home > ニサルガダッタ・マハラジ辞書(『私は在る』より)


書名: 『I AM THAT 私は在る  ニサルガダッタ・マハラジとの対話

書誌:
英訳者  モーリス・フリードマン
編集者  スダカール・S・ディクッシット
翻訳者  福間 巌
発行所  株式会社ナチュラルスピリット(2005年6月8日初版発行)
       http://www.naturalspirit.co.jp/
索引:
 ニサルガダッタ・マハラジ辞書

引用:


言葉そのものが橋

 (どうすれば不変として在ることの意味を親密に知りうるかというなら)
 言葉そのものが橋なのだ。
 それを覚えておきなさい。
 それについて考えなさい。
 それを探索しなさい。
 それとともに在りなさい。
 それをあらゆる方向から見てみなさい。
 誠実な忍耐とともにそのなかに飛び込みなさい。
 すべての遅れや失望に耐えなさい。
 突然、マインドが言葉から離れ、言葉を超えた実在に向かって振り返るまで。
 それは名前だけ知っている人を探しだすようなものだ。
 あなたの探求が、あなたに彼との出会いをもたらす日がやってくる。
 そして名前は実在のものとなるのだ。(p453-454)


言葉には価値がある

 言葉には価値がある。
 なぜなら言葉とその意味との間にはきずながあり、もしたゆみなく調べれば、
 人は概念を超え、その根本にある体験のなかへと入っていくからだ。
 実際には、そのように言葉を超えていこうと繰り返し試みることが、瞑想と
 呼ばれるものなのだ。
 サーダナ(修練)とは言語から非言語へと超えていく執拗な試みにほかなら
 ない。
 その仕事は絶望的に見える。
 突然、すべてが明らかで、シンプルで、素晴らしく、たやすいものとなるま
 で。
 だが、現在の生き方に関心があるかぎり、あなたは未知へと飛び込む最後の
 機会を前にしておじけづいてしまうだろう。(p454)


現在の生き方@

 サーダナ(修練)とは言語から非言語へと超えていく執拗な試みにほかなら
 ない。
 その仕事は絶望的に見える。
 突然、すべてが明らかで、シンプルで、素晴らしく、たやすいものとなるま
 で。
 だが、現在の生き方に関心があるかぎり、あなたは未知へと飛び込む最後の
 機会を前にしておじけづいてしまうだろう。(p454)


おじけづいて

 サーダナ(修練)とは言語から非言語へと超えていく執拗な試みにほかなら
 ない。
 その仕事は絶望的に見える。
 突然、すべてが明らかで、シンプルで、素晴らしく、たやすいものとなるま
 で。
 だが、現在の生き方に関心があるかぎり、あなたは未知へと飛び込む最後の
 機会を前にしておじけづいてしまうだろう。(p454)


未知が何の役に

 (未知が何の役に立つというのか、というなら)
 まったく何の役にも立ちはしない。
 だが、何があなたを既知の狭い領域のなかに閉じ込めているのかを知ること
 は価値あることだ。
 あなたを未知へと連れだすのは、完全で正確な既知の知識なのだ。
 それを有用や有益といった条件で考えることはできない。
 静かで冷静に在り、すべての利己的な領域を超え、すべての自己中心的な考
 えを超えることは、解放のための避けることのできない条件だ。
 あなたはそれを死と呼ぶかもしれない。
 私にとって、それはもっとも意味深く、強烈な生き方だ。
 なぜなら、私はその完全性と全体性において生命とひとつだからだ。
 強烈さ、意味深さ、そして調和。
 これ以上何を求めるというのだろうか?(p454)


既知の狭い領域

 (未知が何の役に立つというのか、というなら)
 まったく何の役にも立ちはしない。
 だが、何があなたを既知の狭い領域のなかに閉じ込めているのかを知ること
 は価値あることだ。
 あなたを未知へと連れだすのは、完全で正確な既知の知識なのだ。
 それを有用や有益といった条件で考えることはできない。
 静かで冷静に在り、すべての利己的な領域を超え、すべての自己中心的な考
 えを超えることは、解放のための避けることのできない条件だ。
 あなたはそれを死と呼ぶかもしれない。
 私にとって、それはもっとも意味深く、強烈な生き方だ。
 なぜなら、私はその完全性と全体性において生命とひとつだからだ。
 強烈さ、意味深さ、そして調和。
 これ以上何を求めるというのだろうか?(p454)


これ以上何を

 (未知が何の役に立つというのか、というなら)
 まったく何の役にも立ちはしない。
 だが、何があなたを既知の狭い領域のなかに閉じ込めているのかを知ること
 は価値あることだ。
 あなたを未知へと連れだすのは、完全で正確な既知の知識なのだ。
 それを有用や有益といった条件で考えることはできない。
 静かで冷静に在り、すべての利己的な領域を超え、すべての自己中心的な考
 えを超えることは、解放のための避けることのできない条件だ。
 あなたはそれを死と呼ぶかもしれない。
 私にとって、それはもっとも意味深く、強烈な生き方だ。
 なぜなら、私はその完全性と全体性において生命とひとつだからだ。
 強烈さ、意味深さ、そして調和。
 これ以上何を求めるというのだろうか?(p454)


不可知なるもの

 不可知なるものについて語ることができるのは、沈黙だけだ。
 マインドは知っていることについてしか語れないのだ。
 もしあなたがたゆまず可知なるものを調べるなら、それは消え去り、不可知
 なるもののみが残る。
 だが、想像と興味のかすかなゆらめきが、不可知なるものを隠してしまう。
 そして既知なるものが前面に現れるのだ。
 既知なるもの、変化するものは、あなたがともに生きているものだ。
 不変なるものは、あなたにとって何の役にも立ちはしない。
 あなたが変化するものに飽き果てて、不変なるものを熱望するときだけ、マ
 インドのレベルから見たとき空や暗闇として描写できるものへと方向転換し、
 踏み込む用意ができたのだ。
 なぜならマインドは内容と多様性を求めるからだ。
 一方、実在とはマインドにとって内容物のない不変なるものなのだ。(p454)


不変なるものA

 既知なるもの、変化するものは、あなたがともに生きているものだ。
 不変なるものは、あなたにとって何の役にも立ちはしない。
 あなたが変化するものに飽き果てて、不変なるものを熱望するときだけ、マ
 インドのレベルから見たとき空や暗闇として描写できるものへと方向転換し、
 踏み込む用意ができたのだ。
 なぜならマインドは内容と多様性を求めるからだ。
 一方、実在とはマインドにとって内容物のない不変なるものなのだ。(p454)


空や暗闇として

 不変なるものは、あなたにとって何の役にも立ちはしない。
 あなたが変化するものに飽き果てて、不変なるものを熱望するときだけ、マ
 インドのレベルから見たとき空や暗闇として描写できるものへと方向転換し、
 踏み込む用意ができたのだ。
 なぜならマインドは内容と多様性を求めるからだ。
 一方、実在とはマインドにとって内容物のない不変なるものなのだ。(p454)


普通の脳では

 (内容物のない不変なるものは自分には死のように見える、というなら)
 そうだ。
 それはまたすべてに浸透し、すべてを征服した、言葉を超える強烈なものだ。
 普通の脳では、粉砕されずにそれに耐えることはできない。
 それゆえ、サーダナが絶対的に必要なのだ。
 身体の純粋さ、マインドの明晰性、非暴力、そして非利己的な人生は、知的、
 霊的な存在としての存続に欠かせないのだ。(p455)


実在アイデンティティ

 (実在のなかに存在はあるのか、というなら)
 アイデンティティ実在だ。
 実在アイデンティティなのだ。
 実在とは無形の集合や無言の混沌ではない。
 それは強力で、気づいていて、至福に満ちている。
 それと比べれば、あなたの人生など太陽に対するロウソクのようなものだ。(p455)


アイデンティティ実在

 (実在のなかに存在はあるのか、というなら)
 アイデンティティ実在だ。
 実在アイデンティティなのだ。
 実在とは無形の集合や無言の混沌ではない。
 それは強力で、気づいていて、至福に満ちている。
 それと比べれば、あなたの人生など太陽に対するロウソクのようなものだ。(p455)


太陽ロウソク

 (実在のなかに存在はあるのか、というなら)
 アイデンティティは実在だ。
 実在がアイデンティティなのだ。
 実在とは無形の集合や無言の混沌ではない。
 それは強力で、気づいていて、至福に満ちている。
 それと比べれば、あなたの人生など太陽に対するロウソクのようなものだ。(p455)


深く影響を与え

 ただ変化するものについてだけが考えられ、語ることができるのだ。
 不変なるものは、沈黙のなかでだけ認識されることができる。
 ひとたび真我が実現されたなら、それは変化するものに深く影響を与え、し
 かもそれ自体は変化しないまま残るのだ。(p455)


在るためにはA

 (自分が観照者だということをどうやって知るのか、というなら)
 私は知らない、私は在るのだ。
 私は在る、なぜなら在るためにはすべてが観照されなければならないからだ。(p455)


最終的な証明

 ついにあなたは直接、観照者が必要とされる地点に来たのだ。
 観照は、もし個人的で実際的でないなら、少なくとも可能であり実行できる
 ものでなければならない。
 直接体験が最終的な証明だ。(p455)


それ自体の証明

 (体験は不完全であり、誤りに導くというなら)
 そのとおりだ。
 だが、体験の事実がではない。
 体験が何であれ、真実であろうと偽りであろうと、体験が起こったという事
 実は否定できない。
 それはそれ自体の証明なのだ。
 あなた自身を念入りに見てみなさい。
 そうすれば意識の内容が何であれ、観照することはその内容物に依存しない
 ことがわかるだろう。
 気づきはそれ自体で在り、出来事とともに変化することはない。
 出来事は快いもの、あるいは不快なものかもしれない。
 重要なもの、あるいは重要でないものかも知れないが、気づきは同じままだ。
 純粋な気づきの固有の本質である、自己意識の痕跡(こんせき)のまったく
 ない自然な自己のアイデンティティに気づきなさい。
 そしてその核心まで行くがいい。
 するとあなたはすぐに気づきがあなたの真の本性だと自覚することだろう。
 あなたが気づくことは、何ひとつあなたのものと呼ぶことはできないのだ。(p455)


観照すること

 あなた自身を念入りに見てみなさい。
 そうすれば意識の内容が何であれ、観照することはその内容物に依存しない
 ことがわかるだろう。
 気づきはそれ自体で在り、出来事とともに変化することはない。
 出来事は快いもの、あるいは不快なものかもしれない。
 重要なもの、あるいは重要でないものかも知れないが、気づきは同じままだ。
 純粋な気づきの固有の本質である、自己意識の痕跡(こんせき)のまったく
 ない自然な自己のアイデンティティに気づきなさい。
 そしてその核心まで行くがいい。
 するとあなたはすぐに気づきがあなたの真の本性だと自覚することだろう。
 あなたが気づくことは、何ひとつあなたのものと呼ぶことはできないのだ。(p455-456)


純粋な気づきA

 気づきはそれ自体で在り、出来事とともに変化することはない。
 出来事は快いもの、あるいは不快なものかもしれない。
 重要なもの、あるいは重要でないものかも知れないが、気づきは同じままだ。
 純粋な気づきの固有の本質である、自己意識の痕跡(こんせき)のまったく
 ない自然な自己のアイデンティティに気づきなさい。
 そしてその核心まで行くがいい。
 するとあなたはすぐに気づきがあなたの真の本性だと自覚することだろう。
 あなたが気づくことは、何ひとつあなたのものと呼ぶことはできないのだ。(p455-456)


意識内容物

 (意識とその内容物はひとつであり、同じものではないか、というなら)
 意識は空に浮かぶ雲のようなものだ。
 そして雨の水滴がその内容物なのだ。
 雲が見えるためには、太陽が必要だ。
 そして意識は気づきのなかで焦点を合わせられる必要があるのだ。(p456)


好き嫌いなしに

 意識の内容が好き嫌いなしに見られたとき、その意識が気づきなのだ。
 だが、意識のなかに反映された気づきと、意識を超えた純粋な気づきとには
 違いがある。
 反映された気づき、「私は気づいている」という感覚は観照者だ。
 一方、純粋な気づきは実在の本質なのだ。
 水滴のなかの太陽の反映は、確かに太陽の反映だ。
 だが、太陽そのものではない。
 観照者として意識のなかに反映された気づきと、純粋な気づきとの間にはギ
 ャップがある。
 マインドはそれを超えることができないのだ。(p456)


純粋な気づきB

 意識の内容が好き嫌いなしに見られたとき、その意識が気づきなのだ。
 だが、意識のなかに反映された気づきと、意識を超えた純粋な気づきとには
 違いがある。
 反映された気づき、「私は気づいている」という感覚は観照者だ。
 一方、純粋な気づきは実在の本質なのだ。
 水滴のなかの太陽の反映は、確かに太陽の反映だ。
 だが、太陽そのものではない。
 観照者として意識のなかに反映された気づきと、純粋な気づきとの間にはギ
 ャップがある。
 マインドはそれを超えることができないのだ。(p456)


実在の本質

 意識の内容が好き嫌いなしに見られたとき、その意識が気づきなのだ。
 だが、意識のなかに反映された気づきと、意識を超えた純粋な気づきとには
 違いがある。
 反映された気づき、「私は気づいている」という感覚は観照者だ。
 一方、純粋な気づきは実在の本質なのだ。
 水滴のなかの太陽の反映は、確かに太陽の反映だ。
 だが、太陽そのものではない。
 観照者として意識のなかに反映された気づきと、純粋な気づきとの間にはギ
 ャップがある。
 マインドはそれを超えることができないのだ。(p456)


太陽そのもの

 意識の内容が好き嫌いなしに見られたとき、その意識が気づきなのだ。
 だが、意識のなかに反映された気づきと、意識を超えた純粋な気づきとには
 違いがある。
 反映された気づき、「私は気づいている」という感覚は観照者だ。
 一方、純粋な気づきは実在の本質なのだ。
 水滴のなかの太陽の反映は、確かに太陽の反映だ。
 だが、太陽そのものではない。
 観照者として意識のなかに反映された気づきと、純粋な気づきとの間にはギ
 ャップがある。
 マインドはそれを超えることができないのだ。(p456)


実在非実在B

 実在非実在のなかに実在を見るのだ。
 非実在をつくり出すのはマインドであり、偽りを偽りとして見るのもマイン
 ドなのだ。(p456)


実在の体験

 実在の体験というようなものはない。
 実在体験を超えているのだ。
 すべての体験はマインドのなかにある。
 実在として在ることで、あなたは実在を知るのだ。(p456)


至高の至福

 (実在がマインドも言葉も超えているのなら、なぜそれほどそれについて語
  るのかというなら)
 もちろん、その喜びのためだ。
 実在とは至高の至福だ。
 それについて語ることさえ幸福なのだ。(p456)


私もそれらを聞く

 (至福について語るとき、何をあなたは想っているのかというなら)
 私のマインドのなかには何もない。
 あなたが言葉を聞くように、私もそれらを聞くのだ。
 すべてを起こらせる力が、それをも起こらせるのだ。(p456)


象徴的な雑音

 (しかし、話しているのは、私ではなくあなたです、というなら)
 それはあなたにとってそう見えるのだ。
 私が見るには、二つの「身体―精神」が象徴的な雑音を交換しているだけだ。
 実際には、何も起こっていない。(p456)


それのみが在る

 (実在は存在するのか、それともただの概念なのか、というなら)
 それ在る。
 それのみが在るのだ。
 だが、砂漠のなかで喉の渇きで死にそうな夢を見ているあなたにとって、ベ
 ッド脇の水が何の役にも立たないように、現在のあなたの状態では、それが
 役に立つことはないだろう。
 夢が何であれ、私はあなたを夢から覚まそうとしているのだ。(p457)


ベッド脇の水

 (実在は存在するのか、それともただの概念なのか、というなら)
 それは在る。
 それのみが在るのだ。
 だが、砂漠のなかで喉の渇きで死にそうな夢を見ているあなたにとって、ベ
 ッド脇の水が何の役にも立たないように、現在のあなたの状態では、それが
 役に立つことはないだろう。
 夢が何であれ、私はあなたを夢から覚まそうとしているのだ。(p457)


あなた自身の幸福

 私はただ、不変なるものと至福に満ちたものを見いだすには、変化するもの
 と苦痛に満ちたものへのあなたの執着を放棄しなければならないと言ってい
 るだけだ。
 あなたは、あなた自身の幸福に関心がある。
 そして私は、そんなものはないと言っているのだ。
 幸福はけっしてあなた自身のものではない。
 それは「私」がないときにあるのだ。
 私はそれがあなたの手に届かないところにあると言っているのではない。
 あなたはただ、あなた自身の彼方に手を差しださなければならないのだ。
 そうすればそれを見いだすだろう。(p457)


幸福はけっして

 私はただ、不変なるものと至福に満ちたものを見いだすには、変化するもの
 と苦痛に満ちたものへのあなたの執着を放棄しなければならないと言ってい
 るだけだ。
 あなたは、あなた自身の幸福に関心がある。
 そして私は、そんなものはないと言っているのだ。
 幸福はけっしてあなた自身のものではない。
 それは「私」がないときにあるのだ。
 私はそれがあなたの手に届かないところにあると言っているのではない。
 あなたはただ、あなた自身の彼方に手を差しださなければならないのだ。
 そうすればそれを見いだすだろう。(p457)


円を描くために

 マインドは円を描くために、中心を必要とする。
 は大きく成長していくだろう。
 そして大きくなるたびに「私は在る」には変化があるだろう。
 自分自身を制御するヨーギは螺旋(らせん)を描いていく。
 しかしいかに螺旋が広大でも中心は動かない。
 この企て全体が偽りとして見られ、放棄される日がやがてやってくる。
 中心点は消え、宇宙が中心となるのだ。(p457)


放棄される日

 マインドは円を描くために、中心を必要とする。
 円は大きく成長していくだろう。
 そして大きくなるたびに「私は在る」には変化があるだろう。
 自分自身を制御するヨーギは螺旋(らせん)を描いていく。
 しかしいかに螺旋が広大でも中心は動かない。
 この企て全体が偽りとして見られ、放棄される日がやがてやってくる。
 中心点は消え、宇宙が中心となるのだ。(p457)


中心点は消え

 マインドは円を描くために、中心を必要とする。
 円は大きく成長していくだろう。
 そして大きくなるたびに「私は在る」には変化があるだろう。
 自分自身を制御するヨーギは螺旋(らせん)を描いていく。
 しかしいかに螺旋が広大でも中心は動かない。
 この企て全体が偽りとして見られ、放棄される日がやがてやってくる。
 中心点は消え、宇宙が中心となるのだ。(p457)


マインド気づきA

 あなたを救いにグルが現れるだろう。
 それまでは、あなたの人生の流れを見守ることで満足しなさい。
 もしあなたの注意深さが深く、揺るぎなく、つねに源に向いているなら、そ
 れは徐々に上昇し、突然それが源となるのだ。
 マインドではなく、気づきに仕事をまかせなさい。
 マインドはこの仕事に適した道具ではないのだ。
 永遠は永遠によってのみ到達できる。
 あなたの身体とマインドはともに時間に支配されている。
 ただ気づきだけが時間を超えている。
 それは今でさえ超えているのだ。
 気づきのなかで、あなたは事実に直面する。
 実在は事実を好むのだ。(p458)


時間気づき

 永遠は永遠によってのみ到達できる。
 あなたの身体とマインドはともに時間に支配されている。
 ただ気づきだけが時間を超えている。
 それは今でさえ超えているのだ。
 気づきのなかで、あなたは事実に直面する。
 実在は事実を好むのだ。(p458)


気づき事実

 マインドではなく、気づきに仕事をまかせなさい。
 マインドはこの仕事に適した道具ではないのだ。
 永遠は永遠によってのみ到達できる。
 あなたの身体とマインドはともに時間に支配されている。
 ただ気づきだけが時間を超えている。
 それは今でさえ超えているのだ。
 気づきのなかで、あなたは事実に直面する。
 実在は事実を好むのだ。(p458)


無数の神々

 そこには無数の神々が、それぞれ彼らの宇宙のなかにいる。
 彼らは永遠に創造し、再創造している。
 あなたは彼らが救いの手を差しのべるのを待っているのかね?
 解放に必要なことは、すでにあなたの手の届くところにあるのだ。
 それを使いなさい。
 あなたの知っていることを、その果てまで調べるがいい。
 そうすれば、あなたは存在の未知の層に達するだろう。
 さらに進んでいきなさい。
 すると、あなたのなかで予期せぬ爆発が起こる。
 そしてすべてを粉砕し尽くすだろう。(p458)


存在の未知の層

 そこには無数の神々が、それぞれ彼らの宇宙のなかにいる。
 彼らは永遠に創造し、再創造している。
 あなたは彼らが救いの手を差しのべるのを待っているのかね?
 解放に必要なことは、すでにあなたの手の届くところにあるのだ。
 それを使いなさい。
 あなたの知っていることを、その果てまで調べるがいい。
 そうすれば、あなたは存在の未知の層に達するだろう。
 さらに進んでいきなさい。
 すると、あなたのなかで予期せぬ爆発が起こる。
 そしてすべてを粉砕し尽くすだろう。(p458)


予期せぬ爆発

 そこには無数の神々が、それぞれ彼らの宇宙のなかにいる。
 彼らは永遠に創造し、再創造している。
 あなたは彼らが救いの手を差しのべるのを待っているのかね?
 解放に必要なことは、すでにあなたの手の届くところにあるのだ。
 それを使いなさい。
 あなたの知っていることを、その果てまで調べるがいい。
 そうすれば、あなたは存在の未知の層に達するだろう。
 さらに進んでいきなさい。
 すると、あなたのなかで予期せぬ爆発が起こる。
 そしてすべてを粉砕し尽くすだろう。
 
 (それは死を意味するのか、というなら)
 それは、ついに生を意味するのだ。
(p458)


至高のグル

 あなたの意識のなかで起こることすべてがあなたのグルなのだ。
 そしてその意識を超えた純粋な覚醒が至高のグルだ。(p459)


真我の実現個人

 真我の実現とは、あなたが個人ではないという事実なのだ。
 それゆえ真我の実現は、消え去る運命にある個人の義務ではありえない。
 運命とは自分を個人だと想像する人の義務なのだ。
 その人とは誰なのかを見いだしなさい。
 そうすれば想像された個人は消え去るだろう。(p459)


運命A

 運命とは自分を個人だと想像する人の義務なのだ。
 その人とは誰なのかを見いだしなさい。
 そうすれば想像された個人は消え去るだろう。(p459)


自由A

 自由とは何かからの自由だ。
 あなたは何から自由になるというのだろう?
 明らかに、あなたは自分自身だと思いこんでいる個人から自由にならなけれ
 ばならないのだ。
 なぜなら、あなたが自分自身に関してもっている観念、それがあなたを束縛
 しているからだ。(p459)


決意によって

 (個人が取り除かれるのは)決意によってだ。
 それは取り除かなければならないものだということを理解しなさい。
 そしてそれが去ることを願いなさい――もしあなたが真剣ならば、それは去
 るだろう。
 誰でもいいが、誰かがあなたに、あなたは「身体―精神」ではなく、純粋な
 意識だと告げるだろう。
 それを可能性として受け入れなさい。
 そして真剣に調べてみなさい。
 あなたは、空間と時間に拘束された個人ではないと発見するかもしれない。
 それがどれほどの違いをもたらすことか、考えてみるがいい!(p459)


真の本性

 あなたの真の本性は、あなたの外見とは異なるのだ。
 個人として在るという考えを放棄しなさい。
 ただそれだけだ。
 すでにあなたで在るものになる必要はないのだ。
 本来のあなたとしてのアイデンティティがあり、その上に個人が重ねられて
 いるのだ。
 あなたが知っているのは個人だけだ。
 個人ではないアイデンティティをあなたは知らない。
 なぜならあなたはけっして疑ったことがなく、「私は誰か?」という決定的
 な疑問を自分に問いかけたことがなかったからだ。
 アイデンティティとは個人を観照する者だ。
 そしてサーダナ(修練)とは表面的で変化し続ける個人から、普遍で常在の
 観照者に視点を移行させることにあるのだ。(p460)


必要なエネルギー

 もしあなたが苦しみと苦しみからの解放の問題をもっていなければ、真我の
 探求に必要なエネルギーと持続力をもてないだろう。
 あなたに危機をつくり出すことはできない。
 それは真正なものでなければならないのだ。(p460)


真正な危機

 それ(真正な危機)はつねに起こっている。
 だが、あなたは充分に気づいていないのだ。
 隣人の顔の影、計り知れない、至るところに浸透している存在の悲しみは、
 あなたの人生における普遍の要因なのだ。
 あなたは苦しみ、また他者の苦しむのを見ている。
 だが、あなたが反応しないだけなのだ。(p460)


解き放つ扉

 あなたを閉じこめているはまた、あなたを解き放つ扉でもあるのだ。
 「私は在る」がだ。
 それが開くまで、そこにとどまりなさい。
 実際のところ、それは開いている。
 ただ、あなたがそこにいないだけなのだ。
 あなたは、実際には存在せず、けっして開くことのない描かれたの前で待
 っているのだ。(p460)


麻薬

 麻薬が脳とマインドに影響を与え、そして約束されたあらゆる類(たぐい)
 の奇妙な体験をあなたに与えることは疑いのないことだ。
 だが、悲しみと恐れのなかに生まれ、来ることも続くこともない幸福の探求
 を生きるという、このもっとも尋常でない体験を与える麻薬に比べれば、そ
 れらすべての麻薬が何だというのだろう?
 この麻薬の本質について調べ、その解毒剤を発見すべきだ。
 
 誕生、人生、死――これらはひとつのものだ。
 何がこれらの原因なのかを発見しなさい。
 あなたは生まれる前に、すでに麻薬を飲まされていたのだ。
 それは何の類の麻薬だったのだろうか?
 あなたはすべての病気を治療するかもしれない。
 だが、もしあなたがいまだにこの根元的な麻薬の影響下にあるなら、表面上
 の治療が何の役に立つだろう?(p461)


麻薬の影響

 あなたがカルマ、あるいは運命と呼ぶ麻薬は何なのだろうか?
 それがあなたではないものを、あなただと信じさせたのだ。
 それは何なのか?
 そしてあなたはそれから自由になれるのだろうか?
 先へと進む前に、あなたは外見上のあなたではないということ、あなたが麻
 薬の影響下にあるということを、少なくとも役に立つ説として受け入れなけ
 ればならない。
 そのときにだけ、症状を調べ、それらの共通の原因を探しだす衝動と忍耐力
 もつことだろう。
 グルがあなたに言えることは、「あなたはあなた自身についてまったくの思
 い違いをしている。あなたはあなた自身だと考えている個人ではないのだ」
 ということだけなのだ。
 誰も信じてはならない。
 たとえ自分でさえも信じてはならない。
 探求し、見つけだしなさい。
 あなたが真実の生命の水と真理の岩に達するまで、すべての憶測を取り除き、
 拒絶しなさい。
 あなたがその麻薬から解放されないかぎり、宗教や科学、祈りやヨーガは何
 の役にも立たないだろう。
 それらは誤解をもとにしているため、麻薬の影響を強めるだけなのだ。(p461)


役に立つ説

 あなたがカルマ、あるいは運命と呼ぶ麻薬は何なのだろうか?
 それがあなたではないものを、あなただと信じさせたのだ。
 それは何なのか?
 そしてあなたはそれから自由になれるのだろうか?
 先へと進む前に、あなたは外見上のあなたではないということ、あなたが麻
 薬の影響下にあるということを、少なくとも役に立つ説として受け入れなけ
 ればならない。
 そのときにだけ、症状を調べ、それらの共通の原因を探しだす衝動と忍耐力
 もつことだろう。
 グルがあなたに言えることは、「あなたはあなた自身についてまったくの思
 い違いをしている。あなたはあなた自身だと考えている個人ではないのだ」
 ということだけなのだ。
 誰も信じてはならない。
 たとえ自分でさえも信じてはならない。
 探求し、見つけだしなさい。
 あなたが真実の生命の水と真理の岩に達するまで、すべての憶測を取り除き、
 拒絶しなさい。
 あなたがその麻薬から解放されないかぎり、宗教や科学、祈りやヨーガは何
 の役にも立たないだろう。
 それらは誤解をもとにしているため、麻薬の影響を強めるだけなのだ。(p461)


内なる蒸留作用

 だがもしあなたは身体でも、マインドでも、それらの観照者でもなく、まっ
 たくすべてを超えたものだという観念とともにとどまるならば、あなたのマ
 インドは明晰性のなかで、欲望は純粋性のなかで、行為は慈愛のなかで成長
 するだろう。
 そして内なる蒸留作用が、あなたを真実と恐れのない愛の別の世界へと連れ
 ていくことだろう。(p461)


抵抗しなさい

 あなたの古い感情と思考の習慣に抵抗しなさい。
 自分自身に言いつづけなさい。
 「いいや、違う。そうはありえない。私はこんなものではない。それは私に
 必要ない。私はそれを欲しくない」と。
 そうすれば、過ちと絶望の構造全体が崩壊し、新しい人生のための基礎が開
 放される日が必ずやってくる。(p461-462)


目覚めの時間

 結局、あなたが没頭しながらしていることは目覚めの時間と、一部分、夢の
 時間のなかにあるだけだ。
 眠りのなかですべては脇にのけられ、忘れ去られているのだ。
 それはいかにあなたの目覚めの時間が重要なものではないかを示している。
 単に横になって、目を閉じることがそれを終わらせてしまうのだ。
 毎回、目覚めるという確証のまったくないまま、あなたは眠りにつく。
 しかしそれでも、あなたはその危険を受け入れいるのだ。(p462)


最悪の暴君

 今現在、あなたは快楽―苦痛の原理によって動かされている。
 それが自我なのだ。
 あなたは自我とともに生きていて、それと闘っているのではない。
 あなたは自分がいかに完全に個人的な動機によって支配されているかに気づ
 いてさえもいない。
 人はつねに自分自身に対抗しなければならない。
 なぜなら自我はゆがんだ鏡のように、制限し歪曲するからだ。
 自我はすべての暴君のなかでも最悪の暴君だ。
 それはあなたを絶対的に支配してしまうのだ。(p462)


自我

 自我は通りにロープをかけて交通を混乱させるようなものだ。
 それは単なるアイデンティティとしてそこにあるだけだ。
 巻き上げておきなさい。
 必要な時が来れば、役にも立つだろう。
 自我からの解放が真我の探求の成果なのだ。(p462)


人類の問題

 人間は時代を通して、さほどの変化をしてきたわけではない。
 人類の問題は同じものにとどまり、同じ答えを求めているのだ。
 あなたがいわゆる智慧の伝承を意識していること自体が、智慧がいまだに伝
 承されていないことを示している。
 それを得たとき、あなたはもはやそれを意識しないのだ。
 本当にあなた自身のものを意識することはない。
 あなたが意識していることは、あなたでもなければ、あなたのものでもない。
 あなたのものとは知覚の力であり、あなたが知覚しているものではない。(p463)


人の全体像

 意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
 人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
 だが、あなたは人ではないのだ。
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。(p463)


人ではない

 意識をの全体像として見なすのは間違いだ。
 は無意識であり、意識であり、超意識だ。
 だが、あなたは人ではないのだ。
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。(p463)


あなたのもの

 本当にあなた自身のものを意識することはない。
 あなたが意識していることは、あなたでもなければ、あなたのものでもない。
 あなたのものとは知覚の力であり、あなたが知覚しているものではない。
 意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
 人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
 だが、あなたは人ではないのだ。
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。(p463)


映画のスクリーンA

 本当にあなた自身のものを意識することはない。
 あなたが意識していることは、あなたでもなければ、あなたのものでもない。
 あなたのものとは知覚の力であり、あなたが知覚しているものではない。
 意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
 人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
 だが、あなたは人ではないのだ。
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。(p463)


グル道しるべ

 実現していないかぎり、あなたはグルからグルへと移っていくだろう。
 だが、あなたがあなた自身を見いだしたとき、探求は終わる。
 グルとは道しるべなのだ。
 あなたが動いている間は、多くの道しるべを通り過ぎていくだろう。
 重要なのは最後の師だけだ。
 実際には、それぞれのときにおけるすべての師たちが重要であり、現在はど
 れも重要ではないのだ。(p464)


道しるべ

 実現していないかぎり、あなたはグルからグルへと移っていくだろう。
 だが、あなたがあなた自身を見いだしたとき、探求は終わる。
 グルとは道しるべなのだ。
 あなたが動いている間は、多くの道しるべを通り過ぎていくだろう。
 重要なのは最後の師だけだ。
 実際には、それぞれのときにおけるすべての師たちが重要であり、現在はど
 れも重要ではないのだ。(p464)


一歩

 すべての出来事が貢献するのだ。
 だが、どれも決定的なものではない。
 途上では、一歩一歩があなたが目的地に達するのを助ける。
 そしてどの一歩もほかの一歩と同じように決定的なものだ。
 なぜならそれぞれの一歩が避けることのできないものだからだ。
 もしそれを拒んだら、あなたは立ち往生してしまうだろう!(p464)


確信グル

 私たちは道しるべを必要としないのだろうか?
 そうであるとも、ないとも言える。
 あなたに確信がなければ必要であり、あなたが道を知っているなら必要では
 ないのだ。
 ひとたび私たちが自分自身に確かならば、技術的な点を除いて、グルはもは
 や必要ではない。(p464)


マインド道具

 あなたのマインドとは、つまり道具なのだ。
 それをどう使うのかを知らなければならない。
 あなたがどう身体を使うかを教わったように、どうやってマインドを使うか
 を知らなければならないのだ。(p464)


実在の住処(すみか)

 既知なるものは非本質的であり、未知なるものが実在の住処(すみか)だ。
 既知のなかに生きることは束縛であり、未知のなかに生きることが解放なの
 だ。(p464)


目覚めの状態@

 概して、私たちは目覚めの状態をあまりにも重要視しすぎる。
 眠りがなければ目覚めの状態は不可能だ。
 眠りがなければ人は狂ってしまうか、死ぬしかない。
 なぜそれほどまでに、明らかに意識に依存している目覚めの状態を重要視す
 るのだろうか?
 霊的な修練のなかでは、意識だけではなく無意識にも注意を払わなければな
 らない。(p465)


無意識を扱う

 (無意識を扱うには)「私は在る」に気づきの焦点を合わせつづけなさい。
 あなたが在ることを覚えておきなさい。
 あなた自身を絶え間なく見守りなさい。
 そうすれば、あなたの努力なしに無意識は意識のなかに流れてくるだろう。
 誤った欲望や恐れ、偽りの観念、社会的抑制は意識との自由な相互作用を阻
 止し妨げる。
 ひとたび意識と無意識が自由に混ざりあえば、二つはひとつなり、ひとつは
 すべてとなる。
 個人は観照者のなかに溶け、観照者は気づきのなかに、気づきは純粋な存在
 のなかに溶ける。
 しかし、それでもアイデンティティは失われない。
 ただその限界が失われ変容されて、真我、サットグル(真の師)、永遠の友
 だち、そして導き手となるのだ。
 それは礼拝によって達することはできない。
 いかなる外的な活動によっても内なる自己に達することはできない。
 礼拝や祈りは表層にとどまるだけだ。
 より深層に、眠り、夢見、目覚めの状態を超えた彼方へ行くために瞑想は欠
 かせない。
 最初のうちは、試みにもむらがあるだろう。
 それからもっとたびたび起こるようになり、規則的になってくる。
 そして継続的に強烈になる。
 すべての障害が克服されるまで。(p465)


気づきの焦点

 (どのように無意識を扱うのか、というなら)
 「私は在る」に気づきの焦点を合わせつづけなさい。
 あなたが在ることを覚えておきなさい。
 あなた自身を絶え間なく見守りなさい。
 そうすれば、あなたの努力なしに無意識は意識のなかに流れてくるだろう。
 誤った欲望や恐れ、偽りの観念、社会的抑制は意識との自由な相互作用を阻
 止し妨げる。
 ひとたび意識と無意識が自由に混ざりあえば、二つはひとつなり、ひとつは
 すべてとなる。
 個人は観照者のなかに溶け、観照者は気づきのなかに、気づきは純粋な存在
 のなかに溶ける。
 しかし、それでもアイデンティティは失われない。
 ただその限界が失われ変容されて、真我、サットグル(真の師)、永遠の友
 だち、そして導き手となるのだ。(p465)


「私は在る」

 「私は在る」に気づきの焦点を合わせつづけなさい。
 あなたが在ることを覚えておきなさい。
 あなた自身を絶え間なく見守りなさい。
 そうすれば、あなたの努力なしに無意識は意識のなかに流れてくるだろう。
 誤った欲望や恐れ、偽りの観念、社会的抑制は意識との自由な相互作用を阻
 止し妨げる。
 ひとたび意識と無意識が自由に混ざりあえば、二つはひとつなり、ひとつは
 すべてとなる。
 個人は観照者のなかに溶け、観照者は気づきのなかに、気づきは純粋な存在
 のなかに溶ける。
 しかし、それでもアイデンティティは失われない。
 ただその限界が失われ変容されて、真我、サットグル(真の師)、永遠の友
 だち、そして導き手となるのだ。(p465)


意識無意識B

 (どのように無意識を扱うのか、というなら)
 「私は在る」に気づきの焦点を合わせつづけなさい。
 あなたが在ることを覚えておきなさい。
 あなた自身を絶え間なく見守りなさい。
 そうすれば、あなたの努力なしに無意識意識のなかに流れてくるだろう。
 誤った欲望や恐れ、偽りの観念、社会的抑制は意識との自由な相互作用を阻
 止し妨げる。
 ひとたび意識無意識が自由に混ざりあえば、二つはひとつなり、ひとつは
 すべてとなる。
 個人は観照者のなかに溶け、観照者は気づきのなかに、気づきは純粋な存在
 のなかに溶ける。
 しかし、それでもアイデンティティは失われない。
 ただその限界が失われ変容されて、真我、サットグル(真の師)、永遠の友
 だち、そして導き手となるのだ。(p465)


何が私を意識的に

 あなたの注意を「何が私を意識的にするのだろうか?」という質問に注ぎな
 さい。
 あなたのマインドが質問そのものとなり、ほかの何も考えることができなく
 なるまで。(p465)


個人虚偽性

 あなたに恐れや欲望が起こったとき、誤りであり去らなければならないのは
 欲望や恐れではなく、欲望をもったり恐れたりする個人なのだ。
 欲望や恐れは完全に自然で正当なものかもしれず、それらと闘うことは要点
 をはずしている。
 それらによって動揺させられる個人が、過去と未来における誤りの原因なの
 だ。
 この個人が注意深く調べられ、その虚偽性が見られなければならない。
 そのとき、あなたに対するその支配力は終焉(しゅうえん)するだろう。
 
 結局のところ、あなたが眠りにつくたびに個人は退くのだ。
 深い眠りのなかでは、あなたは自己意識をもった個人ではない。
 それでもあなたは生きている。
 生き、意識し、しかも自己意識をもっていないとき、あなたは個人ではない
 のだ。(p466)


芝居

 目覚めている間、あなたはあたかも舞台の上で役を演じているようなものだ。
 だが、芝居が終わったときのあなたとは何だろうか?
 あなたはあなたであるものだ。
 芝居がはじまる前のあなたは、芝居が終わったときも同じままとどまる。
 あなた自身を人生の舞台の上で芝居を演じているかのように見なさい。
 演技は見事なもの、あるいは不器用なものかもしれない。
 だが、あなたはそのなかにいない。
 あなたはただ、それを見守るだけだ。
 もちろん、興味と共感をもって。
 しかし、あなたは演技しながら続いていくこの芝居――人生をただ見ている
 だけだということを、つねにマインドにとどめているのだ。(p466)


気づきの太陽

 意志、愛情、幸福、努力、悦楽は個人によって非常に深く汚されていて、信
 頼のできないものなのだ。
 旅の一番はじめから、純化と浄化が必要とされる。
 そして気づきだけがそれを与えることができるのだ。
 愛と意志について語るときは来るだろう。
 だが、その土台がまず準備されなければならない。
 まず、気づきの太陽が昇らなければならないのだ。
 ほかのすべてはそれにしたがうだろう。(p466)


言語上の宇宙

 気をつけなさい。
 あなたは話しはじめると言語上の宇宙をつくり出すのだ。
 言葉、概念、観念そして抽象の宇宙を。
 相互に依存しあい、織り込まれ、もっとも素晴らしく生成され、互いに支持
 しあい、説明しあってはいる。
 それにも関わらず、それには本質も実体もない、単なるマインドの創造物な
 のだ。
 言葉は言葉をつくり出す。
 実在は沈黙しているのだ。(p467)


言葉実体

 あなたが聞いているということは事実だ。
 あなたが聞くことは――それではない。
 事実は体験できる。
 その意味においては、その言葉の音とそれが引き起こす精神的波紋は体験さ
 れる。
 それ以外の実体がその背後にあるわけではない。
 その意味は記憶されるための、純粋に慣習的なものだ。
 言語は繰り返し実践されなければ簡単に忘れ去られてしまうものだ。(p468)


言葉意味

 あなたが聞いているということは事実だ。
 あなたが聞くことは――それではない。
 事実は体験できる。
 その意味においては、その言葉の音とそれが引き起こす精神的波紋は体験さ
 れる。
 それ以外の実体がその背後にあるわけではない。
 その意味は記憶されるための、純粋に慣習的なものだ。
 言語は繰り返し実践されなければ簡単に忘れ去られてしまうものだ。(p468)


言葉目的

 言葉は個人間の相互伝達というかぎられた目的に使われている。
 言葉は事実を伝えるわけではない。
 それは信号を送るのだ。
 ひとたびあなたが個人を超えれば、言葉は必要ない。(p468)


言葉個人

 言葉個人間の相互伝達というかぎられた目的に使われている。
 言葉は事実を伝えるわけではない。
 それは信号を送るのだ。
 ひとたびあなたが個人を超えれば、言葉は必要ない。(p468)


言葉や質問

 言葉や質問はマインドから起こり、あなたをそこにくいとめる。
 マインドを超えていくには、沈黙し、静かにしなければならない。
 平和と沈黙。
 沈黙と平和。
 これが彼方への道なのだ。
 質問はやめなさい。(p468)


彼方への道

 言葉や質問はマインドから起こり、あなたをそこにくいとめる。
 マインドを超えていくには、沈黙し、静かにしなければならない。
 平和と沈黙。
 沈黙と平和。
 これが彼方への道なのだ。
 質問はやめなさい。(p468)


存在のハート

 (ひとたび質問をあきらめたら)
 あなたの存在の中心が意識のなかに現れるのを待つのだ。
 眠り、夢見、目覚めの三つの状態はすべて意識のなかに現れる。
 時が来れば、あなたが無意識と呼ぶ状態も現れるだろう。
 意識全体を超えたところに非顕現がある。
 そしてすべてを超え、すべてに遍在する存在のハートは顕現―非顕現、顕現
 ―非顕現(サグナ―ニルグナ)、と脈々と鼓動しているのだ。(p468)


存在のハート

 (ひとたび質問をあきらめたら)
 あなたの存在の中心が意識のなかに現れるのを待つのだ。
 眠り、夢見、目覚めの三つの状態はすべて意識のなかに現れる。
 時が来れば、あなたが無意識と呼ぶ状態も現れるだろう。
 意識全体を超えたところに非顕現がある。
 そしてすべてを超え、すべてに遍在する存在のハートは顕現―非顕現、顕現
 ―非顕現(サグナ―ニルグナ)、と脈々と鼓動しているのだ。(p468)


独立を実現する

 独立を実現すること――それがヨーガの終焉(しゅうえん)なのだ。
 起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在
 る」の源に起こるのではない。
 ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら――それを運命、神の意志、
 あるいは単なる偶然と呼ぶがいい――あなたはただ観照者としてとどまる。
 理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。(p469)


ヨーガの終焉

 独立を実現すること――それがヨーガの終焉(しゅうえん)なのだ。
 起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在
 る」の源に起こるのではない。
 ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら――それを運命、神の意志、
 あるいは単なる偶然と呼ぶがいい――あなたはただ観照者としてとどまる。
 理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。(p469)


起こることすべては@

 独立を実現すること――それがヨーガの終焉(しゅうえん)なのだ。
 起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在
 る」の源に起こるのではない。
 ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら――それを運命、神の意志、
 あるいは単なる偶然と呼ぶがいい――あなたはただ観照者としてとどまる。
 理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。(p469)


マインドにとって

 独立を実現すること――それがヨーガの終焉(しゅうえん)なのだ。
 起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在
 る」の源に起こるのではない。
 ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら――それを運命、神の意志、
 あるいは単なる偶然と呼ぶがいい――あなたはただ観照者としてとどまる。
 理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。(p469)


ひとりでに起こるA

 独立を実現すること――それがヨーガの終焉(しゅうえん)なのだ。
 起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在
 る」の源に起こるのではない。
 ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら――それを運命、神の意志、
 あるいは単なる偶然と呼ぶがいい――あなたはただ観照者としてとどまる。
 理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。(p469)


あなたの責任

 あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
 あなたに変えられることは、あなたの態度だけだ。
 そこにあなたの責任があるのだ。(p469)


責任態度

 あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
 あなたに変えられることは、あなたの態度だけだ。
 そこにあなたの責任があるのだ。(p469)


次の食事を楽しむ

 (他者の悲しみに無関心でいるように勧めるのか、というなら)
 あなたが無関心でないということではない。
 人類全体の苦しみはあなたが次の食事を楽しむことを妨げはしない。
 観照者は無関心ではない。
 彼は理解と慈悲に満ちている。
 ただ観照者としてのみ、あなたは他の人びとを助けられるのだ。(p469)


無関心観照者

 (他者の悲しみに無関心でいるように勧めるのか、というなら)
 あなたが無関心でないということではない。
 人類全体の苦しみはあなたが次の食事を楽しむことを妨げはしない。
 観照者無関心ではない。
 彼は理解と慈悲に満ちている。
 ただ観照者としてのみ、あなたは他の人びとを助けられるのだ。(p469)


観照者としてのみ

 (他者の悲しみに無関心でいるように勧めるのか、というなら)
 あなたが無関心でないということではない。
 人類全体の苦しみはあなたが次の食事を楽しむことを妨げはしない。
 観照者は無関心ではない。
 彼は理解と慈悲に満ちている。
 ただ観照者としてのみ、あなたは他の人びとを助けられるのだ。(p469)


マインド言語

 マインド言語を形づくり、言語マインドを形づくる。
 どちらも道具なのだ。
 それを使うがいい。
 だが、誤用してはいけない。
 言葉はそれらの限界まであなたを連れていくことができる。
 それを超えるには、言葉は放棄されなければならない。
 沈黙の観照者としてのみとどまりなさい。(p469)


沈黙の観照者

 マインドは言語を形づくり、言語がマインドを形づくる。
 どちらも道具なのだ。
 それを使うがいい。
 だが、誤用してはいけない。
 言葉はそれらの限界まであなたを連れていくことができる。
 それを超えるには、言葉は放棄されなければならない。
 沈黙の観照者としてのみとどまりなさい。(p469)


捕らわれてしまうのは

 (沈黙の観照者としてとどまるのを世界が邪魔するというなら)
 それは、世界に影響されるのに充分なほど、あなたが大きいと考えているか
 らだ。
 そうではない。
 何ものもピンで留めることができないほど、あなたは小さいのだ。
 捕らわれてしまうのはあなたのマインドであって、あなたではない。
 次元と時間を超えた意識内の単なる点としての、あるがままのあなたを知り
 なさい。(p469)


鉛筆の先の点

 (沈黙の観照者としてとどまるのを世界が邪魔するというなら)
 それは、世界に影響されるのに充分なほど、あなたが大きいと考えているか
 らだ。
 そうではない。
 何ものもピンで留めることができないほど、あなたは小さいのだ。
 捕らわれてしまうのはあなたのマインドであって、あなたではない。
 次元と時間を超えた意識内の単なるとしての、あるがままのあなたを知り
 なさい。
 あなたは鉛筆の先の点のようなものだ。
 あなたと接触するだけで、マインドは世界の絵を描き出す。
 あなたは単一で単純だ。
 絵は複雑で大規模なものだ。
 絵に惑わされてはならない。
 小さなに気づきつづけなさい。
 そのは絵のなかのどこにでもあるのだ。(p469-470)


単純複雑

 あなたは鉛筆の先の点のようなものだ。
 あなたと接触するだけで、マインドは世界の絵を描き出す。
 あなたは単一で単純だ。
 絵は複雑で大規模なものだ。
 絵に惑わされてはならない。
 小さな点に気づきつづけなさい。
 その点は絵のなかのどこにでもあるのだ。(p469-470)


自由であるもの

 在るものが在ることをやめることはできる。
 ないものは存在のなかに現れることができる。
 しかし、在ることもないこともなく、存在と非存在がともに依存するそれは、
 否定することのできないものだ。
 あなた自身を、欲望と恐れの原因であり、しかもその両方から自由であるも
 のだと知りなさい。(p470)


承諾によって

 すべてはあなたにかかっている。
 世界はあなたの承諾によって存在しているのだ。
 世界の実在性に対するあなたの確信を取り消しなさい。
 そうすればそれは夢のように消え去るだろう。
 時間は山でさえも消し去る。
 時間を超えた時間の源であるあなたなら、なおさらのことだ。
 なぜなら、記憶と期待なしに時間はありえないからだ。(p470)


世界の実在性@

 すべてはあなたにかかっている。
 世界はあなたの承諾によって存在しているのだ。
 世界の実在性に対するあなたの確信を取り消しなさい。
 そうすればそれは夢のように消え去るだろう。
 時間は山でさえも消し去る。
 時間を超えた時間の源であるあなたなら、なおさらのことだ。
 なぜなら、記憶と期待なしに時間はありえないからだ。(p470)


時間の源

 すべてはあなたにかかっている。
 世界はあなたの承諾によって存在しているのだ。
 世界の実在性に対するあなたの確信を取り消しなさい。
 そうすればそれは夢のように消え去るだろう。
 時間は山でさえも崩し去る。
 時間を超えた時間の源であるあなたなら、なおさらのことだ。
 なぜなら、記憶と期待なしに時間はありえないからだ。(p470)


記憶と期待なしに

 すべてはあなたにかかっている。
 世界はあなたの承諾によって存在しているのだ。
 世界の実在性に対するあなたの確信を取り消しなさい。
 そうすればそれは夢のように消え去るだろう。
 時間は山でさえも崩し去る。
 時間を超えた時間の源であるあなたなら、なおさらのことだ。
 なぜなら、記憶と期待なしに時間はありえないからだ。(p470)


あなたが存在しなければならない

 あなたが「私は在る」と言う前に、それを言うあなたがいなければならない。
 存在が自意識である必要はない。
 在るために知る必要はない。
 だが、知るためにはあなたが存在しなければならないのだ。(p470)


あなたの質問

 あなたにはあなた自身に関して正当な質問をすることはできないということ
 を理解しなさい。
 なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。
 「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。
 そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すこ
 とができるのだ。(p470)


正当な質問

 あなたにはあなた自身に関して正当な質問をすることはできないということ
 を理解しなさい。
 なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。
 「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。
 そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すこ
 とができるのだ。(p470)


尋ねているその人

 あなたにはあなた自身に関しての正当な質問をすることはできないというこ
 とを理解しなさい。
 なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。
 「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。
 そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すこ
 とができるのだ。(p470)


「私は誰か?」

 あなたにはあなた自身に関して正当な質問をすることはできないということ
 を理解しなさい。
 なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。
 「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。
 そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すこ
 とができるのだ。(p470)


あなたであるもの

 あなたであるものを、あなたは見いださなければならない。
 私にはあなたが何ではないかを言うことができるだけだ。
 あなたは世界に属するのではない。
 あなたは世界のなかにいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像のなかで世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界を持つこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
 幸福と実在を夢のなかに探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。
 すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。
 質問には終わりがないのだ。
 すべての欲望を放棄しなさい。
 マインドの沈黙を保ちなさい。
 そうすればあなたは発見するだろう。(p470)


あなた世界@

 あなた世界に属するのではない。
 あなた世界の中にいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像の中で世界を夢のように創造している。
 あなたあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界をもつこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
 幸福と実在を夢のなかで探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。
 すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。
 質問には終わりがないのだ。
 すべての欲望を放棄しなさい。
 マインドの沈黙を保ちなさい。
 そうすればあなたは発見するだろう。(p471)


世界に属する

 あなたは世界に属するのではない。
 あなたは世界の中にいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像の中で世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界をもつこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
 幸福と実在を夢のなかで探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。(p471)


属する

 あなたは世界に属するのではない。
 あなたは世界の中にいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像の中で世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界をもつこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。(p471)


あなただけが在るA

 あなたは世界に属するのではない。
 あなたは世界のなかにいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像のなかで世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界を持つこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
 幸福と実在を夢のなかに探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。
 すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。
 質問には終わりがないのだ。
 すべての欲望を放棄しなさい。
 マインドの沈黙を保ちなさい。
 そうすればあなたは発見するだろう。(p471)


独立しているのは

 あなたは世界に属するのではない。
 あなたは世界の中にいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像の中で世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界をもつこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。(p471)


「なぜ」

 幸福と実在を夢のなかで探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。
 すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。
 質問には終わりがないのだ。
 すべての欲望を放棄しなさい。
 マインドの沈黙を保ちなさい。
 そうすればあなたは発見するだろう。(p471)


マインドの沈黙

 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
 幸福と実在を夢のなかに探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。
 すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。
 質問には終わりがないのだ。
 すべての欲望を放棄しなさい。
 マインドの沈黙を保ちなさい。
 そうすればあなたは発見するだろう。(p471)


眠っている

 私にとっては、(目覚め、夢見、眠りの)三つの状態すべてが眠りなのだ。
 私の目覚めの状態はそれらを超えている。
 私があなた方を見ると、あなた方は皆、眠っているように見える。
 私は気づいている。
 なぜなら、私は何も想像しないからだ。
 それは眠りの一種であるサマーディではない。
 それはただマインドの影響を受けない。
 過去と未来から自由な状態だ。
 あなたの場合、それは欲望と恐れ、記憶と期待に歪められている。
 私の場合、それはありのままの正常な状態だ。
 個人として在ることとは、眠っていることなのだ。(p472)


個人として在る

 私にとっては、(目覚め、夢見、眠りの)三つの状態すべてが眠りなのだ。
 私の目覚めの状態はそれらを超えている。
 私があなた方を見ると、あなた方は皆、眠っているように見える。
 私は気づいている。
 なぜなら、私は何も想像しないからだ。
 それは眠りの一種であるサマーディではない。
 それはただマインドの影響を受けない。
 過去と未来から自由な状態だ。
 あなたの場合、それは欲望と恐れ、記憶と期待に歪められている。
 私の場合、それはありのままの正常な状態だ。
 個人として在ることとは、眠っていることなのだ。(p472)


微細な身体

 それ(微細な身体)は「私は在る」という想念とともに創造されたのだ。
 二つはひとつなのだ。(p472)


はじまり終わり

 あなたの世界のなかでは、すべてのものがはじまり終わりをもっている。
 もしそうでなければ、あなたはそれを永遠と呼ぶことだろう。
 私の視野のなかでははじまり終わりというものは存在しない。
 はじまり終わりも、みな時間に関係するものだ。
 時間を超えた存在は、完全な今のなかに在る。(p472)


アンタカラナA

 それ(アンタカラナ、すなわち微細身)は一時的なものだ。
 現在のなかでは実在であり、過ぎてしまえば非実在なのだ。(p472)


微細身

 それ(アンタカラナ、すなわち微細身)は一時的なものだ。
 現在のなかでは実在であり、過ぎてしまえば非実在なのだ。
 
 それは体験的、実際的、あるいは事実上のものと呼んでもいい。
 それは今ここにある直接体験の否定できない真実なのだ。
 あなたはその描写と意味を疑うことはできる。
 しかし、それ自体を疑うことはできない。
 存在と非存在は交互に交替し、その実在性は一時的なものだ。
 不変の実在は空間と時間を超えて在る。
 存在と非存在のはかなさを認識し、その両方から自由になりなさい。(p472)


存在非存在@

 存在非存在は交互に交替し、その実在性は一時的なものだ。
 不変の実在は空間と時間を超えて在る。
 存在非存在のはかなさを認識し、その両方から自由になりなさい。(p473)


欲望反復

 欲望は強力なものだ。
 反復を起こさせるのは欲望なのだ。
 欲望がなければ、繰り返し現れることはないのだ。(p473)


欲望恐れA

 欲望は過去のものであり、恐れは未来のものだ。
 過去の苦しみの記憶と、その再発の恐れが人を未来に対して不安にさせるの
 だ。(p473)


恐れ個人

 私たちが恐れ個人的存在の影と見て、それを受け入れることができないか
 ぎり、個人としての私たちは必ず恐れることになる。
 すべての個人的な要因を放棄しなさい。
 そうすればあなたは恐れから自由になるだろう。(p473)


欲望無欲

 欲望が偽りだと認識されたとき、無欲はひとりでにやってくる。
 あなたが欲望と闘う必要はないのだ。
 結局のところ、それは幸福への衝動なのだ。
 悲しみがそこにあるかぎり、それは自然なことだ。
 ただ、あなたが欲望を持つもののなかには、何の幸福もないということを見
 て取りなさい。(p473)


欲望幸福A

 欲望が偽りだと認識されたとき、無欲はひとりでにやってくる。
 あなたが欲望と闘う必要はないのだ。
 結局のところ、それは幸福への衝動なのだ。
 悲しみがそこにあるかぎり、それは自然なことだ。
 ただ、あなたが欲望を持つもののなかには、何の幸福もないということを見
 て取りなさい。(p473)


快楽苦痛A

 ひとつひとつの快楽苦痛に包まれているのだ。
 すぐにあなたは一方なしに他方を得ることはできないことを発見するだろう。(p473)


体験者体験

 何かが(体験者体験の)つながりをつくるわけではない。
 二つはひとつなのだ。(p473)


マインド

 は何もないところに強いて二元性を見ようとする、あなたのマインドのなかにあるの
 だ。(p473)


方法

 方法について語ってはならない。
 方法などないのだ。
 偽りとして見られたものは消え去る。
 調べることによって消え去るのが幻想の本性そのものなのだ。
 調べなさい。
 ただそれだけでいい。
 偽りを破壊することはできない。
 なぜなら、あなたは偽りをつねにつくりつづけているからだ。
 それから手を引き、無視し、それを超えていきなさい。
 そうすれば、偽りはなくなるだろう。(p474)


偽り

 偽りとして見られたものは消え去る。
 調べることによって消え去るのが幻想の本性そのものなのだ。
 調べなさい。
 ただそれだけでいい。
 偽りを破壊することはできない。
 なぜなら、あなたは偽りをつねにつくりつづけているからだ。
 それから手を引き、無視し、それを超えていきなさい。
 そうすれば、偽りはなくなるだろう。(p474)


幻想の本性

 方法について語ってはならない。
 方法などないのだ。
 偽りとして見られたものは消え去る。
 調べることによって消え去るのが幻想の本性そのものなのだ。
 調べなさい。
 ただそれだけでいい。
 偽りを破壊することはできない。
 なぜなら、あなたは偽りをつねにつくりつづけているからだ。
 それから手を引き、無視し、それを超えていきなさい。
 そうすれば、偽りはなくなるだろう。(p474)


調べなさい

 方法について語ってはならない。
 方法などないのだ。
 偽りとして見られたものは消え去る。
 調べることによって消え去るのが幻想の本性そのものなのだ。
 調べなさい。
 ただそれだけでいい。
 偽りを破壊することはできない。
 なぜなら、あなたは偽りをつねにつくりつづけているからだ。
 それから手を引き、無視し、それを超えていきなさい。
 そうすれば、偽りはなくなるだろう。(p474)


実在偽り

 実在は皆にとって共通のものだ。
 偽りだけが個人のものなのだ。(p474)


野望解放

 野望とは個人的なものだ。
 解放とは個人からのものだ。
 解放のなかでは、もはや野望の主体と客体の両方がないのだ。(p474)


誠実さA

 誠実さとは、努力の結果を熱望することではない。
 それは偽り、非本質的、個人的なものから興味をそらし、内なる移行をする
 ことの表現なのだ。(p474)


解放とはA

 解放とは巧みに適用されたある方法による結果でも、環境によるものでもな
 い。
 それは因果の過程を超えているのだ。
 何もそれを強要することはできず、妨げることもできない。
 
 私たちは「今ここ」で自由なのだ。
 束縛を想像するのはマインドだけだ。(p474)


「今ここ」で自由

 だが、私たちは「今ここ」で自由なのだ。
 束縛を想像するのはマインドだけだ。(p474)


束縛マインド

 だが、私たちは「今ここ」で自由なのだ。
 束縛を想像するのはマインドだけだ。(p474)


想像を終焉させたい

 なぜ、あなたは想像を終焉させたいのだろう?
 ひとたびあなたがマインドとその奇跡的な力を知って、分離し、孤立した個
 人という観念を取り除くなら、マインドがそれ自体にふさわしい仕事をする
 ように放っておくだろう。
 マインドをそれ自身の場所に保ち、それ自身の仕事をさせることがマインド
 の解放なのだ。(p474-475)


マインドの解放

 なぜ、あなたは想像を終焉させたいのだろう?
 ひとたびあなたがマインドとその奇跡的な力を知って、分離し、孤立した個
 人という観念を取り除くなら、マインドがそれ自体にふさわしい仕事をする
 ように放っておくだろう。
 マインドをそれ自身の場所に保ち、それ自身の仕事をさせることがマインド
 の解放なのだ。(p474-475)


解放への道

 解放への道には何も立ちはだかっていない。
 そしてそれは今ここで起こることができる。
 だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
 そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
 あなたはそれとともに行き、それを見抜き、それが単に判断と賞賛の誤りで
 あることを、それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。(p475)


興味と闘うこと

 解放への道には何も立ちはだかっていない。
 そしそしてそれは今ここで起こることができる。
 だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
 そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
 あなたはそれとともに行き、それを見抜き、それが単に判断と賞賛の誤りで
 あることを、それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。(p475)


判断と賞賛の誤り

 解放への道には何も立ちはだかっていない。
 そしそしてそれは今ここで起こることができる。
 だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
 そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
 あなたはそれとともに行き、それを見抜き、それが単に判断と賞賛の誤りで
 あることを、それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。(p475)


偉大な聖者たち

 偉大な聖者たちはつねにあなたの手の届くところにいる。
 だが、あなたは彼らを認識しない。
 誰が偉大で、誰が聖者なのかをどうして知ることができるだろうか?
 聞き伝えに知るのだろうか?
 このことに関して、あなたは他者を、あるいは自分自身でさえ信頼できると
 言えるだろうか?
 疑いの影もないほどあなたを確信させるには、賞賛や推薦の言葉以上の、あ
 るいは歓喜の瞬間でさえも超えた何かが必要だ。
 あなたは偉大で神聖な男性、あるいは女性に遭遇するかもしれない。
 しかもその幸運に長い間気づかずにいることさえあるのだ。
 偉大な人の息子も、幼児でいる間は何年も彼の父親の偉大さを知らずにいる
 ことだろう。
 偉大さを認識するためには、成熟しなければならない。
 そして神聖さを認識するためには、マインドを浄化させなければならないの
 だ。
 あるいはあなたは時間と金を無駄に費やし、しかも人生が差し出しているも
 のを逃すことさえあるのだ。
 あなたの友人の中にはよい人びとがいる。
 彼らから多くを学ぶことができるだろう。
 聖者の後を追いかけまわすことは、単なるゲームにほかならない。
 それよりもあなた自身を覚えていなさい。
 あなたの日々の生活を容赦なく見守りなさい。
 誠実でありなさい。
 そうすればあなたは不注意と想像の束縛を打ち破るだろう。(p475)


ひとりではない

 あなたはけっしてひとりではない。
 そこにはつねに、あなたにもっとも忠実に仕えている存在と力がある。
 あなたはそれらを知覚するかも、しないかもしれない。
 それにもかかわらずそれは実在し、活動しているのだ。
 すべてはあなたのマインドのなかにある。
 そしてあなたはマインドを超えているということ、あなたは本当にひとりな
 のだということを悟ったとき、すべてがあなたなのだ。(p475)


全知

 知識へのすべての興味を完全に失うことが全知をもたらすのだ。
 それは正しい瞬間の誤りのない行為のために、知られる必要があることを知
 るという贈り物にほかならない。
 結局、知識は行為のために必要とされる。
 そして、もしあなたが意識内に知識をもちこむことなく、正しく自発的に行
 為するなら、そのほうが遥かにいいのだ。(p476)


真理

 真理を知ろうと試みてはならない。
 なぜならマインドによる知識は真の知識ではないからだ。
 だが、何が真実ではないかを知ることはできる。
 あなたを偽りから解き放つには、それで充分なのだ。
 真実を知っているという考えは危険なものだ。
 知らないときこそ、あなたには調べる自由があるのだ。
 そして調べることなしに解放はありえない。
 なぜなら未調査が束縛の主要な原因だからだ。(p476)


マインドが取り消さなければ

 偽りなのは「私は在る」ではなく、あなたがあなた自身として見なしている
 ものだ。
 私には疑う余地もなく、あなたがあなた自身だと信じているものではないこ
 とが見える。
 論理が通ろうと通るまいと、明白なことを否定することはできない。
 あなたはあなたが意識しているものではないのだ。
 あなたがマインドのなかに築き上げた構造物を取り壊すよう努めなさい。
 マインドが為(な)したことはマインドが取り消さなければならないのだ。(p476-477)


「私は在る」  

 すべての現れと、私たちが人生と呼ぶできごとの連鎖のなかの不変なる連結
 部の根源には、「私は在る」という感覚がある。
 だが、「私は在る」を超えているのだ。(p477)


完全ではない

 (自分はまだ不動の絶対的な完成に至ってはいない、というなら)
 あなたがそう信じているかぎり、完全ではないという偽りの観念を払いのけ
 るためのサーダナ(修練)を続けなければならないだろう。
 サーダナは真実の上に重ねられた偽りを取り除くのだ。
 あなたが自分自身を時間と空間のなかにある点よりも小さく、切断されるに
 は小さすぎる何か、殺されるには短命すぎる何かとして自覚したとき、その
 とき、そしてその時にのみ、すべての恐れは消え去るのだ。
 あなたは針の先端よりも小さい。
 それでは、針はあなたを突き通すことはできない。
 あなたが針を突き通すのだ!(p483)


針の先端よりも

 (自分はまだ不動の絶対的な完成に至ってはいない、というなら)
 あなたがそう信じているかぎり、完全ではないという偽りの観念を払いのけ
 るためのサーダナ(修練)を続けなければならないだろう。
 サーダナは真実の上に重ねられた偽りを取り除くのだ。
 あなたが自分自身を時間と空間のなかにある点よりも小さく、切断されるに
 は小さすぎる何か、殺されるには短命すぎる何かとして自覚したとき、その
 とき、そしてその時にのみ、すべての恐れは消え去るのだ。
 あなたは針の先端よりも小さい。
 それでは、針はあなたを突き通すことはできない。
 あなたが針を突き通すのだ!(p483)


死の過程

 (死の過程が苦痛に満ち、醜いものだと想像する、というなら)
 どうして知ることができるだろう?
 それがそうである必要はない。
 それは美しく、平和なものでもありうるのだ。
 ひとたびあなたがは身体に起こり、あなたに起こるのではないと知れば、
 あなたはただ、身体が捨て去られた衣服のように離れ去っていくのを見守る
 だけだ。(p483)


死ぬことへの恐怖

 人間は毎秒ごとに死んでいるのだ。
 死ぬことへの恐怖と苦悩は雲のように世界の上にたれこめている。
 あなたもまた恐れていることは、何も不思議なことではない。
 だが、ひとたびあなたが、死ぬのは身体だけであり、記憶の継続性と、その
 なかに反映する「私は在る」という感覚ではないと知れば、もはや恐れるこ
 とはないのだ。(p484)


誕生A

 注意を払いなさい。
 そうすれば、あなたは誕生がひとつであることを見いだすだろう。
 生命は存在と非存在の間を脈動し、互いが他方をその完全性のために必要と
 していることがわかるだろう。
 あなたはぬために生まれ、再誕生するためにぬのだ。(p484)


無執着恐れ

 (無執着が誕生と死の循環過程を止めるのか、というなら)
 無執着とともに、恐れが消える。
 だが事実が消えることはないのだ。(p484)


再誕生強要

 (再誕生するように強要されるのか、というなら)
 そこに強要はない。
 あなたはあなたが求めることを得るのだ。
 あなたが自分で計画を立て、それを実行に移すのだ。(p484)


苦しむ必要

 (私たちは苦しむように運命づけられているのか、というなら)
 私たちは調べることによって成長する。
 そして、成長するためには体験が必要だ。
 私たちは理解していなかったことを繰り返す傾向がある。
 もし私たちが感じやすく知性的であれば、苦しむ必要はないのだ。
 苦痛は注意を呼び起こしているのであり、不注意への罰なのだ。
 知的で慈悲に満ちた行為が唯一の治療法なのだ。(p484)


自殺のどこが間違っているのか

 (自殺のどこが間違っているのか、というなら)
 もしそれが問題を解決するならば、何も間違ってはいない。
 もし解決しないなら、どうなるのかね?
 ある苦痛に満ちた不治の病気や、耐えがたい災難のような外部的な要因で起
 こった苦しみなら、正当性があるかもしれない。
 だが、智慧と慈悲の欠如による苦しみなら、自殺は助けにはならない。
 愚かな死は愚かな再誕生を意味するだけだ。
 その上、カルマ(因果関係)の法則も考慮に入れなければならない。
 忍耐は普通、もっとも賢明な身の振り方なのだ。(p484)


忍耐

 (自殺のどこが間違っているのか、というなら)
 もしそれが問題を解決するならば、何も間違ってはいない。
 もし解決しないなら、どうなるのかね?
 ある苦痛に満ちた不治の病気や、耐えがたい災難のような外部的な要因で起
 こった苦しみなら、正当性があるかもしれない。
 だが、智慧と慈悲の欠如による苦しみなら、自殺は助けにはならない。
 愚かな死は愚かな再誕生を意味するだけだ。
 その上、カルマ(因果関係)の法則も考慮に入れなければならない。
 忍耐は普通、もっとも賢明な身の振り方なのだ。(p484)


忍耐苦悩

 (いかに激しく絶望的なものであっても、人は苦しみに耐えていかなければ
 ならないのか、というなら)
 忍耐はひとつの考えであり、絶望的苦悩は別のものだ。
 忍耐は意味深く、成果のあるものであり、苦悩は無駄なことなのだ。(p484)


カルマは集合的

 ほとんどのカルマは集合的なものだ。
 私たちは他者の罪のために苦しみ、他者は私たちの罪に苦しむ。
 人類はひとつなのだ。
 この事実に無知であることはそれを変えることがない。
 私たちは、私たち自身としてもっと幸福な人びとだったかもしれない。
 だが、他者の苦しみへの無関心によって、私たちは苦しむのだ。(p485)


身体を放棄する

 あなたが自分自身を身体とマインドだと見なさないかぎり、好きなことをす
 ることができる。
 実際に身体を放棄するという問題ではない。
 あなたが身体ではないという明瞭な理解、超然とした感覚、感情的に巻き込
 まれないことという、身体を放棄することにともなうすべてが重要なのだ。(p486)


男性―女性意識

 あなたは男性―女性意識をもつときだけ結婚し、母親となるのだ。
 あなたが自分自身を身体と見なさないとき、気づきの光だけが唯一の実在で
 あり、身体の織りなす家族生活がいかに強烈で、あるいは興味深いものであ
 っても、それはマインドのスクリーン上の戯(たわむ)れとして見られるだ
 けだ。(p486)


気づきの対象物

 (気づきの対象物も存続するかぎりは実在なのではないか、というなら)
 だが、それは存続しないのだ。
 一時的な実在は二次的なものだ。
 それは永遠なるものに依存するのだ。(p486)


存続しない

 (気づきの対象物も存続するかぎりは実在なのではないか、というなら)
 だが、それは存続しないのだ。
 一時的な実在は二次的なものだ。
 それは永遠なるものに依存するのだ。(p486)


一時的な実在

 (気づきの対象物も存続するかぎりは実在なのではないか、というなら)
 だが、それは存続しないのだ。
 一時的な実在は二次的なものだ。
 それは永遠なるものに依存するのだ。(p486)


継続性永久性

 存在のなかに継続性はない。
 継続性は過去、現在、未来における同一性を暗示している。
 そのような同一性は不可能なのだ。
 なぜなら、同一化の手段自体が変動し、変化するからだ。
 継続性永久性は記憶によってつくられた幻想だ。
 それは単なる精神的投影のパターンなのだ。
 一時的や永久的、身体やマインド、男と女といったすべての観念を放棄しな
 さい。
 何が残るだろう?
 すべての分離が捨て去られたとき、あなたのマインドの状態はどうなってい
 るだろうか?
 私は区別をあきらめなさいと言っているのではない。
 それなしには顕現もありえないからだ。(p486)


同一性

 存在のなかに継続性はない。
 継続性は過去、現在、未来における同一性を暗示している。
 そのような同一性は不可能なのだ。
 なぜなら、同一化の手段自体が変動し、変化するからだ。
 継続性や永久性は記憶によってつくられた幻想だ。
 それは単なる精神的投影のパターンなのだ。
 一時的や永久的、身体やマインド、男と女といったすべての観念を放棄しな
 さい。
 何が残るだろう?
 すべての分離が捨て去られたとき、あなたのマインドの状態はどうなってい
 るだろうか?
 私は区別をあきらめなさいと言っているのではない。
 それなしには顕現もありえないからだ。(p486)


平和A

 (どうして内なる幸福や平和は安定しないのか、というなら)
 結局、平和もまたひとつのマインドの状態なのだ。(p487)


幸福快楽@

 (どうして自己の自然な幸福を体験した後でさえ、世俗的な幸福を探し求め
 ようとしてしまうのか、というなら)
 マインドが身体に仕えることに従事するとき、幸福は失われてしまう。
 幸福をふたたび得ようとして、快楽の中に探し求めるのだ。
 幸福になろうとする衝動は正しいものだ。
 だが、それを確保しようとする方法が惑わせ、当てにならず、真の幸福を破
 壊してしまうのだ。
 
 身体やマインドを正しく使い、正しい状態に置くことは、非常に快いものだ。
 間違いは快楽を追求することなのだ。
 自分を幸福にしようと試みてはならない。
 むしろ、幸福の探求自体を疑いなさい。
 あなたが幸福でないから、幸福になりたいのだ。
 なぜ幸福ではないのかを見いだしなさい。
 幸福ではないから、快楽のなかに幸福を探し求めるのだ。
 快楽は苦痛をもたらすため、あなたはそれを世俗的と呼ぶ。
 それから、あなたは苦痛をともなわない、何かほかの快楽を切望する。
 そして、それを神聖なものと呼ぶのだ。
 実際には、快楽とは苦痛からの一時的な休息にすぎない。
 幸福は世俗的であるものと、ないものの両方だ。
 そのなかで、そしてその彼方で起こることのすべてなのだ。
 いかなる分別もしてはならない。
 分別できないものを分別してはならない。
 そしてあなた自身を人生から遠ざけてはならない。(p487)


幸福の探求

 マインドが身体に仕えることに従事するとき、幸福は失われてしまう。
 幸福をふたたび得ようとして、快楽のなかに探し求めるのだ。
 幸福になろうとする衝動は正しいものだ。
 だが、それを確保しようとする方法が惑わせ、当てにならず、真の幸福を破
 壊してしまうのだ。
 
 身体やマインドを正しく使い、正しい状態に置くことは、非常に快いものだ。
 間違いは快楽を追求することなのだ。
 自分を幸福にしようと試みてはならない。
 むしろ、幸福の探求自体を疑いなさい。
 あなたが幸福でないから、幸福になりたいのだ。
 なぜ幸福ではないのかを見いだしなさい。
 幸福ではないから、快楽のなかに幸福を探し求めるのだ。
 快楽は苦痛をもたらすため、あなたはそれを世俗的と呼ぶ。
 それから、あなたは苦痛をともなわない、何かほかの快楽を切望する。
 そして、それを神聖なものと呼ぶのだ。
 実際には、快楽とは苦痛からの一時的な休息にすぎない。
 幸福は世俗的であるものと、ないものの両方だ。
 そのなかで、そしてその彼方で起こることのすべてなのだ。
 いかなる分別もしてはならない。
 分別できないものを分別してはならない。
 そしてあなた自身を人生から遠ざけてはならない。(p487)


起こることはB

 バガヴァーンを信頼することは、あなた自身を信頼することだ。
 何であれ起こることは、あなたによって、あなたを通して、あなたに起こる
 のだ。
 あなたがあなたの知覚するすべてを創造する者であり、それを楽しむ者であ
 り、破壊する者だということに気づきなさい。
 そうすれば、恐れることはないだろう。
 恐れがなければ不幸になることはなく、幸福を探すこともないだろう。(p488)


あなた画像

 あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
 それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、それらが来ては
 去っていくのを沈黙のなかで見守りなさい。
 油断してはならない。
 うろたえてはならない。
 この沈黙の観察が、ヨーガの根本的な態度なのだ。
 あなた画像を見ている。
 だが画像あなたではないのだ。(p488)


自身の創造物

 あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
 それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、それらが来ては
 去っていくのを沈黙のなかで見守りなさい。
 油断してはならない。
 うろたえてはならない。
 この沈黙の観察が、ヨーガの根本的な態度なのだ。
 あなたは画像を見ている。
 だが画像があなたではないのだ。(p488)


完全に知りつつ

 あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
 それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、それらが来ては
 去っていくのを沈黙のなかで見守りなさい。
 油断してはならない。
 うろたえてはならない。
 この沈黙の観察が、ヨーガの根本的な態度なのだ。
 あなたは画像を見ている。
 だが画像があなたではないのだ。(p488)


沈黙の観察

 あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
 それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、それらが来ては
 去っていくのを沈黙のなかで見守りなさい。
 油断してはならない。
 うろたえてはならない。
 この沈黙の観察が、ヨーガの根本的な態度なのだ。
 あなたは画像を見ている。
 だが画像があなたではないのだ。(p488)


画像あなた

 あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
 それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、それらが来ては
 去っていくのを沈黙のなかで見守りなさい。
 油断してはならない。
 うろたえてはならない。
 この沈黙の観察が、ヨーガの根本的な態度なのだ。
 あなた画像を見ている。
 だが画像あなたではないのだ。(p488)


再誕生するもの

 (誰も強要していないとしても、満たされなかった欲望の圧力は圧倒的で、
 自分は再誕生に抵抗できそうにない、というなら)
 抵抗という問題は起こらない。
 誕生し、再誕生するものは、あなたではないからだ。
 それを起こらせるがいい。
 それが起こるのを見なさい。(p488)


関心をもっている

 (再誕生するものが自分でないなら、なぜ関心をもつのか、というなら)
 関心をもっているのはあなたなのだ!
 そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、あなたは
 それに関心をもちつづけるだろう。
 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。
 だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注意のレベル
 以下の努力を要しないものとなる。
 身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。
 あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
 身体なしには殺されない。
 所有物なしには奪われない。
 マインドなしには騙(だま)されない。
 そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。
 何の変化もあなたに起こらないかぎり、ほかに何の問題があるだろうか?(p488)


真実、愛、美の感覚

 (再誕生するものが自分でないなら、なぜ関心をもつのか、というなら)
 関心をもっているのはあなたなのだ!
 そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、あなたは
 それに関心をもちつづけるだろう。
 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。
 だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注意のレベル
 以下の努力を要しないものとなる。
 身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。
 あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
 身体なしには殺されない。
 所有物なしには奪われない。
 マインドなしには騙(だま)されない。
 そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。
 何の変化もあなたに起こらないかぎり、ほかに何の問題があるだろうか?(p488)


衝突するかぎり

 (再誕生するものが自分でないなら、なぜ関心をもつのか、というなら)
 関心をもっているのはあなたなのだ!
 そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、あなたは
 それに関心をもちつづけるだろう。
 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。
 だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注意のレベル
 以下の努力を要しないものとなる。
 身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。
 あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
 身体なしには殺されない。
 所有物なしには奪われない。
 マインドなしには騙(だま)されない。
 そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。
 何の変化もあなたに起こらないかぎり、ほかに何の問題があるだろうか?(p488)


死の苦悶

 あなたがあなた自身についてより多く知るほど、より恐れなくなるだろう。
 もちろん、死の苦悶を見ることはけっして快いことではない。
 だが、死にゆく人が意識していることはまれなのだ。(p488)


燃料

 (死んだ人は意識に戻ってくるのか、というなら)
 それは非常に眠りに似ている。
 しばらくの間、個人は焦点からはずれ、その後、それは戻ってくるのだ。
 
 (同じ個人が戻ってくるのか、というなら)
 環境をつくり出す個人は、必然的に環境とともに変化していく。
 それは燃料とともにが変化していくようなものだ。
 ただ、その過程だけが時間と空間を創造しながら続いていくのだ。(p488-489)


神への信仰さえ

 神への信仰さえも、道の上の一段階にすぎない。
 最終的には、あなたはすべてを放棄するのだ。
 なぜなら、あなたは言葉では表現できないほどシンプルな何かを実現するか
 らだ。(p489)


積み荷の綿

 快楽を求めて行ったり来たりし愛したり憎んだりすることは、あなたが自ら
 押しつけた、あるいは受け入れた限界に対して闘っていることを示している
 のだ。
 無知からあなたは過ちを犯し、あなた自身や他者にも苦しみを生みだしてい
 る。
 だが、衝動はそこにあり、それは否定されてはならない。
 感情、幸福、死を求める同じ衝動が、理解と解放を求めるのだ。
 それは積み荷の綿が発火したようなものだ。
 あなたはそのことに気づいていないかもしれない。
 だが、遅かれ早かれ船は炎に包まれるだろう。
 解放は自然な過程だ。
 そして、長期にわたってみれば不可避なものだ。
 だが、それを今の中にもたらす力はあなたの内にあるのだ。(p492)


綿

 快楽を求めて行ったり来たりし愛したり憎んだりすることは、あなたが自ら
 押しつけた、あるいは受け入れた限界に対して闘っていることを示している
 のだ。
 無知からあなたは過ちを犯し、あなた自身や他者にも苦しみを生みだしてい
 る。
 だが、衝動はそこにあり、それは否定されてはならない。
 感情、幸福、死を求める同じ衝動が、理解と解放を求めるのだ。
 それは積み荷の綿が発火したようなものだ。
 あなたはそのことに気づいていないかもしれない。
 だが、遅かれ早かれ船は炎に包まれるだろう。
 解放は自然な過程だ。
 そして、長期にわたってみれば不可避なものだ。
 だが、それを今の中にもたらす力はあなたの内にあるのだ。(p492)


出口

 (出口として)多くの道があなたに差しだされてきた。
 それらはあなたをひと回りさせ、出発点に連れ戻すものだ。
 まずあなたの問題が、目覚めの状態にしか存在しないことを認識しなさい。
 それがいかに苦痛に満ちたものであっても、眠りについたとき、あなたはす
 べて忘れることができるということを認識しなさい。
 目覚めているとき、あなたは意識している。
 眠っているとき、あなたはただ生きているだけだ。
 意識と生命。
 その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
 だがあなたはその両方を超えているのだ。(p494)


多くの道

 多くの道があなたに差しだされてきた。
 それらはあなたをひと回りさせ、出発点に連れ戻すものだ。
 まずあなたの問題が、目覚めの状態にしか存在しないことを認識しなさい。
 それがいかに苦痛に満ちたものであっても、眠りについたとき、あなたはす
 べて忘れることができるということを認識しなさい。
 目覚めているとき、あなたは意識している。
 眠っているとき、あなたはただ生きているだけだ。
 意識と生命。
 その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
 だがあなたはその両方を超えているのだ。(p494)


意識生命@

 意識と生命。
 その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
 だがあなたはその両方を超えているのだ。
 神を超え、存在と非存在を超えている。
 あなた自身がすべてであり、すべてを超えていると知ることを妨げているの
 は、記憶に基づいたマインドなのだ。(p494)


あなた

 意識と生命。
 その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
 だがあなたはその両方を超えているのだ。
 神を超え、存在と非存在を超えている。
 あなた自身がすべてであり、すべてを超えていると知ることを妨げているの
 は、記憶に基づいたマインドなのだ。
 あなたがマインドを信頼するかぎり、それはあなたを支配しつづけるだろう。
 それと闘ってはいけない。
 ただ無視しなさい。
 注目を奪われて、それは速度を落とし、その働きの機構を露わにする。
 ひとたびその本性と目的を知れば、マインドが想像上の問題をつくり出すこ
 とをあなたは許さないだろう。(p494)


超えているA

 意識と生命。
 その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
 だがあなたはその両方を超えているのだ。
 神を超え、存在と非存在を超えている。
 あなた自身がすべてであり、すべてを超えていると知ることを妨げているの
 は、記憶に基づいたマインドなのだ。
 あなたがマインドを信頼するかぎり、それはあなたを支配しつづけるだろう。
 それと闘ってはいけない。
 ただ無視しなさい。
 注目を奪われて、それは速度を落とし、その働きの機構を露わにする。
 ひとたびその本性と目的を知れば、マインドが想像上の問題をつくり出すこ
 とをあなたは許さないだろう。(p494)


マインドを信頼する

 あなた自身がすべてであり、すべてを超えていると知ることを妨げているの
 は、記憶に基づいたマインドなのだ。
 あなたがマインドを信頼するかぎり、それはあなたを支配しつづけるだろう。
 それと闘ってはいけない。
 ただ無視しなさい。
 注目を奪われて、それは速度を落とし、その働きの機構を露わにする。
 ひとたびその本性と目的を知れば、マインドが想像上の問題をつくり出すこ
 とをあなたは許さないだろう。(p494)


問題@

 マインドがつくり出さなかった問題などというものがありうるだろうか?
 生と死は問題を作らない。
 苦痛と快楽は来ては去っていく。
 体験されたことは忘れられる。
 達成と逃避の問題をつくり出すのは、好きと嫌いに色づけされた記憶と期待
 だ。(p494)


達成と逃避

 マインドがつくり出さなかった問題などというものがありうるだろうか?
 生と死は問題を作らない。
 苦痛と快楽は来ては去っていく。
 体験されたことは忘れられる。
 達成と逃避の問題をつくり出すのは、好きと嫌いに色づけされた記憶と期待
 だ。(p494)


表現の手段

 真理と愛が人の真の本性であり、マインドとハートはその表現の手段なのだ。(p494)


記憶悪い主人

 制御しようとする努力はすべて、マインドを記憶の命令の支配下に置くこと
 になる。
 記憶は良き召使いだが、悪い主人だ。
 それは発見を巧妙に妨害するのだ。(p494)


実在努力

 実在の中に努力の場はない。
 主要な問題と、その他すべての問題の原因は、身体との自己同一化による利
 己主義にあるのだ。
 努力によって利己主義を取り除くことはできない。
 ただ、原因と結果への明晰な洞察によってのみ為されるのだ。
 努力は互いに相容れない欲望の間に起こる葛藤の徴候だ。(p494)


利己主義努力

 主要な問題と、その他すべての問題の原因は、身体との自己同一化による
 利己主義にあるのだ。
 努力によって利己主義を取り除くことはできない。
 ただ、原因と結果への明晰な洞察によってのみ為されるのだ。
 努力は互いに相容れない欲望の間に起こる葛藤の徴候だ。
 それらはあるがままに見なければならない。
 そのときにだけ、それらは消え去るのだ。(p494-495)


努力欲望

 実在の中に努力の場はない。
 主要な問題と、その他すべての問題の原因は、身体との自己同一化による利
 己主義にあるのだ。
 努力によって利己主義を取り除くことはできない。
 ただ、原因と結果への明晰な洞察によってのみ為されるのだ。
 努力は互いに相容れない欲望の間に起こる葛藤の徴候だ。
 それらはあるがままに見なければならない。
 そのときにだけ、それらは消え去るのだ。(p494-495)


偉大な平和

 偉大な平和、深い沈黙、秘められた実在の美が残るのだ。
 それは言葉によって伝えられない、と同時に、それはあなた自身によって体
 験されることを待っているのだ。(p495)


動物性

 動物性のことは放っておきなさい。
 それをそのままにしておくがいい。
 ただあなたが何なのかを覚えておきなさい。
 観照者としてのあなたなしには神も動物もありえないということを、日々の
 あらゆる出来事をきっかけにして思い起こしなさい。
 あなたは存在するすべての本質と実体の両方なのだと理解しなさい。
 そしてあなたの理解の中に確固として止まりなさい。(p495)


理解で充分なのか

 (理解で充分なのか、もっと明確な証拠が必要なのではないか、というなら)
 証拠の妥当性について決定するのはあなたの理解なのだ。
 だが、あなた自身の存在以上にどのような確実な証拠が必要だというのかね?
 あなたがどこへ行こうと、あなたはあなた自身を見いだすのだ。
 あなたがどれほど遠くに辿り着いたとしても、あなたはそこにいるのだ。(p495)


明確な証拠

 (理解で充分なのか、もっと明確な証拠が必要なのではないか、というなら)
 証拠の妥当性について決定するのはあなたの理解なのだ。
 だが、あなた自身の存在以上にどのような確実な証拠が必要だというのかね?
 あなたがどこへ行こうと、あなたはあなた自身を見いだすのだ。
 あなたがどれほど遠くに辿り着いたとしても、あなたはそこにいるのだ。(p495)


証拠の妥当性

 (理解で充分なのか、もっと明確な証拠が必要なのではないか、というなら)
 証拠の妥当性について決定するのはあなたの理解なのだ。
 だが、あなた自身の存在以上にどのような確実な証拠が必要だというのかね?
 あなたがどこへ行こうと、あなたはあなた自身を見いだすのだ。
 あなたがどれほど遠くに辿り着いたとしても、あなたはそこにいるのだ。(p495)


確実な証拠

 (理解で充分なのか、もっと明確な証拠が必要なのではないか、というなら)
 証拠の妥当性について決定するのはあなたの理解なのだ。
 だが、あなた自身の存在以上にどのような確実な証拠が必要だというのかね?
 あなたがどこへ行こうと、あなたはあなた自身を見いだすのだ。
 あなたがどれほど遠くに辿り着いたとしても、あなたはそこにいるのだ。(p495)


時間と空間A

 (自分は遍在するものでも、永遠なるものでもない、いまここにいるだけだ、
 というなら)
 充分だ。
 「ここ」はいたるところにあり、「今」はつねにあるのだ。
 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい。
 そうすれば、あなたは時間と空間があなたのなかにあり、あなたが時間と空
 間のなかに在るのではないことを見いだすだろう。
 ひとたびあなたがこれを理解すれば、真我の実現のための主要な障害は取り
 除かれるのだ。(p495)


主要な障害

 (自分は遍在するものでも、永遠なるものでもない、いまここにいるだけだ、
 というなら)
 充分だ。
 「ここ」はいたるところにあり、「今」はつねにあるのだ。
 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい。
 そうすれば、あなたは時間と空間があなたのなかにあり、あなたが時間と空
 間のなかに在るのではないことを見いだすだろう。
 ひとたびあなたがこれを理解すれば、真我の実現のための主要な障害は取り
 除かれるのだ。(p495)


真我の実現とは

 (真我の実現とは何か、というなら)
 深い密林にたくさんのトラがいる。
 そして、あなたは丈夫な鉄の檻のなかにいると想像してみなさい。
 檻によって無事に守られていることを知っているため、あなたはトラたちを
 恐れなく見ている。
 つぎに、檻のなかにトラたちがいて、あなたはジャングルのなかをうろつき
 まわっている。
 最後に、檻は消え、あなたはトラに乗っているのだ!(p495)


深い密林に

 (真我の実現とは何か、というなら)
 深い密林にたくさんのトラがいる。
 そして、あなたは丈夫な鉄の檻のなかにいると想像してみなさい。
 檻によって無事に守られていることを知っているため、あなたはトラたちを
 恐れなく見ている。
 つぎに、檻のなかにトラたちがいて、あなたはジャングルのなかをうろつき
 まわっている。
 最後に、檻は消え、あなたはトラに乗っているのだ!(p495)


トラ鉄の檻

 (真我の実現とは何か、というなら)
 深い密林にたくさんのトラがいる。
 そして、あなたは丈夫な鉄の檻のなかにいると想像してみなさい。
 によって無事に守られていることを知っているため、あなたはトラたちを
 恐れなく見ている。
 つぎに、のなかにトラたちがいて、あなたはジャングルのなかをうろつき
 まわっている。
 最後に、は消え、あなたはトラに乗っているのだ!(p495)


人は異なる

 (あのような本が自分にとっていったい何の役に立つのか、というなら)
 おそらく、何の役にも立たないだろう、それはあなたの興味を引かなかった
 のだから。
 ほかの人は感動させられたかもしれない。
 人は異なるのだ。
 だが、誰もが自己の存在という事実に直面させられる。
 「私は在る」は究極の事実だ。
 「私は誰か?」はすべての人が答えを見いださなければならない究極の質問
 なのだ。(p496)


究極の質問

 誰もが自己の存在という事実に直面させられる。
 「私は在る」は究極の事実だ。
 「私は誰か?」はすべての人が答えを見いださなければならない究極の質問
 なのだ。(p496)


ヨーガの学校

 (「私は誰か?」という究極の質問に対する答えは同じか、というなら)
 本質においては同じだ。
 表現は多様だ。
 
 それぞれの探求者は自分に合う方法を受け入れ、あるいは発明し、誠実さと
 努力とともにそれを自分に適用する。
 彼は彼の気性や期待にしたがって結果を得、それを言葉の鋳型に鋳込め、シ
 ステムを築きあげ、伝統を設立し、他者を彼のヨーガの学校に入会させるの
 だ。
 それはすべて記憶と想像の上に築きあげられたものだ。
 そのような学校は、無価値でもなければ必要不可欠でもない。
 より以上の進歩を可能にするために、進歩へのすべての欲望が放棄される地
 点まで進歩することができる。
 そうなれば、すべての学校は放棄され、すべての努力は終わり、孤独と暗闇
 のなかで無知と恐れを永遠に終焉(しゅうえん)させる最後の一歩が踏まれ
 るのだ。(p496)


進歩する

 それぞれの探求者は自分に合う方法を受け入れ、あるいは発明し、誠実さと
 努力とともにそれを自分に適用する。
 彼は彼の気性や期待にしたがって結果を得、それを言葉の鋳型に鋳込め、シ
 ステムを築きあげ、伝統を設立し、他者を彼のヨーガの学校に入会させるの
 だ。
 それはすべて記憶と想像の上に築きあげられたものだ。
 そのような学校は、無価値でもなければ必要不可欠でもない。
 より以上の進歩を可能にするために、進歩へのすべての欲望が放棄される地
 点まで進歩することができる。
 そうなれば、すべての学校は放棄され、すべての努力は終わり、孤独と暗闇
 のなかで無知と恐れを永遠に終焉(しゅうえん)させる最後の一歩が踏まれ
 るのだ。(p496)


孤独と暗闇のなかで

 それぞれの探求者は自分に合う方法を受け入れ、あるいは発明し、誠実さと
 努力とともにそれを自分に適用する。
 彼は彼の気性や期待にしたがって結果を得、それを言葉の鋳型に鋳込め、シ
 ステムを築きあげ、伝統を設立し、他者を彼のヨーガの学校に入会させるの
 だ。
 それはすべて記憶と想像の上に築きあげられたものだ。
 そのような学校は、無価値でもなければ必要不可欠でもない。
 より以上の進歩を可能にするために、進歩へのすべての欲望が放棄される地
 点まで進歩することができる。
 そうなれば、すべての学校は放棄され、すべての努力は終わり、孤独と暗闇
 のなかで無知と恐れを永遠に終焉(しゅうえん)させる最後の一歩が踏まれ
 るのだ。(p496)


最後の一歩

 それぞれの探求者は自分に合う方法を受け入れ、あるいは発明し、誠実さと
 努力とともにそれを自分に適用する。
 彼は彼の気性や期待にしたがって結果を得、それを言葉の鋳型に鋳込め、シ
 ステムを築きあげ、伝統を設立し、他者を彼のヨーガの学校に入会させるの
 だ。
 それはすべて記憶と想像の上に築きあげられたものだ。
 そのような学校は、無価値でもなければ必要不可欠でもない。
 より以上の進歩を可能にするために、進歩へのすべての欲望が放棄される地
 点まで進歩することができる。
 そうなれば、すべての学校は放棄され、すべての努力は終わり、孤独と暗闇
 のなかで無知と恐れを永遠に終焉(しゅうえん)させる最後の一歩が踏まれ
 るのだ。(p496)


真の師

 真の師は弟子を既成の観念、感情、行為に押し込めようとはしない。
 その反対に、はすべての観念や組み込まれた行動様式から自由になる必要
 性を忍耐強く示すのだ。
 注意を怠らず、誠実であり、どこであれ人生が彼を連れていくままにしたが
 い、楽しみも苦しみもせず、ただ理解し、学んでいくように。(p496)


正しい師

 正しい師のもとでは、弟子は記憶し服従することではなく、学ぶことを学ん
 でいく。
 サットサン、すなわち聖者との交際は鋳型にはめるのではなく、解放するの
 だ。
 あなたを依存させるすべてに気をつけなさい。
 いわゆる「師への明け渡し」はほとんどの場合、悲劇でなければ、良くても
 失望に終わる。
 幸運にも、誠実な探求者は体験からより賢明になって、巻きこまれる前に自
 分を危険から救うのだ。(p496-497)


サットサンA

 正しい師のもとでは、弟子は記憶し服従することではなく、学ぶことを学ん
 でいく。
 サットサン、すなわち聖者との交際は鋳型にはめるのではなく、解放するの
 だ。
 あなたを依存させるすべてに気をつけなさい。
 いわゆる「師への明け渡し」はほとんどの場合、悲劇でなければ、良くても
 失望に終わる。
 幸運にも、誠実な探求者は体験からより賢明になって、巻きこまれる前に自
 分を危険から救うのだ。(p496-497)


「師への明け渡し」

 正しい師のもとでは、弟子は記憶し服従することではなく、学ぶことを学ん
 でいく。
 サットサン、すなわち聖者との交際は鋳型にはめるのではなく、解放するの
 だ。
 あなたを依存させるすべてに気をつけなさい。
 いわゆる「師への明け渡し」はほとんどの場合、悲劇でなければ、良くても
 失望に終わる。
 幸運にも、誠実な探求者は体験からより賢明になって、巻きこまれる前に自
 分を危険から救うのだ。(p496-497)


明け渡しとは

 明け渡しとは利己的関心事を明け渡すことだ。
 それはできるわけがない。
 あなたがあなたの真の本性を実現するとき、それは起こるのだ。
 言葉の上の明け渡しは、たとえ感情をともなっていても、緊張下では失意の
 うちに終わってしまう。
 最善の場合でも、それは熱望を表すが、実際的事実ではない。(p497)


アディ・ヨーガ(至高のヨーガ)

 アディ・ヨーガにおいては人生そのものがグルであり、マインドが弟子なの
 だ。
 マインドは人生に仕え、それを支配したりしない。
 人生は自然に努力なしに流れ、マインドは流れをすみやかにするために障害
 物を取り除くのだ。(p497)


人生マインド

 アディ・ヨーガ(至高のヨーガ)においては人生そのものがグルであり、マイ
 ンドが弟子なのだ。
 マインド人生に仕え、それを支配したりしない。
 人生は自然に努力なしに流れ、マインドは流れをすみやかにするために障害
 物を取り除くのだ。
 
 それ自体では、人生は途方もなく創造的なものだ。
 一粒の種子がやがて森林となる。
 マインドは森林官のように、存在の膨大な生命力の衝動を保護し調整してい
 るのだ。(p497)


不変なるもの@

 意識はつねに運動と変化のなかにある。
 不変の意識といったものはありえない。
 不変なるものは即座に意識をぬぐい去るだろう。
 内面、あるいは外面の感覚を奪われた人は意識を失い、あるいは意識と無意
 識を越えて不老不死の状態のなかへと入っていくだろう。
 霊魂と物質がであったときにだけ意識は生まれるのだ。(p498)


霊魂と物質

 意識はつねに運動と変化のなかにある。
 不変の意識といったものはありえない。
 不変なるものは即座に意識をぬぐい去るだろう。
 内面、あるいは外面の感覚を奪われた人は意識を失い、あるいは意識と無意
 識を越えて不老不死の状態のなかへと入っていくだろう。
 霊魂と物質がであったときにだけ意識は生まれるのだ。(p498)


意識は生まれる

 意識はつねに運動と変化のなかにある。
 不変の意識といったものはありえない。
 不変なるものは即座に意識をぬぐい去るだろう。
 内面、あるいは外面の感覚を奪われた人は意識を失い、あるいは意識と無意
 識を越えて不老不死の状態のなかへと入っていくだろう。
 霊魂と物質がであったときにだけ意識は生まれるのだ。(p498)


霊魂/物質/意識

 霊魂物質がであったときにだけ意識は生まれるのだ。
 
 (それらはひとつなのか、二つなのか、というなら)
 それはあなたが使う言葉によって、ひとつ、二つ、あるいは三つなのだ。
 調べていくことで三つは二つとなり、二つはひとつとなる。
 顔と鏡とイメージという直喩で見てみなさい。
 どの二つをとってみても、その二つを結びつける第三の存在が前提にある。
 あなたが二つはひとつだと悟るまでは、サーダナ(修練)によって三つを二
 つとして見るのだ。(p498)


イメージ

 霊魂と物質がであったときにだけ意識は生まれるのだ。
 
 (それらはひとつなのか、二つなのか、というなら)
 それはあなたが使う言葉によって、ひとつ、二つ、あるいは三つなのだ。
 調べていくことで三つは二つとなり、二つはひとつとなる。
 イメージという直喩で見てみなさい。
 どの二つをとってみても、その二つを結びつける第三の存在が前提にある。
 あなたが二つはひとつだと悟るまでは、サーダナ(修練)によって三つを二
 つとして見るのだ。(p498)


世界に没頭して

 あなたが世界に没頭しているかぎり、あなた自身を知ることは不可能だ。
 あなた自身を知るためには、世界から注意を引き離し、内面へと向けなさい。(p498)


見ているもの@

 あなたが見ているものはあるがままのものではないということを理解しな
 さい。
 現れは調べることによって消え去り、根元的な実在が表層に現れるだろう。
 逃げだすために家を燃やす必要はない。
 あなたはただ歩いて外に出るだけだ。
 家が牢獄となるのは、あなたが自由に行き来できなくなったときだけだ。
 私は意識から自由に自然に出たり入ったりすることができる。
 そしてそれゆえ、世界はわが家であって牢獄ではないのだ。(p498)


我が家牢獄

 逃げだすためにを燃やす必要はない。
 あなたはただ歩いて外に出るだけだ。
 牢獄となるのは、あなたが自由に行き来できなくなったときだけだ。
 私は意識から自由に自然に出たり入ったりすることができる。
 そしてそれゆえ、世界は我が家であって牢獄ではないのだ。(p498)


世界は存在するか

 (究極的に、世界は存在するのか、しないのか、というなら)
 あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
 あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
 それが事実を変えることはない。
 運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がスクリーン上
 に絵を描いていく。
 あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリーンでもあ
 るのだ。
 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
 その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
 その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるのだ。(p498)


見ているものA

 (究極的に、世界は存在するのか、しないのか、というなら)
 あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
 あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
 それが事実を変えることはない。
 運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がスクリーン上
 に絵を描いていく。
 あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリーンでもあ
 るのだ。
 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
 その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
 その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるのだ。(p498)


運命のフィルムさえ

 (究極的に、世界は存在するのか、しないのか、というなら)
 あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
 あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
 それが事実を変えることはない。
 運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がスクリーン上
 に絵を描いていく。
 あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリーンでもあ
 るのだ。
 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
 その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
 その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるのだ。(p498)


自らに課された

 (究極的に、世界は存在するのか、しないのか、というなら)
 あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
 あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
 それが事実を変えることはない。
 運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がスクリーン上
 に絵を描いていく。
 あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリーンでもあ
 るのだ。
 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
 その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
 その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるのだ。(p498)


欲求不満

 そこに身体と、身体との同一化との感覚があるかぎり、欲求不満は避けられ
 ないものだ。
 あなたが身体とは完全に異なり、相容れないものだと知ったときにだけ、
 「私は身体だ」という観念に不可避の恐れと欲望の入り交じった状態から休
 息を見いだすのだ。
 単に恐れをなだめたり欲望を満たしたりすることでは、あなたが逃避したが
 っている空虚な感覚を取り除くことはできない。(p499)


自己知識A

 ただ自己知識だけがあなたを助けることができるのだ。
 自己知識ということで、私はあなたが何ではないのかということの完全な知
 識を意味している。
 そのような知識は到達可能であり、最終的なものだ。
 だが、あなたが何であるかを発見していくことに終焉はありえない。
 発見していけばいくほど、より多く発見することが残るのだ。(p499)


環境態度

 あなたに環境を変えることはできない。
 だが、あなたの態度を変えることはできる。
 非本質的なことに執着する必要はないのだ。
 ただ本質的なことだけが正しい。
 本質的なことのなかにのみ平和は在るのだ。(p499)


本質的なこと@

 あなたに環境を変えることはできない。
 だが、あなたの態度を変えることはできる。
 非本質的なことに執着する必要はないのだ。
 ただ本質的なことだけが正しい。
 本質的なことのなかにのみ平和は在るのだ。(p499)


平和真実

 あなたが平和でないかぎり、真実を見いだすことはできない。
 静かなマインドは正しい知覚にとって欠かせないものだ。
 それはまた、真我の実現にとっても要求されるのだ。(p499)
好み:(-||-)

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