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OSHO : Sermons In Stones #2より抜粋


世界は私
OSHO : Sermons In Stones #2より抜粋


あなたが世界だ、というJの声明は、混乱を招くものでは全く無い、それは非常に簡潔だ、それを理解するには、ちょっとした知性が必要なだけだ。

世界というのは、1つの名称に過ぎない、リアリティは個人だ、世界中くまなく探して、世界を見出そうとし続ける事もできるが、見つかりはしないだろう、見つかるのは常に個人だ。

「世界」「社会」「宗教」「国家」といった言葉は、その背後に中身の全くない只の言葉に過ぎない・・・空っぽの入れ物だ。

あなた以外に世界はない

これがこの声明を理解するひとつの方法だ・・・リアリティは個人だけだということ。

そして世界とは個人の集まったもの以外の何物でもないのだから、それはどうあろうとも、個人が貢献したものだ。
もしそれが醜悪だったら、貴方がその醜悪さに貢献している、もし憎しみ、嫉妬、怒り、強欲、野心で一杯になっていたら、私達が住んでいるこの地獄全体に貴方が貢献している。

その責任を誰か他の人になすりつける事はできない、貴方は自らの肩に、その責任を引き受けなければならない。
私達は絶えず責任を転嫁し続けている、戦争があったら、アドルフヒトラー、ロナルドレーガンのような人が居たらそういう人達を指差して、責任は彼らにあると言うのは簡単な事になる、だが一体誰が彼らを作り出したのか?

アドルフヒトラーは、私達の貢献だ、私達が居なければ、彼は何者でもない。ロナルドレーガンは、私達の意見以外の何物でもない、それは私達の票、私達の支持だ。

だから、あなたが誰かを非難するや否や、いいかね、あなたは自分自身を非難していることになる。

あなたの貢献がどれほど間接的なものであっても、あなたの貢献がそこにある

ジャイナ教の僧や仏教の僧やカトリックの僧のように、世界に関してだけは完全に閉ざして、僧院で暮らす事もできる。チベットには幾つも僧院がある・・・共産主義革命以前には中国にも沢山あったものだ。ヨーロッパには奇妙で長い歴史をもった物が幾つかある、ヨーロッパのアトスの僧院は千年も古くからある。千年の間、僧院に入った人で生きて出てきた人は1人も居ない、入るだけだ、一旦僧になったら永遠に僧だ。しかも、僧院はその1員に、世界へ出て行く事を許さない、死んで初めて彼らは運び出される。

その彼らにアドルフヒトラーの責任は無いと思うかね?世界大戦の責任は彼らには無いと? 明らかにそう見える・・・この人達にどうして責任を負わす事ができるだろう?世界を後にした人達、決して振り向かなかった人達、自分達を世界から切り離した人達。

だがそれでも、私はあなたがたに言おう、彼らには責任がある、逃げた事で責任がある・・・彼らは自分達の責任から逃げた、何も違いはしない。仏教の僧、ジャイナ教の僧、ヒンドゥ教の僧達は、世界の活動には参加していない、だが、積極的な方法で貢献する事もできるし、消極的な方法で貢献する事もできるのだ。

あなたはこの家に火を放つ事もできる・・・それは積極的なやり方、活動的なやり方だ。道端に立ち、火を消す為に何もしない事だってできる・・・それは消極的なやり方だ、だが双方共に責任が在る。

消極的な人にはそれ程責任があるようには見えないが、その人の責任も完全に同等だ・・・というのも生にはバランスがあるからだ。

あなたは戦争に反対しているかもしれない、あなたは平和主義者かも知れないし、いつも抗議している人かも知れない・・・常に旗を持ち、戦争に反対して、抗議している、当然、「どうして私に責任を押し付ける事ができるのか?」と言う事はできる、だが、生は複雑な現象だ。

あなたの抗議、あなたの平和主義、戦争屋達に対するあなたの戦いも又、戦争の1部だ、あなたは平和の人ではない、人々が抗議しているのを見るとそれが分る・・・彼らの怒り、彼らの暴力は余りにも明白だから、何故この人達は戦争に抗議しているのだろうと、不思議な気がする、彼らはどこか戦場の基地に参加するべきだ・・・彼らは怒り激怒で一杯になっている。

彼らは美しい名―「平和」に隠れて、第3の基地を持つ事を選んだだけだ、いい仮面だ、だが内側には、自分達に同意しない全ての者達への同じ怒り同じ激怒、同じ暴力同じ破壊性がある。

彼らは周りの雰囲気に対して、他の皆と同じ様に、等しく暴力を貢献している。彼らは愛を語っているかも知れない、だが愛の為に戦わなければならないとも言っているのだ。

ハズラット・ムハンマドは、自分の剣に「平和こそ我がメッセージ」という意味の言葉を刻ませていた。「平和こそ我がメッセージ」と記す物を彼は剣しか見つけられなかった! そして彼は自らイスラムと呼ぶ宗教を誕生させた。イスラムとは、平和という意味だ、が、イスラムは、他のどの宗教よりも多くの暴力を世界で振るってきた
平和の名の下に、剣を突き付けて、イスラムは何百万もの人々を殺し、改宗させてきている。

美しい言葉を選ぶ事はできるが、現実を隠す事はできない。

「あなたが世界だ」というJ・クリシュナムルティの声明は、私達の周りに存在するこの世界を作り出している責任を、個人1人1人が、どこに居ようと、どうあろうと、受け容れるべきだ、という事実を強調しているだけだ。

もしそれが狂っていたら、あなたはあなたなりのやり方で、その狂気に貢献している もしそれが病んでいたら、あなたも又、それを病気にさせているパートナーだ。

そしてその強調は重要だ・・・何故なら「私にも、この悲惨で狂っている世界の責任がある 」ということをあなたが理解しない限り、変化が起こり得る可能性は無いからだ。

いったい誰が変えるというのか? 誰もが、自分以外の誰かに責任があると思っている。

インドの偉大な皇帝の1人にアクバルがいた、彼の生涯には「アクバル・ナーマー」ーー『アクバルの伝記』に記録されているある出来事がある。

ある日、彼は友人達とちょっとしたお喋りを楽しんでいた・・・そして彼の周りに、 国中から選び出したまさに最高の、最も賢明な、最も創造性に溢れた人々を擁していた。宮廷お抱えの道化師が彼のすぐ脇に居た。処で、あなたがたは理解しなければいけないが、偉大な皇帝達の宮廷全てに1人の道化師が居て、その全役目は宮廷が深刻になり過ぎないように、宮廷を明るく、遊びに満ちたものにしておくことだった・・・時には爆笑を。

宮廷道化師を擁するということは偉大な洞察だったし、その道化師はいつも、当時の最高の賢人のひとりだったーーというのも、それは容易な状況ではなかったからだ。

ビールバルがアクバルの宮廷道化師だった、そして彼らが議論しているとアクバルがビールバルをひっぱたいたーーどんな理由も無く、さて皇帝を叩き返す事はできない、だがその平手打ちはどこかに行かなければならないーーそこで彼は自分のすぐ隣に居た人をひっぱたいた、「これはおかしい!」と誰もが考えた、そもそも理由など何も無かった、突然狂気にでも取付かれたかの様にアクバルが可哀相なビールバルをひっぱたいたのだ。

そして、彼も又おかしかった「何故私をひっぱたくのですか?」とは聞かずに、彼はただ隣に居た人をひっぱたいた! そして、隣のその人は、これは宮廷のルールに違いないと考えて、隣の人をひっぱたいた、連鎖をなして、それは宮廷中を巡っていった。
そして、貴方がたは驚くだろうが、その夜、アクバルの妻が彼をひっぱたいた!

すると彼は言った「なぜお前は私をひっぱたくのかね?」「そんな事はどうでもいいのよ、ゲームはゲームですもの」と彼女は言った。「これがゲームだなんて、一体誰が言ったのかね?」と彼は聞いた。

「宮廷で大変なゲームが始まったというのを、1日中耳にしていたのよ、ルールは、その人を叩き返してはいけない、誰か叩く相手を他に見つけなければいけないという事だけだって、で誰かが私を叩いたーーだから、貴方の平手打ちが貴方の所に戻って来たのよ、これでゲームは完結したわ! 」

この大きな世界では、無数の狂ったゲームが進行していて、あなたがたは皆、その参加者だーー勿論、非常に少ない度合いであなたの能力に応じて。だが覚えておくがいい、その平手打ちは、いずれあなたのもとに戻って来る事になる、他のどこに行くというのかね?

あなたのところに来たものはすべて、いいかね、あなたのしたことだ。

いつ自分がそれを始めたのか恐らくあなたは忘れてしまったのだろう、世界は大きい、時間がかかる。だが、あらゆるものがその源に戻るーーそれは生の基本的ルールの一つで、ゲームのルールではない。

もしあなたが苦しんでいたら、もしあなたが惨めだったら、もしあなたが緊張していて、不安苦悶で一杯だったら、この全世界が醜悪なのだ、私以外の皆が醜いのだ、私は犠牲者なのだと自分をただ慰めてはいけない。

J・クリシュナムルティは、あなたは犠牲者ではないあなたはこの狂った世界の作り手だと言っている。

当然それに対して自分が何を貢献したにしても、その全ての結果にあなたは参加しなければならない。あなたは種まきに参加している、作物の収穫にも参加しなければならない事になる、逃げる事はできない。

他人に責任をなすり付けるのをやめーー逆に、自分がこの狂気全体にどのようなやり方で貢献しているのかを観る為に、内側を観始めるように個人に気付かせると、その人は貢献することをやめる可能性がある。

その人自身も苦しまなければならないからだ。全世界は更にもっと広大なスケールでの自分の投影以外の何物でもないということを、その人が知るようになったら・・・

数限りない個人が、その同じ怒り同じ憎悪、同じ競争心同じ暴力に貢献している為に、それは山の様になっている、その責任が自分にあり得るとは、あなたには思い付くこともできない―――「私は僅かなかけらでも貢献したのかも知れない 」とは。

だが海は、無数の、無数のしずく以外のなにものでもない。

しずくには、海の責任は自分にあるとは想えないーーだが滴には責任がある。滴が無ければ、海など全く無いことになる、海は名称に過ぎない、リアリティはしずくに在る。

自分の責任を受け容れることがあなたを変え、あなたの変化が、世界の変化の始りだーーというのもあなたが世界だからだ。どんなに小さいミニチュアの世界であってもあなたは全ての種を宿している。

もし革命があなたに訪れたら、それは全世界のための革命を先触れする。そしてJ・クリシュナムルティが「あなたが世界だ」と言うとき、彼はあなたにだけそう言っているのではない、彼は皆にそう言っている。

あなたがせかいだ

もし世界を変えたかったら、世界を変えることから始めてはいけないーーそれは今日まで人類が従ってきた、間違ったやり方だ・・・

社会を変えよう、経済構造を変えよう、これを変えよう、あれを変えよう、だが個人を変えてはいけないーーだからこそ、全ての革命が失敗した。

成功し得る革命はひとつしかないが、それは今日まで試みられてこなかったーーそして、それは個人の革命だ。

あなたがあなたじしんをかえる

世界を地獄にしてしまうどんなことにも貢献しないように、油断せずにいるがいい。

そして、それを楽園にするような何かを世界に貢献することを覚えておくがいい。

それが宗教的なひとの秘密のすべてだ。

そして、個人それぞれが皆それをやりだしたら、どんな流血もない革命が起こることになる。

アクバルの生涯には、もうひとつ別の出来事があった。彼は非常に美しい大理石の池を創っていた、ヒマラヤから、マナサロワールから白鳥達を連れてきていたが、彼は池に水があってはならないという事に決めたのだ。

これは皇帝の池だ――水の代りにミルクがなければならない。都のあらゆる人達皆に報せが行き、バケツ1杯の大した量ではないミルクが、どの家からも朝早く日の昇る前に、王宮に届けられなければならないという事になった。

ビールバルはアクバルに言った「あなたは人間の心を全く理解していません。あなたの池は水で一杯になってしまうでしょう」
「そんなばかな…? わしの命令なんだぞ!」と彼は言った。
「あなたの命令であれ、誰の命令であれ――私には人間の心が分るのです」とビールバルは言った。「待とうじゃないか、明日の朝になったら、誰が正しかったのか、はっきりするだろう」とアクバルは言った。

そして翌朝ふたりがガーデンに行くと、池は水でいっぱいだった。アクバルは言った「変だな、どうしてこんな事になったのか?通りで2、3人誰でもいいからつかまえて、どうしてこんな事になったのか聞いてみよう」そこで人々が脅しつけられた。もし嘘をついたら命が危ない本当の事を言ったら自由にしてやる」と。

彼らは言った「実は、都中の人達がバケツでミルクを持って来るだろうと私達は想ったのです。バケツ1杯の水なら全く目につかない筈だ、誰にも分りはしないだろうと。ですが今見るところ池は水でいっぱいです、きっと誰もが同じ考えを持っていたのでしょうーー都中が! そうでない人なんて1人もいなかったのです 」

人間の心はまったく同じ様にはたらく、だから、もし世界がとんでもない悲劇だとしたら、それを生み出しているのは、私達人間の心だ、私達はバケツ1杯の自分の惨めさを貢献している。

人間の心が人間によって理解され、「私のバケツ1杯の水なんて、まるで気付かれはしないさ」と望むのではなく、人間が違う行動の仕方を取るようにならない限り、どんな革命も成功し得ない。

この考えはあらゆる人間の心にやって来る物だということを誰もが理解し、「少なくとも私だけは、バケツ1杯のミルクを持っていくべきだ。私はあらゆる人間が振る舞っている、そんな無意識なやり方で行動してはならない・・・」と決心したらーー

ミルクでいっぱいの池をもつことは可能だ

「あなたが世界だ」というのは、それがどうあろうとも、私達は自らの責任を免れることはできない、という意味だ。

私達の僧、私達の聖者達は、これしかやろうとしなかった。もし彼らの心理に深く入って行ったら、彼らがやろうとしていたことは、こう言う事でしかなかったーー「世界で進行しているこのばかげた事全ての責任は、もはや私達には無い 」

だが彼らはその同じ世界に依存していた。自分達の食べ物を彼らはその同じ人々に頼っていた。自分達の着る物を彼らはその同じ人達に頼っていた。彼らはどの様な意味でも世界からかけ離れてはいなかった。彼らは世界で活動的であるのをやめただけだ。彼らは進行している狂気全体での、もの言わぬパートナーだった。

そして彼らの方こそもっと非難されるべきだ。何故なら彼らの方が賢い人達賢明な人達だったからだ。それにも関わらず彼らは、ただ脇に立っているだけでは充分ではないという、普通の人間の心に対して何かしなければならないという要点を観ることができなかった。

ヒマラヤに逃げても役に立たない、ヒマラヤでさえあなたの心は同じままだし、ただそれを知る機会が無いというだけのことだからだ。敵を知らずにいるよりは敵を知った方がいい、知ることで、変わる可能性があるからだ。

しらないということは、ひじょうに危険だ

病気に診断が下されたら半分は治っている、病気に診断が下されていないと本当の問題が生じる。薬は問題ではない、診断が問題なのだ。

ある人が30年間ヒマラヤで暮していた、彼の問題は怒りでそれから解放されたいと思っていた。ヒマラヤで30年もの間、彼は1瞬といえども怒ったことがなかったーー理由が何も無かった。妻はそこに居なかった、子供達は居なかった、親は居なかった、社会もそこには無かったーー挑発が無かったのだ。

彼の名は段々知られるようになり、彼を崇拝する為に人々がやって来るようになった。怒りは依然としてそこにあるということに気付いていることは、今や更にもっと難しくなった。人々に崇拝されていると、怒りは問題にならない。

そうこうする内にアラハバードのクンバ・メーラの時期がやってきた。人々は言った 「あなたはこれ程にも偉大な聖者です、あなたが居なければ、この地上で人々が1個所に集う最大の集会クンバ・メーラには、何かが欠ける事になります、あなたは行かなければなりません 」

そして彼は、もはや自分は偉大な聖者に成ったのだと納得させられていた。人々は彼に敬意を表すというただそれだけの為に、遥か遠くから山々をぬう困難で過酷な旅をして来ていた。

彼はクンバ・メーラに行った、だが何百万もの人々が居たーー誰も彼の事など知らなかった。誰かが彼の足を踏みつけた、すると彼はとっさにその人をひっぱたき、首根っこを掴まえて言った「お前は自分が何をやっているのか、分かっているのか?」 突然、彼は自分が聖者だった事を思い出した、彼は言った。
「何て事だ、一体私は何をやってるんだろう? この30年間は、どうなってしまったんだろう?怒りはまさに閃光の様にやってきた、まさにたちどころに1瞬といえども考える間も無かった 」

彼はその人をあやうく殺すところだった、彼がヒマラヤに行っていたのはそれが理由だったのだーー自分が誰かを殺し磔にされて処刑されるか、生涯、刑務所で暮さなければならなくなる事を心配していたからだ。家族でさえ言っていた。
「あなたは誰か人を殺してしまうだろうし、そうなったらそれは自分をも殺してしまうという事だから、ヒマラヤに行くのならその方がいい、そうすれば2つの命が救われる、行きなさい 」
だが、30年間・・・、一体なにが起こったのだろう?

それは単純な事実だ。

世界から逃げ出した人達は、この世界の責任は自分達には無いと思ってはいけないのだ。逃げる事で彼らは世界を変えなかった。逃げる事で彼らはそれを、もっと美しくもっと人間的に、もっと知性豊かにもっと瞑想的にする為の貢献を何もしなかった。彼らは世界を変える事もしなかったし、彼ら自身どんな内なる変化も通り抜けなかった。

だからこそ、私は世界を放棄することには反対なのだ

世界に居るがいい、如何にそれが困難であってもーーというのも1歩踏み出す毎に、自分がどのような種類のマインドを内側に抱えているのかを思い出させてくれるのは、世界に居てこそだからだ。

そして、その心が外側に投影されている。更に非常に多くの心がその同じやり方で投影されているのだから、それは巨大なものになる。

「あなたが世界だ」というのは数学的な声明ではない
「あなたがせかいだ」というのは心理学的な洞察だ

そしてそれは、成功し得る唯一の革命のための、鍵そのものになり得る

和尚

Sermons In Stones #2より抜粋 (あなでぃはこう聴く)


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