インドの写真 |
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津波からの生還 左の写真、バイクにのっかっているのはふうちゃん(まはのベイビー)、その右は、愛称プニさんこと、篠原さん。彼女は、ふうちゃんが産まれる前と産まれるとき、産まれた後、ずっと一緒にサミーラさんの面倒を見てくれた人・・・。まぁ、ふうちゃんの恩人みたいな人なんであります。その彼女は、つい先日まで、スリランカのビーチにリゾート!!に行っていたんですね。12月25日に彼女からメールが入って、あと数日、ビーチでのんびりしていくし・・・なんて、ああ、いいなぁいいなぁ〜なんて、うらやましがっていたまはなんです。 |
tsunami! ところが、26日、ニュースを見てびっくり仰天!ツナミ!・・・ああ、いまや、インドの報道機関ですら、最近はツナミなんて、言っている・・・。新聞では、インド政府の科学省のトップの科学者が、ツナミについて、テレビをみて始めて知った!なんて、見出し・・・信じられないようなお話です。知り合いのインド人も、『ツナミ』なんて、言っている・・・それほど、いままで、ツナミのような被害がなかったということなんでしょう。だから、言葉がない・・・それで、『トウフ』が国際語になっているように、『ツナミ』もいまや国際語になったんですね。 安否不明!ヤベーよぉ、プニさん、ツナミに呑まれちゃったかも・・・?あわてて、彼女にメールを出した・・・『生きている?』なんてね、でも、もちろん、返事は返ってこない。そのうち、報道で、スリランカの惨状が伝わってくる。ああ、これは仮に生きていても、たぶん、知らせることもできんやろうなぁ〜と思った次第。プニさんのことだから、ああ、すごい体験しちゃったぁ〜と 、ある日、ひょっこり現れるやろうなぁ〜などと話していたら、案の定、今日、出現!それで、また、びっくり仰天。 朝飯食い終わって、さぁ、ビーチにでも出ようかと思ったら、下水水が部屋に入ってきた・・・最初、これはえらいことになったわ・・・今夜、寝れないじゃん!下水の臭い水が部屋に入ってきて、臭い臭い!ベッドもびしょびしょ・・・いったいどうなってんの?なんて、思って、外に出ようと思ったら、あれよあれよと水かさが増して、気がついたら、バンガローの天井に頭が付いた・・。天井に頭がついて、これはマジでやばいと気が付いて・・・まどのかすかな隙間が見えたので、もぐって窓の隙間から脱出・・・すると、すごい流れで陸地に押し流されて・・・体はくるくると回っていたわよ・・・。丸太があって、つかまろうとしても、木の枝とか、障害物がいっぱいあって、つかまれない・・・ 気が付いたら丘の上・・・何回かつなみが来たんだけど、とにかく全力で泳いで、気が付いたら、丘の上の岸?たどり着いた・・・下はもうなにもかもめちゃめちゃで、宿泊していたバンガローなど跡形もない・・・。ぜーーんぶ流されちゃった。もちろん、パスポートも、現金も、シティバンクのカードも、何もない・・・。あったのは、上下不ぞろいな水着だけ・・・。ああ、ツナミがきた時、今日はどの水着にしようか迷ってて、ちょうど別のに着替えようとしてたところ。よかったは素っ裸じゃなくって・・・。そのうち、丘の上には、どこからか人が集まってきた・・・。みんな水着だけとか、でも、体は傷だらけ・・・・。つなみのショックで放心状態。2日間、救助を待ちながら、飲まず食わずで、その丘の上で過ごしたのね。 疫病が心配になって、目指すはコロンボの日本大使館!救助とはいっても、大変な被害で、なかなか思ったように救助の手が来ない・・・。そのうち、なんとかアルコールと脱脂綿だけが手に入ったので、けが人を脱脂綿とアルコールで消毒しに回ってた・・・。まぁ、ビキニ水着の看護婦さんってこと・・・そんなんで二日も経過して、でも、このままではちょっとまずいなーーと思ったわけ。丘の上に、数人の西洋人がいたの。彼らは、ここにこのままいても埒が明かない・・・水も満足にないし、食べ物もない・・・死臭は漂ってくるし、疫病も怖い・・思い切って、とにかくコロンボへ向おう!・・・だから、その西洋人4人と一緒にコロンボ向けて歩き始めた・・・。途中、地元の人が、水着姿の私にたぶんどこいらのヒッピーが残して言った服だと思うけど、オレンジ色のタイパンツのようなズボンと紫色のTシャツにオームかなにかの文字が書いてあるものをくれたのね・・。それで、私もヒッピーみたいになっちゃったわ・・・。ラッキーなことに、西洋人4人のうちの一人がわずかばかりの現金を持っていた・・・。その現金で、途中タクシーを拾って、なんとかコロンボへ・・・目指すはコロンボの日本大使館!いつもは別にお世話になるところじゃないけど、こんな大災害のときには、頼るところは日本の大使館しかないわよね・・。
やっとの思いで、日本大使館までたどり着いて・・・パスポートの再発行してもらってお金を貸してもらって何とかインドに戻ろうと思ったのね。大使館の人に事情を説明したところ・・・妙に冷たい。たぶん、私の格好から本当のヒッピーと思ったのか、どうなのか?わからないけども・・・一門なし、パスポートもないし、航空券もない・・全部流されちゃったしね、ツナミで・・・。だから、大使館しか泣きつくところがないわけ・・・だから、ここで見捨てられたら、もう頼みの綱がないわけ。まさか、コロンボでこじきをするわけにもいかないし。だから、、さんざん、泣きついた挙句、やっとの思いで、1万2千円を貸してもらえた。でも、貸してもらった1万2千円のうち、1万円はパスポートの再発行代金・・・。だから、私の手元には2千円ばかりが・・・。『ねぇ、これだけじゃ、ホテルにも泊まれないし、飯も満足に食えない。こんなひどい災害なんだから、なんとかもう少し助けてほしい!・・・・』とはいうものの、なしのつぶて。『ホテルに泊まれないなら、そこのソファーで寝ていいわよ・・』、『・・・・』ってことで、私は大使館のソファーで夜を明かした。夜警のおじさんが気の毒がって、それで、ビスケットをくれて、それで一晩飢えをしのいだんですね・・・。ありがとう!夜警のおじさん。翌日、大使館をでようとするとと、日本の東京テレビという局の人がマイクをもって近づいてきて、それで、インタビューに答えたところ、東京テレビがお礼として高級なタジホテルのランチをご馳走してくれた・・・。食べ放題!ヒッピー姿で高級ホテルでお食事もまんざら捨てたものじゃなかったわね、あはは!その後、インドのビザを再発行してもらいにインド大使館まで行かなきゃならなかったんだけど、東京テレビの人がタクシーで送ってくれた・・・ありがたや、日本の民間テレビ局。それにしても、日本の役所、大使館って、いざといときに、まったく冷たい! あとはすいすい、インド大使館も温情が厚い、エアラインもすぐにチケットを再発行してくれたインド大使館にいって、『実はツナミでパスポートが流れてしまって、だから、ちょっと前に発行してもらったビザも流れてしまったんです』と事情を説明すると、その場でビザをぼーんと押してくれた。もちろんタダ。その足で、エアラインに向かい、同じように説明すると、ちょっと調べて、すぐにチケットを再発行してくれたわよ。すぐに飛行機の予約をとってくれて、エアラインの無料バスでそのままコロンボ国際空港へ・・・・そうして、インドへたどり着いた。残りの2千円を両替して、バスにのっかって、ほら、この通り!戻ってこれました!というお話です。(まは) |
まはのインド・シリーズ |