究極的な原因
すべての出来事のなかに宇宙全体が反映されている。
究極的な原因の由来を調べることは不可能だ。
因果律の概念自体はただの考え方にすぎない。
原因のない存在の出現を想像することはできない。
しかしながら、それが因果関係の存在を証明するわけではないのだ。(p204)
因果律
すべての出来事のなかに宇宙全体が反映されている。
究極的な原因の由来を調べることは不可能だ。
因果律の概念自体はただの考え方にすぎない。
原因のない存在の出現を想像することはできない。
しかしながら、それが因果関係の存在を証明するわけではないのだ。(p204)
観照の姿勢
観照の姿勢を発達させなさい。
そうすれば、あなたは無執着が制御をもたらすということを自らの体験をも
って見いだすだろう。
観照している状態は完全な力をもっている。
そこには何も受動的なことはないのだ。(p204)
放棄するもの
世界は無数の輪(リング)でできている。
それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
あなたの耽溺を放棄しなさい。
ほかに何も放棄するものはない。
常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
努力せずに在りなさい。(p206)
意識 と 光
意識はそれ自体では輝かない。
それは背後にある光によって輝くのだ。
意識の夢のような性質を見た上で、意識がそのなかに現れ、存在を与えるそ
の光を見いだしなさい。
そこには意識の内容とその気づきがある。(p208)
実在 と 体験A
体験とは変化するものだ。
それは来ては去っていく。
実在は出来事ではなく、それを体験することもできない。
それは出来事を知覚するようには知覚できないのだ。
もし実在が出現するのを待っているなら、あなたは永遠に待たなければなら
ないだろう。
なぜなら、実在は来ることも去ることもないからだ。
それは期待されることではなく、気づくことだ。
予想して準備することではない。
だが、熱望そのものと実在の探求が、実在の動き、行為、作用なのだ。
あなたにできることは、核心を理解することだ。
実在は出来事ではなく、起こることでもない。
何であれ起こること、何であれ去来するものは実在ではない。
出来事はただ出来事として、一時的なものは一時的なものとして、体験は体験
として見なさい。
そうすれば、あなたにできることはすべて為し終えたのだ。
そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。
出来事や体験に実在性を与えていたときのような、よろいはもはやつけてい
ない。
しかし、好きや嫌いといった選り好みが入り込んだとたん、あなたは仕切を
下ろしたことになるのだ。(p208)
実在の表現
行為も、感情も、思考も実在を表現することはない。
実在の表現といったものはない。
あなたは二元性のないところに二元性を持ち込んだのだ。
実在だけが在る。
ほかには何もない。
目覚め、夢見、眠りという三つの状態は私ではなく、私はそれらの中にはい
ない。
私が死ぬとき、世界は「ああ、マハラジが亡くなった!」と言うだろう。
しかし私にとって、それらは内容のない言葉であり、無意味なのだ。
グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
くように、すべては起こる。
すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
それは私の場合も同様だ。
すべては必要にしたがって起こる。
しかも、何も起こってはいないのだ。
私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
自体は架空のものだと知っているのだ。(p209)
難攻不落の岩
いつものように三つの状態は交替する。
そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
それらはただ起こる。
私には何も起こらないのだ。
そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
在――意識――至福がある。
私はつねにそのなかに在る。
いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできな
いのだ。(p209)
誠実な関心
もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
何も私を煩わさない。
問題が起こっても私は抵抗しない。
それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
あなたの側には、とても多くの問題がある。
私の側にはまったく問題がない。
私の側に来なさい。
あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
何であれ起こることは起こるだろう。
必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
誠実さが要なのだ。(p210)
私の言葉
もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
何も私を煩わさない。
問題が起こっても私は抵抗しない。
それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
あなたの側には、とても多くの問題がある。
私の側にはまったく問題がない。
私の側に来なさい。
あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
何であれ起こることは起こるだろう。
必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
誠実さが要なのだ。(p210)
有効なサーダナ
もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
何も私を煩わさない。
問題が起こっても私は抵抗しない。
それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
あなたの側には、とても多くの問題がある。
私の側にはまったく問題がない。
私の側に来なさい。
あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
何であれ起こることは起こるだろう。
必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
誠実さが要なのだ。(p210)
名前という重荷
あなたはあなたが存在することを知っている。
あなた自身の上に名前という重荷を負わせてはならない。
ただ在りなさい。
いかなるものでも名前や形を自分自身に与えることで、あなたの真の本性は
隠されてしまうのだ。(p214)
最高の欲望
真実への欲望は最高の欲望だ。
だが、それはいまだに欲望であることに変わりはない。
真実が在るためには、すべての欲望が放棄されなければならないのだ。
あなたは在る、ということを覚えていなさい。
これがあなたの仕事の資本だ。
その資本を回転させなさい。
そうすれば多大な利益を生むだろう。(p214)
仕事の資本
真実への欲望は最高の欲望だ。
だが、それはいまだに欲望であることに変わりはない。
真実が在るためには、すべての欲望が放棄されなければならないのだ。
あなたは在る、ということを覚えていなさい。
これがあなたの仕事の資本だ。
その資本を回転させなさい。
そうすれば多大な利益を生むだろう。(p214)
人生とは探求
人生とは探求なのだ。
探求するほかないのだ。
すべての探求が終焉したとき、それが至高の状態だ。(p214)
放棄 と サーダナ
放棄したものはもはや重要ではない。
あなたが放棄していないものは何だろうか?
それを見つけ、放棄しなさい。
サーダナとは放棄するものを探すことだ。
あなた自身を完全に空っぽにしなさい。(p214)
自己想起
自己想起、「私は在る」という気づきがあなたを強力に迅速に成熟させる。
あなた自身に関するすべての観念を捨て去りなさい。
そして、ただ在るのだ。(p215)
神 と あなた@
神はあなたのマインドのなかの概念にすぎない。
あなたは事実だ。
あなたが知っているたったひとつ確かなことは、「ここに今、私は在る」と
いうことだ。
「ここと今」を取り除きなさい。
「私は在る」が確固として残る。
世界は記憶のなかに存在する。
記憶は意識のなかに現れる。
意識は気づきのなかに存在し、気づきは存在の水面上の光の反映なのだ。(p217)
世界 < 記憶 < 意識 < 気づき < 存在
世界は記憶のなかに存在する。
記憶は意識のなかに現れる。
意識は気づきのなかに存在し、気づきは存在の水面上の光の反映なのだ。(p217)
推測 と 習慣
もちろん、私が偽りなく言えることは、「私は在る」だけだ。
それ以外はすべて推測だ。
しかし、推測が習慣になってしまったのだ。
考えることと見ることというすべての習慣を打ち破りなさい。(p217)
顕現の根本原因
「私は在る」という感覚が顕現の根本的な原因だ。
それを自己、神、実在、あるいはほかの名で呼んでもいい。
「私は在る」は世界のなかにある。
しかし、それは世界の外に出るための扉を開く鍵なのだ。
水面に踊る月は、水のなかに見られる。
だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。(p217)
世界を出る扉
「私は在る」は世界のなかにある。
しかし、それは世界の外に出るための扉を開く鍵なのだ。
水面に踊る月は、水のなかに見られる。
だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。(p217)
水面に踊る月
「私は在る」という感覚が顕現の根本的な原因だ。
それを自己、神、実在、あるいはほかの名で呼んでもいい。
「私は在る」は世界のなかにある。
しかし、それは世界の外に出るための扉を開く鍵なのだ。
水面に踊る月は、水のなかに見られる。
だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。(p217)
絶対的実在
まったくそのとおりだ。
あなたのマインドがその上に相対的な非実在の世界を投影してきた絶対的実
在の世界は、あなたに依存していない。
その単純な理由とは、それがあなた自身だからだ。(p217)
不変なるもの
不変なるものは、何であれそれ以外の不変であるものとひとつなのだ。
なぜなら、二元性は相互作用を暗示し、相互作用は変化を意味するからだ。
言い換えれば、絶対的に物質的なものと絶対的に霊的なもの、完全に客観的
なものと完全に主観的なものは、実体においても本質においても等しいとい
うことだ。(p218)
相互作用
不変なるものは、何であれそれ以外の不変であるものとひとつなのだ。
なぜなら、二元性は相互作用を暗示し、相互作用は変化を意味するからだ。
言い換えれば、絶対的に物質的なものと絶対的に霊的なもの、完全に客観的
なものと完全に主観的なものは、実体においても本質においても等しいとい
うことだ。(p218)
投影 と 監禁
理解すべき主要な点は、あなたがあなた自身の上に欲望と恐れの記憶をもと
とした、想像の世界を投影したということだ。
そして、そのなかにあなた自身を監禁したのだ。
その魔法を解いて自由になりなさい。(p218)
非依存性
思考と行為において、あなたの非依存性を主張しなさい。
結局、すべてはあなたが見、聞き、考え、感じることが現実だと確信するあ
なた自身の信念にかかっているのだ。
なぜあなたの信念を疑わないのか?
この世界が意識のスクリーンの上に、あなたによって描かれたものだという
ことは疑いないのだ。
そして、それは完全にあなたの個人的な世界だ。
たとえ世界のなかにあろうとも、あなたの「私は在る」という感覚だけが、
世界に属さないものだ。
どのような理論や想像による努力によっても、「私は在る」を「私はいない」
に変えることはできない。
あなたの存在を否定することが自体が、あなたの存在を主張している。
ひとたび世界はあなた自身の投影だと悟れば、あなたはそれから自由だ。
あなた自身の想像のなかにしか存在しない世界から自由になる必要はない!
いかにその絵が美しくとも、あるいは醜くとも、それはあなたが描いたもの
であり、あなたはそれに束縛されないのだ。
誰もあなたにそれを押しつけてはいないということを悟りなさい。
それは想像を現実と見なす習慣によるものなのだ。
想像を想像としてみなさい。
そして恐れから自由になるがいい。(p218)
個人的な世界
結局、すべてはあなたが見、聞き、考え、感じることが現実だと確信するあ
なた自身の信念にかかっているのだ。
なぜあなたの信念を疑わないのか?
この世界が意識のスクリーンの上に、あなたによって描かれたものだという
ことは疑いないのだ。
そして、それは完全にあなたの個人的な世界だ。
たとえ世界のなかにあろうとも、あなたの「私は在る」という感覚だけが、
世界に属さないものだ。
どのような理論や想像による努力によっても、「私は在る」を「私はいない」
に変えることはできない。
あなたの存在を否定することが自体が、あなたの存在を主張している。
ひとたび世界はあなた自身の投影だと悟れば、あなたはそれから自由だ。
あなた自身の想像のなかにしか存在しない世界から自由になる必要はない!
いかにその絵が美しくとも、あるいは醜くとも、それはあなたが描いたもの
であり、あなたはそれに束縛されないのだ。
誰もあなたにそれを押しつけてはいないということを悟りなさい。
それは想像を現実と見なす習慣によるものなのだ。
想像を想像としてみなさい。
そして恐れから自由になるがいい。(p218)
無名無形のもの
想像なしに見ること、歪みなしに聞くことを学びなさい。
それがすべてだ。
本質的に無名無形のものに、名前や形が属すると考えることはやめなさい。
あらゆる知覚の形態は主観的なものであり、見たことや聞いたこと、触れた
ものやにおいをかいだもの、感じたことや思ったこと、期待したことや想像
したことは、すべて実在のなかではなく、マインドのなかにあるのだと悟り
なさい。
そうすれば、あなたは平安を体験し、恐れから自由になるだろう。(p219)
純粋な光
「私は在る」という感覚さえも、純粋な光の存在の感覚から成るのだ。
「在る」なしでも「私」はそこに在る。
同様に、純粋な光もあなたが「私」と言おうと言うまいと、そこに在るのだ。
その純粋な光に気づきなさい。
そうすれば、けっしてそれを失うことはない。
存在のなかの存在性、意識のなかの気づき、すべての体験への関心、それは
描写不可能でありながら、完全に入手可能なものだ。
なぜならそれ以外には何も存在しないからだ。(p219)
パン と 小麦
多くの人がパンを食べている。
だが小麦についてすべてを知っている人は、ほんのわずかだ。
そして、それを知っている人だけがパンを改良することができる。
同様に、自己を知る人だけ、世界を超えた彼方を見た人だけが世界を改善で
きるのだ。
個人としてある人たちにとって、彼らの価値は途方もないものだ。
なぜなら、彼らだけが自分たちの解放への唯一の期待だからだ。
世界のなかに在るものが、世界を救うことはできない。
もしあなたが本当に世界を救おうとするなら、そこから出なければならない
のだ。(p225)
世界 と あなたA
世界とあなた、どちらが先に生まれたのだろうか?
世界が先だと考えるかぎり、あなたはそれに縛られているのだ。
疑いの跡形もなく、世界はあなたのなかに在り、あなたが世界のなかに在る
のではないとひとたび悟れば、あなたは外に出ている。
もちろん、あなたの身体は世界のなかに、世界に属したままだ。
だが、あなたはもはやそれに惑わされはしない。
すべての聖典は世界が存在する前に創造者が存在したと言っている。
誰が創造者を知っているのだろうか?
創造者以前に存在したのは、すべての世界とその創造物の源である、あなた
の真我だけなのだ。(p225)
絶対的に矛盾
実在は主観的でも客観的でもなく、マインドでも物質でもなく、時間でも空
間でもない。
これらの区分には、それが起こる当の人、意識的な分離した中心が必要とな
る。
しかし、実在はすべてであり無であり、全体性と排他性であり、充満と虚空
であり、完全に首尾一貫し、絶対的に矛盾したものだ。
それについて語ることはできないのだ。
あなたは、ただあなた自身をそのなかに失うことができるだけだ。(p225)
自己の存在
あなたが実在ではないものすべてをどこまでも拒絶していくと、最終的に否
定しきれず残されたものにであう。
ジニャーナ(真理の知識)に関する話はすべて無知の印だ。
知らないのだと想像し、それから知るようになるのはマインドなのだ。
実在はこれらの歪曲に関して何も知らない。
創造者としての神という理念さえも偽りだ。
わたしは自己の存在を何かほかの存在に負うだろうか?
わたしは存在する。
それゆえ、すべては存在するのだ。(p226)
生まれる
子供はあなたの世界に生まれてくるのだ。
さて、あなたは世界のなかに生まれたのだろうか、それとも、世界があなた
に対して現れたのだろうか?
生まれるということはあなた自身を中心として、あなたの周りに世界をつく
り出すことだ。
しかし、あなたがあなた自身を創造したのだろうか?
あるいは、誰かがあなたを創造したのだろうか?
誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、そのなか
で生きているのだ。
わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在性を否定することだけ
だ。(p226)
牢獄の実在性
子供はあなたの世界に生まれてくるのだ。
さて、あなたは世界のなかに生まれたのだろうか、それとも、世界があなた
に対して現れたのだろうか?
生まれるということはあなた自身を中心として、あなたの周りに世界をつく
り出すことだ。
しかし、あなたがあなた自身を創造したのだろうか?
あるいは、誰かがあなたを創造したのだろうか?
誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、そのなか
で生きているのだ。
わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在性を否定することだけ
だ。(p226)
創造の種子
(子供の誕生以前に存在していた世界のその種子は……)
死と誕生を観照し、しかもけっして生まれず死ぬこともないその人とともに
ある。
ただ彼だけが創造の種子であり、最後に残るものなのだ。
マインドの彼方に何があるのかを、マインドに確認するよう頼むわけにはい
かない。
直接体験だけが唯一有効な証拠なのだ。(p226)
影響を受けずに
ただ、影響を受けずにいなさい。
このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
だ。
身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
られるのだ
何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
た自身ではないのだと思い出しなさい。(p228)
無関心 と 証明
ただ、影響を受けずにいなさい。
このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
だ。
身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
られるのだ
何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
た自身ではないのだと思い出しなさい。(p228)
最良の証明
ただ、影響を受けずにいなさい。
このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
だ。
身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
られるのだ
何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
た自身ではないのだと思い出しなさい。(p228)
禁欲とは何か
ひとたびあなたが体験を通り抜けたなら、ふたたびそれを通らないことが
禁欲だ。
不必要なことを避けることが禁欲だ。
つねにものごとを制御することが禁欲だ。
欲望自体は何も悪いものではない。
それは生命そのもの、知識と体験のなかに成長しようとする衝動なのだ。
間違いはあなたの選択にある。
食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
と想像するのは、自分自身を欺くことだ。
あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
に幸福にするのだ。(p229)
間違いA
間違いはあなたの選択にある。
食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
と想像するのは、自分自身を欺くことだ。
あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
に幸福にするのだ。(p229)
完璧
つねにもっとも深い自己への興味を心に保ち、生を知的に生きなさい。
結局、あなたが本当に欲しいのは何なのか?
完璧ではない。
あなたはすでに完璧なのだ。
あなたが求めているのは、あなたであるものを行為のなかで表現することな
のだ。
このためにあなたは身体とマインドを持っているのだ。
それらを手にし、あなたに仕えさせなさい。(p230)
自己は普遍
自己は普遍のものだ。
そしてその目的も普遍のものだ。
自己には個人的なものは何もない。
秩序ある生を生きなさい。
だが、それ自体を目的にしてはならない。
それは高次の冒険のための出発点であるべきだ。(p230)
動き回る
もしあなたが真剣ならば、あちこち動き回る必要はない。
どこにいようと、あなたはあなた自身だ。
そして、あなたは自分自身の空気をまわりにつくり出す。
移動や交通は解放を与えはしない。
あなたは身体ではないのだ。
身体を場所から場所へと引きずりまわしても、あなたをどこへも連れて行き
はしない。
あなたのマインドは三界を思いのままに行き来するのも自由なのだ。
それを最大限に利用するがいい。(p230)
あなた と 身体
あなたは身体のなかにはいない。
身体があなたのなかにあるのだ!
マインドはあなたのなかにある。
身体とマインドはあなたに起こるのだ。
それらがそこにあるのは、あなたがそれらに興味をもったからだ。
あなたの本性は楽しむための無限の能力をもっている。
いっぱいの情熱と愛情をもっている。
それはその輝きを気づきの焦点のなかに来るすべてに放ち、何ひとつ除外さ
れるものはない。
あなたの本性は悪も醜さも知らない。
それは期待し、信頼し、愛する。
あなたたちはあなたの本来の自己を知らないことで、どれほど逃しているか
を知らないのだ。
あなたは身体でもマインドでもない。
燃料でも火でもない。
それらはそれら自体の法則にしたがって現れては消えるのだ。(p230)
あなたの本性
あなたの本性は楽しむための無限の能力をもっている。
いっぱいの情熱と愛情をもっている。
それはその輝きを気づきの焦点のなかに来るすべてに放ち、何ひとつ除外さ
れるものはない。
あなたの本性は悪も醜さも知らない。
それは期待し、信頼し、愛する。
あなたたちはあなたの本来の自己を知らないことで、どれほど逃しているか
を知らないのだ。
あなたは身体でもマインドでもない。
燃料でも火でもない。
それらはそれら自体の法則にしたがって現れては消えるのだ。(p230)
他者への愛
他者をあなた自身のように愛しているというふりをしてはならない。
彼らとあなたがひとつであると悟らないかぎり、あなたに彼らを愛すること
はできない。
あなたではないもののふりをしてはならない。
あなたであることを拒んではならない。
あなたの他者への愛は自己知識の結果であって、その原因ではない。
真我の実現なしには、いかなる徳も本物ではない。
すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、疑
いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。
あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべて
の生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていること
を知るだろう。
しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せ
ない。
なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。
それは悪循環だ。
真我の実現だけがその輪を断ち切ることができる。
固い決意でそれに向かいなさい。(p231)
グルとは誰か?
グルが要求することはひとつだけだ。
明晰性と目的の強烈さ、自分自身に対する責任の感覚だ。
世界の実在性そのものが疑われなければならない。
結局のところ、グルとは誰か?
世界も、それに関する考えも存在しない状態を知るその人、彼が至高の師だ。
彼を見つけることは、もはや想像を実在と見なすことのない状態に達するこ
とを意味する。
どうか理解してほしい。
グルは実在を、真理を、ただ在るものを象徴するのだ。
彼は言葉の最上の意味において現実主義者だ。
彼はマインドとその妄想に降伏できないだろうし、またしない。
彼はあなたを実在へと連れていく。
彼に何かほかのことを期待してはならない。(p232)
真のグル
あなたが考えている、情報や知識を与える人は真のグルではない。
真のグルは実在を知り、見かけの魅力を超えているのだ。
彼にとって、あなたの服従と試練に関する質問は意味をなさない。
なぜなら彼にとって、あなたがあなた自身だと信じている個人は存在しない
からだ。
あなたの質問は非存在の個人に関するものだ。
あなたにとって存在するものも、彼にとっては存在しない。
あなたが当然と見なしていることを、彼は絶対的に否定する。
彼はあなたに、彼があなたを見るように、あなた自身を見てほしいのだ。
そうしたとき、あなたは服従し、したがうグルを必要とはしなくなるだろう。
なぜなら、あなたはあなた自身の実在にしたがい服従するからだ。
何であれ、あなたが自分自身だと見なしているのは、ただの一連の出来事に
すぎない。
すべてが起こり、去来する間、あなただけが移り変わるもののなかでの不変、
推測されることのなかでの唯一自明のものなのだ。
観察する者から観察されるものを分離しなさい。
そして偽りの同一化を放棄するがいい。(p232)
仕事
仕事をするがいい。
自由な時間があるとき、内面を見なさい。
重要なことは、機会がそれ自体を差しだしているときを逃してはならないと
いうことだ。
もしあなたが真剣ならば、許された時間を最大限に使うだろう。
それで充分だ。(p233)
マインドの沈黙
あなたが何をしようとも、あなたのマインドを見守りなさい。
また、マインドが絶対的に静止した、完全な内なる平和と沈黙の時間をもた
ねばならない。
もしそれを逃せば、あなたはすべてを逃すことになる。
もしそれを逃さなければ、マインドの沈黙がそれ以外のすべてを吸収し、溶
かし去るだろう。
あなたの困難は、実在を求めながら同時にそれを恐れていることだ。
恐れているのは、あなたがそれを知らないからだ。
なじみのあるものは知られている。
あなたはそれらに安全を感じる。
未知なるものは不確かであり、それゆえ危険なのだ。
しかし、実在を知ることは、それとの調和のなかに在ることだ。
そして調和のなかに恐れの居場所はない。(p233)
幼児
幼児は自分の身体を知っている。
だが、身体を基盤とした区別を知らない。
ただ意識していて幸せなのだ。
結局のところ、それこそが生まれてきた目的なのだ。
在ることの喜びはもっともシンプルな形の自己愛だ。
それは後に、真我への愛として成長する。
幼児のように身体と自己の間に、何も妨げるものなく在りなさい。
生活のなかでの絶え間ない精神的騒音は、そこには不在だ。
深い沈黙のなかで、自己は身体を観照している。
それはまだ、何も書かれていない白紙のようなものだ。
その幼児のように在りなさい。
あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありなさい。
あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。
だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだかるべきで
はない。(p233)
在ることに幸せ
あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありなさい。
あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。
だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだかるべきで
はない。(p233)
在ることで満足
(ただ在ることで満足するのは)もっとも価値のある利己的な在り方だ!
真我以外のすべてを差し控えることで、利己的になるがいい。
真我以外の何も愛さないとき、あなたは利己的と非利己的をともに超えてい
く。
すべての区別はその意味を失い、ひとつの愛とすべての愛は、純粋でシンプ
ルな、誰に対してでもなく、誰をも拒まない愛のなかでともに溶けあうのだ。
その愛のなかに住みなさい。
深く、より深くそのなかに入っていきなさい。
あなた自身を探求しなさい。
そして探求を愛しなさい。
そうすれば、あなたはあなた自身の問題だけではなく、人類全体の問題も解
決するだろう。(p234)
究極の安全
あなたに確信がないのは、体験にばかり注意を払って、けっして自分自身に
注意を払わなかったからだ。
すべての体験を超え、あなた自身に興味をもちなさい。
あなた自身とともに在りなさい。
あなた自身を愛しなさい。
究極の安全は自己知識のなかにだけ見いだすことができる。
重要なのは誠実さだ。
自分自身に正直でありなさい。
そうすれば、何もあなたを裏切ることはない。
美徳や力は、子どもが遊ぶためのただのおもちゃのコインにすぎない。
世界のなかでは、それらは有用だ。
だが、あなたをそれから連れだしはしない。
その彼方へと行くには不動の油断のなさ、平静な注意力が必要だ。(p235)
健康
あなたの身体は食べ物が変容したものだ。
食べ物が粗雑なものか、繊細なものかによって、あなたの健康も決まるだろ
う。(p235)
セックス
セックスは後天的な習慣だ。
超えていきなさい。
身体に焦点を合わせているかぎり、あなたは食べ物とセックス、恐れと死に
捕らえられたままだ。
あなた自身を見いだし、自由になりなさい。(p235)
マインドの「六つの敵 *」
重要なのは欲望、恐れといったマインドの「六つの敵 *」である否定的感情
から自由になることだ。
ひとたび、マインドがそれらから自由になれば、あとはたやすい。
洗剤に浸けおいた布がきれいになるように、純粋な感情の流のなかでマイン
ドは浄化されるのだ。
* 訳注 「六つの敵」 性欲、怒り、強欲、妄想、慢心、羨望。(p236)
否定的感情
重要なのは欲望、恐れといったマインドの「六つの敵 *」である否定的感情
から自由になることだ。
ひとたび、マインドがそれらから自由になれば、あとはたやすい。
洗剤に浸けおいた布がきれいになるように、純粋な感情の流のなかでマイン
ドは浄化されるのだ。
* 訳注 「六つの敵」 性欲、怒り、強欲、妄想、慢心、羨望。(p236)
重要なことは
あなたが静かに座り自己を見つめるとき、あらゆることが表層に現れてくる
かも知れない。
それらに対して何もしてはいけない。
それらに反応してはならない。
それらはやってきたようにそれら自身で去っていくだろう。
重要なことは注意、自分自身へというより、むしろ自分のマインドへの完全
な気づきだけだ。(p236)
直接的洞察
観察を観察することはできる。
だが、観察者をではない。
あなたは観察を基盤とした論理的過程によってではなく、直接的洞察によっ
て、あなたが究極の観察者だということを知っている。
あなたはあなたであるものだ。
だが、あなたが知っているのはあなたではないものだ。
自己は存在として知られ、非自己は一時的なものとして知られる。
しかし実際は、すべてはマインドのなかにあるのだ。
観察されるもの、観察、そして観察者は精神的構成概念にすぎない。
真我だけが在るのだ。(p237)
究極の観察者
観察を観察することはできる。
だが、観察者をではない。
あなたは観察を基盤とした論理的過程によってではなく、直接的洞察によっ
て、あなたが究極の観察者だということを知っている。
あなたはあなたであるものだ。
だが、あなたが知っているのはあなたではないものだ。
自己は存在として知られ、非自己は一時的なものとして知られる。
しかし実際は、すべてはマインドのなかにあるのだ。
観察されるもの、観察、そして観察者は精神的構成概念にすぎない。
真我だけが在るのだ。(p237)
区別 と 分離
区別することはマインドの本性そのものなのだ。
区別すること自体に害はない。
しかし分離は事実に反している。
ものごとや人びとはさまざまだ。
しかし、それらは分離していない。
自然はひとつ、実在はひとつだ。
反対のものはあっても、対立はないのだ。(p237)
仕事 と 活動
仕事と単なる活動の間には違いがある。
すべての自然は働いている。
働くことは自然だ。
自然は働くのだ。
一方、活動は欲望と恐れ、所有し楽しむことへの切望、苦痛と消滅への恐怖
を根底にしている。
仕事は全体による全体のためのものだ。
活動は自分による自分のためのものだ。(p237)
戻りつづける
あなたが束縛のなかにいること、何であれ、あなたに起こることは身体的存
在という事実によることを、あらゆる機会を使って自分に思い起こさせなさ
い。
欲望、恐怖、困難、喜び、それらは現れる対象であるあなたがいないかぎり、
現れることはできない。
それにもかかわらず、何であれ起こることは知覚する中心としてのあなたの
存在を指し示す。
指し示すものは無視し、それらが何を示しているのかに気づきなさい。
それはとても簡単だが、実行されなければならない。
重要なことは、あなた自身に戻りつづけるという持続性なのだ。(p237)
持続性
あなたが束縛のなかにいること、何であれ、あなたに起こることは身体的存
在という事実によることを、あらゆる機会を使って自分に思い起こさせなさ
い。
欲望、恐怖、困難、喜び、それらは現れる対象であるあなたがいないかぎり、
現れることはできない。
それにもかかわらず、何であれ起こることは知覚する中心としてのあなたの
存在を指し示す。
指し示すものは無視し、それらが何を示しているのかに気づきなさい。
それはとても簡単だが、実行されなければならない。
重要なことは、あなた自身に戻りつづけるという持続性なのだ。(p237)
時間がかかる
身体は物質的なものであり、変えるには時間がかかる。
マインドは考え方と感じ方という精神的習慣の集合だ。
変えるためには、それらは表層に引き出され、調べられなければならない。
これもまた時間がかかる。
ただ決心し、たゆまずやり通すことだ。
あとはそれ自身が面倒を見るだろう。(p238)
気づくこと
気づくことは目覚めることだ。
気づかないことは眠っていることだ。
いずれにせよ、あなたは気づいている。
そうあろうと試みる必要はない。
あなたに必要なのは、気づいていることに気づくことだ。
意図的に、そして意識的に気づいていなさい。
気づきの領域を広げ、そして深めなさい。
あなたはつねにマインドを意識している。
だが、あなた自身が意識していることに気づいてはいないのだ。(p238)
マインド/意識/気づき
こういうふうに見てみなさい。
マインドは、たとえあなたが見ていないときでも、想いを絶え間なく生みだ
している。
マインドのなかで何が起こっているかを知っているとき、あなたはそれを意
識と呼ぶ。
あなたの意識は感覚から感覚へ、知覚から知覚へ、観念から観念へと果てし
ない連続のなかで移行している。
これがあなたの目覚めの状態だ。
そしてマインドの全体性、意識全体への直接の洞察である気づきが現れる。
マインドは川のように、身体の川床のなかを絶えず流れている。
あなたはあなた自身を一瞬ある特定の波と同一化し、それを「私の想い」と
呼ぶのだ。
あなたが意識するすべてはあなたのマインドであり、気づきとは意識の全体
性の認識だ。(p238)
意識の大海
「誰もが意識している」と言ってはならない。
「意識がそこにはある」と言いなさい。
そのなかですべては現れ消えていく。
私たちのマインドは意識の大海の波にすぎない。
波としてのそれは、来ては去っていく。
海としてのそれは、無限で永遠だ。
あなた自身を生命の大海、すべての存在の子宮として知りなさい。
もちろん、これらはすべて隠喩だ。
実在は描写を超えている。
あなたはそれで在ることによってのみ、それを知ることができるのだ。(p239)
存在の子宮
「誰もが意識している」と言ってはならない。
「意識がそこにはある」と言いなさい。
そのなかですべては現れ消えていく。
私たちのマインドは意識の大海の波にすぎない。
波としてのそれは、来ては去っていく。
海としてのそれは、無限で永遠だ。
あなた自身を生命の大海、すべての存在の子宮として知りなさい。
もちろん、これらはすべて隠喩だ。
実在は描写を超えている。
あなたはそれで在ることによってのみ、それを知ることができるのだ。(p239)
無限の豊かさ
もしあなたが正気で、創造的に、幸福に、そして分かちあえる無限の豊かさ
をもって生きたいと願うならば、あなたであるものを探求しなさい。
マインドは身体の中心にあり、意識はマインドの中心にあるが、気づきは自
由だ。
身体はその衝動をもち、マインドはその苦痛と喜びをもっている。
気づきは無執着で、不動だ。
それは透明で、静かで、穏やかで、油断なく、恐れがなく、欲望も恐怖もな
い。
あなたの真の存在として、それに瞑想しなさい。
そして日々の生活のなかでそれで在ろうと試みなさい。
そうすれば、あなたはその豊かさを実現するだろう。(p239)
気づきは自由だ
マインドは身体の中心にあり、意識はマインドの中心にあるが、気づきは自
由だ。
身体はその衝動をもち、マインドはその苦痛と喜びをもっている。
気づきは無執着で、不動だ。
それは透明で、静かで、穏やかで、油断なく、恐れがなく、欲望も恐怖もな
い。
あなたの真の存在として、それに瞑想しなさい。
そして日々の生活のなかでそれで在ろうと試みなさい。
そうすれば、あなたはその豊かさを実現するだろう。(p239)
マインド と 気づき
マインドは起こっていることに関心を持つが、気づきはマインド自体に関心
をもつのだ。
子どもはおもちゃを追い求めるが、母親はおもちゃではなく子どもを見てい
る。
たゆまず見つづけることで、私は完全な虚空となったのだ。
そしてその虚空とともに、すべては私に戻ってきた。
ただマインドを除いて。
私はマインドを失い、取り戻すことができないことに気づいたのだ。(p239)
神聖な状態
私は意識でも無意識でもない。
私はマインドと、その多様な状態と条件を超えているのだ。
区別はマインドによってつくられ、マインドにのみ適用される。
私は純粋な意識そのものだ。
存在するものすべての完全な気づきだ。
私は神聖な状態にいる。
個人を構成する区分や分離に惑わされることはない。
身体が続くかぎり、それにはその要求がある。
しかし、私の精神的過程は終焉(しゅうえん)したのだ。(p239-240)
精神的過程
私は意識でも無意識でもない。
私はマインドと、その多様な状態と条件を超えているのだ。
区別はマインドによってつくられ、マインドにのみ適用される。
私は純粋な意識そのものだ。
存在するものすべての完全な気づきだ。
私は神聖な状態にいる。
個人を構成する区分や分離に惑わされることはない。
身体が続くかぎり、それにはその要求がある。
しかし、私の精神的過程は終焉(しゅうえん)したのだ。(p239-240)
私の思考
私の思考は消化作用のように無意識であり、意味のあるものだ。(p240)
消化作用
私の思考は消化作用のように無意識であり、意味のあるものだ。(p240)
正しいと知る
(それが正しいと知るのは)それを妨げる何の欲望も恐れもないからだ。
どうして間違いを犯すことができるだろうか?
ひとたび自分自身と、自分が何を意味するのかを知れば、自分自身をつねに
確かめる必要はない。
あなたの時計が正確な時を告げていると知れば、それを見るたびにためらう
必要はないのだ。(p240)
私はすべてだ
あなたにとって、私は個人として見えるかも知れないが、あなたの言葉の意
味でいう個人ではない。
私はそのなかですべてが起こる無限の意識の大海なのだ。
そしてすべての実存と認識を超えた存在の純粋な至福だ。
私から分離したと感じられるものは何もない。
それゆえ、私はすべてだ。
私はいかなるものでもない、それゆえ、私は無なのだ。(p240)
個人的
火は燃え、水は流れ、種子は発芽し、樹木は生長する。
その同じ力が私をしてあなたの質問に答えさせるのだ。
言葉や話しぶりは個人的に見えるかも知れないが、私に関しては何も個人的
なことはない。
個人とは、欲望や思考や行動の一様式だ。
私の場合、そのようなものは何もない。
私には望むものも恐れるものもない。
どうして様式がそこにありえようか?(p240)
存在の母体
生命は離れ、身体は死を迎えるだろう。
だが、それが私に影響を与えることはまったくない。
私は時間と空間を超えた彼方に在る。
原因なく、原因を与えることなく、しかも存在の母体そのものなのだ。(p240)
一瞬でさえ
私の師が、「私は在る」という感覚をしっかりつかまえ、一瞬でさえ離して
はならない、と私に言ったのだ。
私は彼の助言にしたがって最善を尽くし、比較的短期間で彼の教えの正しさ
を実現した。
私がしたことといえば、彼の教え、彼の顔、彼の言葉を絶えず思い起こして
いたことだ。
これがマインドに終焉をもたらした。
マインドの静寂のなかで、私は束縛から解放された、あるがままの私を見た
のだ。(p240)
マインドに終焉
私の師が、「私は在る」という感覚をしっかりつかまえ、一瞬でさえ離して
はならない、と私に言ったのだ。
私は彼の助言にしたがって最善を尽くし、比較的短期間で彼の教えの正しさ
を実現した。
私がしたことといえば、彼の教え、彼の顔、彼の言葉を絶えず思い起こして
いたことだ。
これがマインドに終焉をもたらした。
マインドの静寂のなかで、私は束縛から解放された、あるがままの私を見た
のだ。(p240)
もっとも奇妙な
恐れることへの恐怖がもっとも奇妙な恐れであるように、すべての欲望に終
止符を打とうと望むことは、もっとも奇妙な欲望だ。
ひとつは、あなたにつかみ取ることをやめさせ、もうひとつは、あなたに逃
げだすことをやめさせる。
あなたは同じ言葉を使うかも知れないが、その状態は、同じではない。
真我の実現を探し求める人は欲望に溺れない。
探求者は欲望に沿うことなく逆らっていく。
自由への一般的な切望はただの初歩段階だ。
適切な手段を見つけ、それらを適用することが、つぎなる段階だ。
探求者には、彼の真我を見いだすというたったひとつのゴールしか視野にな
い。
すべての欲望のなかで、それはもっとも野心的なものだ。
なぜなら、何も、そして誰もそれを満たすことはできないからだ。
探求者と探求されるものはひとつだ。
そして探求のみが重要なのだ。(p241)
欲望に溺れない
真我の実現を探し求める人は欲望に溺れない。
探求者は欲望に沿うことなく逆らっていく。
自由への一般的な切望はただの初歩段階だ。
適切な手段を見つけ、それらを適用することが、つぎなる段階だ。
探求者には、彼の真我を見いだすというたったひとつのゴールしか視野にな
い。
すべての欲望のなかで、それはもっとも野心的なものだ。
なぜなら、何も、そして誰もそれを満たすことはできないからだ。
探求者と探求されるものはひとつだ。
そして探求のみが重要なのだ。(p241)
ただの初歩段階
真我の実現を探し求める人は欲望に溺れない。
探求者は欲望に沿うことなく逆らっていく。
自由への一般的な切望はただの初歩段階だ。
適切な手段を見つけ、それらを適用することが、つぎなる段階だ。
探求者には、彼の真我を見いだすというたったひとつのゴールしか視野にな
い。
すべての欲望のなかで、それはもっとも野心的なものだ。
なぜなら、何も、そして誰もそれを満たすことはできないからだ。
探求者と探求されるものはひとつだ。
そして探求のみが重要なのだ。(p241)
探求者 と 探求
探求者は消え去るが、探求は続く。
探求は究極であり、永遠の実在だ。(p241)
永遠の実在
探求者は消え去るが、探求は続く。
探求は究極であり、永遠の実在だ。(p241)
実在の探求
いいや。
それ(=探求)は不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。
実在の探求自体が実在の動きなのだ。
ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのものだ。
しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、意識的存
在の根本である真我の探求を意味している。
この探求が終わることはけっしてない。
それと同時に、それ以外のすべてへの落ち着きのない切望が終わらなければ
ならないのだ。(p241)
真我の探求
いいや。
それ(=探求)は不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。
実在の探求自体が実在の動きなのだ。
ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのものだ。
しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、意識的存
在の根本である真我の探求を意味している。
この探求が終わることはけっしてない。
それと同時に、それ以外のすべてへの落ち着きのない切望が終わらなければ
ならないのだ。
実在、神、あるいはグルの探求は、真我の探求と同じだということを理解し
なければならない。
ひとつが発見されると、すべては発見されるのだ。
「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドのなかで区別不可能となっ
たとき、何かが起こる。
そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたがあるからであり、あな
たが存在するのは神があるからだと知るだろう。(p241)
神 と あなたA
実在、神、あるいはグルの探求は、真我の探求と同じだということを理解し
なければならない。
ひとつが発見されると、すべては発見されるのだ。
「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドのなかで区別不可能となっ
たとき、何かが起こる。
そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたがあるからであり、あな
たが存在するのは神があるからだと知るだろう。(p241)
区別不可能
実在、神、あるいはグルの探求は、真我の探求と同じだということを理解し
なければならない。
ひとつが発見されると、すべては発見されるのだ。
「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドのなかで区別不可能となっ
たとき、何かが起こる。
そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたがあるからであり、あな
たが存在するのは神があるからだと知るだろう。(p241)
運命 と 自由
運命は名前と形にのみ関係する。
あなたは身体でもマインドでもないのだから、運命があなたをコントロール
することはできない。
あなたは完全に自由だ。
コップは形、材質、利用法などに条件づけられている。
だが、コップのなかの空間は解放されている。
それはコップに関連して見られたときにだけ、コップのなかにあると見なさ
れる。
そうでなければ、それはただの空間だ。
身体があるかぎり、あなたは肉体化されたかのように見える。
身体がなくなっても、あなたは肉体から分離されたのではない。
あなたはただ在る。
運命さえもただの概念にすぎない。(p242)
数多くの説
運命さえもただの概念にすぎない。
言葉はあらゆる方法で組み立てられる。
表明は異なるだろうが、それらが現実において変化をもたらすだろうか?
数多くの説がものごとを説明するために発明されてきた。
それらすべてはもっともらしいものであり、どれも本物ではない。
車を運転するとき、あなたは科学と力学の法則の支配下にある。
車を降りたら、生理学と生化学の支配下にある。(p242)
ただひとつの瞑想
あなたが初心者であるかぎり、ある形式的な瞑想、あるいは祈りが向いてい
るだろう。
しかし、実在の探求者にはただひとつの瞑想があるだけだ。
それは思考を潜ませることへの厳格な拒絶だ。
思考から自由になること、それ自体が瞑想だ。
(それには)思考が起こるにまかせ、それらを見ることだ。
その観察自体がマインドをゆっくりさせ、完全に止まらせる。
ひとたび、マインドが静まったなら、それを静かに保ちなさい。
平安に退屈になってはならない。
そのなかに在りなさい。
そのなかにより深く入っていきなさい。(p242)
観察自体が
思考が起こるにまかせ、それらを見ることだ。
その観察自体がマインドをゆっくりさせ、完全に止まらせる。
ひとたび、マインドが静まったなら、それを静かに保ちなさい。
平安に退屈になってはならない。
そのなかに在りなさい。
そのなかにより深く入っていきなさい。(p242)
新しい実験
新しい実験をしてみなさい。
過去の体験にしたがってはならない。
あなたの思考を見なさい。
そして思考を見ているあなた自身を見なさい。
すべての思考から自由になった状態が突然起こるだろう。
そしてその至福によって、それを認識するだろう。(p242)
新聞
私は新聞を読んでいる。
何が起こっているかも知っている!
だが、私の反応はあなたのようなものではない。
あなたは救済を探し求めているが、私は防止に関わっている。
原因があるかぎり、結果がなければならない。
人びとが分割し分離することにしたがうかぎり、彼らが利己的で攻撃的であ
るかぎり、そのようなことは起こるだろう。
もし世界に平和と調和を望むならば、あなたのハートとマインドのなかに平
和と調和をもたなければならない。
そのような変化を強(し)いることはできない。
それは内側から現れなければならないのだ。
戦争を嫌悪する者たちは、彼らの人格から戦争を追いださなければならない。
平和な人びとなしに、どうやって平和な世界をもたらすことができるだろう?
人びとがこのままであるかぎり、世界はこのままでなければならない。
私は彼らの不幸の原因である、彼ら自身を知ることを助けようとしているの
だ。
その意味においては、私は有益な人間だろう。
しかし、私自身のなかの私、私の本来の状態は、社会的意識や有益性といっ
た言葉で表現することはできないのだ。(p242-243)
救済 と 防止
私は新聞を読んでいる。
何が起こっているかも知っている!
だが、私の反応はあなたのようなものではない。
あなたは救済を探し求めているが、私は防止に関わっている。
原因があるかぎり、結果がなければならない。
人びとが分割し分離することにしたがうかぎり、彼らが利己的で攻撃的であ
るかぎり、そのようなことは起こるだろう。
もし世界に平和と調和を望むならば、あなたのハートとマインドのなかに平
和と調和をもたなければならない。
そのような変化を強(し)いることはできない。
それは内側から現れなければならないのだ。
戦争を嫌悪する者たちは、彼らの人格から戦争を追いださなければならない。
平和な人びとなしに、どうやって平和な世界をもたらすことができるだろう?
人びとがこのままであるかぎり、世界はこのままでなければならない。
私は彼らの不幸の原因である、彼ら自身を知ることを助けようとしているの
だ。(p242-243)
有益な人間
人びとがこのままであるかぎり、世界はこのままでなければならない。
私は彼らの不幸の原因である、彼ら自身を知ることを助けようとしているの
だ。
その意味においては、私は有益な人間だろう。
しかし、私自身のなかの私、私の本来の状態は、社会的意識や有益性といっ
た言葉で表現することはできないのだ。(p243)
私の本来の状態
私は彼らの不幸の原因である、彼ら自身を知ることを助けようとしているの
だ。
その意味においては、私は有益な人間だろう。
しかし、私自身のなかの私、私の本来の状態は、社会的意識や有益性といっ
た言葉で表現することはできないのだ。
私はそれについて隠喩や寓話を用いて話すかもしれない。
だが、それはただそうではないということを強く知っている。
それは経験できないということではない。
それがそれ自体を経験しているのだ。
しかし、理解するために、分離や対立が不可避なマインドの言語を用いたの
では、私の本来の状態を表現することはできないのだ。(p243)
私のマインド
世界は、何か活字をタイプされた一枚の紙切れのようなものだ。
読み方や意味は読者によって異なるだろう。
だが、紙は共通の要因だ。
つねに存在しながら、それが気づかれるのはまれだ。
インクリボンが取り除かれたとき、紙の上にタイプの痕跡は残らない。
私のマインドも同様だ。
印象は現れつづける。
だが、何の痕跡も残さないのだ。(p243)
私 と 動機
動機はない。
私は動機を持っているに違いないとあなたは言う。
私はここに座ってはいない。
また話してもいない。
私を身体と混同してはいけない。
私には何の仕事もないし、成し遂げる義務もない。
あなたが神と呼ぶ、あの部分の私が世界の面倒を見るだろう。(p243)
行為 と あなた
どうして行為について話すのかね?
あなたが行為をしているというのだろうか?
ある未知なる力が行為をし、あなたはあなたが行為をしていると想像するの
だ。
いかなる形であっても、影響を与えることのできないまま、あなたは単に起
こることを見ているだけなのだ。(p256)
爆発
ある特別で劇的な、何か素晴らしい爆発が起こることへの期待は、ただ単に
あなたの真我の実現を妨害し、遅れさせるだけだ。
爆発を期待すべきではない。
なぜなら、あなたの誕生の瞬間、あなた自身を在ること―知ること―感じる
こととして自覚したときに、爆発はすでに起こったからだ。
たったひとつ、あなたには誤りがある。
あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものを
あなたの内側にあると見なしているのだ。
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
あなたは世界が外界のものだと信じている。
だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
ほかに道はない。(p257-258)
内面 と 外面
たったひとつ、あなたには誤りがある。
あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものを
あなたの内側にあると見なしているのだ。
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
あなたは世界が外界のものだと信じている。
だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
ほかに道はない。(p258)
内側 と 外側
たったひとつ、あなたには誤りがある。
あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものを
あなたの内側にあると見なしているのだ。
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
あなたは世界が外界のものだと信じている。
だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
ほかに道はない。(p258)
興味 と 記憶
もしあなたが興味を失えばいかなる記憶も持続はしない。
束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。
あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
いだろうか?
ほかの方法を試してみなさい。
苦痛と快楽に無関心でありなさい。
求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべて
の注意を払いなさい。
すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すの
だ。
障害を避けなさい。
ただそれだけだ。
探す必要はないのだ。
すでにもっているものを探すことはない。(p258)
束縛の永続
もしあなたが興味を失えばいかなる記憶も持続はしない。
束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。
あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
いだろうか?
ほかの方法を試してみなさい。
苦痛と快楽に無関心でありなさい。
求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべて
の注意を払いなさい。
すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すの
だ。
障害を避けなさい。
ただそれだけだ。
探す必要はないのだ。
すでにもっているものを探すことはない。(p258)
幸福への探求
もしあなたが興味を失えばいかなる記憶も持続はしない。
束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。
あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
いだろうか?
ほかの方法を試してみなさい。
苦痛と快楽に無関心でありなさい。
求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべて
の注意を払いなさい。
すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すの
だ。
障害を避けなさい。
ただそれだけだ。
探す必要はないのだ。
すでにもっているものを探すことはない。(p258)
本性
もしあなたが興味を失えばいかなる記憶も持続はしない。
束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。
あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
いだろうか?
ほかの方法を試してみなさい。
苦痛と快楽に無関心でありなさい。
求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべて
の注意を払いなさい。
すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すの
だ。
障害を避けなさい。
ただそれだけだ。
探す必要はないのだ。
すでにもっているものを探すことはない。(p258)
特定の経路
あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
いだろうか?
ほかの方法を試してみなさい。
苦痛と快楽に無関心でありなさい。
求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべて
の注意を払いなさい。
すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すの
だ。
障害を避けなさい。
ただそれだけだ。
探す必要はないのだ。
すでにもっているものを探すことはない。(p258)
忍耐
もっとも正しいのは「私は在る」という純粋な感覚だ。
忍耐強くそのなかにとどまりなさい。
ここにおいては忍耐が智慧なのだ。
失敗を思ってはならない。
この仕事に失敗はありえないのだ。(p259)
思考の妨害
放っておきなさい。
闘ってはいけない。
それについて何もしないことだ。
それが何であれ、あるがままにしておきなさい。
抗うこと自体がそれに生命を与えるのだ。
ただ無視しなさい。
見過ごすのだ。
「何であれ、私が在るゆえに起こるのだ」ということを思い出すことを覚え
ていなさい。(p259)
無関心 と 自由
すべてはあなたが在るということを思い起こさせる。
体験するにはあなたがいなければならないということを充分利用するがいい。
関心をもたないことが自由をもたらすのだ。
しがみつかないこと、それだけだ。
世界は無数の輪(リング)でできている。
それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
あなたの耽溺を放棄しなさい。
ほかに何も放棄するものはない。
常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
努力せずに在りなさい。(p259)
世界の輪(リング)
世界は無数の輪(リング)でできている。
それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
あなたの耽溺を放棄しなさい。
ほかに何も放棄するものはない。
常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
そうすれば自由の世界はあなたのものだ。(p259)
リング と フック
世界は無数の輪(リング)でできている。
それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
あなたの耽溺を放棄しなさい。
ほかに何も放棄するものはない。
常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
そうすれば自由の世界はあなたのものだ。(p259)
必要がある
する必要があることはしなさい。
抵抗してはならない。
あなたのマインドのバランスは、的確に正しいことをすることを基本に、瞬
間から瞬間へと活動的でなければならない。
成長することに反抗する子供のようであってはならない。
型にはまった身振りや態度は助けにならないだろう。
完全にあなたの思考の明晰性、動機の純粋さ、行為の高潔さのみを頼りにし
なさい。
あなたが道を誤ることは、けっしてありえない。
超えていきなさい。
そしてすべてを置き去りにしなさい。(p260)
エクスタシー
あなたは二十四時間休みなしのエクスタシーのような何かが欲しいのだ。
エクスタシーは来ては去っていく。
人間の脳は、必然的に長期の緊張に耐えられないからだ。
長引くエクスタシーは、非常に純粋で微妙なものでないかぎり、脳を焼き切
ってしまうだろう。
自然のなかでは何ひとつ停止しているものはない。
あらゆるものが脈打ち、現れては消えていく。
心臓、呼吸、消化。
睡眠と目覚め――誕生、そして死、すべては波のように来ては去っていく。
循環反復運動、周期性、両極の調和のとれた交替が法則なのだ。
生命のパターンに対抗しても無益なだけだ。(p260)
戻ってきなさい
もしあなたが不変なるものを求めるならば、体験を超えていきなさい。
私が「私は在る」をつねに覚えていなさいと言うとき、それは「繰り返しそ
れに戻ってきなさい」という意味なのだ。
いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
黙へと立ち返る。
あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。(p260)
特定の思考
もしあなたが不変なるものを求めるならば、体験を超えていきなさい。
私が「私は在る」をつねに覚えていなさいと言うとき、それは「繰り返しそ
れに戻ってきなさい」という意味なのだ。
いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
黙へと立ち返る。
あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。(p260)
自然な状態A
いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
黙へと立ち返る。
あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。(p260)
沈黙だけが
いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
黙へと立ち返る。
あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。(p260)
静かにする
もしあなたがただ静かにするように試みるならば――仕事、仕事のための能
力、正しい動機、すべてはやってくるだろう。
すべて、前もってあなたが知っていなければならないのかね?
未来のことを心配してはならない。
今、静かでありなさい。
そうすれば、すべては正しい場所に収まるだろう。
予期しなかったことが、かならず起こるだろう。
期待して待っていたことは、けっして起こらないかもしれないのだ。(p267)
性質 と 制御
あなたの性質を制御できないと言ってはならない。
制御する必要はないのだ。
それを海に投げ捨ててしまうがいい。
闘ったり、服従したりするような性質をもつことはない。
もしあなたがそれを習慣にさえしなければ、いかなる経験もあなたを傷つけ
ることはないだろう。(p267)
経験 と 習慣
あなたの性質を制御できないと言ってはならない。
制御する必要はないのだ。
それを海に投げ捨ててしまうがいい。
闘ったり、服従したりするような性質をもつことはない。
もしあなたがそれを習慣にさえしなければ、いかなる経験もあなたを傷つけ
ることはないだろう。(p267)
深遠な原因
あなたが全宇宙の深遠な原因なのだ。
すべてはあなたが在るゆえに在る。
この要点を深く、確実につかみなさい。
そしてそれについて繰り返し熟考しなさい。
このことが絶対的な真実だと悟ることが解放なのだ。(p267)
絶対的な真実
あなたが全宇宙の深遠な原因なのだ。
すべてはあなたが在るゆえに在る。
この要点を深く、確実につかみなさい。
そしてそれについて繰り返し熟考しなさい。
このことが絶対的な真実だと悟ることが解放なのだ。(p267)
自然 と 至福
自然は快くもなければ、苦痛に満ちたものでもない。
それはみな、知性と美にあふれているのだ。
苦痛と快楽はマインドのなかにあるものだ。
あなたの価値観の尺度を変えなさい。
そうすれば、すべては変わるだろう。
快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない。
それらを同等に扱いなさい。
そうすれば、そこには至福だけがあるだろう。(p267)
感覚を乱すもの
自然は快くもなければ、苦痛に満ちたものでもない。
それはみな、知性と美にあふれているのだ。
苦痛と快楽はマインドのなかにあるものだ。
あなたの価値観の尺度を変えなさい。
そうすれば、すべては変わるだろう。
快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない。
それらを同等に扱いなさい。
そうすれば、そこには至福だけがあるだろう。(p267)
満足だけが
世界はあなたがつくり出すものだ。
ぜひ幸せな世界をつくり出すがいい。
満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
満たされた欲望
世界はあなたがつくり出すものだ。
ぜひ幸せな世界をつくり出すがいい。
満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
欲望に近づかず
満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
必須の状態
満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
一見空虚で不毛
満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
欲望を満たす
満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
偽り と 苦しみ
あなたを苦しめるものは、つねに偽物だ。
偽りの欲望と恐れ、偽りの価値と観念、偽りの人間関係だ。
偽りを放棄しなさい。
そうすれば、苦痛から自由になれる。
真実は幸せをもたらす。
真実は解放するのだ。(p271)
他者
(互いを夢見合うこと)それこそ人びとがしていることだ。
誰もが「他者」を想像し、その間につながりを探し求めている。
探している人こそがつなぎ目なのだ。
他者というものは存在しない。(p275)
心配事
あなたが何かにしがみつくときだけ、心配事は生まれる。
何にもしがみつかなければ、何の心配もない。
より劣ったものを放棄することは、より偉大なものを得ることなのだ。
すべてをあきらめなさい。
そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。(p276)
しがみつく
あなたが何かにしがみつくときだけ、心配事は生まれる。
何にもしがみつかなければ、何の心配もない。
より劣ったものを放棄することは、より偉大なものを得ることなのだ。
すべてをあきらめなさい。
そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。(p276)
あきらめなさい
より劣ったものを放棄することは、より偉大なものを得ることなのだ。
すべてをあきらめなさい。
そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。
そのとき、人生はその目的通り、無尽蔵の源からの純粋な輝きとなる。
世界はその輝きのなかに、夢のようにぼんやりとかすんで現れるのだ。(p276)
無尽蔵の源
より劣ったものを放棄することは、より偉大なものを得ることなのだ。
すべてをあきらめなさい。
そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。
そのとき、人生はその目的通り、無尽蔵の源からの純粋な輝きとなる。
世界はその輝きのなかに、夢のようにぼんやりとかすんで現れるのだ。(p276)
夢 と 問題A
それが続くかぎり、夢は一時的な存在をもっている。
問題をつくり出すのはあなたがそれにしがみついて離さないからだ。
手放しなさい。
夢があなたのものだと想像することをやめるのだ。(p276)
夢 と 実在
夢に最後までそれ自体を繰り広げさせるがいい。
あなたにはどうすることもできない。
だが、夢を夢として見、実在の痕跡として拒否することはできるのだ。(p277)
つながり
あなたを目覚めさせようという私の目的がつながりなのだ。
私のハートはあなたに目覚めてほしい。
私はあなたが夢のなかで苦しんでいるのを見ている。
そしてあなたが不幸の終焉へと目覚めなければならないことを知っているの
だ。(p277)
不幸の終焉
私のハートはあなたに目覚めてほしい。
私はあなたが夢のなかで苦しんでいるのを見ている。
そしてあなたが不幸の終焉へと目覚めなければならないことを知っているの
だ。
夢を夢としてみるとき、あなたは目覚める。(p277)
夢の人生
夢を夢としてみるとき、あなたは目覚める。
だが、私はあなたの夢自体には興味がない。
私にとっては、あなたが目覚めなければならないと知ることだけで充分だ。
夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
もない。
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
想像することをやめなさい。
信じるのをやめなさい。
矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
そして、それらを超えていく必要性を見なさい。(p277)
一定の成果
夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
もない。
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
想像することをやめなさい。
信じるのをやめなさい。
矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
そして、それらを超えていく必要性を見なさい。(p277)
夢 と 成果
夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
もない。
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。(p277)
意識の原子
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
想像することをやめなさい。
信じるのをやめなさい。
矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
無限の空間のなかに微小な意識の原子が浮遊している。
そして、宇宙はそのなかに包含されているのだ。(p277)
意識 と 宇宙
無限の空間のなかに微小な意識の原子が浮遊している。
そして、宇宙はそのなかに包含されているのだ。(p277)
夢 と 愛
夢のなかで、あなたは誰かを愛し、ほかの人は愛さない。
目覚めとともに、あなたはあなた自身がすべてを包含する愛そのものだと知
るのだ。(p277)
目覚め と 愛
夢のなかで、あなたは誰かを愛し、ほかの人は愛さない。
目覚めとともに、あなたはあなた自身がすべてを包含する愛そのものだと知
るのだ。(p277)
個人的な愛
個人的な愛は、いかに強烈で真正なものであっても、かならず束縛すること
になる。
自由のなかでの愛は、すべての愛なのだ。(p277)
自由 と 愛
個人的な愛は、いかに強烈で真正なものであっても、かならず束縛すること
になる。
自由のなかでの愛は、すべての愛なのだ。(p277)
夢の存続
あなたは過去と未来に関心をもちすぎている。
それはみな、あなたの存在を継続させたい、自分自身を消滅から守りたいと
いう切望から起こるのだ。
あなたは継続することを求めるために、ほかの人たちに一緒にいてもらいた
い。
それゆえ彼らの存続に関心をもつのだ。
しかし、あなたが呼ぶ存続とは、夢の存続にすぎない。
それよりは死のほうが望ましい。
そこには目覚めるチャンスがあるからだ。(p278)
欲望 と 永遠
すべての欲望から自由であることが永遠なのだ。
すべての執着は恐れを暗示している。
なぜなら、すべてのものごとは、はかない、つかの間のものだからだ。
そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。
この執着からの自由は、修練によってもたらされるものではない。
人が自己の真の存在を知ったとき、自然に執着から自由になるのだ。
愛は執着しない。
執着は愛ではないのだ。(p278)
執着 と 恐れ
すべての欲望から自由であることが永遠なのだ。
すべての執着は恐れを暗示している。
なぜなら、すべてのものごとは、はかない、つかの間のものだからだ。
そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。
この執着からの自由は、修練によってもたらされるものではない。
人が自己の真の存在を知ったとき、自然に執着から自由になるのだ。
愛は執着しない。
執着は愛ではないのだ。(p278)
愛 と 執着
すべての 執着は恐れを暗示している。
なぜなら、すべてのものごとは、はかない、つかの間のものだからだ。
そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。
この 執着からの自由は、修練によってもたらされるものではない。
人が自己の真の存在を知ったとき、自然に 執着から自由になるのだ。
愛は執着しない。
執着は愛ではないのだ。(p278)
無欲 と 永遠
私はすでに死んでいるのだ。
私の場合、身体的な死は何の違いももたらさない。
私は永遠の存在だ。
私は欲望と恐れから自由なのだ。
なぜなら、私は過去を思い出さず、未来を想像しないからだ。
何の名前も形もないところに、どうして欲望や恐れが存在できるだろうか?
無欲とともに永遠がもたらされるのだ。(p278-279)
安全
私は安全だ。
なぜなら、存在しないものが存在するものに触れることはできないからだ。
あなたは安全ではない。
なぜなら、あなたは危険を想像するからだ。
もちろん、あなたの現在の身体は複雑で傷つきやすく、保護を必要としてい
る。
しかし、あなたがではない。
ひとたび、あなたが難攻不落の存在であると自覚したなら、マインドは平和
になるだろう。(p279)
行為 と 必要
行為が必要なときには、行為は起こる。
人は行為者ではないのだ。
彼は起こっていることに気づいて在る。
彼の存在そのものが行為なのだ。
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
行為者
行為が必要なときには、行為は起こる。
人は行為者ではないのだ。
彼は起こっていることに気づいて在る。
彼の存在そのものが行為なのだ。
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
存在 と 行為
行為が必要なときには、行為は起こる。
人は行為者ではないのだ。
彼は起こっていることに気づいて在る。
彼の存在そのものが行為なのだ。
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
窓は壁の不在
行為が必要なときには、行為は起こる。
人は行為者ではないのだ。
彼は起こっていることに気づいて在る。
彼の存在そのものが行為なのだ。
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
空っぽ
行為が必要なときには、行為は起こる。
人は行為者ではないのだ。
彼は起こっていることに気づいて在る。
彼の存在そのものが行為なのだ。
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
想像 と 努力
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
あなた自身@
あなた自身のためには、何も必要ない。
あなたは純粋な明け渡しだ。
無死無窮(むきゅう)であり、無尽蔵なのだ。
あなたが悲しみや苦しみを見るときは、それとともに在りなさい。
性急に行動に走ってはならない。
学ぶことも行動も、本当の意味での助けにはならないのだ。
悲しみとともに在りなさい。
そして、その根底にあるものを露(あら)わにしなさい。
理解することを助けることが本当の助けとなるのだ。(p279-280)
純粋な明け渡し
あなた自身のためには、何も必要ない。
あなたは純粋な明け渡しだ。
無死無窮(むきゅう)であり、無尽蔵なのだ。
あなたが悲しみや苦しみを見るときは、それとともに在りなさい。
性急に行動に走ってはならない。
学ぶことも行動も、本当の意味での助けにはならないのだ。
悲しみとともに在りなさい。
そして、その根底にあるものを露(あら)わにしなさい。
理解することを助けることが本当の助けとなるのだ。(p279-280)
時間が足りない
時間が足りないのはあなたの身体だ。
あなたではない。
時間と空間はマインドのなかにのみある。
あなたは束縛されてはいないのだ。
ただ、あなた自身を理解しなさい。
そのこと自体が永遠なのだ。(p280)
死後
彼が信じるところにしたがって、それは起こる。
死以前の生が単なる想像にすぎなかったように、死後もまたそうなのだ。
夢は続いていく。(p280)
ジニャーニ と 死
ジニャーニは死なない。
なぜなら、彼はけっして生まれてこなかったからだ。(p280)
知らない
私のグルに出会うまでは、私は非常に多くのことを知っていた。
今、私は何ひとつ知らない。
なぜなら、すべての知識は夢のなかだけにあり、根拠の確かなものではない
からだ。
私は自己を知っている。
そして、私のなかには死も生もなく、ただ純粋な存在――これでもあれでも
なく、ただ在ることだけがある。
しかし、マインドが貯蔵庫から記憶を引き出し、想像しはじめると、それは
空間を対象物で、時間を出来事で埋めつくしてしまう。
現在の誕生でさえ知らない私が、どうして過去生を知っているというのだろ
う?(p281)
知識 と 夢
私のグルに出会うまでは、私は非常に多くのことを知っていた。
今、私は何ひとつ知らない。
なぜなら、すべての知識は夢のなかだけにあり、根拠の確かなものではない
からだ。
私は自己を知っている。
そして、私のなかには死も生もなく、ただ純粋な存在――これでもあれでも
なく、ただ在ることだけがある。
しかし、マインドが貯蔵庫から記憶を引き出し、想像しはじめると、それは
空間を対象物で、時間を出来事で埋めつくしてしまう。(p281)
意識の揺りかご
全宇宙は意識(マハー・タットヴァ)の揺りかごに揺られている。
それは完全な秩序と調和のあるところに立ち現れる。
すべての波が海のなかにあるように、すべての物質的、精神的なものは気づ
きのなかにあるのだ。
それゆえ、気づき自体が重要なのであって、その内容ではない。
あなた自身の気づきをより深め、広めていきなさい。
そうすれば、すべての祝福はあふれ出すだろう。
あなたは何も求めなくてもいいのだ。
すべてはあなたのもとに、自然に努力することなくやってくるだろう。(p281)
求めなくていい
それ自身が動きのなかにあるマインドは、すべてを動いていると見てしまう。
そうして時間をつくり出しておいてから、過去や未来について心配するのだ。
全宇宙は意識(マハー・タットヴァ)の揺りかごに揺られている。
それは完全な秩序と調和のあるところに立ち現れる。
すべての波が海のなかにあるように、すべての物質的、精神的なものは気づ
きのなかにあるのだ。
それゆえ、気づき自体が重要なのであって、その内容ではない。
あなた自身の気づきをより深め、広めていきなさい。
そうすれば、すべての祝福はあふれ出すだろう。
あなたは何も求めなくてもいいのだ。
すべてはあなたのもとに、自然に努力することなくやってくるだろう。
五つの感覚と四つのマインドの機能である記憶、思考、理解、自我。
五大元素である地、水、火、空、エーテル。
創造の二つの相である物質と魂――すべては気づきのなかに包括されている
のだ。(p281)
生まれ変わり
(以前にも生きていたと)聖典はそう述べている。
しかし、私はそのことについて何も知らない。
私は私が在ることを知っている。
私がこのように現れたことや、現れるだろうことは私の体験のなかにはない。
私が覚えていないというのではないのだ。
事実、覚えておくことなど何もない。
転生とは自分の生まれ変わりを意味する。
そのようなものはないのだ。
「私」と呼ばれるひと塊(かたまり)の記憶と期待が、それ自体を永遠に存
在すると想像し、その偽りの永遠性につじつまを合わせるために時間をつく
り出すのだ。
在るためには、過去も未来も必要ない。
すべての体験は想像から生まれてくる。
私は想像しない。
だから、誕生も死も私には起こらないのだ。
生まれたと考える人だけが、生まれ変わると考える。
あなたは生まれたということで私を告発しているが、私は無罪を主張する!
すべては気づきのなかに存在している。
そして、気づきは死にもしなければ、生まれ変わりもしない。
それは不変の実在そのものなのだ。(p281)
体験の宇宙
すべての体験の宇宙は、身体と共に生まれ、身体と共に死ぬ。
そのはじまりと終わりは気づきのなかにある。
しかし、気づき自体は始まりも終わりも知らない。
もしそれについて時間をかけて慎重に熟考すれば、あなたは気づきの輝きを
はっきりと見るだろう。
そして、世界はあなたの視野から消え去るだろう。(p281)
線香 と 煙
すべての体験の宇宙は、身体と共に生まれ、身体と共に死ぬ。
そのはじまりと終わりは気づきのなかにある。
しかし、気づき自体は始まりも終わりも知らない。
もしそれについて時間をかけて慎重に熟考すれば、あなたは気づきの輝きを
はっきりと見るだろう。
そして、世界はあなたの視野から消え去るだろう。
それは、燃えている線香を見つめるようなものだ。
最初は、線香と煙を見ている。
あなたが火の付いた点に注目するとき、それが線香の山を焼き尽くす力をも
ち、宇宙を煙で覆(おお)い尽くすことを認識するだろう。
自己はその永遠の可能性を使い尽くすことなく、永遠にそれ自身を具象化し
ていく。
線香の直喩では、線香が身体を表し、煙がマインドを表している。
マインドが曲解に忙しいかぎり、それはそれ自身の源を知覚することができ
ない。
グルはやってきて、あなたの注意を内なる生命の輝きへと向けさせる。
マインドはその本性からして外側に向かっているものだ。
それはつねに、ものごとの源をものごと自体のなかに見いだそうとする傾向
がある。
源を内面に見いだすようにと言われること自体、ある意味では新たな人生の
はじまりなのだ。(p282)
マインド と 源
マインドが曲解に忙しいかぎり、それはそれ自身の源を知覚することができ
ない。
グルはやってきて、あなたの注意を内なる生命の輝きへと向けさせる。
マインドはその本性からして外側に向かっているものだ。
それはつねに、ものごとの源をものごと自体のなかに見いだそうとする傾向
がある。
源を内面に見いだすようにと言われること自体、ある意味では新たな人生の
はじまりなのだ。(p282)
気づき と 意識@
気づきは意識のなかに立ち現れる。
意識のなかには、意識している「私」が存在している。
一方、気づきは分割されることがない。
気づきはそれ自身に気づいているのだ。
「私は在る」はひとつの想いだ。
一方、気づきはひとつの想いではない。
気づきのなかに「私は気づいている」という想いはない。
意識は属性だ。
一方、気づきはそうではない。
人は意識していることに気づくことができる。
だが、気づきを意識することはできないのだ。
神は意識の全体性だ。
だが、気づきは存在も非存在をも、すべて超えている。(p282)
感覚 と 知覚
感覚とは単なる知覚の様式にすぎない。
粗雑な様式が消えるとともに、繊細な意識の状態が出現する。(p282)
意識 と 気づき
意識から気づきへの変化はありえないのだ。
なぜなら、気づきとは意識の一形態ではないからだ。
意識をより繊細に、より洗練させることはできる。
そしてそれが死後に起こることなのだ。
人の多様な媒介物が死に絶えると、それらによって生じた意識の様式もまた
姿を消す。(p282)
無意識@
無意識を去来する何かのように語るあなた自身を見てみなさい!
無意識を意識する誰がそこにいるというのだろうか?
窓が開いているかぎり、日の光は部屋のなかにある。
窓が閉じられても、太陽はそのままだ。
だが、それは部屋のなかの暗闇を見るだろうか?
無意識などというものはないのだ。
なぜなら無意識は体験不可能だからだ。
私たちは記憶を喪失したとき、あるいは伝達が不可能なとき、それを無意識
であると推定する。
もし私が反応しなくなったら、あなたは私のことを無意識だと言うだろう。
現実には、記憶や伝達が不可能なだけで、私は鋭敏に意識しているかもしれ
ないのだ。(p282)
世界 の 見方
もちろん、私たちはひとつの世界に住んでいる。
ただ私だけがあるがままに見ていて、あなたはそう見てはいないのだ。
あなたは世界のなかにあなた自身を見ている。
私は私自身のなかに世界を見ているのだ。
あなたにとっては、あなたは生まれ、そして死んでいく。
片や、私にとっては、世界が現れては消えていくのだ。
私たちの世界は実在のものだ。
だが、あなたの見方がそうではないのだ。
あなたが築いた壁以外に、私たちの間に壁は存在しない。
感覚には何の誤りもない。
あなたの想像があなたを惑わせるのだ。
それはあるがままの世界を、あなたが想像したように――あなたから独立し
て存在し、しかもあなたが受け継ぎ、習得してきたパターンにしたがってで
きた世界として覆い尽くしてしまう。
あなたの態度には、あなたが理解していない苦しみの原因である深い矛盾が
ある。
あなたは苦痛と苦しみの世界のなかに生まれたという考えにしがみついてい
るのだ。
私は世界が愛の子供であり、それにははじまりがあり、成長し、愛の成就を
遂げることを知っている。(p283)
相対的な言語
身体の視点に立てば、あなたの言うとおりだ。
しかし、あなたは身体ではないのだ。
真実ではないものを真実として決めつけてはならない。
そうすれば、私が見ているものをあなたも見るだろう。
苦痛と快楽、善と悪、正と邪。
これらはみな相対的な言語であって、絶対的なものと見なしてはならない。
それらは限定され、一時的なものなのだ。(p283)
宇宙 と 神 と 私
もちろん、宇宙の在るところには、その片割れである神もまた存在するだろ
う。
しかし、私はそのどちらも超えているのだ。
ある王国が王を探していた。
彼らはふさわしい人を見つけだし、彼を王にした。
だが、彼はけっして変わっていない。
彼は王位の称号と権利、そして職務を与えられただけだ。
変わったのはただ彼の行動だけで、彼の本性は影響を受けてはいないのだ。
同様に、悟りを得た人も彼の意識の内容は根本的な変容を遂げる。
しかし、彼は惑わされない。
彼は不変なるものを知っているのだ。(p284)
意識 と 物質
意識それ自体としては、物質の微妙な片割れなのだ。
不活発性(タマス)とエネルギー(ラジャス)が物質の属性であるように、
調和(サットヴァ)は意識それ自体として現れる。
ある意味では、それを非常に神秘的なエネルギーの一形態として考えてもい
いだろう。
どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
意識は自発的に現れる。
有機体の破壊にともなって、意識は消滅するのだ。
けっして生まれることも死ぬこともなく、そのなかでは物質も意識も単なる
相にすぎない、あれが残るのだ。(p284)
有機体 と 意識
意識それ自体としては、物質の微妙な片割れなのだ。
不活発性(タマス)とエネルギー(ラジャス)が物質の属性であるように、
調和(サットヴァ)は意識それ自体として現れる。
ある意味では、それを非常に神秘的なエネルギーの一形態として考えてもい
いだろう。
どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
意識は自発的に現れる。
有機体の破壊にともなって、意識は消滅するのだ。(p284)
及ぼす効果によって
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