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王仁三郎の書が突如プーナに出現した!

王仁三郎の書が
突如プーナに出現した!

よく見ると
和尚の似顔絵
のようにも見える!?



  「ハルナというのは、プーナの古語形でハルナ、プルナ、プーナとなった、プーナの語源なのだよ………じつはね、王仁三郎は、このハルナの国に弥勒(マイトレーヤ)が降りると予言しているんだ」とYさんが言いました。「えっ!?、ハルナはプーナで王仁三郎!?…マイトレーヤがハルナ=プーナに降りるって、じゃぁ、和尚のことを予言したのかしら?」と聞くと、Yさんは「…そうだと思う。というのはね、王仁三郎は、いろいろと書を書いているんだけど、なかに面白い書があるのだ。ある日、王仁三郎が、達磨さんのように見える書を書いた。それを見ていた人たちが、これは達磨ですか?と問うと、いや、これは弥勒(マイトレーヤ)だ、ハルナに降りる弥勒だと言ったというのだ。そしてね、その書は実に実に和尚とよく似ている」と言いました。

王仁三郎は、和尚を予言していた!?

  Nさん:その時、私はちょっとびっくりしました。えっ!?達磨さんのように見える書は、実はマイトレーヤを描いたものなの?それは和尚のことなのかしら?というのは、私の母の大切な形見に掛け軸があって、それは、実は、ちょっと前まで、まさか王仁三郎直筆の書であるとは知らなかったんですけど、まるで達磨さんを描いたかに見える掛け軸です。へぇーひょっとしたら、あの掛け軸はそうなのかもしれないわ、王仁三郎が描いたマイトレーヤ=和尚!?と一人で納得していました。

  話はいったんはそこで終わってもう忘れかけていたころ、突然、Cさんがコミューンにやってきました。なんとあの掛け軸を持ってきました。持ってきてとも頼んでもいないし、Yさんの話しも知らせていなかったので、とてもびっくりしました。チランは2000年だし、新しい夜明けだし、持ってきたとぼつっと言いました。というのは、この掛け軸を私が実家から持ってきたとき、その夜、Cさんは朝日が昇るビジョンを夢の中でみたらしいのですが、彼がその書が王仁三郎のものであることを最初に私に教えてくれた人でした。2000年、その新しい夜明けに、みんなに見せたかったらしいのです。


この掛け軸には王仁三郎のエネルギーが今も残っている

  Cさん:ウパニシャッドが19日のセレブレーションに出演にアシュラムに来ていたので、彼にもこの王仁三郎の書を見てもらいました。彼は実は、ニライカナイ祭りなどでよく大本教とコンタクトしていて、そのとき王仁三郎の書や茶碗を数多くみたことがあるそうです。
  ウパニシャッドは、この書は王仁三郎のものに間違いはないと言いました。そして、「王仁三郎が最後に目を描くときはどうしたと思いますか?」と見ていた人4、5人にたずねました。「書の仕上げに、朝日が昇る瞬間に目を入れた」そうです。そのとき、偶然にも、隣にファロック(farok)という男性が居合わせていて、それって私の名前の意味ですよと、とても不思議な瞬間でした。
  私自身も、この掛け軸が、妻の実家から自宅についたその夜、神々しい朝日が昇るビジョンを見て、それがこの掛け軸をアシュラムにもってくるきっかけになったのです。やっぱりこの掛け軸には、その王仁三郎のエネルギーが今も残っているのですね。


だが実際にはハルナ=プーナ説には裏付けがあるわけではない

  さて、当編集部では、実際にその書をよーく見てみました。確かに、和尚と見えなくもない。ハルナ=プーナと思えなくもない。王仁三郎が和尚にマイトレーヤが降りると予言していたといえなくもない。ただ、やはり、ここはまず事実を押さえておきましょう。まず、この書は王仁三郎直筆のものであることは間違いなさそうです。これはウパニシャッドも確認しているし、そもそも元の持ち主というのが大本教の熱心な信者であったNさんの亡母であったこと。そしてそれが、今ここプーナにあるということ。それだけは事実です。参考までに、岡山のモンジュに問い合わせたところ、王仁三郎がプーナにマイトレーヤが降りると言ったとは、そういうことは聞いたことがないし、ハルナがプーナであるかどうかは正直わからないとのこと。ただし、にも関わらず、王仁三郎とoshoには何か似ているところがあると、彼は以下のような返事をしてくれました。彼の許可のもと、ここに掲載します。(マハスック)



王仁三郎と和尚

  昭和の初期に、日本中を震撼させた男がいた……出口王仁三郎という男ががそれです。彼は大本教という弥勒の世の到来を予言する新興宗教団体を率いるリーダーであり、すぐれた霊能力と行動力により、たくさんの人々を惹きつけ、政治の中枢部までにも影響力を及ぼしはじめます……そのため日本政府は2度に渡る大弾圧を行い、彼のコミューンを完璧に破壊しつくします。 ことに昭和10年12月に行われた政府による第二次弾圧では、王仁三郎とともに多くの信者が逮捕され、獄中で自殺したり発狂するものたちが続出し、さらに教団の施設は、ダイナマイトで徹底的に破壊されます…… ところが王仁三郎自身には、この弾圧を自ら意図的に引き寄せた気配があり、そこにこそ、大元教の教えの精髄が秘められているともいえます。王仁三郎の宗教観、世界観の根底には、"雛形経綸"という考え方があり、これはチベタン・パルシングでいう世界マップに似た考えかたです。チベタンの考えでは「日本は世界のハラだ」ということになっているようですが、王仁三郎もそれとほぼ同じヴィジョンをもっていて、日本を世界の雛形ととらえます…… 世界の雛形が日本であり、そのまた雛形が大本である……というとらえかた。 そして、この大本に起こることはやがて日本に起こり、日本に起こることはやがて世界で起こることになる……そういう発想ですね。そしてどうしようもなく行き詰まった世界は、立て替えた手直しを行わなければならないわけだけれど、その雛形を大本がまず演じるのだという明確な意識のもとに王仁三郎は行動してゆきます……。 手元にある資料には、このように書かれています…… 「世界を根本的に改造するには、世界の"型の国"である日本を立て替えねばならない。さらに日本を立て替えるためには、その"型"である大本を、潰さねばならない。これが王仁三郎の信念であった。 そのため、彼は官憲からの徹底的な弾圧を『望んでいた』たらしいのである。(中略) 大本が潰されることが神定の摂理であることを知っていた王仁三郎は、自らは監獄行きになったが、その後の仕組みを密かに大本信徒48名に託し、 救世の神業を行わせた。これが大本神業最大の謎とも言われる『一厘の仕組み』である」 (『出口王仁三郎、大本裏神業の真相、中矢伸一)

  不思議なことに、王仁三郎は、この大弾圧の直前、不思議な絵を描いていて、それはどうみても"達磨"の絵なのだけれど、箱書きには"弥勒神真像"(The sacred image of Maitreya)と記されています…… この絵は、王仁三郎の実孫の十和田龍氏が所蔵しているものだけれど、他に類例のない弥勒像です……広隆寺や中宮寺に安置されている世界的に有名な弥勒像は、優美で繊細で女性的な姿なのですが、それとはまったく異なる弥勒のイメージです……。王仁三郎の足跡、ことば、著作を眺めながら"雛形経綸"という独自の発想に照らし合わせてみると、不思議なことに、oshoとのシンクロニシティが浮かびあがってきます……(特に日時のシンクロを重視することがある)

1)二人が肉体を離れたのは1月19日である。
2)昭和3年3月3日、王仁三郎は弥勒宣言を行っているが、それからちょうど60年後の昭和63年3月3日、oshoは、天川神社の柿坂宮司を特使に任命して、弥勒宣言を代読させている。
3)晩年の王仁三郎は、虹色の陶器を焼き続けるがその数約3000点。これはoshoの色鮮やかな絵の点数とほぼ等しい数である。
4)七福神など様々な衣装を着てフォトセッションを行った王仁三郎と、oshoの衣装を変えた数々のフォトセッション。
5)禁欲的、道徳的な教えよりも、祝祭的な空間の現出を第一とする王仁三郎とoshoのカーニバル性。
6)『霊界物語』に描かれるスサノオ=弥勒はいわれのない罪を背負って、世界をさすらい、ゆくさきざきの国で疫病神として排斥される……まるでoshoのワールドツアーのように。
7)2度にわたる大本弾圧と、2度にわたるコミューンの弾圧、危機。
8)王仁三郎が描いた達磨的弥勒像とoshoの風貌の類似性。


もんじゅ



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