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書名: 『I AM THAT 私は在る  ニサルガダッタ・マハラジとの対話

書誌:
英訳者  モーリス・フリードマン
編集者  スダカール・S・ディクッシット
翻訳者  福間 巌
発行所  株式会社ナチュラルスピリット(2005年6月8日初版発行)
       http://www.naturalspirit.co.jp/
索引:
 ニサルガダッタ・マハラジ辞書

引用:


自由心配

 自由とは心配からの自由なのだ。
 あなたが結果に影響を与えることはできないと自覚したからには、欲望と恐
 れに注意を払うことはやめなさい。
 それらを来ては去っていかせなさい。
 それらに興味や注意といった栄養を与えて助長してはならない。(p500)


生命

 「次は何か?」と心配する必要はない。
 つねに次はやってくる。
 生命ははじまりも終わりもしない。
 不動でありながら、それは動き、一時的でありながら、それは継続していく。
 数えきれないほどの画像が投影されたとしても、光が使い尽くされることは
 ない。
 生命もまたあらゆる形態をいっぱいに満たし、その形態が崩壊したとき、そ
 の源に戻っていくのだ。(p500)


無知不注意

 無知について尋ねる前に、まず誰が無知なのかを調べなさい。
 あなたが無知だと言うとき、感情と思考の現状に無知という観念を押しつけ
 たことをあなたは知らないのだ。
 それが起こるときを調べてみなさい。
 完全な注意を払いなさい。
 すると、あなたは無知といったものはまったく存在せず、ただ不注意があっ
 ただけだということを知るだろう。
 あなたが心配することに注意を払いなさい。
 ただそれだけだ。
 結局のところ、心配とは精神的な苦痛であり、苦痛とはつねに注意を呼び起
 こしていることなのだ。
 あなたが注意を払う瞬間、苦痛はやむ。
 そして無知という問題は消え去る。(p500-501)


心配注意

 あなたが心配することに注意を払いなさい。
 ただそれだけだ。
 結局のところ、心配とは精神的な苦痛であり、苦痛とはつねに注意を呼び起
 こしていることなのだ。
 あなたが注意を払う瞬間、苦痛はやむ。
 注意はあなたを現在に連れ戻す。
 今、そして今のなかにある存在はつねに手に入る状態だ。
 だが、気づかれることはまれなのだ。(p501)


マインド実在A

 世界とはマインドの表面だ。
 そしてマインドは無限なのだ。
 私たちが想念と呼ぶものは、マインドのなかのさざ波にすぎない。
 マインドが静かなとき、それは実在を反映する。
 マインドが徹底的に不動であるとき、それは消え去り、ただ実在だけが残る
 のだ。
 この実在は非常に堅固であり、現実であり、マインドや物質よりも実質的な
 ものだ。(p503)


世界実在

 世界とはマインドの表面だ。
 そしてマインドは無限なのだ。
 私たちが想念と呼ぶものは、マインドのなかのさざ波にすぎない。
 マインドが静かなとき、それは実在を反映する。
 マインドが徹底的に不動であるとき、それは消え去り、ただ実在だけが残る
 のだ。
 この実在は非常に堅固であり、現実であり、マインドや物質よりも実質的な
 ものだ。
 それに比べればダイヤモンドさえもバターのように柔らかい。
 この圧倒的な実在の現実性が、世界を夢のように霧のかかった無意味なもの
 にするのだ。(p503)


平和沈黙

 私の世界では、苦しみ、欲望、恐れの種子はまかれてはいない。
 それゆえ、苦しみは育たないのだ。
 私の世界は対極から自由であり、相互に破壊的な不一致がなく、調和が遍在
 しているのだ。
 その平和は岩のように堅固であり、この平和と沈黙が私の身体なのだ。(p503)


唯一の問題

 結局、あなたの唯一の問題とは、何であれあなたが知覚するものと、熱心に
 自己同一化することなのだ。
 この習慣を捨てなさい。
 あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
 注意深く、超然と離れて在る力を使いなさい。
 あなた自身を生きているものすべてのなかに見なさい。
 そうすれば、あなたのふるまいはあなたの見解を表現するだろう。
 ひとたびこの世界にあなた自身のものと呼べるものは何もないと悟れば、あ
 なたはそれをステージ上の劇やスクリーン上の画像を見るように外側から見
 る。
 賞賛し、楽しみながら、しかも実際には動じることのないままに。
 あなたがあなた自身を何か現実の実体のあるもののひとつとして、時間と空
 間のなかに実際に存在し、短命で壊れやすいものだと想像するならば、当然、
 あなたは存続し、拡大していくことを切望するようになるだろう。
 だが、あなたが時間と空間を超え、今ここの点においてのみ接触し、そうで
 なければすべてに遍在し、すべてを抱擁する、到達不可能、難攻不落、不滅
 なるものだと知るとき、もはや恐れることは何もなくなるのだ。
 あるがままのあなたを知りなさい。
 ほかに恐れに対する治療法はない。(p503)


幸福快楽A

 快楽はものに依存している。
 幸福は依存しない。(p505)


もの幸福

 幸福となるためにものが必要だと信じているかぎり、ものの不在によって不
 幸になるに違いないと信じることだろう。
 マインドはそれが信じることにしたがって形づくられるのだ。
 それゆえ人は、幸福になろうと駆りたてられる必要はないのだと確信するこ
 とが重要なのだ。(p505)


快楽幸福

 快楽は混乱と厄介者であり、幸福になるには何かをもち、何かをしなければ
 ならないという偽りの確信を、単に増長するだけなのだ。(p505)


幸福不幸

 不幸であるとき以外、幸福について話したりはしない。
 「私は今幸せです」と言う人は、過去と未来という二つの不幸の間にいるの
 だ。
 この幸福は苦痛から解放されたことによる単なる興奮にすぎない。(p505)


真の幸福A

 真の幸福とは、まったく自己意識のない状態だ。
 それがもっとも良く表されるのは否定によって、「何も私には間違ったとこ
 ろはない。私には何も心配することがない」と言うことだ。
 結局、すべてのサーダナの最終的な目的は、この確信が言葉上のものでなく、
 実際の常在の体験を根底にした地点に到達することなのだ。(p505)


真の住処(すみか)

 あなたの真の住処はすべての内容物が空っぽの、無のなかにあるのだ。(p506)


真の幸福B

 (真の)幸福には何の原因もなく、原因のないものは不動だということだ。
 それは快楽のように知覚可能なものではない。
 知覚可能なものは苦痛と快楽なのだ。
 不幸から解放された状態は否定を通してしか描写できない。
 それを直接知るには、因果律に耽溺したマインドと時間の支配を超えていか
 なければならないのだ。(p506)


意識的存在

 意識的存在は条件と環境の産物であり、それらに依存し、それらとともに変
 化する。
 独立し、創造されたものではなく、永遠で不変のもの、しかもつねに新しく
 新鮮なものはマインドを超えている。
 それについて考えるとき、マインドは消え去り、ただ幸福だけが残るのだ。(p506)


気づき

 意識は来ては去っていく。
 気づきは永遠不変に輝くのだ。(p507)


個人意識

 個人がそこにいるとき、意識もまたそこにある。
 「私は在る」、マインド、意識はどれも同じ状態を表している。
 もしあなたが「私は気づいている」というなら、それは「私は気づいている
 ことについて考えていることを意識している」という意味だ。(p507)


気づいている

 もしあなたが「私は気づいている」というなら、それは「私は気づいている
 ことについて考えていることを意識している」という意味だ。
 気づきの中に「私は在る」はない。(p507)


アイデンティティB

 個人、「私は身体だ」、このマインド、この記憶の連鎖、この一束の欲望と
 恐れは消え去る。
 だが、アイデンティティと呼ばれる何かはそのまま残る。
 それは必要とされるとき、私が個人となることを可能にするのだ。
 愛はそれ自身の必要性をつくり出すのだ。
 ひとりの個人と成ることさえも。(p507)


実在表現

 (実在と表現には)何の関係もない。
 実在のなかではすべてが真正で同一なのだ。
 それは、私たちが「サグナ(顕現)とニルグナ(非顕現)はパラブラフマン
 (至高の実在)のなかでひとつだ」と表現するのと同じだ。
 ただ至高なるものだけが存在するのだ。
 運動のなかでは、それはサグナであり、不動においては、それはニルグナな
 のだ。
 だが、動いているのは、あるいは動かないのはマインドだけだ。
 実在は彼方にあり、あなたも彼方にある。(p507)


知覚可能

 ひとたびあなたが知覚可能、想像可能なものはあなた自身ではありえないと
 理解するならば、あなたはあなたの想像から自由になる。
 すべてを欲望から生まれた想像だと見ることは、真我の実現に必要不可欠な
 のだ。(p507)


想像実在

 ひとたびあなたが知覚可能、想像可能なものはあなた自身ではありえないと
 理解するならば、あなたはあなたの想像から自由になる。
 すべてを欲望から生まれた想像だと見ることは、真我の実現に必要不可欠な
 のだ。
 私たちは注意の欠如から実在を失い、過剰な想像から偽りを生みだすのだ。(p507)


カルマ

 カルマとは神の力によって処方された治療法なのだ。
 それを歓迎し、その指導に信頼をもって従うがいい。
 そうすればあなたは良くなるだろう。
 回復すれば患者は病院を去っていく。
 選択と行為の即座の自由をせがむことは、単に回復を延長させるだけだ。
 運命を受け入れ、それを満たすがいい。
 これが運命からの自由への近道なのだ。(p508)


束縛自由

 欲望と恐れから行為することは束縛だ。
 愛から行為することが自由なのだ。(p508)


運命恩寵

 運命と恩寵は絶対的に同じものだ。
 人生を起こるがままに受け入れなさい。
 そうすれば、あなたはそれが祝福に満ちていることを知るだろう。(p509)


得心勇気

 完全な得心が欲望と勇気を生みだす。
 そして瞑想とは理解を通して信念を得る技なのだ。
 瞑想のなかで、あなたは受けた教えについてあらゆる角度から繰り返し熟考
 する。
 明晰性から確信が生まれ、確信とともに行為が生まれるのだ。(p509)


瞑想信念

 完全な得心が欲望と勇気を生みだす。
 そして瞑想とは理解を通して信念を得る技なのだ。
 瞑想のなかで、あなたは受けた教えについてあらゆる角度から繰り返し熟考
 する。(p509)


明晰性

 明晰性から確信が生まれ、確信とともに行為が生まれるのだ。
 確信と行為は不可分なものだ。
 もし行為が確信に続かなければ、まず、あなたの確信を調べてみなさい。
 勇気のないことで自分を非難してはならない。
 自己欺瞞はあなたをどこへも連れていきはしない。
 明晰性と感情をともなった同意なしに、意志が何の役に立つだろうか?(p509)


確信行為

 明晰性から確信が生まれ、確信とともに行為が生まれるのだ。
 確信と行為は不可分なものだ。
 もし行為確信に続かなければ、まず、あなたの確信を調べてみなさい。
 勇気のないことで自分を非難してはならない。
 自己欺瞞はあなたをどこへも連れていきはしない。
 明晰性と感情をともなった同意なしに、意志が何の役に立つだろうか?(p509)


準備行為

 現在における行為は、それほどあなたの準備によって助けられているわけで
 はない。
 明晰性は今にある。
 行為は今にある。
 準備について考えることが行為を妨害するのだ。
 そして、行為は実在の試金石なのだ。(p509)


試金石

 現在における行為は、それほどあなたの準備によって助けられているわけで
 はない。
 明晰性は今にある。
 行為は今にある。
 準備について考えることが行為を妨害するのだ。
 そして、行為は実在の試金石なのだ。(p509)


唯一の悪

 愚かさと利己心が唯一の悪なのだ。(p515)


苦行

 人生のあらゆる浮き沈みにであうことは充分な苦行だ!
 苦難を発明する必要などない。
 何であれ、人生がもたらすものを明るく受け入れていくことが、あなたに必
 要な苦行のすべてだ。(p515)


創造者A

 「私は在る」が変わらぬ事実だ。
 一方、「私は創造された」はひとつの観念だ。
 神も宇宙もあなたのもとへやって来て、彼らがあなたを創造したと伝えはし
 なかった。
 因果関係の概念に取りつかれたマインドが創造を発明し、そして「創造者は
 誰なのかと不思議がるのだ。
 マインド自体が創造者だ。
 これさえもまた完全な真実ではない。
 なぜなら創造されたものと創造者はひとつだからだ。
 マインドと世界はひとつだ。
 あなたが世界として考えているものは、あなた自身のマインドなのだという
 ことを理解しなさい。(p521)


幸福の秘密

 あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
 あなたに言おう。
 これが幸福の秘密なのだ。
 あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自己の真の本
 性に関するあなたの無知によるものなのだ。
 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
 智慧なのだ。(p523)


純粋な水の味

 あなた自身に関してあらゆる類の観念を持っているかぎり、あなたはあなた
 自身をそれらの観念を通して知るのだ。
 あなたをあるがままに知るには、すべての観念を捨て去らなければならない。
 純粋な水の味を想像することはできない。
 すべての味を放棄することによってのみ、それを発見することができるのだ。(p528)


現在の生き方

 現在の生き方に興味を持っているかぎり、あなたはそれを放棄しないだろう。
 なじみのあることにしがみついているかぎり、発見は訪れないだろう。
 人生の計り知れない悲しみを完全に自覚し、それに対して抵抗するときにの
 み、出口は見いだされるのだ。(p528)


在りなさいA

 在ることを試みなさい。
 ただ在りなさい。
 重要な言葉は「試みること」だ。
 一日の中で、充分な時間を静かに座ることに当てなさい。
 ただ人格と、その耽溺や妄想を超えていくように試みなさい。
 どのようにするかを尋ねてはならない。
 それは説明できないのだ。
 ただ、成功するまで試みつづけなさい。
 もしあなたが忍耐強くあれば、失敗はありえない。
 もっとも重要なことは誠実さ、真剣さだ。
 あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
 していなければならないのだ。
 そしてこのひと束の記憶と習慣との無用な自己同一化から自由となる緊急の
 必要性を見なさい。
 この無用な自己同一化に対する揺るぎない抵抗が成功の秘密なのだ。(p528)


試みること

 在ることを試みなさい。
 ただ在りなさい。
 重要な言葉は「試みること」だ。
 一日のなかで、充分な時間を静かに座ることに当てなさい。
 ただ人格と、その耽溺(たんでき)や妄想を超えていくように試みなさい。
 どのようにするかを尋ねてはならない。
 それは説明できないのだ。
 ただ、成功するまで試みなさい。
 もっとも重要なことは誠実さ、真剣さだ。(p528)


うんざり

 在ることを試みなさい。
 ただ在りなさい。
 重要な言葉は「試みること」だ。
 一日の中で、充分な時間を静かに座ることに当てなさい。
 ただ人格と、その耽溺や妄想を超えていくように試みなさい。
 どのようにするかを尋ねてはならない。
 それは説明できないのだ。
 ただ、成功するまで試みつづけなさい。
 もしあなたが忍耐強くあれば、失敗はありえない。
 もっとも重要なことは誠実さ、真剣さだ。
 あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
 していなければならないのだ。
 そしてこのひと束の記憶と習慣との無用な自己同一化から自由となる緊急の
 必要性を見なさい。
 この無用な自己同一化に対する揺るぎない抵抗が成功の秘密なのだ。(p528)


記憶と習慣

 あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
 していなければならないのだ。
 そしてこのひと束の記憶と習慣との無用な自己同一化から自由となる緊急の
 必要性を見なさい。
 この無用な自己同一化に対する揺るぎない抵抗が成功の秘密なのだ。(p528)


成功の秘密

 在ることを試みなさい。
 ただ在りなさい。
 重要な言葉は「試みること」だ。
 一日の中で、充分な時間を静かに座ることに当てなさい。
 ただ人格と、その耽溺や妄想を超えていくように試みなさい。
 どのようにするかを尋ねてはならない。
 それは説明できないのだ。
 ただ、成功するまで試みつづけなさい。
 もしあなたが忍耐強くあれば、失敗はありえない。
 もっとも重要なことは誠実さ、真剣さだ。
 あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
 していなければならないのだ。
 そしてこのひと束の記憶と習慣との無用な自己同一化から自由となる緊急の
 必要性を見なさい。
 この無用な自己同一化に対する揺るぎない抵抗が成功の秘密なのだ。(p528)


他者への依存

 他者への依存はすべて不毛なことだ。
 なぜなら、他者が与えるものは、他者によって取り去られるからだ。
 初めからあなた自身のものだけが、最後まであなた自身のものとして残るの
 だ。
 内なる導き手だけを受け入れなさい。
 そしてすべての記憶を捨て去りなさい。
 なぜなら、それらはあなたを惑わせるからだ。
 たとえ、あなたがまったく方法や手段について無知であったとしても、静か
 にしていなさい。
 そして内側を見なさい。
 導きはかならずやってくる。
 つぎの一歩がどうあるべきかを知らないまま、取り残されることはけっして
 ないだろう。
 問題は、あなたがそれを避けるかも知れないことだ。
 グルは、彼の体験と成功からあなたに勇気を与えるためにそこにいる。
 だが、あなた自身の気づきと努力を通して発見したことだけが、あなたにと
 って永久に役立つだろう。(p529)


他者への興味

 あなたの他者への興味が利己的、自己中心的、自分思考なのだ。
 あなたは個人としての他者に興味があるのではない。
 ただ彼らがあなた自身のイメージを豊かに高めるかぎり興味をもつのだ。(p529)


利己主義身体

 究極的な利己主義とは、自己の身体の保護、維持、そして繁殖だけを
 気にすることだ。
 身体ということで、私はあなたの名前と形に関するすべて――あなたの家族、
 部族、国、人種などを意味している。
 自己の名前と形に執着することは利己主義なのだ。(p529)


利己的とは

 自分が身体でもマインドでもないと知っている人は、利己的ではありえない。
 なぜなら、彼は利己的になるための何ものももってはいないからだ。
 あるいは、彼は出会うすべての人のために、等しく「利己的」であるとも言
 えるだろう。
 すべての人の幸福が彼自身のものなのだ。
 「私は世界だ。世界は私自身だ」という感覚はまったく自然になり、ひとた
 びそれが確立されたら、けっして利己的であることはない。
 利己的であることとは、部分が全体に対して欲望し、獲得し、蓄積すること
 を意味しているのだ。(p529-530)


ほかの人

 ほかの人だ。
 ほかの人なのだ。
 名前と形において私たちは異なっている。
 だが、そこに分離はない。
 存在の根本において、私たちはひとつなのだ。(p530)


選択

 選択しない。
 欲望が選択するのだ。
 のなかに他者はいない。
 利己主義の中心がもはやないとき、すべての快楽への欲望と苦痛への恐れは
 やむ。
 人はもはや幸福であることに興味を持たなくなる。
 幸福を超えたところに、純粋で強烈な、無尽蔵のエネルギー、永久に枯渇す
 ることのない源から与えることの歓喜があるのだ。(p530)


カルマ運命

 カルマ、あるいは運命は有益な法則の表現だ。
 普遍的なものは均衡、調和、統一に向かう傾向がある。
 あらゆる瞬間において、何であれ起こっていることは最善のためのものだ。
 それは苦しいもの、あるいは醜いもの、苦渋に満ち、無意味なものかもしれ
 ない。
 それでも、過去と未来のことを考えれば、それは破滅的な状況からの出口と
 して最善のものなのだ。(p530)


苦しみ

 は自分自身が何であると考えるかにしたがって苦しむ。
 あなたが人類とひとつであると感じるならば、あなたは人類とともに苦しむ
 のだ。
 
 在ることとは苦しむことなのだ。
 自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみはより激しい
 ものとなるのだ。(p530)


キリスト教

 キリスト教は言葉を構成するひとつの方式であり、ヒンドゥー教はまた別の
 方式なのだ。
 実在は言葉の背後に、そしてその彼方にある。(p531)


実在非実在A

 実在は言葉の背後に、そしてその彼方にある。
 それは伝達不可能でありながら直接体験され、マインドに爆発的影響を及ぼ
 すものなのだ。
 他に何も望むものがないとき、実在は容易に手に入る。
 非実在は想像によって創造され、欲望によって永続されるのだ。(p531)


犯罪

 は合法化された犯罪でしかない。
 報復よりも防止をもとに築かれた社会では、犯罪は非常にまれなのだ。
 不健全なマインドと身体によって起こったようないくつかの例外は、医学的
 に扱われることだろう。(p531)


宗教行為

 記録された宗教は単なる無用な言葉の山にすぎない。
 宗教はその真実の顔を行為のなかで、沈黙の行為のなかで示すのだ。
 人が何を信じているかを知るには、彼の行為を見守るがいい。
 大半の人びとにとっては、身体とマインドに仕えることが彼らの宗教なのだ。
 彼らは宗教的理念をもっているかもしれない。
 だが、それにしたがって行為することはない。
 彼らはその理念をもてあそぶかもしれない。
 そして、しばしば非常にその理念を好んでいるかもしれない。
 それでも、それにしたがって行為することはないだろう。(p532)


苦しみを超え
 青春、活力、金銭――それらはすべて、あなたが予期したよりも足早に過ぎ
 去っていくだろう。
 そして、それまで避けてきた悲しみがあなたにつきまとうだろう。
 もしあなたが苦しみを超えたければ、自らそれを出迎えに行き、抱きしめな
 ければならないのだ。(p534)


変化知覚

 楽しみとはマインドの状態だ――それは来ては去っていくものだ。
 そのはかなさそのものが、それを知覚可能にする。
 変化しないものを意識することはできない。
 意識とはすべて、変化の意識なのだ。
 だが、変化知覚すること自体、不変の背景の存在を前提しているのだ。(p535)


記憶現実

 ほんの一瞬前、記憶されたことは現実であったし、一瞬のうちに現実記憶
 となるだろう。
 何が現実を独特のものにするのだろうか?
 明らかに、それはあなたの存在の感覚だ。
 記憶と期待の中には観察されている精神的状態という明かな感覚がある。
 一方、現実の中には根元的な現在の存在、そして気づきがそこにあるのだ。
 あなたがどこへ行こうと、今、ここという感覚はつねにあなたとともにある。
 それはつまり、あなたは時間と空間に依存していないということだ。(p535)


時間と空間

 あなたがどこへ行こうと、今、ここという感覚はつねにあなたとともにある。
 それはつまり、あなたは時間と空間に依存していないということだ。
 時間と空間はあなたのなかにあり、あなたがそれらのなかにあるのではない。
 時間と空間に限定された身体との自己同一化が、あなたに有限の感覚を与え
 るのだ。
 実際には、あなたは無限で永遠なのだ。(p535)


自己

 あなたが知りたがっている自己、それは何か二番目の自己のようなものだろ
 うか?
 もちろん、そこにはひとつの自己があるだけだ。
 そしてあなたがその自己なのだ。
 あなたである自己、それが唯一存在する自己だ。
 あなた自身に関する誤った観念を取り除き、放棄しなさい。
 するとすべての荘厳さとともに、それはそこにある。
 自己知識を妨げるのはあなたのマインドだけなのだ。(p536)


マインド観念

 マインドというようなものはないのだ。
 そこには観念があって、それらのなかのいくつかは間違ったものなのだ。
 誤った観念を放棄しなさい。
 なぜならそれらは偽りであり、あなた自身に関するあなたの見解を妨げるか
 らだ。(p536)


自己主張

 普通、自己主張が誤りであり、自己否定が正しいのだ。
 
 ただ否定によってのみ、人は生きることができるのだ。
 自己主張は束縛だ。
 疑うことと否定することがなくてはならない。
 それは反抗の本質だ。
 そして反抗することなしに解放はありえないのだ。(p536)


反抗解放

 普通、自己主張が誤りであり、自己否定が正しいのだ。
 
 ただ否定によってのみ、人は生きることができるのだ。
 自己主張は束縛だ。
 疑うことと否定することがなくてはならない。
 それは反抗の本質だ。
 そして反抗することなしに解放はありえないのだ。(p536)


高次の自己

 そこに探求すべき第二の、あるいは高次の自己というものはない。
 あなたが最高位の自己なのだ。
 ただ、あなた自身に関する偽りの観念を捨て去りなさい。
 あなたは身体、そしてその欲望と恐れではなく、またマインドとその幻想的
 な観念でもなく、社会があなたに演じるように強要した個人としての役柄で
 もないと、信念と理性があなたに告げているのだ。
 偽物を捨て去りなさい。(p536)


あなた自身A

 そこに探求すべき第二の、あるいは高次の自己というものはない。
 あなたが最高位の自己なのだ。
 ただ、あなた自身に関する偽りの観念を捨て去りなさい。
 あなたは身体、そしてその欲望と恐れではなく、またマインドとその幻想的
 な観念でもなく、社会があなたに演じるように強要した個人としての役柄で
 もないと、信念と理性があなたに告げているのだ。
 偽物を捨て去りなさい。
 そうすれば真実はそれ自体で現れるだろう。
 
 あなたはあなた自身を知りたいと言う。
 あなたがあなた自身なのだ。
 あなたはあなた以外の何者にもなれない。
 知ることと在ることは別々だろうか?
 あなたがマインドをもって知ることは何であれマインドのものであって、あ
 なたではない。
 あなた自身についてあなたに言えることは「私は在る。私は気づいている。
 私はそれを愛する」だ。(p536)


苦しむ

 あなたが苦しむのではない。
 あなたがあなた自身だと思いこんでいる個人が苦しむのだ。
 気づきのなかでそれを消し去りなさい。
 それは記憶と習慣の束でしかないのだ。(p536)


ロケットのように

 あなたが知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえず、何であ
 れ、意識の領域に現れるものは自己ではないとひとたび理解したなら、より
 深い自己実現への唯一の方法として、すべての自己同一化を断ち切ることだ
 ろう。
 否定することによって、文字どおりあなたは、まさにロケットのように進歩
 するのだ。
 あなたが身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、しかもその両方に気
 づいていると知ることは、すでに自己知識なのだ。(p537)


あなたはそれだ

 「何も私ではない」が第一段階だ。
 「すべてが私だ」がつぎの段階だ。
 そのどちらも「そこに世界が存在する」という観念にかかっている。
 この観念もまた放棄されたとき、あなたはあるがままの非二元性のあなたと
 して残る。
 今ここで、あなたはそれなのだ。
 だが、あなたの視野は自己に関する偽りの観念によって妨げられているのだ。(p537)


偽りの観念

 「何も私ではない」が第一段階だ。
 「すべてが私だ」がつぎの段階だ。
 そのどちらも「そこに世界が存在する」という観念にかかっている。
 この観念もまた放棄されたとき、あなたはあるがままの非二元性のあなたと
 して残る。
 今ここで、あなたはそれなのだ。
 だが、あなたの視野は自己に関する偽りの観念によって妨げられているのだ。(p537)


不調和不平

 あなたが不調和をつくり出しておいて、それから不平を言うのだ。
 欲望をもち恐れるとき、そして感情と自己同一化するとき、あなたは不幸と
 束縛を生みだす。
 あなたが愛と智慧とともに創造し、そして創造したものに執着しないとき、
 結果は調和と平和となるのだ。(p538)


マインドへの隷属

 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
 不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
 あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によって遠い未
 来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のものとして使われるため
 にそこにあることが明らかになるまでは、自由という目的を心に保ちなさい。
 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
 あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇気だ。(p538)


束縛創造

 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
 不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
 あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によって遠い未
 来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のものとして使われるため
 にそこにあることが明らかになるまでは、自由という目的を心に保ちなさい。
 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
 あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇気だ。(p538)


執着反感

 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
 不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着反感への鎖を断ち切るのだ。
 あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によって遠い未
 来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のものとして使われるため
 にそこにあることが明らかになるまでは、自由という目的を心に保ちなさい。
 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
 あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇気だ。(p538)


自由であること

 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
 不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
 あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によって遠い未
 来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のものとして使われるため
 にそこにあることが明らかになるまでは、自由という目的を心に保ちなさい。
 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
 あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇気だ。(p538)


解放勇気

 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
 不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
 あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によって遠い未
 来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のものとして使われるため
 にそこにあることが明らかになるまでは、自由という目的を心に保ちなさい。
 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
 あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇気だ。(p538)


起こる当人

 知覚されたものは知覚者ではありえない、と覚えておくことを覚えておきな
 さい。
 あなたが何を見ようと、聞こうと、考えようと、覚えようと――起こること
 があなたなのではない。
 あなたはそれが起こる当人なのだ。
 「私は在る」という感覚のなかに深く潜っていきなさい。
 そうすれば、かならず知覚の中心が、世界を照らす光のように普遍的である
 ことを発見することだろう。
 宇宙のなかで起こることはすべて、沈黙の観照者であるあなたに起こる。
 その反対に、何であれ為されたことは、普遍的で無尽蔵のエネルギーである
 あなたによって為されるのだ。(p538-539)


知覚の中心

 知覚されたものは知覚者ではありえない、と覚えておくことを覚えておきな
 さい。
 あなたが何を見ようと、聞こうと、考えようと、覚えようと――起こること
 があなたなのではない。
 あなたはそれが起こる当人なのだ。
 「私は在る」という感覚のなかに深く潜っていきなさい。
 そうすれば、かならず知覚の中心が、世界を照らす光のように普遍的である
 ことを発見することだろう。
 宇宙のなかで起こることはすべて、沈黙の観照者であるあなたに起こる。
 その反対に、何であれ為されたことは、普遍的で無尽蔵のエネルギーである
 あなたによって為されるのだ。(p538-539)


知る在る

 あなたが何かを直接知る前に、言葉を通してではなく知る者を知らなければ
 ならないのだ。
 今まで、あなたはマインドを知る者と見なしてきた。
 だが、そうではないのだ。
 マインドはイメージと観念をあなたに詰め込んできた。
 それは記憶に傷跡を残すのだ。
 あなたは覚えていることを知識だと思いこんできた。
 真の知識とはつねに新鮮で、新しく、予期できないものだ。
 それはあなたの内面から沸き上がってくるのだ。
 あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知る者でも在る。
 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。(p539)


真の知識

 あなたが何かを直接知る前に、言葉を通してではなく知る者を知らなければ
 ならないのだ。
 今まで、あなたはマインドを知る者と見なしてきた。
 だが、そうではないのだ。
 マインドはイメージと観念をあなたに詰め込んできた。
 それは記憶に傷跡を残すのだ。
 あなたは覚えていることを知識だと思いこんできた。
 真の知識とはつねに新鮮で、新しく、予期できないものだ。
 それはあなたの内面から沸き上がってくるのだ。
 あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知る者でも在る。
 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。(p539)


私が教える道

 私が教える道は、理解を通して至る太古からのシンプルな解放の道だ。
 あなたのマインドを理解しなさい。
 そうすればマインドはあなたをつかんでいる手をぱっと放すだろう。
 マインドとは誤解するものだ。
 誤解がその本性そのものなのだ。
 正しい理解が唯一の治療法だ。
 あなたがそれをどう呼ぼうとも。
 理解の道はもっとも原初の、そして最新の治療法なのだ。
 なぜなら、それはマインドをあるがままに扱うからだ。(p540)


マインド誤解

 私が教える道は、理解を通して至る太古からのシンプルな解放の道だ。
 あなたのマインドを理解しなさい。
 そうすればマインドはあなたをつかんでいる手をぱっと放すだろう。
 マインドとは誤解するものだ。
 誤解がその本性そのものなのだ。
 正しい理解が唯一の治療法だ。
 あなたがそれをどう呼ぼうとも。
 理解の道はもっとも原初の、そして最新の治療法なのだ。
 なぜなら、それはマインドをあるがままに扱うからだ。(p540)


唯一の治療法

 私が教える道は、理解を通して至る太古からのシンプルな解放の道だ。
 あなたのマインドを理解しなさい。
 そうすればマインドはあなたをつかんでいる手をぱっと放すだろう。
 マインドとは誤解するものだ。
 誤解がその本性そのものなのだ。
 正しい理解が唯一の治療法だ。
 あなたがそれをどう呼ぼうとも。
 理解の道はもっとも原初の、そして最新の治療法なのだ。
 なぜなら、それはマインドをあるがままに扱うからだ。(p540)


理解の道

 私が教えるは、理解を通して至る太古からのシンプルな解放のだ。
 あなたのマインドを理解しなさい。
 そうすればマインドはあなたをつかんでいる手をぱっと放すだろう。
 マインドとは誤解するものだ。
 誤解がその本性そのものなのだ。
 正しい理解が唯一の治療法だ。
 あなたがそれをどう呼ぼうとも。
 理解の道はもっとも原初の、そして最新の治療法なのだ。
 なぜなら、それはマインドをあるがままに扱うからだ。(p540)


変わる

 何をしようとあなたが変わることはないだろう。
 なぜなら、あなたには変わる必要がないからだ。
 あなたは身体やマインドを変えるかもしれない。
 だが、それはつねにあなたではなく、何か外側が変わったのだ。
 いったいどうして変わることを気にするのか?
 身体もマインドも、また意識さえもあなた自身ではないと、きっぱりと自覚
 しなさい。
 そして意識も無意識も超えたあなたの真の本性のなかにひとり在りなさい。
 明確な理解を除いては、いかなる努力もあなたをそこへ連れていかないだろ
 う。
 あなたの誤解を明らかにし、それを捨て去りなさい。
 ただそれだけだ。
 そこには探したり、見いだしたりするものは何もない。
 なぜなら、何も失われてはいないからだ。
 リラックスしなさい。
 そして「私は在る」を見守りなさい。
 実在はその背後にあるのだ。
 静かにしなさい。
 沈黙しなさい。
 それは現れるだろう。
 あるいはむしろ、それがあなたをそのなかへと連れていくだろう。(p540)


改善

 あなた自身を改善しようと試みてはならない。
 ただすべての変化が無駄であることを見るのだ。
 変化するものは変化しつづける。
 その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。
 変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、期待してはならな
 い。
 それはけっして起こらない。(p541)


変化不変

 あなた自身を改善しようと試みてはならない。
 ただすべての変化が無駄であることを見るのだ。
 変化するものは変化しつづける。
 その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。
 変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、期待してはならな
 い。
 それはけっして起こらない。
 変化という観念自体が偽りとして見られ、放棄されたときにのみ、不変なる
 ものがおのずと現れるのだ。(p541)


変化マインド

 すべての変化はただマインドに影響を与えるだけだ。
 あなたであるもので在るには、マインドを超え、自己の存在のなかへと行か
 なければならない。
 マインドが何なのかということは重要でない。
 もしあなたがマインドを永遠に捨て去るならばだが。
 これもまた、真我の実現なしには不可能だ。(p541)
好み:(-||-)

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