リアルインド |
とうとう来てしまった。お昼過ぎ、建設作業を中止するようにと、無表情なお役人たちが乗り込んできた。「お前ら、ストップしないと、全員ブタ箱行きだ!!」。出っ張ったお腹をますます突き出して、脅し文句を言う。本日作業にあたっていた一同は、不安顔になってしまった。後日、必要書類を持って出頭するからと、パーカスが説き伏せて、その場はなんとかお引取り願えたけど、お役人さんは、私たちから特別手当(ワイロ)を期待しているようだ。
私たちは別に、悪いコトをしているわけではない。土地は、もとの所有者にお金を払い、役所で正式に手続きした上で手に入れた。ロッジの建設に関しても、管轄のお役所に設計図を提出し、建築許可を得ている(今回は住居用の建物をロッジに改造してはいるが)。なのに、どうして、お役人が乗り込んでくるのか?それは、私たちの土地が現在、土地所有権の問題で、州政府を相手に裁判中だからである。
この辺り一帯は、インドが王制だった頃、藩が「サンボー・アシュラム」に献上したものだった。が、現在のサンボー・アシュラムの先代グル(教祖)は、アシュラムの運営資金に困って、土地を民間の人々に切り売りしていった。私たちの土地も、もとはサンボー・アシュラムの所有地だった。 ところが、インドが英国に統括され、その後独立して自らの近代政治を行うようになる過程で、もとのアシュラムの土地は、所有権があやふやになってしまていた。州政府はもとアシュラムの土地を私有地とは認めず、近年では、コナラク都市開発の計画が進められているのにともない、ますます厳しく「州の土地」であることを主張している。そこで、サンボー・アシュラムを始め、もとアシュラムの土地を所有するものと、州政府との間で、裁判が続けられているというわけである。
州の土地であると主張する一方、土地の売買を扱うお役所で私有地としての登記が認められている。また、州との間で裁判中の土地であるのに、ロッジの建築許可が下りる。まったく、政府のやることは、矛盾だらけで驚かされる。これは、ひとえに、インド社会では一般庶民レベルで「袖の下」が横行しているから、起こり得る現象でもあるのだろう。お札を数枚ポケットに入れてあげると、お役にさんは、法の目を掻い潜って、「異例の手続き」をしてくれる。私たちが、なんとか、8年間コナラクの一等地でやってこれたのも、パーカスがお役人さん方に、何かと「無理を承知で!そこをなんとか!!」と食い下がってきたからなのである。また、パーカスに限らず、インドの男たちは、グイグイと押しが強くないと、モラルだの前例だのを気にしていたのでは、愛する家族を守っていけない一面もある。そういう社会なのである。
そういったわけで、現在私たちの所有している土地は、私たちのものであっても、自由がきかない状態にあるといえる。 法律上の詳しいことを書くとややこしいので、わがロッジの置かれている立場を簡単に説明すると―1階の屋根の取り付けまで済ませれば「違法建築」として取り壊しの憂き目を見る心配はなくなる。が、屋根がつく前に、お上の方から「即刻作業中止」もしくは「取り壊し」の指令が出ると、ロッジ建設の夢は志半ばで、あきらめなければならなくなる。
私たちに与えられたタイムリミットは、2ヶ月だった。2ヶ月以内に屋根付けまで終えるようにと、町のお偉いさんから言いつけられていた。でも、間に合わなかった。そしたら、3ヶ月目に入ったとたん、今日の出来事だ。近所のロッジの主人からの「裁判中の土地で、何故六次建設が行われているのか」というクレームが訊き入れられたらしい。政府の目節穴か?それともワイロを受け取っているのか?と、新聞にでも叩かれたら、お役人にとっては一大事。自分の首が危なくなる。それで「建てるなら、夜中に作業してでも、即刻仕上げろ。人の足を引っ張るのが好きな人間たちが騒ぎ出す前に」となっていたのである。
初日から、長話になってしまった。
建設作業のほうは、今日はアマさん人夫はお休み。職人さん2人、男性人夫サン2人で、エントランス土台のレンガ敷きと柱どくりが行われていた。
ジョイノ(義妹の夫)は、昨夜から行方不明。妻の実家で行ったのだろう。
7月10日(水)おととい、ニミタル・ドレイ作業延期の原因となった窓枠の処理。午前中、職人さんたちは、窓に取り付ける木材を適当な寸法に切り釘打ち。午後から。マスターとバイナ人夫さんとで、窓枠の下部に木材を取り付けていた。
夜になって、政府経営のバンガロー「ヤトリニワス」の新館建築の指揮をしている建築士さんに来てもらった。わがロッジは「ヤトリニワス」を模して設計されている。窓には、スチールフレームのガラス窓が採用されていて、そのための処理は、ミスラさんも、グノさんもよくわかっていない。そこで、ヤトリニワスの建築士さんに、特別アドバイスに来ていただいたのだ。
まずは、鉄の棒を切り、窓枠に埋め込む鉄筋のサンプルを作成。サンプルを、今日取り付けた木材の型の中にはめてみて、ピタッとくるサイズを確認。職人さんたちは、熱心に説明を聞いていた。
写真A 7月11日(木)アマさんたちは、窓枠鉄筋用の鉄を、切ったり、曲げたり、組み立てたり、取り付けたり。昨夜、ヤトリニワスの建築士さん(以下ヤトリさん)に、工法を伝授してもらったものの、いまいち自信なさそうに、スローペースで作業している。
夕方、ヤトリさんが来てくれた。グノさんもいたので、丁度良い顔合わせ。作業経過の確認をしてもらった。
7月12日(金)今日は、世界的に有名な、ジャガンナート寺院の山車祭の日。本家はオリッサ州プリーのジャガンナート寺院の山車だが、コナラクでも、ラジャラマ・アシュラムから、小規模ながら御神体が山車に乗せられ、7日間の「マウシマァ・マンデラ(伯母の寺院)」訪問へと出発する。
そういう、オリッサ人にとっては大切な祭日なので、建設作業は基本的にお休み。職人だん3人が来て、のべ4時間ほど、鉄筋づくりをしていた。が、ほとんど、コナラクの山車を拝むついでに、うちへ寄ったようなものだ。ニルも、建物の水まきをして、1時過ぎに帰っていった。
7月13日(土)窓枠下部にセメントwithチップスを流し込む作業。始める前に、パーカスがヤトリさんを呼びに行く。ヤトリさん到着後、彼の指導のもと、ゴヌ青年が作業を行った。
が、セメントを流し入れる木材の型が、完璧にセットされていたのは、1部屋だけ。「お前ら、昨日何やってたんだ!!ヤトリさんは忙しいところを、抜け出して来てくださったんだぞ!!」と、パーカスの怒鳴り声が響いた。
職人さんの一人が急いで木材を切り、型を作り、それをゴヌがセットしてセメント流し。皆があたふたしている中、建物のまわり1周してみた私は・・・あれー?なんで、ココすっぽんぽんなの?木材の型も鉄筋もセットされずに、忘れ去られている窓が2つもあった。パーカスから職人さんに、その旨伝えてもらったところ、「そこに窓は必要ないといわれたんですよ」との答え。誰が言ったんじゃ?そんなこと。窓のない部屋なんて、牢獄と同じだよ。
夜になってから、ヤトリさんが部下を連れて、窓辺の仕上がり具合をチェックしに来てくれた。ヤトリさんは言う。「(グノさんとそのスタッフは建築技術について)まるで無知ですね」と。紳士的なヤトリさんからのきつい一言!!私は心の中でつぶやいた。(まったくです。私も今ごろその事実に気付きました)。
パーカスに、今後の工程のアドバイスをしているヤトリさんの知識、口調は「これが本物の職人頭だ。頼りになるわぁ」と、私をしびれさせる。チャイを入れたとき、思わずサービスして、隠し味にジンジャーなど入れてみる私であった。
そうそう、昼過ぎに、オリッシィダンサーの佳珠子さんが訪ねて来てくれた。2時間くらいだったけど、ノドが痛むほど日本語をしゃべりまくった。
7月14日(日)窓枠の処理に使う、BOX型を木材で作成。今日の職人さんは、大工さんのようだ。アマさんたちは、建物周辺へ砂運び。ヤトリさんのアドバイスによると、雨季に入る前に土台の高さまで砂をかけておかないと、土台が痛む恐れがあるそうだ。
7月15日(月)いくつかの窓に、BOX型が取り付けられた。アマさんたちは砂運び。夜、作業が終わる頃、ヤトリさんがチェックに来てくれた。
昼、ジョイノが来て、荷物をまとめて出て行ってしまった。実家(妻の)に預けていた妻子は、すでに自分の村の納屋のような住処につれて帰っているらしい。
建設開始当時から、泊り込みで手伝ってくれていたジョイノ。うちの仕事が終わったら、次は彼の家づくりを応援することになっていたのに・・・。 器用で、賢くて、働き者で、礼儀正しいジョイノがいてくれると、私は本当に助かるのだけど。手際が良く、せっかちな彼と、ねばり強く、超マイペースなパーカスとは、合わないことが多かった。
「もう、2度と俺の前に顔を出すな!!」パーカスが怒鳴った。
「本当に行っちゃうの?」最後に私が声をかけると、ジョイノはほんのり涙を浮かべて、去っていった。
7月16日(火)職人さん来ず。ニミタル用のポタ(板)が不足しているとかで、仕入れに行ってるそうなのだが・・・。職人さん全員で行ったの?代わりの職人さんはいないの?
アマさん5人は、建物周囲の砂埋め。ニルがタクシーの整備の方へ同行したため、カイラース義兄さんに来てもらった。
7月17日(水)窓枠BOX型の取り付け完了。窓枠内側下部の型、取り外し終了。セッティング忘れの窓ふたつ、型を取り付け、鉄筋を入れ、セメントwithボジュリ(ジャリ石)を流し込む。
アマさん4人は砂運び。カイラース義兄さんがショベルを握って、手伝ってくれた。
7月18日(木)早朝、雨が降り、職人さん到着は11時過ぎ。賞味5時間労働。夕方になって、グノさんが作業の進み具合をチェックに来た。7月8日、延期騒動となった、ニミタル・ドレイ作業は、明日結構できそうだ。
夜、なつかしのビチャ(ポンチュー)がやってきた。ゴヌ青年とビチャと、ついでにラモも泊りとなった。おととい、仕事を休んでまで職人さんが仕入れに行ったポタ(板)と、セメントミキサーも到着した。
7月19日(金)チップス(小石)の到着が遅れ、ニミタル・ドレイ作業は、11時頃になって、やっとスタート。開始が遅れた分、後にシワ寄せがきて、職人さん人夫さん20人全員が、8時過ぎまで残業を強いられた。しかも、途中、停電で真っ暗になったりもして、窓4つ分のドレイ作業が残ってしまった。
ミスラさん:朝、使いを出して呼びに行ったが留守だった。
ラモ:昨晩何を食べたのやら、お腹をこわして休み。
ニル:来ず。
コッカさん:パーカスが何度も電話で呼び出した末、昼前に到着。チップス入れの件でドジったので、顔を出しづらかったらしい。 こんな有様で、身内の人手不足もこたえた。
唯一、義兄さんが前の晩から泊ってくれていたことと、ラビ&サラの家庭教師スモト君が昼から手伝ってくれたのが、救いだった。
7月20日(土)アマさんの無断欠勤。無断と言っても、昨日の頑張りが体にこたえているのはわかっている。夕方、パーカスとゴヌ青年が、明日の人夫さんの手配をしに、漁村まで出かけていった。
昨晩、職人さん、人夫さんとも、それぞれ自宅へ帰ったものと思っていたら、納屋に横たわった男の影が二つ。グノさんとゴヌ青年だ。パーカスが家の中で寝るように勧めると、晩御飯も食べす、朝まで熟睡していた。
グノさんは朝、どこかへ出かけていったけれど、居残りのゴヌ青年は、さすがに今日は疲れ果てている様子。それでも、7時頃出勤してきたマスターとともに、昨日の残りのドレイ(窓枠左右へのセメント流し)をしていた。
7月21日(日)今日は、ジャガンナート寺院山車祭の最終日。山車に乗った御三神を拝みに、私たち家族は、夕方プリーへ向かった。・・・というか、真の目的は"接待"。地元のお偉いさんや、新聞記者氏を招待して車2台に別れて行った。
ゴルフなどの娯楽ではなく、酒類もご馳走も無しなんて、なんと神聖な接待であろうか。必要経費といえば、交通費とミネラルウォーター、ペプシ代くらいのもの。
それにしても、ジャカンナート寺院前は、想像を絶する地獄のような人だかりで、本気で窒息死するかと思った。命がけの接待だった。
7月22日(月)昨日のプリーでの疲れがドッと出て、午前集、意識もーろーとしながら家事をこなし、昼過ぎからは、ヨダレたらして眠りこけていた。従って、作業現場へは1度も行ってない。明日からの、壁&柱づくり第3段階に向けて、柱の鉄筋を継ぎ足す作業がなされていたようだ。
7月23日(火)壁&柱づくり第3段階と、エントランスの屋根付けの準備が始まった。
屋根付けは、階段の時と同じ要領で、まずはポタ(板)で支えを作るらしい。
柱から柱へ、木材を取り付けて行く作業は、綱渡り芸でも見物しているように面白かった。
ポタ職人のログは、まだ若そうだけど、「できるっ!!」って雰囲気を発散させている。ムンバイ方面で5年間修行をしたのだと言っていた。
夕方、パーカスが言った。「ノリ、明日の朝、浜に行く道に出てみろよ。俺たちのロッジ、すごく映えてみえるぜ。この町のアトラクションって感じだ。町の人にも、そう言われたよ」。
そうか、実は私は今日、階段の上から道行く人々を眺めつつ考えていたのだ。「ここから道行く人が見えるということは、彼らからもココがみえるんだろうな。どんなふうに、目に映るのかなぁ」
けど、「この町のアトラクション」とは、パーカスくん、ちょっと親バカ、もといオーナーバカではないか?まだ、1階すら工事中なのに。
でも、2階まで完成した暁には、パーカスの言葉、まんざらいいすぎではないかも!!なんて、ニタついてしまう私も、オーナーバカか???
7月24日(水)昨日に引き続き、壁づくりとエントランス屋根のポタ(板)セッティング。
ところで、現在コナラクは、質の良い人夫さん(重労働に堪えうる人夫さん)が不足している状態で、人材売り手市場。人夫さんの立場は強い。私たち夫婦は、こちらの都合に合わせて、トラクター代わりになってくれたり、残業してくれたりする有難いアマさんたちへの対応には、ひどく気を使う。気を使っているから、よく働いてくれるのかもしれないけど。
例えば、40歳くらいのラックミーさんは、仕事中、いつもサボリ気味の人だけど、特に今日は座ってばかり。私が階段の上で作業風景を観察していると、なんと私の横に座り込んでしまった。で、友達のように話し掛けてくる。インド社会では、地位や身分がことのほか重んじられるため、本来なら、人夫という立場の人は、仕事の依頼主と並んで座るなどとは考えないものなのだか・・・。それは、私が私なので(まるで威厳がない)、仕方がないというか、良しとしよう。
しかし、勤務時間中のこと、働いてもらうために来てもらってるわけなので「ラックミーさん、仕事しろよ」と言いたい。けれども言えない。機嫌をそこねると、「明日からこない」と言い出しかねないし、彼女たちは団結が強いので、一人を失うと全員を失うことにもなりかねない。
不本意ながら、私は笑顔を作って問いかけた。「ラックミーさん、仕事はないの?」(ないわけないのだが)。すると、ラックミーさんは言う。「いーの、いーの、頭が痛いのよ」う〜、よかないっちゅうの!!「病気なら、職場でサボってないで自宅で休養してください。マジメに働いている人たちに悪影響です」と、口走りそうになたけど、ぐっとこらえた。
いつまでも一緒に座っていると、他のアマさんに示しがつかない。私はその場を逃れるために「いいもの持ってきてあげる」と告げ、庭の隅へ向かい、頭痛が治まると言われている木の汁を、木の葉につけて持ち帰った。「コレ、5分で頭痛が止まるらしいよ」私は親切な人を装って、おでこに湿布してあげた。「これで大丈夫!!お仕事頑張ってネ」。木の葉をおでこにつけたラックミーさんは、渋々とたちあがり、持ち場へと去っていったのだった。
生意気ざかりのアマジィは、階段の上に座っている私とラックミーさんに言う。「ほら、そこの2人、ジュリ(かご)でチップス運んで!!」私がニコニコ微笑かけると、しつこく「ノリ。ジュリでチップス運べと言ってるだろう」と職人さんの口調を真似る。「私が働いたら、誰が給料をくれるのか」と訊くと、一瞬口ごもってしまった。「アマジィがくれるんだよね。いくらくれる?」追い討ちをかけると「25ルピー」と言う。「やだよ、100ルピーじゃなきゃ働かない」「じゃぁ、100ルピー」「前払いネ、先にくれなきゃ働かない」・・・てな感じで、遅れている建設作業がたあいのないオシャベリでますます遅れるのであった。顔で笑って、心でイライラ。あぁ、シャンティやクンニやマミたちは、今頃どこで働いているのだろう。
7月25日(木)壁の第3段階、階段踊り場のポタ(板)セッティング。
夜、ゴヌ青年が我が家に泊まった。「明日、朝早くから仕事に取り掛かりたいらしいからうちに泊める」と、パーカスは言ったけど・・・。皆が帰って静かになると、2人は何やら「男と男の話」をしていた。
食事を出すと、パーカスが私に言った。「ゴヌは仕事が難しいんで落ち込んでいるんだ」当のゴヌは、うつむいたまま、黙々と食べている。彼は、インド社会のエチケットに従って、日頃から私にはほとんどしゃべりかけてこない。私から声をかけることもない。けど、今夜のゴヌは身内のようなものだ。姉になったつもりで声をかけてみた。「気にしてたって仕方ないでしょう。ゴヌは、グノさんだって知らない技術を若いうちに勉強できるんだから、うちの仕事を担当できて良かったじゃない。頑張ってよね」
ってつたないオリッサ語で鼓舞すると、ゴヌ青年は、うなずくでもなく、やっぱりうつむいたまま、黙々とパコラを口に運んでいた。
7月26日(金)壁の第3段階継続中。踊り場ポタセッティング完了。
午後、踊り場の下から作業を見上げていると「上がってきなよ」とログが声をかけてくれた。(上に行って仕事を見たいけど、作業のジャマになるだろうなぁ)と遠慮していた私の心を見抜いたみたいだった。喜んで上へ行くと、ログは踊り場作業の出来具合を自慢気に示した。こんな気軽に私に話しかける職人さんは初めてだ。彼の場合、女性人夫さんムダ話と違って、キチンと仕事をしてくれているので、私としてはうれしい。けれど、インド社会(特に田舎)では、ちょっとマナー違反。彼はわがロッジ建設に派遣されてまだ4日目だけど、早くもパーカスやら他の職人さんから「生意気」とのレッテルを貼られているようだ。
ゴヌ青年、またまたお泊り。夜、パーカスと共に鉄を注文に行くとかで、連泊となった。
7月27日(土)壁の第3段階と、踊り場の鉄筋セッティング、セメント流し。踊り場の作業はテクニックを要するらしく、久しぶりにグノさんが来て、朝から終わりまで、ログと共に働いた。
アマさんたちが、あまりにも倣慢になってしまった。アマさんびいきのパーカスの目にあまるくらいだから、そうとうなものだ。中でも手におえない2人を、明日からはずしてもらおうと、グノさん、ゴヌ青年、パーカスの3人が、漁村へ掛け合いに行っている。本当なら、人夫の管理はグノさんの仕事なんだけど・・・。
漁村から戻ったパーカスの話によると、まずアマさんグループのリーダー、ノカマさん(アマジィの母)の苦情を申し出たところ、ノカマさんの方から人夫の皆さんに一喝していただいたとのこと。娘のアマジィも、「オリッサ語のわかるあなたが中心になって、みんなをまとめなきゃどうするの」とお説教されていたそうだ。
7月28日(日)壁の第3段階と、エントランス屋根のポタ(板)張り。グノさん、昼前に来て、終わりまで監督していった。ミスラさんも、夕方寄ってくれた。エントランス屋根の仕事は、なかなか技術を要するらしい。ここのところ、グノさん、ミスラさんがチェックにやって来る。ログが奮闘してくれている。
昼間は作業の邪魔になるので、なかなか階段の上に登って見学することができない。そこで、夕方作業が終了してから、ここぞとばかりにエントランス屋根の本日の出来具合を見に行こうとしたところ、最後まで残っていたログに注意された。
「今は危ないから、上に登っちゃいけないよ」危ない所と、そうでない所の見分けくらい、私にもつくんだけど・・・。「階段から眺めるだけだから平気よ」そう答えて、階段を登り始めると、心配してログもついてきた。うわっ、ヤバイじゃん。親切なんだろうけど、夫に見られたら、またイヤミ言われちゃう。人目を気にして、すぐに下へ降りようとすると、人の気も知らず、ログがしゃべりかけてくる。
「写真はとらないの?」
「明日でいいや(やだな、ほっといてよ)」
「さっき、買い物に行ってただろう?」
「うん(わー、もう、しゃべりかけないでってば)」
「何買ったんだい?食い物か?」
「うん(お願いだ、口を閉じてくれ)」
「夕食は何?」
「ガンッ!!(雑草)!!」
「・・・・」
イライラした私は、やっと口をつぐんでくれたログを残して、一目散に家の中へと逃げ込んだのだった。しかし、私は、なんでこんなコトに気を使わなきゃいけないのだろう?あいびきしてるわけじゃあるまいし。インド人の妻をやってゆくのは、大変疲れるのであった。
7月29日(月)写真F職人さん、人夫さん、全員でエントランス屋根の作業。夕方、真っ暗な雨雲に覆われて、マサラやラッシィで平らにならした屋根の土台が、風雨で壊されるのではないかと、心配させられた。幸い雨は小降りでおさまり、セメントはきれいなまま固まりつつある。
エントランス屋根の作業を見学するのは面白い。面白いけど、働いているものにとっては、危険と紙一重の難業である。
今日は、朝、土を盛ったジュリ(かご)を頭にのせて、板張りの屋根の上を歩いていたコーシュリが、落とし穴にはまてしまった。彼女の足元の板が割れて、足の付け根まで落ち込んでしまったのだ。彼女を引き上げようにも、人がそばに寄ると、板が更に大きく割れる恐れがある。救助する方も、大変だったようだ。
私はその場にいなかったけど、「彼女、どんなに怖かっただろう」と想像すると、身震いする思いだ。もし、割れた板が、ナイフのように足の付け根に突き刺さっていたら・・・。もし、板が大きく割れて、釘や針金やレンガや板切れの散乱する、未完成のエントランスへと転落していたら・・・。運が悪ければ、命を落とすことだってあり得る状況だった。
また、昼前には、板切れについていた釘で、ログが背中に傷を負った。2人の負傷者は、昼に戻ってきたパーカスの指示で病院へ。幸いコーシュリもログも、傷は大きくない様子だったけど、なんせ釘が錆びている。手当てを怠ると、ほとんど間違いなく化膿する。インドには破傷風の菌も健在らしい・・・。2人は病院で化膿止めの注射を打って帰ってきた。運の悪い1日だった。
7月30日(火)壁の第3段階と、エントランス屋根用の鉄筋ぢくり。
昼食を終えた職人さんたちが、どっと我が家の玄関先に集まってきた。見ると、ログが小鳥を両手に包み込んで持っている。道端で捕まえたのだと言う。「飼いますか?」と差し出すので、まだ小鳥なのに母親と離れ離れにするのはかわいそうだと告げると、鳥かごで飼ってトレーニングすると、九官鳥のようにおしゃべりをするのだと言う。鳥かごかぁ。ますます小鳥が気の毒。小鳥に言わせれば、「人間の言葉なんかしゃべれなくていいから、自由に空を飛んで、仲間たちと鳥の言葉でさえずりあいたい」であろう、と私は思うのだが。
飼うことを断ると、仕事中どこに隠し持っていたのやら、夕方ログは大事そうに小鳥を抱いて帰宅していった。自宅で飼うのかなぁ?
7月31日(水)壁の第3段階と、エントランス屋根の鉄筋取り付け。
階段の上で作業を見ていると、ログが注意してくれた。「鉄筋が飛び出しているから、サリーの裾、破らないよう気をつけて」
親切はありがたいのだけど、ログはあまりにも気安く私に話し掛けるものだから、評判が悪い。見かけも不良っぽいし、仕事はキチンとやてるのに、本人の損だと思う。日本人だったなら、好青年と呼ばれてもよさそうなんだけど・・・。ログは、もし私がオリッサ人であったとしても、同じようにフレンドリーに接するのだろうか?それとも「どうせ外国人」と思って気軽に話し掛けるのだろうか?そんな思いが横切って、ついそっけなく返事をしてしまった。「サリー、もう破れてるよ。ほら、3ヶ所も」。すると、近寄ってきたログがサリーの裾に触れようとした。「ホントだ、破れてる」
マジかぁ?「本当だ」じゃあないよ。みんな呆れて見てるじゃない。よその奥さんのサリーに触れるなんて、言語道断。私は平気だけど、皆の目がそう言ってるよ。日本でだって、男性がよその奥さんのスカートの裾に触れるのは、少し不自然だ。もう少し人目を気にしてくれ。夫が見てなかったのが救いだ、私にとっては。
他の職人さんの手前、どんな反応を示すのがオリッサの女性らしいか、良い方法も思いつかないまま、私は憎まれ口を叩くしかなかった。「いいの、破れたほうがいいのよ。新しいやつ買えるじゃない」
すると、ログは、いつもとは違うシビアな表情で吐き捨てた。「カネモチだもんね」。シマッタ!!いけないことを言ってしまった。
私の周囲の人々は、1枚のタオルを、1枚のシャツを、大切に使っている。職人さんたちだってそうだ。なのに「破れたら、買えばいい」なんて、本心じゃないにせよ、高慢な受け応えをしたものだよ。みんなに「どーせ、外国人」と思われたくないくせに、自分自身の不注意で、自ら彼らとの距離を作っているのではないだろうか、私は。
どうしようもなく、せつない気持ちに襲われた。ごはんを食べても、ベッドに入っても、胸がキュンキュンするばかり。このままじゃ、安眠できない。何をどうしたら、ブルーな気分から抜け出すことができるだろう。考えてみると、良い方法があった。家族も寝静まった真夜中、私は針と糸を出してきて、サリーの破れを縫いつけた。「まだまだ、2ヶ月は着れるな」それが確認できると、心がスーッと軽くなった。安心すると眠くなってきた。
なんか、私って、バカだよなぁ。
8月1日(木)今日からエントランスの屋根は、ひたすら鉄を切り、曲げ、鉄筋をセットする作業。ポタ(板)専門職人のログは、昨日で任務を終えたらしく、今日から鉄筋専門職人さんカレアが、彼専属の人夫くん2人を伴って作業にあたっている。
ゴヌはこのところ、我が家にお泊り続き。今日まで8日間のうち、自宅に帰ったのは1日だけ。建設作業の雑務をするためのお泊りでもあるが、ヴィシュヌ(義弟)とジョイノが抜けて、我が家は夜が手薄になっていたため、泊ってもらって、うちも助かっている。コナラクは、治安は良いほうだけれど、家に人が多いほうが何かと心強い。
仕事が終わった夕方、ゴヌがパーカスに向かっていった。「グノ兄さんが監督に来ないのは『ゴヌに任せておけば作業は進む』とオレを信用してくれてるからなんだ。兄さんが来なくても、オレがやってるだろ」
確かにゴヌは、グノさんと電話で打ち合わせしつつ、このところ親身になって仕事に取り組んでくれている。でもね、グノさんでも頼りにならないのだから、キミの若さじゃ、まだまだこれから。自信は向上心につながるから大切にしてほしいけど、ゴヌくんはちょっと背伸びをしたがるクセがある。 夜、初めてパーカス抜きで、ゴヌ青年と話をする機会が持てたので、これまで知りたかったことをいくつか質問してみた。
話によると、ゴヌ青年は職人歴4年。グノさんから仕事を習ったという。手がけた建設作業は大小会せて80〜90軒。専門はセメント塗りだけど、私の知るところでは、ポトロ削りや、板、鉄筋関係など少しずつかじっているようだ。「人夫と職人では、職人のほうが立場も賃金もダンゼン優遇されるのに、人夫さんが職人になろうとしないのはなぜ?何か資格とか条件が必要だからなの?」と尋ねてみたところ、ゴヌ青年はこう応えた。
「職人になるのに、資格も条件もいらない。人夫をやってる人たちは50ルピーもらえば満足なんだ。努力しようとは考えない。」
ゴヌ青年は努力して職人になったわけだが、職人歴4年の今、職人頭の代理を買って出ようとしている。その向上心、偉いなぁと思う。
仕事中は、威勢がよく、口も悪く、職人頭のいとことして大きな態度を見せたりするゴヌ青年だけど、夜になると電池の切れたオモチャのように、おとなしくなる。晩ご飯を食べる姿など、入れ歯をなくした老人のよう。そのギャップが可愛らしく、私の母性本能をくすぐる。こんな弟一人ほしいな。
8月2日(金)エントランス屋根の鉄筋セッティング。
カレアの連れの人夫のうち、一人がとてもユニークな正確の持ち主なので、私はうれしくなった。かなり、「ボケ―ッ」としているタイプで、見かけは青年なんだかオジサンなんだか、わからない年齢不詳系。
職人さんの指示に、迅速に的確に対応できないものだから、どたされるわ、小突かれるわ、鉄の棒が飛んでくるわ。普通の人間ならビビッて、できるかぎり職人さんの意に添えるように努力しようとするか、でなければイヤになって帰っているところだ。でも、この人夫くん、飛んできた鉄の棒が足にあたっても、怒りもしなければ、恐縮した様子をみせるでもない。「もー、痛いなぁ、腫れちゃうよ」って、本気なんだかおどけてるんだか。かと思えば、いきなりあぐらをかいて座り込み、足の裏をこすりだす。「何やってんだ、あめぇは!!」職人さんに怒鳴りつけられると、相変わらずのん気な口調で「トゲが刺さったみたい」と周囲を気にせず引き続き足の裏をこすり続けている。
忙しい最中に「お腹がすいた」と職人さんに文句を言ったり、「ダメです。ボク怖いんです」と、軒の上の作業を拒否したり、職人さんたちは怒りを通り越して、笑っていることすらある。作業現場の緊張の糸が、彼のおかげで時々ゆるむのがわかる。バカボンみたいな人夫くん。好感を抱いてしまう私だけど、バカボンくんをクビにしないで雇っている、カレアの忍耐力にも、お礼を言いたい気分だ。
8月3日(土)昨日の夜、グノさんが来て、エントランス屋根の鉄筋をチェックした結果、本日、屋根にセメントを流し込む「屋根付け」作業を行う予定になっていた。
ところが、「明日の屋根付けは無謀だと思う。明日明るくなってから、もう1度よく検討した方が良い」と、カレアさんから忠告を受けたため、土曜の屋根付けは縁起が悪いことを理由に、ゴヌを通してグノさんに電話でキャンセルを申し入れた。
すると、今朝になってヤトリさんにチェックに来てもらったところ、鉄筋の数がまったく不足していることが判明。こんな状態では、とても2階建てにはできないと言われてしまった。
もっと鉄筋の数を増やして、耐久性に優れた安全第一の屋根づくりをしようと決めたので、屋根付けは早くても、あさって月曜日になりそう。月曜日は縁起もいい。
それにしても、昨夜の状況で屋根付けにGOサインを出したグノさんは、何を考えているのだろう。夜、呼び出して、パーカスが問い詰めたところ「ミスラさんの指示に従った」と言った。ようするに、以前ヤトリさんがも言っていたように、グノさんもミスラさんも、「まるで無知」なのである。「オレに任せろ、グノ兄さんはいなくても大丈夫」と、自信たっぷりだったゴヌ青年も、パーカスに思いっきりイヤミを言われた。「よその建設現場に移る」と言い残し、昨夜は自宅へ帰っていった。
今朝は、私たちのリクエストに答え、グノさんがゴヌ青年を連れてきてくれた。昼の休憩もとらず立ち働いているところを見ると、イヤミを言われて怒って帰ったのではなく、私たちの気持ちを理解して、共に胸を痛めてくれていたようだ。
8月4日(日)初出勤の日から納屋に泊っているカレアと2人の人夫くん、それからゴヌ青年の4人は、今日は早朝から現場へ出て、夜の11時頃まで、ひたすら鉄を切り、エントランスの屋根にセットする作業に従事した。鉄を相手にすべての手作業なのだから、骨の折れる仕事だ。
ちなみに、夜食の料理当番はバカボンくんが担当している。ラモに「彼は料理上手なの?」と訊ねると、「とんでもない、奴は薪のくべ方も知らないから、僕が手伝ってるんだ」とのこと。昼でもボケをかますバカボンくんのこと、夜ともなれば、たとえ料理ができなくとも、料理当番にまわすしか使い道がばいのだろうな。
そうそう、今日はトラックやトラクターの出入りもなかったのに、ゴヌ青年がやたらと「ドライバー」と呼んでいるので、どこの運転手が来ているのだろうと思っていたら、バカボンくんの名前が「ドライバー」だった。ジョーダンみたい。パーカスも私も大笑い。みんな「パブル(頭のおかしい人)」と呼ぶので本名など知らなかった。
8月5日(月)写真Gカレアとゴヌの夜を徹しての作業のおかげで、今日は予定通り、エントランスの屋根付けをすることができた。
グノさんを始め、総勢30余名の職人さん、人夫さんが、昼食抜きで日暮れまで働いてくれた。カイラース義兄さん手作りの魚カレーに皆がありつけたのは、日も沈んでからの事。おつかれさまでした。ありがとうございました。
昼過ぎ、色とりどりのサリーをまとったアマさんたちが、コレイ(鉄の皿)を頭にのせて列を成してセメントを運んでいる姿を眺めていると、ふと、着物に花笠の姿で輪になって踊る「花笠音頭」を思い出してしまった。重くて、きつい作業をしているアマさんの苦労をよそに、日本の夏祭りなど懐かしんでいると、ポツリポツリと雨が降り出してきた。このまま大雨になれば、作業中断どころか、これまで屋根に敷き詰めたセメントが流れて台無しになってしまう。「やだー、神様雨止めて!!これ以上降らせないでぇ!!」と、神頼みしていると、パーカスがやって来て「タネリー神に51ルピー、モンゴロ神に51ルピー包んで、天井に結びつけてくれ」と言う。そう、ヒンドゥの人間も、神頼みは得意なのだ。
私は神に包んだ51ルピーをふたつ用意して、それぞれタネリー神とモンゴロ神に、雨を止めていただくようにお祈りしてから、天井に近い棚の上に並べて置いた。すると、どうでしょう? 雨は小降りのまま、1時間後には完全にやんでしまった。
願いを叶えてもらったので、紙に包んだ51ルピーは、それぞれの神様が祀ってある寺院に納めなければならない。そうかぁ、タダで神頼みしてもダメなんだなぁ。勉強になった。
8月6日(火)おつかれ休み。
お泊り組のゴヌ青年と、朝来た人夫さん2人が、建設現場でなにやら作業をしていた。昨夜はゴヌも「明日は休みたい」ともらしていたのに、今後の準備でもしているのだろうか。
さて、そろそろ本気で考えるときが来た。
もう、資金が底をつき始めている。建設を中止するなら今が切りがいい。
できることなら、建物の屋根つけまで終えたかった。しかし、建物の屋根付けまでには、まだベランダ工事、下水道処理等の作業が残っている。屋根付けに必要な費用も含めて、あと30万ルピーは必要だ。なんてことだろう。
建設前のミスラさんの見積もりは、2階建ての総工費が70万〜80万ルピーだった。なのに現状ですでに60万ルピー近くを費やしている。屋根付けまでにあと30万、壁塗り、カラーリング、照明、サニタリー設備など、1階を完成させるだけでも、結局は150万ルピーかかることが明白になった。ミスラさんどこで計算間違えたの?責任重いよ。
パーカスは、これまで知ったかぶりで、パーカスの意見をないがしろにしてきたグノさんとグノさんをサポートしていたゴヌに怒りをぶつけている。 土台作りの時といい、階段といい、窓枠といい、一旦つくった物を壊して作り直すという、資材と時間のムダ使いを、彼らは繰り返してきた。彼らとしては、ミスラ設計士の指示でやっているのに、パーカスが横からチャチャをいれるためにムダが生じているのだと主張したらしいが・・・。
パーカスは設計士でも、建築士でもないけれど、これまで、どこかで建設作業が行われていると訊ねていって、資材のことや、建設・施工などの勉強をしていた。一般人よりは知識があるのだ。しかも、見学する対象は、電話局や政府のバンガロー、大きな学校等、高品質の資材と高い技術が駆使されている建築物ばかり。田舎の村民・町民が、箱型の住まいを建てるのとは、かなりニュアンスが違ってくる。
それを知ってか知らずか、「素人のくせに」と、口には出さずとも、態度に示してきたグノさんや職人さんたちは、恨まれても当然とも言えよう。 しかも、グノさんは職人というよりも今はビジネスマン。一つの仕事の中で、いかに利益を吸い取るかに頭を使う。自分のトラクターを使うように勧めるのも、一つの例だ。
こんなことなら、グノさんを介さず、パーカスが気のあう職人さんを集めて工事を進めるほうが、手間はかかっても、物理的にも精神的にも満足のゆくロッジが出来上がるのではないだろうか。
パーカスは、今、グノさんと手を切ることを考えている。前々から、そうしたいと言っていたが今度は本気のようだ。でも、それ以前に資金の問題が・・・。
8月7日(水)私は、今、迷っている。昨夜、パーカスと話し合ったことについて――。
わがロッジの建設を始める前の、私の考えはこうだった。できるところまで造っておいて、あとは土地の裁判の決着がつき次第、土地を担保に銀行から資金を借り入れ、完成させればいいと。うまく事が運べば、1階7部屋だけでも、手持ちの資金で仕上がる可能性もある。そうしたら、ロッジの収益をコツコツためて、将来2階を造ればいいし、ためるほど利益があがらないようなら、商売の手を広げる必要もない。
なぜ、「できるとこまで造っておいて」なのかというと、現金は使えば減るからだ。また、近年インドは物価の上昇も激しい。手元の現金はロッジに替えておくほうが安心だと、私は考えたのだ。
当初はパーカスも私の希望を理解し、同意してくれていた。ところが、人付き合いの少ない外国人妻の私と、戸外へ出て、かかわりのある人すべての人々と喧喧顎顎しながら、目的達成を目指してきたパーカスとの間には、いつのまにか大きなずれができていた。パーカスは言うのだ。「今、この段階で工事を中断させるくらいなら、いっそのこと土地ごと全部売り払ってしまいたい。中途半端なことをしたのでは、今まで無理を言って協力を頼んできた人たちに顔向けできないし、中途の建物を維持していく気力も、おれにはない」
私は、この大きな土地には、色々な意味で嫌気がさしていた。ロッジが完成すれば問題はないが、ただ住むだけにしては、この土地は負担が大きすぎる。最悪の場合、土地を売って、日本で出直すことも、私の考えの中にはあった。
ところが、「今、土地を売ってどうするのか」とパーカスに問うと、「その金を持って、お前は子供たちと日本に帰るといい、オレはここで生まれた人間だから、どんなことをしてでも生きては行ける。父親の家に面倒になることだってできるし、アシュラムに住み着く事だってできるさ」という返事。 「日本に住むなら、あなたも・・・」と誘うと、「日本には住みたくない」と、きっぱり断られた。「それじゃ、どこか別のところに小さな土地を買って細々と暮らそうよ」と提案したけれど、彼は、精も魂も尽きかけた様子で、今さら「新規一転、家族で新たなスタート」など、行動に移す元気はないと言い張った。
「オレはもうやめた。日本に帰るのがイヤなら、お前がここに住んで、後を管理すればいい。おれは、どこかに消えるよ。お前一緒じゃ、心が休まらない。アマ達というほうが、ずっと平和な気分でいられる」
なぜアマ達と私を比べるのだろう?私はショックだった。私と離婚したいのかと訊いてみた。
「子供たちの顔は時々見に来るさ。収入があれば養育費も援助するし、助けが必要な時は手を貸すよ。将来お前が無事、自分の力量でロッジを建てたなら、祝福だってする。でも、たとえお前が、ここにロッジを建てても、オレはここには戻ってこない。お前と一緒に暮らすのは、まっぴら御免だ」
一月ほど前からパーカスの私に対する態度はよそよそしくなっていた。家族や職人さんや人夫さん達に、私のことを悪く言うこともしばしば。パーカスは、私の何が気にいらないのか。
8年共に暮らしてきたのだから、彼の考えは想像がつく。彼は私の家族が資金を借してくれるのに、一筋の望みを託していたのだ。が、私は一行に、親に資金の相談をもちかけようとはしなかった。それで「夫がこんなに苦労しているのに、妻のお前は見て見ぬふりか?」と、心の奥でやるせない気持ちになっているのだろう。
私の立場では、親に相談することはできなかった。自分勝手に結婚してしまい、インドへ移り住んでしまっただけでも親不孝だというのに、これまで、すでに2度もお金を借りている。また、日本に招待してもらったり、お小遣いをもらったり、出産祝だの、誕生プレゼントだの、私の家族の援助は、計り知れない。が、パーカスは私の手元にいくらあるか、何を得たかなど、まるで無頓着。日本の家族がいかに私たちを影で支えていてくれたか、よく理解できていないのだ。私がパーカスの戸外での奮闘ぶりを、よく理解できていないのと同じように。さらに、厄介なことには、インドでは、嫁の実家に援助を申し出ることは、恥ずべきことでもなんでもない。そんな背景もある。
さぁ、どうしよう。あぁ、どうしよう。
パーカスの望むとおり、子供を連れて日本へ帰ろうか。でも、私にはわかっている。パーカスは根が弱い人だから、この場に至って、どうしていいのかわからずに、子供が母親にやつあたりするみたいに、私にあたっているのだ。今までにも、そんなことが幾度もあった。その度に私は「うちの長男はパーカスだな」と思ってきた。
パパはラビとサラを目の中に入れても痛くないほど可愛がっている。ラビとサラも、パパのことが大好きだ。私だって、たぶん、まだ・・・。パーカスもきっと、本当は・・・。
満天の星を眺めながら、どうするべきか考えていると、涙が溢れてきた。「上を向いて歩こう。涙がこぼれないように」と、その昔、坂本九が歌っていたけれど、上を向いたって、涙はこぼれ落ちるのだ。
――そして、一晩開けた今も、私は結論を出せないままでいる。子供は学校へ送り出した。昼食のしたくもすませた。これから裏の林に行って、一人で集中して考えてみたい。建設現場では、ゴヌ青年が、助手の職人さんとアマさんをヘルパーに、エントランス屋根周辺のレンガ積みをしている。きっと、最後の作業になるだろう。
8月8日(木)写真H昨夜、実家に電話をした。父と話をした。電話では、詳しい経緯を説明できず、用件を手短に伝えた。
父の返事は「即答できないから、数日待ってくれ」というものだった。予想したとおりだった。いっそのこと「バカなこというな!!親の忠告も聞かず、好き勝手したくせに」と怒鳴りつけてくれれば気が楽なのに・・・。私の姉と弟は、両親のそばで、持ちつもたれつ、それなりに親孝行もしている。それなのに、私ときたら・・・。たぶん、私の両親は、私のためにどの程度の援助が可能か、真剣に考えてくれるのだろう。申し訳ない。心が痛む。 ところで、私に実家への電話を決意させたのは、「ゴヌ青年の誠意」だったのかもしれない。実は、昨日の朝、建設工事用の井戸を使いに行ったときのこと。ホースやセメントの空き袋、木片などがきちんとかたずけられているのに気がついて、胸がキューンとあったのだ。誰がやってくれたのだろう。おととい屋根付け翌日の時点では、ぐちゃぐちゃにちらかっていた。「あーあ、義兄さん、ニル、ラモ、クリシュナ、人間ならたくさんいるのに、誰も気がきかないんだから。ホースなんかセメントまみれでほっぽらかして、痛んじゃう。自分で買ったホースじゃないから、どうでもいいんだよねぇ、きっと。自分の土地じゃないから、汚くても平気なんだよね、きっと。あとで、自分でかたずけよう」そう思っていたけれど、食事を始め、うちにいる人間の世話をするのが、インド人家庭の主婦である私の仕事。しかも、今は考え事も多い。建設現場の後かたずけは、手付かずのままになっていた。
でも、ちゃんと誰かがやってくれていた。私とパーカス以外にも、親身になって「わがロッジ」の建設過程を見守っている者がやっぱろいるのだ。あとで、パーカスに訊いてみた。すると、かたずけをしてくれたのは、ゴヌ青年と人夫さんであることが分かった。そういえばおととい、皆はお疲れ休みを取っていたというのに、ゴヌ青年達は現場にいたなぁ。
私と夫の、いや、今ではわが子はもちろん、インド家族全員の、夢のロッジ。なのに、周囲の清掃をしてくれたのは、身内ではなく、職人さんだったなんて・・・。思えば職人さんだって、自分の手がけた建物は愛着があるに違いない。たとえ自分のものでなくても、自分で育てた子供のような愛おしさをを感じるかもしれない。時に、何日も泊り込み、ハードワークに臨み、失敗もし、しかられ、嫌味も浴びせられ、それでも頑張り続けたゴヌは、ひとしおロッジに思い入れがあるだろう。
わがロッジが完成して恩恵を受ける身内の人間が、誰も手をつけようとしなかった後かたずけを、誰に指示されたわけでもなく、ゴヌ職人が自らやってくれていた。ここで作業を中断させたら、ゴヌはどんなに落胆することか。
昨日の朝から、私の気持ちは、なんとかロッジを完成させたいという方向へ向きかけていた。パーカスの言っていた「協力してくれた人たちに顔向けができない」とは、こういうことだったのか。やっとパーカスの気持ちが理解できた。
昨日、一人裏の林で、日本の家族のことも、よくよく考えてみた。今、私が子供を連れて日本に帰ったら、いろいろな意味で、家族の負担になることは目に見えている。だったら、そうなる前に、そうなる前に、一言相談しておいたほうがよいのかもしれない。そんな結論に至ったのである。 建設作業のほうは、今日からしばらく中断。昨日の夕方、「それじゃぁ、オレ帰ります」と、ゴヌ青年が、あらためて私に告げに来た。私はといえば「いいよ」と答えるしかない。
「あなたには感謝してます」と、伝えるチャンスがもてたのが、嬉しかった。
今日は、ニルと義兄さんとクリシュナとでレンガ運びをしているし、ゴヌ青年も、午前中に来て、昼寝して、ご飯を食べて(グノさんを待っていた)帰っていった。カレアの2人の人夫くんは、まだ納屋に寝泊りしているし、「建設中断」の実感が、まだ沸いてこない。
今日で、建設開始の日から3ヶ月が経過した。
次号に続く
パート1 |
1 プロローグ 2 安宿のつもりが中級ホテルの設計図・・・5月9日〜5月12日 3 5月13日〜6月6日 |
パート2 |
1 6月7日〜6月30日 2 7月7日〜7月8日 3 今月のオマケ ナヤックさんちのこぼれ話 |
パート3 |
1 7月8日〜8月8日 2 今月のオマケ ナヤックさんちのこぼれ話 |
パート4 |
1 8月10日〜9月13日 安宿ピンチ!ノリコとパーカスの夢"は途中のままで、消滅してしまうのだろうか? |
番外編 |
ナヤックさんちのこぼれ話し |
番外編 |
沐浴に行こう!! |
番外編 |
ソニ・メーラNEW! |
|
残念ながら、ノリコさんにはパソコンはありません。使いたくても、ひどいパソコン音痴なんだそうです。それでも、日本の皆さんに発信したい!という希望を、かなえるべく、インドのコナラクより原稿をインドのプーナまで郵送、そこで、かちゃかちゃと原稿おこしをし、このページができあがっているというわけです。リアルインドでは、インドで、何か夢をかなえたい!何かやりたいって皆さんのご連絡を待っています!
リアルインド |