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マハのインドノート
人糞革命について(8/8)


シンジが人糞革命について発言。以来、人糞をテーマにしてスレッドが展開している。それで、とりあえずゴーグル(http://www.google.co.jp)で「人糞 微生物 農業」とキーワードを入れてみたら、出るわ出るわ…それもそのはず、人糞利用は今に始まったことではないのだ。現代のように化学肥料や農薬がない時代は、栄養価の高い(裏を返せば人間は消化能力が低いのか?)人糞を利用することが、農作物の生産には欠かせなかった。いま、化学の力にたよらない農業の話しのなかで、再び浮上したのが、人糞利用。もともと、大地から生まれるものを食し、その人間から生まれる人糞をその地に返すというのは、理にかなっている。そうすれば、他から何ら化学的なものを補充しなくても、延々とその地からは食物がありがたく生まれてくれる。なぜ、そんな発想になったかは、シンジの話しによれば、有機農業が盛んになればなるほど、それの原材料が不足しはじめる。動物の糞だけではもはや需要に追いつかなくなるのも時間の問題。よい堆肥を作るには、その材料となる良い有機物が必要なのだ。それには、人糞が一番よいのだとシンジは語っている。人口爆発のなかで、大量に毎日排泄される人糞をみすみす見逃す手はない。

ただ、現代の西洋化された清潔観念からすると、それはとても理にあわないだろう。これがいざ実現するには、人間の根本的な発想の大転換が必要になると思う。この世には汚いも綺麗もじつは相対的なものであって、すべては全体の一時的な姿にすぎないのだという理解にいたってこそ、このエコロジカルなムーブメントにとって、重要な局面だろうと思う。あるときは野菜の形をとっていたものが、あるときは人間というカタチになって、さらに糞尿とカタチを変える。それが微生物などの働きによって、さらに大地に堆肥として返る。やがて再び野菜のカタチとなって、家庭の食卓に上る…この循環。思えば、ある意味では人間など、泥の塊だとも言えるだろう。糞尿がいっぱいつまっている。旧約聖書だったかな、神は人間を泥から作ったとかいうクダリがあったが、まさに人間こそ、神の糞から出来あがったようなものなのだろう。このことを言っているのだろうよ。

実はね、人糞利用は現代でもやっていた!EMが出る前からね。オラが生き証人だぁ〜…というか、僕は中学校のころまで、カアチャンとうちの肥溜めで発酵させた天然発酵製人糞をせっせと田んぼにまいていたんだぁ〜。子供のころによく落ちた田んぼの肥溜め。ワラで簡単に覆ってあるだけだから、田んぼで遊びに熱中しているときにみんなよく落ちた。もちろん、笑うに笑えないよ、落ちたときは…。そういえば、セッチャンは身内に肥溜めに落ちて死んだ子供がいると言っていた。それくらいに日本のどこにでも存在していた肥溜め。つまり、日本ではついちょっと前まで、人糞を最高の堆肥として活用してきたのだ。

それでも、当時、ウチの近所では、人糞を使用する農家はかなり減っていた。回虫などの問題で、それをすると商品として出せなかったからだ。ただ、うちは家庭用だったから、それにオラのカァチャンは、昔っから、この人糞巻きをやってきていたし…何十年も。人糞を与えると、それはとてもよい作物ができたんだね。だから、人糞はとてもありがたい肥料なんだとカアチャンは言っていたんで…だから、僕は樽二つに棒を差して、カアチャンと二人、もち、担ぐのは僕、たまにピチャピチャとしぶきが足にかかる。これがとってもいい感じに臭い。発酵した臭いはとてもいい感じに臭いんだね…EMを使っていなかったんで。

でもそのうちに使わなくなった。やっぱり近所の目があるから…。オランチを最後に、近所では誰も人糞を畑に撒く人はいなくなった。だから、油カスや、鶏糞、化学肥料、そういった農協から購入できる堆肥を入れることになったという次第。いまでは、カアチャンは畑に農薬を散布、化学肥料を投入…何がどうなったのかねぇ…??


さて、検索エンジンの結果、中にいくつか僕の目をひいたものがあった。
トイレ曼陀羅 哲学する小部屋(世界トイレ紀行 3)http://www.gulf.or.jp/~houki/essay/zatugaku/toiremanndara.html
豚便所・および排泄物のリサイクルhttp://www.win.ne.jp/~yokoyama/TEINEIBUTA.html
である。ここで初めて知ったが、厠という言葉の起源は、実はアジアでは古くより、豚をこの循環の媒体として利用していたために、つまり、トイレにて豚を飼い、人間から排泄される糞尿を豚に食わせて、その肉を食するという循環をやっていたたのだ。厠とは家の傍らの清潔を保つ場所、別意、豚小屋だそうである。
そこで思い出したのが、マハが去年書いたゴアの豚談義である。ぜひゴア番外編:ゴアのトイレからセポイの乱の真相がわかった!も御覧ください。ゴアでは大分減ってはきたものの、今でも、豚を人糞の処理に使用している。つまり、トイレに入ると穴が空いている。下を覗くと滑り台のようなものがあって、うんこがスコーンと落ちていく。そこには豚くんが「ブーブー」とご馳走を待っている次第である。人間にとっては汚いとする糞も豚くんには大ご馳走なんだ。でも、よくよく考えてみると、もともと人間の体の中から出てくるものじゃないかっ!人間の体重の何パーセントは糞なんだよ。実は、僕は思い出したけど、子供のころ、自分の糞を触って遊んでいた。クチャクチャやってね…それを壁とかに塗りタックっていたら、汚いと怒られてしまった。それでそれから、これは汚いものなのだと理解した次第である。

モノの浄不浄、汚い、綺麗も、すべて一時的な形。それは循環することで、全体となる。



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