見晴らしプロジェクトB

今晩は、pari です。


>ゆうべからベッドの中で一睡もできぬままに
>(いつもの目のくせがついているみたいです)
>例の冨士での平和の祈りの行事に行きますが、
>以下の文章をプリントアウトしてもってゆき、
>東名のSAで楽しみに読ませてもらいます。

Akaam、ありがとう。
誰かが読んでいてくれる、と思って書けます。(^^;)


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さて、情報の「分類枠」の構成を“入荷する商品”に依存できない、という 事態について話していました。

まるで、ビデオショップの店員さんが、「実際の品揃えとは無関係に、自分 のイメージの陳列棚を造ってみろ」と言われたようなものです。

あるいは、これまで「中間」「期末」の“試験”に合わせて授業を展開して きた教師が、急に「これから試験をなくすので、あなたが理想的だと思う授 業をしてください」と“宣告”されたようなものです。

そうなると、その先生は試験のない授業というものの感じをつかむために、 それこそ「シュタイナー学校」にでも出かけてみるしかないかもしれません。

そうしたら、「シュタイナー学校」では生命現象そのものの捉え方から話が 始まっていたりして……。(^^;)

いや、冗談を抜きにして、実際に、そういうことになります。
全情報空間って、どんなものなんだろう……。(-_-;)」ってことを考える ということは、“人間のあらゆる関心分野”を鳥瞰するような絵柄を考える ということですから、ひいては、結局、“生命現象の全体とは、いったいど ういうものなんだろう……”ということに行き着かざるをえません。

でも、“生命現象の全体がどういうものか”を教えてくれるところはないわ けだから、結局これは、“生命現象の全体をどういうものとして構想しよう か”ということにしかならなくて、これは、きわめて“主観的な”作業だと いうことになります。

しかし、いつまでも“弁解”だか“言い訳”だか分からないようなことを言っ ていてもしようがないので、現在『Wombat 見晴らしプロジェクト』が到達し ている結論をご披露しようと思います。


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まず、<全情報空間>を「レイアウト」するに当たって目標にしたことを書き ます。

◆『Wombat 見晴らしプロジェクト』の「レイアウト」の目標◆

@<全体>を意識させる設計になっていること。
A“上昇ベクトル”が内蔵されていること。

・@の「<全体>を意識させる設計」というのは、その「検索インデックス」
 を使用するたびに、いやでも“<全体>を意識せざるを得ない”というか、
 “<全体>の中での位置づけを意識しないと検索そのものができない”、
 というような「レイアウト」を目指す、ということです。

・Aの「“上昇ベクトル”が内蔵されている」というのは、じつは上の@の
 「<全体>を意識させる設計」から必然的に派生する“副次効果”として
 想定されています。

・つまり、検索対象となる“個々の情報粒子”の“掲示位置”が<全体>の
 中での“配置”として定まっているために、“いやでも”それが個々の情報
 を発信する「発信主体」の“選択”であることが自明になる、ということで
 す。

・個々の「発信主体」がそのことに“自覚的”であれ“無自覚的”であれ、い
 ずれにせよ、その「発信主体」(具体的には、たとえば、サイトの作者・管
 理者)がその“情報”を発信することは、その「発信主体」の“選択”であ
 る、ということが自明であれば、この世に“加害者”や“被害者”は存在で
 きなくなるでしょう。

・それが『Wombat 見晴らしプロジェクト』が埋設しようとする“上昇ベクトル”
 です。


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ちょっと話が飛びすぎて、何のことやら伝わらないような気もします。(*^_^*)

じつは、“個々の情報粒子”の“掲示位置”を「<全体>の中での“配置”」と して定める、ということは、考えようによっては(あるいは、考えようによらな くても (*^_^*))非常に“傲慢”なことです。

いったい、「<全体>を決めるというお前は何様なのか?」ということです。

だから、この『Wombat 見晴らしプロジェクト』が意図する「検索サイト」は、 利用者がいなければ、ただの“傲慢な夢想”に過ぎません。

しかし、いったんそれが「使える」ということが分かったら、“傲慢”であろ うとなかろうと、じっさいに、そこに行って、その“検査ルール”に従ったら、 検索者が探していた目的の情報がちゃんと見つかる、となったら、もうその 「レイアウト」が“傲慢”かどうかなんて、どうでも良くなるわけです。

そうしたら、そのサイトを利用する検索者は検索過程そのものの中で、否でも 応でも<全体>を意識しなくてはならないし、目的の“情報”があるはずの 場所を想定しなければなりません。

ある本屋に行き慣れた顧客は、そこの本屋の店内配置は自分の家のことのように 知っているでしょう。少しも迷わずに、目的のコーナーに行けるはずです。

そのとき、その本屋が普通と少し違った一風変わった本の並べ方をしていても、 好みの分野の品揃えが圧倒的に豊富な本屋だったとしたら、陳列の仕方に文句 を言うでしょうか。

「ここの親父の趣味か」と思うだけでしょう。

しかし、その本屋に入ったお客さんは、目的の本棚に到達するその行為の中で、 その本屋の陳列方法を“無意識”にも“意識”せざるをえないでしょう。

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とにかく、この『Wombat 見晴らしプロジェクト』が目指す「検索サイト」は、 個々の“情報”を仮想された<全体>の中に“配置”します。

その<全体>は、もともと何の意味もない『Wombat』なのですから、<全体> を評価・採点するどんな“根拠”も内包せず、その中の個々の“位置”にも “善悪”“優劣”はありません。

ただ、個々の“情報”は『Wombat』という<全体>を構成する個々の“位置” として“配置”され、それで“検索”が可能になっているわけです。

ここで目的の情報を検索しようとする人は、「『Wombat』本屋の親父の趣味に 合わせて」、目的の“情報”が<全体>の中のどういう“分野”に“配置”さ れているかを想定しなければなりません。

そのような検索行為そのものが、“情報粒子”の背景となっている<全体>を 意識するプロセスになっているということです。

もしそこで、検索の背景となる<全体>の「レイアウト」が、本当に“無意味 なまでにトータルな「レイアウト」”になっていれば、検索者は、検索のたび に、その“情報粒子”の“位置”が“その「発信者」の選択”であることを、 暗黙の内に意識することになるでしょう。

<すべては個々の意識主体の選択である>
“がらんどうの贅沢フロア”を擁する“『Wombat 本屋』の親父の陳列ポリシー” は、それだけです。

どんなタブーも持たずに、個々の“情報粒子”に、それが持つエネルギーにふさわ しい陳列位置を準備しようとする、それが“『Wombat 本屋』の親父のポリシー” です。

これが、『Wombat 見晴らしプロジェクト』が意図する“上昇ベクトル”の基本 アイディアです。


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で、そんな「レイアウト」が可能かどうかの詮議はひとまず措いて……。

“すべてが個々の意識主体の選択”だというメッセージがじわじわと“浸透”し てくるような「レイアウト」というものが、もし可能だとしたら……、と闇雲に 前進することにします。(^^;)

曲がりなりにも、そういう「鳥瞰図」は実現可能であるという立場に立つとして、 ここで「<全体>を見渡す」という“傲慢”の誹りを招きやすい言葉について、 『Wombat 見晴らしプロジェクト』の基本的理解に触れておきたいと思います。

いくら、“すべては個々の意識主体の選択”だなどと強がりを言っても、分から ないことは分からないわけですし、“現に<全体>が見えていない”のは事実な のですから、そのことをどう「レイアウト」の中に反映しておくか、ということ です。

で、そのため、つまり“<宇宙>の全体が見えていないのに<全体>を構想する” という矛盾を乗り越えるために、『Wombat 見晴らしプロジェクト』は次のような “基本戦略”というか“基本的理解”を採用します。

◆『Wombat 見晴らしプロジェクト』の「レイアウト」が採用する“基本的理解”◆

@<宇宙>は、空間的イメージでは“入れ子構造”になっているらしい。
A<宇宙>は、時間的イメージでは“サイクル構造”になっているらしい。

・つまり、よく耳にする“ホログラフィック・ユニヴァース”です。
 言い換えると、“見晴らし”というのは、どこまで行っても、“そこでの
 見晴らし”に過ぎないらしい、という理解であり、前提です。

・どこだから<全体>が見える、という“絶対の展望台”は存在しない
 ようだ、という“基本的理解”を採用することにします。
 「一方を証するときは一方はくらし」です。(なんちゃって。(*^_^*))

・いや、そういうものはあるかもしれませんよ。そういう“絶対的展望台”
 みたいなポイントはあるかもしれませんが、別にそんなところに到達し
 なくても<全体>を構想することはできる。
 そのためには、その「レイアウト」の中に<宇宙>の“入れ子構造”
 そのものを埋め込めばいいじゃないか、という立場を取る、
 ということです。

・この“入れ子構造”という言葉によって、宇宙は多次元の存在であり、
 そのいずれの“次元”内でも類似の構造が繰り返されている、という
 理解が暗黙に前提されているものとします。


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さて、長々と前説を書いてきましたが、やっとこれで、単刀直入に『Wombat 見晴らし プロジェクト』が現在到達している(<全体>の「鳥瞰図」の)「基本レイアウト」 をご披露する準備が整いました。(なかなか“大袈裟”でしょ。(^^;))

で、その「鳥瞰図」の「レイアウト」に地上の「情報コンテンツ」を配置してゆけば、 自動的に“地球人類の集合意識”の「鳥瞰図」ができ上がる、という寸法です。

◆『Wombat 見晴らしプロジェクト』の基本「レイアウト」◆

“ダビデの星”という、イスラエルの国旗にある図形をご存じですか。
「ヘキサグラム」とも言います。
上向きと下向きの二つの正三角形を、それぞれの重心を一点に重ねて置いた形です。

二つの三角形の計六つの頂点を、隣接している順に交互に直線で結ぶと、その重心を 中心とする正六角形ができます。

今、この正六角形の六つの頂点を中心にして、それぞれ各頂点から正六角形の中心ま での距離を半径とする六つの円を描きます。

……ところで、何という“偶然”か、ここまで書いてきて、ちょっとメーラーで受信 してみたら、次のような Setu のメッセージが入ってきました。

>普通の僕達が 左右に分離されているとしたら、
>天使は上下に分離されている。
>
>まあ、僕等は 上下と左右に分離されているって感じかな?
>左右の分離が統合された後も、上下の分離が残っている。
>
>愛の天使は 「無条件の愛」だけど、目撃が欠けている。
>目撃の天使は 「選択のない目撃」だけど、愛が欠けている。

これから、書こうとしていた“基本「レイアウト」”の構図と何だかひどく近縁な 話が出てきたんだよね。(@_@)

さて、では追い風に乗って、勢いをつけてどんどん先に進みます。

すると、時計の文字盤の“偶数時の位置”を中心とする六つの円ができるはずです。

これは「オーラソーマ」で「カラー・ローズ」と呼ばれている図形の外枠だけをな ぞった形です。また『フラワー・オブ・ライフ』(「ナチュラルスピリット」刊) の著者ドランヴァロ・メルキゼデクによって“「創世記」第6日目”の「7つの球」 と説明されている図を(真ん中の球を削除して)平面図に落とした形でもあります。

特に、「オーラソーマ」の「カラー・ローズ」からは、たくさんのヒントをいただ いています。

また、『フラワー・オブ・ライフ』の「プラトン立体とその元素」の図によっても 連想の類似を確認しています。

ただし、図に与えている意味は異なるので、それぞれ別ものであることも確かです。

で、『Wombat 見晴らしプロジェクト』の基本「レイアウト」ではこの「六つの円」 にそれぞれ名前を付けます。

まず、12時の位置から時計回りに:

12時の円:「降り注ぐ愛」
 2時の円:「見晴らしへの愛」
 4時の円:「枠組みへの愛」
 6時の円:「立ち昇る愛」
 8時の円:「拘りへの愛」
10時の円:「融合への愛」

と、名付けることにします。これはそれぞれの円が表す“領域”に付けた名前です。


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この『Wombat 見晴らしプロジェクト』が「鳥瞰図」の基本「レイアウト」にしよう とする六つの円は、いわば「ホログラフィック・ユニヴァース」の各次元内の世界 を、ひとつの<全体>としてパノラマ的に“見晴らす”ための元型です。

次元内のひとつの世界には、言ってみれば“林檎”を縦に切ったときに見られるよう な、あるいは、バラ撒いた砂鉄の中に縦に棒磁石を置いたときに現れるようなエネル ギーの流れがあります。

いわば、次元の外から次元内に“呼びかける自分”と、次元の中から次元の外への “帰還に憧れる自分”を演じるための“上下の分裂”と、その“次元”内の固有の拘りを演じるための“左右の分裂”です。

“上下の分裂”は「基本レイアウト」の中では、中央の二つの円、「降り注ぐ愛」と 「立ち昇る愛」が代表する縦軸として表現されます。

また、“左右の分裂”はその次元への固有の拘りを表現する二つの方向として現れま す。この「基本レイアウト」では、右側を“メンタル的”あるいは“男性的”拘り を表現する側面、左側を“アストラル的”あるいは“女性的”拘りを表現する側面 とします。

右側の“メンタル的”拘りは、より上寄りに位置する「見晴らしへの愛」と、より 下寄りに位置する「枠組みへの愛」の二つの円によって代表されます。

左側の“アストラル的”拘りは、より上寄りに位置する「融合への愛」と、より下寄 りに位置する「拘りへの愛」の二つの円によって代表されます。

一応これで、次元内の<全体>を“見晴らす”ための「基本レイアウト」のパターン をすべて紹介したわけですが、たぶん、「何のこっちゃ」という感じではないか、と 思います。(*^_^*)


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ここまでは、説得力があるかどうか、あるいは分かりやすいかどうかはひとまず別と して(^^;)、自分としてはある程度の確信があるところで、内容的にも“迷い”はあり ません。

“迷い”は、この“絵”の中に、地上の具体的な“情報”を配置しようとする段階で 起こります。

つまり、この先からは、できれば、興味を持ってくださった方がいたら、いろいろ口 を出していただきたいと思っているところなのです。

ここまでは、そのための“呼び水”です。

では、この後、もうちょっと書きますので、いろいろ(なるべくなら、この『Wombat 見晴らしプロジェクト』を実現する方向で)口を出していただけると、嬉しいです。

では、今日はここまでにします。


Love    pari

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