▼インド安宿建築日記
 リアルインド

インドコナラク、ノリコとパーカスの夢の途中
インド安宿建築日記part3


ナヤックさん
珍しくネクタイなどをしめて、建設中のロッジで記念撮影をした、タモリさんみたいなパーカス


ナヤックさんちのこぼれ話

現在、状況が状況なだけに、面白おかしい話題をお届けできる心理状態ではありません。手抜きになりますけど、私が独身時代につくった手づくり本「Oh,my friends!! 〜私が出会ったインドの人々〜」より、パーカスの話題を引用させてもらうことにします。 初めての海外旅行、初めてのインド、の思い出をつづった手づくり本。当時の私は、結婚の"ケ"の字も考えていませんでした。パーカスに対する印象も初々しい!!

パーカスの正確な名前は「プラカッシュ」である。これは、日本人の私にとっては困難な発音だ。そこで彼のことは「パーカス」と呼ばせてもらっていた。パーカスのフルネームは「パーカス・チャンドラ−・ナヤック」である。パーカスの意味はサンライズ、チャンドラ−の意味はムーンだ。とってもロマンチックであると同時に、大変大それたネーミングであると思ってしまうのは失礼だろうか?

コナラクには「スーリヤ寺院」という有名な遺跡があり、毎日大勢のインド人ツアーがツーリストバスに乗ってやってくる。そのため、この町には、ガイドを職業としている人が多い。パーカスも、そのガイドさんの一人だ。

彼の場合は他のガイドさんと違い、遺跡の案内だけでなく幅広く面倒を見てくれる。そのため、外国人ツーリストの間では特に評判が良かった。私もいろいろお世話になった。

耳が激痛に襲われた時や、虫刺されが化膿した時には病院へ連れて行ってもらったし、チリヤー湖へ行くといったら、車と運転手を手配してドライブの用意を整えてくれた。夜の催し物に出かけるときには用心棒をつとめてくれたし、レンタサイクルを借りるとき、リクシャーに乗るとき、買い物をする時などには、料金の交渉もしてくれた。

全部あげるとキリがないほどである。「インド人との付き合い方」を教えてくれたのも何を隠そうパーカスだ。パーカスは、彼の親類や友達、町の著名人などに出会うと「あの人は○○さんだよ、ほら、あいさつをしなさい」と、まるで母親のように私に命じた。また、私のタバコを湯水のごとく人々に分け与えてしまう。パーカスいわく「インド人は物をくれる人を良い人だと思う」のだそうだ。それにしても、私はあげてばっかり。別によい人だなんて思われなくてもいいのにと、始めは不服に思っていた。

ところが、日ごとに「ノリコ」と声をかけてくれる人が増えてくる。そのうち、逆にタバコをくれたり、チャイをおごってくれたりする人も多くなってきた。あげることの方が圧倒的に多いとは言え、インド人側にも「何かしてあげたい」の気持ちはあるのだとわかると、ケチな考えは消滅していく。私は自分だけ贅沢することは極力さけ、タバコやお菓子やお酒などは、なるべくみんなで楽しむようにした。

すると、私がコナラクを去る時には、大勢の人々がそれぞれいろんなお土産を私にくれた。中には、その場に持ち合わせていたハンカチをくれる人もいる。品物がなんであろうと、「これをあなたに」という心のこもった贈り物をもらえば、インド人でなくとも嬉しいものである。パーカスのいっていた「物をくれる人はよい人」というのも、こういうことだったのだろうか?

ところで、パーカスは28歳(実は25歳だった)。面倒見がよく、情にもろい。気前もよく、人に頼りにされることを喜びとしている。また、信心深いヒンドゥー教徒であり、疑われることをひどく嫌う。単純で、情熱家で、おこりんぼうだが涙もろい。そしてとてつもなく自信家である。

彼はよく、根拠のない自慢話を聞かせてくれたが、ある日こんなこともあった。私が血液型を訊ねた時のことである。「オレはA型だ」と彼は言う。

私:「え〜っ、A型なの?O型かと思った」

パ:「バカ言え、オレはグレートだ。血だってAに決まってるだろう」

彼は何か勘違いしているようだ。

私:「あのね、血液型というのは、どれがいいとかってないんだよね。知ってる?インドの人も血液検査ってするのかな?」

パ:「ああ、するさ。オレはA型。なんでもAなんだ」

う〜ん、やっぱりわかっていない。

私がインドにいた頃は、選挙シーズンということもあって、インドとパキスタンの間には、いつになくよからぬムードが漂っていたようだ。コナラクにもアーミーのヘリコプターが飛んできたりした。といっても、この町の問題はカシミール地方から離れた所にあるので、人々は大騒ぎするものの、「お〜っ、アーミーだ、すげぇなぁ」といったのん気なノリである。それでも町の人々は、インドvsパキスタンの問題に関心があったようだし、パーカスにいたっては、それをたてに、私の一人旅を猛反対していた。

ある日、行きつけのチャイ屋さんで、パーカスに今後の予定を話したときも、「危ないからコナラクにいろ」と引き止められた。心配してくれるのは嬉しいが、その後のセリフがよくない。「でも、インドはグレートだから、パキスタンにやられる心配はない。もしパキの奴らとファイティングになっても、オレたちインドの勝利さ」という。パーカスらしい発言だ。


この頃の私は、異国の友人に囲まれた毎日を送っていたわけで、すっかり「ノー モー ワー」気分が高揚していた。だから、パーカスの軽はずみな発言を聞き流すわけにはいかない。そこで、ついマジになって「何言ってんの、勝ちとか負けとか、そんなこと言ってるから争いが続くのよ。考えても見てよ、将来あなたの子供がアーミーに殺されたらどうする?私は愛する人が無意味に殺されるなんて、絶対イヤだよ。」なんて、お説教みたいなことを言ってしまった。しかも涙がポロポロ・・・。しゃべっている間に、愛する人が殺されることを想像してしまって、うっかり悲しくなったのだ。ちょっと恥ずかしい。

パーカスと話を聞いていたパーカスのいとこは、わけがわからずオロオロ。「おい、お前何泣いてんだ、どうしたんだ?泣くなよ」と、私をなだめるのに手をやいている。私はこうなたら、わかってくれるまでいわなきゃと思い、「泣いてなんかないやい。とにかく戦争はダメなんだ。殺されるってコトが、どういうことだかわかる?戦ってる本人はよくても、残された者は悲しいんだからね」と訴え続けたのであった。

私が興奮してるわけを、ようやく飲み込めたパーカスは「そうだ、その通り。戦争はよくないぞ。インドはファイティングが嫌いだ」と態度を改めた。本当にわかって言っているのだろうか?パーカスは結構、お調子者である。そして、そんな平和なパーカスが私は好きだ。

本の中のパーカスの話は、まだまだ続きますが、このへんにしておきましょう。上の写真は、珍しくネクタイなどをしめて、建設中のロッジで記念撮影をした、タモリさんみたいなパーカスです。

<あとがき>
現在、建設は中断してますが、再開できるかどうかを次号でお伝えしたいと思っています。自分でも、この先どうなるのかわかりません。でも、来月も読んでくださいね。

次号に続く



インドコナラク、ノリコとパーカスの夢の途中
インド安宿建築日記
パート1
 プロローグ
 安宿のつもりが中級ホテルの設計図・・・5月9日〜5月12日
 5月13日〜6月6日
パート2
 6月7日〜6月30日
 7月7日〜7月8日
 今月のオマケ ナヤックさんちのこぼれ話
パート3
 7月8日〜8月8日
 今月のオマケ ナヤックさんちのこぼれ話
パート4
 8月10日〜9月13日
安宿ピンチ!ノリコとパーカスの夢"は途中のままで、消滅してしまうのだろうか?
番外編
ナヤックさんちのこぼれ話し
番外編
沐浴に行こう!!
番外編
ソニ・メーラNEW!

 あらすじと登場人物

インドへ行くなら、いざコナラクへ!インド・オリッサ州コナラク・ホームスティ


インド・オリッサ州コナラク
自然と世界遺産「スーリヤ寺院」の田舎町
日の出とスーリヤ寺院の眺めが自慢のわが家にホームスティしませんか?
インド古典舞踊、メディテーション、ヒンドゥー語、石像(ヒンドゥーの神様)、彫刻、インド料理など、インドならではの文化を学びたい方、または、インド庶民の生活を体験してみたい方、もしくは、しばし、物質社会から離れてのんびりしたい方、ぜひ一度、お立ち寄りください。
法子 高木 ナヤックまで、お電話かお手紙で!
NORIKO TAKAKI NAYAK KONARAK, PURI 752111 ORISSA INDIA
TEL 001-91-6758-236451(国際) TEL 06758-236451(インド国内)

残念ながら、ノリコさんにはパソコンはありません。使いたくても、ひどいパソコン音痴なんだそうです。それでも、日本の皆さんに発信したい!という希望を、かなえるべく、インドのコナラクより原稿をインドのプーナまで郵送、そこで、かちゃかちゃと原稿おこしをし、このページができあがっているというわけです。リアルインドでは、インドで、何か夢をかなえたい!何かやりたいって皆さんのご連絡を待っています!


@転載・リンクなど基本的に自由です。できればmaha@ohah.netお知らせください。



produced by maha

インドゥーポータルサイトインドの情報満載、インドゥーポータルサイト



▲インド安宿建築日記

 リアルインド