リアルインド |
自らの、ロッジ建設の模様をリポートをリポートする。 "夢の途中 インド 安宿建設日記"。前回のpart3で、資金切れのため、早くも建設中断と相成ってしまったことはご報告しておりました。その後の経過を、先に、一言で申し上げますと"今だ建設は中断中"です。したがって、今回のprat4は"インド 安宿建設中断日記"となってしまいました。まったくお恥ずかしい次第です
心優しい皆様方、落ち込んでいる当人のためにも、中断日記、読んでやって下さいまし。
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旅行中お世話になったインド人青年と結婚し、インド東部オリッサ州コナラクへと移り住み、家庭を築くことになった私。夫と共に、コナラクでロッジ経営することを夢見て土地を買い、マイホームを建てたものの、諸々の事情から、ロッジ建設はズルズルと先延ばしに。結婚から9年経った今年の5月、あきらめかけていた頃、ようやくロッジ建設に着手できたものの,,,,.
建設開始当初の予想が的中し、資金不足が原因で、ロッジは、なんとも中途半端な状態で建設中断の憂き目を見てしまった。
設計士の話では、"2階建て総工費80万ルピー(約240万円)、工事期間3ヶ月"のはずが、60万ルピーのお金と3ヶ月の時間を費やして出来上がったものは、まだ屋根のついていないレンガむき出しの1階7部屋 共同バスとエントランスのみ。水道や下水道のパイプは、まだ通っていない。建築関係ど素人の私達夫婦は、ここへきてようやく、1階を完成させるだけでも160万ルピーは必要であることを悟ったのであった。
さて、"ノリコとパーカスの夢"は途中のままで、消滅してしまうのだろうか?悩んだ末に、日本の実家へ資金援助の相談をもちかけた私だった。
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夕方、実家から電話があった。援助の資金は、どうしても都合がつかないとの返事だった。頭の中が真っ白になった。最後の望みは絶たれたのだ。
これから、どうすれば良いのだろう。
考え込む暇もなく、クヨクヨするチャンスもなく、「お腹がすいたぁー!!」と騒ぐ子供達に促されて、停電中の台所でロウソクも灯さず、パラタ(インドパン)を作った。
自分でも、まだ、頭の中の整理がつかない。パーカスに打ち明けるのは、明日にしよう。
今日中にしあげなければならない仕事を済ませてから、夜になってパーカスに話を切り出した。 パーカスも、私と同様、頭の中が真っ白になったのだろう。怒り狂うでもなく、嘆き悲しむでもなく、「それなら、仕方ないじゃないか」と、あっさり言葉を返した。
それから、その場にいたバッパ(パーカスの父)に問いかけた。「もう、どうにもならないから、土地を売って、彼女を日本に帰すよ。いいだろう?」ショックだ。パーカスの意見は、あくまで「ロッジが無理なら、離婚したい」なのである。自分のロッジの夢を叶えるために、私と結婚したのだろうか?
パーカスが家事・育児を担当してくれるなら、貧乏してでも、私が養ってあげるのに。私は、インドで人夫になるのも、日本で夜のお仕事をするのも、平気だ。夫と子どもが愛してくれているのなら、それが一番の幸せだと思う。パーカスにとって、妻や子どもは二の次なのだろうか? 妻に食わせてもらうくらいなら、別れたほうがマシ? それとも、彼が一番愛しているのは「ロッジ」なのだろうか?
「私って、だまされたのかなぁ」 そう考えると、涙が止まらなくなった。
人の涙に弱いパーカスは、「なぜ、泣くのか?」と、私の頬を手で拭いてくれる。「騙されてた」なんて、信じ難い。素直に、訊ねてみることにした。「ロッジが完成しないからって、どうして別れなきゃいけないの? 私達って、そんなもんだったの?」
それから私達は、夜更けまで夫婦の会話を交し合った。今後の希望を、お互い、いくつも出し合った。希望は、まるでくいちがっていた。でも、私は幸せな気分になった。話し合っているうちに、パーカスの胸の内が理解できたのである。
彼は、ロッジ経営なくして、どうやって妻子を養えばよいのか、わからないでいるようだった。インドには「カーストによる職分」といった、やっかいなシステムが根づいているため、コナラクのような田舎町に、パーカスの就職できるような職場はない。例えば、大学卒の男性が職にあぶれ毎日ぶらついているのに、読み書きもできない青年が人夫として安くても日々日給を稼いでいたりする、といった奇妙な光景が、あたり前のこととして、人々に受け入れられている。
わが家としては、私が外国人であることと、パーカスの元ガイドの経験を活かして、ホテルやレストラン等の観光客を相手にした商売を営むのが好ましい。それが無理となると・・・・。
「どうやって家族を養ったらいいのか、わからない」などと、人に言えるわけもなく、パーカスは自分に自信がないことを隠すがごとく、妻につらくあたっていたのである。他に頼れる人もいないから、行き詰まって、妻に、暗に、救いを求めるパターン。まるで、反抗期の少年少女が母親に向って「死ね、クソババア!!」なんて口走ってしまうみたいに。
そうとわかれば、もう大丈夫。私にとって、もともと「夫は長男」なのだから。
今後、どうするのか、まだ良い方法は見つかっていないけれど、これだけは確か。私達夫婦は、離れ離れに生きることはないだろう。
8月12日(月)ラモくん、無断欠勤。バッパが呼びに行ったところ、「もう、ハードな仕事はしたくない」と答えたとか。昨日は、プライベートな話を耳に入れないようにと、何度も使いっ走りに出されていたなぁ。
2ヶ月前、「仕事を辞めさせてほしい」と言い出した時には、忙しいのは今だけ、ロッジが完成すればスタッフも増えてキミの負担は軽くなると、あれこれ説明して、つなぎとめていたけれど、今の私達夫婦には、お手伝いくんを思いやる心のゆとりはない。気が向いたら戻ってくればいいし、他に割のよい仕事があるのなら、そこで働けばよいと思う。
今日は、義兄さんとニルがうちに来たので、建設中断の理由をすべて打ち明けた。それから、土地を売却しようと考えていることも。話をしている今日のパーカスは、昨日までとは打って変わって、私をかばうような発言が目立つ。昨夜、よくよく話し合ってみて、良かったと、あらためて思った。彼の方も、私のつらい立場を理解してくれたのだろう。
ところで、義兄さんもニルも、当然、土地の売却の相談を持ちかけられて、えらく戸惑っている様子だった。あたりまえだよなぁ。パーカスは、何でも人に相談するクセがある。大事なことだからこそ、自分で決断しなきゃいけないのにね。
8月13日(火)建設作業が中断してからも、毎日うちへ顔を出していたゴヌ青年。2日間来なかったから、もう、うちの仕事はあきらめたのだろうと思っていたら、今日の午後姿を現した。
私は、相変わらず、ゴヌ青年と直接言葉を交わさない。ゴヌが帰った後、義兄さんに、ゴヌの用件は何だったのかと訊ねると、「屋根つけ、いつから始めるのかと訊ねていた」とのこと。うれしかった。
あれは、建設中断が決まった日のことだ。「自分の失敗のせいで中断するのなら、ぼくはもう、ここには来ない。グノ兄さんが来るようにする」と、ゴヌ青年は私達夫婦に言った。パーカスが私に意見を求めたので、私はゴヌにこう答えたのだ。「あなたが来なければ済むと言う問題ではない。グノさんは集金のときにしか来なかったけれど、あなたは、自分の手足を使って、毎日ハードな仕事をこなしてくれた。私達のロッジが、日々、少しづつ形を成して行くのを、あなたは見てきたでしょう? たとえ、私達が『もう来るな』と言ったとしても、『自分がやる』と言い張ってくれるくらい、やる気を見せてくれると、私はうれしい」と。
本当に、やる気を見せてくれているゴヌ青年に、私は感謝の気持ちでいっぱいだ。と同時に、うちにお金がなくってごめんなさい、とあやまりたい。
8月14日(水)「占い」を尊重しないインド人はいない。と断言しても過言ではない。「結婚相手との相性も、親が占い師に相談し、その結果は、家族内で慎重に検討される」という事実は、世界的にも有名な、インドならではの習慣のひとつである。
占い好きインド人の例のもれず、パーカスがうちに占い師を連れて来た。パーカスが「師」に訊ねたのは、土地を売るべきかどうか、車を売るべきかどうか、という問題だ。
タクシーとして商売に出している、インド国産車アンバサダーは、毎月メンテナンスにお金をかけているにもかかわらず、数日前、バッテリーがいかれ、しかも、あちこち車体がサビついて穴まであいていることがわかり、パーカスも売る気を起こしたらしい。もっとよく調べれば、シートやタイヤなど、手をくわえなければならないところが、まだまだありそうだ。買って、まだ2年も経っていないのに。
私は以前から、車は売って、当分はロッジひとすじに集中しようと言っていたのだ。いや、買うときから、「私は責任持たないよ」と、反対していたくらいだ。以前、ジープ型の車をタクシー用に購入して、痛い目にあった経験があるのだ。
ロッジ建設が中断して、路頭に迷っているさなか、車までポンコツ化するなんて、まったくもって、踏んだり蹴ったりだ。
さて、占い師さんの私たちへのアドバイスは・・・・・。
今、パーカスも、私も、ツキの落ちている時なのだそうだ。車を売れば、もとをとれずに損をするだけだし、土地も同じことだと言う。また、車を修理に出すのでさえ、10ルピーで済むものを20ルピー使わされたあげく、車は納得のいく仕上がりにはならない。と、そのくらい、私達の現在の運勢は、最悪なのだそうだ。じゃあ、どうすれば・・・・と訊ねると、「1ヶ月間、何もするな」とのこと。土地は今売るべきじゃないし、車も、壊れそうなら走らせずに家に置いておけ、とおっしゃる。今月のサンクランティの日から、少しづつ運気が上昇して、来月のサンクランティを過ぎると、夫婦ともにツキが戻って来る。1年間は、だまっていても、トントン拍子に事が運ぶはずなのだそうだ。
私の、いぶかしげな目つきに気づいたのか、占い師さんは、ひざを叩いて、「チャレンジ!!」と言った。「チャレンジ!!」とは、この辺の人が、自分の言葉に、ぜったい自信がある時に使う言葉だ。
この「チャレンジ!!」を聞いて、パーカスは決意を固めたようだ。一ヶ月は、何も手をつけないと。私も、その気になった。もしかすると、本当に時期が悪いのかもしれない。頭の冷却期間も必要なのかもしれないし、しばらくは「何もなかったことにしよう」 そう、考えがまとまった。当面の方向性が決まって、私達は少し気が楽になった。その晩は、親子4人、ヒンドゥーの神話などで盛り上がり、久しぶりにリラックスした時間を過ごした。占い師さん、うそでもいいから、「チャレンジ!!」と言ってくれて、ありがとう。
わが家の壁は一面らくがきだだらけ。誰の仕業? |
インド独立祈念日。
コナラクでも、子供達が町中を行進したり、記念式典が催されたりしている。うちの子達も、早朝、はりきって行進に出かけて行った。
私も、少しづつ「インドの血」が流れ始めてきたのか(毎日インド食、食べてるし)、子供達とともに、「母なるインド、万歳!!」と、心から口に出して言ったりしている。まだ、将来不安定なままだけど、願わくば、インドが私の第2の故郷になりますように。
8月16日(金)朝、パーカスの留守中に、鉄筋職人のカレアが顔を見せた。「奥さん、まだ建設開始しないのですか?」と訊くので、「あと一ヶ月はお安み。始める時は連絡をするから、今は別の仕事を請け負ってください」と答えると、「あとで、また来ます」と言う。それでなくても、カレアは、ほとんど毎日のように、朝、電話をかけてきては、近況を訊いてくる。
朝、コーシュリ、アマジィ、ラックミー、ノカマもやってきた。パーカスは留守で、私と子供しか家にいなかったので、1時間ほどで帰って行った。用件は何だったのだろう?
夕方、パーカスが帰宅すると同時に、ミスラさんが来た。パーカスが言うには、土地を売るかどうかを、探りに来ていたらしい。ミスラさんは、うちの近所のロッジとつきあいがあって(先日、作業を中止させるようにと、お役所にクレームをつけたロッジ)、「売るなら、彼らが喜んで買い取ると言ってましたよ」と、一番シャクに触ることを言ってくれたそうだ。
パーカスとミスラさんが話をしているところに、ゴヌ、カレア、ログ達、職人さんも登場した。ポタ(板)が必要で、取りに来たらしいのだが、一体、今日は、何の日だ? 人夫さん、職人さん、設計士さん、どの人の顔を見ても、心が痛むというのに・・・・。
夜は、バザール(商店街)へ行ったパーカスが、私達と親しい資材運送業の社長(3ヶ月ほど前、酔った勢いで「なぜ、うちに仕事をくれない」と怒鳴り込んで来た、トラックのオーナー)に、声をかけられたそうだ。
「土地を売るつもりか? ただのウワサだろう? オレは信じない。早まるなよ、なんとか、頑張れ」 そう励ましてくれたうえに、「資材が必要になったらうちに注文しろ。半額出してくれれば、あとの半額は、ロッジを始めてからの支払いでいいから」とまで、言ってくれたそうだ。
それにしても、土地を売る話、なぜ人々に広まったのだろう? 身内にしか、話していないのに。「パーカス失脚、間もなく土地を手離す」のガセネタ(ガセでもないが)が、方々に行き渡っていることを知ったパーカスは、ひどく落ち込み、イラついていた。
8月17日(土)なんてことだろう、サンクランティの今日、質のよいポトロ(石の板)が、割安で、うちに舞い込んできた。 ことのいきさつは、今朝、コナラクのお役所に、謎のポトロが届けられたことに始まる。トラックの運転手は、電話注文があったので持って来たと言うのだが、お役所の方では注文した覚えがない。さて、200コ近いポトロ、返品となれば、トラックオーナーの大損害とあって、運転手は「このままでは(会社に)帰れない」と半泣き状態。どうしたものかと、一同悩んでいたところ、パーカスがひいきにしてくれているお偉いさんが、うちへ運ぶように提案したのだそうだ。
3ヶ月ほど前、私達が購入したポトロは、まずまずのクオリティで、200コ3800ルピーだった。現在、ポトロは値上がり中で、200コ5700ルピーだと、パーカスは言う。そんなに値上がりしているはずはないと思うが、目の前に現れたポトロは、質が良く、3400ルピー。悪くない買い物だ。お偉いさんの顔を立てておく必要おもあるし、近いうちに建設工事を再開できるようにと、おまじないの意味もかねて、買い取ることにした。
お使いの人が伝えてくれた。お偉いさんからの伝言は、こうだった。「今は金がないかもしれんが、人に借金をしてでも、このポトロは引き取っておけ」。 この人もまた、私達のロッジ建設を応援してくれている人のひとりだ。
サンクランティの今日の、この出来事。先日の占い師さんの予言は、信じても良いのかなぁと思えてきた。
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な、なんと!! 「ポトロを引き取ってくれ」と、また昨日のトラックがやって来た。再び、受注ミスらしい。2日も続けて、なんてドジな人達だろう。それとも、誰かが、わざと、うちにポトロを送り込もうとしているのか?
もちろん、パーカスは断った。セメントやレンガの支払いも残っているのに、これ以上新たにポトロを仕入れることはできない。
運転手が困り果ててしまったので、パーカスは、ポトロを引き取ってくれそうな他の人を紹介していた。
夕方、昨日とは別の職人さんが来て、ポタを持って行った。
珍しくスーツなどを着ている怪しげなパーカス&お腹の目立つグノさん |
パーカスが、コナラクを含む自治区の議会の会計係に指名された。べつに、給料がでるわけでもなく、やっかい事が増えるだけなのだが、本人は「断りきれなかったんだよ」と言いつつ、内心うれしそう。この地域の権力者と懇意にできるという点では、なにかと有利ではある。インドでは、コネとカネで社会が動かされているような面があるからだ。しかし、権力者と親しくなればなるほど、ある日、手ひどいシッペ返しを食らう恐れも多くなる。私の知っている限り、インド社会では、「信頼」など、砂つぶほどの価値もない。いや、それは言い過ぎ、小石くらいの価値ならあるかな? とにかく、いかに自分に有利なコマ(人間)で自分の周囲を固め、不利なコマ(人間)を蹴落とすか。今日、有利なコマが、明日は不利になり、ポイする必要性がでてくることもある。今日の味方は明日の敵、の世界だ。そんなゲームが、この男性社会の男達にとっては、面白くもある様子なのである。
パーカスを会計係にいち押ししてくれた議長さん、今は感謝だけれど、今後機嫌を損ねるとヒドイ目にあわされないよう、気をつけてねパーカス。
今日も、グノさんの使いの人夫さんがやって来て、ポタを持って行った。3日連続だ。グノさん本人は、建設中断以降、うちへは顔を出していないのに、少しづつ資材道具を引きあげていくなんて、なんかイヤな感じだ。
8月21日(水)パーカスはまた、バザールで、ポンディジィ(ヒンドゥー僧)のカイラースさんに、占いをしてもらったらしい。家に帰ってきたパーカスが、ニルに言った。
「今は、オレもノリも日本の義父も、ツキが悪いんだ。来月になれば、3人揃って運気が上昇する」
私は、また、どっと落ち込んだ。私の父の運勢を、なぜ気にするのだ!? もちろん、資金の援助をあきらめていないからだ。パーカスだけでなく、私の周囲のすべての、本当に「すべて」の人が日本からの援助を当然と考え、待ち望んでいる(ある人は恐れている)のだから、呆れてしまう。この事実、日本の家族に知れたら、「とんでもないところに嫁いでくれたな」とでも言われてしまいそうだ。
ひと月後、今と何の変わりもなかったら、私はどうなるのだろう? えーい、子供連れで日本に帰っちゃえ!!
8月24日(土)ロッジの階段のところで手紙を書いていたら、突然、目の前に、カレアが登場。びっくりした。
エントランス屋根の固まり具合いを、チェックに来たのだと言う。建設作業が再開すれば、今度は建物本体の屋根つけという大きな仕事があるため、カレアは熱心にアプローチをかけてくる。実際、仕事熱心で、信頼のできる職人さんなので、たとえ次回からグノさんには頼まないとしても、カレアには来てもらうことになっている。
カレアのチェックの結果では、エントランス屋根を支えているポタ(板)は、もうとっても大丈夫らしい。屋根つけの日、グノさんは「21日たったら、ポタをはずせる」と言っていたなぁ、と思い出す。屋根つけの日から、今日で19日だ。
いつ作業を開始するのか? と、カレアから相変わらずの質問を受けた。答えに困るんだよなぁ。カレアは、夕方帰って行ったけど、終バスに乗りそこねたとかで、夜戻って来て泊まって行った。
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ニルにエントランスの軒のポタを取り除いてもらった。「まぁ、こんなもんかな」といった出来になっていた。ひん曲がっていたり、デコボコだったりだけど、壊れているところはない。セメント塗りでキレイに仕上げれば、見映えよくなるはず。
9月2日(月)「ひと月は、何も手を出さない」はずだったのに、パーカスは車を修理に出してしまった。予想修理費用はおよそ3万ルピー。パーカスは知人に借金して、タクシー収入で少しづつ返済すると言ってるが、ワタシ、知〜ら〜ないっと。(結局、4万数千ルピーかかってしまった)
9月4日(水)朝、ゴヌが来た。久しぶりだ。パーカスと話をして、ポタを取った後の軒の具合いを見て、すぐに帰って行った。このところ姿を見せないところをみると、どこかの建設現場の仕事についているのだろう。そうしてくれると、私も気が楽だ。グノさんとの話し合いは済んでいないけれど(うちに顔を出そうとしない)、もし作業を再開できるなら、私は、カレア同様、ゴヌにも声をかけるつもりでいる。グノさんも断るとしたら、ゴヌは悩むだろうな。
9月7日(土)朝、グノさんところの職人助手の、カウノ青年が突然あらわれ、「奥さん、パーカスさんに、タバコを一本取って来るように言われました」と言った。ポタでも取りに来ていたところを、納屋にいたパーカスに、使い走りにされたのだろう。カウノが「自分の写っている写真はできたか?」と訊くので、タバコと、写真を渡してあげた。
9月8日(日)夕方、ゴヌ青年あらわる。荷車で木材を持って行った。ラビの話では、今、教育施設の工事を請け負っているらしい。
一方、パーカスは、夕方、バザールで、グノさんにばったり出会ったと言う。「ひと月以上になるのに、なぜエントランスのポタをはずしに来ないのか」と、怒鳴りつけたそうだ。グノさんへの支払いは、建物の1スクエア・フット(1フット=約37センチ)につき45ルピーといった計算でなされることになっていたが、建物が完成するまで支払われないでは、グノさんもスタッフに給料が出せないので、工事の進行具合に合わせて、アバウトに前払いをしていた。したがって、うちとグノさんとの決着がついていない以上、グノさんはポタはずしの仕事をするのが義務なのである。ちなみに、グノさんとうちとの決着とは、建物が中断した時点での、清算のことだ。パーカスの言い分では、グノさんの過失でうちが損した分をプラスして、払いすぎの分をお金で返してもうらうか、働いて返してもらうか、どちらか決めようと言うのだ。グノさんには、グノさんの言い分があるだろうが、なにせ、グノさん本人がうちに来るのを避けている。パーカスの口の悪さを恐れているのだろうか?この日もパーカスは、人前でグノさんに、相当な悪態をついたらしい。
言い負けたグノさんは、とりあえず明日、ポタはずしの人材を送ると、パーカスに約束したそうだ。
9月9日(月)ゴヌと人夫さん1人が、ポタはずしに来た。わがロッジの、ひと月ぶりの作業。うれしさに、胸がときめいた・・・のも束の間、私が水浴びを終えた11時頃、作業現場の人影は消えていた。エントランスの木材は、まだついたままなのに、なぜ?「ゲンタバブ(ゴヌ)達は、どこに行ったの?」と、ラビに訊いてみたところ、あまりにも頑丈にクギが打ちつけられていて、ゲンタバブ(子供達がゴヌにつけたあだな)の手におえなかったのだと言う。それでポタ職人のログを呼びに行ったのだと・・・まさか・・・と疑ったけれど、昼過ぎに家に戻ったパーカスに訊いても、同じ答えだった。
ログがつかまらなかったのか、今日のところ、ゴヌは戻って来なかった。
9月12日(金)朝、カウノくんが、グノさんのトラクターで参上した。どうやら本格的に、ポタを引き上げるつもりらしい。
ところがパーカスは、トラクターは追い返してしまった。それからカウノくんに「エントランスのポタはずしを済ませるまで、グノの使いの者は、うちの門をくぐらせない」と宣告したのであった。
9月13日(土)ゴヌとビジュー、人夫さん2人が来て、エントランスのポタはずし作業が行われた。今日は気合が入っている雰囲気だ。
エントランスの屋根を支えていたポタをはずすと、ポタと屋根との間にサンドイッチになっていた土が、ドドっと落ちてくる。
エントランス屋根づくりの工程を思い出してみよう。@木材で土台づくり→Aポタを張った仮の屋根の上に土を平らにかぶせ→Bセメント砂を混ぜた"マサラ"を敷き→C水にセメントを溶かした"ラッシィ"を薄く塗り→D牛のフンの加工物を水に溶かしたものを薄く塗り→E鉄筋を張り巡らせ→Fチップス(小石)を混ぜたセメントをかぶせ平らにならす。といった手順であった。このうち、屋根として残るのは、EとFの部分だけ。土、マサラ、ラッシィは、屋根を平らな状態で固めるためのもので、牛のフンは、あとで土やマサラがはがれやすいように使われたものであった。
朝から夕方までで、作業は終了した。ログがいなくても、やればできるじゃないか。天井にまだ、土がこびりついているけれど、雨季が過ぎて乾燥すれば、自然に剥がれ落ちるそうだ。
夕暮れ時、皆が帰ったあとに、ひと月以上ご無沙汰だったグノさんがやって来た。が、あいにくパーカスは留守だ。留守と知って、やって来たふうにも見える。
エントランスの出来具合をチェックして戻って来たグノさんに、「ちゃんとできますか?」と訊ねたら、「ちゃんとできないわけないでしょう」と、彼は言った。「いつ、作業を再開するのか?」と、苦手な質問をされたので「今は、なんとも言えない」と答えると、「もう1〜2ヶ月してから始めましょうや。雨季が終わってからがいいでしょう。」という言葉が爽やかな笑顔と共に帰ってきた。資金問題の件は、詳しいことはグノさんには話が行っていない。ゴヌ青年から聞いてはいるだろうけど。だから、私は、「そうですね」と、言葉を濁した。
パーカスもいないことだし、これで引き上げてくれるだろうと思った。ところが、グノさんは、関を切ったようにしゃべり始めた。「私の仕事に、どこか落ち度がありましたか?何度も、造り直しをさせられたのは、そちらが後から注文をつけてくるからであって、先に希望をいってくれたなら、こちらとしても、希望通りに造ったわけですよ。ミスラさんを設計士として紹介されたので、私はミスラさんの指示通りにやりました。それが職人の仕事です。ところが、ミスラさん以外の人(パーカスや私、コッカさん、ヤトリさん等のことを言っているらしい)が、ミスラさんの指示とは違うことを言うので、私達はとても仕事がやりづらかったのですよ」
「では、グノさんの失敗は、もとはと言えばすべてミスラさんの指示だったのですね?」。そう訊ねると、グノさんは、少し具合悪そうに「ミスラさんの指示です」と答えた。
「窓枠に鉄筋を入れる準備をしていなかったことや、エントランス屋根の鉄筋が、まるで足りてなかったこと、ヤトリニワスの建築士さんに指摘されましたけど、あのまま造ってたら、近い将来、建物にヒビが入る状態だったのでしょう?ミスラさんの指示だったとは言え、グノさんはおかしいとは思わなかったのですか?」「あれでもよかったのですよ。いいですか、私はこれまでに、数々の仕事を手がけて来ました。私の判断に間違いはありません。一般的な建物を建てるなら、あれで良かったのです。ところが、ヤトリニワスの建築士さんは、ミスラさんとは違うことを言う。最初から、ヤトリさんの指示を取り入れるよう言ってくれていれば、私はその通りにしていたのに、後から言われたのでは、やり直すしかない」「10人いれば10の意見が飛び交うことは私にもわかっています。うちが、代理の設計士を連れてこないで、本来の設計士さんにお願いしていれば問題はなかったでしょうね。でも、そうできなかった事情は、グノさんもご存知でしょう?」 「では、私には過失がないことは、わかってもらえましたね。悪いのは私ではないでしょう?そうでしょう?」
「うちのロッジが、ヤトリニワスと同じ造りであることは、最初から何度もパーカスが伝えていたはずです。私達は素人だから、作業が進んでみないと、ヤトリニワスと同じかどうかわからないのです。あなたは何故、ヤトリニワスへ下調べに行くくらいのこと、してくれなかったのですか?あなたは自分は正しいと言うけれど、本当にそうなのかどうか、私には知るすべがありません。私に建築の知識はないのですから」。
このあたりから、私につかみかかってきそうなほどだったグノさんのテンションは、下がり始めた。
「バウジョ(年上の既婚女性を敬って呼ぶ時の呼び名。私はグノさんの方が年上だと思っているのだけれど、立場上私をたてて、バウジョと呼ぶのだろうと思っていた)、あなたは私のボドバウジョ(義姉さんの意。うそでしょ、絶対グノさんの方が年上よ!!と心の中で思いつつ、ややこしくなるので口には出さなかった)。ボドバウジョといえば、母親も同然。私達みんなの母親として、この問題、うまいこととりなして、まとめて下さいよ。」
今度は、泣き落としか? 「グノさんに非はない」と私の口から言わせようと試みたけれど、私がそうとは言わないため、今度はおだてあげて、私に自分とパーカスの仲介役をさせようというもくろみらしい。
ところが、私にはヒンドゥの血は流れていない。インドで(かどうかは知らないが、少なくとも私の生活圏内で)よく使われる、「姉(義姉)と言えば母も同然」と言った言葉は、私にとっては迷惑なばかりだ。子供は我が子だけで充分。こちらの女性は、「あなたは母親的存在」と言われると光栄なのだろうか? 光栄なのだろう。「母親的存在」とは、日本社会で例えると、「相撲部屋のおカミさん」といった感じだ。大家族制の風習のあるインドでは、一家の主婦は、夫の兄弟をはじめ家族みんなの母親的存在であることが望まれる。私には、まるで似合わない。
でも、ここはインドなので、インド式に振舞う必要がある。私は、グノさんにイスをすすめ、「お茶でも入れましょうね」と、母親的に、一息入れるよう促した。チャイを飲みながらもグノさんは「私の言ってること、わかってもらえましたか?」と私の反応を探りたい様子だった。 帰宅した義弟のクリシュナに、パーカスを呼びに行かせたけれど、みつからなかったというので、グノさんには「明日出直して下さい」とお願いした。「言い負かせ作戦」も、「泣き落とし作戦」も、効果がなかったからか、去り際のグノさんの表情からは、来た時の爽やかさは消えうせ、苦い表情になっていた。
私は、前々から、グノさんと手を切るよりは、ミスラさんとバイバイするほうが正しいと思っていた。けれど、建物が完成したあかつきには、事務的手続きの上で、設計士のサインが欠かせない。だから、ミスラさんに、これ以上わがロッジにかかわって欲しくないと思いつつ、きっぱりと縁を切ることもできないでいる。
どちらにしても、ロッジ建設再開のあかつきには、引き続きグノさんにお願いするほうがトラブルが少なくてよいのではないかと、私には思える。パーカスは何と言うか・・・。
さて、一番の問題は、うちの方である。次のサンクランティは、9月17日、4日後だ。占い師さんの言ったとおり、9月17日以降、事態が一変して、すべてがトントン拍子に、はかどるのだろうか?「現実は、小説より奇なり」とは、誰の言った言葉だったか・・・?現実らしくないこと、起こってくれるといいのにな。と運を天に任せきっている私であった。
<あとがき>今年のインド・オリッサ州の雨季は空梅雨ならぬ空雨季です。先月、非に3〜4時間ほど振る日が続いて、やっと雨季らしくなったと思ったら、ここ3日は真夏のような太陽。昨年は、州各地で河の堤防が壊れ、あちらこちらで床上浸水の被害が出ました。ところが、今年は雨量が足りなくて、「魚が捕れなくって困ります」と漁村のノカマさんが嘆いていました。お百姓さんたちも、きっと頭を抱えてあることでしょう。
でも、建てかけのロッジを抱える我が家にはありがたい空雨季です。今のところは、建物の破損はほとんどなく、立派なロッジになれる日を、じっと待ち望んでいるかのように、私の目に映ります。
さて、この<あとがき>を書いている9月20日現在、ロッジ建設の目処は、まだたっていません。現実らしくないことでも起こらないかぎり(例えば買ってもいない宝クジにあたるとか、うちの庭から石油が湧き出るとか・・・)、当分は無理と言うのが正直な現状です。最もありえそうな奇跡は、土地の裁判に勝訴することでしょうか。あと紙切れ1枚手に入れば、銀行が土地を担保に喜んで融資をしてくれる手はずを整えているのですが・・・。その紙切れ1枚こそが、6年間待ち続けている奇跡なのでした。
そのようなわけで、HPリアルインド掲載"夢の途中〜インド・安宿建設日記〜"は、今回のPart4をもちまして、一時休止させていただくことになりました。
皆様、これまでご愛読いただき(?)ありがとうございました。この場を借りて、リアルインド編集スタッフの皆様にも、御礼を申し上げさせていただきます。ありがとうございました。
つきましては、来月より"夢の途中〜インド・安宿日記〜番外編"をスタートさせていただく予定にしております。だって、このままやめちゃったんじゃ、「ノリコとパーカスの夢」も、迷宮入りしてしまいそうじゃあないですか。縁起悪いです。
番外編では、<今月のオマケ・ナヤックさんちのこぼれ話>を中心に、建てかけロッジの近況などもお届けしてまいりたいと考えております。こうなったら、意地なのだ!!
皆さん、来月も読んでくださいね。リアルインド編集スタッフの方々もよろしくお願いしますね。
2002年 9月 20日 高木 ナヤック 法子
*都合により、<今月のオマケ・ナヤックさんちのこぼれ話>はお休みさせていただきます。
来月号もお楽しみに
パート1 |
1 プロローグ 2 安宿のつもりが中級ホテルの設計図・・・5月9日〜5月12日 3 5月13日〜6月6日 |
パート2 |
1 6月7日〜6月30日 2 7月7日〜7月8日 3 今月のオマケ ナヤックさんちのこぼれ話 |
パート3 |
1 7月8日〜8月8日 2 今月のオマケ ナヤックさんちのこぼれ話 |
パート4 |
1 8月10日〜9月13日 安宿ピンチ!ノリコとパーカスの夢"は途中のままで、消滅してしまうのだろうか? |
番外編 |
ナヤックさんちのこぼれ話し |
番外編 |
沐浴に行こう!! |
番外編 |
ソニ・メーラNEW! |
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残念ながら、ノリコさんにはパソコンはありません。使いたくても、ひどいパソコン音痴なんだそうです。それでも、日本の皆さんに発信したい!という希望を、かなえるべく、インドのコナラクより原稿をインドのプーナまで郵送、そこで、かちゃかちゃと原稿おこしをし、このページができあがっているというわけです。リアルインドでは、インドで、何か夢をかなえたい!何かやりたいって皆さんのご連絡を待っています!
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