home > ニサルガダッタ・マハラジ辞書(『私は在る』より)


書名: 『I AM THAT 私は在る  ニサルガダッタ・マハラジとの対話

書誌:
英訳者  モーリス・フリードマン
編集者  スダカール・S・ディクッシット
翻訳者  福間 巌
発行所  株式会社ナチュラルスピリット(2005年6月8日初版発行)
       http://www.naturalspirit.co.jp/
索引:
 ニサルガダッタ・マハラジ辞書

引用:


真の気づき

 真の気づき(サンヴィド)とは、観照されている出来事についてまったく何
 をすることも試みない、純粋な観照の状態のことだ。
 あなたの思考と感情、言葉と行為もまた、出来事の一部分なのだ。
 あなたは明確な理解の完全な光のなかで、まったく関わりをもたないまま見
 守る。
 それがあなたに影響を与えないため、あなたは何が起こっているのかを正確
 に理解するのだ。
 それはよそよそしく冷淡な態度に見えるかもしれないが、本当はそうではな
 いのだ。
 ひとたびあなたがそのなかに在れば、それがいかなる性質のものであっても、
 あなたはあなたの見るものを愛することを見いだすだろう。
 この無選択の愛が気づきの試金石なのだ。
 もしそれがそこになければ、あなたはある個人的な理由で興味をもつだけだ。(p400)


無選択の愛

 真の気づき(サンヴィド)とは、観照されている出来事についてまったく何
 をすることも試みない、純粋な観照の状態のことだ。
 あなたの思考と感情、言葉と行為もまた、出来事の一部分なのだ。
 あなたは明確な理解の完全な光のなかで、まったく関わりをもたないまま見
 守る。
 それがあなたに影響を与えないため、あなたは何が起こっているのかを正確
 に理解するのだ。
 それはよそよそしく冷淡な態度に見えるかもしれないが、本当はそうではな
 いのだ。
 ひとたびあなたがそのなかに在れば、それがいかなる性質のものであっても、
 あなたはあなたの見るものを愛することを見いだすだろう。
 この無選択の愛が気づきの試金石なのだ。
 もしそれがそこになければ、あなたはある個人的な理由で興味をもつだけだ。(p400)


あなた意識

 人が意識しているかぎり、そこに苦痛と快楽はあるだろう。
 意識のレベルで快楽や苦痛と闘うことはできないのだ。
 それらを超えていくには、意識を超えなければならない。
 意識あなたのなかにではなく、あなたに対して起こる何か外部の、異質な、
 あなたの上に押し重ねられたようなものとして見るときにだけ、それを超え
 ることが可能なのだ。
 そのとき、あなたは突然意識から自由な、まったくひとりの、何の干渉も入
 らない状態にいる。
 意識とはあなたに引っかかせようとする急激なかゆみなのだ。
 もちろん、意識から外へと出ることはできない。
 外へ出ようとする考え自体が意識のなかにあるからだ。
 だが、もし意識とは殻(から)のなかのヒヨコを包む個人的で私的な熱のよ
 うなものとして見ることを学ぶなら、その態度そのものが殻を破る転換期を
 もたらすだろう。(p400)


意識かゆみ

 意識とはあなたに引っかかせようとする急激なかゆみなのだ。
 もちろん、意識から外へと出ることはできない。
 外へ出ようとする考え自体が意識のなかにあるからだ。
 だが、もし意識とは殻(から)のなかのヒヨコを包む個人的で私的な熱のよ
 うなものとして見ることを学ぶなら、その態度そのものが殻を破る転換期を
 もたらすだろう。(p400)


ヒヨコを包む熱

 意識とはあなたに引っかかせようとする急激なかゆみなのだ。
 もちろん、意識から外へと出ることはできない。
 外へ出ようとする考え自体が意識のなかにあるからだ。
 だが、もし意識とは殻(から)のなかのヒヨコを包む個人的で私的なのよ
 うなものとして見ることを学ぶなら、その態度そのものが殻を破る転換期を
 もたらすだろう。(p400)


意識苦痛A

 彼(仏陀)はすべての意識苦痛に満ちたものだと意味していたのだ。
 それは明白だ。(p400)


死を恐れる

 自分自身が生まれてきたと信じている人は、死を非常に恐れている。
 その反対に、自分自身を本当に知っている人にとって、は幸福な出来事な
 のだ。(p400)


苦しみ

 人は自分自身のによってのみ苦しまなければならないのだろうか?
 私たちは本当に分離しているのだろうか?
 この広大な生命の大洋のなかで、私たちは他者のによって苦しみ、また私
 たちのによって他者を苦しめる。
 もちろん、バランスの法則が最高位のものだ。
 そして最後には貸借の決済をすませる。
 しかし、生命が続くかぎり、私たちは深く互いに影響を与え合うのだ。(p401)


体験への興味

 すべての体験の背後には自己があり、その体験への興味があるのだ。
 それを欲望と呼ぶがいい。
 あるいは愛と呼ぶがいい。
 言葉は重要でない。(p401)


苦しみの原因

 すべての苦しみは利己的な分離、孤立と貪欲によって起こるのだ。
 苦しみの原因が理解され、取り除かれたなら、苦しみはやむだろう。(p401)


人類の不幸

 苦しみを理解するには、苦痛と快楽を超えていかなければならない。
 あなた自身の欲望と恐れが理解することを妨げ、それゆえ他者を助けること
 も妨げているのだ。
 実際には、他者は存在しない。
 それゆえ、自分自身を助けることで、あなたはほかの皆をも助けるのだ。
 もし人類の不幸に真面目に取り組むのなら、あなたがもっている唯一の手段
 を完全なものにしなければならない。
 それがあなた自身なのだ。(p401)


運命無知

 (運命をつくり出すのは)無知が避けることができない原因なのだ。
 
 根本的には、あなた自身についての無知だ。
 また、ものごとの真の本質、その原因と結果についてでもある。
 あなたは辺りを見回し、理解もせずにその現れを実在と見なしてしまう。
 あなたは世界とあなた自身を知っていると信じている。
 だが、「わたしは知っている」とあなたに言わせているのは、単にあなたの
 無知にすぎないのだ。
 知らないということを認めなさい。
 そしてまずそこからはじめなさい。
 
 無知を終わらせること以上に、世界を助けられることは何もない。
 そうすれば、世界を助けるために何か特定のことをする必要はもうないのだ。
 行為をしようと無為であろうと、あなたの存在そのものが助けとなるのだ。(p402)


無知知識

 「わたしは無知だ」と認めること自体が知識の現れなのだ。
 無知な人は、彼の無知無知なのだ。
 あなたは無知が存在しないと言うことができる。
 なぜなら、それが見られた瞬間、それはもはやないからだ。
 それゆえ、それを無意識、あるいは盲目と呼んでもいいだろう。
 あなたの内側とまわりに見るすべては、あなたが知らず、理解しないことな
 のだ。
 あなたはあなたが知らず、理解しないことさえも知らないのだ。
 あなたが知らず、理解もしていないことを知ることは真の知識、謙虚なるハ
 ートの知識だ。(p402)


知識無知

 事実は、知識とは無知でしかないということだ。
 あなたは知らないということを知っているのだ。(p402)


宇宙的マインド

 ひとたびあなたが内的に統合されたなら、外的な知識は自然にやってくるだ
 ろう。
 人生におけるそれぞれの瞬間に、あなたは知るべきことを知るのだ。
 宇宙的マインドの大洋のなかには、全知識が包含されている。
 それはあなたの要求しだいなのだ。
 そのほとんどは、けっして知る必要もないものかもしれない。
 だが、どちらにせよ、すべてあなたのものなのだ。(p403)


仕事

 何であれ、あなたがする必要のあることは間違いなく起こる。
 が宇宙を支配する仕事に従事していることは疑いない事実だ。
 だが、彼は助けを得ることを喜ぶ。
 もしそれが非利己的で、知的な人ならば、すべての宇宙の力が彼の指揮にし
 たがうだろう。(p403)


盲目的な力

 盲目的な力というものはない。
 意識がなのだ。
 為される必要のあることに気づいていなさい。
 そうすれば、それは為されるだろう。
 ただ油断なく、静かにしていなさい。
 ひとたびあなたが目的地に到着し、真の本性を知るならば、あなたの存在は
 すべてにとっての祝福となる。(p403)


所有物 への 執着

 (家族と所有物に対する)この執着は、「私」と「私のもの」という感覚
 とともに生まれたものだ。
 これらの言葉のもつ本当の意味を見いだしなさい。
 そうすれば、すべての束縛から自由になるだろう。
 あなたは時間のなかに広がるマインドをもっている。
 つぎつぎとあらゆることがあなたに起こり、そしてその記憶が残る。
 それには何の誤りもない。
 ただ、すべての有機的生命にとって本質的である過去の苦痛や快楽の記憶
 が、ひとつの反射的作用、支配的行動として残るとき問題が起こるのだ。
 この反射作用が「私」という形を取り、身体とマインドをいつも快楽の追求、
 苦痛からの逃避という目的のために使うのだ。
 あなたが「私」を、ひと塊(かたまり)の欲望と恐れとして「私のもの」を、
 苦痛を避け快楽を確保するためにものごとや人びとを抱擁するものとしてあ
 るがままに認識したとき、「私」と「私のもの」は、実在のなかに何の基盤
 ももたない偽りの観念だということが理解できるだろう。
 マインドによってつくられながらも、マインドがそれらを真実だと見なすか
 ぎり、そのつくり出した者を支配する。
 それが疑われた瞬間、それらは消え去るのだ。(p404)


「私」と「私のもの」

 「私」と「私のもの」は、それ自体では存在をもたないため、身体という支
 えを必要とする。
 身体がそれらの身元の証明となるのだ。
 あなたが「私の」夫や「私の」子どもと言うとき、身体にとっての夫、身体
 にとっての子どもを意味している。
 自分が身体だという観念を捨て去り、「私とは誰なのか?」という質問に直
 面しなさい。
 即座に実在を呼び戻す動きのプロセスがはじまる。
 というよりも、そのプロセスがマインドを実在へと連れていくだろう。
 ただ、恐れてはならないのだ。(p404)


実在「私」

 実在が在るためには、「私」「私のもの」という観念は去らなければなら
 ない。
 あなたが手放しさえすれば、それらは去るだろう。
 そうすれば、あなたの正常で自然な状態はふたたび現れる。
 そのとき、あなたは身体でもマインドでもなく、「私」でも「私のもの」で
 もない、まったく異なった存在の状態に在るのだ。
 それは、あれやこれとしての存在ではなく、特定の、あるいは一般的な何か
 との自己同一化のない、純粋な存在の気づきだ。
 意識の純粋な光の中には何も存在しない。
 無という概念すらない。
 そこにはただ光があるだけだ。(p404)


アイデンティティ@

 そこには喜ばしい気づきがある。
 だが、誰も喜んでいる人はそこにいない。
 もちろん、アイデンティティの感覚はある。
 しかし、それは一連の記憶のアイデンティティ、不変のスクリーン上の画像
 の連鎖とのアイデンティティのようなものなのだ。
 光とスクリーンなしに画像はありえない。
 画像がスクリーン上の光の戯(たわむ)れであると知ることは、画像が実在
 だという観念からの解放を与えてくれる。(p406)


「私は在る」A

 理解しなければならないことは、あなたは自己を愛し、自己はあなたを愛し
 ているということだけだ。
 そして「私は在る」という感覚は、あなたと自己との間の連結部であり、外
 見の多様性に妨げられないアイデンティティの象徴なのだ。
 「私は在る」を内面と外面の間、実在と現れとの間の愛の象徴として見なさ
 い。
 夢のなかでは、「私」という感覚を除いてはすべてが異なっている。
 その「私」が「私は夢を見た」と言うことを可能にするように、「私は在る」
 という感覚が、「私は真我だ」と言うことを可能にするのだ。
 私は何もしないし、私に対して何もされることはない。
 私は私であり、何も私に影響を与えることはできない。
 私はすべてに依存しているように見えるが、事実は、すべてが私に依存して
 いるのだ。(p406)


出来事の原因

 私はあなたの言語習慣に異議はない。
 だが、それは実際を歪(ゆが)ませ、破壊してしまうのだ。
 より正確な言い方は、「そこには話すことが、働くことが、来ることが、行
 くことが起こっている」となるだろう。
 なぜなら、何かが起こるには宇宙全体が符合しなければならないからだ。
 ひとつの出来事の原因が何か特定のものと信じるのは間違いだ。
 すべての原因は普遍的なものなのだ。
 宇宙全体がその創造と存続に貢献しないかぎり、あなたの身体は存在しなか
 っただろう。
 ものごとは起こるがままに起こる、なぜなら、世界はあるがままだというこ
 とに、私は完全に気づいているからだ。
 出来事の流れに影響を与えるには、世界のなかに新しい要因をもたらさなけ
 ればならない。
 そしてそのような要因は、私のなかで焦点を合わされた愛と理解の力である
 私自身でしかありえないのだ。(p406-407)


映画館

 身体が誕生するとき、あらゆることが自由に起こる。
 そしてあなたは自分を身体だと見なして、それらに関わっていく。
 あなたは映画館でずっと席に座っていて、画像が光の戯(たわむ)れにすぎ
 ないのをよく知っているにもかかわらず、画面を見て笑ったり泣いたりして
 いる人のようなものだ。
 その魔力を破るには、スクリーンから自分自身へと注意を移行させるだけで
 充分なのだ。(p407)


魔力を破る

 身体が誕生するとき、あらゆることが自由に起こる。
 そしてあなたは自分を身体だと見なして、それらに関わっていく。
 あなたは映画館でずっと席に座っていて、画像が光の戯(たわむ)れにすぎ
 ないのをよく知っているにもかかわらず、画面を見て笑ったり泣いたりして
 いる人のようなものだ。
 その魔力を破るには、スクリーンから自分自身へと注意を移行させるだけで
 充分なのだ。
 身体が死ぬとき、あなたが現在生きている身体的、精神的出来事の連鎖であ
 る人生は終わりを迎える。
 それは身体の死を待たずとも、今でさえ終わらせることができる。
 注意を真我に移行し、そこにとどめておくだけで充分なのだ。
 あたかもそこに、すべてを創造し、動かす神秘の力があるように。
 すべては起こるのだ。
 あなたは動かす人ではなく、ただの観察者なのだということを自覚しなさい。
 そうすれば、あなたは平和の内にあることだろう。(p407)


冷静な観察者

 あなたは冷静な観察者としてあることからはじめなければならない。
 そのときにのみ、あなたは普遍的な愛する者と行為する者としてのあなたの
 完全な存在を認識するだろう。
 あなたが特定の人物としての困難のなかに巻き込まれているかぎりは、何も
 その彼方にあるものを見ることはできない。
 だが究極的には、あなたは特定でも普遍的でもなく、その両方を超えたもの
 だと知ることだろう。(p407)


無次元の点

 あなたは冷静な観察者としてあることからはじめなければならない。
 そのときにのみ、あなたは普遍的な愛する者と行為する者としてのあなたの
 完全な存在を認識するだろう。
 あなたが特定の人物としての困難のなかに巻き込まれているかぎりは、何も
 その彼方にあるものを見ることはできない。
 だが究極的には、あなたは特定でも普遍的でもなく、その両方を超えたもの
 だと知ることだろう。
 鉛筆の先のごく小さな点が無数の絵を描きだすように、気づきの無次元の点
 は広大な宇宙の内容を描くことができるのだ。
 その点を探し出し、自由になりなさい。(p407)


創造者@

 (世界をつくり出したのは)あなた自身の記憶からだ。
 あなたが創造者としての自分に無知なかぎり、あなたの世界は限定され、反
 復的なものになる。
 ひとたびあなたが過去との自己同一化を超えていけば、調和と美の新しい世
 界を自由につくり出すことができる。
 あるいは、あなたはただ存在と非存在の彼方にとどまるのだ。(p407)


難しいことではない

 自由とその祝福を体験するまであなたは恐れることだろう。
 もちろん、身体を識別し導くためにはいくらかの記憶が必要だ。
 そしてそのような記憶は残る。
 だが、身体への執着が残ることはない。
 それはもはや欲望と恐れの拠(より)り所ではなくなるのだ。
 これらすべてを理解し、修練することは何も難しいことではない。
 しかし、あなたは興味をもたなければならない。
 興味なしには何もなされないからだ。(p408)


一束の記憶

 あなたとは執着によって束ねられた一束の記憶なのだということを理解した
 上で、そこから踏みだし、外側から見てみなさい。
 はじめてあなたは記憶ではない何かを知覚するだろう。
 自分個人の関心事に忙しい某氏として在ることをやめて、ついにあなたは平
 和になるのだ。(p408)


欲望の網の目

 あなたとは執着によって束ねられた一束の記憶なのだということを理解した
 上で、そこから踏みだし、外側から見てみなさい。
 はじめてあなたは記憶ではない何かを知覚するだろう。
 自分個人の関心事に忙しい某氏として在ることをやめて、ついにあなたは平
 和になるのだ。
 世界には何も間違ったところがないということを、あなたは認識するだろう
 ――間違っていたのはあなただけだ。
 そして、それは今終わったのだ。
 けっしてふたたび、あなたは無知から生まれた欲望の網の目に捕まることは
 ないだろう。(p408)


忘れないことで

 どうしたものか、私の場合それはとても簡単で、やさしいものだった。
 私のグルが亡くなる寸前に私に告げたのだ。
 「私を信じなさい。あなたは至高の実在なのだ。私の言葉を疑ってはならな
 い。不信感をもってはならない。私は真実を伝えているのだ。それに基づい
 て行動しなさい」と。
 私には彼の言葉を忘れることができなかった。
 そして忘れないことで、私は真我を実現したのだ。
 
 何も特別なことはしなかった。
 私は私の人生を生き、商売に励み、家族の面倒を見、時間の許すかぎり私の
 グルと彼の言葉を覚えていたのだ。
 じきに彼は逝き、私は記憶に頼ることしかできなかった。
 それで充分だったのだ。(p408)


覚えていた

 私には彼の言葉を忘れることができなかった。
 そして忘れないことで、私は真我を実現したのだ。
 
 何も特別なことはしなかった。
 私は私の人生を生き、商売に励み、家族の面倒を見、時間の許すかぎり私の
 グルと彼の言葉を覚えていたのだ。
 じきに彼は逝き、私は記憶に頼ることしかできなかった。
 それで充分だったのだ。(p408)


真実の言葉

 彼の言葉真実だった。
 だからそれは実現されたのだ。
 真実の言葉はつねに実現される。
 私のグルは何もしなかった。
 彼の言葉が働きかけたのだ。
 なぜなら、それらは真実だったからだ。
 何であれ、私のしたことは願わず、求めずして内側から起こったものだ。(p409)


彼の言葉

 何ひとつしなかった。
 私は真我を実現しようと苦悩したわけでさえない。
 は私に「あなたは至高なるものだ」と告げ、そして死んだのだ。
 私にはただを疑うことができなかった。
 それ以外はすべてひとりでに起こっていった。
 私は変わりつづけていく私を見ていた。
 ただそれだけだ。
 実のところ、私は驚いている。
 しかし、彼の言葉を実証したいという熱望が湧いてきたのだ。
 私にはが嘘をついているはずがないというあまりにも強い確信があったた
 め、彼の言葉の完全な意味を実現するか、そうでなければ死ぬしかないと感
 じたのだ。
 私の決意は強固なものだったが、何をすべきか知らなかった。
 私は何時間ものこととが確約した言葉を想い、議論することなく、ただ
 の言った言葉を覚えていたのだ。(p409)


至高の実在とは

 (至高の実在とは)私はもはや騙(だま)されない。
 それだけだ。
 私は世界をつくり出し、そこに住んでいた――もはやそうすることはないの
 だ。(p410)


騙(だま)されない

 (至高の実在とは)私はもはや騙されない。
 それだけだ。
 私は世界をつくり出し、そこに住んでいた――もはやそうすることはないの
 だ。(p410)


意識を超えた空

 (私が住んでいるのは)存在と非存在を超えた、意識を超えた空のなかだ。
 その空はまた充満してもいるのだ。
 私を哀れんではいけない。
 それは、「私は私の仕事を終えた。もう何もするべきことはない」と言う人
 のようなものだ。(p410)


何が起こったのか

 (何が起こったのかというなら)マインドが出来事をつくり出すことをやめ
 たのだ。
 遙かなる昔からの絶え間ない探求が終焉したのだ。
 私は何も望まず、何も期待せず、何ひとつ私のものとして受け取らなかった。
 そこに闘おうとする「私」は残っていなかった。
 ただの「私は在る」さえも消え去ったのだ。(p410)


習慣的な確信

 もう一つ気づいたことは、すべての習慣的な確信を失ったということだ。
 以前、私は多くのことに確信をもっていた。
 今、私には何ひとつ確かなことはないのだ。
 だが、知らないことで何かを失ったようには感じない。
 なぜなら、私のすべての知識が偽りだったからだ。(p410)


知識は無知なるもの

 もう一つ気づいたことは、すべての習慣的な確信を失ったということだ。
 以前、私は多くのことに確信をもっていた。
 今、私には何ひとつ確かなことはないのだ。
 だが、知らないことで何かを失ったようには感じない。
 なぜなら、私のすべての知識が偽りだったからだ。
 私が知らないということ自体、すべての知識は無知なるものだという事実の
 知識なのだ。
 「私は知らない」だけが私にできる唯一の表明だ。(p410)


私は知らない

 以前、私は多くのことに確信をもっていた。
 今、私には何ひとつ確かなことはないのだ。
 だが、知らないことで何かを失ったようには感じない。
 なぜなら、私のすべての知識が偽りだったからだ。
 私が知らないということ自体、すべての知識は無知なるものだという事実の
 知識なのだ。
 「私は知らない」だけが私にできる唯一の表明だ。
 「私は生まれた」という考えを例にとってみなさい。
 あなたはそれを真実だと受け取っているかも知れない。
 そうではないのだ。
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだろう。
 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないのだ。
 あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、あなたは死
 をまぬがれない者となる。
 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界となるのだ。
 よく見てみなさい。
 すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意識だけが存
 在するのだ。(p410)


生まれなかった

 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだろう。
 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないのだ。
 あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、あなたは死
 をまぬがれない者となる。
 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界となるのだ。
 よく見てみなさい。
 すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意識だけが存
 在するのだ。(p410)


同一化

 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだろう。
 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないのだ。
 あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、あなたは
 をまぬがれない者となる。
 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界となるのだ。
 よく見てみなさい。
 すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意識だけが存
 在するのだ。(p410)


小さな光の点

 意識のかぎりない広がりのなかに、ひとつのが現れる。
 小さな点は急速に動き、紙の上にペンで形を描くように思考、感情、概念、
 観念を描きだす。
 その描きだすインクが記憶だ。
 あなたはその小さな点であり、あなたの動きによって世界はつねに再創造さ
 れていくのだ。
 動くのをやめなさい。
 すると世界はなくなるだろう。
 内側を見なさい。
 すると身体のなかの広大なの反映は、「私は在る」という感覚としての小
 さな光の点だと見いだすだろう。
 ただだけがあり、それ以外のすべては現れにすぎないのだ。(p410-411)


光の点暗闇

 意識のかぎりない広がりのなかに、ひとつのが現れる。
 小さなは急速に動き、紙の上にペンで形を描くように思考、感情、概念、
 観念を描きだす。
 その描きだすインクが記憶だ。
 あなたはその小さなであり、あなたの動きによって世界はつねに再創造さ
 れていくのだ。
 動くのをやめなさい。
 すると世界はなくなるだろう。
 内側を見なさい。
 すると身体のなかの広大なの反映は、「私は在る」という感覚としての小
 さな光の点だと見いだすだろう。
 ただだけがあり、それ以外のすべては現れにすぎないのだ。
 
 マインドにとってそれは暗闇として現れる。
 それはその反映を通してだけ知ることができる。
 日の光以外はすべて日の光のなかで見られるのだ。(p410-411)


個人的なマインド

 あなたは記憶によって織り込まれ、欲望と恐れによってひとつに束ねられた、
 あなた自身の個人的なマインドをもっているのだ。
 私は自分自身のマインドというものをもっていない。
 私が知る必要のあることは、宇宙は私に食べる物を与えるように私のもとへ
 運んでくるのだ。
 
 私にとって知りたいことは何もない。
 だが、知る必要のあることは知ることになるのだ。(p411)


知りたいこと

 私にとって知りたいことは何もない。
 だが、知る必要のあることは知ることになるのだ。(p411)


私の内側と外側

 私の内側外側であり、私の外側内側なのだ。
 必要な知識をあなたから得るかも知れない。
 だが、あなたは私から離れていないのだ。(p411)


トゥリーヤ

 世界を描きだす光の点がトゥリーヤだ。
 光そのものとなることがトゥリーヤーティータだ。
 だが、実在がこれほど間近にあるというときに、そのような名称が何になる
 というのだろうか?(p411)


実在不動変化

 実在不動のものだ。
 それにもかかわらず、絶え間ない変化のなかにある。
 それは力強い川のようなものだ。
 それは流れていくが、しかも永遠にそこにある。
 流れていくのは、川とその川床と両岸ではなく、水だ。
 同じようにサットヴァ・グナ、普遍的調和の質はタマスとラジャス、暗闇と
 絶望に対して戯(たわむ)れる。
 サットヴァのなかには、つねに変化と進展がある。
 ラジャスのなかには、つねに変化と後退がある。
 一方、タマスは混沌(こんとん)を代表する。
 三つのグナ(質)は永遠に互いに対抗して戯れあう。
 それは事実であり、そこに事実との不和はありえないのだ。(p411)


三つのグナ(質)

 実在は不動のものだ。
 それにもかかわらず、絶え間ない変化のなかにある。
 それは力強い川のようなものだ。
 それは流れていくが、しかも永遠にそこにある。
 流れていくのは、川とその川床と両岸ではなく、水だ。
 同じようにサットヴァ・グナ、普遍的調和の質はタマスラジャス、暗闇と
 絶望に対して戯(たわむ)れる。
 サットヴァのなかには、つねに変化と進展がある。
 ラジャスのなかには、つねに変化と後退がある。
 一方、タマスは混沌(こんとん)を代表する。
 三つのグナ(質)は永遠に互いに対抗して戯れあう。
 それは事実であり、そこに事実との不和はありえないのだ。(p412)


サットヴァマインド

 サットヴァはあなたの真の本性の輝きだ。
 あなたはつねにそれをマインドの彼方に見いだすことができる。
 だが、あなたが世界を望むならば、三つのグナを分離不可能で、本質的にひ
 とつである物質―エネルギー―生命として受け容れなければならない。
 時間と空間のなかには、誕生と死、進歩、後退、また進歩、ふたたび後退と
 いった、一見、はじまりも終わりもないような永遠の流れがある。
 永遠、不変で身体を持たず、マインドのない気づきが至福なのだ。(p412)


世界を望むなら

 サットヴァはあなたの真の本性の輝きだ。
 あなたはつねにそれをマインドの彼方に見いだすことができる。
 だが、あなたが世界を望むならば、三つのグナを分離不可能で、本質的にひ
 とつである物質―エネルギー―生命として受け容れなければならない。
 時間と空間のなかには、誕生と死、進歩、後退、また進歩、ふたたび後退と
 いった、一見、はじまりも終わりもないような永遠の流れがある。
 永遠、不変で身体を持たず、マインドのない気づきが至福なのだ。(p412)


意識もの

 意識の届かないところから物質ははじまる。
 ものとは私たちが理解してこなかった存在のひとつの形態だ。
 それは変化しない。
 それはつねに同じで、それ自体として、何か奇妙な異質なものとしてそこに
 あるように見える。
 もちろん、それは意識のなかに在る。
 だが、一見不変に見える外観ゆえに、外側にあるように見えるのだ。
 ものの根本は記憶のなかにある。
 記憶なしには認識はないからだ。
 創造―維持―破壊すなわちブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ。
 これが永遠の過程だ。
 すべてのものごとはそれに支配されているのだ。(p412)


創造―維持―破壊

 意識の届かないところから物質ははじまる。
 ものとは私たちが理解してこなかった存在のひとつの形態だ。
 それは変化しない。
 それはつねに同じで、それ自体として、何か奇妙な異質なものとしてそこに
 あるように見える。
 もちろん、それは意識のなかに在る。
 だが、一見不変に見える外観ゆえに、外側にあるように見えるのだ。
 ものの根本は記憶のなかにある。
 記憶なしには認識はないからだ。
 創造―維持―破壊すなわちブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ。
 これが永遠の過程だ。
 すべてのものごとはそれに支配されているのだ。(p412)


脱出だけを

 私はほかでもない脱出だけを示しているのだ。
 ひとつが三つ(創造―維持―破壊)を含んでいることを理解しなさい。
 そしてあなたこそがそのひとつなのだ。
 そうすれば、あなたは輪廻(りんね)から解放されるだろう。(p412)


最終的に

 創造の段階の後に、調査、そして熟考の段階が来る。
 そして最終的に放棄と忘却の段階となる。
 意識は残るが、潜在的な、静かな状態なのだ。(p412)


アイデンティティA

 アイデンティティの状態は実在のなかで固有のものであり、けっして消え去
 るものではない。
 しかし、アイデンティティとは一時的な個人(ヴィヤクティ)でも、カルマ
 によって束縛された人格(ヴィヤクタ)でもないのだ。
 それはすべての自己同一化が偽りとして放棄されたときに残るものだ。
 純粋な意識、そこにある、またはありうるすべての存在の感覚だ。
 意識ははじめ純粋で、終わりもまた純粋なままだ。
 その中間において、創造の根本である想像によって汚されてしまうのだ。
 意識はつねに同じ状態で残る。
 それをあるがままに知ることが真我の実現であり、永遠の平和なのだ。(p412)


充分な解放

 知られることは私、あるいは私のものではありえない、ということを知るこ
 と自体、充分な解放だ。
 一式の記憶と習慣との自己同一化からの自由、存在の無限な広がりに対する
 驚愕(きょうがく)、その無尽蔵な創造力と完全な超越、意識のあらゆる状
 態が錯覚であり、一時的であることの認識から生まれた絶対的な恐れのなさ
 ――それらは深く、かぎりない源から湧き出るものだ。
 源を源として、現れは現れとして知ること、自己を唯一の源として知ること
 が真我の実現なのだ。(p413)


鏡のマインド

 誰も「私は観照者だ」と言うことはできない。
 「私は在る」はつねに観照されているものだ。
 冷静な気づきの状態が観照意識、「鏡のマインド」だ。
 それは対象物とともに現れては消えるものであり、それゆえ完全に実在とは
 言えない。
 対象物がなんであれ、それは変わらず残る。
 それゆえそれは実在とも言えるのだ。
 それは実在と非実在の両方の質をもっているため、そのふたつに架ける橋な
 のだ。(p413)


観照者の役目

 それ(観照者)は何もしない。
 そして何の役にも立たないのだ。
 
 (なぜそれについて話すかと言うなら)なぜなら、それはそこに在るからだ。
 橋は渡すというひとつの役割を果たすだけだ。
 あなたは橋の上に家を建てたりはしない。
 「私は在る」はものごとを見るが、観照者はそれらを見通すだけだ。
 それはそれらを非実在で一時的なものとして、ありのままに見る。
 「私ではなく、私のものではない」と言うことが観照者の役目なのだ。(p414)


意識の長所

 意識している長所とは単なるうぬぼれにすぎない。
 意識はつねに障害なのだ。
 障害のないとき、人はそれを超えることができる。(p417)


理解行為

 真我の実現にとっては理解が本質的なものだ。
 行為は偶然のものでしかない。
 確固とした理解の人は行為を差し控えるだろう。
 行為とは真理の試験なのだ。(p418)


個人

 光が身体によって遮られたとき、が現れるのと同じように、純粋な自己覚
 醒が「私は身体だ」という想念によって妨げられるとき、個人が現れる。
 そしてが地上の光によってその位置と形を変えていくように、個人も運命
 のパターンにしたがって喜んだり、苦しんだり、休息したり、あくせく働い
 たり、 見いだしたり、失ったりするように現れて見えるのだ。
 身体がもはやなくなったとき、個人は再帰することなく完全に消え去る。
 ただ観照者と偉大な未知なるものだけが残るのだ。(p418)


観照者個人

 観照者は「私は知っている」と言い、個人は「私は為す」と言うのだ。
 「私は知っている」ということは、真実に反することではない。
 それは単に限定されているだけだ。
 しかし、「私は為す」ということは、まったくの間違いだ。
 なぜなら、そこには為す人など誰もいないからだ。
 行為者であるという観念さえ含めたすべてはひとりでに起こるのだ。(p418)


私は為す

 観照者は「私は知っている」と言い、個人は「私は為す」と言うのだ。
 「私は知っている」ということは、真実に反することではない。
 それは単に限定されているだけだ。
 しかし、「私は為す」ということは、まったくの間違いだ。
 なぜなら、そこには為す人など誰もいないからだ。
 行為者であるという観念さえ含めたすべてはひとりでに起こるのだ。(p418)


未来過去

 待つことは無駄なことだ。
 問題を解決するために時間に依存することは自己欺瞞(ぎまん)だ。
 未来は、単に過去がそれ自体を繰り返すだけなのだ。
 変化は未来のなかではなく、いまの中だけで起こりうる。(p420)


体験真我の実現

 すべての体験は限定された、一時的な幻想でしかない。
 体験からは何も期待してはならない。
 それが新しい次元の体験へと導くことはあっても、真我の実現自体はひとつ
 の体験ではないのだ。
 新しい体験がいかに興味深いものであっても、古いものより真実だというわ
 けではない。
 真我の実現が新たな体験ではないことは明らかだ。
 それはすべての体験における時を超えた要因の発見だ。
 それは体験を可能にする気づきなのだ。
 すべての色のなかで光が色彩をもたない要因であるように、すべての体験の
 なかには気づきが存在している。
 それにも関わらず、気づきは体験ではないのだ。(p420-421)


体験気づき

 真我の実現が新たな体験ではないことは明らかだ。
 それはすべての体験における時を超えた要因の発見だ。
 それは体験を可能にする気づきなのだ。
 すべての色のなかで光が色彩をもたない要因であるように、すべての体験の
 なかには気づきが存在している。
 それにも関わらず、気づき体験ではないのだ。(p421)


気づき認識

 気づきは常にそこにある。
 それが認識される必要はないのだ。
 マインドの扉を開きなさい。
 そうすればそれは光で満ちあふれるだろう。(p421)


科学

 科学は、単に私たちの無知の境界線を押し戻しているだけだ。(p421)


自然気づき

 意識的な体験の総体性が自然だ。
 意識的自己としてのあなたは自然の一部なのだ。
 気づきとしてのあなたはその彼方にある。
 自然を単なる意識として見ることが気づきなのだ。(p421)


気づき段階

 意識のなかに段階はあるが、気づきのなかにはない。
 それは均質がひと塊(かたまり)なのだ。
 マインドのなかでのその反映が愛と理解だ。
 理解における明晰性の段階や、愛の強烈さに度合いはあっても、その源に段
 階はないのだ。
 源は単一であり、シンプルだ。
 だがその贈り物は無限のものだ。
 ただ、贈り物を源と取り違えてはならない。
 あなた自身が川ではなく源であることを自覚しなさい。
 それだけだ。(p421)


あなたは在る

 「私は在る」としてのあなたは、身体の岸の間を流れる川だ。
 だが、あなたはまた源でもあり、海でもあり、空の雲でもあるのだ。
 どこであれ、そこに生命と意識があるとき、あなたは在る。
 極小よりも小さく、極大よりも大きい。
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。(p421)


見ること

 注意深く見てみなさい。
 すると、見る者と見られるものは、見ることがあるときにだけ現れることが
 理解できるだろう。
 それらは見ることの属性なのだ。
 あなたが、「私はこれを見ている」と言うとき、「私」と「これ」は見るこ
 ととともに現れ、それ以前にはないことがわかる。
 あなたは目に見えない「これ」や見ていない「私」をもつことはできないの
 だ。
  
 「私はこれを見ている」が「私は私が見ていないことを見ている」、あるい
 は「私は暗闇を見ている」になるのだ。
 見ることは残る。
 知られるもの、知ること、知る者という三位のなかでは、知ることだけが事
 実だ。
 「私」と「これ」は疑わしいものだ。
 誰が知ろう?
 何が知られるというのだろう?
 知ることがあるということを除いては、そこには何の確実性もないのだ。(p422)


知ること

 知られるもの、知ること、知る者という三位のなかでは、知ることだけが事
 実だ。
 「私」と「これ」は疑わしいものだ。
 誰が知ろう?
 何が知られるというのだろう?
 知ることがあるということを除いては、そこには何の確実性もないのだ。(p422)


真の本性

 知ることは、在ることと愛することとともに、あなたの真の本性の反映なの
 だ。
 知る者と知られるものは、マインドによって加えられるのだ。
 実際は何もないところに、主体―客体の二元性をつくり出すのがマインドの
 本質なのだ。(p422)


マインドの本質

 知ることは、在ることと愛することとともに、あなたの真の本性の反映なの
 だ。
 知る者と知られるものは、マインドによって加えられるのだ。
 実際は何もないところに、主体―客体の二元性をつくり出すのがマインドの
 本質なのだ。(p422)


欲望と恐れの原因

 (欲望と恐れの原因とは)明らかに、過去の苦痛と快楽の記憶だ。
 そこには何も偉大な神秘があるわけではない。
 同じ対象物に恐れと欲望が関係したときにだけ葛藤(かっとう)が起こるの
 だ。(p422)


意識あなた

 それ(記憶を終わらせること)は必要でもなければ、可能でもない。
 すべては意識のなかで起こり、あなたがその根本、源、意識の根底なのだと
 いうことを認識しなさい。
 世界は体験の連続にすぎず、あなたはそれらに意識を与えるものだ。
 しかも、あなたはすべての体験を超えた彼方にとどまるのだ。
 それは熱、炎、燃える木材のようなものだ。
 熱は炎を維持し、炎は木材を焼き尽くす。
 熱がなければ炎も燃料もなかっただろう。
 同じように、気づきなしには意識も、物質を意識の媒体に変容する生命もな
 かっただろう。(p422)


木材

 世界は体験の連続にすぎず、あなたはそれらに意識を与えるものだ。
 しかも、あなたはすべての体験を超えた彼方にとどまるのだ。
 それは、燃える木材のようなものだ。
 は炎を維持し、木材を焼き尽くす。
 がなければも燃料もなかっただろう。
 同じように、気づきなしには意識も、物質を意識の媒体に変容する生命もな
 かっただろう。(p422)


物質マインドA

 在るものは在る。
 それは主観的でも客観的でもない。
 物質マインドは分離したものではない。
 それらはひとつのエネルギーの二つの相なのだ。
 マインド物質の機能として見てみなさい。
 そうすればあなたは科学を手にする。
 物質マインドの産物として見てみなさい。
 そうするとあなたは宗教を手にするだろう。(p423)


科学宗教

 在るものは在る。
 それは主観的でも客観的でもない。
 物質とマインドは分離したものではない。
 それらはひとつのエネルギーの二つの相なのだ。
 マインドを物質の機能として見てみなさい。
 そうすればあなたは科学を手にする。
 物質をマインドの産物として見てみなさい。
 そうするとあなたは宗教を手にするだろう。(p423)


物質マインドB

 (マインド物質の)どちらも先に現れはしないし、どちらか一方が現れる
 のでもない。
 物質は形であり、マインドは名前なのだ。
 それらはともに世界をつくる。
 浸透し、超越するのが実在、純粋な存在―意識―至福、あなたの本質そのも
 のなのだ。(p423)


時間は止まる

 あなたは時間の流れについて語る。
 あたかもあなたが不動でいるかのように。
 だが、あなたが昨日目撃した出来事を、誰かほかの人が明日見るかもしれな
 い。
 動きのなかにいるのはあなたであって、時間ではないのだ。
 動きを止めなさい。
 すると時間は止まる。
 
 過去と未来が、永遠の今のなかで溶け合うのだ。
 
 それは過去と未来がもはや重要ではなくなるという意味でもありうる。
 それはまた、かつて起こったすべて、これから起こるだろうすべてが、思い
 のままに開かれた本として読むことができるという意味でもある。(p423)


世界は続いて

 マインドと物質の、そして名前と形の世界は続いていく。
 だが、それは私にとってまったく重要ではない。
 それは影のようなものだ。
 それはそこにある。
 どこへ行こうともついてくる。
 だが、どのような意味でも私を邪魔することはない。
 体験の世界はそのまま残る。
 だが、欲望と恐れで私に関わる名前と形は残さないのだ。
 体験とは、いわば属性をもたない純粋な体験だ。
 ほかによりよい言葉がないために、私はそれを体験と呼ぶのだ。
 それは大海の波のようなものだ。
 つねに存在しながら、その平和な力に影響を与えることはない。(p424)


無意識A

 ほとんどのあなたの体験は無意識のものだ。
 意識的なものは非常に少ない。
 あなたは事実に気づいていないのだ。
 なぜなら、あなたにとっては意識的なものしか数に入らないからだ。
 無意識に気づくようになりなさい。
 
 欲望と恐れが覆(おお)い隠し、歪(ゆが)ませてしまう要因なのだ。
 マインドがそれらから解放されたとき、無意識は容易に手に入るようになる。(p424)


気づき意識A

 気づき意識に対して限定されてはいない。
 それは存在するすべてに対するものだ。
 意識は二元性のものだ。
 気づきのなかに二元性はない。
 それは純粋な知覚のひと塊なのだ。
 純粋な存在と純粋な創造についても同じように、無名、無形、静寂であり、
 しかも絶対的実在だと言うことができる。
 言葉では言い表せないということが、それらに影響を与えることはまったく
 ない。
 それらは無意識でありながら、本質的なものなのだ。
 意識を根本的に変えることはできない。
 それは修正することができるだけだ。
 いかなるものも、変化するためには朦朧(もうろう)とした状態と消滅を、
 死を通らなければならないのだ。
 金の装飾品は、ほかの形に鋳造される前に溶解されなければならない。
 死ぬことを拒むものは再誕生できないのだ。(p424-425)




 内側に向かうこと、超然と離れてあること、手放すことがだ。
 を全(まっと)うするには、は欠くことのできないものだ。
 すべての終焉(しゅうえん)がすべてのはじまりをもたらす。
 
 その一方、よく理解しなさい、きる者ではなく、ただぬ者だけがぬこ
 とができる。
 あなたのなかできているもの、それは不なのだ。(p425)


欲望幸福

 源は正しくも間違いでもない。
 欲望そのものも、正しくも間違いでもないのだ。
 それは幸福を求める努力にほかならない。
 自分自身を一片の身体と同一化して途方にくれ、あなたは幸福と呼ぶ充足と
 完全性の感覚を絶望的に探しまわるのだ。(p425)


不安A

 不安は「私は身体だ」という観念によって生じた精神的状態だ。
 それは「私は身体ではない」という反対の観念によって取り除くことができ
 る。
 どちらも観念であり偽りだ。
 しかし、ひとつがもうひとつを取り除く。
 どの観念もあなた自身のものではないということを認識しなさい。
 それらはみな、外側からあなたにやってくるのだ。
 あなたは全力をあげて考えなければならない。
 あなた自身があなたの瞑想の対象になりなさい。
 あなた自身を理解しようと努力することがヨーガなのだ。
 ヨーギになりなさい。
 あなたの人生をそれに捧げなさい。
 熟考し、驚き、探求しなさい。
 あなたが誤りの根本と誤りを超えた彼方の真理にたどり着くまで。(p430)


瞑想の技法

 瞑想とは意識の高次の状態を貫き、最終的にそれを超えていこうとする意図
 的な試みなのだ。
 瞑想の技法とは、後に残してきたレベルの理解を失わないままつねにより精
 妙なレベルへと注意の焦点を移行する技だ。
 ある意味では、それは制御しながら死を迎えるようなものだ。
 人は最低の段階からはじめる。
 社会環境、習慣と慣例。
 身体的環境、姿勢と身体の呼吸。
 感覚器官、それらの感覚と知覚。
 マインド、その思考と感情。
 人格の構造全体が把握され、確実に捕らえられるまでだ。
 瞑想の最終段階は、アイデンティティの感覚が「私はこれだ」を超え、「そ
 こに在る」を超え、すべての観念を超えて、非人格的な、純粋な存在へと到
 達されることだ。
 だが、あなたが瞑想するときは精力的でなければならない。
 それは間違いなくパートタイムの仕事ではない。
 あなたの興味と活動を、あなたに必要なこととあなたの家族にとって最低限
 の必要に制限しなさい。
 あなたのエネルギーと時間を、あなたのまわりにマインドが築いてきた壁を
 破壊するために確保しなさい。
 私を信じるがいい。
 けっして後悔しないだろう。(p430)


自己非難

 自己非難や自己不信は悲惨な過ちだ。
 あなたの絶え間ない苦痛への闘いと快楽の追求は、あなたがあなた自身に抱
 く愛のしるしなのだ。
 私があなたに願うことは、あなた自身への愛を完全なものにしなさい、とい
 うことだ。
 あなた自身のなかの何ひとつ、否定してはならない。
 あなた自身に無限性と永遠性を与えなさい。
 そして、あなたはそれらを必要としないことを発見しなさい。
 あなたはその彼方にあるのだ。(p431-432)


戦争は不可避

 ある場所、または他の場所で、ある形で、あるいは他の形で戦争は常に起こ
 っている。
 戦争の起こらなかったときがかつてあっただろうか?
 ある人はそれは神の意志だという。
 ある人は、それを神の戯れだと言う。
 それは戦争とは不可避であり、誰の責任でもないということの別の言い方に
 すぎない。(p432)


態度

 なぜ私に態度を押しつけるのかね?
 私自身のものと呼べる態度を私はもってはいないのだ。(p432)


私自身の態度

 なぜ態度を押しつけるのかね?
 私自身のものと呼べる態度を私はもってはいないのだ。(p432)


犯人

 (この恐るべき無意味な虐殺の)その犯人を内側に探し求めなさい。
 すべての衝突の根本には、「私」と「私のもの」という観念があるのだ。
 それから自由になりなさい。
 そうすれば、あなたは衝突から解放されるだろう。(p433)


衝突の犯人

 その犯人を内側に探し求めなさい。
 すべての衝突の根本には、「私」と「私のもの」という観念があるのだ。
 それから自由になりなさい。
 そうすれば、あなたは衝突から解放されるだろう。(p433)


争い存在

 争いや闘いは存在の一部分なのだ。
 どうしてあなたは存在の責任が誰にあるのかを調べないのだろうか?(p433)


存在の責任

 争いや闘いは存在の一部分なのだ。
 どうしてあなたは存在の責任が誰にあるのかを調べないのだろうか?(p433)


名前A

 あなたは「身体―精神」、特定の名前と形として存続するために、常に他者
 と闘っているのだ。
 生きるために、あなたは破壊しなければならない。
 懐妊された瞬間から、あなたは周囲と戦争をはじめたのだ――死があなたを
 解放するまで、相互に根絶し合う残酷な戦争を。(p433)


生きるために

 あなたは「身体―精神」、特定の名前と形として存続するために、常に他者
 と闘っているのだ。
 生きるために、あなたは破壊しなければならない。
 懐妊された瞬間から、あなたは周囲と戦争をはじめたのだ――死があなたを
 解放するまで、相互に根絶し合う残酷な戦争を。(p433)


戦争

 あなたは「身体―精神」、特定の名前と形として存続するために、常に他者
 と闘っているのだ。
 生きるために、あなたは破壊しなければならない。
 懐妊された瞬間から、あなたは周囲と戦争をはじめたのだ――死があなたを
 解放するまで、相互に根絶し合う残酷な戦争を。(p433)


最終の答え

 最終の答えとはこれだ。
 何も存在しない。
 すべては宇宙的意識界の中の一時的な現れだ。
 名前と形としての継続性は、容易に一掃できるただの精神的形態なのだ。(p433)


責任の所在

 (この子どもの死は)誰の責任でもない。
 あるいは皆の責任だ。
 世界とは、それが包含するものであり、それぞれがそのほかのすべてに影響
 を与えるのだ。
 私たち皆が子どもを殺し、私たち皆が子どもとともに死ぬのだ。
 すべての出来事には無数の原因があり、無数の結果を生みだしている。
 責任の所在を求めることは何の役にも立たない。
 何に起因するわけでもないのだ。(p433)


カルマや因果応報

 それ(カルマや因果応報)はただ相対として真実に近いというだけだ。
 実際には、私たちは互いの創造者と創造物であり。互いの重荷の原因であり、
 互いの重荷の重さに耐えているのだ。(p433)


創造者と創造物

 それ(カルマや因果応報)はただ相対として真実に近いというだけだ。
 実際には、私たちは互いの創造者と創造物であり。互いの重荷の原因であり、
 互いの重荷の重さに耐えているのだ。(p434)


無知無実

 無知であることで、私たちは無実なのだ。
 行為のなかで、私たちは有罪だ。
 私たちは知らずに罪を犯し、理解することなく苦しむのだ。
 私たちの唯一の希望は、止まって、見て、理解し、記憶の罠から抜けだすこ
 とだ。
 なぜなら記憶が想像をあおりたて、想像が欲望と恐れをひき起こすからだ。(p434)


苦しむ

 無知であることで、私たちは無実なのだ。
 行為のなかで、私たちは有罪だ。
 私たちは知らずにを犯し、理解することなく苦しむのだ。
 私たちの唯一の希望は、止まって、見て、理解し、記憶の罠から抜けだすこ
 とだ。
 なぜなら記憶が想像をあおりたて、想像が欲望と恐れをひき起こすからだ。(p434)


唯一の希望

 無知であることで、私たちは無実なのだ。
 行為のなかで、私たちは有罪だ。
 私たちは知らずに罪を犯し、理解することなく苦しむのだ。
 私たちの唯一の希望は、止まって、見て、理解し、記憶の罠から抜けだすこ
 とだ。
 なぜなら記憶が想像をあおりたて、想像が欲望と恐れをひき起こすからだ。(p434)


脳の欠陥と混乱

 意識の光が記憶のフィルムを通してあなたの脳に画像を投影するのだ。
 脳の欠陥と混乱のために、あなたが知覚することは歪曲(わいきょく)し、
 好き嫌いの好みに色づけされてしまう。
 あなたの思考を秩序あるものにし、過度の感情的な意味づけから自由になり
 なさい。
 そうすれば、あなたは人々やものごとをあるがままに、明晰性と慈愛を持っ
 て見ることだろう。(p434)


好き嫌いの好み

 意識の光が記憶のフィルムを通してあなたの脳に画像を投影するのだ。
 脳の欠陥と混乱のために、あなたが知覚することは歪曲(わいきょく)し、
 好き嫌いの好みに色づけされてしまう。
 あなたの思考を秩序あるものにし、過度の感情的な意味づけから自由になり
 なさい。
 そうすれば、あなたは人々やものごとをあるがままに、明晰性と慈愛を持っ
 て見ることだろう。(p434)


愛と苦痛の観照者

 誕生、人生、死の観照者は同一だ。
 それは愛と苦痛の観照者なのだ。
 なぜなら限定と分離の存在が悲しみに満ちたものであるにもかかわらず、私
 たちはそれを愛しているからだ。
 私たちはそれを愛し、同時に憎んでいるのだ。
 私たちは争い、殺し、生命や所有物を破壊する。
 そしてそれにもかかわらず私たちは愛情深く、献身的なのだ。
 私たちは優しく子供の世話をする。
 そして子供を捨てもするのだ。
 私たちの人生は矛盾で満ちている。
 しかし、それでも私たちはそれにしがみつく。
 この執着がすべての根底にある。(p434)


限定分離

 誕生、人生、死の観照者は同一だ。
 それは愛と苦痛の観照者なのだ。
 なぜなら限定分離の存在が悲しみに満ちたものであるにもかかわらず、私
 たちはそれを愛しているからだ。
 私たちはそれを愛し、同時に憎んでいるのだ。(p434)


執着が根底に

 誕生、人生、死の観照者は同一だ。
 それは愛と苦痛の観照者なのだ。
 なぜなら限定と分離の存在が悲しみに満ちたものであるにもかかわらず、私
 たちはそれを愛しているからだ。
 私たちはそれを愛し、同時に憎んでいるのだ。
 私たちは争い、殺し、生命や所有物を破壊する。
 そしてそれにもかかわらず私たちは愛情深く、献身的なのだ。
 私たちは優しく子供の世話をする。
 そして子供を捨てもするのだ。
 私たちの人生は矛盾で満ちている。
 しかし、それでも私たちはそれにしがみつく。
 この執着がすべての根底にある。(p434)


人生は今に在る

 私たちの人生は矛盾で満ちている。
 しかし、それでも私たちはそれにしがみつく。
 この執着がすべての根底にある。
 その上それは完全に表面的なものだ。
 私たちは何かに、あるいは誰かに全力でしがみつき、そしてつぎの瞬間それ
 を忘れてしまう。
 子供が泥だんごを作り、軽い気持ちで捨て去ってしまうように。
 それに触れてみなさい。
 子供は怒りとともに泣き叫ぶことだろう。
 気をそらしてみなさい。
 彼はそれを忘れてしまう。
 なぜなら、私たちの人生は今に在るからだ。
 そして人生への愛は今に在るからだ。(p434)


苦痛と快楽の劇

 私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
 私たちは対比によって魅せられているのだ。
 このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要としている。
 しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙
 を切望するのだ。
 宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
 あなたはその観照者であり、そのハートでもあるのだ。(p434)


対比に魅せられ

 私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
 私たちは対比によって魅せられているのだ。
 このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要としている。
 しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙
 を切望するのだ。(p434)


宇宙のハート

 私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
 私たちは対比によって魅せられているのだ。
 このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要としている。
 しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙
 を切望するのだ。
 宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
 あなたはその観照者であり、そのハートでもあるのだ。(p434)


画家は絵の中に

 画家は絵の中にいるのだ。
 あなたは画家を絵から引き離し、そして彼を探そうとする。
 分割してはいけない。
 偽りの質問をしてはいけない。
 ものごとはありのままだ。
 そして、誰か特定の人に責任があるわけではない。
 個人的責任という考えは媒介者という幻想から来ている。
 「誰かがそれをしたに違いない、誰かに責任がある」と。
 今のような社会と、その法律と習慣の構成は、分離した責任ある個人という
 考え方を根底にしている。
 だが、これが社会にとって選択できる唯一の形態ではない。
 分離の感覚が弱く、責任が拡散した別の類(たぐい)の社会形態もありうる
 だろう。(p434)


個人的責任

 画家は絵の中にいるのだ。
 あなたは画家を絵から引き離し、そして彼を探そうとする。
 分割してはいけない。
 偽りの質問をしてはいけない。
 ものごとはありのままだ。
 そして、誰か特定の人に責任があるわけではない。
 個人的責任という考えは媒介者という幻想から来ている。
 「誰かがそれをしたに違いない、誰かに責任がある」と。
 今のような社会と、その法律と習慣の構成は、分離した責任ある個人という
 考え方を根底にしている。
 だが、これが社会にとって選択できる唯一の形態ではない。
 分離の感覚が弱く、責任が拡散した別の類(たぐい)の社会形態もありうる
 だろう。(p435)


責任ある個人

 ものごとはありのままだ。
 そして、誰か特定の人に責任があるわけではない。
 個人的責任という考えは媒介者という幻想から来ている。
 「誰かがそれをしたに違いない、誰かに責任がある」と。
 今のような社会と、その法律と習慣の構成は、分離した責任ある個人という
 考え方を根底にしている。
 だが、これが社会にとって選択できる唯一の形態ではない。
 分離の感覚が弱く、責任が拡散した別の類(たぐい)の社会形態もありうる
 だろう。(p435)


私は愛している

 には問題がある。
 もう言ったはずだ。
 在ること、名前と形とともに存在することは苦痛に満ちたものだ。
 それでも私はそれを愛している。
 
 存在のなかにはすべてが含まれている。
 の本性そのものがなのだ。
 苦痛に満ちたものでさえ、すべきものだ。(p435)


未知への愛

 それ(私が無限のなかにとどまらないの)は探求の本能なのだ。
 未知への愛、それが私を存在のなかへと連れ出したのだ。
 在ることのなかに平和を探すことが、成ることの本性そのものであるように、
 成ることのなかに冒険を見いだすことが、在ることの本性そのものなのだ。
 この在ることと成ることの交替は不可避だ。
 だが、私の住処(すみか)はその彼方にあるのだ。(p435)


在る成る

 それ(私が無限のなかにとどまらないの)は探求の本能なのだ。
 未知への愛、それが私を存在のなかへと連れ出したのだ。
 在ることのなかに平和を探すことが、成ることの本性そのものであるように、
 成ることのなかに冒険を見いだすことが、在ることの本性そのものなのだ。
 この在ることと成ることの交替は不可避だ。
 だが、私の住処(すみか)はその彼方にあるのだ。(p435)


交替は不可避

 それ(私が無限のなかにとどまらないの)は探求の本能なのだ。
 未知への愛、それが私を存在のなかへと連れ出したのだ。
 在ることのなかに平和を探すことが、成ることの本性そのものであるように、
 成ることのなかに冒険を見いだすことが、在ることの本性そのものなのだ。
 この在ることと成ることの交替は不可避だ。
 だが、私の住処(すみか)はその彼方にあるのだ。(p435)


私の住処(すみか)

 それ(私が無限のなかにとどまらないの)は探求の本能なのだ。
 未知への愛、それが私を存在のなかへと連れ出したのだ。
 在ることのなかに平和を探すことが、成ることの本性そのものであるように、
 成ることのなかに冒険を見いだすことが、在ることの本性そのものなのだ。
 この在ることと成ることの交替は不可避だ。
 だが、私の住処(すみか)はその彼方にあるのだ。(p435)


礼拝もまた無知

 ある神を愛し、礼拝することもまた無知なのだ。
 私の家は、いかに高尚なものであろうとすべての概念の彼方にある。(p435)


概念の彼方

 ある神を愛し、礼拝することもまた無知なのだ。
 私の家は、いかに高尚なものであろうとすべての概念の彼方にある。
 
 どんな言葉でも好きなように使うがいい。
 何であれ、あなたの考えることを私は超えているのだ。(p435)


存在への愛から

 集合的な存在への愛から、人は生まれる。
 そしてひとたび生まれたなら、人は運命に巻きこまれる。
 運命とは、成ることから分離できないものだ。
 特定のものに成ろうとする欲望が、個人的な過去や未来といったすべてを含
 んだ個人にあなたを仕立てあげるのだ。(p436)


運命成ること

 集合的な存在への愛から、人は生まれる。
 そしてひとたび生まれたなら、人は運命に巻きこまれる。
 運命とは、成ることから分離できないものだ。
 特定のものに成ろうとする欲望が、個人的な過去や未来といったすべてを含
 んだ個人にあなたを仕立てあげるのだ。(p436)


無意味さゆえに

 集合的な存在への愛から、人は生まれる。
 そしてひとたび生まれたなら、人は運命に巻きこまれる。
 運命とは、成ることから分離できないものだ。
 特定のものに成ろうとする欲望が、個人的な過去や未来といったすべてを含
 んだ個人にあなたを仕立てあげるのだ。
 ある偉大な人物を見てみなさい。
 何と素晴らしい人物だったのだろう!
 だが、何と彼の人生は困難に満ち、その成果はかぎられたものだったろうか。
 何と人の人格は完全に依存したものか。
 そして何と世界はそれに無関心なのだろうか。
 そしてそれにも関わらず、私たちはそれを愛し、その取るに足らない無意味
 さゆえに、それを保護するのだ。(p436)


私の態度

 だが、私の態度は異なっている。
 子供の誕生を祝わないように、私は死を災難としては見ないのだ。
 子どもは困難のなかへと生まれてきた。
 死者はそれから立ち去るのだ。
 生命への執着は不幸への執着だ。
 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
 私たちの本性とはそんなものなのだ。
 
 私にとって、死の瞬間は恐れではなく祝福の瞬間だ。
 私は泣いて生まれてきた。
 私は笑って死ぬだろう。(p436)


不幸への執着

 生命への執着は不幸への執着だ。
 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
 私たちの本性とはそんなものなのだ。
 
 私にとって、死の瞬間は恐れではなく祝福の瞬間だ。
 私は泣いて生まれてきた。
 私は笑って死ぬだろう。(p436)


死後の状態

 (死の瞬間に)どのような変化を期待するというのだろう?
 フィルムの投影が終わったとき、後に残るのはそれがはじまったときと同じ
 ものだ。
 あなたの誕生以前の状態は、またあなたの死後の状態なのだ。
 もしあなたが覚えているとすればだが。(p436)


社会活動

 だが、私はほかでもないそれだけをいつもしているのだ。
 どんな社会活動を私にしてほしいと言うのだろう?
 寄せ集めの仕事は私のものではない。
 私の立場は明らかだ。
 分配するために生産しなさい。
 あなたが食べる前に食事を与えなさい。
 あなたが取る前に与えなさい。
 あなた自身のことを考える前に、他者のことを考えなさい。
 分かちあいに根ざした非利己的な社会だけが、安定した幸福な社会なのだ。
 これは実質的な解決法にすぎない。
 もしあなたがそれを望まないのなら闘うがいい。(p436)


社会動機

 社会動機によって構築されている。
 根底に善意を敷きつめなさい。
 そうすれば、特別な社会事業家は必要なくなるだろう。(p437)


より良くなる

 世界はつねにより良くなるべきだった。
 しかし、それでもそうならなかった。
 未来にどんな希望があるというのだろうか?
 もちろん、サットヴァが上昇しているとき、そこには調和と平和の期間があ
 った。
 だが、ものごとはそれ自体の完成によって破壊されるものだ。
 完全な社会は静的であることを余儀なくされる。
 それゆえ、それは停滞し、崩壊するのだ。
 頂上からすべての道は下へと向かっていく。
 社会は人びとのようなものだ。
 それは生まれ、成長し、ある時点で相対的な完成を遂げ、そして衰退し、死
 を迎えるのだ。(p437)


完成破壊

 世界はつねにより良くなるべきだった。
 しかし、それでもそうならなかった。
 未来にどんな希望があるというのだろうか?
 もちろん、サットヴァが上昇しているとき、そこには調和と平和の期間があ
 った。
 だが、ものごとはそれ自体の完成によって破壊されるものだ。
 完全な社会は静的であることを余儀なくされる。
 それゆえ、それは停滞し、崩壊するのだ。
 頂上からすべての道は下へと向かっていく。
 社会は人びとのようなものだ。
 それは生まれ、成長し、ある時点で相対的な完成を遂げ、そして衰退し、死
 を迎えるのだ。(p437)


完全な社会

 世界はつねにより良くなるべきだった。
 しかし、それでもそうならなかった。
 未来にどんな希望があるというのだろうか?
 もちろん、サットヴァが上昇しているとき、そこには調和と平和の期間があ
 った。
 だが、ものごとはそれ自体の完成によって破壊されるものだ。
 完全な社会は静的であることを余儀なくされる。
 それゆえ、それは停滞し、崩壊するのだ。
 頂上からすべての道は下へと向かっていく。
 社会は人びとのようなものだ。
 それは生まれ、成長し、ある時点で相対的な完成を遂げ、そして衰退し、死
 を迎えるのだ。(p437)


社会人びと

 完全な社会は静的であることを余儀なくされる。
 それゆえ、それは停滞し、崩壊するのだ。
 頂上からすべての道は下へと向かっていく。
 社会人びとのようなものだ。
 それは生まれ、成長し、ある時点で相対的な完成を遂げ、そして衰退し、死
 を迎えるのだ。(p437)


永遠完全

 何であれ、はじまりあるものには終わりがなくてはならない。
 永遠のなかでは今ここですべてが完全なのだ。(p437)


はじまりの地点

 時が来れば、私たちははじまりの地点に戻ってくる。
 空間が空間の外に私たちを連れだすことができないように、時間は時間の外
 に私たちを連れだすことはできない。
 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。(p437)


待つこと

 時が来れば、私たちははじまりの地点に戻ってくる。
 空間が空間の外に私たちを連れだすことができないように、時間は時間の外
 に私たちを連れだすことはできない。
 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。(p437)


絶対的な完成

 空間が空間の外に私たちを連れだすことができないように、時間は時間の外
 に私たちを連れだすことはできない。
 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。(p437)


今ここの行為

 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。(p437)


秘密の行為

 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。(p437)


盲目にさせる

 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。(p437)


無視して

 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。(p437)


絶対的に完全

 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。(p437)


あるかのように

 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。(p437)


安全性について

 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。(p437)


必要なのは勇気

 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。(p437)


必要なすべて

 あなたは必要なすべてをもっている。
 それを使いなさい。
 あなたの知る最上のあり方でふるまいなさい。
 すべきだと思うことをしなさい。
 過ちを恐れてはならない。
 いつでもそれは正すことができる。
 ただ維持が重要なのだ。
 ものごとがどのように形を取るかは、あなたの手中にはない。
 行為の動機はあなたにかかっているのだ。(p438)


最上のあり方

 あなたは必要なすべてをもっている。
 それを使いなさい。
 あなたの知る最上のあり方でふるまいなさい。
 すべきだと思うことをしなさい。
 過ちを恐れてはならない。
 いつでもそれは正すことができる。
 ただ維持が重要なのだ。
 ものごとがどのように形を取るかは、あなたの手中にはない。
 行為の動機はあなたにかかっているのだ。(p438)


維持が重要

 あなたは必要なすべてをもっている。
 それを使いなさい。
 あなたの知る最上のあり方でふるまいなさい。
 すべきだと思うことをしなさい。
 過ちを恐れてはならない。
 いつでもそれは正すことができる。
 ただ維持が重要なのだ。
 ものごとがどのように形を取るかは、あなたの手中にはない。
 行為の動機はあなたにかかっているのだ。(p438)


行為の動機

 あなたは必要なすべてをもっている。
 それを使いなさい。
 あなたの知る最上のあり方でふるまいなさい。
 すべきだと思うことをしなさい。
 過ちを恐れてはならない。
 いつでもそれは正すことができる。
 ただ維持が重要なのだ。
 ものごとがどのように形を取るかは、あなたの手中にはない。
 行為の動機はあなたにかかっているのだ。(p438)


至高のグル

 あなたの意識のなかで起こることすべてがあなたのグルなのだ。
 そしてその意識を超えた純粋な覚醒が至高のグルだ。(p459)


真我の実現A

 真我の実現とは、あなたが個人ではないという事実なのだ。
 それゆえ真我の実現は、消え去る運命にある個人の義務ではありえない。
 運命とは自分を個人だと想像する人の義務なのだ。
 その人とは誰なのかを見いだしなさい。
 そうすれば想像された個人は消え去るだろう。(p459)


運命とは

 運命とは自分を個人だと想像する人の義務なのだ。
 その人とは誰なのかを見いだしなさい。
 そうすれば想像された個人は消え去るだろう。(p459)


自由A

 自由とは何かからの自由だ。
 あなたは何から自由になるというのだろう?
 明らかに、あなたは自分自身だと思いこんでいる個人から自由にならなけれ
 ばならないのだ。
 なぜなら、あなたが自分自身に関してもっている観念、それがあなたを束縛
 しているからだ。(p459)


決意によって

 (個人が取り除かれるのは)決意によってだ。
 それは取り除かなければならないものだということを理解しなさい。
 そしてそれが去ることを願いなさい――もしあなたが真剣ならば、それは去
 るだろう。
 誰でもいいが、誰かがあなたに、あなたは「身体―精神」ではなく、純粋な
 意識だと告げるだろう。
 それを可能性として受け入れなさい。
 そして真剣に調べてみなさい。
 あなたは、空間と時間に拘束された個人ではないと発見するかもしれない。
 それがどれほどの違いをもたらすことか、考えてみるがいい!(p459)


真の本性

 あなたの真の本性は、あなたの外見とは異なるのだ。
 個人として在るという考えを放棄しなさい。
 ただそれだけだ。
 すでにあなたで在るものになる必要はないのだ。
 本来のあなたとしてのアイデンティティがあり、その上に個人が重ねられて
 いるのだ。
 あなたが知っているのは個人だけだ。
 個人ではないアイデンティティをあなたは知らない。
 なぜならあなたはけっして疑ったことがなく、「私は誰か?」という決定的
 な疑問を自分に問いかけたことがなかったからだ。
 アイデンティティとは個人を観照する者だ。
 そしてサーダナ(修練)とは表面的で変化し続ける個人から、普遍で常在の
 観照者に視点を移行させることにあるのだ。(p460)


必要なエネルギー

 もしあなたが苦しみと苦しみからの解放の問題をもっていなければ、真我の
 探求に必要なエネルギーと持続力をもてないだろう。
 あなたに危機をつくり出すことはできない。
 それは真正なものでなければならないのだ。(p460)


真正な危機

 それ(真正な危機)はつねに起こっている。
 だが、あなたは充分に気づいていないのだ。
 隣人の顔の影、計り知れない、至るところに浸透している存在の悲しみは、
 あなたの人生における普遍の要因なのだ。
 あなたは苦しみ、また他者の苦しむのを見ている。
 だが、あなたが反応しないだけなのだ。(p460)


解き放つ扉

 あなたを閉じこめているはまた、あなたを解き放つ扉でもあるのだ。
 「私は在る」がだ。
 それが開くまで、そこにとどまりなさい。
 実際のところ、それは開いている。
 ただ、あなたがそこにいないだけなのだ。
 あなたは、実際には存在せず、けっして開くことのない描かれたの前で待
 っているのだ。(p460)


麻薬

 麻薬が脳とマインドに影響を与え、そして約束されたあらゆる類(たぐい)
 の奇妙な体験をあなたに与えることは疑いのないことだ。
 だが、悲しみと恐れのなかに生まれ、来ることも続くこともない幸福の探求
 を生きるという、このもっとも尋常でない体験を与える麻薬に比べれば、そ
 れらすべての麻薬が何だというのだろう?
 この麻薬の本質について調べ、その解毒剤を発見すべきだ。
 
 誕生、人生、死――これらはひとつのものだ。
 何がこれらの原因なのかを発見しなさい。
 あなたは生まれる前に、すでに麻薬を飲まされていたのだ。
 それは何の類の麻薬だったのだろうか?
 あなたはすべての病気を治療するかもしれない。
 だが、もしあなたがいまだにこの根元的な麻薬の影響下にあるなら、表面上
 の治療が何の役に立つだろう?(p461)


麻薬の影響

 あなたがカルマ、あるいは運命と呼ぶ麻薬は何なのだろうか?
 それがあなたではないものを、あなただと信じさせたのだ。
 それは何なのか?
 そしてあなたはそれから自由になれるのだろうか?
 先へと進む前に、あなたは外見上のあなたではないということ、あなたが麻
 薬の影響下にあるということを、少なくとも役に立つ説として受け入れなけ
 ればならない。
 そのときにだけ、症状を調べ、それらの共通の原因を探しだす衝動と忍耐力
 もつことだろう。
 グルがあなたに言えることは、「あなたはあなた自身についてまったくの思
 い違いをしている。あなたはあなた自身だと考えている個人ではないのだ」
 ということだけなのだ。
 誰も信じてはならない。
 たとえ自分でさえも信じてはならない。
 探求し、見つけだしなさい。
 あなたが真実の生命の水と真理の岩に達するまで、すべての憶測を取り除き、
 拒絶しなさい。
 あなたがその麻薬から解放されないかぎり、宗教や科学、祈りやヨーガは何
 の役にも立たないだろう。
 それらは誤解をもとにしているため、麻薬の影響を強めるだけなのだ。(p461)


役に立つ説

 あなたがカルマ、あるいは運命と呼ぶ麻薬は何なのだろうか?
 それがあなたではないものを、あなただと信じさせたのだ。
 それは何なのか?
 そしてあなたはそれから自由になれるのだろうか?
 先へと進む前に、あなたは外見上のあなたではないということ、あなたが麻
 薬の影響下にあるということを、少なくとも役に立つ説として受け入れなけ
 ればならない。
 そのときにだけ、症状を調べ、それらの共通の原因を探しだす衝動と忍耐力
 もつことだろう。
 グルがあなたに言えることは、「あなたはあなた自身についてまったくの思
 い違いをしている。あなたはあなた自身だと考えている個人ではないのだ」
 ということだけなのだ。
 誰も信じてはならない。
 たとえ自分でさえも信じてはならない。
 探求し、見つけだしなさい。
 あなたが真実の生命の水と真理の岩に達するまで、すべての憶測を取り除き、
 拒絶しなさい。
 あなたがその麻薬から解放されないかぎり、宗教や科学、祈りやヨーガは何
 の役にも立たないだろう。
 それらは誤解をもとにしているため、麻薬の影響を強めるだけなのだ。(p461)


内なる蒸留作用

 だがもしあなたは身体でも、マインドでも、それらの観照者でもなく、まっ
 たくすべてを超えたものだという観念とともにとどまるならば、あなたのマ
 インドは明晰性のなかで、欲望は純粋性のなかで、行為は慈愛のなかで成長
 するだろう。
 そして内なる蒸留作用が、あなたを真実と恐れのない愛の別の世界へと連れ
 ていくことだろう。(p461)


抵抗しなさい

 あなたの古い感情と思考の習慣に抵抗しなさい。
 自分自身に言いつづけなさい。
 「いいや、違う。そうはありえない。私はこんなものではない。それは私に
 必要ない。私はそれを欲しくない」と。
 そうすれば、過ちと絶望の構造全体が崩壊し、新しい人生のための基礎が開
 放される日が必ずやってくる。(p461-462)


目覚めの時間

 結局、あなたが没頭しながらしていることは目覚めの時間と、一部分、夢の
 時間のなかにあるだけだ。
 眠りのなかですべては脇にのけられ、忘れ去られているのだ。
 それはいかにあなたの目覚めの時間が重要なものではないかを示している。
 単に横になって、目を閉じることがそれを終わらせてしまうのだ。
 毎回、目覚めるという確証のまったくないまま、あなたは眠りにつく。
 しかしそれでも、あなたはその危険を受け入れいるのだ。(p462)


最悪の暴君

 今現在、あなたは快楽―苦痛の原理によって動かされている。
 それが自我なのだ。
 あなたは自我とともに生きていて、それと闘っているのではない。
 あなたは自分がいかに完全に個人的な動機によって支配されているかに気づ
 いてさえもいない。
 人はつねに自分自身に対抗しなければならない。
 なぜなら自我はゆがんだ鏡のように、制限し歪曲するからだ。
 自我はすべての暴君のなかでも最悪の暴君だ。
 それはあなたを絶対的に支配してしまうのだ。(p462)


自我

 自我は通りにロープをかけて交通を混乱させるようなものだ。
 それは単なるアイデンティティとしてそこにあるだけだ。
 巻き上げておきなさい。
 必要な時が来れば、役にも立つだろう。
 自我からの解放が真我の探求の成果なのだ。(p462)


人類の問題

 人間は時代を通して、さほどの変化をしてきたわけではない。
 人類の問題は同じものにとどまり、同じ答えを求めているのだ。
 あなたがいわゆる智慧の伝承を意識していること自体が、智慧がいまだに伝
 承されていないことを示している。
 それを得たとき、あなたはもはやそれを意識しないのだ。
 本当にあなた自身のものを意識することはない。
 あなたが意識していることは、あなたでもなければ、あなたのものでもない。
 あなたのものとは知覚の力であり、あなたが知覚しているものではない。(p463)


人の全体像

 意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
 人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
 だが、あなたは人ではないのだ。
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。(p463)


人ではない

 意識をの全体像として見なすのは間違いだ。
 は無意識であり、意識であり、超意識だ。
 だが、あなたは人ではないのだ。
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。(p463)


あなたのもの

 本当にあなた自身のものを意識することはない。
 あなたが意識していることは、あなたでもなければ、あなたのものでもない。
 あなたのものとは知覚の力であり、あなたが知覚しているものではない。
 意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
 人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
 だが、あなたは人ではないのだ。
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。(p463)


グル道しるべ

 実現していないかぎり、あなたはグルからグルへと移っていくだろう。
 だが、あなたがあなた自身を見いだしたとき、探求は終わる。
 グルとは道しるべなのだ。
 あなたが動いている間は、多くの道しるべを通り過ぎていくだろう。
 重要なのは最後の師だけだ。
 実際には、それぞれのときにおけるすべての師たちが重要であり、現在はど
 れも重要ではないのだ。(p464)


道しるべ

 実現していないかぎり、あなたはグルからグルへと移っていくだろう。
 だが、あなたがあなた自身を見いだしたとき、探求は終わる。
 グルとは道しるべなのだ。
 あなたが動いている間は、多くの道しるべを通り過ぎていくだろう。
 重要なのは最後の師だけだ。
 実際には、それぞれのときにおけるすべての師たちが重要であり、現在はど
 れも重要ではないのだ。(p464)


一歩

 すべての出来事が貢献するのだ。
 だが、どれも決定的なものではない。
 途上では、一歩一歩があなたが目的地に達するのを助ける。
 そしてどの一歩もほかの一歩と同じように決定的なものだ。
 なぜならそれぞれの一歩が避けることのできないものだからだ。
 もしそれを拒んだら、あなたは立ち往生してしまうだろう!(p464)


確信グル

 私たちは道しるべを必要としないのだろうか?
 そうであるとも、ないとも言える。
 あなたに確信がなければ必要であり、あなたが道を知っているなら必要では
 ないのだ。
 ひとたび私たちが自分自身に確かならば、技術的な点を除いて、グルはもは
 や必要ではない。(p464)


マインド道具

 あなたのマインドとは、つまり道具なのだ。
 それをどう使うのかを知らなければならない。
 あなたがどう身体を使うかを教わったように、どうやってマインドを使うか
 を知らなければならないのだ。(p464)


実在の住処(すみか)

 既知なるものは非本質的であり、未知なるものが実在の住処(すみか)だ。
 既知のなかに生きることは束縛であり、未知のなかに生きることが解放なの
 だ。(p464)


目覚めの状態

 概して、私たちは目覚めの状態をあまりにも重要視しすぎる。
 眠りがなければ目覚めの状態は不可能だ。
 眠りがなければ人は狂ってしまうか、死ぬしかない。
 なぜそれほどまでに、明らかに意識に依存している目覚めの状態を重要視す
 るのだろうか?
 霊的な修練のなかでは、意識だけではなく無意識にも注意を払わなければな
 らない。(p465)


無意識を扱う

 (無意識を扱うには)「私は在る」に気づきの焦点を合わせつづけなさい。
 あなたが在ることを覚えておきなさい。
 あなた自身を絶え間なく見守りなさい。
 そうすれば、あなたの努力なしに無意識は意識のなかに流れてくるだろう。
 誤った欲望や恐れ、偽りの観念、社会的抑制は意識との自由な相互作用を阻
 止し妨げる。
 ひとたび意識と無意識が自由に混ざりあえば、二つはひとつなり、ひとつは
 すべてとなる。
 個人は観照者のなかに溶け、観照者は気づきのなかに、気づきは純粋な存在
 のなかに溶ける。
 しかし、それでもアイデンティティは失われない。
 ただその限界が失われ変容されて、真我、サットグル(真の師)、永遠の友
 だち、そして導き手となるのだ。
 それは礼拝によって達することはできない。
 いかなる外的な活動によっても内なる自己に達することはできない。
 礼拝や祈りは表層にとどまるだけだ。
 より深層に、眠り、夢見、目覚めの状態を超えた彼方へ行くために瞑想は欠
 かせない。
 最初のうちは、試みにもむらがあるだろう。
 それからもっとたびたび起こるようになり、規則的になってくる。
 そして継続的に強烈になる。
 すべての障害が克服されるまで。(p465)


個人虚偽性

 あなたに恐れや欲望が起こったとき、誤りであり去らなければならないのは
 欲望や恐れではなく、欲望をもったり恐れたりする個人なのだ。
 欲望や恐れは完全に自然で正当なものかもしれず、それらと闘うことは要点
 をはずしている。
 それらによって動揺させられる個人が、過去と未来における誤りの原因なの
 だ。
 この個人が注意深く調べられ、その虚偽性が見られなければならない。
 そのとき、あなたに対するその支配力は終焉(しゅうえん)するだろう。
 
 結局のところ、あなたが眠りにつくたびに個人は退くのだ。
 深い眠りのなかでは、あなたは自己意識をもった個人ではない。
 それでもあなたは生きている。
 生き、意識し、しかも自己意識をもっていないとき、あなたは個人ではない
 のだ。(p466)


芝居

 目覚めている間、あなたはあたかも舞台の上で役を演じているようなものだ。
 だが、芝居が終わったときのあなたとは何だろうか?
 あなたはあなたであるものだ。
 芝居がはじまる前のあなたは、芝居が終わったときも同じままとどまる。
 あなた自身を人生の舞台の上で芝居を演じているかのように見なさい。
 演技は見事なもの、あるいは不器用なものかもしれない。
 だが、あなたはそのなかにいない。
 あなたはただ、それを見守るだけだ。
 もちろん、興味と共感をもって。
 しかし、あなたは演技しながら続いていくこの芝居――人生をただ見ている
 だけだということを、つねにマインドにとどめているのだ。(p466)


気づきの太陽

 意志、愛情、幸福、努力、悦楽は個人によって非常に深く汚されていて、信
 頼のできないものなのだ。
 旅の一番はじめから、純化と浄化が必要とされる。
 そして気づきだけがそれを与えることができるのだ。
 愛と意志について語るときは来るだろう。
 だが、その土台がまず準備されなければならない。
 まず、気づきの太陽が昇らなければならないのだ。
 ほかのすべてはそれにしたがうだろう。(p466)


ヨーガの終焉

 独立を実現すること――それがヨーガの終焉(しゅうえん)なのだ。
 起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在
 る」の源に起こるのではない。
 ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら――それを運命、神の意志、
 あるいは単なる偶然と呼ぶがいい――あなたはただ観照者としてとどまる。
 理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。(p469)


ひとりでに起こるA

 独立を実現すること――それがヨーガの終焉(しゅうえん)なのだ。
 起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在
 る」の源に起こるのではない。
 ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら――それを運命、神の意志、
 あるいは単なる偶然と呼ぶがいい――あなたはただ観照者としてとどまる。
 理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。(p469)


あなたの責任

 あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
 あなたに変えられることは、あなたの態度だけだ。
 そこにあなたの責任があるのだ。(p469)


責任態度

 あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
 あなたに変えられることは、あなたの態度だけだ。
 そこにあなたの責任があるのだ。(p469)


承諾

 すべてはあなたにかかっている。
 世界はあなたの承諾によって存在しているのだ。
 世界の実在性に対するあなたの確信を取り消しなさい。
 そうすればそれは夢のように消え去るだろう。
 時間は山でさえも消し去る。
 時間を超えた時間の源であるあなたなら、なおさらのことだ。
 なぜなら、記憶と期待なしに時間はありえないからだ。(p470)


あなたの存在

 あなたが「私は在る」と言う前に、それを言うあなたがいなければならない。
 存在が自意識である必要はない。
 在るために知る必要はない。
 だが、知るためにはあなた存在しなければならないのだ。(p470)


あなたの質問

 あなたにはあなた自身に関して正当な質問をすることはできないということ
 を理解しなさい。
 なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。
 「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。
 そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すこ
 とができるのだ。(p470)


質問

 あなたにはあなた自身に関して正当な質問をすることはできないということ
 を理解しなさい。
 なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。
 「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。
 そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すこ
 とができるのだ。(p470)


私は誰か?

 あなたにはあなた自身に関して正当な質問をすることはできないということ
 を理解しなさい。
 なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。
 「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。
 そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すこ
 とができるのだ。(p470)


あなた世界@

 あなた世界に属するのではない。
 あなた世界の中にいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像の中で世界を夢のように創造している。
 あなたあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界をもつこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
 幸福と実在を夢のなかで探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。
 すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。
 質問には終わりがないのだ。
 すべての欲望を放棄しなさい。
 マインドの沈黙を保ちなさい。
 そうすればあなたは発見するだろう。(p471)


世界に属する

 あなたは世界に属するのではない。