私は11年前の今頃、私のマスターが肉体にいる間に、いわゆる「気が狂った」ように少なくとも見える状態になり、戻ってきたのだか、通り過ぎたのだかして、今に至っている。

それは禅病とも、禅魔境とも呼ばれる。

瞑想や道を求めていると、それはいつかあなたや、あなたの回りの人に起こるかもしれない。

今回、私の近くにいた友人に、同じような事が起き、どうやら無事にプロセスを終えつつある。私は特別に何か具体的に手助けしたわけではない。ただ同じようなプロセスを通り抜けた者として、ただ近くにいてあげられる機会を偶然に(つまりシンクロニシティで、または存在のはからいで)得た。

私は自分におきていたことを思い出しつつ、その人に何が起きているのかを想いうかべる事が出来た。

私自身は直接にガイドや手出しをすべきではないと直感的に感じた。私自身どの時点で「もっと行け」とか「戻って来い」とか言う事は出来ない。その人には精神科医が毎日一時間程度2回見ていたし、友人達が身の回りの世話をしていた。私も身の回りの世話…というか、そばにいて大事のないように見てあげたり、遊び相手をしていた。

この文章は二つの読者に向けて書かれている。
一つは、それが起きてしまったあなた。
もう一つは、身近な誰かにそれが起きてしまったあなた。

出来たらこの文章が、その前にあなたの目に触れて少しだけ心の準備が出来ていたら幸い。


突然、ドアが開いたとき、とり合えずすごく元気にエネルギーに満ちる。

気の狂った人々は、すごくエネルギーをもっているという話を聞いたことがあるが、私たちの場合も同じ。

とり合えず知らなかったことを知り始めるし、まだ煩悩(マインド)を残している私たちは、たくさんありもしない事"も"思いつき始める。

私はあまりこの事には触れない。それよりももっと重要な事を伝えておきたい。

それは、エネルギーがとり合えずエネルギーが高くなってゆく。言ってみればエネルギーを押さえていたふたが取れたか、ふたに亀裂が入ったようなもの。

自分を押さえていた過去のあり方が、霧が晴れるようになくなる。

それまで「やらないでいた事」が平気で出来るようになるし、出来ないでいた事が平気で出来るようになる。

OK…それならば問題は何もない。

覚えておいてほしい。それは天からもらった強力なワインを飲むようなものだ。

ワインを飲み過ぎると突然線が切れて、記憶に残らない事をし始める。そうでない人もいる。そうでない人は幸いだ。多分その時も心配はない。

ただ私の場合もその人の場合も記憶に残らない時間があった。私はその最中には、その事を知らなかったので、ずいぶんと遠回りをした気もする。

とり合えずその最中は、もう瞬間瞬間に夢中で、時間が飛んだことには気づかない。記憶のない期間があるというのは、当人にとっては「時間がとんだ」ように見える。とんだ時間の間に何をしているのかは、自分の、その人の知ったことではない。

私はそのときに「おかしな事をしている」と言われていたが、自分で知っていておかしな事をいっぱいしていた。こちらのコンテキスト(立場?)からは、すごくまともだけど、普通にはおかしなことに見えるのを知っていながらやっていたのだから
「おかしな事ぐらいは知っているよ」と思っていた。

その事に具体的に「これこれ、こういうことをしていたけど」具体的に言われたら、多分助けになったと思う。そうすると、「自分の知らない自分がいる」事に気づいていただろう。

そうすると自分をまとめる事に意識が行っただろうと思う。それぞれの場合によるだろうけど、半分以上はすごくまともな状態にいるので、そのまともな状態にいる時は自分の世話がすごく良く出来る。

今回、その事をふと思い出したので、多分これはとても重要なポイントだと思った。ちょうど別の友人の精神科医が「自分でちゃんとできるんだから(子ども扱いせずに?)ちゃんと全部言ってやれ」って言ったのを友人が教えてくれて、今書いたようなような事を話した。

「記憶が切れている事を知っていたら、ずいぶんと助かったので、まともなときに"…をしたの覚えている?"って聞いてみて。たぶんいくつか覚えていない事があるから」って感じに頼んだ。なんとなく私が直接聞いてはいけない気がした。

これはうまくはたらいた。すぐにその人が自分を取りまとめ始めたのが感じられた。…。

大切なポイントは、おかしな事をする事ではなくて、お酒を飲みすぎて線が切れてしまう事。

で、マスターの言っていた「意識を強くする事」の一つのすごく実用的な例になる訳。

このお酒のたとえ話は、自分でもすごく気に入っている。みんな知っているし、たくさんの人が経験があるので、深刻な事ではないって、感じてもらえるでしょう?

O だから意識を強くしておきましょう。

死ぬときに無意識にならないってのがどうゆう事か分からないけど、そこまで出来たらすごいね。……。

私の場合もその人の場合も、破壊的にならなかった。自分に対しても他人に対しても。それは大した救いだった。

とり合えず昔から、お酒を飲むと陽気になるほうで、起こったり、暴れた事はないように思うし、落ち込んでいったり、自虐的になったりもしなかった。

多分(これは多分だからね)その時、無意識の中にたまっていた事もあふれてくる。それは、特にその「記憶のない時間帯に」。

O だから日ごろ、無意識の中の掃除には心がけておく事。

我がマスターは、多くの偉大なテクニックを残してくれた。無意識の中の大掃除をする事。その時、病院に送られないように。

……。

又、今まで話したことは誰にでも当てはまるわけではない。こんなプロセスを通らずに行ける人も多いはず。

……。

又、自分で見たり感じたり、何か「すごーい」と自分でも思う事が起きたりするけど、ただの観光で済ませて、立ち止まらずに行く事は、禅の古くからの教え。

ほんの入門の事が起き始めたのだと知って、前に進む事。

また、信頼の感じもやってくる。つい、やってくる人全部を信頼してしまう。「自分を信頼している?」。何度も自分に聞きましょう?自分を信頼していれば、人を信頼してもいいけど、そうでなければ、まず自分への信頼を育てましょう。

「人を変えようとしない事」
まず、あなたはどう見たって、おかしな人に見えるのだから、誰も「変えられよう」とは思わない。また、「変えてほしい言う人」が見つかったら、その人はあまり大した人ではないので、やめておくこと。

とり合えず自分の道を急ぐ。安全な通過が、安全な着地が出来たらありがたい。人を変えようとしたら、かえって「まだ、足元のしっかりしていない地面をゆすぶられて、すくわれる」。

私たちは、まだマスターとは呼べる存在とは程遠いけれど、「いやあ。ひどくまともになったなあ」と感じているのは確かで、つい、それを人に教えたくなるけれども、一つの大切な言葉
「偉大なマスターは何もせず、全てをなす」

いやあ。今のうちからこれは練習しても、害はないはず。「何もせず、全てをなして」事がひとりでに起きてゆくのを楽しむ。

つい私信のようになってしまったけれども、せっかく少し開いた超意識への扉。「気が狂っている」のをまともにされるのに、ふたをされずに安全通過することが出来るように祈りたい。

せっかく、高くなったエネルギー。まともにされるのに、下げられずに済んだら、それはありがたい。

何はともあれ、ちょっと道を踏み外したのを引き戻す為に、存在がいかに自分の為に働いてくれたのを見たはず。

自分への信頼が増すに連れ、存在のはからいのおかげが増えてゆき、存在への信頼が育ってゆくのかな?

つい、長くなってしまいました。
Love & Care
愛とケアー
Prem Setu
2001年2月21日(未明)


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