身と見誤ってきたのだ。(p24)


付随させてきた

 「私は在る」という感覚のなかにマインドが動じることなく定まったとき、
 表現不可能な、しかし体験可能なひとつの境地へとあなたは入っていく。
 何度も何度も試みることだ。
 そうすれば、「私は在る」という感覚は、つねにあなたとともにある。
 あなたが身体、感情、思考、観念、所有物などをそれに付随させてきただけ
 だ。
 こういった自己同化は、あらゆる誤解を招く。
 そのため、あなたは本当の自分ではないものを自分自身と見誤ってきたのだ。(p24)


自己知識@

 あなたが何ではないか、ということを知ればそれでいい。
 あなたが何なのかを知る必要はない。
 なぜなら知識とは既知なるもの、知覚されるもの、あるいは観念としてしか
 表せないため、自己知識といったものはありえないからだ。
 それゆえ、あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せな
 い。
 あなたに言えることは、「私はこれではなく、あれでもない」ということだ
 けだ。
 意図をもって「これこそが私だ」ということはできない。
 それはまったく意味をなさない。
 あれやこれ、と指し示すことができるものは、あなたではありえない。
 何かほかのものだとさえ言えない。
 あなたは知覚や想像を超えた何かだ。
 それにも関わらず、あなたなしでは想像も知覚もありえない。
 あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観
 察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆
 しているのだ。
 あなたなしで知覚や体験が可能だろうか?
 体験とはかならず何かに帰属するものだ。
 誰かが、これは私の体験だと言明するのだ。
 体験者なくして体験はありえない。
 体験者が体験にその実在性を与えるのだ。
 あなたが体験できないもの、それに何の価値があるというのだろう?(p24)


あなたなしでは

 あなたは知覚や想像を超えた何かだ。
 それにも関わらず、あなたなしでは想像も知覚もありえない。
 あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観
 察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆
 しているのだ。
 あなたなしで知覚や体験が可能だろうか?
 体験とはかならず何かに帰属するものだ。
 誰かが、これは私の体験だと言明するのだ。
 体験者なくして体験はありえない。
 体験者が体験にその実在性を与えるのだ。
 あなたが体験できないもの、それに何の価値があるというのだろう?(p24)


体験体験者@

 あなたは知覚や想像を超えた何かだ。
 それにも関わらず、あなたなしでは想像も知覚もありえない。
 あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観
 察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆
 しているのだ。
 あなたなしで知覚や体験が可能だろうか?
 体験とはかならず何かに帰属するものだ。
 誰かが、これは私の体験だと言明するのだ。
 体験者なくして体験はありえない。
 体験者体験にその実在性を与えるのだ。
 あなたが体験できないもの、それに何の価値があるというのだろう?(p24)


体験体験者A

 明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。
 そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。
 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。
 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。
 そして、同一であるという感覚は、すべての体験者体験との関係の根底に
 おいて共通の要因があるためだ。
 同一性と連続性は同じものではない。
 ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、そのすべての色は
 同じ光源をもとにしているように、数々の体験者も記憶においては別々であ
 りながら、本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。
 この本質こそが根源、基盤、そして時空を超えたすべての体験の「可能性」
 なのだ。(p24-25)


同一性連続性

 明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。
 そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。
 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。
 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。
 そして、同一であるという感覚は、すべての体験者と体験との関係の根底に
 おいて共通の要因があるためだ。
 同一性連続性は同じものではない。
 ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、そのすべての色は
 同じ光源をもとにしているように、数々の体験者も記憶においては別々であ
 りながら、本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。
 この本質こそが根源、基盤、そして時空を超えたすべての体験の「可能性」
 なのだ。(p24-25)


体験の「可能性」

 明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。
 そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。
 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。
 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。
 そして、同一であるという感覚は、すべての体験者と体験との関係の根底に
 おいて共通の要因があるためだ。
 同一性と連続性は同じものではない。
 ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、そのすべての色は
 同じ光源をもとにしているように、数々の体験者も記憶においては別々であ
 りながら、本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。
 この本質こそが根源、基盤、そして時空を超えたすべての体験の「可能性」
 なのだ。(p24-25)


大いなる愛

 それ(体験の「可能性」)を得る必要はない。
 なぜなら、あなたがそれなのだ。
 あなたがそれに機会を与えれば、それがあなたを得るだろう。
 非実在のものへの執着を解き放ちなさい。
 そうすれば、実在はそれ自身へと即座に速やかに入りこんでいくだろう。
 自分自身の存在をあれやこれや想像するのをやめることだ。
 そうすれば、あなたがすべてのハートであり、源泉であるという認識は明ら
 かになるだろう。
 それとともに選択でも、偏愛でも、執着でもない、すべてのものを愛すべき、
 そして愛する価値あるものへと変容させるひとつの力、大いなる愛が現れる。(p25)


根本的違い

 (私たちの間に)根本的違いなど何もない。
 
 あなたが違いを想像して、あちこちへと「優れた」人を求めてさ迷うのだ。
 
 (真実を)知らないからといって、あなたが劣っていると言っただろうか?
 そんな差別を生みだした者たちに証明させるがいい。
 私はあなたの知らないことを知っていると言いはしない。
 事実、私の知っていることは、あなたよりはるかに少ないのだ。(p25)


過ぎ去るショー

 私はそのようなこと(賢明な言葉、高尚な立ちふるまい、偉大な恩寵など)を
 まったく知らないし、あなたと私の間に何の違いも見ない。
 私の人生は、あなたの人生と同じように出来事の連続だ。
 ただ私は固執せず、過ぎ去るショーをただ過ぎ去るショーとして見ているだ
 けで、あなたは物事に固執し、それとともに動き回るのだ。(p26)


私ではないもの

 何も特別なことはない。
 私のグル(師)を信頼するということが起こっただけだ。
 彼が、私は私自身以外の何ものでもないと言い、私は彼を信じた。
 彼を信頼し、そのとおりに生き、私ではないもの、私のものではないものに
 注意を払わなくなったのだ。(p26)


誰が誰なのか

 (なぜ師を完全に信頼するという幸運に恵まれたか)誰が答えられよう?
 ただそうなっただけだ。
 ものごとは理由も原因もなしに起こる。
 そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。
 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。
 あなたがいつそれを変えても不思議はない。
 なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?(p26)


意見

 ものごとは理由も原因もなしに起こる。
 そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。
 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。
 あなたがいつそれを変えても不思議はない。
 なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?(p26)


なぜ人の意見を

 ものごとは理由も原因もなしに起こる。
 そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。
 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。
 あなたがいつそれを変えても不思議はない。
 なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?(p26)


自分の意見でさえ

 ものごとは理由も原因もなしに起こる。
 そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。
 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。
 あなたがいつそれを変えても不思議はない。
 なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?(p26)


奇跡

 私はそんな(私のまわりで起こっているという)奇跡など何も知らないし、
 自然がその法則に例外を許すとも思えない。
 すべてが奇跡だとするなら別だが。
 私にとってそのようなものは何もない。
 ただその中ですべてが起こる意識が在るだけだ。
 それは皆の体験においてまったく明らかだ。
 あなたが注意深く見ていないだけだ。
 よく見てみなさい、私が見るように。(p26)


注意の焦点

 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。
 ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。
 あなたは自分自身を自覚していない。
 あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
 とともにいない。
 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。
 自分がどのように行動しているのか見てみなさい。
 行動の動機と結果を見守りなさい。
 あなたが自分のまわりに、不注意によって築いてきた牢獄を見てみなさい。
 あなたが何ではないかを知ることによって、あなたは自分自身を知ることに
 なる。
 拒否と否定を通してあなたは真我へと帰り着く。(p26)


行動の動機@

 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。
 ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。
 あなたは自分自身を自覚していない。
 あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
 とともにいない。
 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。
 自分がどのように行動しているのか見てみなさい。
 行動の動機と結果を見守りなさい。
 あなたが自分のまわりに、不注意によって築いてきた牢獄を見てみなさい。
 あなたが何ではないかを知ることによって、あなたは自分自身を知ることに
 なる。
 拒否と否定を通してあなたは真我へと帰り着く。(p26)


拒否と否定

 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。
 ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。
 あなたは自分自身を自覚していない。
 あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
 とともにいない。
 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。
 自分がどのように行動しているのか見てみなさい。
 行動の動機と結果を見守りなさい。
 あなたが自分のまわりに、不注意によって築いてきた牢獄を見てみなさい。
 あなたが何ではないかを知ることによって、あなたは自分自身を知ることに
 なる。
 拒否と否定を通してあなたは真我へと帰り着く。(p26)


マインドの産物

 拒否と否定を通してあなたは真我へと帰り着く。
 ひとつ明らかなことは、真我とは想像されたものではない。
 それはマインドの産物ではないということだ。
 「私は在る」という感覚さえ継続しない。
 それはどこを探すかを知る有用な指針ではあるが、何を探すのかには用をな
 さない。
 ただよく見てみなさい。
 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
 だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。(p26-27)


自己を語る

 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
 だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
 れを見失っているということだ。
 あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
 値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
 てはひとつなのだ。
 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
 らば、私たちはそれを見いだすだろう。(p27)


指針の役目

 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
 だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
 れを見失っているということだ。
 あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
 値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
 てはひとつなのだ。
 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
 らば、私たちはそれを見いだすだろう。(p27)


言葉の上に

 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
 だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
 れを見失っているということだ。(p27)


定義しようとする

 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
 だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。(p27)


定義づけ身体

 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
 だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。(p27)


身体への固執

 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
 だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
 れを見失っているということだ。
 あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
 値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
 てはひとつなのだ。
 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
 らば、私たちはそれを見いだすだろう。(p27)


自然な状態B

 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
 れを見失っているということだ。
 あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
 値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
 てはひとつなのだ。
 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
 らば、私たちはそれを見いだすだろう。(p27)


因果関係@

 因果関係とは、物理的あるいは精神的空間のなかで起こる出来事の時間的連
 鎖を意味する。
 時間、空間、因果関係は精神的領域にあり、マインドとともに現れては消え
 ていく。
 
 すべての精神的なものがそうであるように、いわゆる因果関係もそれ自体が
 相矛盾するのだ。
 存在のなかで、ある一定の原因を持っているものは何ひとつない。
 宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる。
 宇宙がそのようではないかぎり、何ひとつあるがままでは在りえない。
 あらゆるものの土台と源が、起こることすべての唯一の原因であるとき、因
 果関係を宇宙の法則と見なすのは不当だと言えよう。
 宇宙の潜在的可能性は無限のため、その内容物によって限定されることはな
 い。
 しかもそれは基本的に、完全に自由な原理の表現または顕現なのだ。(p30-31)


一定の原因

 すべての精神的なものがそうであるように、いわゆる因果関係もそれ自体が
 相矛盾するのだ。
 存在のなかで、ある一定の原因を持っているものは何ひとつない。
 宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる。
 宇宙がそのようではないかぎり、何ひとつあるがままでは在りえない。
 あらゆるものの土台と源が、起こることすべての唯一の原因であるとき、因
 果関係を宇宙の法則と見なすのは不当だと言えよう。
 宇宙の潜在的可能性は無限のため、その内容物によって限定されることはな
 い。
 しかもそれは基本的に、完全に自由な原理の表現または顕現なのだ。(p30-31)


瞑想の目的

 (瞑想の目的とは何なのか、というなら)
 私たちは感覚や行為といった外側の世界は知っているが、思考や感情といっ
 た内なる世界のことはほとんど知らない。
 瞑想の初歩的な目的は、私たちの内なる生をより身近に自覚することだ。
 そして究極の目的は、生の源である意識にたどり着くことだ。
 
 付随的にだが、瞑想の修行は私たちの人格に深く影響を及ぼす。
 私たちは私たちが知らないものの奴隷だ。
 知るものに対しては私たちが主人だ。
 何であれ、私たちの欠点や弱点を発見し、その原因や働きを理解する、知る
 ということ自体がそれを克服するのだ。
 無意識は意識層にもちこまれることによって溶解する。
 無意識の溶解はエネルギーを解き放つ。
 マインドはそれを適切だと感じ、そして静かになるのだ。(p35)


静かなマインドA

 (静かなマインドは何の役に立つのか、というなら)
 マインド静かになったとき、私たちは自分自身が純粋な観照者であること
 を知る。
 私たちは経験と経験者のどちらからも身を引き、その間であり、またその二
 つを超えた純粋な気づきとして離れて立つのだ。
 自分自身を、「私はあれやこれだ」と想像し、自己同一化をもととする人格
 は続いていく。
 しかし、ただ客観的世界の一部としてだけだ。
 観照者としての自己同一化は終焉(しゅうえん)する。(p35)


純粋な行為

 瞑想は純粋な行為であり、その目的はタマス(不活発性)とラジャス(活動
 性)を完全に除去することだ。
 純粋なサットヴァ(調和)は、怠惰と落ち着きのなさからの完全な自由だ。(p35)


サットヴァ@

 サットヴァはつねに強く純粋だ。
 それは太陽のようなものだ。
 雲やほこりに見え隠れすることはあっても、それはただ見る者の視点による
 のだ。
 太陽にではなく、太陽を隠す原因となるものに対処しなさい。(p35)


サットヴァA

 (サットヴァは何の役に立つのか、というなら)
 真理、善、調和、美、これらがいったい何の役に立つというのか?
 それらがそれら自身の目的なのだ。
 ものごとがそのまま干渉されず、避けられず、求められず、概念化されず、
 ただあるがままに完全な気づきのなかで体験されるとき、それらは自然に努
 力することなく現れる。
 そのような気づきそのものがサットヴァなのだ。
 それは人やものを利用するのではなく、それらを満たすのだ。(p36)


タマスラジャス

 (タマスラジャスにどう対処するのか、というなら)
 あなたのなかで、それらがどう影響を与えているかを見守ることによってだ。
 それらがどう作用するか気づいていなさい。
 あなたの思考、言葉、行為を見守りなさい。
 そうすればそれらのあなたへの支配は徐々に減っていき、サットヴァの澄ん
 だ光が輝きだすだろう。
 それは困難でも長い過程でもない。
 真剣さ、それが唯一の成功への条件だ。(p36)


マインドにおける視点

 (世界は幻想ではなく、最低位から最高位にわたる生きものの階層が存在し、
 各々の有機体の複雑性のレベルが意識の深さ、広さ、強靱さを反映し、成長
 のための形態の進化、意識の向上、無限の可能性の表現など、一貫してひと
 つの至高の法則が支配している……というなら)
 そうかもしれない。
 あるいはそうでないかもしれない。
 たとえそうであったとしても、それは単にマインドにおける視点にすぎない。
 だが事実は、宇宙全体(マハーダカーシュ)はただ意識(チダカーシュ)の
 なかにのみ存在し、そして私自身は至高の絶対性(パラマカーシュ)のなか
 に在るのだ。(p36-37)


純粋な存在@

 純粋な存在のなかに意識が現れる。
 意識のなかで、世界は出現し消滅していく。
 存在するものはすべて私であり、すべては私のものだ。
 すべてがはじまる以前にも、そしてすべてが終わった後にも――私は在る。
 すべては私のなか、すべての生きるもののなかに輝く「私は在る」という感
 覚のなかにその存在がある。
 非存在でさえ私なしには考えることもできない。
 何が起ころうとも、観照者としての私がそこにいなければならないのだ。(p36-37)


世界は現れる

 (なぜ世界の存在を否定するのか、というなら)
 世界を否定してはいない。
 私は世界を、広大な未知のなかの既知全体としての意識、その意識のなかの
 現れてとして見ている。
 
 はじまり、そして終わるもの、それはただの現れにすぎない。
 世界は現れるとは言えても、存在するとは言えない。
 その現れは、ある時間の比率においては非常に長い間続くだろうが、ほかの
 比率では非常に短いかもしれない。
 だが、結局は同じことだ。
 何であれ時間の範囲内にあるものは、はかなく実在性がない。(p37)


そう見えるだけ

 (私が取り巻く現実の世界のなかで生きている、というなら)
 それはあなたにとってそう見えるだけだ。
 あなたの意識界全体を占めるものは、私にとっては微小片にすぎない。
 世界は続いていく。
 だが、ほんのつかの間だ。
 記憶が、世界は継続するとあなたに考えさせるのだ。
 記憶のなかに生きていない私にとって、世界は意識のなかのつかの間の現れ
 にすぎない。(p37)


世界記憶

 世界は続いていく。
 だが、ほんのつかの間だ。
 記憶が、世界は継続するとあなたに考えさせるのだ。
 記憶のなかに生きていない私にとって、世界は意識のなかのつかの間の現れ
 にすぎない。(p37)


記憶世界

 記憶が、世界は継続するとあなたに考えさせるのだ。
 記憶のなかに生きていない私にとって、世界は意識のなかのつかの間の現れ
 にすぎない。(p37)


至高の境地

 (自分が至高の境地にあるとどうやって知るのか、というなら)
 なぜなら、私はそのなかに在るからだ。
 それはただ自然な状態なのだ。
 
 それは原因なく、依存なく、関係なく、分割せず、創造せず、揺らぐことな
 く、問うことなく、努力によっては到達できないものとして、否定において
 のみ表現することができる。
 どのような肯定的な定義も記憶によるものであり、それゆえ適切ではない。
 しかし私の境地至高の実在であり、それゆえ可能であり、実現でき、達成
 できるものなのだ。(p37)


至高の実在@

 それは原因なく、依存なく、関係なく、分割せず、創造せず、揺らぐことな
 く、問うことなく、努力によっては到達できないものとして、否定において
 のみ表現することができる。
 どのような肯定的な定義も記憶によるものであり、それゆえ適切ではない。
 しかし私の境地は至高の実在であり、それゆえ可能であり、実現でき、達成
 できるものなのだ。(p37)


抽象世界

 (時を忘れて抽象世界のなかに没頭しているのか、というなら)
 抽象世界は知的な、言語的なものであって、睡眠や気絶のなかで消滅し、時
 間のなかでふたたび現れる。
 私は永遠なるのなかに、私自身の境地(スワルーパ)のなかに在るのだ。
 過去と未来はマインドのなかだけに在る。
 私はに在る。(p38)


あなたとのこの会話

 あなたの世界はあなたのマインドのなかに在り、それは私のものではない。
 あなたとのこの会話でさえ、あなたの世界のなかにあるだけだというのに、
 私の何を知っているというのだろうか?
 私の世界があなたの世界と同一だと信じる理由は何もない。
 私の世界は知覚されたままの実在、真実だ。
 ところがあなたの世界は、あなたのマインドの状態にしたがって現れては消
 える。
 あなたの世界は何か相容れないものであり、あなたはそれを恐れている。
 私の世界は私自身であり、わが家同然だ。(p38)


意識世界

 意識世界はともに現れ、ともに消える。
 それゆえ、それらは同じ状態の二つの層なのだ。(p38)


マインドを不動に

 (どうすればマインドを不動にできるのか、というなら)
 不動でないマインドが、それ自身を不動にすることができるだろうか?
 もちろんできはしない。
 うろつきまわるのがマインドの本性なのだ。
 あなたにできることは、意識の焦点をマインドの彼方へと移行させることだ
 けだ。(p39)


マインドの彼方へ

 (どうやって意識の焦点をマインドの彼方へと移行させるのか、というなら)
 「私は在る」という想念以外のすべての想念を拒絶しなさい。
 はじめのうち、マインドは抵抗するだろう。
 しかし忍耐と根気をもってすれば、それは降伏し、静かになるだろう。
 ひとたびあなたが静かになれば、あなたからの干渉なしに、ものごとは自発
 的にまったく自然に起こりはじめる。(p39-40)


忍耐と根気

 「私は在る」という想念以外のすべての想念を拒絶しなさい。
 はじめのうち、マインドは抵抗するだろう。
 しかし忍耐と根気をもってすれば、それは降伏し、静かになるだろう。
 ひとたびあなたが静かになれば、あなたからの干渉なしに、ものごとは自発
 的にまったく自然に起こりはじめる。(p40)


闘いを避ける

 (マインドとの長い闘いを避けることはできるか、というなら)
 できる。
 生を起こるがまま生きなさい。
 ただ留意し、見守り、あるがままにものごとが起こるのを許して、生がもた
 らすままに、喜び、苦しみ、自然なことを自然に行う。
 それもまた道なのだ。(p40)


真の幸福自己

 真の幸福を、移り変わり過ぎ去っていくもののなかに見いだすことはできな
 い。
 喜びと苦しみは容赦なく交互にやってくる。
 真の幸福自己から来る。
 そして、それは自己のなかにしか見いだせないのだ。
 あなたの真我(スワルーパ)を見いだしなさい。
 それとともに、それ以外のすべてもやってくるだろう。(p40)


落ち着き

 あなたの真の存在に落ち着きがないのではない、その反映がマインドのなか
 に落ち着きなく現れるのだ。
 なぜなら、マインドは落ち着きのないものだからだ。
 それは水面に映る月が、風で揺らめくようなものだ。
 欲望の風がマインドと、マインドのなかの真我の反映である「私」を揺り動
 かし、千変万化に映しだす。
 しかしこのような動き、落ち着きのなさ、喜びと悲しみといった観念は、す
 べてマインドのなかに存在する。
 真我はマインドを超えてあり、関わることなくただ気づいている。(p40)


真我に到達する

 (どうやって真我に到達するのか、というなら)
 たった今ここで、あなたは真我なのだ。
 マインドのことは放っておきなさい。
 覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。
 そうすれば、超然と油断なく在り、来ては去りゆく出来事をただ見守ること
 が、あなたの真の本性の一側面であることに目覚めるだろう。(p40)


純粋な喜び

 (純粋な喜びという状態は存在するのか、というなら)
 肉体的あるいは精神的なあらゆる喜びには手段が必要だ。
 物理的、精神的な手段はともに物質であり、どちらもすたれ、使い果たされ
 る。
 それらが生み出す喜びは、必然的にその強度と期間に限界がある。
 苦しみはすべての喜びの背景にある。
 苦しむがゆえにあなたはそれを欲しがる。
 だが、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。
 それは悪循環だ。(p41)


手段は物質

 (純粋な喜びという状態は存在するのか、というなら)
 肉体的あるいは精神的なあらゆる喜びには手段が必要だ。
 物理的、精神的な手段はともに物質であり、どちらもすたれ、使い果たされ
 る。
 それらが生み出す喜びは、必然的にその強度と期間に限界がある。
 苦しみはすべての喜びの背景にある。
 苦しむがゆえにあなたはそれを欲しがる。
 だが、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。
 それは悪循環だ。(p41)


喜びの追求

 苦しみはすべての喜びの背景にある。
 苦しむがゆえにあなたはそれを欲しがる。
 だが、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。
 それは悪循環だ。(p41)


混乱

 (混乱の構造は理解できても出口が見いだせない、というなら)
 構造を調べること自体が道を示すのだ。
 つまるところ、あなたの混乱はあなたのマインドのなかにだけ存在している。
 そのマインドはけっして混乱に抵抗せず、それを理解しようともしてこなか
 った。
 マインドが抵抗したのは苦しみに対してだけだった。
 
 油断なく在りなさい。
 問いかけ、観察し、調べ、混乱があなたや他人に何をし、どう作用するのか、
 混乱について何ができるのかをすべて学びなさい。
 混乱について明らかにすることで、あなたはそれを一掃する。(p41)


永続する記念碑

 (自己の証明となるような永続する記念碑をつくりたい、というなら)
 あなた自身、何ひとつ永遠のものはないと知るだろう。
 すべては衰退し、朽ち果て、崩壊する。
 記念碑を建てる土台そのものが崩れ去っていくのだ。
 永続するような何を築くことができるというのだろう?(p41-42)


記憶の隙間

 (眠りのなかでは「私は在る」という感覚はなかった、というなら)
 そんな決めつけたような言葉を吐く前に、目覚めの状態を一度注意深く調べ
 てみるがいい。
 目覚めの状態は、マインドが空白になった瞬間でいっぱいだとすぐに気づく
 だろう。
 完全に目覚めているときでさえ、あなたが覚えていることがいかにわずかか
 ということに注意を払いなさい。
 眠りの間、あなたに意識がなかったとは言えないはずだ。
 ただ覚えていないだけなのだ。
 記憶の隙間が必ずしも意識の隙間であるとはかぎらない。(p42)


眠りの状態を記憶する

 (深い眠りの状態を記憶することはできるのか、というなら)
 もちろん!
 目覚めている間の不注意なときを取り除くことが、眠りと呼ばれる長い放心
 状態の感覚を徐々に除去するだろう。
 あなたは自分が眠っていることに気づくようになるだろう。(p42)


永久性

 永久性とは時間の運動から生まれた、ただの概念にすぎない。
 時間もまた記憶に依存する。
 永久なるものと言うことで、あなたは無限なる時間を通して、変わることの
 ない確かな記憶を表している。
 あなたはマインドを永遠のものにしたい。
 だが、それは不可能だ。(p43)


永遠とは何か

 (永遠とは何か、というなら)
 それは時とともに変化しないものだ。
 一時的な、はかないものを不滅にすることはできない。
 不変のものだけが永遠なのだ。(p43)


不変永遠

 それ(永遠)は時とともに変化しないものだ。
 一時的な、はかないものを不滅にすることはできない。
 不変のものだけが永遠なのだ。(p43)


平和に値する者

 あなたのマインドを落ち着かなくさせる、すべてのものからあなたを引き離
 しなさい。
 平和を乱す、すべてのものを放棄しなさい。
 もし平和が欲しいのなら、それを受けるに値する者となりなさい。
 
 (誰もが平和を受けるに値するのでは、というなら)
 それを妨げない者だけが受けるに値するのだ。
 
 (いったい、どのように平和を妨げているというのか、というなら)
 欲望や恐怖の奴隷となることによってだ。(p43)


平和へのただひとつの

 無知や不注意から生じた感情的な反応はけっして正当化されない。
 清らかなマインドと澄んだハートを探し求めなさい。
 あなたに必要なのは、静かに油断なく自己の本性を探求することだけだ。
 これが平和へのただひとつのだ。(p43)


全体あなた

 全世界という概念も、あなたの私的な世界の一部ではないだろうか?
 宇宙はあなたのところにやってきて、あなたは宇宙の一部だと言いはしない。
 全体あなたをその一部として含んでいるという考えをつくり上げたのは、
 あなたではないだろうか?
 実際に、たとえどんなに想像と期待で飾りたてていても、あなたが知ってい
 るのはあなたの私的な世界にすぎないのだ。(p44)


記憶の反応

 知覚、想像、期待、不安、幻想はすべて記憶に基づくものだ。
 それらの間にはほとんど境界線さえなく、互いに溶け込んでいる。
 すべては記憶の反応なのだ。(p44)


私の世界@

 私の世界はあなたの世界と同様だ。
 は、の知覚する世界であなたと同じように見、聞き、感じ、考え、話し、
 行動する。
 だがあなたにとってはそれがすべてで、にとっては、それはほとんど無に
 等しい。
 世界自身の一部であると知っているため、あなたが食べた食事に注意を
 払わない以上に、もそれに留意しないのだ。
 用意されてから食べる間、食べ物はあなたから分離して在り、あなたはそれ
 に留意する。
 ひとたび飲みこめば、それに対してはまったく無意識になる。
 世界を食べてしまったのだ。
 だからそれについて考える必要はもはやないのだ。(p45)


正不正の区別

 欲望は環境や状況にしたがって、しくもなり、間違いにもなる。
 あなたがそれをどう見るかによるのだ。
 正不正の区別は個人にとってのみ有効なのだ。(p46-47)


欲望の区別の指針

 (欲望の区別の指針となるものは何かというなら)
 あなたの場合、悲しみをもたらす欲望が間違ったもので、幸せをもたらすも
 のが正しい。
 だが、ほかの人たちのことを忘れてはいけない。
 彼らの悲しみや、幸せもまた考慮に入れるのだ。(p47)


未来にある結果

 (未来にある結果をどうすれば知ることができるかというなら)
 考えなさい。
 記憶し、観察しなさい。
 あなたはほかの人と変わりはしない。
 彼らの経験のほとんどは、あなたにとっても有効なものだ。
 欲望とその枝葉の構造全体に入り、深く明瞭に考えなさい。
 それらはあなたの精神的、感情的構造のもっとも重要な部分であり、あなた
 の行動に強力な影響を与える。
 覚えておきなさい。
 あなたの知らないことを放棄することはできない。
 あなた自身を超えていくには、あなた自身を知らなければならないのだ。(p47)


欲望の構造全体

 (未来にある結果をどうすれば知ることができるかというなら)
 考えなさい。
 記憶し、観察しなさい。
 あなたはほかの人と変わりはしない。
 彼らの経験のほとんどは、あなたにとっても有効なものだ。
 欲望とその枝葉の構造全体に入り、深く明瞭に考えなさい。
 それらはあなたの精神的、感情的構造のもっとも重要な部分であり、あなた
 の行動に強力な影響を与える。
 覚えておきなさい。
 あなたの知らないことを放棄することはできない。
 あなた自身を超えていくには、あなた自身を知らなければならないのだ。(p47)


知らないこと

 欲望とその枝葉の構造全体に入り、深く明瞭に考えなさい。
 それらはあなたの精神的、感情的構造のもっとも重要な部分であり、あなた
 の行動に強力な影響を与える。
 覚えておきなさい。
 あなたの知らないことを放棄することはできない。
 あなた自身を超えていくには、あなた自身を知らなければならないのだ。(p47)


放棄すること

 欲望とその枝葉の構造全体に入り、深く明瞭に考えなさい。
 それらはあなたの精神的、感情的構造のもっとも重要な部分であり、あなた
 の行動に強力な影響を与える。
 覚えておきなさい。
 あなたの知らないことを放棄することはできない。
 あなた自身を超えていくには、あなた自身を知らなければならないのだ。(p47)


私自身を知る

 (私自身を知るとはどういう意味か、というなら)
 あなたではないすべてを知るのだ。(p47)


あなたはすでに

 あなたはすでに、あるがままのあなたなのだ。
 何があなたではないかを知ることでそれから自由になり、あなたあなた自
 身の自然な状態にとどまる。
 すべては自発的に、努力なしに起こるのだ。(p47)


発見するもの

 (私は何を発見するのか、というなら)
 そこには何も発見するものはないということを発見する。
 あなたはただ、あなたなのだ。
 ただそれだけだ。(p47)


あなたはただ

 (私は何を発見するのか、というなら)
 そこには何も発見するものはないということを発見する。
 あなたはただあなたなのだ。
 ただそれだけだ。(p47)


究極的に私とは

 (究極的に私とは何なのか、というなら)
 あなたではないものすべてを究極的に否定したものだ。
 
 (理解できない、というなら)
 あなたが何者かでなければならないという固定観念、それがあなたを盲目に
 するのだ。(p47)


何者かでなければ

 (究極的に私とは何なのか、というなら)
 あなたではないものすべてを究極的に否定したものだ。
 
 (理解できない、というなら)
 あなたが何者かでなければならないという固定観念、それがあなたを盲目に
 するのだ。(p47)


純粋な気づき@

 もし私を信頼するなら、あなたは意識とその無限の内容物を照らす純粋な気
 づきだ、と私が言うのを信じなさい。
 それを自覚し、それにしたがって生きなさい。
 もし私を信じることができないならば、そのときは内側に入り「私は誰か?」
 と尋ねるがいい。
 あるいは純粋で純然な存在である、「私は在る」という感覚にあなたの気づ
 きの焦点を合わせなさい。(p47)


放棄できない

 (すべてを放棄し住居なき放浪の人生を送るべきではないか、というなら)
 あなたには放棄できない。
 あなたは家を放棄し、家族に問題を与えるかもしれない。
 だが執着はマインドのなかにあり、あなたがマインドの内も外も熟知するま
 で、それがあなたを離れることはないだろう。
 まず、あなた自身を知りなさい。
 そうすれば、ほかのすべてはやってくるだろう。(p48)


熟知するまで

 (すべてを放棄し住居なき放浪の人生を送るべきではないか、というなら)
 あなたには放棄できない。
 あなたは家を放棄し、家族に問題を与えるかもしれない。
 だが執着はマインドのなかにあり、あなたがマインドの内も外も熟知するま
 で、それがあなたを離れることはないだろう。
 まず、あなた自身を知りなさい。
 そうすれば、ほかのすべてはやってくるだろう。(p48)


あなたではない

 あなたではない、すべてを発見しなさい。
 身体、感情、思考、概念、時間、空間、存在と非存在、あれやこれ――具象
 であれ、抽象であれ、あなたが指し示すことのできるものはすべてあなたで
 はない。
 あなたはあるマントラを、何の結果も得られないまま際限なく繰り返すかも
 しれない。
 単に言葉による表明だけではだめなのだ。
 あなたは自分自身を、特にあなたのマインドを見守らなければならない。
 一瞬一瞬、何ひとつ見逃すことなく。
 この観照が、自己から非自己を分離する本質的なものだ。(p48)


残された道はない

 観照のためには、そこに観照されるべき何かほかのものがなければならない。
 それではまだ、私たちは二元性のなかにいるのだ!
 
 (観照者を観照することはどうか? 気づきに気づくことは?)
 言葉を並べ立てることではどこにも到達しない。
 内面に入り、あなたではないものを見いだしなさい。
 それ以外、残された道はない(p48)


三つの精神状態

 私にとっても同じことだ。
 しかし、そこには違いがあるように見える。
 各々の状態のなかで、あなたはほかの二つの状態を忘れているが、私にとっ
 ては目覚め、夢見、眠りの三つの精神状態を含み、しかも超越したひとつの
 存在状態があるだけだ。(p49)


想像の反映

 世界とは私の想像の反映にすぎない。
 何であれ見たいと思うものを、私は見ることができる。
 だが、なぜ創造、進化、破壊というパターンを編みだす必要があるだろうか?
 私にはそれらは必要ない。
 世界は私のなかにあり、世界は私自身なのだ。
 私はそれを恐れることもなければ、それをひとつの固定させた心理的画像に
 閉じこめたいなどという望みもない。(p49)
好み:(-||-)

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