リアルインド |
珍しくネクタイなどをしめて、建設中のロッジで記念撮影をした、タモリさんみたいなパーカス |
現在、状況が状況なだけに、面白おかしい話題をお届けできる心理状態ではありません。手抜きになりますけど、私が独身時代につくった手づくり本「Oh,my friends!! 〜私が出会ったインドの人々〜」より、パーカスの話題を引用させてもらうことにします。 初めての海外旅行、初めてのインド、の思い出をつづった手づくり本。当時の私は、結婚の"ケ"の字も考えていませんでした。パーカスに対する印象も初々しい!!
パーカスの正確な名前は「プラカッシュ」である。これは、日本人の私にとっては困難な発音だ。そこで彼のことは「パーカス」と呼ばせてもらっていた。パーカスのフルネームは「パーカス・チャンドラ−・ナヤック」である。パーカスの意味はサンライズ、チャンドラ−の意味はムーンだ。とってもロマンチックであると同時に、大変大それたネーミングであると思ってしまうのは失礼だろうか?
コナラクには「スーリヤ寺院」という有名な遺跡があり、毎日大勢のインド人ツアーがツーリストバスに乗ってやってくる。そのため、この町には、ガイドを職業としている人が多い。パーカスも、そのガイドさんの一人だ。
彼の場合は他のガイドさんと違い、遺跡の案内だけでなく幅広く面倒を見てくれる。そのため、外国人ツーリストの間では特に評判が良かった。私もいろいろお世話になった。
耳が激痛に襲われた時や、虫刺されが化膿した時には病院へ連れて行ってもらったし、チリヤー湖へ行くといったら、車と運転手を手配してドライブの用意を整えてくれた。夜の催し物に出かけるときには用心棒をつとめてくれたし、レンタサイクルを借りるとき、リクシャーに乗るとき、買い物をする時などには、料金の交渉もしてくれた。
全部あげるとキリがないほどである。「インド人との付き合い方」を教えてくれたのも何を隠そうパーカスだ。パーカスは、彼の親類や友達、町の著名人などに出会うと「あの人は○○さんだよ、ほら、あいさつをしなさい」と、まるで母親のように私に命じた。また、私のタバコを湯水のごとく人々に分け与えてしまう。パーカスいわく「インド人は物をくれる人を良い人だと思う」のだそうだ。それにしても、私はあげてばっかり。別によい人だなんて思われなくてもいいのにと、始めは不服に思っていた。
ところが、日ごとに「ノリコ」と声をかけてくれる人が増えてくる。そのうち、逆にタバコをくれたり、チャイをおごってくれたりする人も多くなってきた。あげることの方が圧倒的に多いとは言え、インド人側にも「何かしてあげたい」の気持ちはあるのだとわかると、ケチな考えは消滅していく。私は自分だけ贅沢することは極力さけ、タバコやお菓子やお酒などは、なるべくみんなで楽しむようにした。
すると、私がコナラクを去る時には、大勢の人々がそれぞれいろんなお土産を私にくれた。中には、その場に持ち合わせていたハンカチをくれる人もいる。品物がなんであろうと、「これをあなたに」という心のこもった贈り物をもらえば、インド人でなくとも嬉しいものである。パーカスのいっていた「物をくれる人はよい人」というのも、こういうことだったのだろうか?
ところで、パーカスは28歳(実は25歳だった)。面倒見がよく、情にもろい。気前もよく、人に頼りにされることを喜びとしている。また、信心深いヒンドゥー教徒であり、疑われることをひどく嫌う。単純で、情熱家で、おこりんぼうだが涙もろい。そしてとてつもなく自信家である。
彼はよく、根拠のない自慢話を聞かせてくれたが、ある日こんなこともあった。私が血液型を訊ねた時のことである。「オレはA型だ」と彼は言う。
私:「え〜っ、A型なの?O型かと思った」
パ:「バカ言え、オレはグレートだ。血だってAに決まってるだろう」
彼は何か勘違いしているようだ。
私:「あのね、血液型というのは、どれがいいとかってないんだよね。知ってる?インドの人も血液検査ってするのかな?」
パ:「ああ、するさ。オレはA型。なんでもAなんだ」
う〜ん、やっぱりわかっていない。
私がインドにいた頃は、選挙シーズンということもあって、インドとパキスタンの間には、いつになくよからぬムードが漂っていたようだ。コナラクにもアーミーのヘリコプターが飛んできたりした。といっても、この町の問題はカシミール地方から離れた所にあるので、人々は大騒ぎするものの、「お〜っ、アーミーだ、すげぇなぁ」といったのん気なノリである。それでも町の人々は、インドvsパキスタンの問題に関心があったようだし、パーカスにいたっては、それをたてに、私の一人旅を猛反対していた。
ある日、行きつけのチャイ屋さんで、パーカスに今後の予定を話したときも、「危ないからコナラクにいろ」と引き止められた。心配してくれるのは嬉しいが、その後のセリフがよくない。「でも、インドはグレートだから、パキスタンにやられる心配はない。もしパキの奴らとファイティングになっても、オレたちインドの勝利さ」という。パーカスらしい発言だ。
この頃の私は、異国の友人に囲まれた毎日を送っていたわけで、すっかり「ノー モー ワー」気分が高揚していた。だから、パーカスの軽はずみな発言を聞き流すわけにはいかない。そこで、ついマジになって「何言ってんの、勝ちとか負けとか、そんなこと言ってるから争いが続くのよ。考えても見てよ、将来あなたの子供がアーミーに殺されたらどうする?私は愛する人が無意味に殺されるなんて、絶対イヤだよ。」なんて、お説教みたいなことを言ってしまった。しかも涙がポロポロ・・・。しゃべっている間に、愛する人が殺されることを想像してしまって、うっかり悲しくなったのだ。ちょっと恥ずかしい。
パーカスと話を聞いていたパーカスのいとこは、わけがわからずオロオロ。「おい、お前何泣いてんだ、どうしたんだ?泣くなよ」と、私をなだめるのに手をやいている。私はこうなたら、わかってくれるまでいわなきゃと思い、「泣いてなんかないやい。とにかく戦争はダメなんだ。殺されるってコトが、どういうことだかわかる?戦ってる本人はよくても、残された者は悲しいんだからね」と訴え続けたのであった。
私が興奮してるわけを、ようやく飲み込めたパーカスは「そうだ、その通り。戦争はよくないぞ。インドはファイティングが嫌いだ」と態度を改めた。本当にわかって言っているのだろうか?パーカスは結構、お調子者である。そして、そんな平和なパーカスが私は好きだ。
本の中のパーカスの話は、まだまだ続きますが、このへんにしておきましょう。上の写真は、珍しくネクタイなどをしめて、建設中のロッジで記念撮影をした、タモリさんみたいなパーカスです。
<あとがき>
現在、建設は中断してますが、再開できるかどうかを次号でお伝えしたいと思っています。自分でも、この先どうなるのかわかりません。でも、来月も読んでくださいね。
次号に続く
パート1 |
1 プロローグ 2 安宿のつもりが中級ホテルの設計図・・・5月9日〜5月12日 3 5月13日〜6月6日 |
パート2 |
1 6月7日〜6月30日 2 7月7日〜7月8日 3 今月のオマケ ナヤックさんちのこぼれ話 |
パート3 |
1 7月8日〜8月8日 2 今月のオマケ ナヤックさんちのこぼれ話 |
パート4 |
1 8月10日〜9月13日 安宿ピンチ!ノリコとパーカスの夢"は途中のままで、消滅してしまうのだろうか? |
番外編 |
ナヤックさんちのこぼれ話し |
番外編 |
沐浴に行こう!! |
番外編 |
ソニ・メーラNEW! |
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残念ながら、ノリコさんにはパソコンはありません。使いたくても、ひどいパソコン音痴なんだそうです。それでも、日本の皆さんに発信したい!という希望を、かなえるべく、インドのコナラクより原稿をインドのプーナまで郵送、そこで、かちゃかちゃと原稿おこしをし、このページができあがっているというわけです。リアルインドでは、インドで、何か夢をかなえたい!何かやりたいって皆さんのご連絡を待っています!
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