![]() 覚えていますか? 初めてこの地球にたどり着いた時の事。 青く輝く地球に照らされて、 地上のどんなダイヤモンドよりも 美しく光輝いていた あなたの 姿を Remember that you are beautiful. You are the beauty. You are the joy. You are the creativity.
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ありがとう (はぁと)。 |
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2004-08-14 [長年日記]☆ [心] パストライフは「無い」って?先日書いた過去生の話の続き。 「過去生はない」っていうのがどういうことかというと、まあ、僕の直接の意見は「過去生はない」じゃなくて「今生が初めての生」という事。僕の知っていることからは、「過去生は無い」とは言えない。 どういう事を知ったかと言うと、今書いたように「この生は、僕のはじめての生だ」という事を、何というか…「知った」。これは、パストライフのコース/トレーニングを受ける前の話。それを知る以前には、色々な過去生というのを思い出したりしてた。ちょっと前の生、すごく昔の生。人間以前の生。地球じゃない所にいたような記憶。とかね。 ある時、ポンと「この生が初めての生」をいう記憶に繋がった。この体の生の以前には何もなくて、今の生は僕にとってフレッシュな生だという記憶、というか線(ライン)と繋がったというか。そうして、この「これが初めての生」というのは、よりクリアーでリアルな感じだった。 「過去生の記憶」がリアルなものだとしたら、この「初めての生という記憶」もリアルで、よりリアルな気がした。また、この「初めての生という記憶」と繋がっていると、この生がよりリアルに生きる事ができるであろう事。 その時の疑問は「では、その過去生という記憶は何なのか?」という事だった。感じ的には、「両方が真実」に見える。「太古の昔から連続して生きて来ている記憶としての私」と「この生が、初めての生だという記憶としての私」の両方が真実だと思っていた。 重みとしては、「この生が初めての生」に重みを置く事ができたら、今の生をより充実して生きる事が出来るであろう事。 ただし、過去生からの影響を「抑圧」しても、何にもならない。というか、かえって害になるから過去生からの影響を理解しながら、悪影響(同じ繰り返しが起きて、さらに将来、同じ繰り返しが起きる種を蒔くこと)は解除したり、良い影響(新しい事が起きるジュース)が妨げられていたら、それも解除して、良い影響を受け取ることが出来るようにするって言うか。 ワドゥダ/ワドゥドたちが作ってアルビーナに引き継いだ過去生のセッションというのは、過去生を「今をより強烈に生きる事が出来るための助けに使う」という点に重点が置かれている。っていうか、オショウのガイダンスはそういう事になっている。 ☆ 過去生は断片的にも受け継がれる というのもある。これは僕自身「あれ?」という感じの記憶があったりする。これは過去生きた人の記憶の塊を断片的に受け継いでいるのではないかしら?って感じ。 これについても、オショウは最後のシリーズで言っている。 ☆ それで、このウィットネスが乗っているのは? で、これが「初めての生」にこのウィットネスが(より?)乗っているのは間違いないとして、では「太古からの過去生にウィットネスが乗っているのか?」という疑問が残る。これはオショウに聞く前にオショウは質問に答えるのを止めたばかりが、なんとボディを離れちゃったので聞く事が出来なかった。 なんとか、自分で解決しなくちゃなあ。 感じとしては、太古からの過去生のラインにもウィットネス(目撃者、知るもの)は乗っていると思っている。これは過去生のセッションを何度もしての経験からそう思う。身体を離れた後、存在に戻って行っても、そこで全く解け去ってしまう訳ではなくて、何処でもない場所、時間も無い場所で脈打っているような感じでいる。 そこからしばらくしたら、別の身体の生まれる前の体に入って行く。 多分、「初めての生」というウィットネスの線と、「太古からの過去生」に乗っていたウィットネスが合流するのではないかと思ったりする。まあ、二つの意識が乗っていると行っても良いかも知れない。 ☆ 「実は過去も存在しない」 という案もある。えへへ。このウィットネスは今生の過去を含めて、過去を持っていない。『実は私は、この瞬間が初めて生にやって来た瞬間だ。過去なんて持っていない』というやつだ。このラインも実はあると思っている。で、こっちの方がよりリアリティを持っている。うふふ。 love love love + setu
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最新のコメント: 1.Kohra(01-14 15:25) 2.もん(10-03 23:50) 3.amara(08-04 09:56) 4.amara(08-04 09:52) 5.まこと(08-03 23:25) 6.ピロ(07-15 07:48) 7.Vinod(06-30 10:06) 8.中馬卓也 (05-30 07:36) 9.おいおい(12-11 13:17) 10.おいおい(12-11 13:15) 11.海月みどり(09-01 11:29) 12.あまら(09-01 00:58) 13.シーポヨ(08-31 21:33) 14.sameera(08-31 15:16) 15.らんじっと(08-31 15:07)
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まあ、これを「シーポヨのネオ三位一体説」とでも読んでもらおうじゃないか。「太古」と「今生」と「今ここ」の「三位一体」。
たとえば古いPCのデータを新しいPCのHDに移したら、新しいPCはまるで古いPCの延長のようだよね。仮に過去からやってくるのがデータだけでも、意識はそのデータをあたかも自分がウィットネスとしてそこに存在したかのように追体験できるんじゃないかなあ。
古いPCのHDにウィットネスが乗っていないって、どうして言い切る事ができるの?
古い記憶にウィットネスが乗って旅する可能性と、単純に記憶だけが旅する可能性と、両方があるよね。
眠る前と、目が醒めた後、間に覚醒したウィットネスがなくても、それはひと続きの個体として連続が体験されるよね。
ただ、ウィットネスは世界には本当は一つしかないと言えるので、「まあ、どちらでも良い事だ」と言った方が良いかな。
何はともかく、「過去生の連続の上をウィットネスは付いて回るか?」よりも、『今生のはじめに、過去を持たない魂として入って来た私(?)』という概念の方が新しいよね。(っていうか、過去生があるという宗教に取っては)。
だから、過去生はあるとも言えるし、ないとも言えるし、実は過去もないとも言えるとか言う方が、わたし的には楽しい。過去なんてない、ここに戻って恋。。。。とかさ。
恋って、過去にもない、未来にもない。今ここにしかない。今ここにいる時にしか、恋は体験されない。おほほ。
で、『過去』にせよ『過去生』にせよ、今ここから外れた私達が、今ここに戻って来るための技法として、過去も過去生も有効に利用する事ができる。
『人格』というのは、『過去』や『過去生』や『自分に影響を与えた人の過去』によって出来ているからさぁ。人格は自分じゃないよね。仮面。どの仮面が本物の仮面かを言っても意味がないとか。。。。。
ん、言い切らないために「仮に」ってつけておいたんだ。
言い切れることがあるとすれば、現存するウィットネスは「今」ってことくらいかな。
過去はないけど、OSHOでもシーポヨでもむかしのことしゃべったり書いたりするよね。でもそれはきっと今ここで昔のことしゃべったり書いたりしてるだけなんだよね。
逆に今のことしゃべってるつもりでも過去に囚われてたりするかもしれないよね。
神道で八百万の神って、実はなんにでもウィットネスは浸透してるってことじゃないのかな・・・神道的浸透。Penetrating...
ウィットネスしかなくて、ウィットネスが色々な形になっているのが、世界を作ってる。それも、二つとないウィットネスがやっているんだから笑える。
話が反れちゃったけど、(単に哲学的な議論かも知れないが)、話を戻す。
赤ん坊の時からやって来ているこの連続している人生を、ひと続きの物だとよんでいる。すくなくとも僕はこれをひと続きだと思っている。そういう意味で、太古の時代に生まれた僕の一連の過去生の延々と体験している(局所的な)ウィットネスがあるのじゃないだろうか?
それとも、一つの人生と、別の人生の間を繋ぐのは、単に記憶に過ぎなくて、連続して体験しているウィットネスはないのだろうか?
二つの船の間に運ばれたのは、荷物だけで、それを使っている人は別人なのだろうか?
過去生セッションの経験的には、『肉体を離れた後も、引続き体験しているウィットネスがあって、(世界の時間の範囲の外で)そのまま休息状態に入った後、再び肉体へ入って行く。肉体に入った後、眠るようにそれまでの過去の記憶を忘れて行く』って感じなんだよね。
同じように、過去なんて持たないフレッシュな(したがって、上の個体よりも元気でリアリティに満ちている)別の個体として(私は)やって来て、この肉体に合流する。
>言い切れることがあるとすれば、現存するウィットネスは「今」ってことくらいかな。
これは激しく同意。三位一体の中心的人物。実はこれしか存在しないと言えそうなのだが。
もしかしたら、ウィットネスは、微小の時間間隔を持っているのかも知れないね。だから、二つの微小に離れた瞬間を共有している。この共有的な繋がりが、連続したウィットネス感覚をもたらしているのかも。別のウィットネスなんだけど、共有している時間間隔があるので、(以下略
まあ、過去からやって来るのが、記憶というデータだけだとしても、ウィットネスはそれを追体験できるというのも、多いに可能性がある。
実は結構長い事迷っている問題ではある。まあ、「過去生はない」とか「過去生はある」とか、誰かが断言するなら、この問題を取り上げる必要があるけど、実は、まあ、どっちでもよい。多分、両方とも正しい。
「ウィットネスの乗っていない物」なんてないとしたら、「ウィットネスの乗っていない記憶(物質)」というのもあり得ないのだし。もちろん、記憶全体にネットワークしているウィットネスがあるかどうかと言う問題にもなり、ああ、めんどくさい。
(以下略
Setuのこの直感と同じ話しが仏教の中にありますよね。なんて呼んだかはど忘れしちゃったけど。和尚も講話のどれかで、その仏教のことと絡めて「過去生は無い」ことを話しているはずです。
たしか禅シリーズで、たしかかなり後期の講話だったような記憶>和尚も講話のどれかで、その仏教のことと絡めて「過去生は無い」ことを話しているはずです。
あってもなくっても、どっちでもいいんじゃないですか、過去生なんて。オショーは、仏陀のコミューンではまず過去生を思い出す瞑想をしないと、弟子になることはできなかった、とも言っていますよ。
「過去生は無い」話は禅マニフェストのどこか真ん中ぐらいにのっています。
オショウの最後の講和シリーズというのが『禅マニフェスト』です。ここで、多分、はじめてオショウは『過去生はない』と言っています。オショウが「ある」とか「ない」とか言う場合は、多分別の場所で逆を言っていますから、オショウが言ったと言って、決める事はできないですね。文脈的に、または話している相手や、グループ、あるいは伝えようとしている事によって、それは変わる物みたいですから。
ただ、『過去生はない』と最後の最後に言っていてくれたので助かります。
『あってもなくっても、どっちでもいいんじゃないですか、過去生なんて』と言っている人に限って、過去や過去生の影響下に生きている場合もある事ですから、良く気を付けた方が良いかも。
今を生きるには、過去や過去生からの影響が大ごとになっているんですよね。
『ブッダは過去生はないと言った』っていうのに絡めてオショウは、『過去生はない』と言っていますが、『ウィットネスが乗ってやって来たかどうか』に付いては話してくれてないです。
『過去生の記憶の旅にウィットネスも一緒に乗って体験しながら来る』
『(今の生の)過去の記憶の旅にウィットネスも一緒に乗って体験しながら来る』
『今のこの瞬間を、過去を持たないウィットネスが、まさに、この瞬間生まれたての、ウィットネスとして体験している』
という、三つの実は本当の事が、三つとも成立するんだと思います。ウィットネスには、排他作用はないと思いますから、すんなりと溶けあっちゃうんでしょうかね?
love love + setu
うーんとね、『あってもなくっても、どっちでもいいんじゃないですか、過去生なんて』は、ちょっとコメント欄の会話が「過去生は無い」方に傾いているかな、と思ったので言ってみました。
僕自身は過去生は少なくとも記憶としてはあると思っています。それで仏陀のコミューンの話を出したのね。「過去生」というからややこしいので、「過去」なら確実にある。マインドが覚えていなくても、からだの中に過去はある。マインドとボディーに繋がりがあるなら、マインドの中にもその過去は存在しうる。
重要なのが、仏陀は過去生は無いといったにもかかわらず、過去生を思い出す瞑想をさせていたこと。その瞑想をすると過去からもっと自由になるってことですね。
ウィットネスの話は、点のウィットネスと全のウィットネスにわけて考えた方がいいかもね?
ウィットネスって魂じゃないから、からだの中に入ったりはしないでしょ?
ウィットネスが旅をするかどうかも疑問。ウィットネスって動かないんじゃないの?
別々のウィットネスがあるかどうかもよくわからない。
(もとの記事とか前のほうの書き込みをあんまりちゃんと読んでないので、的外れだったらごめんね。)